分からない。
一体、私はどうなってしまったのだろうか。
鬼がこの山に襲撃を掛けて来てから翌日、私は傷ついた身体を大人しく休めることはせず、侵入者であるこの男―暁宮 満希―と共に巡回に出てきている。
傷自体は多いものの、全体的に浅めのものが多かったため、寝たきりなんてことにはならなかったが…それでも痛いところはまだ痛む。
何故今日は休まずに仕事に来ているのか、と暁宮 満希に尋ねられた時に私は『天魔様からの言伝を伝えるために出て来た』と言って納得させた。
嘘だ。
確かに天魔様からはこの男が働く理由を教えておいてほしいと、指示を受けている。だがそれは明日の勤務終了日でよいという話であり、別に今日伝える必要は無かったのだ。むしろ鬼との戦闘の傷と疲労を取るために休んでおいて構わないと、天魔様から直々に休暇の許しをいただいていた。
先ほども言ったが、確かに身体にはまだ痛む傷があり、節々にも若干ではあるが軋みを感じてしまうものがある。そんな状態での天魔様からの休暇の認可なのだから、普通ならば素直にそれを受け取り、今日は休んでいるところだろう。
しかし、私はそうしなかった。
天魔様には『わかりました』とだけ言葉を返して別れ、今日という日を迎えた時には、私はいつも通り巡回の任についていた。
私はそこまで仕事熱心ではない…と言ったら余計な語弊が生じてしまうか。
正確には、山の巡回という今の仕事に対して熱意を持っていないのだ。どうにも私の性格と仕事の内容が合わなくて、巡回をする日はいつも退屈に感じていたくらいだ。同期でドが付くほど真面目な男の鴉天狗がいたけど、あいつは結構この仕事が好きっぽかったっけ。
まぁつまり私としては、仕事の内容にもそれなりの刺激が欲しい訳で…見回りばかりでは話し相手も居ないし、毎回同じところをグルグル回るだけで面白みが感じられないのだ。ちなみにこの事は、暁宮 満希にもばれてしまっている。
私らしくもない。
明日には伝える予定の天魔様からの言伝を、嘘までついて今日で話し伝え。
せっかくの休める日だというのに、それを伝えるためだと言って、傷ついた身体のまま仕事にやってきた。
伝える事はその日に伝えるし、休んでいいというのならば遠慮なく休む。以前の私だったらそうしていたのに、今日に限ってそうしなかった。
こんなおかしなことになってしまったのは、きっと――
「ようやく追いついた……あんまり先行されても困るぞ」
間違いなく、この男が原因だろう。
先ほどの件についてもそうなのだが、さっきからこの男と話していると何かがおかしい。
別に、いつも通り仕事の事とか話していれば特に変わったこともない。先ほども天魔様からの言伝を話したときは平常でいられたし。…だが問題は次からだ。
ためしに、もう一度試みてみる。
「あ、あのさ……」
「なんだ?」
「えっと…あの……ア、アンタの好きな………べ物って…」
「…?」
「~~~っ!!何でもないってばっ!」
「え~……何なの一体」
やっぱり。
私は仕事以外の…『暁宮 満希』という人間に関する話題を切り出そうとすると、変な事になってしまう。
聞こうとしている途中で胸の鼓動が一気に加速しだしたり、肌が熱く感じるくらいに気恥ずかしさを覚えるようになったり。まるで私自身が私の質問を妨げているようであった。
思えば私は、この男とは仕事の話以外したことが無かった。向こうからそれ以外の話題が降られてきたこともあったが、私が早めに仕事の話に振り戻すためちっとも会話が広がっていなかった。
理由は単純、別に侵入者の事なんて興味が無かったからだ。
所詮は一週間という短い付き合い。その程度ならばいろいろ聞いたところで今後の役に立つことが無いというのが、その時の私の考えだった。言葉の通り、意味の無いものだと思って。
……しかし、今は全く逆だ。
今の私は、暁宮 満希のことをもっとよく知りたいと思ってしまっている。
こんな風に思ってしまったのは記憶に真新しいので、昨日からだろうか。
確か私が鬼に止めを刺されそうになった時に現れてきて、どうして助けに来たのか尋ねて、向こうも答えてくれて――。
『射命丸、下がってな』
―トクンッ。
「っ…!」
また、心臓の動きが早まる。規則的な拍から一変、徐々にその速度は増している。
アイツの言葉が、姿が脳裏に浮かぶたびにこれだ。おまけに心臓の動きが早まるだけでなく、顔全体がほんのりと熱を帯びているのも感じてしまう。
胸に込み上げてくる何か。どう形容すればよいのか分からないが、今の私は少なからず戸惑いを感じている。
本当に…私はどうしてしまったのだろうか。
「おい、どうかしたのか?さっきから黙りっぱなしだけど」
……原因。
そうだ、改めてよーく考えてみなさいよ私。どうして私がこんな風になってしまったのかを。
さっき自分でも言っていた筈だ、私が昨日今日でおかしな様子になってしまったのは、暁宮 満希が原因だろうと。
私は更に分析を始めてみる事にする。何故取り留めのない質問するだけだというのに気恥ずかしさを感じてしまっているのかを。
もし私から仕事と関係の無い話を切りだしたらどうなるか……。
『趣味?え…いやちょっと、なに急に仕事以外の話持ち込んでんの?』
『好きな食べ物って……別に聞く意味ないだろ』
…って感じで馬鹿にされそうな気がする。
という事は何?私はこいつがこういう反応してくるのが嫌だから、変に口ごもって質問できなくなってるっていうの?
