沙耶アフター -Saya's Song-   作:伊東椋

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Riki.探し物

 あの事故から日が随分と経つと、クラスにもだんだんと以前の光景が戻りつつあった。

 みんなは怪我を治して次々と退院し、学園生活に復帰している。

 「おかえりー!」

 「退院おめでとー!」

 また一人、クラスメイトが戻ってきた。先に復帰したみんなに暖かく迎えられ、クラスはこれでほとんど全員が帰ってきたに等しい。

 最初は僕と鈴が一番軽傷だったためにみんなより一足早く学園に戻ることができたけど、その時の教室の殺風景な光景は今も鮮明に思い出せる。鈴と二人で寂しさも乗り越えた今、こうしてリトルバスターズのみんなと過ごす日常が戻ったのも、凄く嬉しいし、楽しい。

 そして最後に恭介も帰ってきた。上の三年生の教室から綱を伝って窓から登場という相変わらずだったけど、それが僕たちのいつもの日常が完全に戻ってきたということを知らせてくれた。

 だけど僕はただ一つ、心に引っかかるものというか、気持ちが晴れない部分を抱えていた。

 あの病室で恭介から借りた漫画。その漫画の登場人物の名前。

 トキドサヤという名前。

 この名前を思い出すたびに、胸がきゅっと締め付けられるような感覚になる。

 その名前を呟くものならば、暖かい懐かしい想いの味が染みわたる。

 不思議だった。

 それは退院して学園生活に戻り、みんなとの日常が戻った後も、ずっと続いたのだった。

 あの日、恭介が帰ってきた日の夜、僕は寮で恭介の部屋に行って、あの漫画を返した。

 「恭介、これ返すよ。 ありがとう」

 借りていた漫画とは別の漫画に読み耽っていた恭介は、漫画から目を離して僕のほうに振り向くと「ああ」と微笑んで僕の返した漫画を受け取った。

 「どうだった? 面白かっただろう?」

 「うん、恭介がハマるだけのことはあるね。 凄く面白かった」

 僕がそう言うと、恭介はまるで子供のように本当に嬉しそうに

 「だろう? この面白さが共有できるなんて、やっぱり俺の見越した通りの男だったな、理樹」

 と、ニッと白い歯を見せながら笑った。

 「あはは……」

 自分の好きな漫画が他人に面白いと言われたことが本当に嬉しいみたいだった。

 「特に主人公の女スパイが最後、敵のラスボスを倒すところなんて痺れるぜ」

 「まぁ……パートナーの人が気の毒だったけどね」

 やっとの思いで主人公の女スパイは強敵のラスボスを倒すに至るのだが、その過程には女スパイのパートナーの苦労もあった。なんだかそのパートナーの苦労がリトルバスターズでの僕の境遇に似ていて、親近感が沸いた。

 「そこも燃えるところだろう。 ま、アクションも良いがギャグ要素も最高だっただろう」

 「うん」

 恭介はその後もその漫画の内容の面白いところやお気に入りのところを楽しそうに僕に話した。

 そんな中、僕はある思いに耽っていた。自分で漫画を読んでいるときも感じていたことだったけど、こうして改めて恭介によっておさらいをすると、どこまでもこの漫画の内容が他人事ではないように聞こえてくるのだ。そして、とある思いが徐々に膨らみ、やっぱり、あの名前が思い浮かぶばかりだった。

 「……恭介」

 「ん。なんだ、理樹」

 弾む声で語っていたのを一旦止めて、恭介は僕の問いかけじみた声に応じる。

 こんなことを恭介に聞いてどうするんだ、と自分でも思った。

 だけど口が勝手に動いていた。

 「この主人公の女スパイだけどさ……その……」

 それ以上が喉に引っかかるみたいに中々出ない。別に出さなくても良い気がするが、よくわからない。心無しか、恭介が真面目な表情で黙って、僕の言葉を待っているみたいだった。

