わたし、遠坂凛と笠原輝一の関係は一言で言えば幼なじみだ。腐れ縁とも言う。
さすがに相手の全部を知っているなんて傲慢なことは言うつもりはないけどアイツの好みや思考傾向なんかは長年の経験から大体は予想はつく。それは向こうも同じようで時々というか、かなりの頻度でこちらの思っていることはわかるらしく繕うことの得意なわたしをドキッとさせる言動をとることもしばしば。
だからと言って不快か? と問われたらそんなことはない。
アイツ曰わく背負いこみがちな性格をしてるらしいわたしの肩の力を適度に抜かせようとしてるようだ。本人はさりげなくやろうとしているのだろうけどコッチも伊達に幼なじみをしていない。アイツの考えなんて筒抜けだ。
でも、多分この考えさえも向こうは知ってそうだけれど。
お互いがお互いに相手の思っていることを感じ取るこの不思議な感覚は例えるならばそう、チャンネルのバッチリ合ったテレパシーというものだろう────
Frequency of you and me
最近アイツの様子が変だ。
窓側の一番後ろの席を横目で一瞥する。
中学二年の夏休みも終わり、うだるような暑さが続く毎日が何かの冗談のように涼しくまた過ごしやすくなり、夏休み明け特有のけだるさも次第に薄れつつあるそんな日。
授業と授業の間に存在するわずかな時間をグループを作ってお喋りしたり次の授業の課題を友達から写さしてもらったりと各々が思い思いに活用している中、わたしはもう一度だけ前の時間の教科書が散乱している隣の空席を見やる。
どうせまた、忘れ物でもして他のクラスに頭を下げに行ってるのだろうその席の主であるアイツを思い浮かべた。
次の授業はそういうことには厳しい先生が担当してるのはわかりきってるだろうに本当に学習ないヤツだ、なんて呆れる自分の思考に少しげんなりする。わたしはアイツの母親か。
まぁ、昔からあっちゃこっちゃで騒動を起こす傍迷惑なアイツの横で何かやらかす度に頭をぶん殴ってガミガミと怒鳴りつけていたんだからそう思っても仕方がないのかもしれないけど。
「あっぶねぇぇ!! なんとか数学の教科書確保したぜ! さすが、俺。今日もツイてる!」
耳に馴染んだ、明るい声。
噂をすればなんとやら、本人のご登場だ。
ガタガタと建て付けの悪い扉を開き満面の笑みを浮かべたアイツはいたって何時もどうりだった。
そう、いつも通りのはず、なのに。
なぜかアイツの様子を見てどこか違和感がするのはわたしだけなんだろうか? それともただの思い過ごしなのか。そんなどっちつかずのモヤモヤした思いを抱えてるのにコイツときたら。
「ん? どうした凜? なんか機嫌悪そうだな?」
誰のせいだ。誰の。そう大声で言いたい気持ちをぐっとこらえて、小さく微笑む。常に優雅に、だ。遠坂家の家訓を思いだせ。
「いいえ。機嫌が悪いなんてそんなこと。わたしはいつも通りですよ。笠原君の思い違いではないですか?」
そんな猫を被せた言葉を聞いた輝一はしっかりとわたしの気持ちを汲み取ったらしい。盛大に顔をひきつらせながら少しだけ後退さった。
こういう時は便利ね、なんて思いながら僅かに溜飲を下げる。
「それにしても、教科書を忘れたのならわたしに言ってくれればいいのに。お隣同士なんですもの、お貸ししてあげましたよ」
「………嘘つけ、金取るくせに」
にこやかに笑うわたしの顔から視線をそらしてぼそりと輝一は呟く。
「当然。あんたは甘やかしたら甘やかした分だけダメになるんだから厳しくするぐらいが丁度いいのよ」
「手厳しいッスね、おい」
誰にも聞かれないように声を絞ってそう返すわたしを見て輝一は楽しそうに肩をすくめた。
───やっぱり変だ。
その仕草を見て。
その雰囲気を感じて。
そして何よりも、その笑顔に触れて。
わたしは確かにソレを認識する。
気温三十九度、今年の最高気温を叩き出した中学二年の夏休み最後の日。
あの夏を境にわたしは輝一に対して釈然としない何かが胸のなかで重石の様にゴロリと存在していた。
その異物感とも言うべき奇妙な感覚は言葉では表しづらい。それでも、強いて言うなら普段は阿吽の呼吸でお互いの事が解るのだけど、今みたいにふとした拍子に輝一の思いが解らなくなるときがある。ソレは一つ一つは羽のように軽く、触れたことすらなかなか気付かないモノだが、何度となく繰り返し体感することによって澱のように積もっていき、気付た時にはもう無視出来ない程に大きくなっていた。
そしてその重石を見る度にわたしは、何時も焦燥感にかられてしまう。
──ハヤク、しないと
