新学期の放課後というのは部活動の仮入部だの同じグラスの奴と親睦会だのとはしゃいでいる中、俺は独りで帰り支度をしていた。戸山さんの姿はもう見えない。
学校から少し離れた商店街。俺の目的地はそこにあった。小さい時から慣れ親しんだパンの香りが鼻腔をくすぐる。
小学生の頃から電車賃とパンの代金だけを渡されておつかいに来ていた。あの頃からこの優しい雰囲気と香りが心地が良くて今になっても通い続けている。高校生になってお小遣いも増えたし学校も近くだからもっと来れるなぁ、と思いながらお店に入った。
カランコロン、綺麗な音と共に少女の声が耳に入る。
「いらっしゃいませ〜、あれ? なんだか珍しい人が来店されましたね。どうしたのかな」
「今日は高校の入学式だったから、近くだし寄ってみたんだよね」
「近く……じゃあ同じ学校だ。残念ながら学校では会えないんだけどね」
「夜間かぁ。いつも忙しそうだけど陸くん達と遊ぶぐらいならできるから無理しすぎないでね」
「考えとくね。それで、パンはいつものでいい?」
「丁度これで300円。また来るよ」
「うん、じゃあね。またのお越しをお待ちしてます」
この子は本当にいつも無理してしまいがちなのだが、所詮赤の他人である俺は強く言えずにスルーされてしまう。それに、今日はいつもより口角が高めだった。なにかいいことがあったのだろう。彼女の笑顔も見ているだけで幸せになる。そのうち癌にも効くようになるだろう。
下らないなぁと卑下しつつ、袋に詰められたパンを持ってそのベーカリーを後にした。
十日ほど経ったある日、戸山さんは姿を表さなかった。結局3限目の途中で来たが、制服は少し汚れていて髪の上には葉っぱが乗っかっていた。
授業が終わった後にどうしたの、と声をかけると『う、うん、えっと……』口ごもってしまったので深くは探らないことにした。
授業は4限まで滞りなく終わって今はお昼休みの時間だ。母親お手製のお弁当を食べるために手ぬぐいを広げていると、後ろから抑えめな声で話しかけられたのでそちらに顔を向けるとオドオドした戸山さんの姿があった。どうしたの? とできるだけ落ち着いて声を絞り出すと戸山さんは一緒にご飯が食べたいと言ったのだ。予想を遥かに超えていた発言に驚きながらも了承し、机を後ろ向きにする。何を話せばいいのかも分からないまま目線をキョロキョロさせながら弁当を口に運んでいくとまた話しかけられたので前を向くと戸山さんと目が合った。……近い。
「あの、富久くん。あの、今日の放課後に一緒に行ってほしいところがあるんだけど……。えっと、あの付き合っください!」
戸山さんの透き通った声が教室に響き渡る。それと同時に教室内の全ての視線を独占した。戸山さんは顔を真っ赤に染めて穴があったら入りたい、そう顔に書いてあるのを少し面白がりながらからかい調子で「いいですよ」と言葉を放つ。今にもプシューという効果音が聞こえてきそうなのを目の前にお弁当を食べ始めた。
処理落ちしていた戸山さんだがしばらくすると意識が戻ったようで唸りながらご飯を食べていた。もぐもぐと、ウサギやハムスターのような感じで。見ているだけで癒されるネコやイヌのようでもあって。……さっきから人じゃないものにばかり例えるのはなんだか失礼な気がしてきたので一回辞める。戸山さんが箸を置いたのを見計らって先程話題に出た『一緒に行って欲しい場所』について聞いてみることにした。
「そういえばさっき言ってたのってもしかして今日遅刻したのとなんか関係あるの?」
「実はそうなんだ。“星”を追いかけたら赤いギターがあって、その、あの」
「ゆっくりで大丈夫だよ。そっか、そのギターをもう一回みにいきたいんだ。いいよ、付き合う」
「あっ、えっ、つっ!!」
「もう授業だねじゃあまた放課後に」
またもや真っ赤な戸山さんを置き去りにして席の向きを180度回転させた。
5、6限は滞りなく終わり帰りの支度をしていると背中の裏をツンツンと突く感覚を覚える。振り向くとそこにはカバンを持った戸山さんがいた。
「ん、じゃあ行こっか。どのくらい時間がかかるの?」
「多分10分くらいかな? あの、つ、着いてきて」
そう言って歩き始める戸山さんだがしばらくして気がついた。それは俺に隣を歩かせてくれないこと。戸山さんの隣に並ぼうとするやいなや戸山さんは早足で何歩か前を行ってしまうのだ。きっと恥ずかしいのだろう。隣を歩くのは諦めることにした。
校門を出てから塀の下、銭湯の横の路地裏とか猫が通るような低い所も通った。しばらく歩くと戸山さんは立ち止まった。着いたか、と思って見あげると一面の垣根。一箇所だけ穴が空いていた。普通に人の家とかなんじゃないかと聞いたが、戸山さんは『ここ』だと言っている。俺と戸山さんは少し屈んで穴の中に飛び込んだ。
とても立派な蔵とその向こうに少しだけ見える日本家屋。手前の蔵にはショーウィンドウの棚があるけど中身は入っておらず空っぽだ。恐らく戸山さんが言っていた『赤色のギター』はここに入れられていたのだろう。夕方でもう片付けてしまったと思い、戸山さんにまた今度来ようと手を伸ばすと、蔵の奥から声がした。
「どうしたの、あんたら。なにか用?」
この出会いが後の運命に多大な影響を与える事を俺たちはまだ知る由もない。
いかがだったでしょうか。少しイチャつかせすぎましたかね。
さて、次回からは有咲が本格的に出てきます。気を長くお待ちいただけると嬉しいです。