「やぁ、命蓮。相変わらず息災な様で何よりだ」
「お久しぶりです神子さん。死んだこの体に息災という言葉があっているのかはイマイチわかりかねますけどね」
笑顔で片手を挙げる彼女――豊聡耳神子に対し、命蓮も気の抜けた笑みを返す。
この日、彼女の姿は珍しく命蓮寺にあった。何故彼女が命蓮寺にいるのか、それには深い訳が存在する。
実は今日は、命蓮寺に住む者全員がとある事情で寺を開けなければならず、命蓮が一人で留守番をせざるを得ない状況になってしまったのだ。流石にそれは不味いと感じた白蓮が事前に保護者役を頼める彼を知る人物を探したのだが、今日という日は実は最悪の日だったのだ。
というのも明らかに保護者役に向いていないこころに女苑、こいしの三人は論外として、小傘は珍しく鍛冶屋としての仕事が入り、マミゾウは月に一度の狸の集会、普段臨時の保護者を務めているアリスは里への用事など、奇跡なのではと思う程に皆の予定が埋まっていたのだ。そこで偶然今日は暇だった神子に白羽の矢が立ったのだ。なお一応保護者枠として青娥も存在したが、彼女は色々不味いだろうと検討すらされなかった。命蓮にお母さん呼びをさせるというとんでもない事をしでかしたのだ。因みに白蓮はそれを知って、即座に命蓮にお母さん呼びをやめさせた。
命蓮も最初は留守番くらい一人で出来ると思っていたのだが、場合によっては日が暮れるまで家を空けることになるという姉の発言で渋々納得した。彼は人の手を借りなければトイレに行く事が出来ないのだ。キョンシーに排泄が必要無いと思ったら大間違いである。何か食べている以上、出す物は出さなければならないのだ。逆に言うとキョンシーは食が必須では無い為、食べなければその必要も無いのだが。
保護者に選ばれた理由として、彼女は命蓮と住んでいたからだ。青娥によって復活させられた時から命蓮寺の引っ越すまでの間、命蓮は神霊廟で神子達と共に過ごしていた。本来青娥は神子達と一緒には住んでいないのだが、命蓮に彼女のことを話したら強い興味を持ったのでその様な措置を取ったのだ。
命蓮は姉から与えられた知識により、豊聡耳神子――もとい聖徳太子のことは知っていたので、過去の偉人に興味を示したのだ。しかしまさか男性では無く女性だとは思っていなかったし、かの聖徳太子が姉と対立関係にあると後に知った時はかなりの驚きを見せていたが。
「何気に君とこうして二人きりになるのは初めてかもしれないな」
「そうですね。いつも神子さんとお会いする時は青娥や姉様が近くにいる事が多かったので」
「そういえば、青娥が不満そうにしていたぞ?『最近命蓮ちゃんは以前にもまして外の出掛けるようになったのに、自分の下に来てくれたことが殆ど無い。あったとしても札の交換など用事がある時にしか来てくれない』とな」
実際幾度となく愚痴を言われたのか、彼女は少し呆れた様な目で遠くを見ていた。命蓮は、少しだけ罪悪感が募った。
「だ、だって青娥は私の方から行かなくても彼女から命蓮寺にやって来ますし、しょっちゅう会うので別に行かなくても…」
「自分から行くのと向こうから来てくれるのには大きな違いがあるんだ。彼女は君の方から自分の下にやって来て欲しいんだよ」
「むぅ、そういうものですか?」
「そういうものなのさ」
不満気な様子の命蓮であったが、自分よりも人生経験のある神子からの意見だ。きっと正しいのだと信じ、それ以上反論することは無かった。
「たまには彼女に会いに行ってやってくれ。ついでに布都と屠自古にもな。あの子たちももう久しく君と会っていないと、随分寂しそうにしていたぞ」
「んー、わかりました。今度姉様と一緒に行く事にします」
「あぁ、そうしてくれると彼女達も喜ぶ」
神子は命蓮と他愛のない会話をしながらも、台所にあった茶葉を拝借し、急須に入れて二つの湯呑みに緑茶を注ぐ。普段はお茶ですら従者が用意してくれる為、こうして他人の為に何かをするというのは、彼女にとっては実に新鮮なことであった。
「ほら、緑茶だ」
