エデン条約短編祭   作:キノッピ

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Wherever you are.(作・7MGB)

 ある晴れた秋の朝。

 不快な湿度と暑さに満ちた夏のそれと違って、秋の風は心地良い涼しさを運んでくる。

 そんな風に、道路脇の工事現場のブルーシートの端がたなびいた。

 トリニティの街並みにはやや似つかわしくない原色の青は、まるでそこだけ風景のテクスチャが剥がれてしまっているような、酷く浮いた印象を見る者に与える。

 先日のエデン条約事件の残した傷跡が、確かにそこにあった。

 

 しかし、人の心とは案外丈夫というか、そんなことには無頓着なもので、先日の大事件にも関わらず、今朝もトリニティへの通学路は元気な生徒達で賑わっている。

 ともすれば、修繕が必要な建物や道路よりも、少女たちのメンタルはよっぽど頑丈なのかもしれない。

 下江コハルは寝ぼけ眼を擦りながら、そんな通学路を歩いていた。

 事件の記憶もまだ新しい中、それでも授業はある。トリニティ本校舎が比較的被害を受けなかったのは、この場合幸か不幸か──少なくとも、事件のせいで休校になった為に詰まったカリキュラムを消化しなければならない彼女にとっては、不幸と呼べるのだろう。

 

「少し、ほんのすこーしくらい派手に壊してくれたら良かったのに……」

 

 その場合、休校期間が長くなってより苦しくなるのだが、今の彼女にはそこまで考えが及ばないようだ。

 連日の復旧作業の手伝い、そして遅れたカリキュラムの消化、更には授業毎の小テスト。知力、体力、なんなら小テストで転がす鉛筆によって、時の運までも日々すり減らしている彼女がそうやってボヤくのも、仕方のないことなのかもしれない。

 

「あら。コハルちゃん、おはようございます♡」

 

 そんな中、コハルの後ろからおっとりした、それでいてどこか艶っぽい挨拶が飛んできた。

 

「……おはよ」

「今日もコハルちゃんは良い匂いですね。体の芯から火照っちゃいます」

「人を怪しい薬みたいに言わないでよ!」

「そんな怪しい薬だなんて……。私はコハルちゃんのありのままの匂いが、何だか媚薬みたいだと思っただけで……」

「私がオブラートに包んだ意味!」

 

 いつもの調子のハナコに、コハルも釣られてしまう。先程までの眠たそうな顔はどこへ行ったのか、目を白黒させながらも的確にツッコミをする。

 

「それにしても、ここで会うのって珍しいわね。普段は会わないのに」

「たまに通学路を変えると、何だか新鮮な気分になれるんですよ。登校が憂鬱になるのも予防できたりします」

「へぇ。私も今度やってみようかな」

「是非試してみてください。小さな変化でも、日々のスパイスになりますから。例えば今日の私は、服を着て登校していますし……」

「普段全裸の前提で話進めないで!」

 

 そんな風にいつも通りのやり取りをしながら歩く二人だったが、やがて何かに気付き歩みを止めた。

 通学路の先、トリニティ正門前ににちょっとした人集りが出来ていたのだ。生徒が集まって、どうやら誰かを取り囲んでいるようだ。

……とは言っても、ここはトリニティ。字面ほど物騒な雰囲気はまるで無く、どちらかと言えば街中で有名人を見つけた時のように、各々目を輝かせながら輪の中心の人物に話しかけていた。

 

「何だろ、あれ?」

「うーん……。芸能人の方……、は朝から学校に来たりしませんし……」

 

 気になった二人は、人集りの方へ近づいていった。先程の距離では取り巻きの生徒達が何を言っているかまでは聞こえなかったが、近づくにつれ徐々に内容も聞き取れるようになり、二人は耳を傾けた。

 

「すごーい!本物だ!」「握手してもらっていいですか!?」「あ、ズルい!私も!」「あ、あの、良かったら今日お昼でも……」「抜け駆けは駄目だよー!」

 

 

「ですよね!ヒフミ様!!」

 

 

「……今、何か聞き覚えのある名前が」

「私も聞こえた気がしますね」

 

 コハルとハナコがお互いに顔を見合わせると、人集りの中心から聞き慣れた声がした。

 

「コハルちゃんにハナコちゃん!私ここです〜!」

 

 ──やや小柄な彼女は、すっかり人集りに埋もれてしまい、普通に立っているだけでは頭のてっぺんしか見えなくなってしまっていた。

 そんな人集りからぴょんぴょんとジャンプをして二人に手を振っていたのは、果たして彼女達が予想した人物。

 すなわち補習授業部部長、阿慈谷ヒフミその人だった。

 

 

 

 

「で、今朝のあれは何だったのよ」

 

 昼休み、いつものようにトリニティスクエアのベンチで集まったヒフミ、コハル、ハナコ。

 コハルは手に持った紙パックのジュースを飲みながら、今朝の奇妙な光景についてヒフミに尋ねる。

 

「実は……。先日アリウスの生徒さん達の前で色々と言ってしまった時の動画がSNSで流れてしまったらしく……」

「動画?」

「はい。これを……」

 

 ヒフミがスマートフォンを見せると、端末からは彼女自身の声が聞こえてくる。

 

『私達の、青春の物語を!』

 

「あ〜……、これね……」

「こ、こうやって改めて見ると恥ずかしいです……」

 

 コハルが画面をスワイプすると、動画のコメント欄が現れる。コメントはどれも『カッコいい!』『感動した』等、好意的なものばかりであったが、何しろその量がおびただしい。

 誹謗中傷のようなコメントが無いのは幸いだが、この人気っぷりでは今朝のように人が集まるのも頷ける。

 

「なるほど、ヒフミちゃんの勇姿を見てファンの娘が沢山出来てしまった……ということですね」

「まっ、良いんじゃない?別に嫌がらせとか受けてるわけじゃないんでしょ?」

「ま、まぁそうなんですが……。あの時は本当に皆さん頑張っていたのに、何故か私だけがこうやって持て囃されるのは……」

 

 

「それは違う、ヒフミ。それだけ多くの人がヒフミに勇気をもらったということだ」

 