知覚できない何かがわたしの心をジリジリと焦がす。
───ハヤク、急がないと
……バカバカしい、軽く深呼吸をしてそんな考えを捨て去る。魔術師である自分がどうして他人である輝一の為に頭を悩ませなければならないのだ。こんなモノ、心の贅肉でしかない。
───ハヤク、ハヤク、ハヤク
その得体の知れないざわめきは始まりのチャイムが教室に響き渡るのとあいまって絶妙にわたしの心をささくれ立たせた。
………もうたくさんだ。考えるのはお腹いっぱい。何よりこんな後ろ向きなことで解決するわけがないじゃない。こうなったら直接アイツに確かめてやる。
苛立ちが募り僅かに眉を釣り上げてそう決意をしたわたしは、のんびりした様子で隣の席に着く諸悪の根源に対して取りあえず小さな復讐をする事にした。
「ところで笠原君」
「何だよ?」
「次は生物の授業ですけど、数学の教科書でどうやって勉強するんですか?」
にこやかに言うわたしと輝一がああーーッ!! と叫んで頭を抱え込んだのは丁度生物の教師がやって来たのとほぼ同時だった。
※ ※ ※
とはいえ、あれだけ息巻いて決意をしたのはいいが、わたしは生徒会の雑務をこなさなければならなかったし、輝一の馬鹿は普段、休み時間はあっちへフラフラこっちへフラフラと、色んな所をさまよい歩いているからなかなか捕まらない。結局諸々の用事が一段落した頃にはもう放課後だった。
夕日が差し込む閑散とした教室を出る。基本、部活動には参加していない輝一はもうとっくに家路に着いてる頃だろうが、なんだろう。なんだか今日は違う気がする。
そんなフッと浮上して来る感性を頼りにわたしは屋上へと向かうために歩を進めた。
薄暗い階段を何かに導かれるようにして一歩、一歩、上がっていく。
たぶん、いる。確実に。そんな根拠の無い確信じみた思いが錆びた鉄扉に近づけば近づく程段々と強くなっていく。
わたしはそっとドアノブを握り締める。少し日にあっていたのだろうか仄かに暖かい。
僅かにノブを捻り、ゆっくり開けるとそこには───
光が溢れていた。
もし感触があったとすればフワリと絹のように柔らかな感触であろう淡い橙の光は暗闇を余す所なく打ち消すとても優しい輝きだった。もちろん、それだけでも十分壮観な光景だったけど。
「よう、凜。きっと、来ると思ってた」
そう言って柔らかく微笑んだ輝一が中心に立ったことでよりいっそう神秘的に思えた。
穏やかで暖かい光の中に佇むアイツはまるで昔に読んだ絵本に出てくる勇者様のようで。
我を忘れて茫然としてしまうほど綺麗だった。
「凜、ホレ」
そんなわたしの状態をよそに輝一は何時もと変わらない調子で足元にあった小さなペットボトルと缶コーヒーを取り上げ、ペットボトルの方をわたしに投げてよこした。
「うわ……っと」
なんとか意識を再起動させて緩やかな放物線を描いて飛んできたペットボトルを受け取って見てみると、わたしがいつも愛飲しているミルクティーだった。
「あ……ありがとう」
「どういたしまして」
……なんか出だしのインパクトのせいでそこはかとなく調子が狂う。何をそんなにソワソワしてるんだわたしは。
「よく、屋上(ここ)に来るって分かったわね」
何時ものペースに戻るためにペットボトルのキャップを開けて一口ミルクティーを含む。うん、何時も通りだ。おいしい。
「まぁ、なんとなく?」
輝一も缶コーヒーのプルタブを勢いよく開ける。カツン、と小気味よい音がした。
「なんとなくでわたしの分まで買ったの? 来なかったら相当カッコわるいわよ。あんた」
「うっせ。いらねーなら返せコノヤロウ」
ぶーたれた顔でこちらを見る輝一にいえいえ、せっかく頂いたものですものありがたく飲ませて頂きますわ、なんて気取って返したら、両方からどちらともなくクツクツと声を挙げて笑い合った。
「……で、お前はなんで来たんだよ?」
ひとしきり笑った後、缶コーヒーを傾けながら輝一は屋上の落下防止の為のフェンスに寄りかかる。
「まぁ、わたしもなんとなく、かな」
「なんとなく、ですか」
「そ。ここに来たらあんたに会えるって思ったから来たの」
「そうなのか」
「そうなんです」
「………」
「………」
それっきり会話は無くなった。そよ風が二人の間を踊るように駆け抜ける。静かな時間、聞こえてくるは下のグランドから部活動に励む生徒の微かな声。けど、この沈黙は息苦しいものではなくて親しい間柄に流れるホッとするような、ゆったりとした静寂だった。
でも、わたしはそんな居心地のいい空間を敢えて破ろうとしていた。どうしてもコイツに聞きたいことがあったから。そして何よりも、自分の感じる違和感を知るために。
