よわよわ吸血鬼はこじらせたコミュ障のせいで勘違いされ続ける 作:宮野 遥
「……飽きた」
少女は小さく呟いてから、読み終えた本をパタンと閉じた。椅子にもたれかかって大きく伸びをすると、自然とあくびが出る。
彼女の名はアストリッド・フォン・シュトリツェル。紅い瞳と真っ白な肌が特徴的な、
同族が滅んでしまった彼女は、二千年以上の月日をたった一人城の中で過ごしてきた。
城の中でできることといえば、とっくに読み尽くした本を読み直すことと寝ることくらい。新鮮な娯楽は一つもなく、年がら年中退屈している。
もうひとりぼっちは嫌だ。誰かと話したい、触れ合いたい。そんな欲求はずっと抱えているのだが、しかしそれができない理由があった。
――アストリッドは『魔王』の一人に数えられている。
超越的な力を持つ、人類の敵対者。もし逆鱗に触れた者がいたならば国ごと滅ぼしてしまう残忍極まりない吸血鬼。
(わたし、そんなことできないのに)
不当な評価を下されてしまっていることを嘆く。
そもそも彼女は人間どころか虫すら殺せるか怪しいくらいに非力だ。昨日も黒いカサカサと動く気持ち悪い虫を退治しようと試みたのだが、低い反射神経では捉えることができず、一日中翻弄されて終わった。無駄に疲れただけの最悪の日だった。
(というか、できたとしてもしない。わたし超善良。昨日だって害虫を見逃してあげた)
優しい性格を自認する彼女は、まるで悪の親玉のように扱われている現状を不満に思っていた。そう、黒くて速い虫だって本気を出せば倒せた。多分。きっと。慈悲深いから殺さずにおいてあげただけなのだ。
しかし、人間からすればアストリッドは魔王の一人。もし姿を現したならば、恐怖し逃げ惑うか全力で討伐しにかかってくるかの二択である。
戦いになってしまえば、普通の町娘と同等の力しか持たない彼女は一方的に叩きのめされるだけだ。それは遠慮したい。
結果として、アストリッドは城の中に引きこもらざるを得ない状況になっていた。
(うぅ、どうしてこうなった……)
アストリッドが悪名高き魔王になってしまったのは、悲しい行き違いがいくつもあったせいだ。それらを遡ってみれば、一つの理由にたどり着く。
それは彼女が保有する尋常ではない量の『魔力』だ。
吸血鬼の王女として生を受けたアストリッドは、人並外れた魔力の持ち主だった。魔力はこの世界の生物の力の源だ。それが多いことはもちろん好ましいことなのだが、アストリッドは一つ問題を抱えていた。
――生まれつき、身に宿った魔力を一切扱えなかったのだ。
魔法を使うことはおろか、魔力を用いて身体能力を強化することすらできない。そこらの一般人ですら無意識のうちに少しの魔力を使って体を動かしているというのに。無限に等しい量があっても完全に宝の持ち腐れだ。
ただ一つ、吸血鬼として生まれ持った『再生能力』だけは、自分が操作できなくとも勝手に発動するため使えるのだが、それができたところで死ににくいだけだ。貧弱なことに変わりはない。
そして、そのデメリットは戦闘能力の欠如だけではない。自らが内包する莫大な魔力を体の裡に隠すことができないのだ。
力の象徴であるそれを一切抑えずに誇示し続けるというのは威圧に等しい。本人にそんなつもりはなくとも、彼女を前にした生物はその気配を感じただけで怯えてしまう。
相手が勝手に自分のことを恐れてしまう状況でまともな対話など望めない。結果として、彼女は強大な力を持つ魔王であると誤認されてしまった。
(……考えても仕方ない。どうせ、どうしようもないし)
状況を改善しようと足掻いたこともあった。だが、誤解の壁は遥かに高く、むしろ悪化するだけだった。
全てを諦めて数千年の月日を孤独に過ごしてきたのだ。今更何かを変えようとする気力はない。
ため息をついて立ち上がる。読み終わった本を図書室に戻しに行った。城には数え切れないほどの冊数があるが、もうどれも見飽きてしまった。
次に読む本を選定する。まだ数回しか読んでいないものがどこかにないだろうか。本棚の隅を探していると、豪華な装飾がなされた箱が目に入った。
(こんなの、あった……? 中身は……綺麗な、腕輪)
箱を開けてみると、出てきたのは宝石が散りばめられたブレスレットであった。何故こんなものが本棚に置いてあるのだろうか。記憶を探ってみるが、それらしきものは思いつかない。
コテン、と首を傾げていると――腕輪が突然、虹色の光を放った。
(っ!? ……ぁ、これ……、思い、出した。これは……だめ……ッ)
突如蘇ってくる腕輪に関する忌まわしい記憶。あまりにも嫌な思い出しかなかったため、無意識のうちに頭の中から排除していた。
(やだ、やだ……、やめて――!)
