第1王子とデュエルした後、ファニマは家に戻って来ていた。学生とは思えないほど自由奔放に過ぎるが、彼女に注意できる者はいない。
……まあ、二日連続で儀式などやれば普通は起き上がることすらできないのだがそこはそれ。ファニマはどこを見ても病人には見えない。それが、強力な魔力を持つ”貴族”という存在だ。
ファニマが部屋でデッキを弄っているとノックの音がする。
「入りなさい、セバス」
「はい、お嬢様に置かれましてはご調子はいかがでしょうか?」
優雅に入ってきたのは白髪交じりの初老の男性だ。執事、メイドの違いはあれどメイとは格の違いを感じさせるキビキビとした所作だ。
彼は右腕としてファニマの父を支え続けてきた。それこそファニマもその父のおしめも、彼は取り替えたことがあるのだ。……まあ、乳母は別にいると言う突っ込みは置いておいて、それだけ長い付き合いがあるのは間違いない。
「問題ないわ」
「……学園で暴れなされたとか。お父上様も心配しております」
ファニマは口を尖らす。ある意味で実の父よりも家族に近い気安さがある。最近はメイにも同じように接しているけれど。
「問題ないと言っている」
「今日はお父上様に暇ができましたが、夕食はどうされますか?」
「そうね。……ええ、少し身体が痛いわ。今日は私の分の食事は減らしておいてちょうだい」
「――ほう。いえ、なるほど。承知いたしました。シェフに伝えておきましょう」
セバスが口元の端に笑みを浮かべた。ファニマの性格は知っている、彼女は誰に対しても決して弱みを見せようとしない。
食べられないなんて言いたくなくて、いつもどこでも無理をしていた。
週1の頻度で父はファニマと夕食を共にする。ヴェルテの家は巷では王国の裏ボスなどと噂されるほどの家格を持っている。当主である父は常に忙しくて、娘との時間を取れるのはそれだけだった。
ゆえにファニマとしても貴重な機会に気合いを入れるのは当然だろう。さらに以前のファニマは常に完璧であろうと気を張りすぎていた。健啖家でもないのに、父の前で食事を残すわけにはいかないと無理に詰め込み、そして具合が悪くなって必死に隠す。
顔色の悪さは見る人が見ればすぐに気付くのだが、あいにくと父は気が付かない。そういう意味では気の利かない男だ。母はすでに居なくなっているから、このすれ違いに割り込める人間は居なかった。
それこそ、本人が変わらなければどうしようもない家庭の問題だった。
「少し変わりましたね、お嬢様」
「ええ、失恋して一つ大人になったのよ」
ファニマがおしゃまに笑って見せる。
年に1度しか会えない本当の祖父など遠すぎて親愛の情を抱きようもない。そして、父の前では恰好を付けている。
だから、こんな甘えるようなことをできるのは彼だけだが、しかし父の手先なんかと思っていたから内心をさらけ出すようなこともしていなかった。
「少しどころではなかったようで。こういう言い方はどうかと思いますが、良い経験をされたようですな。若いうちに挫折を経験しておくのは良いことです」
「本人としては無かったことにしたい事実ね。恋は盲目などと言うけれど、盲目などは傍から見れば馬鹿でしょう」
「いえいえ、お嬢様は色々と頑張っておいでですし、一つや二つの我儘など可愛いものですからな。……そして、後始末は大人の役目です」
もっとも、後ろのメイが気付く前にその空気もひっこめてしまったが。
「私の中では終わったことよ」
「なるほど。……ですが、落とし前は付けなくては。それが世のルールと言うものです」
ファニマはちらりと疑問に思う。そう言えば、と思い出せばこの婚約劇の始まりは父の言葉だった気がする。
とはいえ、エクスは第3王子。普通に考えれば第1の方と婚約させるのが普通だろう。ヴェルテにはそれだけの権力はあるのだから。だから、エクスの方に恋した理由が何かあるはずだ。
この婚約劇、その裏をきちんと知ってはいなかったな、と反省した。
「セバス。……落とし前って?」
「はい、お嬢様も御存じの通りヴェルテは我が国の中で最も強い力を持つ一族にございます。王の血統は重んじられるべきですが、力の大きさと言う意味ではヴェルテこそ一歩抜きんでていることは確かです」
