ようこそ孔明のいる教室へ   作:tanuu

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嘘をついても人は信じる。ただ権威をもって語れ。

『チェーホフ』


64.ルビコン川

 6日目の昼。5日目の夜、すれ違った伊吹に渡された紙に従って、堀北は呼び出された場所に来ていた。彼女の目には眠気の色がある。ここ数日、同日の櫛田の妨害であまり寝れていなかった。試験のグループでの活動もあまり好調ではない。彼女の地盤の少なさは、同時に櫛田の扇動に乗りやすい女子の多さを意味する。そして、一般人の操り方に関しては櫛田もそれなりに上手かった。少なくとも、堀北よりは。()()D()()()()()()()()()()()()()()()というところもポイントかもしれない。

 

 かくして、この試験が不調に終わる未来を予見し焦りと諦観を織り交ぜた感情を抱いている堀北は呼び出された場所へやってきた。渡された紙には、「Aクラスに行きたければ来い」という文言と場所、日時だけが書いてあった。不審に思いつつも来なければならないほど、彼女は追い詰められていたということでもある。

 

「うわ、ほんとに来たんだ」

「あなたが呼んだのでしょう? それで……いったい何の用なの、伊吹さん」

「私の用事じゃないから。あんたを呼んだのは、別の奴」

 

 伊吹がそう言うと、建物の陰から人影が堀北の前に現れる。その姿を、堀北はよく知っていた。忘れるはずもない。体育祭の時に、あんなにも屈辱的な目に合わせられた相手なのだから。

 

「よぉ、鈴音。久しぶりだな」

「龍園君……?」

「そうだ。伊吹、ご苦労だったな」

「ふん」

 

 鼻を鳴らして、伊吹はそっぽを向いた。確かに伊吹は龍園に賭けることにした。このまま唯々諾々と諸葛孔明の支配下に入るのは癪だったし、その政権下で自分に価値があるとも思えなかったからである。とはいえ、龍園に唯々諾々と従うつもりもない。複雑な心境だった。

 

「あなた、何の用なの? 石崎君によって失脚させられたと聞いていたけれど……」

「ククク、お前はとことんクソ真面目だなぁ、鈴音。お前、本当に俺が失脚したと思ってたのか?」

「事実として、あなたは表舞台に立ってないじゃない。この試験でも金田君に全部任せてされるがままだったと聞いているわ。それに、あなたが統率を取っているのなら、Cクラスがあんな体たらくにはならないでしょう」

「当たり前だ。なにせ、俺は身を退いたんだかから」

 

 身を退く、という言葉に対し、堀北は眉を顰める。彼女の感覚として、龍園の辞書に身を退くという言葉があるとは思えなかったのだ。あまりにも堀北の持っている龍園のイメージと乖離していた。家臣全てが死に絶えてでも彼は立っていそうだと、そう思っていたのである。しかし実際はそうではない。8億ポイント作戦を考えるくらいにはクラスメイトの事も考えている。王として、配下に還元することが頭にあるあたり、君主たる条件はある程度満たしているといえるかもしれない。

 

「俺だって身を退くくらいはできる」

 

 堀北の内心を読み取って、龍園は呟くように言う。彼としては不本意な結果に終わってしまった綾小路との対戦の末、龍園は身を退いた。石崎達に龍園が退学するなら自分たちも、と先手を打たれ、それ故に残留した。彼は今、燃えカスのようになっていたのだ。その原因はもちろん綾小路の件もあるが、それを諸葛孔明にすべて把握された上、利用され尽くしたことに決定的な敗北感を抱いたのである。諸葛の掌の上で踊っていた羽虫のような存在である。他人を道具としてきた龍園は、自身が道具にされるという展開にかつてない屈辱と無力感を感じていた。

 