 

 その声が聞こえるが早いか、3人の頭上にある木の枝から、逆さまにぶら下がったアズサが突如として姿を現した。

 

「キャァァァァァァァッ!!!??!?どどどど、どっから出てきたのよ!!!」

「?見ての通り木の上からだが……」

「そういう事じゃない!」

 

 驚きのあまり持っていたジュースを握りつぶしてしまったコハルとは対照的に、アズサは平然とそのままの姿勢で木から飛び降りる。

 空中で器用に一回転し、キレイに両足で着地。猫を思わせるような軽やかさは、体操ならば10点満点の嵐だろう。

 

「もしかしたらヒフミのファンの振りをして敵が現れるかもしれないからな。周囲を警戒していた。今の所は問題なかったが」

「あはは……。ありがとうございます、アズサちゃん……」

 

 ゲリラ戦の達人、白洲アズサ。いついかなる時も警戒し、チャットですらもコードネームを使う彼女にとっては、最近になって急に増えたヒフミのファンが怪しく見えるのも当然と言えば当然なのだろう。

 どうやら木々の間や茂みを移動していたようで、繊細に輝く銀髪には木の葉が数枚引っかかっていた。

 

「アズサちゃんは相変わらずですね。……あら?」

 

 ハナコの視線が、少し遠巻きからこちらを見ている生徒の姿を捉える。

 3人組で、どうやらこちらに話しかける機会を伺っており、誰が最初に行くか相談しているようだ。

 

「噂をすれば早速、ヒフミちゃんファンの皆さんですね♡」

「ホントだ。しかも今朝の娘たちとはまた別だわ。すっごい人気ね」

「どうやら敵意は無いようだが……」

 

 向こうの生徒も、補習授業部の面々が見ていることに気付いたのだろう。

 少しして、3人で一緒にヒフミ達の前に歩み寄って来た。

 

「あの、阿慈谷先輩ですよね……?」

「は、はい!」

 

 後輩に話しかけられているのに、何故か緊張しているヒフミ。先輩が背筋を伸ばしながら答える姿に、話しかけた彼女たちも釣られて姿勢を正し、気をつけの姿勢で横一列に並んだ。

 

「じ、実は私達、あの動画を見まして!」

「それで、先輩にお近づきになりたいなと思ったんです!」

「ご迷惑でなければ、お昼ごはんでも一緒にいかがですか!!」

 

 まるで訓練中の軍隊のように声を張り上げる3人組。憧れの先輩をお昼にお誘いするとなれば、それぐらいの気概は必要だということなのだろうか。

 

「えっと、お誘いは嬉しいのですが、今日はですね……」

 

 ヒフミがチラリと後ろを見る。既に補習授業部が集まっているので、今日のところは断ろうとしているようだがハナコはそんな彼女の視線を察して、どうぞとジェスチャーをする。

 

「良いんじゃない?せっかく来てくれたんだから、一緒に行ってあげなさいよ」

「うん。私もヒフミがそうしたいなら良いと思う」

「み、皆さん……。じゃあ、こんな私で良かったらご一緒させて頂きます!」

 

 ヒフミはそう言って3人組の方に向き直る。「では、こちらに!」と嬉しそうに案内する後輩に付いて行くヒフミ。その姿を三人はしみじみと、感慨深そうに見つめていた。

 

「凄い慕われてるわね……」

「まぁ、ヒフミちゃんは唯でさえ一緒にいると安心しますからね。そこにあんなにカッコいい動画が広まれば、それは人気も出るでしょう」

「でも、アンタは良かったの?いっつも一緒にいたじゃない」

「私は、ヒフミに沢山のことを教えてもらった。そんなヒフミの良さを他の皆にも知ってもらえるのは、素敵なことだと思うから……。だから大丈夫だ」

「アズサちゃんは大人ですね。じゃあ私達は3人で大人なランチでも……♡」

「へ、変な言い方しないの!」

 

 

 

 

 この時、3人は知る由もなかった。悪事千里を走る、好事門を出でず──しかし、全ての物事がそうなる訳ではないということを。

 悪事が千里を走るのであれば、偶然門の外に出た好事は、それこそ万里すらいとも容易く駆けるということを。

 

 

 

 

 一週間後、とある朝。

 下江コハルはその日も、寝ぼけ眼を擦りながら通学路を歩いていた。

 そんな彼女を咎めるように、被せられっぱなしの工事現場のブルーシートが、パタパタと風に揺られて音を立てる。

 しかし、先日と違う点が一つ。隣を歩いているのは浦和ハナコではなかった。

 

「コ、コハルちゃん。私、バレてませんかね……」

 

 そこにいたのはサングラスにマスク、ニット帽という絵に描いたような、ぶっちぎりの不審者だった。

 勿論、天下のお嬢様学校であるトリニティ総合学園の通学路に、不審者などそう簡単に出るはずもない。

 よく見ると、ニット帽からは亜麻色の髪が出ており、そもそも背負っているバッグはモモフレンズの有名キャラクター、ペロロ様のグッズだった。

 つまり分かりやすく言えば、コハルと一緒に登校していたのは変装したヒフミだった。

 

「……今の所はね。時間の問題だとは思うけど」

 

 特徴的過ぎるバッグをやや鋭い視線で見ながら、コハルが返事をした。

 いくら変装をしてもペロロ様だけは捨てられないという彼女の信念なのか、それとも単に忘れているだけなのか。

 どちらにせよ、あまり巧妙とは言えない変装がバレるのは、彼女の言う通り時間の問題のように思われた。

 

「うぅ、まさかこんな事になるなんて……」

「ホントね。今朝、その姿で急に話しかけられた時は思わず撃ちそうになったけど」

 

 コハルの言う通り、かなり怪しい格好ではあるものの、しかし周りを歩く生徒はそんな彼女には目もくれず、一心不乱にSNSの情報をチェックしている。

 

「ねぇ。今日はヒフミ様の目撃情報あった?」

「いつもならこの時間、ここの辺りを通るって聞いてるけど」

「そーいえば最近、通学路変えたって聞いたよ!」

「それ実はデマなんだって。こうやって情報を錯綜させて、ヒフミ様を独り占めするつもりよ!」

 

