ある僧侶の告白   作:迦羅

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八話

「命蓮ちゃんに必要なのって、母性だと思うのよ」

 

「はぁ…」

 

 あまりにも唐突な主の発言に、命蓮は困惑の入り混じった曖昧な返事を返すので精いっぱいであった。

 今の時刻は、午前七時を少し回った頃だろうか。普段ならば命蓮は姉と共に布団にもぐっている頃なのだが、今の彼は畳の上に座り、目の前にいる青娥と他愛のない会話を繰り広げようとしていた。

 何故彼はそんな朝早くから青娥の下にいるのか。そして何故ここには青娥と命蓮以外に誰もいないのか。当初こそ自分一人だけがここにおり隣に一緒に寝ていた姉がいないことに困惑していた命蓮であったが、視界に青娥が入って来たことによってだいたいの事は察することが出来た。

 一言で言うのなら、青娥は命蓮のことを拉致したのだ。

 

「姉様、心配しているだろうなぁ…」

 

「こらっ、命蓮ちゃん、私と一緒にいる時に貴方のお姉さんのことを話しちゃ駄目って言ったでしょ?女っていうのは嫉妬深い生き物なの」

 

「ご、ごめんなさい…」

 

 青娥に怒られたと思ったのか、命蓮は申し訳無さそうな顔をしながら縮こまる。青娥はそんな様子の彼に可愛過ぎでしょと脳内で興奮を抑えつつ、逸れかけている話題を再び元に戻す。

 

「それで話を戻すけど、命蓮ちゃんって母性が足りないと思うの」

 

「二回言われてもわかりません…そもそも母性って何ですか?」

 

 物心つく前に母親が亡くなっている命蓮にとって、母性という言葉は初めて聞く単語であった。彼は首をコテンと横に傾け、あからさまに分からないといった表情や仕草をしていた。

 

「うーん、改めてそう言われると難しいわね…母親としての性質、誰かを甘えさせることの出来る才能ってとこかしら」

 

「それが私に足りないと…確かに私は誰かのお母さんでは無いですもんね」

 

「そういう意味じゃ無いの。ほら、命蓮ちゃんって確かお母さんが早いうちに亡くなっちゃったんでしょ?」

 

「えぇ…記憶にも本当に朧気に残っているくらいですし、私が物心ついた頃にはいなかったと思います」

 

「だから、貴方はきっと誰かに甘えるという経験が足りていないと思うの。貴方に母性が必要って言ったのはそういう意味よ」

 

 成程。青娥の説明に命蓮は納得したらしく何度も首を縦に振る。確かに自分は母親の愛なんて貰った実感など無いなぁ――なんてことを考えていたら、ある疑問が頭に浮かんだ。

 

「私、確かに母に甘えたことはありませんけど、姉様に甘えたことは沢山ありますよ?」

 

「彼女はお姉ちゃんでしょう、母親ではないわ。貴方には少し難しい事かもしれないけれど、姉から受ける愛と母親から受ける愛は全く違うわ。だから、私が母性で貴方を甘やかしてあげる」

 

「青娥も母では無いじゃないですか」

 

「私は貴方のお母さんも同然でしょう。芳香ちゃんもだけど、今の貴方を生み出したのは他でもない私だもの」

 

「そ、そうなんですか…?」

 

「そうよ。だから私には貴方にお母さんって呼んでもらえる権利があるの」

 

 さもそれが当然だといった口調で話す青娥に、命蓮の方も段々と納得し始める。例えそれが真実であろうと無かろうと今の彼の主は目の前にいる霍青娥こと青娥娘々なのだ。額に付けてある札を貼り替えられるだけで操られる以上、彼女の言葉は全て真実だと割り切った方がいいのかもしれない。

 

「・・・では、私は青娥をお母さんと呼んだ方がいいのでしょうか?」

 

「うーん、じゃあお試しで一回呼んでくれないかしら。お母さんでもママでも母上でも何でもいいわ」

 

「・・・お母さん?」

 

 これでいいんですか?と言う様にコテンと首を傾けながらも口にする命蓮。彼が自分の物であると主張する額についた札が共に揺れるその姿は、青娥にとって非常に破壊力のある一撃であった。これを命蓮本人が自覚しないでやっているというのが本当に恐ろしい。

 

