豪勢な夕食の後、存分に腹を満たしたシンボリルドルフとエアグルーヴ、そして沖野。ウマ娘である自分達の腹を満たすに相応しい量と素晴らしい味わいはトレセンのカフェテリアでの食事にも引けを取らない。そしてグラハムの言っていた通りの鮎の塩焼きは実に美味しかった。そんな幸福に満ちた満足感に包まれながらも、皇帝は一人、縁側に腰を落ち着けながら満天の星空へと瞳を向けていた。この光景もきっとグラハムの心を掴んだ一つなのだろうと思いながらもチェイスの事を考える。
「警察官……確かに立派な夢だ、だが如何してそれを夢見たのだろうか……」
彼女とて、全てのウマ娘が幸せになれる時代にしたいという壮大な夢を持っている。それはある種、名門であるシンボリに生まれた彼女だからこそ抱く夢。様々な教育を受けたであろう彼女が心の底から抱いた途轍もない夢だ、ならばチェイスのその夢はどんな物なのだろうかというのも気になる、如何してそういう夢を抱いたのか。そんな思いを星空に映しながらひたすらに思案する中でお盆の置かれる音に耳が反応して隣を見るとそこにはクリムが居た。
「Good night.実に良い夜だ、如何だい月見酒とはいかないが月見茶でも」
「御相伴させて頂きましょう」
お盆にあるのは唯の麦茶だが、酷く美味く感じられた。矢張りこの星空の景色故だろうか。
「済まないね」
唐突に謝罪するクリムに理解が及ばない。彼らは何か自分達に謝る事などしていない筈、だが思ったが言葉の続きを聞けば納得がいくものだった。
「私達は余りにもウマ娘の事を知らなさ過ぎた、君達の事を侮辱してしまったに等しい」
「お気になさらず、と言いたい所ですが正直なところを言ってしまえば少しショックでしたね。私は自分が有名だという自覚がありましたが、まさか此処まで知られていなかったというのは……今思えばそのような考えは傲慢なのかもしれません」
「全く以て返す言葉がない。如何にも私はウマ娘の娘を育てる親としては不合格だろうからね、お詫びに何か聞きたい事があれば応えるとしよう」
そう言われると矢張り聞きたい事がある、無論チェイスの事である。
「クリムさんはチェイスを中央にスカウトする事に反対しないのですか」
「私はあの子が行きたいと思うならば行かせてあげたいとは思う、何せあの子の人生だ。好きなように生きればいい、別に直ぐに警察官にならなくてもその前に様々な事を経験する事も為になる」
「では、何故警察官になろうと思っているのでしょうか」
応えてくれるという言葉に甘えるように夢の理由を尋ねてみる。それに一瞬クリムは口を噤んだ。人のよさそうなクリムは僅かに沈黙を作ったまま、空を見上げてから許しを貰うかのように誰かの名前を小さく呼んだ。ウマ娘の聴力からはそれは当然聞こえてきた。
「―――構わないね。進ノ介、霧子」
その名前に首を傾げるよりも先にクリムは言った。
「単刀直入に言えば―――チェイスは私の娘ではないのさ、私の親友の娘なんだ」
「何ですって……?」
本当の娘ではない、それに本当に驚いた。出会って直ぐだが、チェイスは心からクリムを敬愛しているように見えるし夕食の時には沖野やクリムにビールの御酌もしていた。その時の笑みなどは本当に親子の物だった、だが改めて思い返せばチェイスは必ずクリム父さんと名前を付けて呼んでいた事も思い出す。
「本当の父の名は泊 進之介、そして妻は泊 霧子。二人とも素晴らしい警察官だった」
「では彼女はご両親に憧れて」
「Exactly.この天倉町では有名なコンビでね、サボり魔だがギアが入ると誰よりも頼もしい進之介と真面目でお目付けであった霧子は最高のパートナー同士でね。二人が結ばれるには時間はかからなかった」
「成程それなら憧れるのも―――……っ」
「ああ、そういう事さ」
そんな素晴らしい両親に恵まれている筈なのに今はクリムの元にいる。つまりそれは……そういう事なのだ。既に進之介と霧子の二人はこの世を去っている。警察官として素晴らしい働きをした、銀行強盗が人質を取った場に居合わせた二人は即座に逮捕を試みて見事に逮捕したが……最後っ屁とも言える強盗が発砲した銃弾を受けて致命傷を負ってしまった。
「私は機械工学が専門だが犯罪心理学にも精通していた、故に警察には出入りしていたし進之介達とも仲が良かった。チェイスの事も可愛がっていたよ」
チェイスは一人残された、霧子には弟がいたがアメリカに渡っていた為に直ぐには戻れなかった。その間だけチェイスを預けるつもりだったが……チェイスはその時に知ったのだ、父と母がどれほどまでにこの町に貢献して町を愛していたのか。絶え間なく町の人々が自分を訪れて励ましの言葉を送ったり、お菓子をくれたり、気分を晴らす為に遊ぼうと誘って来てくれた。街の人たちが、いや天倉町全体が思ったのだ、この町の為に命を落とした二人の代わりに愛してあげようと。
「そしてチェイスはアメリカに行く筈だったのだが……チェイスはそれを拒んだ。父と母を愛してくれたこの町に恩返しをしたいと、自分も警察官になって父と母と同じようにこの町の為になりたいとね」
「―――……素晴らしい想いですね、私でもそんな風には思えるかどうか」
当時のチェイスは僅か4~5歳、そんな幼い少女にそこまで思わせるほどにこの町は彼女に無償の愛を注いでくれたのだ。だから彼女はそれに応えようとしている、警察官になって立派になった姿を皆に見せてやるんだと思っているに違いない。
「では、中央にスカウトするというのは無粋……だったかもしれませんね」
「そうとも言えないさ」
思わず目を丸くしながらも耳を動かしてしまった。養父としてチェイスを育てて来たクリムとしては良くも悪くも自分の可能性を確かめる事もなく、道筋を決めつけてそこに走るという事をしてしまった娘に対して勿体ないという思いがある。愛郷心が強い為に基本的に町に居続けているチェイス、だが一度はこの町を離れるべきだと思っている。
「あの子の原動力はこの町の為、警察官になりたいというのもこの町への恩返しをしたいという想いから。だが警察官になる事だけが恩返しではない、他の方法なんて幾らでもある。私はもっと世界を見て欲しい、まだまだ知らないことはいっぱいあるんだ、それを知ってからこの町の為に動いても良い」
正しく親心だ、子供の為を想って旅立たせてやるべきだとクリムは思っているのだろう。今回のスカウトはいい切っ掛けになるとさえ思っている、それを聞いてシンボリルドルフは改めて向き直ると頭を下げた。
「お気持ち確りと受け取りました、沖野トレーナーが戻ってきたら改めて話を詰めさせて頂こうと思います」
「ああ勿論だとも、だが問題は君達がチェイスを口説き落とせるかにかかっている。頑張りたまえ」
「誠心誠意、誠実に」
そして、彼女はグラハムによって近場の温泉施設うららから戻って来た沖野と共に改めてチェイスのスカウトを再開するのであった。