『ウィンストン・チャーチル』
72.戦争
<攻勢>
「文科省が動いた、か」
『はい。失職した坂柳理事長の後任が決定されました』
「いかなる人物だ」
『報告書はそちらに』
「月城常成……月城? どこかで聞いた名だ」
『出身大学は京都大学。学部は教育学部。所属ゼミは鳳ゼミ。閣下の御父上の下で助教授を務めておりました。しかし、御父上が大学を去って以後は政界の何でも屋のようなことをしていたようです。時には直江派閥に与し、時には鬼島総理の派閥に与しと渡り鳥のように。直江のスキャンダルを探っていた記者が数名消されていますが、恐らくはこやつの仕業でしょう』
「なるほど」
面倒なのがやって来た。微妙に詰めが甘いために首になった坂柳理事長とは違い、そんな甘さは無いだろう。そもそも私の父親は無能や一般人を側には置かない。坂柳理事長は元教え子だと自分で言っていたが、特別な扱いを受けていないのはその為だろう。父のお眼鏡に坂柳理事長はかなわなかったのだ。それに対し月城というこの男は父の下で働いている。それもそこそこ長く。途中で教授の助手として母が入って来るまでは2人でやっていたのだ。
『そのためお耳にしたことがあるのかもしれません。どの段階でホワイトルームと接触したのかは分かりませんが、恐らくは閣下の御父上の紹介ではないかと』
「人となりは?」
『詳しくは不明です。家族はいないようです。ただ、旧鳳ゼミの人間に少し探りを入れたところ、面白い話が出てきました。昔、月城は閣下の御母上に懸想をしていたとか』
「ほう? 確かに、昔母が何やらそんなことを言っていたような気がするが……。遠い昔すぎて忘れていたな」
『何かに利用できるかは分かりませんが、ひとまずご報告を。今後も調査を続けます。公主様も色々と動いてくださっているようですので』
「私も少し父の遺品を探してみる。何か出てくるかもしれない。引き続き動きがあれば教えてくれ」
『了解致しました。諸葛閣下万歳!』
通信は途絶する。間違いなく近日中に仕掛けてくるだろう。綾小路を退学させることがホワイトルームの最優先課題のはずだ。恐らくは、ではあるが。綾小路の父親が何を考えているのかは見極めきれていない。退学させるのはブラフであり、それすらも利用して綾小路を育て上げようとしている可能性だってある。
父の遺品は大量にある。日記の類もあるし、何かヒントになる物があるかもしれない。大量に散らばっている本類の中から捜索する作業を始めた。
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2016年の3月になった。長かった今年度ももうすぐ終わりそうになっている。間もなく行われる学期末の特別試験が過ぎれば、見事に一学年は終了。春休みを迎えることになる。果たしてどんな試験になるのかは不明だが、決して勝率は悪くないだろう。
そして、前月末に行われた学期末の定期テストが返って来た。三学期は短いため、試験は一回しか行われない。これがペーパーテストにおいては今年度の最後だった。
<学年末テスト成績優秀者>
1位:坂柳有栖 1000点
1位:諸葛孔明 1000点
2位:一之瀬帆波 985点
3位:葛城康平 980点
4位:幸村輝彦 976点
5位:高円寺六助 960点
5位:堀北鈴音 960点
6位:真田康生 955点
7位:椎名ひより 951点
8位:神室真澄 942点
9位:的場信二 930点
9位:山村美紀 930点
10位:森下藍 925点
いつも通りの自分の点数はどうでも良い。Aクラスが大分上位にいるが、それも今回ばかりはそこは置いておく。大事なのは、トップテンに入っている真澄さんの事である。彼女はこれまで私の授業を受け、最終的に学年順位においてトップテンに入る事を目標に据えてきた。そして今回の試験でそれが見事に達成されたわけである。それより上にいるのは高円寺や椎名に一之瀬と言った各クラスの第一線級の人物ばかり。リーダーを務めている存在もいる。