「(えっ…うちの子可愛すぎない?芳香ちゃんと一緒に着物着させて千歳飴も持たせて七五三したいわ)」

 

 彼女の頭の中には既に着物を着た命蓮と青娥がおり、二人で手を繋いで仲良く笑顔を携えたその姿を天狗に撮らせている自分というのが簡単に想像できた。

 何故か勝手に命蓮の成長を祝おうとする青娥だが、そんな突拍子もない妄想はあくまでも脳内で留めておく。そんな事は彼の姉の目が黒いうちは絶対に出来ないからだ。非常に悔やまれるが命蓮の意見を尊重すると言ったのは彼女自身だ。今更撤回も出来ない為致し方ない。その代わりに別の物で満足感を得ようと、青娥はさらにその甘い言葉を彼にせがむ。

 

「もう一回言って頂戴」

 

「お母さん」

 

「疑問形で」

 

「お母さん…?」

 

「気の抜けた感じで」

 

「お母さぁん」

 

「上目づかいで」

 

「おかあ――何ですかこれは」

 

 もう言わなくても良いでしょう。これ以上過激な『お母さん』を要求されてはたまったものでは無い。命蓮はこれ以上は青娥の望みを聞くことはせず、彼女に結論を求める。というか過激なお母さんとは一体なんなんだ。

 

「それで、結局私は何と呼べば?・・・おーい、青娥?お母さん?」

 

「(そうだ、あの僧侶の前で命蓮ちゃんにお母さん呼びをさせればもの凄く表情を曇らせられるんじゃないかしら。代わりに私の命が保証されなくなるけど…挑戦に危険は付きものよ。元々彼女が私の命蓮ちゃんを奪ったのが悪いんだし、ここは一思いにやっちゃいましょ!)そうねぇ…命蓮ちゃんがどっちでも構わないのなら、お母さん呼びでお願いしちゃおうかしら」

 

「せい――お母さんが望むなら少し恥ずかしいですけど…そうします。用件は以上ですか?それなら出来れば早く帰りたいんですけど」

 

「以上ですかって…今日はいつもより冷たく無いかしら。ひょっとして、お母さんのこと嫌いになった?」

 

 息子に嫌われるというのは、いくら邪仙である彼女でも辛いらしい。瞳が不安そうに揺れるその姿は、普段では絶対に見ることの出来ない彼にしか見られない表情であった。

 

「いえ、ただ…もう少し時間を考えて呼び寄せて欲しかったなって…ふぁあ…」

 

 どうやら命蓮の脳内は未だに眠気が蔓延しているらしい。確かに以前彼と過ごしていた時も彼の起きる時間は今よりも二時間程後のことだった。寝室を覗くと芳香と仲良く手を繋いで向かい合って寝ているのを見て尊死しそうになったことも今では懐かしい。芳香と彼が仲睦まじくしている姿は、本当に何度見ても飽きないものだった。

 それはともかく、仮にその生活習慣が命蓮寺に住むことになっても変わっていないのだとしたら、今の時間は彼にとっては辛いだろう。もしかしたら眠い状態で頭があまり働いていないからこそ、お母さん呼びを了承して貰えたのかもしれない。早起きは三文の徳とはよく言ったものだ。早起きをした当の本人である命蓮にとってこれが得だったのかはわかりかねるが。

 

「ごめんなさいね、いきなり貴方を仙界まで連れて来ちゃって。私がちゃんと命蓮寺まで送ってあげるから、ゆっくり眠っていなさい」

 

「わかり…ました…くぁあ…」

 

「(可愛い…芳香ちゃんもだけどどうしてこの子達はこんなにも可愛いのかしら。私が選ぶキョンシーの素材は外れが無いわね)」

 

 青娥は大きな欠伸をして見るからに眠そうな命蓮の下へと歩いて行き、彼の小さな体を抱き上げる。既に眠気の再発が抑えられないのか命蓮はそれに特に何かを言う事も無く大人しく彼女の胸に顔を埋める。

 目を開け続けるのも限界なのか瞼を閉じようとする彼を一度撫で、青娥は命蓮を家に帰すべく空間に穴を開けるのであった。

 後日彼女の思惑通り命蓮がお母さん呼びを発動したせいで、白蓮の顔は思いっきり曇りましたとさ。何もめでたくはない。

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