「……あれ。意外にバレないのかも」

「良かった〜……。このまま学校まで行ければいいんですけど」

 

 この一週間で、ヒフミを取り巻く環境は一変した。

 生来の頼み事を断れない性格故に、色々な生徒とランチを一緒にしたり、放課後に出かけたり、お悩み相談を受けたりするうちに、ヒフミの人気は際限無く上がっていったのだった。

 動画の活躍に加え、優しくて人当たりの良い性格。まさに物語の主人公のようなヒフミに、トリニティの生徒達は次々と虜になった。

 今ではヒフミファンクラブ、阿慈谷ヒフミ親衛隊、阿慈谷先輩を愛でる会など、トリニティ名物の派閥争いもかくやと言わんばかりに、ヒフミファンの集いが数多く結成されている。

 

「幸い、学校では皆さんあまり集まってこないのですが……」

「一回ファンクラブ同士の抗争で正義実現委員会が出動しちゃったからね。それ以来校内ではあんまり騒がないようにしてるみたい」

「あはは……。そ、そんなことに……」

 

 自分の預かり知らない所で、まさか不戦条約まで結ばれているとは思いもしなかったのだろう。

 マスクとサングラスの上からでも分かるくらい、普段彼女が困ったときの数倍、とびっきりに引きつった笑顔を浮かべた。

 ──その瞬間だった。周囲の生徒が一斉にヒフミの方を見る。

 

「今のお可愛らしい笑い方……」「清らかな鈴の音のようなお声……」「帽子からはみ出ている繊細な御髪……」「間違いない……」

 

 

「ヒフミ様〜〜っ!!」

 

 

「バ、バレちゃいました!急いで学校まで行きましょうコハルちゃん!」

(ていうか、そんな些細なことで見つけられるのに、あの変装は見抜かれなかったんだ……)

 

 目をハートにして追いかけてくる少女達を振り切るように、全力でトリニティの正門まで駆ける。

 そんなヒフミの姿を一目見ようと、登校中の他の生徒達はまるでマラソン大会のように道路の脇に立ち止まり、彼女が駆け抜ける花道を作り出す。

 駆ける二人、追うは無数のトリニティ女子。

 

「……ヒフミ」

 

 しかし、そんな光景を遠巻きから、少し寂しそうに見つめる生徒がいたことに、ヒフミもコハルも気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

「酷い目にあったわ……」

 

 その日の昼休み、いつも補習授業部で集まっているスクエアのベンチにはコハル、アズサ、ハナコの三人が来ていた。

 今朝の出来事を思い出しながらやや不機嫌そうにストローを噛むコハルを、ハナコがその頭をよしよしと撫でて窘める。

 

「でも確かに、ここ何週間かでヒフミちゃんの人気は更に高まりましたね……。正直ここまでになるとは思いませんでした」

 

 ハナコがそう言って視線を向けた先では、何人もの生徒がスマホの画面を見ながらヒフミの良さについて語り合っているところだった。

 他にも、広場にいる生徒同士の会話に耳を傾ければその殆どがヒフミに関する話題であると分かる。

 

「ファンクラブならトリニティでも偶にありますが、まさか通学路で追いかけられる程とは……」

「私は今朝だけだったけど、この分じゃ大変ねあいつも。それに、こっちはこっちで何か拗ねちゃってるし」

 

 コハルが傍らをチラリと見る。そこには見事に口を『への字』に曲げたアズサが、ベンチの隅に体育座りですっかり収まっていた。

 

「いや。拗ねてない。ヒフミが色々な人から人気があるのは良いことだ」

「そんなこと言って。っていうか、護衛には付いてないのね。意外」

「前にヒフミから大丈夫と言われたからな。だから最近は行っていない」

「なるほど。それで会える時間が減っちゃって寂しいんですね♡」

「いや、寂しくない」

 

 そう言ってつん、とそっぽを向いた。普段のさっぱりした性格のアズサから考えると、珍しい態度だった。

 

「今日は来ると言っていたのですが、また誰かに捕まっているのでしょうか」

「かもね。頼まれたら何だかんだ断れない性格してるし」

 

 二人がそんな風に話していると、広場の向こうから見覚えのあるシルエットが走ってやって来る。

 

「みなさ~ん!遅れてすみません~!」

「ヒフミ!」

 

 いち早く気付いたアズサは、一瞬でベンチから立ち上がるとパタパタと嬉しそうに駆けよっていく。

 

「ヒフミ、大丈夫だったか」

「そんな大げさな……。でも、遅れちゃってごめんなさい。アズサちゃん」

「問題ない。さぁ、早くみんなでお昼を食べよう」

 

 アズサがヒフミの手を引いてベンチへとやって来る。その表情はさっきとは打って変わって随分と満足そうだ。

 

「遅かったじゃない。また他の生徒に捕まってたの?」

「いえ、最近はむしろ校内では皆さん道を空けてくれるくらいで。……まぁ、それも逆に歩きにくいといえば歩きにくいんですが」

「じゃあ、何があったのよ」

「実は、こんなお話を頂きまして……」

 

 そう言ってヒフミはリュックから一枚のプリントを取り出して三人に見せる。

 そこには「放送部企画 特別インタビューについて」という題字が書かれていた。

 

「放送部の企画?」

「はい。今回は学校内の有名人にインタビューをするとかで、私に出てほしいと……」

「企画書によると、いつものお昼の放送とは違って、トリニティスクエアにステージを作ってそこで行うみたいですね。衆人環視の中、ヒフミちゃんのあんな事やこんな秘密がつまびらかに……♡」

「ちょ、ちょっと!エッチな企画じゃないでしょうね!」

「いやいや違いますよ!?」

「ところでつまびらかって言葉、ちょっとエッチな響きだと思いません?」

「ハナコちゃんもちょっとストップです!」

「それで、ヒフミはその。これには出るのか?」

 

 アズサの問いかけに、ヒフミは少し困ったように笑いながら「それが……」と返す。

 

