あの後、ファニマはメイがうるさいから授業を一度だけ受けたのだが……
「あの程度なら知っている。本当に勉強したいのなら学園の教師ではなく、有識者をお父様に呼んでもらうわ」
と、部屋に帰った後に言った。以前のファニマなら、当の本人に言った上で「学園生は授業に出席するルールがある」と、意味がないと言ったその口で出席していた。
……これ以上なく嫌な生徒だろう。そのお父様が権力を持っていて、ご機嫌を取るくらいしか出来ることがないのだから。
その権力の程と言えば、家の権力で授業免除特権を受けているのはファニマ・ヴェルデただ一人だ。
「……ううん、学校でお勉強も重要だと思うんですけど」
「中卒に言われても頷けないわね」
「ああ! お嬢様、私が高校に通わなかったのはお嬢様のお世話をするためなんですからね!」
メイは頬を膨らませる。そうやっても怖いどころか小動物で愛らしいだけなのだけれど。
「まあ、メイはうちの傍流の一つだものね」
ファニマはくすくすと笑っている。婚約破棄の一件以降、可愛いものが好きになった。それはもう、異常と言えるほどに。
メイドの家系だからといって好きにしていいわけがないけれど、ファニマに彼女を離す気はない。
「ヴェルテ家親族に名を連ねるほどじゃないですけどね。……昔は家にも山ほど居たのに」
「皆出て行ってしまったわね。根性のないこと」
メイドは皆、ファニマの我儘についていけずに職を辞してしまった。基本、ファニマは超人だ。その感覚で他人にあれこれ言うものだから、普通の人間はたまったものではない。
それこそ、ドレスとヒールでも山を踏破できるだけの並外れた身体能力を持っている。
「お嬢様は自分がトンデモないことを自覚するべきです。人間離れした身体能力の感覚で罰を仰せつけるものですから、女の子には耐えられません」
「……10kmくらい、軽く走れるじゃない。それに、加減して3㎞くらいを言い渡してたわ」
「女の子じゃ無理ですから。こんなんでも、メイは無駄に体力だけはあるんですからね」
「それは威張れるようなことじゃないと思うわ。まずはお盆をもって転ばない練習から始めなさい」
「あうう。もうずっとやらされてますぅ」
「セバスね。彼にしごかれてなお、それなのだから……逆に感心するわね」
「それはそうと、お嬢様。今日は10㎞走る日でしたっけ」
「ええ、週に2度くらいは身体を動かさないと。本格的なのは日曜日にするわ」
普通は10㎞も走れば倒れる。ランニングのようなそれではなく、結構なスピードで走っているのだから。
それが、この世界の貴族である。大きな魔力を持つ人間は強力なカードを使用でき、身体能力すらも違う。
「……私、中学で男の子が部活で4㎞くらいで悲鳴を上げていたのを覚えています」
「あらあら。子供は体力が無くて大変ですね」
そして、ファニマはいまいち自分と他人の違いを分かっていなかった。
「そういうところですよ、もう」
「よく分からないけれど。……レニにでも服を用意させて頂戴」
「ああ。大丈夫ですよ、レニは私と違って気が利くのでもう用意してあると思います。取って来ますね」
「レニにも……いえ、いいわ」
他愛無い話を続けていたところ、ノックの音が響いた。
「あら、セバスね。あなたも少し身体を動かしてみるかしら?」
「ははは。お嬢様に付き合うのは、この老骨には骨が折れますな。……お望みのものを手に入れてきました」
す、と厳重なトランクに封印されたそれを差し出す。それはとても厳かな雰囲気を纏っていて、何かとてつもない危険物のように見える。
「早かったのね。あまり話を聞かないものだったから、時間がかかると思ったのだけど」
「いえいえ、そんなことはありますまい。”奴ら”の吠え面など、美女にも勝る見世物ですな。……おや、これは失敬」
ファニマは躊躇なくトランクを開けてしまう。中にはデッキが一つ。……ざ、と手の中でカードを広げて確認する。
「別にいいわ。セバスは時折セクハラじみたことを言うのは知ってるもの」
「ほほ、いやいや。それは。……割と心にダメージを受けておるのですが」
ビシリとした背中が丸まってしまった。普段はキビキビとした厳しいおじさまなのだが、こういう一面もある。
「気安いってことでしょう? いいことよ。はい、メイ。あなたのよ」
ファニマは気にかけずに手にしたデッキをメイに手渡した。
「…………ほえ?」
当のメイはと言うと、首をかしげて固まってしまった。
「――」
セバスはやれやれと肩をすくめた。
「あの……セバス様?」
「お嬢様の決定ですよ、メイ」
苦笑している。最高のブラックジョークだと言わんばかりの笑みである。
「お嬢様?」
「あなたに上げたいと思ったの。とても似合っていると思うわ」
「……いえ、あの。私が持ってても宝の持ち腐れではないですか? だって、私の血は平民と変わらないですよ。『融合』も使えないですし」