 「…………ッ」

 その瞬間、僕の口はぐっと紡がれた。

 一拍の沈黙を置いて、僕は首を横に振っていた。

 「……ううん、なんでもない」

 「……そうか」

 「うん、ごめん……」

 「謝ることなんてないさ」

 恭介はフ、と微笑すると、僕に横顔を向けた。

 僕は恭介に何を聞こうとしたのだろう。自分でもよくわからない感覚に混乱しかけてしまう。僕はとりあえず、この場から逃げるように立ち去る。

 「そ、それじゃ恭介。 また……」

 「待て、理樹」

 背を向けた僕に向かって、恭介の声が投げかけられる。ピタリと足を止めた僕は恭介の方に振り返った。

 そこにいたのは、腕組みをして、微かに口元を微笑ませた恭介だった。

 「理樹、探し物っていうのは案外近くにあるものなんだぜ」

 「え?」

 「近くにありすぎて、気付かない。 だがあるきっかけで、いきなり思い出すこともある」

 「……恭介?」

 「だから理樹。 周りをよく見ろ」

 「……………」

 「そうすれば、なにもかも解決するさ」

 さっきの、恭介の何か言いかかっていた僕への答えなのだろうか。僕のことなど、恭介はお見通しなのだ。僕が内に閉まった思いでも、恭介は僕に『答え』てくれる。それが申し訳なくもあり、有難くもあった。

 「……ありがとう、恭介」

 「また漫画、なにか読みたいのがあったらいつでも貸してやる」

 「うん。 それじゃ、おやすみ……」

 「ああ、おやすみ」

 恭介はきっと漫画の続きを読むことに再開したのだろう。僕が部屋のドアを閉じる間際、その隙間から見えたのは、再び漫画を読み始めて、無垢な微笑を見せる恭介の横顔だった。その横顔が隙間に消えて、ドアがバタンと軽快な音を立てて閉じられた。

 ずっと引っかかっているこの気持ち。きっとこの答えが近くにあるのかもしれない。

 恭介はそれを僕に教えてくれた。

 僕はドアの向こうで漫画を読んでいるであろう恭介に感謝しながら、その場から離れ、真人が筋トレして待っているであろう寮の部屋へと帰った。

 

 

 部屋に戻った僕は、とりあえず明日の宿題をやろうと机に向かった。後ろでルームメイトの真人が「フ、フ」と筋トレをしていたが、それもいつもの日常風景だった。

 「お、なんだ理樹。 宿題か?」

 「うん」

 カバンを開けながら、僕は答える。

 「そうか、じゃあ……」

 「写すのは駄目だよ、真人。 ちゃんと自分の力でやらなきゃ」

 「ガーンッ! これから俺の言おうとしていたことをズバリ当てやがった!」 

 「いつものことだからね。 ……まぁ、これがいつものことって言ってる時点でもう色々と駄目なんだけど……」

 「そんな固いこと言わずにさ。 見せてくれよ理樹~」

 「もう……っ。 たまには自分一人の力でやってみれば………って、あれ?」

 「どうした理樹?」

 カバンを漁っていた僕は、ふと気付いた。

 さらにカバンの奥まで、隅々までゴソゴソと漁ってみるが、やっぱりない。

 「……ノート、教室に忘れてきちゃったみたい」

 「それじゃあ宿題写せねぇじゃねえか」

 真人の場合だと、やっぱり写す前提なんだね……。

 「僕の場合だと宿題が出来ないってことだね。 ……仕方ない、教室まで取りに戻ろう」

 「こんな時間にか?」

 真人の言うとおり、もう外はどっぷりと夜闇に浸かり、寮の規則でもすでに外出は禁じられた時間帯だ。

 でも、ノートを取りに行かなくては明日の宿題ができない。こっそりと学校に侵入して取りに行くしか手はない。

 「うん、仕方ないからね……。 悪いんだけど、真人……」

 僕がなにを言いたいのか、真人はちゃんとわかっていた。

 「ああ、行ってこい。 見回りか何か来ても、俺がなんとか誤魔化しておくからよ」

 「ありがとう。 任せるよ」

 「お礼は宿題でいいぜ」

 「はいはい、わかったよ」

 僕は溜息を吐くと、真人を部屋に残してこっそりと廊下に出た。そして夜闇の下の学校へと侵入し、夜の学校という雰囲気があるも、なんとか教室に至る廊下まで来ることに成功した。