しかしながらそれと肩を並べるまでに成長していた。上位にいる数名とは点数も近い。決して届かない存在、越えられない壁では無いだろう。後少しでトップ5も見えてくる。そうすれば今はいないが坂柳と私との戦いになってくる。願わくば、最後の3年生の学年末試験では見事フルカウントで卒業して欲しいと考えている。ここまでよく成長したものだ。私も鼻が高い。名実共に女子のリーダーとして相応しい結果と言えるだろう。
難易度は過去最高であったと先生は言った。その上で退学者が1人も出ていないのはウチの学年が初めてらしい。それは意外ではあるが、めでたい事だ。私としてもありがたい。真澄さんの点数への感激を一旦置いておけば、まだまだDクラスが上位層に食い込んでくるのには時間がかかりそうだという事が少し気になる点だろう。
そういう意味でも注目すべきはBクラスだ。今回の試験でトップ10にいるメンバーの内、最多なのは8名のAクラスだが、次点で3名のBクラスがいる。勉学において最底辺と言われていた元Dクラスだが、しっかりと実力者がいる事を示していた。とは言え、これはあくまでも上位陣が出来るだけであって下位にもCクラスが多いのは事実なのだが。
最終的には、このトップ10の票を全て私の生徒で埋め尽くすことが目標だ。そのためには、幸村・高円寺・堀北のBクラス3名、Cクラスの星である椎名を超えないといけない。堀北は人望はともかく成績はかなり良いので、この辺は苦戦しそうだ。リーダーシップという点では目立たないが、幸村も大抵良い成績を出してくる。その能力は注目するべきだろう。
「今年のAクラスの成長率、そして成績は創立から見返してもトップクラスに入っている。非常に優秀な生徒たちだ。このまま退学者を出すことなく、全員で卒業できるかもしれないと俺も思えている。今年度最後の特別試験は3月8日に行われる。各々抜かりなく準備するように。これまでの健闘に敬意を表して、今日のHRは終わりだ」
真嶋先生は微笑みながら告げて、発表を終了した。私も大変誇らしい気分になる。生徒たちがしっかりと成果を出してくれている。学校も改革途上だが少しずつ変化している。良い風が着実に吹いていた。このままいけば、この学校は真の意味で社会に役立つ人材を輩出し、生徒たちの未来をより良いものにすることのできる学校へと変貌していくだろう。そうなる日が、今から楽しみだった。
「坂柳の計画も順調そうだな」
「えぇ、おかげさまで。彼女も目に見えて成果が出てくるのは中々面白かったようで、最近は結構乗り気ですよ。戦績は一進一退ではありますが、そもそも相手がプロですからね。白星を得られている時点でだいぶ上澄みではありますし」
腕を組みながら、葛城は満足そうな顔をしている。坂柳に関しては、元ライバルではあるけれど、今はクラスメイト。葛城にとっては病弱な妹と重なる部分もあるのだろう。それなりに気にかけていた。チャンネル登録者数も間もなく一万人が見えている。宣伝はかなりしているが、それだけではなく単純にコンテンツとしての力がついてきた証だ。そろそろゲーム配信などをしても良いと思っている。
「私の話ですか?」
「はい、あなたの活動が順調そうで良いという話です」
「自分らしくいられる場所を見つけるのは大事な事だ。坂柳のように才能があるなら、普通に学生生活をするだけではない今の形の方が良いだろう」
「ありがとうございます。私も、それなりに楽しめていますよ。プロの方の腕前は流石という他ありませんから。昔は負けたことも何回かありましたが、最近はとんと無かったもので。かつてのように棋譜の研究をしたりするのは楽しい時間です」
それで成績をキープしているのだから、運動系以外における才能は本当に特筆すべきものがある。それを変な方向に活かすことなく自分らしくいられる場所で輝くために使えるのならば万々歳だ。
彼女の表情も大分柔らかくなっている。人を小馬鹿にしたような表情をすることはなくなってきたし、かなり憑き物が落ちたというか、挑む側の人間の表情になっている。これはとても良い兆候だ。順調に精神的な成長をしてくれている証だろう。学年末の特別試験が終われば、全員に対し面談を行っても良いと思っている。
坂柳だけではなく葛城や多くの生徒たちがこの一年での成長を感じていることだろう。それを言語化し明確にしつつ、OAAが始まるならそれを使いながら今後の指針を考え、将来に繋げていく。一学年の総集編としてはちょうど良い機会だった。