「まぁ俺のことはどうでもいい。何の用かと言ったな。単刀直入に言う。お前はこれからどうする?」

「どうするって……」

「クラス間闘争の事だ。もっとも、俺たちの学年は半分崩壊しかかってるがな」

「あなたこそ、どうするつもりなの」

「俺はあくまでも諸葛に、Aクラスに対して戦いを挑む。それにあたって、お前の意思を確認したかった。お前のクラスは空中分解寸前だなぁ? 軽井沢は諸葛に尻尾を振って生き延びようとしてる。平田はなぁなぁでしか過ごせない。軽井沢を止める意思も無けりゃ、雑魚共を引きずり上げる気概もないまま中途半端な優しさを拗らせてるだけだ。そして、お前には一人敵がいるな」

「……櫛田さん、のことね」

「そうだ。良いことを教えてやろう。この伊吹が掴んだ情報だ。櫛田桔梗は坂柳に唆されてお前の妨害をしてるぜ。何を餌にされたのか、なんとなく想像はつく。が、今大事なのはお前の味方がいなくなったことだぜ。特に女子に関してはな」

 

 堀北は苦しそうな顔をした。Bクラスの派手めな女子は軽井沢の派閥にいる。大人しい女子は櫛田がまとめている。佐倉と長谷部という特殊枠もいるにはいるが、それも決して堀北の味方というわけではないのは明らかだ。

 

「お前にもっと愛嬌があれば、その顔と身体で男子どもを動かせたかもしれないが、まぁ無理だろうなぁ。男子は平田のような中途半端野郎か、人任せの馬鹿が大半だ。お前に忠誠を誓う奴はいない。須藤くらいか? あいつも特攻くらいでなら役に立ちそうだが、駒にしては弱すぎる。なぁ、鈴音。お前のために死んでくれる奴が何人いる?」

 

 龍園の黒いオーラが堀北を包む。元々悪の魅力というものが彼にはある。そしてそれは敗北を経て、磨かれていた。あの敗北こそが、無力感こそが、龍園の持っていた向こう見ずさや傲慢さを良い方向に削り取った。過度な自尊心が消え、獰猛に獲物を狙う狼のような存在へとなりつつあったのだ。堀北は蛇に睨まれた蛙のように、狼の前の子ウサギのように、立ち尽くすしかない。

 

「石崎とアルベルトと伊吹を俺は巻き込んだ。そのくせ盛大に負けた。相当危ない橋を渡ったからな、退学どころか実刑もあり得た。それを分からないほど、こいつらも馬鹿じゃねぇ。それでもやるといった。それには感謝はしてるつもりだ。だから、こいつが俺を立ち上がらせようとしているのを見て、やるしかないと思った。俺のクラスにはまだ、俺を支持する奴もいる」

「……」

 

 伊吹は何か言いたげな顔で龍園を見たが、結局口をつぐむ。龍園は龍園なりに部下への感謝はある。諸葛に利用されて生き残ったが、そうでなければもれなく全員退学&少年院コースだった。そんな危ない橋を渡ってくれたことへの感謝は存在していた。だから最初は伊吹に全ポイントを託して自身が退学しようとしていたのだから。

 

「一之瀬を見てみろ。あいつのためならクラスの奴らは人だって殺しそうじゃねぇか。Aクラスもよっぽどのことがなけりゃ、あいつらは諸葛の言うことを聞く。その上、神室っていう諸葛のために死んでくれる女がいる。お前はどうだ」

「…………」

 

 死んでくれる、という表現は過激であるが、要するにそれくらいまで熱心に支持してくれる人がいるか、ということであった。絶対的な味方がいるか、ということでもある。一之瀬にはクラスメイトがいる。諸葛孔明には神室真澄がいる。葛城には戸塚がいるし、坂柳にも薄っすらとしたシンパがいないわけではない。それらは当然のごとく堀北に欠けているものだった。

 

「言いたいことが分かったか、鈴音。お前には味方がいない。支持者もいなければ、家臣もいない。ダチも恋人もな。お前のために尽力してくれる奴は一人もいねぇんだ。言っちゃなんだがな、どんな手段でもいいから味方を確保することについて言えば、俺の方がはるかに優れてるぜ」

「……分かってる。私には、味方がいない」

 