「こんな私がここまで大きいイベントに出るなんて、なんだか想像したこともなくって……。最初は断ったんですけど、もう少しだけ考えてほしいってお願いされちゃって」

「確かに、ステージをわざわざ作るなんて規模が凄いですからね」

「もういっそ断っちゃえば?こういうのは早めに返事した方が向こうも助かるだろうし」

「うーん……。良いんでしょうか……」

 

 そう言って腕を組んで悩むヒフミに、アズサは一瞬だけ悩む素振りを見せて、それからにわかに口を開いた。

 

「……私は、ヒフミが出ても良いんじゃないかと思う」

「ア、アズサちゃん?」

 

 アズサの意外な発言に、ヒフミが驚いたように聞き返す。

 

「もちろん、一番大事なのはヒフミの気持ちだけど……。でも、沢山の人がきっとヒフミのことをもっと知りたがっているはず。もしヒフミも、出ても良いと思っているなら私は応援したい」

「確かに、私も絶対に嫌という訳じゃないんですが……」

 

 そんなアズサの言葉に、ヒフミは更に目をつぶり、うーんと唸って考え始める。

 コハルはアズサの脇腹を肘で突き、ヒフミに聞こえないように少し声を抑えて話しかける。

 

「ちょ、ちょっと良いの?この話を請けちゃったら今よりもっと会える時間減っちゃうわよ?」

「別に、ずっと会えないって訳でもないから。それに……」

 

 アズサは少しだけ迷うように視線を落とし、それからコハルに向き直った。

 

「私は、ヒフミの友達だから。友達の成長や旅立ちは応援するものだって聞いたことがある。だから私は応援してあげたい」

「でも……」

「……。それで、ヒフミさんはどうしますか?」

「そ、そう言ってくれるなら私、頑張ってみようかなと思います!」

「そうか。応援しているぞ、ヒフミ」

 

 アズサの言葉を聞いて決断したヒフミ。そんな彼女を見て、アズサは笑顔で応援する。

 だが、ハナコとコハルは彼女のそんな笑顔を、どこか心配そうな表情で見つめるのだった。

 

 

 

 

 その日のうちにヒフミが放送部に出演OKの返答をすると、翌日からは本番に向けて準備の毎日が始まった。

 今回のイベントの主役ということもあり、ステージの構成や当日の段取り、質問内容の事前取り決め等、単なるインタビューの回答者には留まらない仕事量だった。

 ヒフミ自身、こういったイベントに開催側として参加するのは初めてだったため、慣れない仕事に苦戦していたが、幸いにも放送部の生徒たちは今までにも何度かこのような企画を開催したことがあったようで、そんな彼女を上手くサポートしていた。

 しかし、当然ながら忙しい。それはもう目が回るほどに忙しく、授業以外の時間は殆ど打合せのために放送部の部室にこもりっきりになってしまった。

 

「……」

 

 その日も、昼休みのベンチにヒフミは来ていなかった。

 昼のチャイムが鳴る少し前からそこに座っていたアズサは、何をするでもなく少し寂しそうな顔で頬杖をついて佇んでいた。

 

「アズサちゃん、横座りますね」

「もう来てたのね」

「あ、二人とも……」

 

 後からやってきたハナコとコハルが、軽く挨拶を交わし並んで座っていく。

 アズサは先ほどよりも元気そうな顔にはなったが、やはり普段の彼女と比べてやや声のトーンが低く感じられた。

 

「相変わらず元気ないわね。別に普通に会いに行ってもいいんじゃない?」

「そうですよ。ヒフミちゃんも迷惑には思ったりしないでしょうし」

「いや……。今はイベントの方に集中してほしいんだ。ヒフミはきっと私が行けば一緒にいてくれるだろうけど、それだと準備の時間を減らしてしまうかもしれない」

「うーん。まぁあいつ、そういう所律儀だから確かにそんな感じにもなっちゃうかもしれないけど……」

「だから私はその、大丈夫だ。私はヒフミの友達だからな」

 

 伏し目がちにそう言ったアズサに、コハルは何も言うことが出来なかった。

 確かに、ヒフミの性格を考えれば会いに行ったアズサを放っておくことはしないだろう。

 しかし、それはこの忙しい時期に時間を割かせてしまうことに他ならないというアズサの意見は一理ある。それならばいっそ、イベントがひと段落するまではそっとしておくのが良いのだろうというのも、正しいように思える。

 しかしそうやって考えている一方で、コハルには尚その選択が正解とは思えなかった。

 同じ部活の仲間が、目の前でこんなに寂しそうな顔を見せるような、そんな選択肢が果たしてベストなのだろうか。

 コハルは、そんな矛盾した思いに頭を悩ませる。

 

「……アズサちゃん、コハルちゃん。私、こう思うんですけど」

 

 そんな二人を見かねて、ハナコが口を開いた。普段は過激な発言でコハル達を困惑させる彼女だが、しかしその洞察力は補習授業部どころかトリニティでもトップクラスに鋭い。

 二人のの中にある如何ともしがたい気持ちを察したハナコが、助け舟を出そうとしたその時、どこかで聞き覚えのある音楽が流れてきた。

 

「あれ、すまない。着信が……」

 

 アズサのポケットから聞こえてくるそれは、モモフレンズのテーマソングだった。以前ヒフミと一緒に買い物に出かけたときに設定したな、とアズサは思い出す。

 

「ヒフミからだ!」

 

 ディスプレイに表示された名前を見て、アズサの表情が一気に明るくなった。急いで画面をスワイプし、通話に出る。

 

「もしもしヒフミ?」

『あ、アズサちゃん!今大丈夫ですか?』

「あぁ、勿論問題ない。何かあったのか?」

『実は今日、放課後時間が空きそうなので、久しぶりに一緒におでかけ出来ないかなと思いまして……。先週から始まったモモフレンズの映画にみんなで行きませんか?』

「本当に?……うん、絶対行く!今、二人にも聞いてみる!」

 

 アズサがスマートフォンから耳を話すと、コハルとハナコにも話の内容は聞こえていたのだろう、二人とも質問されるよりも前にふるふると首を横に振った。

 

「二人は行かないみたいだ……。でも私は大丈夫。絶対に行く」

『ありがとうございます!じゃあ、放課後に会いましょう!』

 