教室の空気は明るい。多くの生徒が和気藹々と過ごしている。真澄さんも女子に囲まれていることが多くなったし、交友関係の広くない山村や鬼頭も、それぞれ森下や橋本と話している。良いクラスになってくれた。学級作りという面では取り敢えず自分に及第点をあげてもいいだろう。このまま互いを尊敬する事の出来る学級にしていきたい。
毎日新しい気付きがある。学校とは生徒だけではなく、教師の学んでいく場所なのだ。ここに来た事で、私自身も成長出来ている。学校に思うところは大いにあるけれど、それだけは確かだった。
しかし、悪夢は訪れる。
「──お前たちに、伝えなければならないことがある」
成績発表の翌日である3月2日。ひな祭りの前日に真嶋先生は酷く重苦しい顔で言った。目の下にはクマがあり、ほとんど寝ていないことが伺える。そのただならぬ状態に、生徒全員が息を呑んだ。
始まった。ホワイトルームによる綾小路退学をかけた作戦が、遂に始まったのだ。多くを巻き込みながら、たった1人を陥れるつもりなのだろう。それも、無関係の生徒を巻き込んで。政治の世界ではよくある事だ。だが、それを教育機関で行う事に対して、私は納得する事は出来なかった。
「3月8日から始まる特別試験が、1年度における最後のものだと昨日伝えた。これを終える事で2年生への進級が完了する。試験の内容は異なれど、それが例年通りの流れ。……しかし今年は、去年までとは少しだけ状況が異なる。学年末試験を終えてもなお、本年度は1人も退学者が出ていない。この段階まで1人もいないと言うのは創立以来初だ」
「それは我々の優秀さの証左であり、褒めるべきことなのでは?」
私の声に真嶋先生は頷く。
「その通り。これは学校側も認めているお前たちの偉業だ。無論我々教師もお前たちの多くが卒業する事を望んでいる。だが……これは我々教師の予測を超えた事態なのだが……学校側はお前達1年生から1人も退学者が出ていないことを考慮し、特別試験を追加で実施することを決定した」
さしものAクラスも困惑を隠しきれず、抗議の声が飛び交う。口ぶりから見て退学者を出さんとしている学校の意図は見え見えだからだ。それを咎めるでもなく、真嶋先生は目を逸らしている。私はその姿をただ、見つめた。暫くすると少しだけ落ち着きを見せたので、先生は話し始める。ひとまず話を聞かねばどうにもならない。それは皆も理解するところだった。
「内容はいたってシンプルだ。そして退学率もクラス別に3%未満。一気に何十人もいなくなったりはしない。能力も問われない。運動や勉強も追加でする必要ない。テスト等もない。お前たちが行うのは『クラス内投票』だ」
クラス内投票。言葉だけを見れば、某アイドルグループの総選挙のようにも見える。
「お前達は5日後にクラスメイトに対して評価を付け、自分が最も高く評価したクラスメイト、称賛に価すると思った生徒3名に対し『賞賛票』を、逆に最も低く評価したクラスメイト3名に対し『批判票』を、そして他クラスで最も評価している生徒1人に対して『賞賛票』を1票投じる。そして投票の結果獲得した賞賛票が最も多かった生徒には、特別報酬として新しく導入される新制度……『プロテクトポイント』を与える」
聞いたことの無いものが現れた。プロテクト。つまりは守ると言う意味だがそこから想像されるものは何となくわかる。
「プロテクトポイントを所持した生徒は、犯罪行為等よほど悪質な理由でない限り、1度退学処分を受けてもそれを取り消すことができる。ただしこのポイントは他者への譲渡はできない。これの価値は言うまでもない。2000万プライベートポイントに匹敵する価値があると言えるだろう。或いはそれ以上か。尤も、退学を危惧しない生徒には無意味かもしれないが」
この制度自体は別に悪いものでは無い。クラスのリーダーや重要人物にこれを持たせれば、大きな戦力になるだろう。自力でどうにか出来る私ではなく、葛城や真澄さんに持たせることが必要となってくるかもしれない。
