見慣れない板のようなIHのコンロを奈帆はこれってちゃんと動くんだろうかと訝しんだ。
本部の居住区にある約6帖の部屋は洗面台にシャワールームにトイレといった基本的な水回りと二口のIHコンロが置かれたキッチン、清潔感溢れる白いフローリングが敷かれた部屋にはベッドと棚のついた机と椅子が備え付けられており一先ず生活していく上で不便は無さそう。
洗濯機置き場は見当たらないのは居住区内にランドリールームがありそこで各自洗濯するようで奈帆が通っていた学校の寮とシステムは変わらない。
寮費は一応スカウト入隊にあたる奈帆は3ヶ月後から掛かると後から合流した沢村さんから説明を受けた。相場は分からないが食費が別なことを考えても破格のような値段ではありそう、正規隊員になるまでかかる期間はまだ良く理解していないがとにかく3ヶ月以内に収入を得られる正規隊員に上がるのが目下の目標となりそうだ。
ゲーム好きの従姉妹はわざわざ寮費を出してゲーム部屋を居室とは別に設けるために広い部屋に住んでいるようだが私物も少なく趣味も走ることくらいの奈帆にはわざわざ別料金を払うほどの魅力は無かった。
そもそも奈帆が中学時代を過ごした寮は同じような広さの部屋に3人分のベッドと机に身だしなみ用の洗面台を押し込んだまるで潜水艦の船室のような狭さだったので私物制限もなく入浴時間も気にしなくて良い1人部屋の時点で既に魅力的である。
「荷物本当にこれで全部?」
「元々寮暮らしでそこが結構厳しかったのであまり私物なくて」
「そうなの、足りないものがあったら言ってね」
「大丈夫だと思います」
段ボール一箱と合宿用のスポーツ鞄一つの荷物に面食らったような顔を見せた沢村に荷解きの手伝いはいらないと告げる。クリーニングされたばかりの部屋は掃除する必要がないくらい綺麗だし、この量の荷物に2人も人手はいらない。
「じゃあ事務所で待ってるね、道が分からなかったら私に連絡するか誰か暇そうな人に聞いて」
これからどうなるんだろうか?
母と実家を飛び出して1週間
母は旅館の仲居として働き口をどうにか見つけたと新しいスマホにメッセージがあった。父だった人との関係性がどうなっているのか奈帆には分からない。
住居はボーダーが、食費は使う機会の少なかった貯金で当面はどうにか凌げるしの祖父母は幸い農家だ。頼れば食材は送ってくれるだろう。
学費は新学期まであと2ヶ月は義務教育、高校はボーダーの推薦制度で進学校と呼ばれているらしい提携校に進学が決定したとさっき沢村さんが教えてくれた。事前に母と申請した奨学金も奈帆の成績と母の収入なら問題なく通るはずだ。
奈帆の成績は平均を脱しなかったが幸い部活動のおかげで内申点はとても良かったので家庭内のごたつきをよそに受験はスムーズに終わった。
芸は身を助ける。特に意図していたわけではないがこれに尽きる。
少ない私物を散りばめた部屋は最初の殺風景な状態よりはマシだが部屋というより合宿所の一部屋に近いように見える。
唯一、棚の目立つ位置に置かれた友人達が春を前に別れることになった奈帆に贈ってくれた寄せ書きとフォトブックが奈帆の部屋だと主張していた。
「卒業したかったな」
実家から追い出されるように飛び出してきた奈帆の荷物に唯一残された思い出はこれと最後に寮の規則を破って町のゲームセンターで数千円を費やして取ったキーホルダーの人形とプリクラのシールくらいだった。
現代社会とは思えない規則が敷かれた寮生活を続ける友人達とはプリクラのシールが貼られた買ったばかりのスマホで気軽に連絡を取り合うことも出来ない、従姉妹との仲は悪くないが部活一筋だった奈帆とボーダーで生活していた柚宇は距離が近いとは言い難い。
「部屋が広い…困っちゃう…」
少なくともボーダーの人たちは従姉妹を含めて奈帆にみんな親切にしてくれている。太刀川さんも出水さんも烏丸くんも急に入隊を希望する奈帆のために事情を根掘り葉掘り聞くことなく少ないであろうスカウト枠を使ってくれた。
東隊のみんなも沢村さんも名前も知らない職員の人たちもみんな奈帆に優しい。
でも、3年間を過ごした友人たちも家族もいない広い部屋で過ごすことになる奈帆の寂しさを埋めてくれるかは分からない。
沢村の退室と同時にへたり込んでいた奈帆だが、まだ転校やら入隊やらの手続きが終わってないことを思い出した立ち上がる。
すぐに手続きの準備が終わるとは思わないが事務所の人を待たせるわけにはいかないだろう。
オートロックの部屋に鍵を忘れるという初歩的なミスを犯した奈帆が事務所の人を大いに慌てさせることになる。
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