 「こんなところ、見回りの風紀委員に見つかったら大変だな……。 早く戻ろうっと」

 風紀に厳しいと評判のウチの学校の風紀委員に警戒しながら、僕は教室に向かって小走りで廊下を駆け抜けようとした。

 

 だけどその時―――

 

 

 ――パンッ!

 

 

 その風船が割れたような軽快な音に、僕は無意識にビクッと肩を震わせて足を止めてしまった。

 音の聞こえたのは、前方だった。そしてその先を見てみると、そこは闇に支配された廊下。

 だけど廊下の闇のずっと向こう、ぽっと灯る光が見えた。たぶん、遠くの教室に明かりが点いているのだろう。

 誰かいる?

 僕の足が方向転換して、光が点るずっと廊下の先の教室へと足を忍ばせた。その教室は、僕たちの教室だった。

 僕はおそるおそる、僕たちの楽しい日常が繰り広げられる馴染みの教室を覗いた。いつもの教室も、夜間ということもあってなんとなく未知な空間に思えた。

 「…………」

 頭だけを教室に覗かせてみると、一瞬――ウチの制服を着た一人の少女の背中を隠すほどの長髪が見えた。

 「え?」

 しかし、それも本当に一瞬。瞬きをした時にはバツンと天井の電気が落ちると、あたり一帯が完全に闇に支配された。なにかが動く気配、机がガタガタと何かにぶつかる音だけが聞こえた。

 闇に目が慣れるまでじっと待った後に、僕はようやく教室の電気を点けた。

 そこはいつもの教室。しかし確かに誰かがいたのだろう。綺麗に並べられていたはずの机が一部だけズレていた。きっと犯人(?)は相当慌ててここから机にぶつかりながら出ていったと思われる。

 そりゃそうだ……こんな時間に教室なんかにいて誰かに見つかったら慌てて逃げたくなる。それに僕だって今や同じ身分だ。

 一瞬だけ見えた少女の後姿。どこかで見たような……?

 しかしどうしても思い出せない。あの名前と言い、上手く思い出せないもどかしさはもう懲り懲りだった。

 とりあえず僕はズレた机を直してから、自分の机に向かった。

 そういえば……教室にいたあの娘、僕の机の前にいたような……?

 一瞬だったから確証はないけど。

 僕は机の中から目当てのノートを取り出して、教室を出ようとした。

 「あれ?」

 ふと、出入り口のそばに何かが落ちていた。

 拾ってみると、それは生徒手帳だった。

 きっとさっき教室にいた娘が、慌てて出ていった際に落としたのかもしれない。僕はこの出入り口の反対側にいたから、彼女はやっぱりここから出ていったのだ。

 落とし主に返してあげないと。そうしたら僕までこの時間に教室にいたことがバレるかもしれないけど、お互い様だ。

 名前を見てみる。そこには―――

 

 ○○○ あや

 

 この名前は初めて聞いた名前だった。ウチのクラスにはいない。学年は同じだけど、きっと別のクラスだろう。

 そして名前の横に貼られた生徒の顔写真に、僕は目を剥いた。

 「……この娘って」

 見覚えがあった。この娘は――あの事故で、崖下のバスの近くで、僕たちのところまで来てくれた女の子。

 そしてそれ意外でも何故か見覚えがあるような気がする、不思議な感覚を抱かせる少女。

 「……あや」

 下の名前を呼んでみる。

 やっぱりこの名前だけは初耳だった。

 だけど、この凛々しくもあり、そして美少女でもある、その写真に写る少女の顔は、あの名前を見た時と同じ感覚を僕に抱かせた。


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