 堀北の声は、最早泣きそうなまでに暗かった。突きつけられた現実は既に彼女も自覚するところではあった。けれど、見たくないことから目を逸らしていた末に、今がある。むろん、普通の中高であったのならば、それでもよかっただろう。努力が出来る人物であるから、孤高の美人として過ごせただろう。しかし、ここではそれでは何もできない。もし、彼女がほかの全てを叩きのめせるくらいに、それこそ綾小路以上に優秀だったらそれでもよかったかもしれない。けれど、そうはならなかった。

 

「お前の兄貴、生徒会長だろう? お前はアレを追いかけたのか?」

「どうしてそれを……」

「ひよりに聞いたらそうじゃないかって推測してたぜ。追いかけるのは自由だがな、お前の兄貴と諸葛とどっちが優秀だ?」

「そんなの、わからないわよ。戦ってないのだから」

「正論だがつまんねぇ答えだな。けどよ、分かってんだろ? 三年かかって学年一つ支配できなかったお前の兄貴、誰も退学者を出さないまま学年の半分を抑えて半ば王手の諸葛。どっちが優秀だ?」

「……」

 

 坂柳という厄介な人物を何とか軌道修正しながら使いつつ、ほかの生徒の実力を伸ばし、ここ数年行われなかったクラス移動を数回成功させ、一之瀬からの信頼も大幅に勝ち取った。学校の改革にも一枚どころかかなり嚙んでいる。南雲を利用し、龍園を利用し、あらゆる手段を用いて勝利を得ている。しかも、いずれも彼自身はクリーンなままで。成果で言えば、どちらが上か明白だった。

 

「優秀なやつを追いかけるなら、お前はあの軍師野郎を追いかけるべきだろ。そうすれば、お前の仏頂面も多少はマシになるんじゃねぇのか」

「彼だって、完璧な存在じゃないはずよ」

「そりゃそうだろうな。だが、お前よりは完璧に近い。それに、お前の兄貴も完璧じゃない。だから南雲の台頭を許した」

「さっきから、ずっと何なのかしら。私をこき下ろして何がしたいの?」

「お前の無駄に高いプライドを一回へし折ってやろうと思ってな。お勉強だけしか出来ない真面目ちゃんのくせに、リーダー面してるのはそのプライドのせいだろ。そのうえで聞きてぇ。お前はどうする。諸葛に尻尾振って生きるか、孤軍奮闘で戦うのか」

「私は……」

「尻尾振って生きるのも賢いだろうな。軽井沢は上手い手を打った。だがまだ間に合うぜ。お前が真摯に反省して、諸葛に頭を下げて、坂柳の靴でも舐めれば軽井沢の次くらいには受け入れてくれるかもしれねぇなぁ。真面目しか取り柄のないヤツの社会性を鍛えるとか、あの野郎の好きそうなことだ」

 

 堀北鈴音という人物は確かに、取っつきにくい生徒を改善するという面において諸葛孔明の好むタイプであった。性格が悪いのでそこの改善からではあるのだが。彼の恋人もとっつきにくい女子ではあったが、性格はそこまで悪くない。

 

「私は……まだ、諦められない」

「そうか。なら、俺たちの利害は一致してるな」

「え……?」

「俺は諦める気はない。お前も諦める気がない。学年の半分以上があいつに迎合してる中、俺たちは数少ない反対派だ。だが頭数が足りねぇ。お前が最低限、Bクラスの半分を抑える必要がある。現状、太陽が西から昇る方が可能性がありそうだがな。とは言え、お前のクラスには粒もいる。今から言う奴らを味方にしろ。そうすれば、お前と手を取り合ってやってもいい」

「頭数が足りないのはあなたの都合なのに、どうしてそんなに上から目線なの」

「上だからだ。俺はクラスをまとめられる。馬鹿が多いが40人を束ねて戦力に出来る。ここで同盟組んだ場合、俺の後ろにはCクラスがあるが、お前の後ろには何もない。俺が上に決まってるだろ」

 

 龍園はガン、と建物の壁を蹴った。その行動に、堀北の肩がびくっと動く。険しい目が堀北をとらえた。

 

