人の手の入っていない森の中。
そこに、小さな石造りの建造物が、木々に隠されるように存在していた。
家や小屋、というよりは何かの入り口のような建造物。その地下には、複数の通路とそこから扉で繋がった、多くの部屋があり、階層構造を成している。
その階層を下っていき、最深部に位置する部屋。一際広いその部屋の床に、人影がある。
仰向けに横たわったそれは、長い間その場所から動いていない。身につけた衣服は劣化しているものの、その中身は白骨化どころか、腐敗の徴候すら見せていない。ただ、積もった埃がそこにあった期間を示していた。
「シッ」
飛びかかってきた獣を一太刀で切り捨てて、周囲を警戒する。
動くものは見えない。足音や息の音もしない。
ここの魔物はあまり強くないな、とレフは思った。
レフは賞金稼ぎだ。ギルドから出る、魔物退治の依頼などの賞金をアテに生活している。同業者には特定の都市などに定住するタイプと、旅をしながら生活しているタイプがおり、レフは後者だった。
もう一度、周囲を左手のガントレットについた魔力灯で照らす。
剣の間合いではバックパックに吊るした魔力ランタンで十分だが、遠くを警戒するには、指向性がなければ無理だった。すでに5階層潜っており、光は無きに等しい。
敵がいないことを確信し、納刀する。
正面を照らしながら、通路を歩いていく。
先の見えない通路を進みながら、レフは考えていた。
この遺跡の魔物のことだ。5階層も潜れば、普通は相応に強い魔物がいるものだ。そうなれば、苦戦はせずとも一太刀で切り捨てられるようなことはない。強さもそうだが、挙動も不審だった。魔物と言えど生物であり、食物連鎖もある。そのトップとなるような魔物は総じて、傍若無人の振る舞いをしているものだった。しかし、この遺跡で一番手応えがあった部類の魔物でも、何かに怯えるような仕草を見せることがある。生態系の、さらに上がいる。
しかし、とレフは考える。そのような大物が発生するにしては、やはりここの魔物は弱い。それ以上に、獰猛さが不足していた。大物は大抵、他の魔物を喰らってその力を得ている。遺跡を探索するのなら、そのような現場に出くわすことも多かったのだが。
「ん?」
扉だ。正面、魔力灯が照らし出す先に、扉があった。左右を照らしてみても、分かれ道のようなものはない。
探索しやすい部類の遺跡だったが、4階層まではこのような扉は見かけなかった。最深部だろうか。
ともあれ、開けてみる他はない。
レフは扉に近づき、観察する。蝶番はこちら側にない。奥に開くようだ。鍵のようなものはない。取っ手らしきものはあるが、どうも壊れているらしい。開けるのに苦労はなさそうだ。
「さて、何があるかな」
呟きながら、レフは扉を押す。
扉は、蝶番を軋ませながら開いた。
中は、ここまでに見た他の部屋より広い。しかし、廊下や他の部屋のように魔物が入り込まなかったようで、壁や床は比較的荒れていなかった。
警戒したが、動くものの気配はない。静寂が部屋を支配している。
ランタンを左手に掲げて足を進める。何かないか、と見回すが、特に入れ物や棚のようなものは見当たらない。
「ん」
床に、何かがある。
ランタンの光が届くように近づいた時、レフは息が止まるような感覚を覚えた。
人だ。人が横たわっている。
「何だ、これは………」
女性、だろうか。身に付けている衣服は古く、劣化しているが、軽装の鎧だということはわかる。体つきは細く、また小柄だ。
顔立ちは整っているが、幼く感じる。長い黒髪はかすかについた埃で艶を失っているようだ。
一見して、ただ眠っているだけの人間。しかし、レフはこれが得体の知れないものであることがわかる。この遺跡の入り口は、森の中、木に隠されるように立っていた。おそらく知られていない遺跡であり、数百年は人が立ち入っていないように見えた。事実、人の手による探索の跡はほとんどなく、魔物も人間との戦闘に慣れていないようだった。
そんな遺跡の最深部に、人間だ。しかも、その体は腐敗の徴候すら見せていない。
いったい、これは、何なのだ。
レフは考える。どうするべきか。
これが白骨化した死体だったのなら、価値のある装備を剥ぐなりして、その後に埋葬でもするのだが。こうも生々しい状態だと、そういう気も起きない。そもそも、死んでいるのだろうか。しかし、運び出すのも一苦労では済まない。いくらここの魔物が弱いからと言っても、人一人運びながら5階層登るのは難しい。外に出たところで、近隣の都市であるレンフェストに行くにも、そこそこの距離を移動する必要がある。
レフは独り者だった。この遺跡も、推測を基についで程度のつもりで探して、見つけたものに過ぎない。資金の足しになるようなものが見つかればいい、と言った程度の気分でいた。
「………はぁ」
厄介な物を見つけてしまった。
放置して帰るという気分になれない。
せめて、起きてくれれば連れて帰れるのだが………。
「む」
横たわっている人の右手、その下に何か道具のようなものがある。
ブーメランのような、曲がった形状。しかし、明らかにブーメランではない。その片側は握りであり、またもう片側は筒状になっている。
以前に見た、射法具に似ている。
手にとってよく見るために、被さっている右手に触れ、持ち上げようとした、その時。
