イスタ家に到着したのは夕暮れ時だった。
「来てくださったのですね、ギルさま!」
ローナは出迎えるなり俺に抱きついた。
「さぁギル様、こちらです」
手を引かれながらイスタ家の屋敷を歩く。
さすがは賢者の一族。メイジーの屋敷も広いが、ここはそれよりも一回り大きい。
「お疲れでしょう?今日はもうこのお部屋で休んでください」
「なんか……随分かわいらしい部屋だな。誰かの部屋なんじゃないのか?」
「かわいらしいだなんて……わたくしのお部屋を気に入っていただけてうれしいです!」
「待て、じゃあお前はどこで寝るんだ」
「もちろんここですよ」
見るとベッドは1つしかない上に、一人用のサイズだった。
「あのベッドじゃ狭いだろ」
「はい!密着できますね!」
ローナはなにかを想像したらしく「キャー」と言って照れたように顔を手でおおった。
確かに俺はローナの婚約者だ。
だが今は、ローナが想像しているようなことはできない。
俺たちの婚約はイスタとメイジー、両家のメリットの上で成り立っている。
今回俺は、イスタ家の計らいでメイジーの屋敷を抜けてきた。
それについてメイジー家がどう動くのか見るまでは、うかつなことは出来ない。
「いや、他の部屋にしてくれ。客室なら空いてるだろ」
そう言ってローナの部屋を出ようとする。
その瞬間……
「グラビティ」
俺は強い力で床に押し付けられていた。
「お……お前……それ魔術……使えたのか……!」
「はい、使えます。今まで嘘をついていてごめんなさい」
意味がわからない。
魔力を持たないなんて嘘は、魔術師にとってはなんのメリットもない。
どこへ行っても白い目で見られ迫害されてきたはずだ。
ローナも魔力がないならまだしも、賢者の一族が俺みたいな魔力のない人間と結婚するなど許されるはずがない。
「お前、分かってるのか!魔力がないやつとの結婚なんて……ガッ!」
俺の話を遮るように、ローナは魔術を強めた。
「もうっ、抵抗しないでください」
しゃがみ込んで俺の顔を覗く。
「安心してください。ここはこの国唯一の賢者であるイスタ家の領域。どんな魔術師も手出しはできません。それにメイジー家のように、あなたを外に出すなんて間抜けもしませんから」
魔術師同士の攻防は、お互いの領域をぶつけ合うかたちで行われる。
そして魔術師にとって、屋敷は最も力を発揮できる領域だ。だからその屋敷の主である当主は大きな権限を持っている。
賢者の領域に手出しできる魔術師など存在しない。
重力魔術はとかれ、体が自由になる。
俺が抵抗する意思を失ったと判断したらしい。
「何が目的なんだ。魔力のない俺なんかに、なにをしたってお前にメリットはないだろ」
「愛に損得を持ち込まないでくださいよ!それに目的だなんて……夫婦がすることなんてひとつじゃないですか。言わせないでください……!」
愛だの恋だのという規模の嘘ではない。ローナが魔法を使えないということを、イスタ家が組織として隠していた。
「昔ギルさまが、寒そうにしていたわたくしにマフラーを巻いてくれたのを覚えていますか?」
「な、なんだよ急に」
「ギルさまがマフラーを巻いている最中、わたくしはギルさまの匂いに包まれ初潮を迎えたんです」
いったい何の話をしているんだ。
ローナはうっとりとした顔で話を続ける。
「初めて自慰をしたのはその晩です。部屋の鍵を閉めて、睡眠も取らずにずっと想像にふけっていました。気づけば70時間も経っていました。おかげで使用人や家族に心配されちゃいましたよ」
ローナは最後に「てへっ」といって舌を出した。
彼女の言いたいことが、なんとなく分かった。
「イカれてる」
「ち、違います!イスタ家の人はあまり寝ないんです!」
「違う……そうじゃない」
ローナは「何が目的だ」という俺の問いに答えただけだ。
これから彼女が何をするのか、その話をしている。
「わたくしは恐らく、自慰行為の時と同様に70時間以上ギルさまを犯し続けます。本物のギルさまを相手にするので、その時間で済むかもわかりませんけど」
そんなことをいつもと変わらない笑顔で楽しそうに話す。
いつも通り。それはこの言葉をごく自然に発したということだ。
こいつはエリザなんかよりタチが悪い。
何を考えているか全く読めず、下手な選択をとれば何をされるかわからない。
「うーん……でもよく考えたらギルさまの言う通り、今すぐという訳にはいきませんね」
ローナは何かを思い出したかのように俺から離れる。
「3日間部屋にこもるわけですから、それなりの準備がいりますよね。それにギルさまも長旅で疲れているでしょうし」
口元に指をあててしばらく考えた後、「今日はやめておきましょう」と言った。
