ようこそ孔明のいる教室へ   作:tanuu

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閑話 10.5章

<過去 side月城>

 

 京都府内某所の居酒屋チェーン。大学の多い京都市内では、居酒屋でたむろする大学生の姿は決して珍しいものでは無い。無いのだが、この会だけは些か様子が違うとバイト歴の長い店員は思った。それもそのはずである。男連中はビールを飲み干しながら意気消沈し、女性陣は苦笑している。変わった会であった。

 

「おかしいでしょぉ!!」

 

 ドン、と何杯目か自分も周りも分からなくなっているビールジョッキを机に置くと、月城京都大学教育学部鳳ゼミ助教授は言った。周りの生徒たちは同情の目を寄せている。

 

「よりにもよって、よりにもよってなんであんな……うぅぅ……」

「気持ちは分かりますよぉ! 俺らだって、なぁ!」

「あぁ。悔しいぜ……」

「月城先生も元気出してください、女なら星の数ほどいますから」

「星は手に入れられても太陽を落とせないんじゃ意味ないんです!」

 

 肩を叩く生徒にクダを巻きながら月城は言う。女性陣も気持ちはわかるようで、ドンマイと言う目線を向けながらも出来る限りかかわらないようにしていた。

 

「ま、まぁ……ほら、途中で何があるか分からないのが結婚生活じゃないですか」

「君は桜綾君が不幸になれと言うんですか、それは断固として許されないっ!」

「うわぁ、めんどくさい」

 

 慰めた女子生徒はそう思いながらも、告白する前に振られても健気に相手の幸福を考えていることには好感を持てた。糸目で柔和な顔つきではあるが、かなり頭の切れる存在である月城は、大学内でもかなりもてはやされる色男である。

 

 同時に、彼が熱を上げていた中国からの留学生、諸葛桜綾も大学内ではトップレベルに人気の生徒であった。男女共にかなりの生徒が憧れを抱いている存在である。そして例にもれず、この留学生に月城もかなり入れ込んでいたのである。自分のいるゼミの助手であり、教授と並んで距離が近い。良い感じだったので行けるのではないかと密かに期待していた矢先に、あっさりと教授に取られたのである。

 

 ぶっ殺してやると心の中で思ったのは内緒の話であった。事実、月城は武闘派だ。武術の修練もかなり積んでいる。その気になれば、もう50代近い鳳教授など一捻りだろう。この鳳教授もくたびれた感じながらも大人の男性という風貌であったため、一部の生徒からは人気だったが生活力は無いし性格も決して良くないのを助教授である月城は熟知していた。学知としての尊敬と、人間性を問題視するのは別問題である。

 

 結婚の報告を聞かされた時は脳が破壊されるかと思った。彼の人生は努力の連続であり、決して天才などでは無かった彼に出来るのは青春を捧げて努力を続けることだけであった。それのみが唯一彼が出来る事だったのである。ラブレターも告白も全て断り、灰色の青春を過ごし大学へ行き、院進し、早数年。成果が出始めた矢先にこの挫折。完全に脳破壊であった。

 

「こんなのってあるんものなんですねぇ! 寝取られですよ……」

「いや、寝てから言えよ」

 

 生徒のツッコミももう耳に入っていない。完全に面倒な人のムーブであったが、それでも見放されないのは普段の人望故だろう。

 

 みんなすっかり出来上がってしまったので、その日はお開きとなる。愚痴大会であったがそれでも大人の矜持と月城の奢りとなり、感謝する生徒たちに心配されながらも、月城はフラフラする足で夜の都を歩いていった。街の灯りが彼の顔を照らしている。

 

 本当はどこかで分かっていた。最初から、彼女の目が自分には向いていなかったという事になど。それも分からぬほど馬鹿ではない。月城とて、他人の心を読むのは得意であった。それ故に友人も多く、人間関係も上手く行っていた。だから、好いた存在の本命が誰であるか、そんな事は分かっていたのだ。

 

 分かっていたからと言って諦めるほど、物わかりが良くはない。そんな人間なら、これまでの人生のどこかで自分の努力を諦めていただろう。だが頑張ったから、諦めなかったからと言って変わるほど恋愛というのは単純なものでは無い。教科書にも、どの書物にも載っていない事を身を以て味わう羽目になったのだった。

 

「人生とは一生勉強、とはよく言ったもので……」

 

