あれから暫く時間が経ち、命蓮と白蓮の姿は命蓮寺の屋根の上にあった。
日が沈んでから大分時間が経ったが、それでも祭りの喧騒は収まる気配はない。深夜になってしまえば自分達の生活に支障が出る上に危険な妖怪などもうろつき始める為そこまで長引かせるつもりも無いが、少なくともあと二、三時間はこの熱気は収まらないであろう。
二人はその様子を高所からのんびりと眺めている。勿論屋根の上なんかに車椅子を持って行けるはずが無いので、命蓮は姉の膝の上にすっぽり収まっている状態だ。夜も大分更けて来た為少々肌寒くも感じるが、背中から感じる姉の温もりがそれを緩和してくれている。
「どうでした?命蓮。貴方にとって初めてのお祭りは」
「見たことが無い物が多くて目が疲れました。でも楽しかったですよ。知っている方も沢山いましたし」
そう言って命蓮は顔に笑みを作り、視線を姉から下へと移す。命蓮寺の本堂の屋根の上からは寺の敷地が一望でき、両親に連れられながら楽しそうに走っている自分と同い年くらいの子供や、門の近くで待ち合わせをしていたらしく手を繋いで境内を歩き始めるカップルの姿も見る事が出来た。
狭い活動範囲の中ではそれなりに多くの者と交流している命蓮であったが、人間を見ることは殆ど無い。それ故に自分の住む場所にこれ程多くの人間がいるのは新鮮だし、自分が生きていた頃もこの様な催しがあったのだろうかと考えたりもした。
昔のことを思い出していたのは白蓮も同じだった。少し肌寒い気温、祭りによる灯りでほんのり明るくなっている視界、そして近くには自分の弟がいる。彼女が思い出していたのは命蓮が倒れた日、自分が愚かな問いかけをしてしまった時のことだ。下で起きている喧騒も、ここにいては聞こえる事も無い。その状態があの日と似ていて、気づけば彼女は命蓮へと言葉を投げかけていた。彼と再会してから恐怖心故に一度もすることのなかった問いかけを。
「命蓮、あの日のこと…憶えていますか?」
「あの日?」
「貴方の体調が悪化した日…貴方が死ぬ三日前の日です」
先程までとは違い顔から笑みが消えた姉を見て、命蓮も何か大事な話をしようとしていることが理解出来たらしい。暫くの間かつての記憶を思い出している様な仕草をしていたが、やがてコクリと小さく頷いた。
「あの日、貴方が私に言ってくれたことを、私は裏切ってしまった。貴方が死んだ後に死に怯え、自分だけ逃げてしまった。貴方が死んでから、何度も夢を見たんです。私が貴方の言葉から逃げることをせず、死んで貴方の隣で永遠の眠りにつく姿を。貴方と再び再会するまで、死んだ方が良かったのではないかと思う事が何度もありました。星達がいたから死ぬことが出来ずに今日という日まで生き続けることとなりましたが」
段々と気持ちが落ち込んでいく。彼に何を言われるのかがわからないのが怖い。今すぐ彼を強く抱き締めてその恐怖を誤魔化したかったが、彼の事を抱き締める資格が自分にあるのかという思いが彼女を躊躇わせていた。冷たい命蓮の肩に手を置いて、彼女は冷えてしまった体も構わず彼に話し続ける。唇が震えているのは寒いからかそれとも恐怖故か、一体どちらなのだろう。命蓮は自分と同じ方向を向いて座っている為に今彼がどんな表情をしているのかはわからない。それが白蓮を余計に不安にさせた。
「命蓮、正直に言ってくれて構いません。貴方は…私のことを恨んでいますか?怒っていますか?私が貴方を裏切ったことを、悲しんでいますか?」
命蓮は暫くの間、何も言わなかった。肩に置かれた姉の手から、彼女の震えが伝わって来る。その静寂が何を意味しているのか、それは本人以外にはわからないことであろう。やがて彼は小さく、本当に小さく息を吐いた。