「そのようね」
「とはいえ、全てがヴェルテ家の思い通りという訳には行きません。王族の号令の下、有力貴族が集えば力の差などあってなきがごとし。アーゼ、バロネスの二家が共闘すれば倒せるなどと噂されることもございますな。……まあ、あの2家が協力することなどあり得ないことでしょうがね」
「ああ、だからヴェルテと王族が一つになれば恐れるものなどない。と、そういうわけね。でも、エクスでは格が足らないのではなくて? 兄が居るでしょう。彼も学園に所属しているわ」
「恐れながら、お嬢様。9才の生誕祭の折、あなたはあの愚かだが見た目だけはいいエクス・ジェイド様に出会われた。そして、彼の婚約者となりたいと言い出しました。……お父君はその我儘を受け入れなさった」
ファニマは指を空中でくるくる回して記憶をたどる。
「……ああ。派閥としての婚約ならエクスの方で良いってことね? 確かにまあ金髪碧眼と御伽噺に聞く王子様そのものね、恋する
我ながら馬鹿げた理由だ。とはいえ、見た目の好みで結婚相手を決めるなどありふれたことだろう。
かくいうシンデレラのストーリーだって、王子様の視点に立てば女を見た目だけで選んでいる。
「ええ、それはお嬢様の望みでした。ですが彼はあなたを傷付けた。本人同士ではデュエルによって片が付いたかもしれませぬが、ヴェルテと王族の間では何も決着は着いていない」
「我が家の顔に泥を塗られたってことね? まあ、儀式で勝てたのなら正義は我にありとでも言えたのかもしれないけれど。立場も不利、負けたのもあっちとくれば悲惨なものね」
ふうん、としか言いようがない。
「お嬢様が勝たれた。そして、元々この婚約は王族の顔を立ててやる形だったのですよ。こちらは
くすり、と軽く笑みを返す。
ところが一転、悪いことに思い至ってしまってファニマは暗い顔をする。す、と顔を伏せて恐る恐る聞いてみる。
もし、そうであったら立ち直れないだろうと覚悟する。
「……それは、お父様にとって都合の悪いこと?」
父に見捨てられる。それだけは駄目だ、耐えられない。娘として相応しくあるために、ファニマの人生はただそれだけのためにあった。
人生観が変わっても、生きてきた歴史は捨てられない。エクスとの婚約だって、お父様のためになると信じていた。
「まさか。あれが第3王子の暴走だったとしても、その責任は派閥に帰すことになります。それが社会なのです。あれと付き合っても百害あって一利なし。ゆえに、あんな程度の低い連中とは付き合わない。それはお父上の利益になることですよ」
「そう。それを聞けて安心したわ」
安堵しすぎて背もたれにもたれかかる。それこそ、6700のダメージよりも効いた”不安”だった。本当にそうであれば、どれほどのダメージを受けていたか。
「では、私はシェフに胃に優しいものでも作って頂けるように特別に頼んでおきましょう。……御父君は肉が好きですからね」
「お願いね。実は、肉は少し苦手だったのよね」
「承知しました。では、お食事の時間までゆるりとごくつろぎ下さい。……メイ、粗相なきように」
「はい! 当然です、セバス様!」
おろおろと様子を窺っていたメイは声を掛けられて焦って姿勢を正して敬礼をして見せた。
「……叫ばない。埃を立てない。それと、メイドならばお辞儀をしなさい。まったく、再教育が必要なようですね」
「厳しくしてやってね」
「はい、承りました。お嬢様」
「お嬢様!?」
「あとで日時を通達します。では、今度こそ本当に失礼させていただきます」
「ええ、また後で。セバス」
くすりと笑い、椅子から立ち上がってベッドにそのまま倒れ込んだ。長い髪がふわりと夢のように散らばった。
「ねえ、メイ」
「は、はい。あの、お嬢様。お洋服にしわが着きますよ」
「お父様との夕食前には着替えるから平気よ。……色々と、私は考えすぎてたみたい。全てを全て完璧にこなせば、か。そんなことしても、何も意味はなかったわね」
「……お嬢様。……あの」