「お前を放置すれば、お前は早晩潰れる。櫛田に潰され、坂柳に壊される。それでいいのか? 四の五の言ってる場合じゃねぇだろ。俺とお前は利害が一致してる。早くしねぇと諸葛の天下は決まる。現状お前はどん詰まり。このまま黙って死ぬのか、俺と手を組むのか、道は二つに一つだ。どっちにするのか、よく考えるんだな」

 

 凄みのある声で龍園は告げる。ゴクリ、と堀北の喉がなった。かつては暴力的で野蛮で、無人島では何も考えていない愚か者とすら思っていた。勉強に価値を置かず、奇策しか使えないと。それでも彼は成果をある程度は残していたし、慕う人間もいる。翻って自分はどうか。成果と呼べるものは乏しく、味方はいない。須藤の暴力事件を引き起こし、無人島で痛罵した人間は、今や自分よりも高位にいた。

 

「もし協力する気があるんなら、今から言う奴らを味方につけろ。どんな手を使ってでもな。まず綾小路、次に高円寺。以上二名だ」

「待って、高円寺君は誰の言うことも聞かないわよ。それに綾小路君……? どうして彼なの」

「高円寺をどうやって説き伏せるのかはお前が考えろ。あいつは意味不明だが、馬鹿ではないはずだ。何かしら行動原理がある。それを見抜け。で、綾小路か。理由は簡単だ。あいつが俺を倒した。理由はそれで十分のはずだ」

「綾小路君が……?」

 

 堀北の混乱をよそに、龍園は小さくため息を吐いた。相当難しい話であるのは言っている本人も理解している。高円寺を説得するのは相当難しい。これで余剰資金が無限にあればいいのだが、それもない。高円寺に提供できるものは、精々諸葛孔明との戦闘の場くらい。綾小路に至っては何を求めているのかすらわからない。それでも作戦を立てるしかなかった。元々分の悪い大博打。なら、不可能に見えてもできる限り藻掻くしかないのだから。

 

「次に生徒会に入って南雲からの支援を取り付けろ。ついでにお前の兄貴から金をもらえ。それでやっと最低限戦える」

「そんな、滅茶苦茶よ」

「あぁそうだ。そんなのは俺が一番よくわかってる。だがな、あの野郎に勝つにはそれくらいしねぇといけないんだ。頭数が足りない以上、そうするしかない。高円寺で坂柳を抑えてもらう。綾小路が諸葛だ。俺が葛城で、お前が一之瀬か? ひよりが神室だな。これでなんとか一線級はどうにかなる計算だ。どう思う」

「不可能だと……」

「やりもしねぇうちから随分と弱気だな」

 

 馬鹿にするような龍園の言葉が、ぐさりと堀北の胸に刺さった。

 

「お前、諦める理由を探してるんじゃねぇだろうな」

「そんな! ことは……」

「諦めるなら好きにしろ。そんな腰抜けの間抜けに声をかけた俺が馬鹿だっただけだ。行くぞ、伊吹」

「……待って」

「あぁ?」

「なんとか、してみるから」

「そうかよ。なら期待しないで待っておく。だが急げよ、待てる時間はそう長くないぜ」

「分かってるわ……」

「最後に一つだけ言っておく。お前はリターンを用意しろ。諸葛はリターンの手札が多い。お前の手札はカスみたいなものしかないが、それでもリターンを考えうる限り用意しろ。泣き落としでも何でもやれ。いいな」

「……善処する」

 

 堀北はそう言うと、足早に戻っていった。龍園に正論で論破された悔しさと、これからやらないといけないことの膨大さに押しつぶされそうな心と、ほんの僅かばかりの希望を持って、彼女は歩き去る。龍園はその背中を見て、小さく息を吐いた。

 

「これで、勝てるの?」

「さぁな。相当に分が悪い勝負だ。100回やって、1回でも勝てれば奇跡だな」

「そんな無茶な賭け、ホントに良かったの? 別に無理に戦わなくても」

「これは俺が選んだ道だ。お前にも誰にもごちゃごちゃ言わせねぇ。それにな、100回やって1回でも勝てるなら、その1回を引きずり出せるようにするだけだ」

 

