ようこそ孔明のいる教室へ   作:tanuu

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年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

『サミュエル・ウルマン』


75.弟子

 署名は見事に全員分集まった。同調圧力もある程度はあるだろうけれど、なんにしても形になったことが一番重要なことだ。賭けの俎上に乗ったのは全校生徒の運命。百名を超える人間の命運を私が握っているという事になる。しかし、そんなものは今までの人生とさほど変わりはしない。むしろ、誰も死なないという点を考えれば今までよりも精神的な負担は少なかった。

 

 そしてここからは私と月城の戦いだ。そのための準備を進めている。引っ張り出してきた古い衣装に、私は些か辟易せざるを得ない。こんな格好をまさかここに来てまでする羽目になるとは思いもしなかったのだから、仕方ないだろう。少し驚いた顔で、真澄さんは私の姿を見つめていた。

 

「大したものね……」

「悲しい特技だよ、まったく」

「でもいいじゃない。写真でみたお義母さんそっくり」

「まぁ、母に似てるとはよく言われるから。というか、今なんか母の発音変じゃなかった?」

「何が? そんなことないと思うけど」

「私の気のせいか……」

 

 なんかお母さんじゃない発音だった気がするけど、まぁいいだろう。今大事なのはそこではない。普段選ばない口紅の色。目の大きさも少し弄っている。これはすべて、月城を篭絡するための手段。正確には、奴の平常心を奪い去るための手段だ。袖を通したのは、母の昔着ていた服。それこそ大学生時代のモノを引っ張り出している。綺麗な状態で保管していたが、まさかこんなところで役に立つとは思ってもみなかった。

 

 真澄さんに渡していた簪を一時的に返してもらう。おそらくは二十代前半、大学生時代の母親の容姿によく似た人間がここにいるはずだ。これはすべて月城をの精神を揺さぶるための作戦である。情報が正しければ、彼は私の母親に懸想をしていたらしい。と言うより、同じゼミの男連中は大体そうだったようだが、それは助教授だった彼も例外ではなかったようだ。

 

 かつて好いた女が死んだことを知っているのは把握していた。そして、かつての教え子にはその死に際して何も出来なかった事に対する後悔を漏らしていたことも既に把握している。つまり、月城は私の母に対して大きな後悔や罪悪感を抱いているのだ。夕暮れの校舎、あの世とこの世の交わる境界とも呼べる黄昏時。その中に現れた、青春の恋路の残滓。それに無感動ではいられないだろうという算段である。

 

 頭の後ろに慣れた重みが戻る。精神的な揺さぶりが成功するかは半ば賭けではある。だがこれが成功すれば、相手の意表を突き、精神的な優越性をこちらにもたらすことが出来る。分の悪い賭けではないというのが私の考えだった。

 

「真澄さん」

「なに?」

「諸々の雑務、ありがとう」

「別に、大したことはしてないから。あんな指示出しなら、誰でも出来るし」

 

 私はそれが彼女なりの表現であることは当に理解している。彼女は褒められたいとずっと思っている。自分を見て欲しい、認めて欲しいとそう思い続けてきた。けれど、両親に対して抱き続けたその感情はついぞ叶うことは無かったのだ。そのせいだろうか、彼女は誉め言葉を素直に受け取れない癖がある。どうせまた見向きもされなくなるんだろうと恐れて、賞賛を拒絶しようとする。また傷つくくらいなら、最初から何もない方が良いと。

 

 だからこそ、私はそこで止めない。彼女の卑下を打ち砕けば、その後に可愛い照れ顔が見れるのだから。

 

「誰でもは出来ない。だから、君に任せた」

「ふーん」

 

 そう言いながら、彼女はまんざらでもなさそうな顔で自分の髪を弄っている。その表情の意味するところは簡単に分かる。

 

「じゃあ、行ってくる。君の奮闘を無駄にしないためにも、さっさと勝って帰って来る」

「……待ってるから」

 

