音速の追跡者   作:魔女っ子アルト姫

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第7話

天倉町の朝は霧とともに始まる。盆地である天倉町には冷やされた空気が霧となって重くなり、盆地へと溜まる。なので基本的に早朝には霧が起る、冷たい空気が肌に触れ、息を吸い込むと身体の中にもそれが浸透する。同時に意識が鋭くなっていく、まだわずかに残っていた眠気が消え去る。

 

「随分と朝早いんだな」

「おはようございますエアグルーヴさん、私にとっては何時もの事です」

 

振り向いてみるとそこにはまだ何処か眠たげだったが、霧の冷たさで目が覚めたと言わんばかりのエアグルーヴとシンボリルドルフがそこにいた。そこまで深くはないが町全体を包み込んでいる少しばかり濃い霧を新鮮な目で見つめている、天倉町は別名朝霧の町とも言われる程に霧は身近な存在。寧ろ霧が無いのは余りイメージが無い。

 

「走るのかチェイス、良ければ一緒に行かせて貰えるかな。沖野トレーナーは兎も角、私達はリフレッシュ目的でこの町へきている。その町を走ってみたい」

「構いません。ですが遅れないように気を付けてください」

「霧に惑わされるな、という事か」

 

それもあるが、以前の沖野のように道を間違えると途端に沼に嵌る。地元民ならば問題ないが余所者ならば確実に迷子になる、そうなると探すのは面倒臭い。なので町に慣れていない者からすれば似たような道が多いこの町と少し濃い霧は最悪なのである。一緒に走るのは構わない、だが着いてくるなら遅れるなと遠回しに言ってきたのだ。皇帝と女帝相手に。

 

「たわけ、余り私達を舐めるな……と言いたい所だが、お前にはその意味が分からんか。ならば走りで見せるのみ」

「それも一興。それにスカウトと言っておいて君の実力を全く知らずにいる、故に見定めるつもりで私達も走るとしよう」

「では行きましょうか」

 

その言葉と共にチェイスは走り出す―――が、それは想像よりもずっと速かった。初速から40キロは出ているような速度で走り出した、それに驚きこそするが二人もそれに遅れる事もなく続いて行く。トゥインクル・シリーズで活躍したウマ娘が昇る事が出来るドリームトロフィーリーグで活躍し続けるウマ娘だ、レースのレの字も知らないウマ娘に置いておかれる事などあり得ない。

 

霧の中に木霊する足音、他のウマ娘も走りこそするが流石にチェイス程早起きして走る者はいない。彼女は基本的に3時半には目を覚ます、それは長年の習慣化なのか、それとも目的があるのか目覚まし無しにその時間に起きる。そして走る、それをずっと繰り返している。何故かと言われたらウマ娘だから、というしかないかもしれない。

 

「成程、中々に走り甲斐があるな!!」

「そうですね!!」

 

舗装された道路を越えて川沿いの道へと移行したチェイスを追う二人、状態の悪いアスファルトの道はダートのコースよりも性質が悪い。凸凹していたり罅割れも酷く偶にバランスを崩しそうになる。そんな道を先導しながら走り続けるチェイスは走り慣れているから一切ブレない、それ以上にフォームも綺麗で体幹も素晴らしい。

 

「(沖野トレーナーは僅かに見たというだけでチェイスの才覚を見抜いたのか……彼も凄まじいな)」

 

そんな才覚を持つチェイスはラストのコースへと入った、がそれを体感した皇帝と女帝は思わず息を荒くした。何故ならばそれは完全な山道、道路の状態もそこまで良くないのもあるが頻繁にカーブが顔を覗かせて身体を大きく振られる。右カーブかと思ったら直後に左カーブだったりと滅茶苦茶なコースが山を登る坂道。本当にきつい。

 

「エアグルーヴ、大丈夫か……!?」

「大丈夫、です会長。まだまだ行けます!!」

 

声高に返事をするエアグルーヴ、息こそ荒いがまだまだ覇気もある。息は荒いのは自分も同じだが、まだ自分の方が余裕があった。だが、このコースは想像以上にキツい。坂道は平地に比べて3倍の負荷が身体に掛かると言われている、そこに道のコンディションの悪さとカーブがそれに拍車をかける。中山レース場の心臓破りの坂と言われる急坂が、この道に比べたら何処が急なんだと思いたくなる。

 

「(チェイスは、息一つ乱していないというのに……!)」

 

単純な慣れと熟知しているという精神的な優位性もあるだろうが、それでもチェイスの身体が素晴らしいというのは言うまでもないだろう。日本のウマ娘界において最高と呼ぶ者もいるシンボリルドルフとトップクラスに座するエアグルーヴ、その二人よりも平然な顔をするのは他の者が見たら驚愕するに違いない。そう思っていると漸く長い長い山道は終わりを告げた。高台の展望台、休憩スペースもありそこに入るとチェイスも脚を止めた。

 

「お疲れ様です。此処で休憩しましょう」

「わ、分かった……」

「ふぅっ……」

 

思わず膝に手を付きながら呼吸を整えるエアグルーヴと空を仰ぐようにしながら深呼吸を繰り返して身体の中に籠った熱を出そうとするシンボリルドルフ。それに比べて平然としながらも何処かに歩いて行くチェイス。

 

