約束の日、村長の孫娘が妖怪の生贄として差し出される夜が訪れた。
既に太陽は沈みきっており、代わりに月の光が周囲を照らしている。夜独特の静けさが漂っており、これから起こる事態の前触れとは思わせないほどの落ち着きぶりである。
もっとも、これから起こるのは血生臭い生贄の時間などではないが。
俺は宿場として昨日から利用させてもらっている集会所の入り口前で、紫と今回の件について相談をしていた。
内容は、今回の妖怪騒動を鎮めるための作戦確認である。
「じゃあ、紫の行動内容を確認するぞ。先ず紫は自分が妖怪であるとばれない様に妖力を遮断しながら、噂の妖怪の前に姿を現す。そこで向こうが村一番の美人が来たんだと油断したところで、紫はスキマで退散する」
「で、その代わりに貴方をスキマで妖怪の前に送って、そこから戦いを仕掛ける……で良かったのよね」
そう、今回紫にはフェイク役を担ってもらう手筈になっている。
紫は自称するだけあって、その容姿は美女と呼んでも何ら差支えが無いほどのレベルを持ち合わせている。村一番の美女とあれば、問題なく認められるのでこの辺りは全く問題ない。
次に妖力を完全に消して、敵に紫が妖怪であることを悟らせない様にするという事。これもバレたら作戦がパーになってしまうのだが、紫はその手の制御には自信があるという事を言っていたので、その言葉を信じさせてもらう事にした。上手くいけば、向こうは紫を村の人が大人しく差し出してきた生贄だと認識してくれるだろう。
そして、妖怪が何かしらのアクションを起こして来た時点で、俺の登場。紫は参戦させる意志を見せていなかったし、これは俺が勝手に引き受けたことなので戦闘にまで彼女を巻き込むわけにはいかない。それでも、十分に手助けさせてもらっているが。
最後に戦闘を行い、俺が勝つ。
妖怪は適当にズタボロにしたら遠くにでも置き捨てて、二度とこの近くに来れないようにしておけば問題ないだろう。
「それにしても、わざわざ罠に掛ける必要はあるのかしら?貴方も妖怪と戦えるほどの実力があるのなら、そのまま戦ってしまってもよさそうなのだけれど」
「まぁ村の人から話を聞いた程度じゃ、向こうの実力がどれくらいなのか把握できないからな。俺の方が実力で勝ってる保障も無い以上、慢心するわけにもいかないだろ」
「そういうものなの?」
「そういうものなの」
事実、妖怪は人間と比べて遥かに実力の幅が広くなっており、そこんじょそこらの下級妖怪などもいれば、紫やかつて戦ったルーミアのようなぶっ飛んだ実力をもっている妖怪だっている。
そのことを踏まえるとなると、いきなり真正面から挑みかかるよりも多少の小細工もあった方が確実性が増して有効となるだろう。今回は敵の油断を誘うシチュエーションも用意されているのだし、乗らない手は無いだろう。
……一つだけ問題点があるとすれば、スキマに入った時の感覚がキモいことぐらいか。
「それじゃあ、そろそろ行くのかしら?あまり悠長にしていると、妖怪さんも機嫌を損ねてしまうかもしれないし」
「確かに、それでこちら側に襲撃して来たら村の人たちが危険に晒されるからな。準備も済んだし、出発するか」
作戦の確認も完了。持って行く荷物も揃い済み。コンディションも問題なし。
これからの戦いへの備えはバッチリである。後は現場へ赴き、事を為せば万事解決だ。
と、俺と紫が出発を始めようとした直後……。
「ま、待ってくださいっ!」
俺たちの出発を止める声があった。
その声が耳に届いた俺たちは、揃って声のあった方を向く。
その声の主は、今日生贄に捧げられる運命となっていた子、村長の孫娘であった。
その息はやや切れ切れしており、こちらに向かって急いで走って来たのが窺えた。
「どうかしたのか?今日のことだったら、心配しなくても俺が妖怪を退治して――」
「そ、その事なんですけど……やっぱり、私が生贄になります!」
俺の言葉を力強く宣言することで遮った少女は、そのまま言葉を続けだした。