 不安そうな顔と、自分が行動を共にできないことへの少しばかりある不満。けれどそれを抑えて、彼女は静かに頭を下げた。そして、祈りを込めて彼女は私に告げる。

 

「ご武運を!」

 

 

 

 

 

 夕刻の校舎には西日が差しこんでいる。黄金色の夕陽は、荘厳に輝きながら、彼方と此方の境界を揺らがせる。闇の世界が迫りくる数刻前。光の世界が終わる数刻前。その朧げな時間に、私は立っていた。私の靴音だけが静かに廊下に響く。

 

 今や高度育成高等学校は静まり返っていた。全校生徒は既に帰宅し、私の結果を待ち望んでいる。歩く速度は自然、上がっていった。この先に交渉の舞台がある。私の双肩に全校生徒の運命がかかっている。だがそれはむしろ心地の良いプレッシャーだった。

 

 廊下の向こう、理事長室の方へ向かう月城の背中を捉える。これは好都合だ。理事長室の中よりも廊下の方が劇的な演出が出来る。声の擬態準備も既に完了していた。少しだけ息を吸い込んで、私は彼の背中に声をかける。

 

「ねぇ」

「はい?」

 

 私の声にくるりと振り返った彼の表情が凍り付くのが分かった。コヒュッ……と喉の鳴る音が静寂の廊下に響く。彼から見た私は、差し込む西日のせいでやや揺らいで見えるはずだ。影と光の中にいるため、多少の差異があっても気付けないだろう。声と顔の大部分に人間の記憶は集まっている。だからこそ、そこだけ似ていればいいのだ。

 

「どうしたの?」

「な、き、君は! ありえない、もう君は既に……!」

「久しぶりに会ったのに、随分と酷い言葉じゃないの。嬉しくないの? 私と出会えたことが」

 

 小首をかしげる。彼の目が泳いでいる。冷静で飄々とした態度を崩さないという前評判だった月城が無残なまでにも動揺していた。カツン、と私が一歩一歩ゆっくりと近づくたびに、彼は一歩一歩後ろに後退していった。まるで獲物を狙う肉食獣から逃げるように。或いは、幽霊から逃げるように。

 

「私は嬉しいわぁ。あなたの事をもう一度見ることが出来て。聞きたかったことがあったから」

「ひっ……」

「ねぇ」

 

 私は少しだけ言葉を溜めて、そして滑るように彼に近付く。逃げる隙さえ与えずに、彼の間近で私は囁いた。

 

どうして、私を助けてくれなかったの?

「あ、あ……」

「応えてよ、月城君」

 

 あ、しまったと思った。調子に乗って呼びかけたのがまずかったのだろう。多分、呼び方が違ったのだ。母が月城になんて呼びかけていたのかまでは調べられなかった。もっと時間をかければ出てきたかもしれないが、生憎の短期決戦により、そんな暇もなくここへ来ている。これは私のリサーチ不足だった。

 

「あなたは、桜綾君では、ない」

「どうして?」

「彼女は私を、月城君とは呼ばなかった」

「……なるほど。やはりリサーチ不足が裏目に出ました、か」

 

 彼は荒い息をしながら、私を見ていた。しかしその目は私の顔を見ないようにしている。偽物だと分かっても、若き日の母にそっくりの顔を見るのは辛いのだろう。まぁ意図的に似せているのだから仕方ないのかもしれないが。先ほど、私の言葉で呼吸が止まりそうだった割にはもう持ち直しているのは流石かもしれない。

 

「私は幽霊は信じませんが……一瞬信じてしまいそうになりました。いえ、実際に信じてしまった。冥府から桜綾君がやって来て、私を糾弾したのだと」

「そういうコンセプトで仕掛けましたからね。見事に引っかかってくださって助かりました」

「あまり感心はしませんね。諸葛、孔明君」

「あなたに言われたくはないですね、月城理事長殿」

「ともかく、廊下では都合が悪い。中へどうぞ」

「元よりそのつもりでしたので、ありがたく」

 