…そう考えると、なんだかだんだん腹が立ってきた。私の普段の調子が、こいつの反応が怖くて乱されてると思うとムカムカと胃が騒ぎ出してくる。
「…なぁ射命丸、やっぱり具合が悪いなら休んでてても――」
「うっさい、この馬鹿」
「俺、罵倒されるようなことしたっけ!?」
してる…というかする可能性があるのよ。もしアンタが私の予想する反応をしようとしなければ、さっきまでの動揺や今の怒りも湧きあがる事が無かったのに…。
ふと、ここで私はその考えに自ら水を差す。
ん?でも私の予想してる反応って、別に確定事項ってわけじゃないのよね。あくまで私がこの男はこういう反応をしてくるだろうって考えてるだけで、暁宮 満希自身は現状悪い事をしていない。寧ろ私が先走ってそう考えてしまっているだけで……。
…なんか訳がわからなくなってきた。じゃあ悪いのは私で、今の私は暁宮 満希に八つ当たりをしているって事になるの?
「なぁ射命ま――」
「今考え事してるのよっ!邪魔しないでよ、馬鹿!!」
「…ごめんなさい」
あー……また良く分からなくなっちゃった。
――――――――――――――――――――――
そんな感じでやり取りをしている内に、時刻はすっかり昼時を迎えていた。
傍から見たら私が怒鳴ってる光景が頻繁だったと思うけど…ちゃんと見回りはしてたわよ?
まぁそれはどうでもいいとして、私と暁宮 満希はいつも通り中央集会所の食堂に足を踏み入れる。
中の様子については、怪我人が居る影響で普段よりは人数が控えめな印象を受けるが、それでも食事の時間帯であるからか人数は十分にある。やはり、主となる食事場は格が違うと言ったところだろうか。
ひとまず、手前の席が空いている事を見つけた。態々奥に行く必要も無いし、今日はさっさとそこに座ってしまおう。
「ほら、そこが空いてるから食事を取ったら直ぐに座るわよ」
「ああ、分かった……っていうか俺ってここで飯食っても大丈夫なのか?」
「その心配も無いわよ」
確かに4日目の昼頃、暁宮 満希は茂武副隊長の目論見のせいでここでの昼食をとる事が出来なくなっていた。奴が裏で『人間に食事を提供するな』と従業員に脅しをかけたからだ。
しかし、もうその心配をする必要はない。その事を聞いた天魔様が直ぐに茂武副隊長が出した指示を解消し、誰でも食事をとることが出来るように取り計らって下さったのだ。これでもう茂武副隊長はくだらない企みを立てることが出来ない…とは言っても、明日になれば暁宮 満希もここを去る予定だからどちらにせよ無駄なのだ。
…明日、か。明日になれば、この男はもうここにはいないのね…。
気付けば私は、ジッと隣にいる男の顔を見つめていた。
当然、向こうは私が見ている事に気付いたようでこちらの方を見返してくる。
「……俺の顔に何かついてるか?」
「いいえ、何も。っていうかアンタ、料理選ぶの早いんじゃない?」
「まぁ美味そうな物から手を付けていったら盆がいっぱいになったしな…それにお前がまたボーっとしてたから早く感じたんだと思うぞ」
こちらに少し気を遣うような視線が送られてくる。どうやらまだこちらの体調がすぐれていないんじゃないかと心配してるみたいだ。
誰の所為でこうも考え事させられてると思って……と心の中で一人事を呟きつつ、『大丈夫よ』とだけ言うと私も料理を選り取り始める。
どれにしようか迷うけれど…ま、無難に魚料理でもとっていこうかしらね。
「おぅおぅそこの人間っ!!よくもこの俺に恥をかかせてくれたなぁ!」
唐突に食堂全体にかけて響き渡る怒声。
一部の天狗は何だ何だと慌てていたり、その声の主の姿を見た途端萎縮してしまう者もいたりする始末。
…折角昼食選びに入ろうとしていた所だったのに。
沸き起こる苛立ちと共にそう思いながら、私は怒声を発した張本人に対して冷ややかな視線を送りながら、そちらの方を見る。ぶっちゃけて言うともう誰の仕業か知れているので見る必要はないが、単に批判の視線を送りたかった。
案の定、今日の朝から天魔様に叱られていた副隊長(笑)、茂武であった。
余程お怒りのようで顔が般若のような勢いで歪んでおり、新米の天狗なんかはそれを見て小さく悲鳴を上げていたりするが…。
「昨日てめぇが出しゃばったせいで俺のやったことがばれちまってよぉ…大人しく森の中でぶるぶる震えてたら良かったものを…!!」
うん、小物臭い。
