「いい加減にしろ!!!」
隊室に設置された麻雀卓を挟んで喧嘩し始めた後輩たちの頭を諏訪は手に持っていたハードカバーの小説でツッコミの本場関西人も驚きのテンポの良さで叩いた。残念なことに関西出身の後輩はこの場にはいなかったがもし目撃してたら「ええツッコミやわ、吉本入れんで!」と絶賛されていそうな鋭いツッコミを受けた太刀川はもじゃっとした頭を抑えて恨めしげな目線を送り、No. 1攻撃手の太刀川と睨み合っていた女は威力が足りなかったのか叩かれた頭を抑えるやいなや口紅かなにかで不自然にツヤツヤとした唇を開いて甘やかされている小型犬のように吠え始めた。
「信じられない!!!ハードカバーで殴ることある!?」
「換装してんだから大したダメージじゃねえだろ」
諏訪には構造が全く理解できない髪型の後頭部を押さえながら太刀川から標的を変えたらしい女はアイシャドウでキラキラと光る瞼を見開き優しげに見えるように目尻から下げて引かれたアイラインが全く意味を成さないレベルで目を釣り上げた。
櫻葉唯19歳。諏訪や太刀川と同期入隊の大学の後輩でB級3位櫻葉隊の隊長務めている女は見た目だけなら女子アナウンサーのような清楚な美人なのだがとにかく気が荒いというか気が早く短気で口調も荒っぽいので後輩からは実力以上に恐れられている。
今日も持ち前の気の速さと呆れるほどの行動力で太刀川が北の地からスカウトしてきた狙撃手を櫻葉隊に寄越せと太刀川隊に威勢よく乗り込んでいき案の定断られて逆上していたところを同い年の醜聞に耐えられなかったのか、単に隊室の近くがうるさかったのが気に入らなかったのか分からないが近くにいた二宮により諏訪は読書中に面倒ごとを押し付けられた形だ。
あんなんだが後輩思いの男なので櫻葉を目にすると普段なら赤くなる顔が見てるこちらが可哀想なほど青褪める辻の為かもしれない。辻にとって怒鳴っている櫻葉なんて恐怖でしかないだろう。
二宮は大して可愛くは無いが可愛い辻に免じてやろう。と諏訪は読書を中断することにした。
それに勝手に素知らぬところで進路が決められるのは可哀想だ、2人とも本人の意見を聞く気が清々しいほどない。
東の新たな弟子である少女の頼りない線の細さを思い浮かべる。人は見かけによらないのは櫻葉で理解しているが華奢で子犬のような少女がが先輩かつ押しの強いこの2人に文句が言えるとは思えない。
年が明け新たに新入隊員が増え、各部隊の面々がそれなりに入れ替わる中で太刀川隊は増員されるどころか烏丸が何故か玉狛支部へ異動になった。
狙撃手としては異例の速度で昇格した少女は完全に既定路線と思われた太刀川隊ではなく、ソロの狙撃手となっている。この唐突な人事はレイジが言うには上層部の意向らしい。
どっちの人事なのか、はたまたどちらもなのか口が硬いレイジが語ることは無かったが太刀川にもそれなりに圧力がかけられているのか櫻葉との諍いはいつも通りだが今日は妙に歯切れが悪い。
腕も良く、それに攻撃手並の機動力という唯一無二の武器があり、それを活かせるセンスも備えた優秀な狙撃手は櫻葉でなくてもどこの隊も口から手が出るほど欲しいだろう。そんな狙撃手を誰も今まで勧誘しなかったのは全員が太刀川隊に行くと思っていたからだ。
「ごめんね、放課後に」
「平気平気、こっちこそ気づかなくてごめんね」
なおも申し訳なさそうな顔をする時枝に忙しいのにこっちまで歩かせちゃったし気にしないでと奈帆は明るくいった。
正規隊員に昇格するとボーダーから給与が支払われる為、入隊時とは別の書類手続きが必要なのだが昇格後すぐに太刀川隊へ配属されると思っていたらしい時枝は彼にしては珍しくよく確認しないままA級用の書類を奈帆に渡していた。話を聞いた奈帆は嵐山隊の隊室まで行くと言ったが、時枝はこちらのミスだからとわざわざラウンジまで来てくれた。