 理事長室の中に入る。ここへ来るのは、綾小路篤臣と対峙したとき以来か。主が変わったためか、中身も大分様変わりしている。調度品から置いてあるものまで、すっかりと様変わりしていた。坂柳前理事長の色はとっくの昔に無くなっていた。勧められるのに従って、私はソファに腰掛ける。月城は対面に座った。

 

「さて、ご用件は察しがついていると思いますが?」

「その前に、その顔と声はどうにかなりませんか。生徒一覧の写真で見た君の顔はそんなではなかったでしょう」

「顔はご勘弁を。部屋に戻らないとメイク落としがありませんので。声は戻しましたよ。あなたがあまりにも悲痛そうな声で仰るので」

「……」

 

 彼は私の煽りめいた言葉には応答しなかった。その沈黙が、月城が私の母に抱いている感情を全て象徴しているようにすら思える。

 

「話を戻しても?」

「どうぞ」

「ありがとうございます。単刀直入に申し上げましょう。私はあなたと、そして正確にはあなたの上にいて今回の試験を差配した者たちと交渉しに来ました。より正しく言えば、宣戦布告文書の贈呈に、という事になるでしょうけれど」

「穏やかではありませんね」

「与えられた状況がそれを許しませんから。私は、クラス内投票試験の即刻中止と、退学者を出すことを目的としたあらゆるアプローチの禁止、そのほか細々としたいくつかの要求を提出します」

「嫌だとごねられたところで、今更変更することは出来ませんよ。既に歯車は動き出してしまったのですから」

「当然、無策で要求すればそうでしょうね」

 

 断られることなど当たり前だ。ただの一生徒の戯言に耳を貸すわけがない。しかしながら、もしそれが一生徒の戯言ではなかったのなら。

 

「ですから、こちらを同時に提出します」

「これは?」

「先ほどの要求が受け入れられない場合、速やかに自主退学をする旨を宣言した署名捺印のある宣誓書です。あぁ、ちなみに全校生徒分ありますので。気になるならばご確認を。いずれも生徒の自由な意思かつ合法的な手段で署名されたものであります。また、一学年の学年団を構成する教師四名からもそれぞれ同種の要求が満たされない場合は提出してくれと言うことで、辞表を預かっています」

「……なるほど」

 

 月城は唸るような声を出した。焦っている感じはない。多分、彼自身は本気でこの試験や諸々の陰謀に関与していないのだろう。あくまでも彼は執行者であり、代行者に過ぎないのだ。だからこそ、根本的なところを言えばすべての騒動は他人事であり、この学校やここの支配者たる総理がどうなろうと知ったことではないのだろう。

 

 とは言え、ただそれだけの男が色んな派閥から重宝されるわけがない。つまり、最低限の努力はするという事なのだろう。だからこそ、ここへ派遣されたのだ。今、頭の中でどうするのかを考えているのだと思う。自分が生き残る最善の道を模索しているのだ。

 

「いかがでしょうか、理事長」

「この僅かな期間で、分断されていたはずの学校をまとめ上げましたか」

「私には十分すぎる時間でしたね」

「日本が世界に誇るべき天才であった鳳先生とその先生も認めた才女の桜綾君。その遺伝子はしっかりとここに受け継がれているというわけですか。確かにこの程度の課題、あの二人ならばさしたる労苦もなく突破するでしょう」

「そうですか。しかし今は死人の話はどうでも良いのです。大事なのは、この交渉材料に対して、そちらに交渉する意思があるのかと言う事ですから」

 

 月城は大きなため息を吐いた。

 

「このレベルの事態に際しては……」

「自分では対処できない、と。上にお伺いを立てますか?」

「えぇ。あなたは既に見抜いているでしょうが、この試験は綾小路清隆君を退学させるために作成されました。ですから、あのお方に伺いを立てないといけません」

「理事長殿、嘘はいけませんね」

「嘘、とは?」

「この試験が綾小路君を狙ったものであるのは正しいでしょう。しかしここはあくまでも総理の地盤。綾小路議員ではありません。総理の庭で綾小路議員の陰謀を進めるのは難しい。しかも、あなたは会派の渡り鳥。どちらかに肩入れするとは考えにくい」