事情を知らない者が今の発言を聞いたら『あの人間、一体副隊長になにをしてかしたんだ』と思う事だろう。奴の発言は、暁宮 満希が一方的に悪いという方針で話されているのだから。
しかし事実は全くの逆。副隊長は天魔様からの命令を無視した上に、暁宮 満希に至っては悪いことなどしていない。それどころか、天狗たちが束になっても倒せなかった強力な侵入者の撃退という功績を上げているのだ。今の副隊長(笑)の立場は、完全な八つ当たり行為に過ぎないという事である。
これを小物と言わずとして何というだろうか。三流?愚劣?…やっぱり小物が一番似合う。
「…いや、完全にアンタの自業自得だろ」
怒り心頭の茂武に対して、暁宮 満希の方はというと……言わずもがな、相手に向けるその視線は冷ややかなものだった。おそらく考えていることは私と大体同じなのだろう。この男の言葉はまさに事実なのだから、そんな冷たい眼になっても無理はない。
まぁ当然、その言葉だけで解決するわけでもなく。
「てめぇ…調子乗ってんじゃねぇぞぉ!!」
無造作に放たれる、茂武の蹴り。その標的は言うまでも無く、正面の暁宮 満希。
茂武は怪我人。向こうの怪我の具合など興味も無いので知らないが、それでも従来通りの満足な威力の蹴りが放てるような状態ではないのは確かな事。そんな蹴りが鬼と渡り合い、ましてや勝利した者に通用するなど不意打ちが成功する以外にはありえない話だろう。
事実、暁宮 満希の実力ならこの程度の蹴りは避けるなり受け止めるなり、無傷で済ます事など容易な筈だ。わざわざ注意の言葉を掛ける必要も無いし、そもそも介入する意味も無い。
そう…傍にいる私が割って入る必要など、どこにも無い。
「…っ」
「おい射命丸ちゃんよぉ…一体何のつもりだ…!!」
それだというのに、一体どうしてしまったのだろうか。
私の身体は両者の間に割って入り、茂武の繰り出した蹴りを手で掴んで受け止めたのだ。
この行動に対して茂武は更にその表情に怒気を浮かべ、背後にいる暁宮 満希の顔は見えないが、きっと驚いているに違いない。周りの皆も、この光景に茫然とするしかなかったようだ。
かという私も、自分自身の行動が不意だったために頭の中で処理が追いついていない。自分で動いて起きながら、必要も無いのに暁宮 満希を助けたということを。
まぁ、今はこの状況を纏めておかないといけないか。
「アンタ、また天魔様からお説教を受けたいの?そもそもこの男は天魔様の命で身の安全を約束されてるのよ。もしまた命令違反をするとなれば…」
「うるっせぇ!!上の命令なんて今は知った事じゃねぇ!俺はコイツを殺す、それだけだっ!」
かつての軽薄な態度はどこへやら、今の茂武の様子は怒り狂う野獣と何ら変わりが無かった。これまでの経緯から、化けの皮が剥がれたという事かしら。どうでもいいけど。
それにしても、『殺す』とまで来たか……。
最初から穏やかな話ではないと感じていたけれど、随分と殺伐な展開に発展したものね。周りの皆なんて、先程からの茂武の言動についていけてないようで、未だに唖然とした状態だ。まぁいきなり暴れられた上に物騒な物言いもされればそんな反応にもなるだろう。
「…アンタ、今の自分の姿を水面で見てみなさいよ。完全に小物のソレよ」
「~~~っ!!」
あ、キレた。もう頭に浮き上がってる血管とかがヤバい、物凄く太いのが浮き出ている。
それに既に体も動かしてきている。私に向かって勢いよく拳を振るっている様が、視界に映っている。
「げふっ!?」
まぁ、やぶれかぶれの攻撃なんて楽に対処できるのだけれど。
蹴り。
私は茂武の拳が届き切る前に奴の腹部に目掛けて蹴りを叩き込み、吹き飛ばしたのだ。ちなみに履いているものは一本下駄…どれくらいの威力となるかは察してもらえれば分かる。
「…結構吹っ飛んだな」
「それなりに強く蹴ったしね。…っていうか殺されそうだったって言うのに、随分余裕そうね」
「昔は色々あってな」
ふぅん、とだけ言って、私は再度料理を選び始めることにした。結局まだ一つも選べていないのだから、さっさと決めてしまおう。
その『色々あった』とはどんなことなのかを聞いてみよう、と胸に考えながら。
「あ、あのさ…さっきの、その……」
「…最近どもってばかりじゃないか?」
結局、また緊張して聞くことが出来なかった。ああ、もう……。
――終
次回、『天狗山の激闘編』最終話!