好きな人を影から見てるって、ちょっと乙女チックじゃない?
……と言っても、あたしの場合は本来のその意味とはちょっと違うのかもしれないけど。
でもそう思わなくちゃ、寂しい気持ちになる。
廊下の生徒たちが行き交う中、人混みに紛れたあたしは、気がつくといつも彼ばかりを見てしまっている。
自分でもわかってる。自分のしていることがなんだか虚しいこと。
でも……別に良いじゃない。
あたしはあたし。あの世界とは違って女スパイではないし、ただ一つ、あの世界と同じなのは、恋する少女だということ。
でもつい、彼がこちらを見ようとすると、あたしは咄嗟に身を隠してしまう。彼に見つかるのが何故か不安だった。
そしてあたしはまた、彼の姿を遠くから見詰めている。
また今日も……
また……また……
ある日の夜、寮の部屋からの外出は禁じられた時間、あたしは夜の校内にいた。
あの世界の時とまったく変わらない光景。あたしは確かにここで、銃を片手に影たちと闘っていたんだ。
そして―――理樹くんと出会う。
またあの時の世界みたいに、こうして夜の校舎内を徘徊していれば彼と出会えるかな、なんて淡い期待を僅かに持ちながら考えてしまう。そんな考えをしてしまう自分に苦笑し、そしてすぐにそれをやめてしまう。
つい、彼との思い出に浸りたくて夜の学校に来てしまった。あたしってなんて未練がましい女なのかしら、と自分で自分を罵ってみる。
太ももに忍ばせているのは本物そっくりであっても実弾は入っていない、エアガン。
子供のころ、父の仕事の都合で海外を転々とし、あたしはその中でも一発の銃弾より人の価値が低い国に滞在したことがあり、当時の子供だったあたしは銃という武器に興味を持った。
その国で己が生き残るための銃の使い方を教えてもらい、子供のころからあたしは銃の扱いに慣れていた。
趣味、と言っても良いのかもしれない。
日本では銃刀法違反になるから、本物は持ち込んでいない。代わりにエアガンを装備している。ちなみにあたしの改造が施してあるから、規制ギリギリの本物に近い代物だ。迂闊に撃てば本物並みの威力だって難しいことではない。
夜闇の学校は雰囲気が出ているが、あたしは特に恐怖を感じなかった。普通の生徒なら怖くて肝試しに絶好であると考える輩もいるだろう。
だけどこんな夜の学校は、自分の懐かしい思い出以外の何物でもなかった。
不意に、あたしはとある教室の前で足を止めた。
「ここは……」
そこは、あの世界では『入口』だった場所―――
すなわち、理樹くんのクラスの教室だった。
さすがにこうも真っ暗では何も見えないので、電気を点けてみる。出入り口脇にあるスイッチに手をかけて、教室に光を満たし、闇の世界から遮断した。
綺麗に整理整頓された机。
「……………」
あたしはゆっくりと思いに耽るように教室内を歩いた。時折、机を撫でながら、半周ほど歩いた。
と、そこであたしは一冊のノートが置かれた机に辿り着いた。
そのノートの名前を見て、あたしはこの席が誰の席なのかを知った。
「……へぇ。 ここが、理樹くんの席なんだ」
彼の名前が記載されたノートを手に持ちながら、あたしは呟いた。
机の中に教科書や辞書、ノートを置いていく者もいる(彼の隣の席は色々なものでごちゃごちゃだった)が、ここにノート一冊だけというのもちょっと変だ。意図的に置いていったというより、ただ忘れたと考えるのが妥当だった。
「ふふ。 理樹くん、ノート忘れてるよ……」
あたしはくすっとノートに書かれた彼の名前に微笑みかけた。
そしてノートを机の中に入れてあげる。
ノートを机の中に入れて、顔を上げて教室の全体を見渡す。前方に見える大きな黒板。
あの裏に、『入口』はあった。
「……またここの全部の机をピラミッドみたいに重ねたら現れるかしら」
そんなことを呟いてみたりする。
「……………」
おもむろに、あたしはスカートの端を一瞬だけ上げると、そこに忍ばせていたエアガンを取り出した。
そして黒板に向かって、引き金を引く。
――パンッ!