「……」

「ですから、正確には半分嘘、ですね。総理側もこの試験を望んでいた。私と言う存在への牽制が主目的である。前理事長を更迭させ、理事会を操り、職員たちにまで影響を及ぼそうとしている私に、勝手なことをするとお前の生徒を退学させていくぞという脅しをかけたかったのでしょう。まぁ他にも退学者が出るのを前提にカリキュラムを組んでいた結果、退学者が出ないと困るというのもあるでしょうけど。つまり、綾小路議員と総理の両方の思惑がたまたま一致した。だから普段は仲の悪い両者も今回は利害が一致しているから両者に顔のきくあなたに託した」

 

 月城は無言のまま私の話を聞いている。なるべく無表情を装っているのだろう。けれど、その目には確かに消せない驚きの色があった。どこまで情報を握っているのか、それを探りたいという感情も見える。当然全部喋ったりはしない。私が何を知っていて、何を知らないのかも彼にとっては大きな情報だからだ。

 

「加えて言えば、総理はホワイトルームを知っているのでしょう。だから、綾小路清隆なる人物がどの程度の才能を持っているのか。言い換えれば、ホワイトルームはどういう成果を出しているのか。それを知りたいと思っている。だからあなたを使って、情報を集めようとしている。いかがでしょうか、私の推理は?」

「素直に認めるとでも?」

「その反応が既に答えだと思いますが」

「……総理やその側近が君の言う通りに考えていたとして、なぜ退学者が必要なのでしょうか?」

「あぁ、それは単純です。秩序、より正確に言えば上下関係の維持、そのために恐怖を与える必要があるからです。閉鎖空間でクラス間闘争をするべきだと思考を誘導し、閉じ込めた空間で他の価値観を排除する。そして退学をこの閉鎖社会における死に擬し、そうならないためにと闘争させる。全てはクラス間闘争を維持し、同時に運営陣に反抗しようという意思を砕くため。そして、学年で団結して全員が勝者となるのを防ぐため」

 

 退学という行為を恐怖の対象とし、それを避けるためという動機付けをする。そして、運営陣しかこの退学と言う強権は振るえない。いわば、これは裁判権であり、もっと言えば暴力装置のようなものだろう。国家を維持するのに軍や警察と法が必要であるように、この学校の歪な制度を維持するためには、反抗すれば退学させても構わないんだぞという脅しの装置が必要だ。そして、クラス間闘争を煽る。

 

 それが何年も繰り返されてきたこの学校のシステムだ。だからこそ、退学者が出ないのは困るのだ。クラスから出ないならまだしも、学年から出ないのでは困る。なぜなら、恐怖が薄れるから。退学と言う存在が身近にないから、ああいう風になりたくないという思いを生徒が抱きにくくなるから。畏怖されぬ装置では効力を発揮しない。現に、私と言う存在による反逆を許してしまった。

 

 だから、総理と側近はもう一度退学と言う装置に対する恐怖心を植え付けようとした。ちょうど、去年の五月にしたように。理不尽な試験を課し、逆らえないという感覚を植え付けようとした。まぁ失敗したのだけれど。恐れていた通りに全校生徒が団結して反抗されたからというのが皮肉かもしれない。総理達の懸念は正しかったのだ。対応が遅かったのと、月城を選んだのが失敗だったと言えるだろう。

 

「さて、総理に伺いを立てるならば早くしてください。これの期限、明日の試験開始時間までですので。法的拘束力がありますから、本当に全校生徒が退学してしまいますよ。生徒のいない学校なんてただの箱。果たして、その後どうなるでしょうね。しかも、我がクラスにはYouTuberもいるんですよね。まだまだチャンネル登録者は一万と少しですけれど、逆に言えば一万人には届いてしまう。このご時世、それを消すのは難しいでしょうね」