「珍しい組み合わせだな、どうした?」
「書類渡し間違えてしまって」
「わざわざ来てくれたんですよ」
奈帆と時枝は同じ中学校に通っているのでそこまで珍しい組み合わせでは無いのだが普段狙撃場にいる奈帆と多忙な嵐山隊の時枝はたしかに当真の言う通りラウンジで見かける組み合わせではない。
「やっぱり今日は雪だな、間違いねえ」
「予報だと明後日やで」
「でも、結構冷えてきたし本当に降りそう」
トッキーがこんなミスするんだから降るだろ、と得意げに言う当真に奈帆と同じくスカウト組の水上はスマホで予報をチェックすると渋い顔をして否定した。豪雪地帯出身の奈帆の勘では鳩原と同じくこの冷え込みなら夜にチラつくだ。
豪雪地帯で生まれ育った奈帆にとって雪は特別なものではなく、せいぜい身体が冷えるから長く走れなくて困るくらいのものだが温暖な気候の三門市では違うようで先ほどからチラホラと雪について話している声が聞こえている。
「奈帆は降ると思う?」
「急に気温下がったし降るんじゃないかな?」
「お、優秀だな天候の予測も狙撃手には大事だからな」
「換装したら関係ないやろ、銃も"本物"ちゃうし」
「いいや、大有りだぜ」
「雪や雨だと視界が悪くなるから意外と影響あるよ」
たしかに水上の言う通りトリオンで構成された戦闘体もボーダーで使われている銃も気温や気流の影響は受けないが、鳩原の言うように戦闘員自体は天候の影響を受ける。
攻撃手や銃手なら戦闘体で強化された脚力があっても慣れていなければ雪で足を滑らせることもあるだろうし、狙撃手なら鳩原の言うように視界不良に悩まされることになる。
「たしかに、うち全員気にせえへんから忘れとったけど影響意外とあるわな」
「生駒隊は…うん、全員あんまり影響なさそう」
「隠岐は脚元関係ねえしな、うちの隊長は天候荒れてる方が罠目立たなくていいらしいけど視界が狭まるのがな」
「私も雨と雪は嫌かな〜、オペレーターも結構大変って言うね」
「シンプルに仕事増えるもんな」
「生駒隊は人数多い分大変そうですね」
小さい頃攻略本を見ながら二つのゲーム機を操作していた従姉妹の柚宇ならあまり慌てることは無さそうだ。というか奈帆は柚宇が焦っているところを見たことがない、奈帆もだが良くも悪くもマイペースな性質だ。
ポジションが同じ隠岐と従姉妹と同級生の水上しか面識がないが生駒隊も恐らく同じ性質の人達なんだろう。神経質な隊に行ったら大変かもしれない、奈帆はあまり几帳面とは言えない。
B級向けの書類に記入しながら奈帆は今後のことをぼんやりと考えた。固定給が無いとはいえ通常の任務をこなせば高校生のバイト分くらいは稼げると烏丸は言っていたし、奨学金も無事に審査を通過した。ビジネスホテルのようだった部屋も先輩たちのおかげでそれなりの生活感が出てきた。あと2ヶ月待てば高校生になるのでバイトも出来る。
奈帆の生活は大丈夫、でも家族はどうだろう。
短大を卒業してそのまま結婚した為就業経験が無い母、そんな母の趣味が詰め込まれたチロル風の家に1人で住む父、意図せず家庭を壊してしまった繊細な兄はこの冬を越せるんだろうか?
本部の外では奈帆の予想通り雪が舞い始めていた。故郷より暖かい三門市とはいえ春はまだ遠い。
櫻葉唯 19歳
太刀川と同期の女子大生。星輪出身のお嬢様で見た目は女子アナ風の美人だが気が強く短気なので攻撃手界隈では太刀川より恐れられている。辻ちゃんははっきり喋れとキレられて以来怯えている。
スコーピオンと拳銃でマスタークラスを持つ短距離専門の万能手で戦闘面ではちゃんと優秀。