 そう言ってヒフミは通話を終えた。スマートフォンをポケットにしまったアズサの顔は、今までの憂鬱な表情が嘘のように輝いていた。

 

「二人とも本当に良いの?私に遠慮なんかしなくても……」

「いや、まぁ遠慮って訳じゃないけど……」

「こ、今回は二人っきりで楽しんできてください」

 

 相変わらずモモフレンズが若干苦手な二人は、少し顔をひきつらせながら、それをアズサに悟らせないように笑顔で返す。

 アズサはそんな様子に気付くことなく、『ヒフミと映画、ヒフミと映画!』と楽しそうに口ずさみ、その場でくるくると回る。

 

「こうしてはいられない。早速今日の準備をしなくちゃ!」

 

 そう言ったが早いか、アズサはその自慢の身体能力から来る健脚で、あっという間に自分の部屋へ去っていく。

 残されたコハルとハナコは、その後ろ姿が小さくなるのをしばらく眺めていた。

 

「……ま、良かったんじゃない?あんなに楽しそうにしてるの、久しぶりに見たし」

 

 アズサの姿が見えなくなったあたりで、コハルはやれやれといった感じでそう言った。

 しかし、ハナコはまだ気になるところがあるようで、目を閉じながら何やら考え事をしていた。

 

「どうしたのよ、そんな風に考えこんじゃって」

「そうですね、色々と思うところがありまして……」

 

 怪訝そうに尋ねるコハルに、ハナコは少しだけ、いつもよりほんの少しだけ真面目な微笑みを向ける。

 

「コハルちゃん、今日の放課後空けといてくれませんか?」

 

 

 

 

「映画、映画……!」

 

 自室に戻ったアズサは、早速準備に取り掛かった。

 着ていく服は何にしようか迷ったが、散々悩んだ末にいつも通りの制服に決めた。

 せっかくモモフレンズの映画に行くのだからと、何かぬいぐるみを持っていこうと思い、時間をたっぷりかけて考え、最終的にはお気に入りのスカルマンをカバンに入れた。

 そうこうしているうちに時間は過ぎ、待ちに待った放課後を告げるチャイムが近づいてきた。

 もう完全に午後の授業をすっぽかした形にはなるのだが、アズサの頭からはそんなことはすっかり抜け落ちている。

 

「そうだ、そろそろヒフミに連絡しよう……」

 

 そう思った直後、アズサのスマートフォンから先ほどと同じメロディーが流れる。ヒフミからの着信だった。

 

「こちらアズサ。ヒフミ、どうかしたのか?」

『ご、ごめんなさいアズサちゃん。今日の予定なんですけど……』

 

 先ほどのウキウキした声のトーンとは違い、今度は申し訳なさそうなヒフミの声がスマートフォンから聞こえてくる。

 

『実は打合せが長引きそうで……。絶対に行きますから、一本後の上映に変えられますか……?』

「……えっと」

 

 突然の話に、アズサは一瞬戸惑いを見せる。電話口からはヒフミの謝る声が聞こえてくる。

 

『時間はえっと、今送信した写真の回なら行けると思いますから……』

「い、いや、その……」

 

 アズサはそんなヒフミの声を聞きながら、少し目を伏せ、そして一瞬迷ってから──。

 

「いや、そういうことならまた今度にしよう」

『え、えっとアズサちゃん……?』

「あまり遅い時間に行っても明日に響くだろうし……、わ、私も、ゆっくり時間が取れる時で大丈夫だから。だから、その、今日は大丈夫だ。……そ、それじゃあ!」

 

 アズサはそう言って通話を切った。最後にヒフミの声が聞こえたのが、なぜだか分からないが彼女の胸を少し締め付けた。

 スマートフォンを机に置いて、ベッドに倒れこむ。カバンの中のスカルマンをぐいと引き寄せ、強く抱きしめ顔をうずめた。

 ヒフミ、と彼女の名前を呼びたくなったが、なんだかいつもより情けない声が出そうだったので、どうにかしてしてそれを胸の奥に押し込めた。

 

 

 

 

 秋の日は、思っているよりも短い。

 時計は五時を回ったくらいでも、すっかり太陽は低くなって、赤い夕焼けが薄雲を照らす。

 白洲アズサは夕焼けが差し込む体育館で、一人何をするでもなく佇んでいた。

 ここはトリニティの合宿所。以前、補習授業部が使った施設である。

 来た意味は特になかった。強いて言うならば、昔みんなで──補習授業部で過ごした場所にいたかったのだ。

 みんなで退学の危機を乗り越えるため、そして学園の危機を打ち破るために戦ったこの場所は、いつしかアズサにとって何よりも特別な場所の一つになっていた。

 

「……」

 

 これで良かったのだ、とアズサは頭の中で繰り返す。

 そうだ、わざわざ忙しい時期に無理をしなくとも、また時間を探せばいいのだから。

 そうやって納得しようとしていたが、彼女の中に引っかかる『とある気持ち』は、指先に木の棘が刺さった時のような不快感をずっと残していた。

 

「……はぁ」

 

 やがて立ちっぱなしが面倒になり、その場で座り膝を抱え込む。そういえば少し前に、どこかの路地裏で同じように座っていたなとアズサはぼんやり思った。

 

 そうして、暫く時間が経った頃──。

 

「あら」

 

 体育館の扉が開かれ、一人の人物が入ってきた。

 スラリとした手足、腰まで伸びた長髪、純白の翼。

 ──トリニティ総合学園ティーパーティー所属、桐藤ナギサの姿がそこにあった。

 

「珍しい人がいますわね。お久しぶりです、白洲アズサさん」

「……桐藤、ナギサ」

「横、座りますね」

「どうしてここに?」

「あら、学園の施設を使ってはいけませんか?……なんて、冗談です。実はここ、結構お気に入りなんです。普段誰も使う人がいないので、休憩にぴったりで」

「セーフハウス、あれだけあるんだから使えばいいのに」

「あそこは何かあったときに使うので、少し気が張り詰めてしまうんです。今日みたいに何となくうろつく日には、ここが一番なんですよ」

「……そっか」

 