「……良いでしょう。誰もそんな結末は望んでいないはずです。上も納得してくれることでしょう。私の権限で以て、クラス内投票試験の中止を決定します」

「ありがとうございます。では、その旨を直ちに告知してください。後、私の追加要求も通してくださいね。こんな試験で生徒たちに精神的苦痛を与えた詫びとして」

「それは検討しておきましょう」

「許可される方への検討でお願いします。まぁ別に拒否しても良いですけど、そうなったらまた同じことをするだけですので」

 

 これは脅しだ。多分、同じことはもう二度と出来ないだろう。これはあくまでも伝家の宝刀。今回はやむを得ずやったが、本来は抑止力にするのが正しい。

 

「あと、ちゃんと要請書には書いておきましたけど、今後退学者を出すことを企図した試験はしないという旨の宣言もお願いしますね。破った場合はどうなるか、これも先ほど同様です」

「こちらを恫喝、ですか」

「人聞きの悪いことを言わないでください。あくまでもあなた方の非道に対する正当な抗議ですよ。こちらも必死です。どうかご無礼はお許しください。手段を選んでいては勝利は出来ませんから。それでも大分穏健な手段にしたんですよ?」

 

 月城は苦々しい顔と言うよりは、私の一手が予想外だったことに感嘆する表情をしている。どういうわけか、私に向ける表情は柔らかい。まるで、幼かった子供の成長を喜ぶかのような眼差しですらあった。

 

「君は桜綾君に似ています」

「よく言われます」

「それは容姿の話でしょう。そうではなく、穏やかな顔をしておっかない。穏健そうでいて、実は誰よりも激情や愛情を隠している。そういう部分が似ているのです。心やあり方、精神が似ていると言ってもいい」

「……」

「しかし、目に宿る叡智は間違いなく鳳先生譲りです。そうですか、あの乳飲み子だったあなたが、こんなになって……」

「……は? あなた、幼少期の私をご存知なんですか」

「えぇ、君が生まれた時に一度だけ。偉大なる先祖より名を貰ったと桜綾君は言っていました。でも、偉大な人間にならずとも、誰かを愛し、そして幸福になってくれればそれで良いと。珍しく鳳先生が頷いていたのが印象的で、今でもよく覚えています。結果的に言えば、私が彼女と会ったのはそれが最後になってしまった」

 

 月城は呟くように言った。私は母の望んだような普通の人生は送れなかった。そういう意味では、母の願いは叶っていない。けれど「誰かを愛し」という部分だけならば、母の願いは叶っている。クソ爺に命じられてではあったけれど、ここへ来た意味はあった。

 

 私の両親の事を知っている人間と会うのは、ほぼ初めてだった。爺は話をしないし、父の話だけなら四国の実家に帰れば知っている人間もいる。けれど、両親揃ってのことを知っている人間はほとんどいないのだろう。だから知りたくはあった。私の両親が、どういう人間だったのかを

 

「理事長は、両親の下で助教授をしていたのですよね」

「えぇ。桜綾君が国に戻り、鳳先生が中央を去った後に私も辞めましたが」

「父は、何を思ってこの学校とホワイトルームを作ろうと思ったのですか」

「何を思って、ですか……」

 

 月城はしばし考えるような顔をした。坂柳前理事長とその娘より聞いている話が正しいならば、高度育成高等学校は私の父が構想を打ち出し、カリキュラムなどを作成したはずだ。それを鬼島総理と前理事長の父、坂柳からすれば祖父に該当する人物が運営した。当初からこんなシステムの学校ではなかったはずなのだ。こんな学校を、あの父親が許容するとは思えない。

 