「仙人さんはたまたまこの村を通りがかっただけの御方で、わざわざ妖怪と戦うような危険な事をなさる必要は全くありません!私だけが犠牲になれば、仙人様も危ない目に遭わずに済みますし、村の人にも危害が加わる事は……!」
ちなみにこの村では、説得の影響で俺の事を仙人として認識しているようになった。諏訪子の村の時みたいに、御使い扱いされるような感覚だが……やはり第一希望は人間として普通に接して欲しい所である。
それにしても……やはり人間が出来た子である。折角自分の命が助かる道が出来たというのに、見ず知らずの俺を心配して自分だけが被害に遭おうとしているのだ。普通だったら、自分の命が助かる方を取るだろうに……マジ良い子。
といっても、そう言うわけにはいかないけれど。
「いや、それは出来ない。昨日も説明したはずだけど、君一人が犠牲になったところで妖怪はそれだけで満足するとは思えない、というかするはずがない。この村を都合の良い餌場だと捉えて、これからもずっとこんな事を繰り返すはずだ」
「っ……!わ、私が妖怪を説得して、今回だけにしてもらうように――」
「通じたとしても所詮は口約束。約束を守ってくれる保証なんてどこにもないし、そもそも約束した事すら忘れたことにするかもしれない」
「……」
完全に論破されてしまい、そこで少女は口を閉ざしてしまった。
俺は落ち込んでしまっている少女を見て軽く息を吐くと、その場に歩み寄った。
そして彼女の前に立つと、その頭を優しく撫でた。子供をあやす様に丁寧に。
「えっ……」
「俺の事なら大丈夫だ、必ず生きて戻ってくる。だから君もそんな死を選ぶような真似しないで、この先もたっぷり生き続けるんだよ。君を大切に想ってくれている人が、ここには沢山いるんだから」
「仙人……様……」
今にも泣きだしそうな表情になる、女の子。
俺は小さく微笑むと、彼女の頭から手を離して踵を返す。
そのまま歩みだし、出発を開始した。
紫も俺の歩行に合わせ、同行をし始める。
ふと。
紫は後方を、つまりは村長の孫娘がいる方へ振り返っては、振り向き直すと俺に対してこう一言。
「……罪つくりね」
「いや、何が?」
なにが罪だったのか、結局紫は教えてくれなかった。何故。
――――――――――――――――――――
村を出てから数十分後。
俺と紫は所定の場所となっている、森林の中に存在している大きな湖の手前まで赴くと、各自足を止めた。
村人からの話によると、妖怪は村から程度離れた場所にある湖に来るようにと指定したいたらしく、住処も恐らくはそこなのではないかと予測されていた。
試しに俺と紫は、先に拡がる湖に向けて気配を探ってみた。当然、身は周辺の草木に紛れ込ませており、自分の気配も極力消している。
「……確かに、大き目の妖力があるな」
「えぇ。それも抑えるような真似をせずに、素の力量をダダ漏れにしているみたいね」
そこいらの妖怪よりかは目を見張るほどの大きな気配が一つ、確認できた。加えて、湖の傍に一際大きな影が見える。
恐らくそれが、件の妖怪なのだろう。別の妖怪が何かしらのアクションを起こしているという話は今のところ聞いていないので、可能性は非常に高い。
「姿は視認できるかしら?」
「問題ない。こちらに気付いてる様子も特にはなさそうだな」
「なら、早速始めても良いのかしら?」
「ああ。頼む」
そう言うと、紫は俺から離れて別の方向から妖怪の居る場所へと向かっていった。当然、妖怪だとバレない様に隙間は使っていない。
どうやら向こうも気が付いたようで、紫の姿を確認するやいなや、その巨体をのそりと動かしだした。そして、彼女に声を掛けだした。
その間、俺は来たるべき時に備えて待機。紫がタイミングを計って俺を送ってくれるので、そこから先は俺の出番となる。
「……それにしても、紫の技量は流石と言ったところだな。こうして妖力を探ってみても、全然察知できない」
あんな器用な真似が出来る相手を、良く俺は見つけることが出来たよな。普通だったら気付けないぞ、これ。
……もしかしてあの時俺が気付けたのは、紫がワザと気配を……?