 酔った身体を動かしながら、橋の欄干によりかかる。見上げれば月と星が出ていた。

 

「幸せに、なって欲しいものです」

 

 悔しさと本音が入り混じった声でそう呟きながら、月城は涙をハンカチで拭った。1年前の誕生日に彼女から貰ったものである。それ以来後生大事にとっておいたのだ。思い出など捨ててしまおうか。一瞬だけそんな考えが頭をよぎりながら、彼はそれをしない事にした。この思い出も、いつかきっと自分の財産になると思ったからである。

 

「帰りますか」 

 

 小さくため息を吐いて彼は家路へと赴く。後に政界で恐れられるやり手の、小さな小さな弱みだった。

 

 

 

 

 

 

<IF√・私の王子様・坂柳メインヒロインルート>

 

 某国の富豪の屋敷。ここで行われるパーティーを、入り口の近くで坂柳有栖はつまらなそうな顔をしつつ眺めていた。自分にすり寄るのは当然父親にすり寄りたい人だけ。だからといってそう言った人間の前では外面良く、礼儀正しい顔を貫いていた。けれども我慢ならないのはそういった打算よりも、自分を見る目だった。

 

 杖をつき、足を悪くしているのがバレバレなそのいでたち。どう考えても可哀想な少女でしかなかった。そしてそれが、彼女にはとてつもなくたまらないのだ。わざわざ日本からこうして海を越えて来ているのに何という屈辱か。そんな思いが彼女の中には渦巻いている。面白くない。全て、面白くない。あの山奥の白い部屋で見たモノが与えた興奮も、こうして会えないでいると募って苦しい。つまらないモノが周りを満たしていると、余計にそう思えた。

 

 世界にも影響力のある父親については尊敬しているが、パーティーには興味がない。それでもいないといけない。富裕層の贅沢な悩みだった。しかしそんな中の唯一の救いはバイオリン演奏家が異様に上手い事だ。青みがかった黒髪を1つに結んでいる男だか女だか分からない人物が今日の演奏をしていた。上手に、それでいてさりげなく。プロの技であると彼女が敬意を払うくらいには完成していた。しかし、それでも退屈が上回る。 

 

 観光できればまた別だが、この国の治安はあまりよくない。明日にはサッサと帰国だ。何やら不穏な噂もあるが断れなかったと父がぼやいていたのを彼女は覚えている。

 

「何か、面白い事は無いのでしょうか」

 

 そう呟いた次の瞬間。銃声が轟く。誰もが動きを止めたその隙を縫って、入り口から覆面の男が数名なだれ込んだ。その誰もが手に銃器を持っている。坂柳は咄嗟にその優れた記憶力で、この国の政情が不安定だったことを思い出した。そして、今日のパーティーの主催者はその政府側の人間だ。独立を目指す武装勢力に随分と狙われているらしい。そんなところに連れて行かないでくれと思ったが、仕事というのは断れないものだった。

 

 現に、日本はこの国に教育支援をする対価に資源を融通してもらっている。教育関連に一家言ある坂柳の父親が呼ばれるのも無理は無かった。そして家族も招待されたとあっては断るのは失礼にあたる。そんな配慮が今は裏目に出た。

 

 武装勢力は目標の主催者に狙いをつけ、動かないように指示する。動こうとした給仕が数名射殺された。悲鳴を上げそうになった人間を、覆面の1人が脅す。やむを得ず、主催者は彼らに投降した。猿轡をかませ、縄で縛った主催者をズタ袋に放り込み、彼らは去ろうとする。それで済めばよかったのだが、彼らの中の1人が坂柳を指して現地語で何事かを話していた。そして話が終わると、その人物は怯えて固まっている坂柳を掴み、連れ去った。縛られ口をふさがれながら、自分が人質になってしまったことを彼女は悟ったのだった。

 

 

 

 

 

 それから何時間か、はたまた実はそう時間が経っていないのかも分からないが、ともかく車に揺られた先で彼女は解放された。解放されたと言っても真の意味で自由ではない。目も見えないようにされていた彼女は車から降ろされ、その後どこかを担がれ連れまわされた挙句廃ビルに放り込まれた。途中に通ったところの匂いからして下水道を使ったのは分かったが、他は分からない。主催者はガタガタ震えている。彼女も震えていた。心臓が凄く苦しい。どこかのビル内にある柱に縛り付けられ、彼女は銃口を突き付けられる。

 