 龍園は獰猛に笑い、その犬歯を覗かせる。睨みつける先は男子棟。その中にいるであろう諸葛孔明に向かって、殺気を送る。その笑顔は闘争本能でもあり、同時に自分の中に持っている恐怖心や震えを打ち消すものだった。彼とて分が悪いことなど当然理解している。いくつもの「願望」じみた展開を引きずり出さないことには勝てない。しかし、それでも勝てる可能性があるのなら、やるのが彼の信念だった。

 

 不屈。何度やられようとも、何度折られようとも決して屈することなく、最後には勝利を収めるべく前進を続ける。それが龍園翔の強みだ。

 

「さぁ、次は自分の身内の統制すらできねぇ無能の子守りだ。俺がいない間に裸の王様やってた真鍋を叩きのめすぞ」

「俄然やる気が出てきた」

 

 伊吹は真鍋に色々と鬱憤がたまっている。それを晴らせるのならば願ってもない機会。女子は中々支配しづらい、というのが龍園の正直な感想だ。椎名ひよりを上手く女子のリーダーに出来るよう調整するしかない。最低限、自分の代わりになれるように。伊吹にはその任は重過ぎる。全幅の信頼を置いて大抵のことは任せられる腹心が傍にいる諸葛のことが少しだけ羨ましいと思いながら、龍園はまたしても小さく息を吐く。

 

 ――かくして、賽は投げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 試験も遂に6日目を迎えた。明日がいよいよ最終日。試験の日だ。これを何事もなく終えることが出来れば、無事に家に帰れる。まぁ、このままいけば特段の問題なく優秀な成績を収めて終了することが出来るだろう。今のところなんの問題もありはしなかった。問題になりそうだった山内も真剣に取り組んでいる。Cクラスからの来訪者である時任もこちらに取り込めつつあった。彼を上手く洗脳、もとい訓練すれば龍園がどういう行動をしているのかを探れるようになるかもしれない。元々龍園のことは好きではなかったようで、利用できる可能性は高いと思う。

 

 そのうえで、ほかの問題は特にない。かなり順調、というのが正直な感想だった。他のグループに入った男子も全員異常なしという報告を受けている。これはかなり良い傾向だった。最後まで油断はできないが、それでも悪い報告がやってくるよりはずっといい。気になるのは女子の方だ。彼女たちの大体の行動や状況は真澄さんと坂柳が適宜報告してくれている。とはいえ、実際にこの目で見ていないので何とも言えないところがある。また、Aクラスの様子だけ見ていればいいわけではない。もう片方、つまりはDクラスの女子の様子も知る必要があったのだ。

 

「どうですか、一之瀬さん。今のところのご様子は」

「特に問題は起きてないかなぁ」

「それは何よりです」

 

 私の目の前には一之瀬が座っている。彼女とこうして情報共有をしていた。同盟関係というか、向こうがこちらに従属しているとはいえ、こういうコミュニケーション能力がモノを言う試験は彼女の得意とするところ。大幅な裁量権を渡して好きにしてもらっている。坂柳よりもその辺は信頼できるのが彼女の強みだった。最初の方で堀北に難癖を付けられたようだが、それをおくびも感じさせず振舞っている。

 

「皆さん元気に試験を終えることが何よりです。言うまでもないかもしれませんが、体調管理などは徹底してください。無理のないように。勝利は大事ですが、何よりも大事なのではありません。大事なのは、皆が揃って学校に帰還することです。慣れない環境や生活リズムで調子を崩す生徒も出る時期でしょうから、十分の注意を。むろん、あなた自身もね」

「うん、わかってるよ。そこら辺は注意しているつもり」

「流石ですね」

 

 私は優しく微笑む。彼女が私にどういう感情を抱いているのかはいまいち読み取れないところがある。悪感情は抱いていないだろうし、協力関係にあるので当然友好的ではあるのだが、全幅の信頼があるわけではないというのは理解していた。彼女からすれば、全クラスメイトの移籍が終わるまでは心配というところなのだろう。その気持ちは当然のことなので、特段不快に思ったりはしない。むしろ、リーダーとして当然のリスク管理だ。

