聖命蓮はキョンシーである。
同じキョンシー仲間として同じく青娥によってこの世に戻された宮古芳香が存在するが、命蓮は彼女よりも死んだ時期が最近であった為に、彼女程脳や体に影響が生まれることは無かった。
しかし全く無いという訳では無く、生前から病弱で使うことが少なかった足の筋肉は殆ど動かせなくなってしまっていた。
故に彼には車椅子が、そして誰かの補助が生活において必要不可欠な訳である。
「・・・ん、ふぁあ…」
神子と話をしてから数日が経ったこの日、聖白蓮はいつもと同じように目を覚ました。今だ微睡みの中にある意識を使い、自分の隣にある小さな体を抱き寄せる。
スゥスゥと寝息を立てながら気持ちよさそうに眠る命蓮の顔がすぐ近くにまで迫り、白蓮は慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべる。
こうして弟の顔を見るだけで嬉しさが込み上げてくる。もう二度と見る事が叶わないと思っていたその表情も、触れることが出来ないと思っていたその体も、彼の全てが愛おしく感じてしまう。唯一彼の顔を除く度に額に貼ってある札が鬱陶しく感じてしまうが、そんなものは些細な事に過ぎない。
やはり自分は弟のことが好きなのだということを実感する。
白蓮は暫くの間彼の顔を眺めていたが、やがて自分と同じ色をした髪を撫で、ゆっくりと自分の顔を近づける。
二人の距離が段々と近づいて行き、遂にその唇が重なるかと思われたその瞬間――
「お二人とも!朝ですよ!」
襖を勢いよく開けて入って来たのは、この寺の住人であり毘沙門天の代理の妖怪、寅丸星であった。どうやら先程までこの部屋を覗いていたらしい。頬が僅かに赤くなっている。
当然それには白蓮も気づく訳で、笑みを携えながら、しかし何処か残念そうにしながらも星の方へと視線を向ける。
「おはようございます、星。覗きとは感心しませんよ?」
「お二人を起こそうとしたら偶々目に入っただけです。それより聖、そういうのは…命蓮様が起きている時にするべきだと思います!あ、相手の同意無しになど…」
「・・・それもそうですね。今度からは命蓮が起きている時に唇を奪うことにします。さぁ、命蓮。朝ですよ」
そこで一旦話を切り上げ、白蓮は未だに夢の中にいる弟の体を軽く揺する。すると命蓮は少しだけ顔を顰めた後、ゆっくりと瞼を開ける。
「姉様ぁ…えへへ…」
「(くっ…尊い!)」
寝ぼけているのか眠たそうに目を擦りながらにへらと笑みを浮かべる命蓮。その表情に白蓮は思わず気絶しそうになるが、長年の修行のお陰で何とか堪えることに成功した。
「おはようございます、命蓮様。そろそろ朝食が出来上がりますよ」
「ん…んぐぐ…!わかりました。起こしに来てくれてありがとうございます、星さん」
「いえいえお気になさらず。では私は準備に戻りますね」
そう言って星は部屋を後にする。彼女が襖を閉めた後、白蓮は彼の方に向き直り、再び頭を撫でて話しかける。
「さて…着替えましょうか。命蓮、バンザイしてください」
彼女の言葉に命蓮は一切の躊躇いも羞恥も無く言われた通りに手を挙げ、服を脱がされる。
彼は幼い頃に両親を亡くし、人生の殆どを姉に支えられて生きて来た。加えて彼自身も幼くして亡くなってしまったが故に、姉としか触れ合えることが出来なかったのだ。
故に命蓮にとって姉の言葉は絶対であり、そこに羞恥や疑い等といった邪な感情は一切介入しない。以前二人のやり取りを見ていたどこぞの化け狸が『逆光源氏…』と言っていたが、幸か不幸か彼にも彼女にも聞こえていなかった。正確に言えば、白蓮は聞かなかったことにした。
白蓮は最早手慣れた動作で命蓮の着替えを終わらせ、最後に彼に口づけをする。彼女のこの行動すらも命蓮にとっては常識であり姉弟間のスキンシップでしかない。彼はくすぐったそうに笑みを漏らすだけだ。
「・・・うん、似合っていますよ。命蓮は何を着ても格好いいですね」
「姉様にそう言って貰えるなんてとても嬉しいです。姉様もいつも綺麗ですよ」
そう言って自分の方を真っ直ぐ見つめて来る命蓮にうっとりしつつも白蓮も同じ様に見つめ返す。
二人はその姉弟愛によって一瞬で二人だけの空間を作り出し、二人があまりにも遅いので痺れを切らして再び足を運んだ星に怒られるまでずっとお互いを見つめ続けていた。
「命蓮、今日は何処へ行きましょうか」
朝食を食べ終え二人でのんびりと縁側で過ごしていた時、白蓮は隣にいる命蓮へと言葉を投げかける。
命蓮は最近、幻想郷の様々な場所を歩いて回っている。発端は生前はまともに世界を知ることが出来なかった弟に自分の住む世界を知って欲しいという姉の思いからだ。
尤も許されているのは彼の身に危険が及ばない場所のみの散策で、かつ白蓮をはじめとした命蓮寺の保護者の誰かが同伴することが必須条件ではあるが。幻想郷でその条件に当てはまる場所はごく少数の為、歩き回るという表現は適切ではないかもしれない。
「今日は行きたいところ…というか行かねばならない所がありまして。青娥の下にお札を貼り替えて貰いに行かなければならないんです」
青娥。その名前を聞いて白蓮の最高潮であった幸福度は一気にゼロへと急降下する。
昔から彼女のことは気に入らなかったが、今ではもう顔すら見たくないレベルである。まず何故お前は命蓮から呼び捨てされているんだ。彼女が命蓮にそうするように指示したらしいが、弟と親密な距離感であることが気に入らない。
結果的には命蓮は自分の下に帰って来てくれたが、やはりまだ体は青娥の意のままに操る事が出来るという事実は変わらないのだ。白蓮が神子に相談をした理由の一端はこれである。命蓮はキョンシーであるが故に、定期的に青娥に札を貼り替えて貰わねばならない。その際に身動きが取れない様にされ、美味しく頂かれてしまうかもしれないのだ。あの邪仙ならばやりかねない。というかもうヤッているかもしれない。そうなった場合、彼女は自分を抑えられる気がしなかった。
このままでは自分の宿敵に弟が奪われてしまう。なら先に自分が既成事実を作ってしまおうと考えたのだ。まぁ、彼女の存在が無ければそもそも命蓮が生き返ることは無かったので、その唯一点については感謝しているが。
「・・・成程、わかりました。して、それは何時頃向かうのですか?」
しかしそれを命蓮の前であらわにすることは無い。彼自身は青娥のことを気に入っているらしく、以前一度その様な会話をした時にもの凄く悲しそうな顔をされたのだ。なので表向きには彼女への嫌悪感を見せる事は無い。
だがそんな彼女の配慮もあまり効果は無く、命蓮は己の姉が青娥を嫌っていることには気づいている。それでもいつかは仲良くしてくれたらいいなぁと思い、何も言っていないのだ。
「うーん、今日中に行けば問題無いので、お昼過ぎにでも行こうかと」
「では、それまではゆっくりできるという事ですね。丁度この間貰ったお饅頭があるので後で皆で食べましょうか」
それまではもう少し、二人きりでのんびりしていましょう。白蓮はそう言って、自分の方へと弟を抱き寄せるのであった。