「ねぇ、輝一」
「ん?」
「あんた、最近なんかあった?」
「…………」
ゆっくりとしたわたしの質問に対して輝一はしばらくの間、難しい顔をした後、もたれていたフェンスから体を反転させて町を見下ろした。
「なぁ、凜」
「なに?」
「俺さ、凜に会えてホントに良かった」
「いきなり、何言ってんのよ」
「一緒に遊んで、一緒にメシ食って、そんで一緒に成長して………。すっげー楽しかったし、色んな所で助けてもらってた。きっと、お前がいなかったら今の俺はいなかったと思う」
だから、ありがとう。
そう言った輝一の背中はとても大きかった。
ああ、そうか。そうだったのか。
その背中を見てわたしは理解した。
成長、したんだなって。
あの日に何があったのかは知らない。だけど、少し前まで何の変哲もない小さな輝一の背中は確実に大きくなっていた。
わたしと輝一はいつまでも一緒にはいられない。それは世界の裏側にある魔術師ある以上痛いくらいに承知している。きっとそう遠くない未来で、別離の日は必ずやってくる。だってそれが、
今までは奇跡に奇跡を重ねたぐらいの偶然でそれぞれの道が重なっていただけ。
これからは曲がった道が真っ直ぐに戻っていくように少しずつ離れていく。
そしてその第一歩目が今ここで起こったのだった。
────それを目の前で見せられたわたしはイヤだ、って思ってしまった。もう少し後でもいいでしょうって。
まるで閉園時間が迫ってる遊園地でまだ遊びたいとダダをこねる子供のように。
もう少し、もう少しだけ、と。
そろそろとわたしの一歩先へと進んでいる少年へと近づいていく。ゆっくりと、一歩、一歩、踏みしめて。そしてその広くて大きな背中に背中を合わせるようにもたれかかった。
「ん? どうした?」
脳天気なアイツの声。本当、こっちの気持ちも知らないで。でもそんな気持ちはおくびにも出さない。だってわたしは遠坂家当主、遠坂凜だから。そんな情けないこと出来るわけ無いじゃない。
「別に何でもないわ。…………どう致しまして」
誤魔化すように何時も通りの調子で声に答え空を見上げる。
夕日が沈みかけ、瑠璃色の空が広がる中、流れ星を見た気がした。
響かぬ声
(いかないで、その一言がこぼれそうになった)
おまけ
何故こうなった?――――
遠坂時臣はジワジワと足元から這い上がって来る失望感を表に出さぬように渾身の力が必要だった。
第四次聖杯戦争。
万能の杯をめぐる過去三度の戦争は全て決着はながれ新たな闘争の幕開け。
始まりの御三家たる遠坂家の悲願。
根源への到達。
その第一歩目からのこの失態。
前回の聖杯戦争から幾数年。万全の準備を敷いた筈だった。監督役である言峰神父と交友を持ち此方へと味方につけ、幸運にも七人のマスターの一人に選ばれた神父の息子である愛弟子、言峰綺礼に斥候としてそして自身の目となり耳とするべくアサシンを召喚させ、己自身は、最強のサーヴァントを呼び出すべく、最古の蛇の脱け殻を触媒を用意した。
――だというのにこの有り様は一体なんだ!?
サーヴァント召喚陣の上。本来現れるべき黄金の英雄王姿はなく。
「――ふん。喚ばれて来てみれば、一一番最初に視界に入ってきたのがムサいオッサン三人とはよほど神様は俺のことが嫌いらしい」
代わりに現れたのは年若い一人の黒髪の青年だった。
「――――師父これは」
「時臣君。これは一体……」
立ち会った二人の神父からの戸惑い。その声に意識を引き戻した遠坂家の頭首は己が家訓である『常に優雅であれ』を心の中で自身に戒め、心配無用、とばかりに二人に見えるように不敵に微笑をたたえて、極めて穏やかに目の前のサーヴァントに問うた。
「お初にお目にかかる。私は遠坂家頭首、遠坂時臣。此度の聖杯戦争で貴方を招いたマスターだ。こちらは言峰神父とその息子綺礼。――さて、唐突で申し訳ないのだが。その御身は英雄王ギルガメッシュで違いないだろうか?」
じっとその言葉を訊いていた青年は
「なる程、アイツの代役……そういうことか」
忌々しそうに舌打ちを打って呟いた後、ニヤリと笑って言い放った。
「残念だが当てが外れたな。俺はそんな大層なヤツじゃないよ。ただの凡人さ」
時臣達の顔色が変わったのを見て青年はますます笑みを深めるとおどけるように言う。
「……そうだ、一度コレ、やってみたかったんだよな――サーヴァント、ブレイバー。聖杯の寄る辺に従い参上した。問おう、あんたがくそったれな戦場を一緒に駆けずり回るマスターか?」
続かない