慌てて腕輪を手放そうとするも時すでに遅く。幻想的な光はアストリッドの体を包み込んでいた。
◇
魔王の一人、ロクサス・アルフォードは非常に苛立っていた。
「何故、誰も来ないッ!!」
怒りに任せて拳を卓に叩きつける。広い部屋の中で轟音が鳴り響いた。
魔王達の会合である『
しかし、何故か開始時刻になっても十一人いる他の魔王が誰一人来なかったのである。
「…………。――チッ」
腹立たしくはあるがこの場で荒ぶっていても意味はない。ロクサスは頭を冷やし、ため息をついた。
元々、十一人全員が来ると思っていたわけではない。
そもそも定期集会や古参の臨時招集にすら顔を出さない者もいるのだ。ロクサスが魔王になったのは百年ほど前だが、彼の就任時も含めて一度も出席していない魔王が三割ほど。
それでも大鬼の武人や海の覇王など真面目な部類の者達ならば流石に来ると考えていたのだが、そうはいかなかったようだ。
議題に興味がなかったのだろうか。今回の件はロクサスにとっては一大事だが、古き魔王からすればさほどの緊急事態でもなく、次の定例会議で話せばいいと考えているのかもしれない。
とはいえ、単に遅刻しているだけの可能性もあるだろう。ロクサスは小さく舌打ちをしてから、足を組み直して再び待ち始め、
――瞬間。室内に異常なまでの魔力が吹き荒れる。
(――ッ!? 敵襲か!?)
即座に臨戦態勢をとる。鞘から大剣を引き抜き、盾となるように構えた。
(何者だ。まさか、
最悪の事態を想像する。ここは隔離された空間。敵がいるのなら、それは魔王が手引きしたか、魔王自身が『敵』かの二択しかない。
一体どの魔王が寝返ったのか。いや、むしろ全員が共謀してロクサス一人を殺しに来た可能性もある。非常に考えづらいことではあるが、それならば誰も招集に応じなかったことの辻褄が合ってしまう。
何にせよ、とにかくこの場を乗り越えることが先決だ。ロクサスは防御を固めながら敵を見極めようとする。
魔力の発生源を睨みつけると、そこには一人の少女が立っていた。
(……は? コイツは……。待て。まさか……ッ!?)
この場に似つかわしくないように思える華奢な少女。しかしその姿をはっきりと認識した時、彼の動揺は頂点に達した。
(馬鹿な、何故ここに……)
誰もが知っている御伽噺。永遠に朝が来ない森の中、闇に包まれた城に棲む、美しく残酷な吸血鬼。出会えば死、怒りを買えば国さえ滅ぶ、最強にして最古の魔王。
「
思わず戦闘態勢を崩してしまうほどに、ロクサスは驚愕していた。
吸血鬼、アストリッド・フォン・シュトリツェル。最恐とも謳われる最も有名な魔王だが、実はこれまでロクサスは彼女と会ったことがない。基本的に自分の領土から出てくることがなく、最後に姿を現したのは実に五百年前。棺の中で眠り続けていると噂されている。故についた二つ名は『
会ったことがないのに、どうして目の前の少女がアストリッドだと分かるのか。それはあまりに愚問だ。一目見て、否が応でも分かってしまう。
特徴的な容姿もさることながら、着目すべきはその圧倒的な魔力。 ロクサス・アルフォードは魔王である。新参ではあるものの、武闘派を自負している彼は桁違いの魔力を保有している。古参の魔王の中には今の彼では太刀打ちできないような者もいるが、それでも理解のできる範疇だった。
――だが、コレは違う。そもそも生物としての格が違う。戦いにすらならないような絶対的な差があると本能で感じ取っている。確かに、この少女は紛れもなく最強の魔王なのだ。
(……待て。なぜ俺様は今生きている)
ここで初めて湧き出た疑問。ここまでの魔力を纏っているということは、相手はロクサスに攻撃を行おうとしているはずである。だというのに彼は今無事だ。感じた力の差からするとこれはおかしい。無防備な体を晒した自分など瞬く間に殺せるはず。
改めて彼女を見てみると、冷たい表情で射貫くような視線を送ってきてはいるものの、動こうとする気配はない。まるで戦う意思がないようだ。