 疑われていた者と、疑っていた者。

 元々は酷く剣呑な関係にあった両者だが、今では同じ場所に同じ座り方でそこにいた。

 それはなんだか奇妙で、それでいてどことなく落ち着いた状況だった。

 アズサは先ほどよりも、少しだけ気が楽になるのを感じた。

 

「何があったか、聞いても大丈夫ですか?」

「……別に。ヒフミがイベントの準備で今日予定が合わなくなって、それで暇になって、やることが無いから来ただけ」

「なるほど。それで寂しくなったけど、どうすれば良いか分からなかったと」

「別に寂しくなんか……」

 

 寂しくない。

 アズサはそう言い返そうとして、言葉を止めた。

 何秒かして、もう一度口を開く。

 

「寂しい」

 

 小さな声だった。そこにいたのは、ゲリラ戦の達人、戦闘のエキスパートのどちらでもなかった。ただの一人の、小さな女の子だった。

 

「ヒフミと会えなくて、おしゃべり出来なくて、寂しい」

「それでここに?」

 

 ナギサの問いかけに、アズサは首を横に振った。

 そして、暫く黙っていたがやがてぽつぽつと話し始めた。

 

「ヒフミと会えないのは寂しいけど、でもそれだけじゃないんだ。……私は、ヒフミがどこかへ行ってしまいそうで、怖かったんだと思う」

「……怖かった、ですか」

「私は今まで、友達がいなかった。アリウスにいた時は友達とか考える事もなかったから。だからヒフミや補習授業部のみんなは、そんな私に出来た初めての友達だったんだ」

「……」

「友達の成功や挑戦は応援してあげるものだって、聞いたことがある。だから私は、友達のヒフミを……、初めて出来た友達のヒフミを応援してあげたかった。でも、なんだかいつの間にかヒフミが遠くに行ってしまいそうで……。でもそんな風に考える私なんかが、ヒフミの友達でいられるのかなって。そう思えてしまったんだ」

 

 いつの間にか、アズサの声は涙混じりのものになっていた。それでも涙を流していないのは、彼女の強さ故なのだろう。それは考えようによっては、悲しい強さだった。

 

「いつか私は、本当に大切な時にヒフミのことを考えてあげられるんだろうか」

 

 やがてアズサは話し終えると、自分の両膝を抱え直した。それはもしかすると、彼女の中の不安の表れなのかもしれないと、ナギサは思った。

 

「……そうでしたか」

 

 ナギサはアズサの話を聞き終えると、瞳を閉じて少し考える。やがて、彼女に向き直り微笑んだ。

 

「ではここは私が、お礼に教えて差し上げます」

「……お礼?」

「はい。先日頂いた、弾倉一つ分。その弾丸のお礼です」

 

 ナギサはそう言って、悪戯っぽく笑った。

 それは以前の厳粛な彼女からは考えられない、それでいて年相応の可愛らしい仕草だった。

 

「まず一つ。友人のあり方に決まりなどありません。初めての友人を大切にしたいのは分かりますが、一般論なんてあまり真に受けてはいけませんよ」

「……」

「二つ目。友人関係というものはそう簡単に無くなったりしません。一時期騙し合っていた私達ティーパーティーを見てください。今では仲良くお茶会をしていますよ」

 

 まぁセイアさんとミカさんは相変わらずですが、とナギサは付け足した。

 アズサは不思議と、そんなナギサの言葉を自然に受け入れることが出来た。

 それは偏に、ナギサの言葉の端々からにじみ出る、包容力とも呼べる不思議な余裕によるものだった。

 以前にアズサが会ったナギサは、猜疑心に囚われた余裕のない少女だった。他人を疑い、自分の身を守ることに必死になっていた。

 しかし、エデン条約事件を超え、友との危機を乗り越えた彼女の言葉には、確かな慈愛と包容力があった。アズサはそれを無意識のうちに感じていたのだった。

 

「三つ目。きちんとヒフミさんと話しましたか?勝手に一人で抱え込んでないですか?」

「で、でも……。それでもしケンカになったりしたら……」

「その時はまぁ……、お互い心行くまでケンカするのも良いかもしれませんね。ヒフミさんはあれで結構お強いらしいので、もしかしたら苦戦するかもですが」

「そ、そんなこと……」

「良いんですよ。もちろん仲直りが出来る程度に、ですけど」

「……」

「友人関係は、阿ってはいけませんが慈しむだけでもダメです。疑うことは褒められませんが、盲信は意味がありません。私は先日の一件で、それを学びました」

 

 そう言ってナギサは、アズサの目をじっと見つめた。そこには以前のような疑いや敵意は無かった。ただ真っすぐで、真摯なその視線は『貴女ならきっと分かります』とアズサに伝えているようだった。

 

 

「それに、ヒフミさんは友人が応援してくれないからと言って、それでその人を置いてけぼりにするような人ではないでしょう。それは、貴女も知っていますよね?」

 

 その瞬間、アズサの脳裏にはある光景が広がった。

 エデン条約事件、その渦中。戦場にいる自分のもとに、ヘンテコな仮面を被って駆け付けた彼女の心からの言葉、その時の光景が──。

 

「……そうだった」

 

 

『私たちは、違う世界にいるなんてことはありません!』

『同じです!隣にだっていられます!』

『一緒にいられないだなんて……そんなことを言わないでください!』

 

 

 そうだ。彼女は命懸けで自分に伝えてくれたのだ。

 私たちはどんな時も、隣にいられると。

 

(それなのに、私は勝手に塞ぎ込んで……)

 

 アズサはナギサを見つめ返した。その視線は、先ほどまでの弱々しいものではなく、しかし無暗に強がっているものでもない。

 ただ、いつもの白洲アズサがそこにいた。

 

「ふふ。では私はこれで……」

 

 ナギサはそんなアズサを見て、満足したように立ち上がり出入口の方に歩いて行った。

 

「え、もう行ってしまうのか?」

「はい。もっと貴女と話すべき人がいらっしゃいましたから」

「それって誰が……」

 

 

「アズサちゃーん!!」

 