「だが、そう良いことばかりではない。反対に、クラス内で最も批判票を集めた生徒には……この学校を退学してもらう。無論通常退学者を発生させた際に存在するクラスポイントへのマイナスは存在しないが、必ず退学者を出さねばならない試験となっているのは理解してもらえただろう」
<クラス内投票・試験要項>
5日後(3月7日)の投票日に賞賛票、批判票をそれぞれ3票ずつクラスメイトの誰かに投票し、首位にはプロテクトポイントが与えられ、最下位は退学処分となる
・賞賛票と批判票は互いに干渉し合い、賞賛票から批判票を引いた票数がその生徒の評価となる
・自身に投票することはできない
・同一人物へ複数回投票すること、無記入、棄権等の行為は一切不可。
・首位と最下位が決まるまで試験は何度でも繰り返し行われる。つまりは±0に調整は出来ない。
・他クラスの生徒にも賞賛票を1票投票する。こちらも無記入は認められない。また、このルールは前述の称賛票から批判票を引く際の称賛票に計上される
・唯一2000万ポイントで退学を免除できる。
こんなものが許されていいはずがない。私の中に、怒りが湧き上がってくる。皆大きく成長し始めている。Aクラスだけではない。Dクラスもそうだ。Bクラスの中にもそういう動きがある。迷いながら、悩みながら、それでも生徒たちは一歩一歩前に歩き出していた。派閥で割れていたクラスはもうなくなり、皆が互いを尊敬しあえる空間になりつつあった。
真の意味で理想的な空間に近付きつつあった。それなのに、それだというのに、それが全部ぶち壊されそうになっている。こんなふざけたことを計画したのが誰かは分かっている。月城だ。しかしながら、彼自身の意思ではないだろう。裏にいる綾小路篤臣の圧力があったのだろうか。
だが、そこまで考えて別の可能性が頭の中をよぎる。月城常成は渡り鳥だ。部下もそう言っていた。鬼島総理、つまりはこの学校の一番上にいる存在とも繋がっている。坂柳理事長を失脚させ、理事会を機能不全に陥らせ、職員室を動かして改革を行おうとしている私を、総理とその派閥がどう考えているのか。私を排除する、或いは過激な行動への見せしめかもしれない。学校に従順になれ、さもなくば多くの生徒を退学へと導くぞ、という。
或いは、お前がいかに生徒を守ろうとも無意味であるという嘲笑いなのかもしれない。だとしたら、まったく以てふざけた話だ。この学校は未来を担う人材を育成するのではなかったのか。お題目だけでも、名目上だけでもそうではなかったのか。それならば、たとえ為政者の意にそぐわない形であろうとも、新しい時代を担う人材の成長を支援するべきなのではないか。
真実は分からない。しかし、この学校の奥の奥に総理がいる以上、こんな試験をやるからには政界側の承諾がいるはずだ。つまり、総理はこれにゴーサインを出したという事。
「先生、よろしいですか」
「……あぁ」
「これが学校のやり方ですか」
「……」
「この学校は実力主義。学校の求める水準に至っていなかったのならば退学する。それは仕方のないことかもしれません。しかしながら、それは実力が足りないから退学してもらうというロジックのはずです。これでは退学者を出すために試験を行っているという事になります。実力が全員足りているのに、水準を満たしているのに、退学者がいないからという理由だけでこんな蛮行を行う。おかしいではありませんか」
「……」
「最初から、数名は退学者が出る前提でカリキュラムを組んでいるという事でしょうか。であるとすれば、それは教育機関として最低最悪であるという烙印を押さざるを得ません」
「……すまない。教師陣も不本意だ。だが……どうしようもない事は世の中に沢山存在している。天災と思って受け入れて欲しい」
そんな……という雰囲気が教室中を満たす。民主主義的と言えばそうだろう。だが、民主主義に批判票は存在しない。これは学校全体で行ういじめのようなものでは無いか。例え凄く優秀で、運動も出来て、本来は人当たりの良い生徒でも何かが原因でいじめられていたら間違いなくこの試験で消されてしまう。そんなもの、イジメ以外の何物でもない。学校は自分でいじめ行為を規制しておきながらその口でこんなことをしているのだ。
「後はお前達が話し合い、結論を出してくれ。赦せとは言わない。無力な教師を糾弾してくれて構わない。本当に、すまない」