(ハッ、襲う気はないとでも言うつもりか? これだけの魔力を放っておいて)
脳裏に浮かんだ可能性。馬鹿らしいと感じるが、研ぎ澄まされた勘はそれが正解だと告げている。そもそもアストリッドが襲撃者だというのは、強大な魔力から連想しただけの想像だ。
ここまで攻撃の姿勢を見せないということは、本当に彼女は敵ではないのだろう。
(……ってことはなんだ。まさか、
攻撃魔法の準備でも一時的な身体強化でもない、ただ自然に纏っているだけの魔力量がこれほどの規格外。
一周回って一種の清々しさを感じるほどのレベル差だ。最早ここまで来れば警戒も抵抗も無駄だろう。ため息とも失笑とも取れるように小さく息を吐き、手に持った大剣を鞘に収める。
「……もう時間だ。さっさと座って話を始めようぜ」
何事もなかったかのように。平静を装って席に座ったロクサスは、アストリッドにも着席を促した。
あくまでも魔王は名目上対等。宣戦布告もない状態で一方的に殺しにかかっていいものではない。たとえ虚勢であっても舐められないように振る舞わなければならないし、それができたなら向こうも簡単には手出しできないはず。取り繕うことに意味がある。
ロクサスは必死に自分に言い聞かせ、会議を進めようとしていた。
一方その頃――
(無理! 超無理! 死ぬ! やだ! おうちにかえして!!)
アストリッドはビビり散らかしていた。
ライオンに睨まれた小鹿のように怯えているが、それも仕方ない。目の前にいるのは自分とは違う本物の魔王。鍛え上げられた筋肉から繰り出される攻撃をくらったらひとたまりもないだろう。というかデコピン一発で頭が消し飛ぶ。
誰とも関わらず慎ましく生きてきたというのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。
アストリッドが本棚で発見した腕輪は、魔王の証であると同時に
アストリッドには制御できず、召集があると強制的に魔王とかいう化け物集団の中に放り込まれる呪いのアイテム。危険すぎて封印していたのだが、あまりに使わなさすぎて封じたことすら忘れてしまっていた。
(というか、どうしてさっき剣構えてたの? 言うこと聞かなきゃ殺すってこと……?)
地獄に放り込まれたような絶望を感じている彼女には、自身の持つ膨大な魔力を警戒されたという発想がなかった。脅されたのかと内心震えながら、ロクサスの言葉に従って席に着く。
「すぐにでも本題にいきたいところだが、その前に自己紹介が先か。俺様はロクサス・アルフォード。百年ほど前に魔王になった。若輩者だが、宜しく」
「…………」
次はお前の番だとばかりに睨んでくるロクサス。慌ててアストリッドは返答しようとするが口が動かない。その原因は、恐怖で委縮しているだけでなく、
(あ、えっ、えっ、ど、どうしよう……。あの、えっと、とりあえずなにか言わないと……っ)
根本的にコミュニケーション能力が死んでいた。心の中ですらそこまで慌ててどうするというのか。
だが、それも無理はない。彼女は長年引きこもっており、最後に誰かと話したのは何百年も前のことである。独り言ですらたまにしか言わないのだから、もはや発声も怪しくなっていた。
「…………」
口が動かない。何かしら喋ろうとしているのだが、身体が追い付いて行かない。それならばせめて愛想笑いをしようとするが、表情の作り方すら忘れてしまっている有様。目がわずかに細まり、口の端が引きつった程度だった。
「あー、アンタはアストリッド・フォン・シュトリツェルでいいんだよな? 最強の魔王サマって噂の」
「…………ちっ、ちがっ…… 」
そんな物騒な存在ではないと勢いよく訂正しようとするが、相手の言葉を否定するのが怖くなり、徐々に声が小さくなってしまう。最初の一音しか聞き取れなかったため、ロクサスは舌打ちをされたと思い込んでいるが、彼女は勿論それに気がついていない。
「話を進める。今回の用件だが……。まず、アルキスの奴が死んだ」
プレッシャーに耐えかねて、ロクサスは本題に移った。
(アルキス……?)