 

 じっとりとした視線が遠くの席からこちらに向けられている。私と一之瀬を凝視している真澄さんと目が合った。彼女はすっと逸らす。坂柳が呆れたような顔でため息を吐いている。私が手を振ると、彼女は小さく手を振ってそのあと知らん顔をしていた。どうも、私と一之瀬が懇ろな関係になるのをひどく警戒しているようだ。私にはそのつもりなど毛頭ないし、彼女もないと思うので取り越し苦労である。

 

「仲、良いんだね」

「えぇまぁ、それはね。すみません、あなたに集中するべきでした」

「ううん、彼女さんだもんね、全然大丈夫だよ」

「ありがとうございます。彼女とはまぁ、入学してすぐの頃から色々と行動を共にしていますので」

「そうなんだ。神室さん、あんまり人と積極的に関わる感じには見えないけど、何かきっかけとかあったの?」

「そうですね。ちょっとしたきっかけがありまして」

 

 銃口を突きつけて脅迫するという、ちょっとしたきっかけだ。あの頃の私に、今目の前で脅している子と将来的に付き合いますなんて言った日には気が狂ったと思われるだろう。月日というのはわからないものだ。

 

「私としては、この学校で一番信頼できる方ですから。もちろん、あなたを始めとした皆さんを信頼してはいますが、如何せんどうしても、ね」

 

 彼女はあまり恋愛系の話は得意ではないようだ。その性格と容姿とスタイルだ、きっとモテてきたのだと思うけれど、どうだろう。それとも、高嶺の花と思われて告白する勇気を持てない男子が多かったのだろうか。

 

「4回、いや5回ですかね」

「何が?」

「あなたが告白された回数です。こんなもんかと思いましたが、どうですか?」

「なんでわかったの……?」

「おや、正解ですか? 結構適当に言ったんですけどね。まぁ単純です。1、2回では少なすぎる。かといって10回では多すぎる。真ん中くらいかなと思ったまでですよ。それなりに、そういう勘はあるので」

 

 色仕掛け、というのは諜報において大事な要素だ。内部においても外部においても。そういうのは私の仕事だった。だからこそ、必然的に得意になる。色恋に奔放な存在は大体わかる。そういう意味では、自分の今の生徒にはそういう存在がいないので助かっている。いた場合、それなりに注意しないといけないからだ。身持ちを崩す可能性もあるし、何かしら精神的な病を抱えている可能性もある。

 

「一之瀬さんあなた、嘘が吐けないですね」

「そうでも、ないんだけどね。特別試験の時とかは、嘘を吐かないといけない時もあるし。本当なら嘘なんてつきたくないんだけど、そういうのは仕方ないと思いながらやってるかな。諸葛君みたいに誠実でありたいんだけど……」

「私のは誠実というより、意味のない嘘を吐かないだけですよ。私は噓つきですよ、こう見えて結構」

「えー、そんな風には見えないけどなぁ」

 

 嘘だらけだ。私の多くは嘘で形作られている。今、彼女の目の前にいるのは望まれた諸葛孔明という人間の姿に過ぎない。ある意味では虚像だ。実際の私はこんなに丁寧な口調で話さない。そういう風にするのが一番合っているからそうしているだけで。ただ、意味のない嘘は吐かないようにしている。そうすることで、いざ本当に嘘を吐いたときに真実味が出るからだ。

 

「ねぇ、諸葛君」

「はい」

「私がもし、もし仮にとんでもない大噓つきだったらどうする?」

「嘘の内容によります。私やAクラスを謀って、大金を使わせた後に元クラスメイトに暴れさせてAクラスを嵌める作戦とかだったら怒りますが」

「あ、それは大丈夫。そういうクラスとかに拘わること、というよりは私個人の問題として」

 