メイは助けを求めているのか、忙しなく左右を見ているがファニマは期待した目で見ているし、セバスはそんなファニマを微笑ましげに見ている。
「まあ、それはそれで笑えるので良いでしょう」
「ええ?」
「……セバス」
「おっと。まあ、当主様から戦力を期待されてのことではないので気楽に貰ってしまうのが良いと思いますよ。お嬢様に乞われればともかく、デュエルを教える時間は取っておりませぬからな」
「不安に思わないでいいのよ。全部、私が教えてあげるわ。うまく使えるようにならなくたっていいの」
「……うえ? え?」
まだ戸惑っているメイを、ファニマは強引に椅子に座らせてしまう。
「さ、座ってメイ。まずは一緒にテキストを確認しましょう。……うん、これは完全に純ドラゴンメイドね。メイには使えないカードも入っているけれど」
ファニマはうきうきと机の上にカードを広げている。
「どうやらお嬢様はいつもの日課はなされないようで。私の方からアニに伝えておきますので、あなたはお嬢様の相手をお願いしますよ」
「しょ。……しょんな、待ってくださいよセバス様。私、カードのことなんて……!」
「……メイ?」
「お嬢様の目が見たことないほどきらきらしてる……! 私、本当にカードのこと分からないんですよぅ!」
「では、ご夕食の時間になったらお知らせします。お父上様は今日も会食と伺っておりますので」
「メイ、何しているの。早く座って」
「ああ……もう! 分かりましたぁ!」
メイが席に座ってカードを取って眺める。メイの腕前はと言うと、この世界の人間だからカードに触ったことはあるもののエクストラどころか、通常召喚すら怪しいものである。
平民とはそのレベルだ。レベル6の通常モンスターを召喚するだけでほめそやされる。それがプロどころかアマチュアでしかない趣味の限界。
「あ、可愛い子たちですね。ふふ、『ドラゴンメイド・ラドリー』って言うんですか。この子、洗濯物をぶちまけちゃってますよ。おっちょこちょいだなあ」
「ええ、誰かさんを思い出すわね?」
「ミーネさんのことですか? あの人、ちょっと前に同じことしちゃったんですよ」
「……そう言えば、汚れるから触らせてもらえないのね」
「『パルラ』って子がお茶の準備してます! 私のポジションですね。……ちょっと、胸大きすぎないですか?」
「あら? 普通だと思うけれど」
ファニマはふよんと音がしそうな自分の胸を撫で上げた。メイは自分の胸元を見て触ってみるが、すかすかと空を切るばかりだった。
なぜそんなに大きいのだと恨みがましい目を向けた。
「でも、何と言ってもドラゴンメイドはまとめ役の『チェイム』が居ないと話にならないわね。『ティルル』、『パルラ』と合わせてどれか引ければ初動は問題ないわね」
「『チェイム』。この子、タムタム様を思い出して苦手です……! 『ティルル』は誰のポジションになるんでしょう? 料理人の方々は大体男性ですし」
「別にコスプレ喫茶をするのではないから、屋敷の者と対応を取る必要はないわ」
「あ、そうですね。ええと……この子たちを出してアドバンス召喚? とか言うのをするのでしょうか」
「いいえ。ドラゴンメイドは真の姿、竜に変身する能力を持っているわ。そして、竜は戦闘が終わればまたメイドに戻る」
「……? ……???」
何も分からない、という様子が一目瞭然であった。繰り返すが、これがこの世界の人間と言うものである。
メイが特別頭が悪いということでは全くない。
「まあ、まずは動きを頭に叩き込みましょうか。初歩の初歩から始めるなら、ぐだぐだと説明するよりその方が早い。……待って、メイ。あなた、基本のルールは知っていて?」
「馬鹿にしないでください、これでも村では近所の悪ガキに10回は勝負を挑んで「もういい、俺の負けだ」って言わせたこともあるんですよ」
「……それ、結局勝ってないわよね。とりあえずライフが8000なのと攻撃表示と守備表示の違いが分かれば十分よ。始めましょう」
カードをまとめ、デッキにしてシャッフル。6枚引いた。
「とりあえず後攻としておきましょう。先攻で動くには少しテクニックが要るしね。手札に来たのは『ドラゴンメイド・パルラ』。3種のカードのうち1枚が来た」
「ほええ。3種で3枚入れてるってことは9枚ですよね? 絶対に引けるんですか?」
「約74%。絶対と言える数字ではないけれど、デュエリストならそのくらいの確率は踏み越えて来るわ。さあ、まずは見ていなさい。手札から『ドラゴンメイド・パルラ』を召喚、効果を発動――『ドラゴンメイド・フランメ』を墓地に送る」
机の上にそっと置く。
「バトルフェイズ! パルラの効果を発動、このカードを手札に戻してレベル8のドラゴンメイドを特殊召喚! 現れなさい『ドラゴンメイド・フランメ』!」
「わあ、攻撃力2700が簡単に出てきちゃいました!」
「それとメイ、私の手札は何枚?」
「ええ……と、1、2、3――6枚あります。……6枚?」