 ナギサが立ち上がると、体育館の扉が勢いよく開かれる。

 恐らくここまで走ってきたのだろう。そこには息を切らしながらも、アズサの姿を見つけてホッとしたような表情のヒフミの姿があった。

 

「ってナギサ様!?どうしてここに……」

「いえ、単なる偶然ですよ。では私はこれで……」

 

 そう言って驚くヒフミの横を、ナギサは軽く会釈をしながらすれ違い、体育館から出て行った。思わぬ人物との遭遇に呆気にとられていたヒフミだったが、本来の目的を思い出し、アズサのもとに駆け寄ってくる。

 

「ヒフミ、どうしてここに……」

「さっきの電話で、アズサちゃんのことが心配になっちゃって……。それで、学校の中でアズサちゃんがいそうな場所を探してたんです」

「でも、イベントの準備は……」

「そんなの関係ありません!……まぁ、勝手に出て来たので後でフォローしなくちゃですけど」

 

 えへへ、と笑うヒフミだったがよく見ると靴は泥まみれで髪は汗でへばりついている。ここにたどり着くまでに、相当走り回ったのだろう。

 

「アズサちゃん、少しお話しませんか?」

「うん……」

 

 そう言って、ヒフミはアズサの横に座る。先ほどの電話のことが気まずいのか、おずおずと視線を泳がせるアズサだったが、穏やかに自分を見つめているヒフミの視線に気付くと、安心したように彼女の目を見つめた。

 

「……」

「……」

 

 沈黙。ヒフミは必死になってアズサを探すあまり、見つけた後のことを考えてはいなかったし、アズサはそもそもヒフミがここに来るなんてことは思っていなかったので、突然の遭遇に何を話せばよいか分からないままだった。

 しかし、二人の間に広がる沈黙は決して重苦しいものではなかった。むしろ、今まで二人でいるときに感じていたような、安心感すらあった。

 

「……あはは」

「……ふふっ」

 

 出会ってからずっと一緒にいた二人が、今になってこうして黙って並んでいることが可笑しかったのか、やがてヒフミもアズサも笑みをこぼす。

 

「ヒフミ。その……、今日はいきなりあんなこと言ってゴメン」

「そんな、私の方こそ……!」

「私、本当は怖かったんだと思う。もしかしたら、この先ヒフミが補習授業部から離れて行ってしまうんじゃないかって」

「アズサちゃん……」

「でも、もう大丈夫だ。分かったんだ」

 

 そう言ってアズサは、ヒフミの目をまっすぐに見つめる。いつかヒフミが、自分にそうしてくれたように。

 今の自分の言葉を、気持ちを、余さず彼女に伝えるために。

 

「ヒフミがいつも隣にいなくたって、友達だってことは変わらない。どんな時でも、違う世界にいるなんてことはないって。前にヒフミが言ってくれた通りだ。……今更こんな簡単なことに気付くなんて、ちょっと情けないけど」

「……そんなことありませんよ。実は私も同じこと考えてたんです」

「ヒフミも?」

「はい。放送部さんからお話を頂いたとき、私でいいのかなって思ったのと同じくらい、『このまま補習授業部の皆さんと一緒にいられる時間が減ったらどうしよう』って心配になったんです」

「そう、だったのか……」

「でもアズサちゃんも同じことを考えていたと知って、なんだか安心しました。……ねぇ、アズサちゃん。一つだけお願いしても良いですか?」

「お願い?」

「はい。もし私が、遠くに行ってしまいそうな時は……。その時は、きっと迎えに来てくれますか?」

「……うん、約束する。絶対に駆け付ける」

「えへへ。それなら安心です」

 

 ヒフミはそう言って、アズサの手を取った。二人の視線は、お互いを捉えて離さない。

 

「私達、ずっと……ずっと友達ですよ!」

「……!そうだな。これからも、よろしく」

 

 

「……なんか、良い感じにまとまったみたいですね。最初にハナコさんから『アズサさんを探してほしい』と連絡をもらった時は驚きましたが」

「まさかナギサさんが一番最初に見つけるとは。でもそのおかげで、アズサちゃんも元気が出たみたいです」

「……なんか邪魔しちゃいけない雰囲気みたいね。今日のところは先に三人で帰らない?」

「良いですね、コハルちゃん。晩御飯も食べて帰りましょうか♡」

「ふふ。では私もお言葉に甘えて、ご一緒させて頂きますわ」

 

 扉の陰から覗いていた三人が、バレないように静かに体育館を後にする。

 見上げると日は先程よりも更に低くなっていた。遠く向こうの空は、赤々と残照に照らされている。

 きっと明日は晴れるのだろうと、そこにいた誰もが思った。

 

 

 

 

 それからしばらくして、イベント当日。

 トリニティスクエアには、多くの生徒が押しかけ今か今かと開始の時を待っている。

 

「おーい。こっちこっち」

 

 そんな中先に席を確保していたコハルが、遅れてやって来たハナコとアズサに手を振って場所を知らせる。

 

「コハル、遅れてすまない。周囲に不審な奴がいないか見回っていた」

「アンタ、一周回って相変わらずね……」

「私は何かあった時のため、制服の下に水着を仕込んで……」

「今日は特にエッチなのは禁止!ていうか意味分かんないし!せっかくの晴れ舞台なんだから真面目に……、あっ。始まるみたいよ!」

 

 ステージの上に放送部の部員が立ち、注意事項を読み上げ始める。開演が近いことを察したのか、観客の生徒達も徐々に静かになっていっく。

 読み終える頃には、先ほどまでのざわめきが嘘のように、広場は静まり返った。

 

 

 やがて、司会の部員と共にヒフミが舞台に登場した。拍手と歓声。自分に向けられたそれらにヒフミは、少し照れ臭そうに手を振って返した。

 ステージの中央まで来ると、席に置いてあったマイクを手に取る。

 そして、観客席の端から端までを見渡してから、緊張をほぐすように一度深呼吸をして、ヒフミは話し始めた。

 

「えっと、皆さんこんにちは。二年の阿慈谷ヒフミです。今日はこんな素晴らしい場所に立たせてもらって、本当にありがとうございます」

 