「お前、人質、金、貰う。騒ぐ、殺す、OK?」

 

 片言の英語で覆面の1人が言う。銃を突き付けられて逆らえる訳もない。大粒の涙をこぼしながら、彼女は頷くしかなかった。

 

 それからまた数時間経ったように思えた。実際は数分なのかもしれないが、彼女にとって最早どれだけの時間が経ったのかはどうでも良いことだった。早く誰か助けに来て。そう思わずにはいられない。このままでは死ぬかもしれない。面白い事などと願った自分に罰が当たったのかもしれない。誘拐された子供が助かるケースはまれだ。返還するより殺してしまった方が良い。

 

 こんなところで死にたくない。もう何もいらないから、この先一生、起伏の無い人生でも良いから、助かりたい。ただ一心にそれだけを願った。どれだけ賢くとも、まだ10そこそこの少女にはどうしようもない。段々と心臓が苦しくなってきた。極度の緊張と恐怖で持病が悪化しているのかもしれない。けれど、この覆面達に言ってもどうしようもないのも分かっている。

 

 すべてを諦めかけたその時、窓の外にキラリと何かが光った。それから一呼吸も置かぬ間に、凄まじい音と共にガラスが割れ、そのガラスを突き破って1人の人間が入ってくる。左手にはワイヤー。右手には真っ白で古めかしい拳銃。突然のことに呆気に取られていた見張りの覆面達が次の瞬間には赤い花を咲かせていた。白い銃から轟音と共に大きな弾丸が発射され、脳天を貫いたのだ。

 

 その顔に坂柳は見覚えがあった。先ほどのパーティーの演奏者。近くで見れば男性だと何となくわかる。彼女が知る由も無いが、同年齢である。けれど身長と人生経験の差で、坂柳からは青年に見えた。彼はすぐさま坂柳を縛るロープを切り裂くと彼女を俗に言うお姫様抱っこのような形で抱え、立ち上がる。

 

「あ、あの、彼は……」

 

 思わず日本語で坂柳は話しかける。指した指先には主催者がいる。

 

「構いません。アレは関係者です。民間人である貴女は救助対象ですけれど、彼は知りませんね」

 

 流暢な日本語で応答すると彼は坂柳を抱えたまま、ビルの窓から身を乗り出し、外を見る。そして一気に飛び降りた。彼女は思わず目を瞑る。目を開ければ、既に地上についていた。彼はワイヤーを回収している。彼は廃ビルが騒がしくなっているのを横目に、さっきまでいたと思われる5階に向かい何かを投擲した。その直後凄まじい光が5階から漏れ出る。彼女は閃光弾だろうと咄嗟に感づいた。

 

 ビルが沈黙したのを確認し、彼は坂柳を抱えたまま走り出す。

 

「あ、あの……」

「黙っていてくださいね。舌を噛みますよ」

「は、はい……!」

 

 腕の中で見上げる顔は、彼女には随分と端正に見えた。心臓が高鳴っているのを感じている。それは先ほどまでの恐怖からのものとは全くの別物。安心できるような気がして、彼女は身を任せた。

 

 

 

「ありがとうございました」

 

 30分ほど走ったにも拘らず全く息を切らさない青年に坂柳は深々と頭を下げる。連れてこられたのは日本大使館前。富豪の屋敷が首都にあったのが幸いした。

 

「貴女が無事で良かったです」

「申し訳ありません。私がこんな身体なばっかりに……」

「気にする事はありません。貴女には足が悪い代わりに出来る事があるはずです。長所を見て下さい。きっと貴女には良いところが沢山あるはずだ。お辛い事もあるでしょうけれど、その分貴女の良いところを見ようとしてくれる人もきっといるはずです。貴女は強い人だ。さっきだって、泣きわめかずに大人しくしていてくださったので助かりましたから」

「ま、またいつか会えますか?」

「さぁ、どうでしょう。会わない方が幸せかもしれませんね。それでも運命が導くなら、きっと会う事でしょう」

 

 微笑みながら、彼は少女にウインクする。こんなに胸が高鳴ったのに、もうお別れなんて嫌だ。そう思うのが顔に出ていたのか、彼は困ったように笑いながら今も着ているタキシードに刺さっていた造花の花を彼女の髪に差し込む。 

 

「泣かないで下さいね、お姫様。そろそろ私は行かなくては」

「な、名前は! 名前はなんですか?」

「名乗るほどの者ではありませんよ。それでは失礼!」

 