「私は最初にカードを6枚引いたわよね? 今も手札は6枚。強力なデッキというものは、基本的にフィールドにモンスターを並べたうえで手札を減らさないものよ」
「そう言えば、ファニマ様も融合モンスターを出した上で手札が減ってなかった……!」
「ただ、それには複雑な手順が必要となってくるのだけど。これは1例どころか、ただのスタートよ。本来はメインフェイズはもっと長いもの」
「……あの、それ本当にメイが使うんですか?」
「いくらでも付き合ってあげるから覚えましょうね」
「ふぇぇ」
涙目になった。
次の日、学園に足を向けると騒がしい一団が居た。何やら殺気だって何かを探している様子だ。
しかも、そいつらはファニマのサロンがある方向に陣取っている。
「……ファニマ・ヴェルテ!」
人数は8人、拳を握り、暴力的な雰囲気が漂わせている。寄ってきた。
「あらあら、誰かしら? あなたに名前を呼ばれる筋合いなんてないのだけど」
ファニマは冷たい目を向けた。これが以前の常だった。寄らば切る、そんな雰囲気で周囲を黙らせていた。
今のファニマは多少柔らかくなったように見えるが、それはメイに対してだけだ。
「貴様! 俺を誰だと思っている!? 俺こそは王党派の筆頭貴族ビュート家の長男であるブリン・ビュートだぞ!」
「当主でもないのに、敵の顔を覚える必要がどこに? どきなさい、王党派。それとも獣には人の言葉を解する知能すらないのかしら」
基本的に学園の勢力は三つに分かれる。王の一族を擁する王党派、父が率いるヴェルテ家の派閥、そしてそれ以外の日和見派。
王党派とヴェルテ家、勝てばゆるぎない覇権を手にすることが出来るために水面下では激しい争いが起こっていた。ファニマとエクスの婚約は和平条約そのものと言えたが、それが消えた今や争いは表にまで発展する。
ファニマの斬りつけるような皮肉を前に、ブリンは顔を真っ赤にして、わなわなと震え出し――
「デュエルだ、悪役令嬢め! 悪をもって王の一族より至高の秘宝を奪った罪を贖わせてやろう!」
ノーマルデュエルディスクを構えた。ファニマの目は、すうと冷えた。
「ああ、そういうことね。ドラゴンメイド、王が認めるロイヤルメイドのみ賜ることのできる至宝。……誰も使える者が居なかったようだけど、非礼の代償として我がヴェルテ家に渡った」
「その通り! 私は、必ずや悪の一族より至宝を取り戻して見せる!」
「けれど、ドラゴンメイドの正当な所有者はこの私。少なくとも、法治の枠内ではね。無法と暴力が支配する世紀末じゃあるまいしねえ。それでもなお私のものを奪うと言うのなら、あなたに賭けるものがあるかしら」
「……まさか、我がビュート家の秘宝まで奪おうと言うのか! そんなことはさせんぞ、これは賭けることすら許されん!」
「持っていたとしても借りただけでしょうね。……なら、私のメイドと戦いなさい。この子に勝てれば、私が戦ってあげる。ドラゴンメイドも賭けてあげるわ」
横に歩いて行って木に背中を預ける。完全に傍観者の構えになった。
「なにぃ? そこのメイドだと? 平民が貴族に勝てるわけがないだろう! 馬鹿にしているのか。そんなガキが相手ならドラゴンメイドを取り戻すのも簡単だな!」
「ひゃいっ?」
メイが頭を抱えて防御姿勢を取った。完全に怯えている。
「何を図々しいことを。所詮は見世物、貴族が平民に勝って何を誇ると言う? 見世物の礼に相手をしてあげると言うだけ。その子に勝つことすらできないのなら、学園から去るがいい。あと、メイは子供じゃないわ」
「――その挑発、乗ったぞ! そこのガキをコテンパンに叩きのめして後悔させてやる! 平民ごときが貴族に逆らう愚を存分に身体に刻み込むがいい!」
賭けるは『ドラゴンメイド』。無体な婚約破棄、それに浴室への不法侵入の代償として王室がファニマに譲り渡したものである。
取り戻すためにはメイ、ファニマを連続で破る必要があるということだ。
「メイ、気楽にやりなさい。あなたが勝てるだなんて思ってる人は居ない。まあ、そのデッキなら勝てるかもしれないけれど勝てなくていいわ。私が求めるのは一つだけ、最後まで立って戦いなさい」
「……お嬢様」
メイがすがるように見つめる中、ファニマは木を背にして動かない。
「負けてもいいわ。私がそいつに負けることなどありえないのだから。……手間が一つ増えるだけよ」
「お嬢様のお手間は取らせません! メイがコイツをぶっ倒してやります!」
キ、と相手を睨みつけた。ヴェルテの威を借る狐と言うより、平民という立場を分かっていない。……とはいえ、ファニマが許しているのだから他がどうこう言えることではないけれど。
「は! その顔が苦痛に歪む様をそこから眺めてな! デュエル!」
「……デュエル!」
戦いが始まる。
ちなみにブリン・ビュートはネームドですらないモブです。
筆者の癖なのか、登場人物はやたらと自分の名前を売ろうにする傾向があります。表彰に自分の名前が刻まれているのを見るのが大好きなタイプですね。