気怠けに天井を見上げるファニマ。あの婚約者の聖剣の一撃を喰らい、何かが変わってこれまでの人生に区切りを付けた気になっていた。
だが、ファニマ・ヴェルテの20にも届かない人生などこんなものだった。
パーティで王子様と出会って惚れた。ヴェルテ家にとってベストでなくてもベターではあったから、お父様の権力で婚約者にしてもらった。
人生は順風満帆と勘違いして、完璧主義を貫いて行った結果……男を寝取られた。思い返せば、それが正道だからと彼との触れ合いは手までが限界だった。我がことながら今時、と呆れてしまうが籍を入れるまで唇すらも許さないつもりだったのだからまあ。
頑張って勉強して、見習うべき模範生となるために一時も気を抜かず、不真面目な生徒たちを注意して回って。そんなことをやっていれば、振られるのも当然だろう。
「――何をやっていたのかしらね、私は」
「あの……その……お嬢様、聞いても良いですか?」
「なに、メイ?」
「セバス様のおっしゃっていたこと、メイには理解できなかったんですけど」
メイは恐縮しきった顔である。それが妙に面白くてファニマは噴き出してしまった。
「気にしなくてもいいわ。あの変態とそのご家族にはしかるべき責任を取ってもらうだけよ。我がヴェルテ家の顔に泥を塗った報いを受けてもらいましょう」
「良かったです。あの人たちがもう一度来たらメイがやっつけなきゃいけないと思ってました」
しゅ、しゅ、とシャドーボクシングする。その顔は完全に本気のそれだ。
ただしまったく腰が入っていないし、重心がふらふらと揺れていつ倒れてしまうか心配になってしまうほどに頼りない。
「ふふ。メイは頼りになるわね」
「そうです。メイは第1のお嬢様のメイドですから!」
くすくす笑い合っていると、こんこんと扉を叩く音が聞こえてきた。別のメイドだ、どうやらドレスに着替えさせに来たらしい。
そして、ファニマは着飾って大きなテーブルに着いた。
父と娘、揃って机の角の場所に座って顔を向かい合わせる。序列を考えるならば縦で座るべきだが、父の鶴の一声でずっと横で座っていた。
思えば、娘とは近くでしゃべりたいという親心だろう。
「ファニマ、学園での生活はどうだ?」
そして、肝心の父はと言うといつもの重苦しい雰囲気だ。これではラスボスと呼ばれるのも仕方がないな、と思う。
いや、ゲームでは名前すら登場しなかったけど。
圧力をかけているとしか思えないし、前は恐縮しきりだったけど今は違う。余裕ができたから、もう怖いとは思わない。この人も不器用なのだろう、ファニマがそうであったように。
「心機一転、といったところですわ。私の愚かしさに恥じ入るばかりです」
ふぅ、とため息をついて見せた。これは本心だ。王子様にうつつをぬかしていたのもファニマには違いないのだから。
「……そうか。婚約のことは私の方で対処しておく」
「ええ。お願いしますわ」
しばし、沈黙が降りる。かちゃかちゃとナイフの音が響く。父の前にはステーキにパイ包み、夕食とはいえ胸焼けしそうなほどのボリュームだ。
そして、以前はファニマも無理して同じものを詰め込んでいた。今は前菜とパン、そしてスープだけ。もう無理する必要はない。
自然に振舞えばいいのだ。父は他人の落ち度ばかりをねちねち責め立てる人ではない。ファニマが勝手に緊張してストレスを感じていただけだ。
「身体の調子は良いのか?」
「ええ、少し疲れてしまいましたが休めば問題ありませんわ」
「ならばいい」
また沈黙が下りる。そして、食べ終わるころにファニマが話を切り出す。
「それで、お父様? 一つ、お願いがありますの」
「何でも言うがいい」
「欲しいデッキがありますの」
「……ふむ。デッキを変えるのか?」
「いいえ、メイに使ってほしいと思って」
「メイ? ああ、あのメイドか。だが……」
「お願い。ねえ、パパ?」
イタズラ気な笑顔でお願いしてみた。家族であれば、これくらいの茶目っ気は許されるだろう。
「む。まあ、いいだろう。だが、人前でその呼び方はするな」
「ええ、身内の前だけよ。パパ」
父の少し照れたような顔がおかしくてファニマはくすくすと笑ってしまった。