こてん、と首を傾げるアストリッド。頭の中のデータベースを検索しても、該当する名前の人物は出てこない。
「……誰?」
思わず声に出してしまう。
ロクサスは一瞬呆然とし、顔が引きつった。冗談で言っているのかとも思ったが、冷たい目ながらもキョトンとした表情を見て、本気だと悟る。
「一応、招集理由に書いたハズなんだがな……。まあいい。アルキスは俺様と同時期に魔王になった
(小物……)
魔王になるほどの実力者で思想も危険な相手への呼称は、アストリッド基準では化け物以外にないのだが。それを小物扱いできるこの魔王は一体どれだけの規格外なのか。アストリッドは遠い目になる。
「――そいつが先日、人間に殺された。……勇者以外の人間に、だ」
「は……?」
「アルキスは小物っつっても雑魚ってワケじゃねえ。偶然程度で負けることはまずあり得ない。つまり、人間共に〝英雄〟とか呼ばれてるソイツは、聖剣抜きで魔王を倒せる実力を持っているってことだ」
人間の持つ戦闘能力は基本的に魔族よりも低い。そのため群れて戦うことが多いのだが、唯一例外と呼べる者がいる。それが『勇者』だ。旧き神によって造られた『聖剣』に選ばれた勇者は、並の魔王をも上回る力を得る。――そこまでは、常識だ。
だが、その『英雄』とやらは、聖剣という特別な理由もなく魔王を撃破してしまった。これは、古い知識しか持たないアストリッドだけでなく、現代の事情に精通しているロクサスから見ても異常なことである。
「んで、今日はその対策を立てたい」
引き締まった顔で議題を告げたロクサス。しかし彼は同時に心の中でため息をついていた。
(イマイチ反応がよくねえな……)
魔王に敵対し打倒する能力がある者を野放しにしておくわけにはいかない。態度とは裏腹に慎重な性格のロクサスは不安要素を少しでも消すべく魔王に集合をかけたのだ。
しかし、実際に召集に応じたのはアストリッドただ一人。そのアストリッドも英雄にさしたる興味はないらしく、無表情は動かない。それどころか退屈だと言わんばかりに目を細めている。その程度の存在、自分の脅威にはなり得ないという自信の表れだろう。これでは有意義な対話など望むべくもない。
(いや、待て。
違和感から湧き上がる疑問。
内容以外で彼女の興味を引く要素があるのか。普段との違いがあるとすれば、招集したのがロクサスであるという点。
(ッ! まさか、
可能性に思い当たる。もしも信頼できる古参の魔王が来たならば相談しようと思っていた事柄。どこからかそれを嗅ぎつけてきたのだろうか。
情報が足りず、それ以上の推測もままならない。ロクサスにできるのはただアストリッドを見つめることのみであった。
当のアストリッドはというと、
(こわい、やだ、しにたくない……っ)
めちゃくちゃ怯えていた。裏で考えていることなど勿論ない。表情が変わっていないだけで心は動揺しっぱなしである。対策などと言われても、知力・武力・権力の全てがない彼女にできることなど一つもない。もし『英雄』が積極的に魔王討伐を狙っているのだとすれば、抵抗できずにただ叩きのめされるのを持つだけとなる。
(つ、次に狙われるのはだれなの……?)
この吸血鬼、保身で精いっぱいである。仮に他の魔王が先に英雄と戦うならば、その隙にどうにかして身を隠そうと考えた。
ロクサス相手に発言をするのは怖いが、質問しなければ進まない。アストリッドは覚悟を決めて口を開く。
「次は?」
(次は、だと……!?)