 一瞬だけ強い風が吹き、思わず彼女は目を閉じる。そして開いた時にはもう、彼はいなかった。

 

 

 

A few years later……

 

 

 私はあの日以来、ずっと彼を探していました。けれど、日本中どこを探しても彼は見つからないのです。日本語が上手だった上に肌の色も日本人のようだったのでてっきり日本人だと思ったのですが、いませんでした。公安や内閣府系なのかと思い、お父様を頼って特徴をお話しても、そんな人物はいないとの事でした。国外の人ならばもう探しようがありません。もしかしたら、アジアのどこかの国の人かもしれないのです。

 

 あの日、私は本当に怖かった。死の恐怖、というのを初めて味わいました。今思い出しても、心臓がきゅっと締め付けられるほど怖いのです。時々、自分が銃で殺される夢すら見ます。あの日以来、すっかり争いごとや銃器が嫌いになってしまいました。そして、血も。その手の映画や漫画すらもう見るのも嫌になるくらいには。けれどトラウマを抱えながらも何とか生きているのは、あの方が助け出してくれたからでしょう。本当に、本当に、心から感謝をしているのです。

 

 思い出補正というのは確実に入っているのでしょう。つり橋効果というのも。けれど、あの日命を懸けて私を助けてくれたのは事実です。恐らく、どこかのエージェントなのだと思います。それも、あの覆面達と敵対する。あの国の人ではないでしょう。でなくば主催者を見捨てません。

 

 ずっとお慕い申し上げ、早数年。それとは別に私も進路を決めねばならず、取り敢えず高度育成高等学校へ進むことにしました。日本にいても彼には会えない。その苦しい感情をかき消すために。

 

 その後ろ姿を見て、まさかと思いました。あれほど探したのに見つからなかった存在がここにいる。あの髪は忘れもしません。身長は少し延びたようですけれど、雰囲気は似通っているように見えます。早鐘を打つ心臓を抑え、彼の後ろに立ちます。

 

「すみません」

 

 彼は自分が前を塞いでいると思ったようで、すぐに道を譲りました。その際に振り返り私と目があいます。間違いない。私の記憶力の全てを注いで細胞の1つ1つまで覚える勢いで記憶に叩き込んだ風貌と全く同じ。あの日、私を救ってくれた人と同じです。しかも座席表を見れば隣。歓喜のあまり死ぬかと思いました。

 

「ああ! 申し訳ないです。すぐにどきますので……」

 

 あの日と同じような丁寧な口調で、物腰で、少し変化した声で、彼は言いました。完全に確信します。間違いなく、絶対に、彼はあの日の人です。やっと見つけました。何処にいたのかはもうどうでも良いのです。大事なのはここから。ここから逃がさないという事。まずはお礼を。そしてその後はどうにかこうにか親睦を深めて。自分の顔が悪くないことに今最大限に感謝しています。

 

 この数年秘めた思いを抱え生きてきました。その相手と相まみえて、何を言うべきか。あれほど脳内シミュレーションを繰り返したのに、全く言葉は出てきません。彼は怒らせてしまったのかと怪訝そうな顔をしています。そんな顔も可愛くてカッコいいですね。

 

「ずっと前から好きでした。付き合ってください」

 

 口から飛び出たのはとんでもない言葉でした。しまったと思いますが、もう遅いです。口から出てしまった言葉は取り消せません。覆水盆に返らずですね。ただし、後悔することばかりではありません。彼はかなり戸惑っていますが、マイナスな感情は顔に見えません。しかし残念なことがあるとすれば、彼が私の事を全く覚えていない様子だという事。それだけが残念でなりませんが、思い出すパターンもまた物語としては良いでしょう。

 

 彼に貰った造花は、加工して今でも帽子につけています。彼の顔に見せつけるようにしてみましたが反応なし。やはり覚えていません。

 

「あの、えっと、どこかでお会いしましたか?」

「はい。ずっと前に」

「えぇ……」

 

 彼は凄く戸惑っていますが、走り出した列車はそう簡単には止まりません。逃がしませんよ、私の王子様。そう思いながら、私は私が最大限可愛く見えるように微笑みました。

 

 

 

 

 

<選抜試験side大陸>

 

「……は?」

 

 白帝会の副司令である黄雹華が成都にある自身の執務室で衝撃的な報告を受け取ったのは、丁度クラス内投票試験の撤廃が決定したタイミングだった。

 

