沙耶アフター -Saya's Song-   作:伊東椋

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Saya&Riki.沙耶の唄

 Saya.

 

 あたしは理樹くんと過ごした世界から退場して、現実世界に戻ってきた。

 そしてあたしはそのまま死ぬ運命だった。

 だけどあたしは声を聞いて、生きたいと必死に願って、手を伸ばした。

 そしてあたしは確かに助かったんだ。

 

 でもね……

 

 あたしの身体は起き上がることができなくなったの。

 

 あの世界で交わした理樹くんとの約束。

 折角現実に戻ってきたのに、生き抜くことができたのに、こんな身体じゃ理樹くんとの約束なんて果たせることができるわけがなかった。

 だからあたしは、強く願ったんだ。

 

 理樹くんと会うために……

 

 理樹くんと過ごすために……

 

 訪れるはずが無かった青春を手にするために……

 

 そして理樹くんとの約束を叶えるために……

 

 

 あたしは、“世界”を創造した。

 

 いつから気付いていたかはわからない。最初からかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、それさえもわからない。

 ただあたしは理樹くんとの約束を果たすために走っていた。

 

 約束を果たせれば、そこでおしまい。

 

 それで良かった。

 

 だってさ。

 

 もう十分、あたしはあの世界で理樹くんから幸せをもらったんだよ。

 

 これ以上は我儘になっちゃう。

 

 そしてあたしはもう……

 

 我儘なほど、十分すぎる以上に、幸せだった。

 

 女スパイなんかじゃない普通の女の子として青春を過ごせて、みんなと楽しく過ごせて、そして理樹くんと過ごせて。

 

 もう思い出したら涙が出ちゃうくらい、楽しかったんだ。

 

 役目を果たして終焉を迎える世界が真っ白に染まっていく中、消えていくあたしに理樹くんが必死にあたしの名前を叫んで、手を伸ばしてくれている。

 でもあたしはその理樹くんの手に伸ばすことはもうできない。

 これじゃあ、前と同じだ。

 今度こそ笑顔で別れようと思ったのに、また涙が出そうになる。

 でもあたしは、前にできなかったことを為すことができた。

 それは笑顔で別れること。

 理樹くんの姿が、遠ざかる……

 

 必死にあたしを呼ぶ理樹くんに、あたしは言った。

 

 「ありがとう、理樹くん。ばいばい……」

 

 そうして世界そのものであるあたしは、帰るべき場所へと帰った――

 

 

 

 

 

 Riki.

 

 沙耶が、彼女が完全に消えてしまった僕がいる場所は、本当になにもない真っ白な世界だった。

 もうすぐ僕も現実へと引き戻されるだろう。

 でも僕はそんなこともどうでも良い風に、跪いて、泣いた。

 何度も彼女の愛しい名を噛みしめながら。

 「沙耶……沙耶ぁ……」

 僕の震える声が彼女に届いたかどうかはわからない。

 だけど。

 

 

 ありがとう たくさんの

 

 ありがとう 思い出を

 

 

 彼女の歌が聞こえる……。

 凛と通った、とても綺麗な、彼女の歌声……

 

 

 これ以上はもう我儘になる

 

 ありがとう君たちの 中にある輝きを

 

 

 真っ白な世界の中、彼女の歌声だけがあたりを包む。

 僕は彼女の歌に聴き耽っていた。

 

 

 

 こんなにくれたらもう十分だよ―――

 

 

 それは、彼女の心。

 彼女の気持ち。

 彼女の歌声に押されるように、僕は真っ白な世界に覆われていった。

 

 

 それは世界のすべて。

 

 僕のすべて。

 

 彼女のすべて。

 

 それは―――沙耶の唄。

 

 

 

 

 