軽快な音とともに放たれたBB弾はヒュンと空気を切って、黒板に跳ね返った。黒板の面に当たったBB弾は半分に分裂し、破片が飛び散った。
「………」
特に意味なんてない。
ただ……撃ちたかっただけ。
「……理樹、くん」
あたしはそっと理樹くんの机を撫でる。
ぽた、と。
なにか雫のようなものが机の面にじわりと浮かんだ。
「………あは」
また、ぽたぽた、と。
同時に目元から頬に至る部分が、暖かく感じる。
あたしはその瞳からぽろぽろと涙という雫を流しているということに自覚した。
あの日を、大好きな彼と闇が支配する影たちの世界である廊下で影たちと戦い、教室で机を並べたり、必死に地下迷宮への扉を探して、銃を持って彼とともに地下へと侵入したこと。
すべてが、この教室がすべてを思い出させた。
「理樹……くん……」
流れる涙は止まることを知らない。
ただその場に立ち尽くし、顔を伏せて雫をいくつも落とすだけだった。
「……!」
そんな時、首筋に視線を感じた。
ふと視線が刺さるほうを見てみると、そこには見慣れた人物がいた。
「(り、理樹くん…ッ?!)」
何故か、理樹くんが教室の出入り口からそっと中を伺うところだった。
そして一瞬だけ、理樹くんの瞳にあたしが映ってしまった瞬間―――
あたしはまるでスパイ並みの身体能力で彼の視界から一瞬で消えるように滑りこみ、並べられた机に当たりながらも、あっという間に教室の電気を消して、慌ててその場から出ていった。
机に当たった腰や腕の所々に鈍い痛みを感じるが、今はそれどころではない。
というかやっぱりあたしは――彼から逃げてばかりだった。
「(こんなのじゃ――いつまでも理樹くんと一緒になれるわけないじゃない…ッ!)」
あの『約束』を、こんな自分では果たせない。
涙の雫を後ろに流しながら、あたしは闇の中を駆け抜けた。
彼と自分の涙、そして―――彼と出会うきっかけとなったとあるモノを残して。
翌朝の学校。
一時限目の授業が終わり、束の間の休憩時間。クラスメイトたちの談笑が沸く中、あたしは睡眠不足の眠気に身を委ねることにした。机に突っ伏して、瞳を閉じる。
きっとあの時、あたしの姿は理樹くんに見られてしまっただろう。
変な娘だと思われたのかもしれない。
だってあんな時間に、クラスメイトでもない子が教室にいるなんて。
どう見ても変じゃない。
理樹くんはきっと、あの忘れ物のノートを取りに来たのね。
……ちょっと考えれば理樹くんがノートを取りに来ることなんて可能性として気付けたはずなのに、結局気付かなかったあたしは馬鹿だ。
……寝よう。
考えたくなかった。今は、この睡眠不足の緩んだ頭をどうにか休ませてあげなければ……
「――さん。 ――さん」
まどろむ意識の中、あたしは微かに自分の苗字を呼ばれているのに気付いた。瞳をゆっくりと開けて、顔を上げてみると、そこにはクラスメイトの女の子がいた。
「――さんに用がある人がいるよ」
「…………」
あたしはぼーっとする意識の中、そんなあたしを見てちょっと困った表情になるクラスメイトの指を指す方向をゆっくりと見た。
教室の出入り口。そこに、一人の男子生徒がいる。
「―――ッ!!」
眠気が一気に醒めた。
教室の出入り口で誰かを待っている男子生徒。それは紛れもなく、私の恋する相手だった。
「理樹くん……」
そこに立って、あたしに気付くとニコリと微笑んだ彼は、正真正銘の直枝理樹だった。
「……何の用かしら?」
内心は今にも崩れ落ちそうで、表面上は足をぐっと立てて平静を装う。
あくまで赤の他人のフリで、距離を近づけすぎないように。
「えっと……。 きみに渡したいものがあったんだ……」
無愛想な顔をしているあたしに戸惑っているのか、理樹くんはすこしだけ困った顔をした。
「渡したいもの?」
あたしは眉を顰めて、怪訝な表情になる。
「うん。これ……」
理樹くんが制服の内ポケットに手を入れてなにかを出そうとしている。
あたしはその瞬間、猛烈な既視感に襲われた。
もし、あたしの予想通りだとしたら……
どうしよう。
あたしは平静を保てるだろうか…?
今正にあたしの目の前に現れたものが―――
あ れ だ と し た ら
あたしは―――
「これ、落ちてたんだ。きみのだよね?」
「………………」
あたしの目の前に差し出されたもの。
それは―――あたしの生徒手帳。
あたしと理樹くんの、二人のきっかけ。
リプレイをするたびに、わざと生徒手帳を落として理樹くんに拾わせて、あたしのところまで持ってくるように仕向けてきた、あたしと理樹くん二人のゲームのスタート地点。
頬を指で抓りたい気分だった。
これはゲームではない。夢でも、虚構でもない。
現実に起きた出来事だということを、確かめたかった、
「…………」
今、あたしはどんな顔をしている?