「鳳先生は、この学校を真の意味で社会に貢献できるエリートの育成をする学校にしようとしていました。そのために、三つの柱を打ち出した。一つ目は多種多様な環境に生徒を置き、通常の学校生活では獲得できない判断力や状況対応能力、また学力だけではない能力を伸ばし、全ての生徒に価値を与える事。二つ目は一つ目に関連し、個々人に寄り添った教育をする事。具体的には、全体に対する授業をする場面と、個別に指導を行う場面を並行して教育環境に取り込む事。そして三つ目は自身の興味関心に従って、様々な問題を解決する能力を養い、進んで探究する生徒を育てる事。これは一つ目とも関連していますね。これらを柱にする学校を作成しようとしていました」

「特別試験などは、一つ目を鍛えるために用意されたと?」

「はい。当初からクラスポイント制度は存在していましたが、それは闘争と言うよりも目に見える成果があった方が良いだろうという生徒への配慮です。特別試験で様々な状況を用意したり問題を設定したりして、判断力や思考力を鍛え、通常の授業で得た知識・技能を活かし、協働しながら問題を解決していく。特別試験はそのためのツールでした」

 

 父の考えていた特別試験とはどんなものだったのだろう。今の特別試験とはその理念が全く違うように思える。現在の運営者は、かつて父が思ったような狙いを意識しているのだろうか。単に生徒を過酷な環境に置くことだけが目的になっているのではないのだろうか。

 

「当初は閉鎖的な空間にするのではなく、積極的に校外学習やエリート校ならではの海外経験などをさせたいとも考えていたようです。特に、ここは国立で学費などはすべて国税で運営されています。だからこそ、これまでの貧富の格差に関係なく、等しく貴重な体験をさせられると。その経験は知識に彩を与え、確実な成長を促せると。決して生温い教育カリキュラムではありませんでしたが、あの頃の鳳先生は理想に燃えていました。しかし、それは裏切られた」

「この学校は、望んだ通りに運営されなかったと」

「その通りです。それにより、先生は新しい教育プランにたどり着いた。それがホワイトルーム計画の基礎になった、画一的かつ時間を無視した閉鎖空間による徹底的な教育手法です。その根底にはラズロ・ポルガーがありました」

「でしょうね。ですが、ラズロ・ポルガーとやり方とホワイトルームの在り方は相当に乖離していると思いますが」

「それは綾小路先生の意思がありました。鳳先生も、ポルガーの手法では時間がかかりすぎると考えて、優しさや愛情を排除したプランに同意したのです。しかし、鳳先生はやがてそれでは上手く行かないのだと思い始めたのです。そのきっかけは、君の存在でしょう」

 

 理想に燃え、そしてそれは灰に消えた。我が父が心血を注いだ作品であった高度育成高等学校はその形を歪ませてしまった。それを見て、いったい彼は何を思ったのだろう。その絶望は、彼を狂気に落とした。その末にたどり着いたのが、ホワイトルームだったのだろう。

 

「鳳先生は君の存在を得たことにより、ホワイトルームに見切りをつけました。愛のない空間で、真の教育は行われないと」

「私から言わせれば、私が生まれるまでそんな事にも気付けないのはどうかと思いますがね」

「先生の完成させた様々な理論は、今の時代になってやっと追いついてきたものばかりです。一方で、君の言うように愛情と言う不定形のものに懐疑的でした」

「気付いたならいいですけど、それにしたってその前に生み出したものの弊害が多すぎますけどね。ホワイトルーム構想で、いったい何人の人生がおかしくなったのか」

「それは……その通りでしょう。最近になってやっと脱落者へのメンタルケアが始まりました。優秀な精神科医が付いたので」

 

 我が従妹殿はちゃんと潜り込んだらしい。その辺りは流石と言うべきか、或いは私の部下を名乗るのならばそれくらいは出来てくれないと困るというべきか。何の報告も挙げてこないのはどうかと思うので、この後余裕が出来次第経過報告を求めることにした。

 