 そうして、一度お辞儀をしてから「えっと……」と続ける。

 

「今日はインタビューの前に、皆さんにお伝えしたいことがあります。……ご存じの方が多いでしょうが、私は先日の出来事の時に、少しだけその、目立ってしまいまして……。それで、色々なご縁があって、今日この場に呼んで頂けました」

 

「正直今でも、こんな私がこの場所に立っていていいのかなと不安ではあります。……それに、なんだか環境の変化にも戸惑ってしまって。今までの人間関係とか、そういうのが変わってしまうんじゃないかって」

 

 

「ヒフミ……」

 

 アズサがヒフミをじっと見つめる。声は出せないが、ステージの上で必死に頑張る友人を応援するように。

 

 

「でも、私の大事な友達が言ってくれたんです。どこに行っても友達のままだと。……遠く離れてしまいそうになったら、その時は駆け付けてくれると」

 

「私は自分に自信が持てないけど、そんな風に言ってくれた友達のためなら頑張れるんです。……勇気が湧いてくるんです!」

 

 

「だから今日は精一杯頑張りますので、どうかよろしくお願いしますっ!」

 

 そう言うと、ヒフミはもう一度深くお辞儀をする。

 そんな彼女に観客席からは、最初はまばらに、しかし徐々に大きく、最後には広場全体に響き渡る程の拍手が贈られた。

 

「……なんか、あいつらしくて良いわね」

「はい。ヒフミちゃんの魅力がたっぷり詰まった挨拶でした」

「やはり、ヒフミは凄いな……。あんな大勢の前で……」

 

「では、さっそく始めましょう!『トリニティのごきげんよう 特別スペシャル』!」

 

 司会のタイトルコールと共に、イベントは始まった。

 ヒフミは少し緊張している様子だったが、司会はやはり場慣れしているようで、そんなヒフミを上手くフォローしながら、イベントは大きなアクシデントも無く進行していく。

 ファンからの質問、お便り、レクリエーションなどのコーナーが終わり、いつの間にかイベントは最後の締めに入ろうとしていた。

 

 

「何とか最後までやりきったわね。実はこういうの得意なのかしら?」

「もしかしたら、意外にこういうステージが性に合ってたりするのかも知れませんね」

「何にせよ、特に事件が起こらなくて良かっ……」

 

「では名残惜しいですが、これが最後のコーナーです!なんでも、ヒフミさんには人生を変えた作品があるとか!」

「はい!本当に素晴らしい作品で、もっと沢山の人に知ってもらいたいと常々思っています!!」

 

 

「……なんか、急に嫌な予感しない?」

「確かに、ヒフミさんの雰囲気が……」

 

「という訳で最後の企画は、そんなヒフミさん一推しの作品を上映したいと思います!いや~権利関係が色々ありましたが、何とか交渉の末OKが出ました!」

「わぁ!本当にありがとうございます!放送部の皆さんと、何度も遅くまで会議をしてようやく実現できました!!」

 

 

「え、嘘?嘘よね?あれじゃないよね?ていうか忙しくしてたのって、これの為なの?」

「い、いやぁ。どうでしょうか。でもヒフミさんのあの据わった目は……」

 

「では上映開始です!『TVスペシャル版モモフレンズ』、ご覧ください!」

 

 

「ストップ!!今すぐ止めに行くわよ!?」

「いや、まぁここで止めるとイベントの進行が……」

「言ってる場合じゃない!あんなカルト映像流したら、トリニティの歴史に残るわよ!」

「でもほら、もう始まっちゃったみたいですから」

「誰か!誰か止めてぇぇぇぇ……」

 

 そんなコハルの叫びは、スクリーンから流れるテーマソングにかき消され、誰の耳にも届かなかったのだった。

 

 

 

 

 その日もまた、コハルは寝ぼけ眼を擦りながら通学路を歩いていた。

 傍らのハナコは、そんな姿を見てあらあらと微笑んでいる。

 いつしか工事は終わっていたようで、通学路はすっかり事件の前の姿を取り戻していた。

 

「おはようございます!コハルちゃん、ハナコちゃん!」

「おはよう、二人とも」

 

 そんな二人の後ろから、ヒフミとアズサがやって来た。

 コハル達を見つけて走ってきたのだろうか、ヒフミの息は少しだけ荒れていた。

 

「あら。二人ともおはようございます」

「おはよ。……なんかこういうの、懐かしいわね」

「そうですね。でもイベントが終わったので、これからは前みたいに遊べますよ」

「終わったっていうか、まぁ……。あんたのファン、減ったわよね」

 

 ほんの数週間前とは打って変わって、今ではヒフミを追いかける生徒は一人もいなかった。

 すれ違いざまに会釈や短い挨拶をしてくる生徒はいるが、その数も以前の追っかけ生徒の人数からすれば、本当にごく僅かだった。

 

「あはは……。まぁ、人のウワサもなんとやらと言いますから」

「あんなに素晴らしいイベントだったのに……。でも心配しなくていい。またみんなヒフミの良さに気付いてくれる」

 

 イベント終了後、トリニティスクエアが何とも言えない沈黙に包まれたのは言うまでもない。

 ステージ上で感想を言い合うヒフミと司会を、何とか舞台袖に引っ張っていった放送部員が解散を宣言すると、生徒たちはみな沈痛な面持ちでその場を後にして行った。

 

 しかし、ヒフミとアズサはまさかモモフレンズ上映会がここまで凄まじい破壊力を持っているとは夢にも思っていない。

 まぁそれは、あるいは幸せなことなのかもしれないが。

 

「とにかく、今日からはまたみんなでお昼食べましょうね!」

「あぁ。放課後はショッピングにも行きたいな」

 

 そんな風に、以前と変わらない様子で歩く二人を見て、コハルはため息をつき、ハナコは微笑んだ。

 そして、いつの間にか前を歩いていた二人に追いつくように、少しだけ歩みを早める。

 

 

 人の心は案外丈夫というか、どんな事件やアクシデントも大抵は乗り越えるようで──。

 

 

 つまり。この四人が並んで歩く光景は、暫く変わる予定は無いようだ。

 




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