ドクン、と音がした。
レフは手を止める。静寂ゆえ、最初は大きく聞こえたが、実際には小さな音。ゆっくりと繰り返すそれは、だんだんと間隔が縮まり、一秒ほどになった。心臓の、鼓動だ。自分のものではない。手に伝わる脈動と、間隔が一致している。
起こして、しまったのか。
息を吸い込む音。
「ふぐっ」
ガバッ、と起き上がった彼女が咳き込む。埃を吸い込んでしまったらしい。
「げほっごほっ………ふぅ………」
あらかた埃を吐き出し、息を整えた彼女は、ゆっくりとレフを見て───
「………誰?」
レフにもわかる言葉で、はっきりと訊いた。
「………誰?」
遺跡の奥底で見つけた人──レフには女性に見える──彼女は、レフのことを見て、はっきりと訊いた。
「………あ、あぁ。俺はレフという。あなたは………?」
「僕は………」
彼女はそこで言葉を止める。何か考えているのか。
「ひとつ、聞いていいですか」
「え………何を」
「暦では今、何年ですか」
「年?」
暦では、か。
「王国歴では、374年だったかな」
「374年………ですか。教えてくれてありがとう。僕は………ノエルです」
「ノエル、か。とりあえずはよろしく」
ノエル。男性にも女性にもいる名前だ。確認しておきたいところだが、まずは脱出が先だ。レフはそう判断して、ノエルに右手を差し出す。
「ここから出る。立てるか」
「あ、はい」
ノエルは射法具らしきものを太股のホルダーに納め、立ち上がる。レフの手は借りたものの、足取りはしっかりしている。
「それ、射法具か」
「はい。僕はこれが武器です」
「俺が守るつもりだが、戦えるか」
レフがそう訊くと、ノエルはホルダーから射法具を抜き、手早く点検しだした。各部の埃を払い、持ち手を握る。すると、射法具の一部が光る。
「よし。ちょっと埃っぽいけど、使える」
「ならいい。行くぞ」
レフはノエルを先導して、入ってきた扉を開ける。相変わらず、通路は暗い。
照らしながら進むが、魔物は死骸しか見当たらず、襲ってくる気配もない。
「レフさん」
「何だ」
「ここ、どれくらい探索したんです?」
「潜ることを優先して探索したからな。隅から隅まで、というわけじゃない」
「そうですか…」
「何か気になるのか」
「いえ。とにかく、地上に出たいです」
「そうだな。5階層分は登らなきゃならんが…」
前方に見える階段を指し示して、レフはノエルに答える。
「なら、早く登ってしまいましょう」
「そうだな」
階段を登る。
この遺跡は階層構造、それもかなり整ったものだ。階層ごとの構造は統一感がある。
それでも何故か、上りと下りの階段は遠く離れている。メインの通路がそれぞれの階層一本、その端と端に。
レフにとっては、探索しやすい遺跡と言えた。
一つ階層を上がり、4階層。ここの通路はさすがに魔物が多く、下りてくる時に斬り伏せた遺骸がかなり転がっている。
「………これ、全部一人で?」
「妙に手応えのない奴らだったな」
「そうですか………」
ノエルは少々驚いているようだ。だがレフからすると、独り者はこれくらいできないとやっていけはしない。
そのまま足を進めて、最上層まで辿り着く。あとは入ってきた場所から出るだけ。
「さて、もう出られるな」
「はい」
遺跡の外は森。それゆえ、光は入口からもあまり入ってこない。
「そういえば、今って昼間ですか」
「昼時は過ぎているだろうな」
レフはノエルの質問に答える。保存食で早めの昼食を摂ってからこの遺跡の探索を始めた。それから、3時間は経っていないはず。
「まぁ、出てみればわかる」
そう言ってレフは入口の階段を上った。
遺跡から出てくれば、そこは鬱蒼と茂った森。木漏れ日は昼の色をしている。
「すーーー………はぁーーー………」
「深呼吸か。怖かったのか?」
ノエルが大きく息をしていたので、レフが訊いてみると、ノエルはふふ、と笑ってこう答えた。
「いいえ、全く。でも、遺跡は息が詰まります」
「なるほど」
その感覚はわからないでもない。レフもこの稼業を始めた頃はそうだった。
………ノエルは、どれほどの時間をあの部屋で過ごしたのだろうか。100年は下るまい。服の布地の劣化具合を見ても、数百年は眠っていたように思える。
レンフェストについたら、少しは面倒を見てやるべきかな、とレフは考える。
「レフさん」
「ん?」
「この遺跡、早く離れませんか」
「構わんが、何故離れたい?」
「実は………」
ズン、という地響きがした。
「む」
嫌な感じだ。抜刀。
「あー………来ちゃうのかな」
ノエルは心当たりがあるらしい。ホルダーから射法具を抜いて、辺りを見回している。
「何が」
「大物です」
「ボス、か」
恐らくは、遺跡の魔物の恐怖の対象。
しかし、どこに?
「遺跡の中、大物はいなかったんですよね?」
「ああ」
「たぶん、今の地響きを出したやつが………」
「喰った、か」
長い時間をかけて小物を喰い続けて、大きくなる。そういう魔物も、たまにいる。
「来ますよ。あそこ」
ノエルの指差す方を見れば、地面が明らかに盛り上がっている。
やがてその盛り上がった土が割れ、何かが出てくる。土煙が舞っていて視界は悪い、が。
「なるほど、大物だ」
レフ達の5倍はある巨体の、四足獣であることは確かなようだった。