「……っと、向こうもそろそろ始まりそうだな」
少々考え事に耽っていると、既に向こうの方では着々と進行されていたようだった。
どうやら妖怪の方は紫との話を終えて、早速と言わんばかりに食らいつく構えを取り出しているみたいだ。涎が口から零れてるよ。
対して、紫の方はというと……怖がっているようだけどどう考えても演技だよな、あれ。
そして、その時がやって来た。
妖怪はスッと身を引くと、ゆっくり口を開いた。引かせていた身を一気に前方へと進みこみ、紫の肉体を食さんとばかりに迫っていった。
そして紫の身体は、妖怪の口の中へと――。
「それじゃあ、力仕事の方はお任せするわね」
「あいよ」
――入る事は無かった。
紫は妖怪の口が身に迫る直前、コンマのタイミングでスキマを展開して自分の身体をその中へと移した。只の妖怪が外部から隙間へ干渉することは不可能、よって妖怪の食事は呆気なく空振りに終わり、紫はこうして悠々と脱出を果たしたのだ。
そして、彼女と入れ替わる様に位置が変わる。
先ほどまで俺がいた場所に紫がスキマを使って現れるや否や、俺は同様にスキマを用いて、さっきまでいたその場から消え去っていった。
うわ、やっぱりスキマの中キモい。
《ぬっ!?あの小娘、急に妖力を発揮して――ぐぉ!?》
突然紫が消えたことに動揺している蛇の大妖怪に目掛けて、かかと落としを一発お見舞いしてやる。中々良い一撃が入って、内心スカッとしているのは内緒だ。
俺は跳躍飛行を用いて空中を蹴ると、態勢を上手く整えて地面へと着地する。
地面に足を着けたところで、俺は改めて目の前にいる巨大な妖怪の姿を確認する。
大木のように太長い胴体を巻いているため正確な全長は分からないが、この時点でも大蛇の頭を見ようとするとビル3~4階くらいの高さを見上げている位の高度になる。全長となれば、恐らく十数階建てのビル一軒分を超える長さになるだろう。
身の表面は普通の蛇と打って変わって、なめらかさの無い硬めの鱗がびっしりと装備されている。もはや蛇と竜の中間と言っても差し支えが無いかもしれない。
とりあえず蛇の妖怪と呼ぶ続けているのもどうかと思うので、俺の中でこの妖怪を『』と命名しておくことにする。見た目それっぽいし。
蛇の妖怪――大蛇は頭頂部に俺の足技を喰らって短時間悶絶していたが、すぐに復帰して見せると、俺の方に意識を向けて敵意と殺意を現し始めてきた。
爬虫類特有の眼光で、俺を睨みつけてきている。
《貴様か……俺様に手を出した愚かな人間は》
「確かに、お前の頭に蹴りを叩き込ませてもらったのは俺だが」
《人間風情が嘗めた真似を。先ほどの小娘のことといい、随分と都合の良い時に貴様が湧いて出て来た事といい……下等生物が稚拙な小細工を仕掛けおって》
既に俺から受けたダメージをものともしていない様子で、身を起こす大蛇。既に戦闘の用意が出来ているらしい。
「さて……いつも通りの妖怪退治だ」
『炎を操る程度の能力』を行使、腕に炎を展開させる。
では、戦闘を開始する。
――終わり