僕は今、銀行から入ってすぐの長椅子の端に座っている…
『えっと…本当に私だけでやらないと駄目なの…?』
『ATM…そこの機械の前に着いたら視覚共有してくれ、念話で指示を出す。』
『その…貴方が直接口頭で…』
『普通に怪しまれるから勘弁してくれ…』
僕は溜め息を吐きたくなるのを堪える…おっと。
『ほら列が進んでる…さっさと前に歩いてくれ。』
『分かったわ…』
指示には素直に従ってくれるからまだありがたいが…一度は落ち着いた様に見えるキャスターの顔色はまた悪くなって来ている……冗談抜きで怪しまれるから本当に勘弁して欲しい…
他に誰も居ないなら口頭で指示を出しても良かったが、昼過ぎと言う事も有ってか今は少々混んでいる…その状況でオドオド気味なキャスターはあからさまに目立っている…まさか毎回僕がついて行かないと駄目なのか…?
…これからの事を考えると本当に頭が痛くなって来た…さすがに抑えられなくなり溜め息を吐いてしまう…
「あら、坊や、どうかしたの?」
坊や…と言う声の響きに一瞬キャスターが我慢出来無くなって戻って来たのかと思ったが、キャスターは大人しく列に並んでいる……今居る奴が終わればATMの前まで着けそうだ。
横を見ると、いつの間にかお婆さんが僕の横に座り、話し掛けてきている…やれやれ…
「えと、何でも無いです…その…すこし疲れただけで…」
今の僕は一般人には小さな子供に見えている…精一杯子供っぽく振る舞おうとするが、残念ながら僕にはまともな幼少期を送れていた記憶は無い…まぁいつもの口調で無ければ単にしっかりした子供に見えるだろうか…
「あらあら…人も多いものね…お母さんと一緒に来たの?」
「はい、そう『坊や…その…着いたけど…』…です…。」
いきなりキャスターからの念話が入って来て僅かに言葉が途切れたが、お婆さんは特に気にした様子は無い…
『ちょっと、坊や?』
『…悪い、今ちょっと人と話をしててね…』
と言うか、ATMからここまでそう距離は無いんだが…僕の状況が分からないのか…?
『…そう、ごめんなさい…でも『大丈夫だ、そのまま僕の片目分だけ視覚共有してくれれば良い』……大丈夫なの?』
『嘗めないでくれ、これでも嘗て一度は魔術師を目指した身だ…これくらいの並列思考お手の物だよ。』
現に今もお婆さんとの話は途切れさせてはいない…聡明なだけの子供を演じるのが難しい以外は特に問題は無い。
『……本当に良いのね?』
『良いって言ってるだろ…怪しまれるから早くしろ。』
『……分かったわ、指示をお願い。』
「っ…」
右眼に一瞬痛みが走り、思わず押さえる…
「あら、どうしたの?大丈夫?」
「…はい、大丈夫です…それで今日は…」
今、僕の左眼には正常に目の前にいるお婆さんが映っているが、右の方はキャスターが見ているのだろうATMの画面が映っている…
「…お母さんと買い物に来てたのね。」
「はい、そうなんです。」
『先ずは残高照会…葛木の口座にいくら入ってるか知りたい…と言ってもアンタ漢字は読めるか?』
『…正直、良く分からないわ…』
申し訳無さそうに言うキャスター…いや、問題は無い…想定内だ。
「それで…お昼も外で食べる事になって、奮発してくれるとかでお金をおろしにお母さんとここに…」
『右上から二番目の項目を指でタッチ…あー…ただ軽く指でつつけば良いから。』
「そうなの…」
『分かったわ、コレで良い?』
もうここに来た経緯は話した筈だが、お婆さんは話し掛けるのを止める気配が無い…勘弁してくれ…出来るとは言ったが、こっちも結構集中力が要るんだ…
『カード持ってるだろ?財布から出して、光ってる所……いや、取り敢えず画面から一旦顔を上げて…機械の方見て…』
「私もね、昔は良く…息子と買い物に行っててね…」
そう言う話は僕に言われても困る…最早完全にお婆さんの独り言に近いが、まぁこの場合…律儀に相槌打ってる僕も悪いか…早い所キャスターにこっちに戻って来て貰わないと…僕は解放されなさそうだ…
『そう、そこだ…そこにカードを入れる…力は入れなくて良い、軽く押せば勝手に入るから「ひゃっ…!」…一々声に出して驚くな…全く…』
カードの挿入口に向かって軽く押したカードが自動で一気に挿入され、驚くキャスターに念話で注意を入れる…比較的小さな声だったが、キャスターの後ろに居るおばさんには完全に聞こえていた筈だ…怪しまれるから本当に勘弁してくれ…何か頭だけじゃなくて、お腹の辺りまで痛くなって来たよ…
「あ、そうだ!飴食べる?」
……もうここで遠慮したら僕まで怪しまれそうだな。
「あ、はい…いただきます…」
事前に確認した所…キャスターはパスワードに関しては聞いているとの事だったが、焦って完全にド忘れしたらしく…手が止まっている…
『思い出せないなら取り敢えず思い出すまで押すな…三回間違えると大変な事になるから…』
『大変って…具体的には?』
『口座が使えなくなる……要はどうやっても金を出せなくなる…あまり時間が無い、まだ思い出せないか?』
「好きな味とか有るかしら?」
「…じゃあ、このイチゴ味をください。」
貰った飴の包みを開き、口に放り込む…正直、こっちも焦りで味なんてまるで分からないよ…
『!…そう言えば宗一郎様から頂いたメモが…』
ナイスだ、葛木。
『じゃあそれ出して、早く……成程。とにかく僕の指示した通りに打って。』
ATMはしばらく放置すると大抵それまでの操作は無かった事になり、カードも戻って来てしまう…恐らくかなりギリギリのタイミングだったね…さて、いくら入ってるかな?
『……結構貯め込んでたんだな、葛木…』
画面に表示された額を見て、僕は驚く…無趣味だろうとは思ってたが、恐らく教師の給料はそう高くない…それでも葛木の口座には数百万ほど入っていた…多分、最低限の生活費以外は全部貯金に回してたんだね…
『取り敢えず残高の確認は終わりだ、次は金を引き出す作業に移って貰う。』
『分かったわ…』
キャスターはそろそろ限界だな…とは言え、正直こっちは同時作業だからもっと辛い…これくらいで一々音を上げられたら困るんだけどな…
結局、何とか金をおろしてこっちに戻って来た時には…キャスターの顔色はさっきのファミレスに来た時より遥かに悪くなっていた…
「心底疲れたって顔だな…」
「ええ…」
「……飴でも食べるか?」
「…これ、どうしたの?」
「さっきまでここに居たお婆さんに貰ったんだよ。」
普通にキャスターが戻る直前まで話し掛けられていた事実に溜め息を吐きそうになりながら、僕は長椅子に並べたいくつかの飴を差し出した…善意のつもりなんだろうが、正直最初の一個だけで良かったのに…
『早く受け取ってくれ…アンタは僕の見た目をどう調整したか知らないが、僕は実際には服も着てないし、袋も持ってない…しまえないんだ…』
『分かったわ。』
受け取った複数個の飴をコートのポケットにしまい、内一つの包みを開けてキャスターが口に放り込んだ…
「美味しいわね…」
「疲れてる時には糖分が良いんだ。」
『早く離れるぞ…アンタが作業に手間取ったせいで変に注目を浴びてる…これ以上長居は無用だ。』
『ええ…その…ごめんなさい…』
『ハァ…今更だ。』