「今、なんと仰いましたか」

「ですから、従兄殿には逢瀬を重ねる想い人がいると」

「ま、また質の悪い冗談を仰らないでください。いくら公主様とはいえ、言ってよい事と悪い事が」

「逃避行動をしようとも現実は変わりませんわよ」

「は、ははは、嘘です、嘘嘘。どうせ遊びでしょう?」

「いいえ、そうではないようで。そうでなければ、わざわざ綾小路篤臣が家族を人質にしようとはしないでしょう?」

「はい? そんな事になってたんですか。その作戦は、どうなりました?」

「命じられた者は秘密裏に斬り殺しましたわ。所詮は暴力団の三下。刀の使い方がまるでなっていませんでしたから、簡単に」

「解決したならば良いですが……いったい誰だというんですか、相手は」

「よくご存じのはず」

 

 しばしの沈黙。そして、隻眼の副司令は椅子を蹴っ飛ばす勢いで立ちあがった。

 

「ま、まさかのあの小娘に?」

「小娘かどうかは知りませんが、その人物で正しいでしょう」

「あ、あんな戦地も知らぬ女に負けたんですか、この私が!」

「端的に言えば、そういう事になりますわね」

 

 声にならない苦悶の声を挙げ、雹華は机にあった万年筆を放り投げる。ベキっという音がして、床に叩きつけられたそれから黒いインクが漏れる。それを面白い顔だと思いながら、諸葛魅音は自身の一応上官に当たる人物の錯乱を眺めている。

 

「なんで私が……」

「そういうところでは?」

「は?」

「要するに、従兄殿が欲していたのは安寧の地、家族のような存在であり血生臭い隻眼女は好みではないという事でしょう」

「そんな……お前の傷は私を護るための名誉の負傷だ。最も気高く美しいものであると、そう仰っていたのに……」

「それとこれとは話が別でしょう。それに、あの方はそういうの皆に言っていますよ、どうせ。いい加減、落ち着かれては?」

「ポッとの出の女に寝取られて、何をどう落ち着けと言うんですか!」

「寝てからお言いなさい、そういうのは」

「うるさいです!」

 

 はぁ、とため息を吐く声が画面越しに聞こえる。それがまた、雹華の苛立ちを加速させた。

 

「逆に何故公主様はそのような不逞の輩を放置しているのですか! 閣下の御父上の如き才人でもない、血筋も平凡なただの一般人だというのに」

(わたくし)としては、従兄殿の疾患治療にどの程度寄与しているのか大変興味深いものですから。間もなく年度が移り、私も例の学校に赴任するので、経過観察をしようかと」

「隙を見て殺すために?」

「私はそれでも構いませんが、それをしたらあなたは銃殺ではすまないと愚考しますが」

「……分かっています」

 

 ギリギリと歯ぎしりしながら、それでも雹華は苛立ちながら椅子に座りなおす。

 

「公主様、あなたの個人的な趣味嗜好はもう問いません。閣下から命じられない限り、最優先にする任務をお願いします」

「具体的には?」

「その女が、奥様と呼ぶに相応しいのか、閣下が赴任されている残りの二年間を使って調査してください」

「是なら?」

「やむを得ません。閣下の人物鑑定に間違いはありませんから、私を筆頭に全家臣団を挙げて奥様と仰ぐことにします」

「否ならば?」

「……秘密は守られねばなりません。最終的解決を試みることも検討します」

「幾分も恣意的な評価になりそうではありますわね。まぁいいでしょう。気長にお待ちください」

 

 ぶつりと通信は切れる。それにしても苛立ちが収まらず、机を蹴っ飛ばすが逆に足にダメージを負った雹華の苦悶の声が、成都の鈍色の空に消えていった。

 

 

 

 

 

<My Birthday side神室真澄>

 

 誕生日。それは特に意味の無い行事だと神室真澄は思っている。今までの人生でそれを祝われた記憶はほぼ無い。保育園の行事で辛うじてあったか無かったかと思う程度だった。昔は羨んでいた。友人とパーティーを開くと教室の中央で話すクラスメイトが。こんなプレゼントを貰ったと楽し気に話すクラスメイトが。

 