先生は地に頭を擦り付けて生徒たちに謝罪した。しかし、そうしたところで現状は解決しない。こんなふざけたものは直ちに修正しなくてはいけない。そうだ、直ちに。どんな手段を使っても徹底的に、断固として。
「顔を上げてください、先生。先生が私たちの事を気にかけてくださっているのは理解しています。より強い圧力がかかったのでしょう。どこからですか?」
「新しく赴任した、月城理事長だ。しかし……理事長の独断で決められることは決して多くない。おそらくより上の部分から何かしらの要望が来ているのだろう。現場の教師では、まったくわからないが……」
「ありがとうございます。それだけでも十分です」
先生は何度も何度も生徒たちに頭を下げながら、教室を出ていった。憔悴しきった背中には、悔しさが滲んでいる。彼は彼なりに抗弁してくれたのだろう。しかしながら、守り切れなかった。だが、この学校の事なかれ主義かつ放任主義な教員の中で生徒を守ろうとしてくれたことは感謝している。彼の無念はこちらが引き取った。
混乱と困惑の中、私は前に立つ。幸い、2000万ppは用意できる。しかしそれではDクラスを救えないし、そもそもこんな試験に参加すること自体が汚点だ。ポイントの支払いで解決するべきではない。こんな試験そのものを叩き潰さないといけない。
生徒たちは困惑している。混乱している。誰が退学になるのか。2000万を使って救済してくれるのか。自分たちが助かっても他のクラスは、特にDクラスはどうするのか。混乱している中、私は大きな声で告げた。
「全員、傾注!」
会話が止まり、全員の視線がこちらに注がれる。今までは穏やかに、優しく、そういう教師像を貫いてきた。皆に慕われる穏やかなリーダー像で過ごしてきた。しかし、私にだって怒りは存在している。憎しみも、憤りも当然ある。全員を一度見回す。きっと、今まで見たことのない私の姿が彼らの瞳には映っているのだろう。軍人として、指揮官としての私が今、前面に出ていた。
「私がこの試験において述べたいことはただ一つ。……ぶち殺すぞクソ野郎。以上です。我々は一年間、多くの努力をしてきました。私は皆さんに、多くの事を求めてきました。そして皆さんはそれに応えてくれた。Aクラスの特権に胡坐をかくことなく、自身の研鑽を行い、未来について考え始めてくれています。にも拘らず、退学者がいないという、そんな下らない理由で学校は、その運営者は、我々の妨害を行おうとしている。こんな横暴、許していいのでしょうか!?」
「良いわけない!」
「そうだ!」
「その通り!」
戸塚が大声で叫びながら立ち上がる。それに呼応するように幾人もの声が挙がった。許すな、許すなと異口同音に彼らは叫んでくれている。教室内の空気が明確に変わり始めた。目の前にやって来た理不尽への怯えから、それを打ち砕かんとする闘争心へと。怒りと憎悪と憤り。それらが室内を満たしていく。
普段は大人しい生徒たちも、今回ばかりは怒りや不満を隠そうとしない。戸塚のように激情の強い生徒は特に怒りを燃やしている。白石のように普段あまり他者に興味を示さない生徒も不快そうな顔をしていた。なんだかんだ全員にとって居心地の良い空間を提供できていた証左だろう。
坂柳が酷薄な笑みを浮かべている。私がどういう路線に持っていこうとしているのか理解したのだ。より強大な敵と戦える。それに喜びを感じているようだ。葛城も鋭い目をしている。全員の心が戦いへと向き始めていた。
「皆さんの怒りは私の怒りです。いや、皆さん以上に私は怒っている。皆さんの努力を、歩みを、日々を、誰よりも見てきたと自負しているからこそ、私の心は烈火の如き怒りの業火に燃えています! この邪知暴虐を許してはならない。我々は、この目論見に対し、徹底抗戦を行わねばなりません! 決して楽な道のりではないでしょう。今までよりもより大きな存在との戦いも、覚悟せねばなりません。それでも、ここで屈することは決して正しくない。私はそう考え、決意しました! この怒りも憤りも、決してそのまま見過ごしてはいけません! どうか、心ある皆さん! 私と共に、この悪なる行いに対し、戦おうではありませんか!!」
「「「おぉぉー!」」」