 「―――――」

 目を覚ました僕の視界には、真っ白な天井と、鼻には病院特有の薬品の匂いが張りついた。

 病院の個室で、僕はベッドに寝ていた。

 僕の枕もとには、恭介から借りたという鈴から受け取った学園革命スクレボという漫画が置いてある。

 上半身を起き上がらせ、僕はただ、窓から射し込む朝日に目を細めた。

 視界を真っ白に覆う朝日の光が、あの世界を埋め尽くした真っ白な世界そのものを思い出させた。

 そして僕はハッと気付いた。

 すべてを思い出した。

 それは現実にあったかのようにリアルで鮮明に、はっきりと記憶にあった。

 そして僕はあの名前を口にする。

 「沙耶……」

 大好きで愛しい僕の彼女。

 だけど、彼女はどこにもいなかった。

 「………ッ」

 額に手を当てて、僕はあの世界での記憶を思い出していた。

 沙耶と再び出会えたこと、沙耶とゲーセンで遊んだこと、リトルバスターズのみんなでサバゲーをしたこと、二人でデートしたこと、何もかもが確かに“在った”んだ。

 僕は彼女のことをはっきりと覚えている。

 あれは僕たちにとっては確かに現実だった。たとえ虚構だったとしても、恭介たちの時のように、僕らにとっては現実だったんだ。

 僕は自然とベッドから降りて、スリッパを履き、病室から出ていった。

 あの修学旅行でのバス転落事故から、僕たちはみんなこの病院に入院している。

 看護婦やお医者さん、別の患者さんたちが行き交う長い廊下を、頭に包帯を巻いている以外目立った部分は見られない僕は、スタスタと足早に歩いていた。

 どこに向かうは自分でもわからない。

 だけど、なんとなく行かなきゃいけない場所があるような気がする。

 僕が捜しているものが、この病院のどこかにあると思えた。

 理由はわからないけど。

 とにかく僕は、そこに行き着いた。

 とある一角の目立たない隅にある病室。僕の病室や、他の患者さんたちとはどこか違う、特別な雰囲気が漂う病室だった。所謂設備が整っていそうな感じの病室だ。まずドアが違う。僕らのより大きくて、立派に出来ている。まるで特別な患者を入れている病室みたいだった。

 そしてその病室にいる入院患者の名前が書かれたプラカードに、視線を移した。

 名前は―――

 

 

 ○○ あや

 

 

 ――あや。

 ここが、目的地だと僕は悟った。

 僕はドアにおそるおそる手をかけ、そしてぐっと握って、意を決してドアをガラリと開けた。

 ドアを開けると、やっぱりそこは特別な雰囲気を纏った病室だった。

 個室らしいが、僕の個室よりずっと広くて、しかも電気が点いていないのか夜のように薄暗い。おまけに窓のカーテンまで完全に閉めていて、日の光は細々と入ることも許されない。

 そして不可解に聞こえる音。

 ピッ――ピッ――と聞こえる、電子音。

 そして暗闇に慣れた僕の目がうっすらと、その先にあるものを徐々に捉えることができた。

 闇の中から僕はゆっくりと吸い込まれるかのように足を踏み入れていく。

 歩くたびに、不可解な電子音が大きく聞こえてくる。

 ピッ――ピッ――ピッ――

 これ、どこかで聞いたことないか?

 僕はこれを知っているはずだ。

 病院ならすぐにわかるはず。

 薄暗い病室の中、歩を止めた僕は、あるものを目の前にした。

 それは、色々な電子機器に囲まれたベッドに寝込んだ一人の少女だった。その眠っているような穏やかな表情に、閉じた瞼はピクリとも動かない。金髪の長髪が広がり、布団から出た細い腕には栄養点滴用のチューブが繋がっている。

 口と鼻には酸素マスクのチューブが繋がって、それが彼女のベッドを囲む電子機器に繋がっている。いくつかの線やチューブが彼女の体に繋がっていて、その中の一つの電子機器からはピッ、ピッ、ピッという電子音が聞こえている。それは心臓の心拍音を表す機械の一つだった。

 「……………」

 僕は呆然とするように、ぺたんと床に膝を付け、ベッドに静かに寝ている少女の顔を近くで覗き込んだ。

 それは、見間違いもない……彼女だった。

 「沙耶……」

 あの世界では朱鷺戸沙耶と名乗っていた僕の大切な人。

 変わり果てた姿で薄暗い空間のベッドに寝ていたのは、僕のかけがえのない女性(ヒト)だった。

 僕がそばに来ても、ようやくこうして現実に再会できても、彼女は絶対に目を覚ますことはなかった。

 


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