「理事長は、どうして父の見捨てたホワイトルームに関与を続けたのでしょうか」

「興味があったのです。鳳先生の判断が、どういう結末を辿るのかを。言ってしまえば、高度育成高等学校もホワイトルームも、鳳先生の作り出した作品であり、壮大な実験とも言えるでしょう。その帰結を見届けることが、生き残った私の役目だと考えました」

「そうですか……。その物言いには色々思うところはありますが、まぁひとまずは良いでしょう。しかし、もしあなたが父の遺産について感じるところがあるのなら、師の汚された構想に対して思うところがあるのなら、もう一度この高度育成高等学校という作品を正しい方向に戻すべきではありませんか?」

「……そうかもしれませんね」

 

 月城は噛み締めるような声でそう言った。多分、思うところは大いにあるのだろう。父の計画に、当然月城も参加していたはずだ。自身の理想を歪められたのは彼も同じだろう。

 

「ともあれ、あなたが私たちのお願いを聞いてくださって助かりました。非常の手段に出るような事態は、私も望むところではありませんから」

「願わくば、同じようなことは二度とないと良いんですがね」

「それはそちらの態度次第ですね。傲慢なことかもしれませんが、教師が生徒を判断し評価するように、生徒も教師や学校を判断し評価しています。生徒からの尊敬を得たければ、それ相応の振る舞いをする必要があるわけですね、学校や教師にも。とにかく試験撤回の連絡はお早めにお願い致します」

「いいでしょう」

「それでは、失礼いたします。お時間いただき、ありがとうございました」

 

 一応礼儀として月城に頭を下げる。確かに彼は敵サイドだ。だが、個人的にはどこか憎めない心情が存在している。それは多分、彼の過去が関係しているのだろう。それに、どこかに同類の匂いがする。隠しても消しきれない、血の匂いだ。

 

 ドアを開け、再度礼をして去ろうとした私に、月城は呼びかけた。

 

「諸葛君」

「はい」

「君と私は複雑な関係です。しかし、もし鳳先生や桜綾君の話を聞きたいと思ったのならば訪ねてくると良いでしょう。その時は、立場を一度横に置き、私も応えたいと思います。それでは、これからの健闘を祈っていますよ」

「ありがとうございます。私はここが良い学校に、生徒が安心安全して未来に必要な力を得る事の出来る学校になることを願っています。今までは頼りにならないので自分が教師役を担っていましたが、協力できるのならばその方が望ましい。あなたが私の父の弟子として、母の友として、この学校の形を理想の形に戻してくれることを切に願っています。それでは」

 

 頭を下げて、私は退室する。最後の言葉は間違いなく社交辞令だろう。だが、月城は昔を話す時だけどこか遠い目をしながら懐かし気に語る。それすらも油断させ、相手に親近感を持ってもらうための演技なのかもしれない。それを警戒しつつも、昔話を聞きたいと思っている自分がいた。

 

 それに、随分と話の通じる人間である。坂柳理事長よりも、個人的に好感が持てる。卒業したら本気で勧誘してもいいかもしれない。そんな事を考えながら暗くなった廊下を歩いた。個人的な心情はともかく、交渉は成立した。ただ、それ以上に何か大きいものを得られた気がした。

 

 用意していた非常の手段を用いずに済んだことは幸いだった。監視カメラの範囲外であることを確認して、私は懐から私用の携帯を出す。

 

「私だ。作戦は中止。全艦直ちに現海域を離脱し、帰投せよ」

『承りました。全艦、転舵反転180度!』

 

 尖閣諸島近海に待機していた艦隊を帰投させる。万が一のための脅しだったが、使わずに済んで良かった。元々演習予定だったので、彼らとしても海自相手にデモンストレーションが出来てちょうど良かっただろう。

 

 とにかく勝利は出来た。後は、学年末の特別試験を行うだけ。これが終われば、春休みだ。この学校は桜が沢山植わっている。真澄さんとお花見となれば、重箱の出番だろうか。ADクラス合同でやっても良いかもしれない。いずれにしても、花の盛りが楽しみだ。ほころみ始めている蕾を窓から見ながら、そう思った。

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