あたしの足は震えてない?ちゃんと立ってる?
あたしは今、大丈夫?
「……あの?」
「……ええ、あたしのよ」
あたしは理樹くんから自分の生徒手帳を受け取る。
自分でも不思議なくらいに、その手は落ち着いていた。
受け取ったものは、確かにあたしの生徒手帳だった。
それにしてもいつ落としたんだろう。
意図的に落としたこともないし、大体生徒手帳なんて使うこともないから全然気にしていない。ブレザーの内ポケットにでも適当に入れておいてそのまんまなのが普通だ。
いつ落としたなんて知らない。
でもまさか、あの世界と同じ方法で理樹くんとこうしてまったく同じシチュエーションに合うなんて。
まさかこれもゲームだなんて、つい疑ってしまう。
「ありがとう。 わざわざ届けに来てくれて」
ニコリと微笑んで、あたしは笑顔でお礼を言う。あの時とまったく同じように。
「あ、あときみさ……」
理樹くんはなにか言いたげだった。一度、頬をぽりぽりと掻いて言おうか否か戸惑っていた様子だったが、やがて彼は口を開いた。
「あの時……修学旅行の事故のとき―――……ど、どうしたの?」
「え……?」
突然、理樹くんが硬直したと思うと、驚いた様子であたしを見詰めながら、そんなことを聞いてきた。あたしは理樹くんが言っていることがわからず、え?と間抜けな声で聞き返してしまった。
理樹くんが何故、そんなことを言ったのか……
あたしが、あたし自身が十分にわかっていたはずだった。
あたしは―――平静を保ってなんかいなかった。
無愛想にできていなかった。
落ち着いてなんかいなかった。
あたしは――
泣いていた。
丸くなった目からツゥッと頬に伝う涙。あたしは今更のように自分が泣いていると気付かされた。
あたしは本当は、生徒手帳を渡されたときから――ううん、もしかしたらこうして理樹くんのそばにいたときから、平静じゃなかったんだと思う。
身体は小刻みに震え、涙はぽろぽろと落ちていく。
泣きだしたあたしに理樹くんは慌てた。周囲のクラスメイトや廊下にいた生徒からの視線が集まり、理樹くんはますます動揺する。
「あ、あの……?」
理樹くんが困っている。
あたしは袖でぐいぐいと目元の涙を拭うと、まるで別の生き物のように勝手に動いた手が咄嗟に理樹くんの腕を掴んだ。
「え?」
「……ッ!」
あたしは駆けだす。理樹くんの腕を引きながら。
泣きながら理樹くんを引っ張って走るあたしの姿は滑稽かもしれない。
束の間でしかない休憩時間もそろそろ終わりを告げようとしている中、あたしは構いもせずに理樹くんを連れていく。
そんな滑稽なあたしが駆け抜けて辿り着いた場所は――
学校の裏庭だった。
ここに来るとあたしはあの世界の記憶を特に思いだす。
何故ならこの場所はあたしにとっては特別な場所だから。
「…………」
涙はすでに枯れていた。
頬に残った涙の跡を、ぐいっと袖で拭き取る。
理樹くんの腕の裾を握ったままのあたしは、そのまま理樹くんのほうにゆっくりと振り返った。
理樹くんは突然あたしがここに連れてきたことに驚いているだろうなと予想していたけど、理樹くんの反応はあたしの思ったこととは違っていた。
理樹くんは息を呑む表情で裏庭を見渡していた。空を仰ぎ、そして周りを見る。
さらに最後にあたしのところに視線を止めると、理樹くんはなにか言いたそうに口を微かに動かしたが、なにを言って良いのかわからないといった風に沈黙した。
「なに? どうかした?」
いきなり連れてきてどうかした?という質問はないかもしれないが、あたしは聞いた。
「なんで、僕をここに?」
「……別に。なんとなくよ」
「……あの、さ」
「……なに」
「ひとつ、訊きたいことがあったんだ」
「さっき言いかけたやつ? ……ごめん。あたしがいきなりわけもわからず泣きだしたせいで」
「ううん、それとは違うんだ……。 これは……それよりずっと前から感じていたすべての原因だと思う」
「……り」
理樹くん?と、つい名前を呼んでしまいそうになったところであたしは辛うじて口を噤んだ。
そして理樹くんは、意を決したように、あの言葉を、あたしに投げかけた―――
「僕たち、いつか会ったことない?」
「………ッ」
その時のあたしは、さっきよりは、はっきりとわかった。
あたしは、また泣きそうになった。
理樹くん…と、あたしは心の中で呟いていた。
そう、あたしが今、心の中で呟いた理樹くんが……
今目の前に、そこにいた。