男女関係なく、私の言葉に応えて幾つもの拳が天に伸びる。戦意が最高潮となった叫びは熱気となった。まだ肌寒さのあった教室の空気はメラメラと燃え盛っている。
「葛城君、生徒会長並びに旧生徒会長と話をしたいです。アポイントメントをお願いできますか。また、緊急で全校集会を開きたく思います。それもセッティング出来るでしょうか」
「任せてくれ」
「ありがとうございます。生徒会関連はお任せしました。橋本君」
「おう」
「龍園君との繋がりはまだありますね? 彼を呼び出してください」
「分かったぜ」
「この後、1年生の4クラスで合同会議を開きたいと思います。Cクラスは龍園君、Dクラスは一之瀬さんと神崎君でいいでしょうが……坂柳さん、Bクラスは誰が良いでしょうか」
「そうですね……軽井沢さん、平田君、櫛田さん辺りが良いでしょう」
「分かりました。その三名へのお声掛け、お願いできますか」
「良いでしょう」
「お願いします」
矢継ぎ早に指示を飛ばす。これは向こうからの奇襲だが、逆に言えば試験をセッティングする以外に出来る事はない。逆にこちらはいくらでも手が打てる。兵は神速を貴ぶ。もはや一分一秒が惜しい。投票までの日数はたった数日。その間に、全てを決めきる必要がある。
「この非道に対し、学年だけではなく全校生徒が団結する必要があります。ロジックの作成とビラの配布などを行い、そのうえで全校集会を開き私が非道を訴えます。草の根運動も欠かせません。皆さんにはDクラスの生徒と協力して、そのための協力をお願いしたいと思います。真澄さん」
「はい」
彼女は私からの指示を待っていた。きっと、この事態に対して何もしないという選択肢はないのだと理解してくれていたのだろう。その目は真っ直ぐに私を見ている。どんな命令が来ようとも構わない。その瞳にはそう書いてあった。彼女には多くを助けられてきた。また今回もその力を貸してもらうことになるだろう。
「力を貸してくれる?」
「この命、あなたに捧げると誓っています。あなたのために役立てるなら、何でも構いはしない」
「ありがとう。では、君がその運動を指揮して」
「喜んで」
「真田君、白石さんは補佐をお願いします。坂柳さんと葛城君は私と共に1学年会議に参加してください」
「「了解」」
各所から返事が飛んでくる。まずは生徒間で足並みを揃える。不参加は出来ないと言われたが、それは数名だけが不参加になることを想定している。だが、学年全員が参加しなかったらどうだろうか。この試験が無くなるまで登校しないという選択肢を取ればどうだろうか。全員退学にする? それはあり得ない。そんなことをした日には事情の説明をしなくてはいけないからだ。
いかにこの学校の運営が腐っていようと、全員退学なんてことになっては費用も何もかも無駄という事になってしまうし、来年度二年生が存在しないとなっては運営も難しくなる。加えて言えば、二年生と三年生も巻き込んでのボイコットとなれば全校生徒退学は不可能だ。だからこそ、全生徒で足並みを揃えて抵抗する必要があるのだ。
そのうえで、月城を説得する。彼自身に強固な思想や信念などない。幸いなことに、この顔は母とよく似た風貌になっている。或いは、かつての情に縋ることもできるかもしれない。いずれにしてもこのふざけた投票を叩き潰す。それがこの私に与えられた使命だ。
「まるで戦争ですね」
坂柳が呟く。そうだ、彼女の言う事は正しい。これは戦争だ。学校と我々生徒との、まぎれもない戦争だ。
だが、だからこそ勝機はある。戦争ならば、私の本分。軍人の領分だ。攻撃には応戦を、迎撃を、破壊をくれてやらねばならない。彼らは我々を攻撃した。しからば、我々に攻撃されたとて何の文句を言えようか。これは、お前たちの始めた戦争なのだから。
中央アジアの草原が、カシミールの山々が、シリアの砂漠の風が、エルサレムのビル群が思い出される。全てを燃やし、破壊し、血に染めた。これが戦争ならば、私に敗北はない。奴らに教えてやらねばならないだろう。平和ボケした日本で育った奴らに。
戦争とは何であるのかを。そして、生徒を守るためにならば教師がいかなる手段をとるのかを。さぁ、前線へ進むのだ。我が敵の屍と血で、我が道を彩るために!