「あ、ありがとうございます」
命蓮は神子から湯呑みを受け取り、コクコクと喉を鳴らしながらそれを飲む。彼女は一輪達とは違い、自分の方に積極的に話しかけて来るというのはあまり無い。一緒に住んでいた時も青娥や布都達は自分にしょっちゅう話しかけて来たりちょっかいをかけて来たりしたのだが、神子は常に適度にであった。賑やかなのは嫌いでは無いが、偶には静かなのもいいだろう。
「命蓮、君に聞きたいのだが…普段君は、白蓮とどんな事をしているんだ?」
「している事ですか?」
「あぁ。君もいきなり普段とは違う行動をするというのも嫌だろう?だから君の留守番の付き添い役を任された私が、出来る限り普段通りの君に振舞えるようにしたいんだ」
成程。確かに自分の姉もここに引っ越して来たばかりの時にいきなり環境が変わったら人はストレス?という物を感じると言っていた。ひょっとしたら今の自分も気づいていないだけで多少のストレスを感じているのかもしれない。
神子の言い分に納得した命蓮は、彼女に言われた通りに普段の姉とのやり取りを彼女に伝える。
「えっと…姉様と二人きりで過ごすっていう時間は左程多く無いんですよ。二人きりの時は…まず姉様は座布団の上に足を崩して座って、その膝の上に私を乗せて後ろから抱きかかえるみたいな体勢になるんです。
「ふむふむ、成程」
命蓮の言葉を聞いた神子は言われた通りに彼を車椅子から抱き上げ、座布団を用意しその上に座り、命蓮を膝の上に乗せて抱きかかえる。異性とこうも密着することが一度も無かった彼女にとってこの格好はそれなりに恥ずかしいものであったが、自分から言った手前やめる事は出来ない。それに命蓮はそんな邪な考えを抱かないだろうという信頼もあった。
「そ、それで、この後はどうするんだ?この体勢のまま過ごすのか?」
「はい、姉様と二人きりになる時は大抵寝る前か縁側でのんびりしている時くらいですので、殆どはこの体勢で過ごしていますよ。時たま姉様が髪を梳いてくれたり、首筋に口づけをするくらいです」
「・・・ん?」
気のせいだろうか。自分の耳がおかしく無ければ、今一般的な姉弟のスキンシップでは絶対に有り得ないことを聞いたような気がする。最近は忙しかったから疲労が溜まっていたのかもしれない。
「すまない、もう一度言ってくれるか?」
「え?姉様と二人きりになる時は大抵寝る前か縁側でのんびりしている時くらいですので、殆どはこの体勢で過ごしています、よ…?」
「違う違う、その後だ」
「えっと…たまに姉様が髪を梳いてくれたり、首筋に口づけをするくらいです?」
どうやら自分が疲れていた訳でも、耳がぶっ壊れた訳でも無かったらしい。しかしそれでも以前彼女から受けた相談のせいで口じゃないだけマシとか、襲っていないだけマシと考えてしまう自分は既に感覚が狂っているのかもしれない。それとも襲いたい衝動に駆られているにも関わらず軽いスキンシップだけで抑えている彼女を称賛するべきなのだろうか。
一先ずそれは置いておこう。問題は今自分の膝の上に座っている彼が明らかに意図的に首を傾けている事だ。恐らく自分が首筋にキスをしやすいようにとの配慮なのだろうがちょっと待ってくれ、流石にそれはハードルが高い。姉と同じことをすると言ったでは無いかという不満を言われるかもしれないが、そんなことは想定できない。神子は間違いなく天才ではあるが、変態では無いのだ。
しかし自分から白蓮と同じことをすると言ってしまったのだ。今更それを変える事は許されない。普段から高い地位にいる彼女にとって、嘘というのは最もしてはいけない行為の一つであった。大分悩んだものの、彼女は仕方なく彼の首筋に唇をつける。それはキスという程の物ではなく唇が触れる程度であったが、これで勘弁して欲しい。
そこからは特に何事も無く、二人は命蓮寺の保護者組が帰ってくるまでの凡そ六時間、一緒に昼食を作ったりしながらのんびりと過ごした。彼が姉に首筋に口づけをされたことを言わない様にと、神子は強く願うのであった。