 だが、子供は諦める生き物である。他所は他所、ウチはウチなのだと諦観するのにそう長い時間はかからない。彼女にとって幸か不幸か、それを指摘する存在もいなかった。良く言えば孤高。悪く言えばボッチ。決してコミュニケーション能力が無いわけではないのに友人を作ろうとしていなかったので、孤独なのではなく孤高であるのが正しいのかもしれないが、そんな言葉の定義など彼女にとってはどうでも良かった。

 

 どう表現しようとも、自分の状況が変わるわけじゃない。15年間、祝われたことの無い誕生日。生まれた日だからなんだというのだろう。いつしかそう思うようになって久しい。他人のそれを祝うのを無意味とは言わないが、自分がその祝福対象となることを想像するのは難しかった。そして今年で16回目の2月20日。何てことの無い冬の日で終わる。そのはずであった。

 

「あ、あの……これ! 喜んでもらえるか分からないけど……」

 

 目の前でオドオドしながらも包装を差し出してくる少女に、彼女は困惑していた。自身の友人、という括りであると思っている佐倉からの贈り物である。

 

「どうしたの、これ?」

「えっと、誕生日だって、聞いたから……」

「あ、あぁ!そうね、そうだったわね」

「何がいいか分からなかったので、取り敢えず似合いそうなものを選んでみました。どうですか……?」

 

 許可を取り、包装をはがせばそこには綺麗なヘアピンがある。彼女の趣味からすれば幾分可愛らしい意匠ではあったが、それでも貰えたという事に大きな意義があった。初めて味わう感動。これが友人からの誕生日プレゼントというものなのか。妙な感動に身を震わせながら、彼女はそれをしげしげと眺めていた。

 

「どう、でしたか?」

「凄い嬉しい。選んでくれたんでしょ? ありがと。大事にする」

「は、はい! 喜んでもらえたなら良かったです」

 

 佐倉はホッとしたような顔で微笑んだ。女子同士で送り合いをしているのは見たことがある。しかし、中学までの自分が見てきたそれはもっと打算的な顔で行われていたものだった。そう彼女は記憶を振り返って思った。それだと言うのに、今の佐倉はどうか。打算のようなものは全く目に見えない。元よりそんな人間関係をあまり好まない彼女からすれば、それも大分ありがたい事であった。

 

 

 

 教室に行っても女子陣から矢継ぎ早に声をかけられる。果たしてここまで自分の出生した日が注目されることが今後あるのだろうか。人生最初で最後の快挙かもしれない。そう思えてならない。だが、同時に暗い感情も自分の中にある事を彼女は自覚している。

 

 では、彼の、諸葛孔明の側に自分がいなければ果たして他の生徒はここまで自分を見ていただろうか。佐倉はともかく……いや、佐倉ですら出会うきっかけを作ったのは他ならぬ孔明であるのだから。彼と出会わなければ、彼に従わなければ。今頃自分はどうなっていたのだろうか。坂柳と心中していた? もしくは今でもボッチのまま? 起こり得なかった未来の事など、彼女には分からない。ただ、失いたくないものが出来てしまったのは事実だった。そして、それは自分の力で得たものなどでは無い事も。

 

 はぁ……とどこか祝いの日には相応しくないため息を吐いて、彼女は帰路へ着く。確かに楽しかった。祝われるのは気分もいい。だけれども、良くない考えが自分の中に渦巻いて、それ故になにもかも忘れて100%楽しめるかと言われればノーだった。

 

 その孔明も今日は用事があると言ってサッサと自室へ戻ってしまっている。夕食時まで遊んでいろ、と厳命されてしまったので仕方なく彼女は海沿いのベンチに腰を下ろす。周りには誰もいない。思索に耽るならば絶好の場所だった。

 

 

 

 

 

 自分は、自分の力で何かを為せたのだろうか。全て、彼の思惑の中、掌の上だったのではないか。そして、いつの日か、自分の事などいらなくなってしまう日が来るのではないか。それが彼女にとっては恐ろしい事だった。彼女はこれまでの10年以上の間、誰かに必要とされてこなかった。両親も、別に自分がいてもいなくても変わらない。そういう扱いを受けてきている。友人もいない。親族もさして親しくない。自分が必要とされている場所など無かった。

 

 だから、誰かに見て欲しかった。愛して欲しかった。その為の方法は万引きという、最低かつ最悪の逃避であったけれど。見て欲しかったのだ。自分を、自分という存在がここに確かに生きていると。そんな中で、彼は自分を必要とした。自分を1人の人間として扱った。空気のような、誰でもない誰かではなく、神室真澄という1人の少女としてその目を見たのだ。それがあるから、自分は彼を愛した。必要とされていたいから。他ならぬ、彼に。