怒りが燃え盛る。私の中の何かが壊れていく音がした。それが理性なのか、平和なのか、或いは押さえつけていた何かの衝動なのか。身体中の血液が沸騰するように熱を帯びている。殺せ、殺せ、殺せと頭の中で何かが叫んでいる。殺戮が、戦争が、硝煙の香り漂う戦場が私を呼んでいる。お前には、ここ以外に生きる場所などないと告げるように。
視界を少しだけ横に向けた。教室の窓には私の姿が映っている。普段は
「大丈夫?」
意気軒昂に対学校の話をしている教室の中で、真澄さんが私の顔を覗き込んだ。その目には心配の色が浮かんでいる。私は一体何を。確か、学校への宣戦布告のような言葉を発していたはず。そこから先の思考に関する記憶が曖昧だった。私は何を考えていたのだろうか。窓に映る私の表情は
「大丈夫、特に問題ないけど、なんで?」
「いやだって……凄い、楽しそうな顔してから」
「……楽しそう?」
「正確には楽しそうっていうか……よくわかんないけど、狂気的だった。なんかに呑まれているみたいで」
「……」
「それが本当のアンタなら受け入れるけど……でも、苦しそうにも見えた。だから、出来れば今みたいなままでいて欲しい。冷静に事態に対処するのが、普段のやり方でしょ」
「それはもちろん。私は……私は大丈夫。君がいてくれる限り、きっと大丈夫だ」
「具体的に何がどう大丈夫なのか分からないけど、信じていいのよね?」
「もちろん」
「分かった。けど忘れないで。ここは、今まであんたがいた場所じゃない。いい意味でも、悪い意味でも。
「理解してるよ」
そう告げてもなお不安そうな顔をしながら、彼女は私の手を小さな力で撫でた。そうだ、ここは戦場ではない。戦争のようではあるけれど、実際に流血を起こしてはいけない。殺戮も、銃声も、この闘争には存在してはいけないのだ。私はこのクラスのリーダーにして、彼らの指導教員のようなもの。であればこそ、非暴力を貫いた戦い方をしなくてはいけない。
狂気の園に落ちるわけにはいかないのだ。彼女の声が私を呼び戻してくれる。彼女の存在が、最後のストッパーになってくれる。もしかしたら私は、彼女の存在にある種の依存をしているのかもしれない。日常の、平和の象徴として。それが健全なのかは分からない。ただ分かるのは、先ほど異常だったであろう私に声をかけてくれたのは、彼女の愛情故だろうという事だけだった。
2025年もありがとうございました。大きくリメイクをすると決め、夏から更新を再開してここまでやってこれたのも、愛読してくださる皆さんのおかげです。感想、評価などいつも力を貰っています。方針転換をして、その方向性が受け入れて頂けるのか、私としては非常に不安でしたが、一つの世界線として評価してくださったことは感謝の極みです。
これからも感想・高評価などお待ちしております。真澄さんを必ず笑顔で卒業させるその日まで、私が更新を止めることはありません。2026年もこの作品をより面白く出来るように努めて参りますので、応援よろしくお願いします!