 彼女が何について触れようとしているのかは知っていた。彼女は昔、万引きをしている。正確には万引きをして親に見つかり、謝って許して貰っている。なので、犯罪行為はしたけれど法の裁きは受けていない。当然、警察のデータにも入っていない。公的にはクリーンであるのだが、彼女自身がどう思っているのかはまた別。彼女は病んだ。そして、引きこもっていた時期がある。故に、彼女はBクラスだったのだ。堀北の言っている難癖は正しい。彼女は欠点があった。だから、Bクラスなのだ。

 

 そんなことは春の時点で調べさせている。どうも、学校側は万引きのことは把握していなかったらしい。中学の教員は知っていたようだが、彼女を守ったようだ。素行調査でも何も出なかった辺り、一之瀬帆波の人望がうかがえる。Bクラスになったのは高育からすれば原因不明のまま引きこもっていたからだろう。

 

「あなたの何が嘘であるのかによるとしか言えませんね」

「そう、だよね」

「それに、これは仮定の話でしょう?」

「う、うん」

 

 こんなところで真相暴露、というわけにはいかない。誰が聞いているのか分かったものではないからだ。一応周りに聞いている人がいないことは確認にしているけれど、念には念を入れたい。個人情報の中でもかなりデリケートな部分だ。私もいつか、これとは向き合わないといけないと思っていた。一之瀬も私の生徒である以上、抱えた悩みへの生徒指導はしないといけない。

 

「まぁもし仮に、あなたが何か嘘を吐いていたとして。だとしても私はあなたを信頼しますよ」

「そう、なの?」

「えぇ。だって、あなたがこの学校に来るまでに何をしていようと、これまでこの学校で多くに信頼されるように振舞い、真面目に取り組み、努力を重ね、リーダーたらんと己を鼓舞し、私の手を取るある種屈辱的な選択肢を選んだのはあなたです。それが消えるわけではないでしょう。私からすれば、大事なのはここでのあなたがどう振舞っていたか、そしてこれからどう振舞うかであって、過去のあなたがどうかではありません」

 

 これは彼女と同盟を結ぶ際にも言った話であり、そして偽りのない本心でもある。私は彼女の過去を知っている。しかしながら、それでも同盟する道を選らんだ。これまでの行動から、信頼できると考えたからだ。

 

「ですが、もしかしたらあなたは持っている高潔さゆえに、自分を赦せないのかもしれませんね。確かに嘘は消えず、罪は拭えない。だとしても、あなたに救われたクラスメイトがいることはそれもまた消えない事実ではありませんか? 訳の分からない学校、繰り出される非日常、その中でストレスや悩みを抱え、どうしたらいいのかわからない暗闇の中にいたあなたのクラスの生徒にとって、あなたは光だったはずです」

「そう、かな」

「そうですとも。自信がないならお聞きになればいいのでは? 聞くまでもないと、私は思いますがね」

 

 そろそろ休憩の時間も終わる。この話は戻ってから、しっかりとする必要があるだろう。私は立ち上がり、そして彼女の顔をしっかりと見つめる。その迷いを秘めた視線を見逃さないようにしながら。

 

「あなたは未来を見る必要があるかもしれませんね。もしそのために過去を注視する必要があるのなら、或いは何か悩んでいること、抱えているものがあるのなら、私に話してください。私にとって、あなたも大事な生徒です。あなたの悩みには必ず向き合いたいですし、解決できる道を模索しますし、お手伝いをしていきます。どうか、一人で抱え込まないで。話すことも頼ることも悪ではありません。あなたの連絡を待っています。いつでも、ね」

 

 念を押して、私は彼女に一礼して歩き出した。彼女が自分の過去と向き合って、そして未来に向かって歩き出せたのなら、この同盟関係はより強固なものになるだろう。そして同時に、彼女自身にとってもそれは大事なことのはずだ。一年生の間にこの問題が解決することが一番望ましい。彼女が、自分自身と向き合い、そして話したいと思ってくれることを願った。

 

 こればかりは生徒がどう受け取るか、行動しようと思ってくれるかにかかっている。背中を押すことしかできないのが、この仕事の辛いところではあった。この学校の教員は絶対に彼女のためにこういう指導をしないとわかっている。である以上、私がするのが最善だろう。彼女のためにも、クラスのためにも、そして私のためにも。

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