 

 昔は誰からでも良かった。でも、一度味を知ると戻れない。快感を、嬉しさを、喜びを貰った。そして、くれたその人からじゃないと満足できなくなっていく。他の生徒から頼られることは増えた。それでも、どこかで物足りなさを感じる。麻薬みたいだと自嘲気味に思う。自分が只それに溺れているだけだと言うのに、こうやってすぐにまた責任転嫁をしようとしている。結局、自分なんて弱いままで、逃げ出したいままで、何も変わっていない。

 

 結局、彼の正体は恐らくイリーガルな存在だろう。少なくともこの国では。銃と中国出身。予測できるのはマフィア、スパイ、軍人、ヤクザ……いずれも日本ではほぼイリーガルだ。そもそも銃を持っている時点で違法である。けれどそれを告発する気は毛頭なかった。 

 

 法を犯しているのは自分も同じなのだから。だからその正体が何であろうかある程度感づいていたとしても、言う気は無かった。それを言ってしまえばこの関係が壊れてしまいそうだったから。

 

 せめて軍人やスパイとかだとまだマシだなぁと考えている。漫画やゲームの読みすぎし過ぎかもしれないが、一応これらの職種は国家公務員である。ならば、犯罪組織の一員よりもマシには思えている。だけれどいざそうだと語られて、自分は平静でいられるのか。受け入れられるのか。到底わかるはずも無かった。だから見ないふりをすることにした。そうすれば、きっと今のままの平穏を保てるから。

 

 自問自答などするものでは無いと思っていたが、存外役に立つと思い直し、その場を後にする。気付けばすっかり夕刻だ。腹は空っぽであると主張している。

 

「行きますかっ!」

 

 誰に言うでもなく言った彼女の声は、海に吸い込まれた。

 

 

 

 

 彼の部屋のドアの前に立つ。何をする気か知らないが……と思いつつ、ドアを開け中へ入る。もうお邪魔しますなどといわなくなって久しい。いっそのことここに住めたら楽なのに。勉強もしやすいし、と彼女は密かに思っている。廊下を進み、リビングへのドアを開けたその瞬間、思いっきりクラッカーが鳴り響いた。

 

 何事かと思い見れば、悩みの種だった自身の主が大量のクラッカーを1人で持っている。机には大量の料理と、恐らく手作りだろうホールケーキ。

 

「パッパカパ~ン! ハッピーバースデー! いえ~い」

 

 パチパチと妙なテンションで彼は楽しそうに言っている。その顔を見ていると、悩んでいるのが馬鹿らしいように感じられた。

 

「何してんの」

「何って、君の誕生日会でしょ。16歳おめでとう!」

「そんな大袈裟に……」

「これは私の信条だけど、大事な人の誕生日は盛大に祝う事にしている。だってそうでしょ? 十数年前の今日に真澄さんが産まれてこなかったら、私は君に出会えなかったのだから。こういう事には感謝することにしている。普段なら運命なんて信じないけど、こういう時は信じたくなるから」

 

 Fateか、Destinyか。前に授業中に彼が解説していたのを思い出す。前者は悪い運命に。後者は良い運命に。ならこの出会いはどっちなのだろうか。考えるまでもないか、前者な訳もなし、と思って思考を中断する。折角用意してくれたのなら、楽しまなくては損だ。

 

「誕生日プレゼントなんだけど、じゃじゃーん! これです」

 

 渡されたのは大きな袋。中を開いて取り出せば、更に大きな包装。剥がしていくと、中には大きな楽器。

 

「これって……」

「ホワイトデーのお返しも兼ねてる。前にケヤキモール行ったときにウインドウに張り付いて見てたでしょ、このギター」

「いや、確かにカッコいいなって思ったけど……でも私、弾けないわよ?」

「それは練習しないとね。元々教えるつもりだったし。初心者用セットもくっつけておいたから。これ保証書ね。後、ついでにこれも。おまけ的な感じ」

 

 渡された箱の表に刻印してあった社名を見て目の玉が飛び出るかと思った。楽器だけでも十分だったのに、渡されたのはシュミンケの絵の具セット。日本円だと数十万する頭おかしい値段の奴だ。間違っても誕生日で渡していいモノじゃない。確かに発色も良く、色合いも美しいので絵描きとしては最上級の素材だとは思う。でも、これはプロが使う用のものだ。私なんかが貰っていいモノじゃない。