その後使用人に案内され、俺は客間で休むことになった。
今日は何もされなかった。ただそれだけだ。
置かれた状況は変わっていない。
ローナが準備をすませるまでに、この屋敷を出た方がいい。
結局メイジー家にいた時と何も変わらないじゃないか。
ここを出たら後は、もう魔術師と関係のない世界で生きてやる。
~~~~~~~~~~~
部屋の扉が叩かれこんこんと軽快な音が鳴る。
「おじいさま、ローナです」
「入れ」
彼女は孫娘のローナ。
ローナは彼女の母親によく似ている。
柔らかい金髪も、いつも和やかに笑っているところも。
しかし中身は違う。
私は賢者という肩書きを持ち、この国最高峰の魔術師イスタ家の当主。
だというのに……この娘を恐ろしく思う。
「ギルさまが無事に屋敷につきました。馬車の手配ありがとうございます」
「そうか。無事についたならなによりだ」
メイジー家は魔術師の名家。
本来ならメイジー家とは良好な関係を築くべきだ。今回のように騙すようなことをするべきではない。
だが仕方あるまい。
この化け物が人間らしさを保っているのは、ギル·フォード·メイジーがいるからだ。イスタ家の安寧を保つには彼が必要なのだ。
ローナ·イスタ。
なぜこんな化け物が我が家から生まれたのかはわからない。
ローナはそれはもう可愛らしい赤子だった。
そして泣くこともなく、まるで手が掛からなかった。
兄や姉、使用人たちからもかわいがられていた。
しかし少しづつ彼女の異変に気づく。
ローナは3歳になっても一言も言葉を発さなかった。
そして魔導書ばかり読んでいた。
しばらくしてローナは魔術の実験をするようになった。
3歳で魔術が使える人間などありえない。たとえ使えたとしても体への負担が大きすぎる。10歳になるまで魔力の検査が禁止されているほどだ。
それなのにローナは、いとも容易く魔術を使っていた。
そして悲劇が始まる。
被害者は11人。
ローナが7歳になるまでに、彼女が行った魔術の実験で死亡した使用人の数だ。
イスタの屋敷は私の領域だ。
本来はそのような強力な魔術を行使できるはずがない。
だが彼女は自室の領域のみを書き換えていた。
固有魔術だった。
ローナは魔術を書き換えることができたのだ。
長年生きてきたが、そのようなことができる魔術師など聞いたことがない。
いったいどういう経緯でこんなものが生まれてきたのか、想像もつかない。
人の命を物のように扱う彼女を、屋敷の者たちは恐れた。そしてローナは影で『化け物』や『悪魔』と呼ばれるようになった。
ある日、ローナは7歳にして初めて言葉を発した。
彼女の第一声はこうだった。
「おじいさま、魔力を消してほしい人がいるの」
初めて聞く孫娘の声は、透き通るようなかわいらしいものだった。
しかしその内容は、私に禁術を使うよう促すものだった。
「は、初めてだな。ローナと話すのは。それでどうした?いじめられたか?」
「いいえ、違います。ギル·フォード·メイジー、私はあの人が欲しいのです。だから彼の魔力を封印してください」
ギル·フォード·メイジー。
確かメイジーの分家の倅(せがれ)で、ローナよりも2つ年上だったはずだ。
先日のパーティーでローナと一緒にいた少年。
ローナが誰かと一緒にいるところなど初めて見たが、まさかここまで気に入っていたとは。
しかしなぜローナは彼の魔術を封印してほしいなどと言うのか。
それが気になって、ギル·フォード·メイジーという少年を調べた。
なんということだ。
ギル·フォード·メイジーを調べたことで、ローナの考えが見えた。
彼は本家の娘であるエリザ·ウィズ·メイジーと良好な関係を築いていた。
それこそローナの入り込む余地などないほどに。
お互いの親も、2人を婚約させようとしていた。
しかし片方に魔力がないとなると、話は大きく変わる。
魔術師の家では魔力を持たないものは忌み子(いみご)として扱われる。
もちろん名家の魔術師との結婚など不可能となる。
つまりローナの目的は、ギル·フォード·メイジーとエリザ·ウィズ·メイジーの仲を引き裂くこと。
そして私にも脅しをかけたのだ。
言葉を使うという人間らしさを見せた。
これはギル·フォード·メイジーさえ手にいれれば、後は人間らしく振る舞うという意思表示。
ギル·フォード·メイジーは化け物の抑止力である。
私はローナの言葉を聞くしかなかった。
もう屋敷の半分は、彼女の領域へと書き換えられていた。この家の次期当主は間違いなく彼女だろう。
一人の少年を犠牲にし、家族を守ると決断した。
そうして私は、まだ9歳だった少年の魔力を封印したのだった。