彼女の言葉にロクサスは凍り付く。英雄に対して興味がないように見えるアストリッドが『次』について聞いた。となればそれは、さっさと次の議題を言えと催促しているに他ならないだろう。ロクサスは確信した。彼女は例の件に気づいていると。
真相はコミュ障故のただの言葉足らずなのだが、アストリッドの伝説を恐れるロクサスはそう信じ込んでしまった。
(こうなりゃしらばっくれても無駄か。正直喋っていいか悪いかもさっぱりわからねえが、言うほかないな)
相手は格上の魔王。下手に虚勢を張りすぎて機嫌を損ねてしまうのはマズい。ロクサスは素直にアストリッドの意思に従うことにする。
「……先日。俺様の領土で旧神文明時代のものと思われる遺跡が発見された」
「…………?」
「軽く調査はしてみたが、なんの施設だったのか全く分からねえ。何か知ってることがあれば教えてもらいたい」
「???」
何の話だろうか。アストリッドは急に文脈を無視して謎の告白をしたロクサスに懐疑の視線を送る。端的に言って意味が分からない。どうして化け物への対策の話から遺跡の話に飛ぶのだ。アストリッドは混乱した。
しかし、いくらなんでも何も考えなしに言ってきたわけではないだろう。ここで下手な返しをすれば意図を解さなかったとしてロクサスに怒られるかもしれない。命が危うい。
一体彼は何を意図したのか、読み取らなければならない。アストリッドは生命の危機に追いやられ、急激に脳細胞を働かせ始めた。
まず、いくらなんでも先ほどまで話していた人間の英雄と全く関係ないということはないだろう。そして、彼の言葉は自分に対する要望であった。
(そ、そっか、わかった!)
アストリッドの灰色の脳細胞は一つの答えを導き出した。
(これは
残念ながら不正解である。脳細胞は死滅していた。しかし彼女は間違った結論をもとに思考を進めていく。
これは取引であっても半分は脅しである。もし仮に彼女がこれを断ったとすれば、アストリッドが英雄に襲われる事態になったとしてもロクサスは一切の助力をしないということになる。見捨てられれば終わる。実質的に、受けないという選択肢はないのだ。
かといって、いくらなんでも情報が少なすぎる。確かに彼女は古い時代の知識を持っている。だが流石にノーヒントで遺跡の正体など当てられるわけもない。となれば、直接見に行くほかないだろう。おうちから出て魔王の支配領域の正体不明な遺跡に行くなど恐怖でしかないが、断れば待っているのは破滅なのだ。アストリッドはなけなしの勇気を振り絞る。
「直接、見たい」
「ッ! ……そうか、わかった」
間違いない、アストリッドの目的は遺跡だったのだろう。ロクサスは確信した。彼女が遺跡を見に来るというのは、つまりロクサスの領土にあの伝説の魔王が足を踏み入れるということ。警戒せずにはいられないが、下手に抵抗するよりも意に沿うようにした方が丸く収まるはずだ。
「一月後、迎えの者を出す」
アストリッドは頷き、すれ違ったまま両者の合意は成立した。
「今回の
ロクサスは集会の終わりを宣言する。英雄対策について何も話せなかったのは痛いが、どの道相手を見下しているであろう彼女からはまともな案が出てくるとも思えない。下手に長引かせて藪蛇になるのは避けるべきであり、早めに切り上げるに越したことはない。
二人の魔王は各々の領地へと戻っていった。
◇
(か、かえってこれた……)
沸き起こる安堵。猛獣と一緒の檻に入れられたような、常に危険と隣り合わせの時間だったが何とか乗り切ることができた。自分が立っているのが見慣れた我が家であることを確認し、安心して涙が出てきそうになる。
しかし、ひとまずの安全の代償に危険な約束をしてしまった。どうすればいいのか、怯えながら考え込む。――その時、ふと視界の端で何かがちらつくのが見えた。
その方向に顔を向けると、
「っ!?」
そこには、
(……は? ぇ、だれ……!?)
想定外の出来事に大きく混乱する。当然のことながら、この城にはアストリッド以外の生命体は存在していない。人間などいるはずがないのだ。
ロクサスの使者? いや、そんなわけがない。いくらなんでも早すぎる。どうして入ってきた。どうやって入ってきた。まさか、彼が警告していた……。アストリッドは緊急事態を前に、思考を停止して立ちすくんでしまう。
この日、最後の吸血鬼が棲む城に、二千年振りの侵入者が現れた。