 

「こ、こんなに……」

「ま、誕生日にかこつけて日頃の感謝ってやつ。受け取ってくれると嬉しい」

「ありが、とう……。大事にするね」

「使ってこそだぞ?」

「それでも。……ホントに、ありがとう」

 

 高価すぎて戸惑ったけれど、嬉しいのは事実だった。良いじゃないか、神室真澄。これまでずっと貰えなかったんだし、その分だと思えば。それに送った相手の気持ちを無下にするのも良くは無いだろう。大事に使う事が何より相手のためになるはずだ。それに、私が喜んでいるのを確認して彼も笑っている。ならばそれで良い。それで良いんだ。ちょっと手が震えるけれど。

 

 こんなものを貰えるようになったのも、友達が出来たのも、誕生日を素直に楽しめるようになったにも、全部全部、私の愛するこの人のおかげだから。これが私への本当の贈り物。本当の、誕生日プレゼント。

 

 これからも頑張ろう。あなたに必要とされる存在でありたいから。勉強はこれまで以上に。部活だって、精一杯。そして貰ったギターだし、これもカッコよく弾けるように練習だ。やる事は多い。今までだったらこんな詰め込まれていることに嫌気がさしていただろう。けれど今は……。

 

「さ、料理が冷める。食べちゃおう」

「分かった。頂きます」

 

 餌付けされてる気もするけれど、気のせいだろう。例えそうだとしてもだからなんだというのか。貰った多くのものからすれば、些細な問題だ。

 

「ねぇ」

「どうした?」

「この前、進路の希望が無いかって、聞いたでしょ」

「あぁ、言ったっけ」

「それ、出来たんだけど。夢というか、何というか」

「それは素晴らしい。で、何?」

「笑わない?」

「人の夢を嗤うのは教導者として失格以外の何物でも無い。どんな難しい物でも、叶うように応援し導くのが義務だから」

「じゃ、じゃあ、言うけど……美大とか、行ってみたいな、なんて……思ってみたり……」

 

 彼は真剣な目で私を見つめた。そのすぐ後、ニカっと笑う。

 

「分かった。君のその夢が叶うように私が手助けしよう」

 

 至極真面目な顔で彼は言う。それにホッとしている自分がいた。否定されたらどうしよう。そう思っている部分が確かにあったからだ。この前出したコンクールの結果がそろそろ来るはず。まずはそういうところで成果を出していないと話にはならない。けれど、彼ならば頼りになる。そんな確信がどこかにあった。

 

「あと、さ」

「うん」

「美大はあくまで大学であって、その先の将来じゃないから」

「まぁ、それはそうだ。何かしら卒業後の将来も考えられるなら考えた方が良いかもしれない」

「その先については、その……お嫁さん、とか……ダメ?」

「ダメ、じゃないけど」

 

 珍しく動揺した顔で彼は目を白黒させている。

 

 拝啓、私のことに特に微塵の興味も無かった両親殿。私に、夢が出来ました。あなた達は多分興味ないと思うけれど、それでも夢が出来ました。私を産んでくれて、ありがとうございます。そのおかげで、私は私の夢に出会えたから。この人に出会って、愛することが出来たから。何も貰えない人生だったけど、それだけで十分です。

 

 そして、私は心の中で告げるのだ。笑顔を見たことのない両親に向かって、彼の綺麗な笑顔を思い浮かべながら。

 

 ―――――私はこの人と幸せになります




IF√に出てくる国に孔明がいた理由は、独立系の組織が中国の進めるインフラ投資を妨害しているからという設定です。主催者は別に生きていても死んでも作戦に支障は無かったので放置しましたが、坂柳は民間人だったので救出したという背景があったり。無駄に気障なのは、年下だと思っているので安心させるために結構カッコつけてるからです。

なお、そのせいですんごい重たい感情を持たれ、初対面のはずなのに”ずっと前から”と言われるという恐怖体験をすることになるという。まぁ前世から好きでしたよりはマシかな。

ホントはリクエストを幾つも貰っており、他にも入れたい話が合ったんですが、長さ的にこの辺でカットしました。多分次章です。ごめんなさい! あと、椎名さん誕生日おめでとう!
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