「・・・そうですね、何も思わなかったと言えば嘘になります。寧ろ貴女のことを恨みましたし、怒りもしましたし、何よりもそれらが収まってもずっと…悲しかったです」
「…ッ!」
彼の放った言葉は、彼女の心に深く突き刺さった。ひょっとしたら白蓮は心の何処かで、心優しい彼ならばきっと許してくれる、慰めの言葉をかけてくれると思っていたのかもしれない。しかし何度も言った様に彼は聖人では無い。ただ普通よりも少しだけ大人に育ってしまった、ただの子供なのだ。
「姉様、私は死んでからもずっと、黄泉の国で貴女を待ち続けました。しかし何時まで経っても、貴女がやって来ることは無かった。私は何十、何百年も一人で泣き続けました。何故姉様は私を裏切ったのだと怒りを覚えました。ただただ貴女に裏切られたことが悲しかった」
でも。そこで命蓮は一度言葉を区切り、座る体勢を変え彼女に視線を合わせる。姉と向き合う様にして座った彼は、姉と同じように、申し訳無さそうに表情を歪めた。
「ある時ふと思ったんです。私は姉様に一方的に裏切られたと思っていただけなのでは無いか。寧ろ私があんな発言をしたせいで、その言葉がずっと姉様の体に鎖として巻き付いてしまっているのではないかと。そう思ったら、怒りとか恨みとか…そういった物が一気に引いて行ったんです。姉様は私が死んでから何百年も私の言葉に苦しんでいるのではないかと思うと、怒りよりも罪悪感が募りました。姉様は生前に私のことをつきっきりで介護してくれた。自分にもやりたい事があった筈なのに、その全ての時間を私に費やして。にも関わらず私は姉様に恩返しをする所か先に死んで、しまいには姉様の事を恨む始末。そう思ってからはもう二度と、姉様を恨むことはありませんでした」
ただそれでも悲しかったのに変わりはありませんけどね。そう言って苦笑を浮かべる彼の表情には、確かに怒りというものは存在しなかった。
「ですので姉様の質問に返答するのならば、確かに嘗ては恨みも怒りもありましたが、今はもうそんなことは思っていません。貴女は死体となって帰って来た私を当然の様に受け入れ、新しい家族も与えてくれた。寧ろ感謝の気持ちでいっぱいです。でも、悲しかったという感情はずっと抱いていました。ですからもう私を一人にしないでくださいね。寂しいのはもう…嫌ですから」
「・・・えぇ、もう二度と、貴方を手放しませんよ」
そう言って白蓮は今度こそ最愛の弟の体を強く抱き締める。命蓮が言った『離れないで』という言葉は、彼女には相当重く受け止められそうだ。これまで以上に過保護になる事は確実であろう。
だがそんな事は、当の本人には知る由も無い。彼はあくまで自分の本心を伝えただけだ。今はただ、姉から返事を聞くことが出来たのが嬉しかったし、彼女が裏切る事は無いと自信を持って言う事が出来た。
「ありがとうございます姉様。大好きですよ」
命蓮は姉と目線を合わせ笑みを浮かべ、彼女にキスをする。それは唇ではなく頬への物であり、軽く唇を付けた程度の軽い物だ。しかし白蓮からではなく命蓮の方からキスをしてきたことは今回が初めてであった為に、白蓮は一瞬何をされたのかわからず固まってしまう。そして数秒が経ってから頬を赤く染め、命蓮に見られる事が無い様に彼の胸に顔を押し付けるので精いっぱいだった。彼女は弟へ攻めることはあれど、弟から攻められるのには慣れていないのだ。
彼がどういう意図を持ってその様な事をしたのかなど彼にしかわからない。しかし今日という日を境に、二人の関係はほんの少しだけ前へと進んだのは確実であろう。
この作品はこれにて完結となります。最後に命蓮が言った言葉がどういう意味なのかは、皆様それぞれで解釈してください。
短い間でしたがご愛読ありがとうございました。宜しければ評価や感想をいただけると幸いです。
ではまた次の作品でお会いしましょう。