「会長、奴は想像以上ですね」

「全く偉そうな事を言った我々がこれとはな、トレセンに戻ったら鍛え直そうと強く思った所だ」

「同感です。自分への評価を否定するつもりはありませんでしたが、何処かそれが慢心になっていたようです」

 

世間が自分達へと向けるそれらは正当な物だと思って受け止めている、それに相応しい自分であろうと彼女らは生きてきたつもりだったが、どうやらそれに胡坐をかいてしまっていたのかもしれないと自分を戒める。それはある意味自分達の事なんて何も知らない彼女にしか出来ないものだ。

 

「エアグルーヴ。君はどう思う、チェイスは中央のスカウトに相応しいと思うかい?」

「相応しいでしょう。あの走りをレースで見たいと思う程に」

「私もだ、オグリキャップの時の事を少し思い出してしまったかな」

 

 

「これで良いかな」

 

持って来ていた財布から硬貨を出して自販機のボタンを押す。まあこれで良いだろうという安直なチョイスでウマ娘向けのニンジン風味のスポーツドリンクを購入する、尚自分は普通のスポドリ。前世の影響か、普通の方が好きなのである。というかウマ娘向けと称して何でもかんでもニンジンの味を付けるのをやめろと声を大にして言いたい。嫌いじゃないけどそこまで好きじゃないんだニンジン。

 

「流石皇帝と女帝。普通に着いて来られた」

 

流石はウマ娘レース界のレジェンドだ、自分のトレーニングコースに簡単に着いて来られた。しかも山道に入って来てからワザとペースを上げたのに余裕で着いて来られた、前にクラスメイトのウマ娘を誘ったらもう息も絶え絶えで山道に入ってから5分でダウンしたのに。

 

「ドリンク買ってきました。どうぞ」

「んっああすまない、気を遣わせてしまったかな」

「有難い」

 

汗をかいている二人は何処かちょっとエロい。健康的な汗をかいて見目麗しい美女はグッとくるものがある。自分はウマ娘で女、だけど来るものがある。まあそういう事ではないのだが……まあ男と恋愛できるのか?という疑問はある、孫位は見せてあげたいとは思うのだが……。

 

「スポーツドリンクをチョイスしましたが、大丈夫でしたか」

「塩分補給には持って来いだ。寧ろ少しガッツリ飲みたかった」

 

そう言いながらエアグルーヴは一気にドリンクを飲み干していく。おおっ一気になくなっていく、ウマ娘向けは普通のに比べて量も多い。これだって200円のℓサイズなのにあっという間に無くなった。そう思っていると何やらルドルフさんが何やらこっちを見てきた。

 

「チェイスがチョイスしてくれたドリンクという訳だな」

 

―――えっ何、ギャグ?しかもくっそ下らねぇオヤジギャグレベルのギャグでドヤ顔してるんだけど。このパーフェクトレディみたいなルドルフさんがこんな事言うの?何、なんか試されてるのか、なんかすっごいエアグルーヴさんが何とも言えない顔してんだけど何を求められてるの俺。ならば、此処であの返しをしないのはライダー好きの名折れ。返すべき返しは―――!!

 

 

「チェイスがチョイスしてくれたドリンクという訳だな」

 

また会長のあれが出た……生徒会長でもあるシンボリルドルフは高嶺の花、皇帝という二つ名も加わって完璧超人さに拍車が掛かっており後輩所か同級生にも尊敬されて気軽に接して貰えない事が多い。なので切っ掛けになればとダジャレを言うようになったのだが……エアグルーヴにはそれがあまり理解出来ず、その意図を汲み取れない自分に辟易する事があるのだが……これにチェイスは如何するのかと内心で不安にいるとチェイスのそれは予想外だった。

 

「今のは私の愛称であるチェイスと選ぶという意味のチョイスを掛けた大変面白いギャグです」

「これは参ったな、こうして解説されると中々に気恥ずかしい物なのだな」

「そして私を選んでスカウトを掛けていますね」

「驚いたな、そこまで分かるのか?」

 

まさかの乗っかりでギャグを正確に解説してみせた。流石のエアグルーヴもスカウトの事迄絡めた事とは気付けなかった。存外に会長とチェイスの相性はいいのだろうか……そう思っていると向かい側の山の頭を越えて朝日が顔を覗かせた。その柔らかな朝が霧を照らして、虹色に輝く霧は酷く幻想的な光景を作り上げていた。

 

「私はこの光景が好きなのです。なので毎日此処に来ているのです」

「美しい光景だ、確かにこれはあの道を走った価値がある」

「実に素晴らしい光景……成程、納得だ」

 

幻想的な光景、霧が作り出すこの時間にしか見れない贅沢。自然が作り上げた芸術的な風景を見つめながらチェイスはある事を問う。

 

「私はこの町の為になりたい、中央に行ったとしてもそれは出来るでしょうか」

「出来るさ。君は言っていたじゃないか、この町の魅力を感じて欲しいと。ならば君が発信すればいい、そして誇ればいい。私の生まれ故郷は素晴らしいのだと」

「……それも一つの道、かな」

 

一度瞳を閉じてからチェイスは決心する。

 

「スカウトの話、お受けします。私はこの町が私にしてくれた事を返す為に走ります」

「ああそれで構わない。それが君の夢ならばそれに全力を尽くすといい」




色んな意味でライダーネタと親和性が高い。

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