或るトレーナーの後悔 作:※(米印)
「サンキューちゃん!」
名前が呼ばれた。振り向くと、見知った顔。
「え、エルちゃん!」
「もう、その呼び方やめようって言ったじゃん!」
「ごめんごめん、つい癖で……」
彼女はエルカーサリバー。私と同じ学校の出身で、名前の区切り方は「エルカーサ」「リバー」らしい。とはいえ「エルカーサちゃん」なんて呼ぶのも長ったらしいし、私は今でも心の中では「エルちゃん」と呼んでしまっている。
「何か考え事?」
「あっ、ごめん、なんでもないの」
「ふーん、なんでもいいけど……わたし、絶対サンキューちゃんに勝つから!」
「の、望むところだよ」
エルちゃんは今までもレース(のよううなもの)の度に私に対抗心を向けて来た。これまではほとんど私が勝ってきたけれど、エルちゃんは少しも諦めようとしない。その精神力には、ちょっとうらやましいな、なんて思ったりする。
「バッチリ勝って、岡村さんとかに声かけてもらっちゃうもんね!」
エルちゃんは意気込む。岡村さんが第4レースが終わった後どこかへ行っていたのは、言わないことにした。
ガシャン、とゲートが開いた。
「っ!」
その途端、私は一気に不利になった。私は6枠6番、一番大外。ところが、ひとつ内の5枠5番の子が好スタートを決めてきた。後ろからのレースに甘んじて内に入るか、外をまわってでも前目につけるかを選ばなきゃいけない。
短距離戦だから、前目につけなきゃ不利。でも大外枠からさらに外なんて回ったらレースにならない。
一瞬の逡巡の後、私は内に入ることを選んだ。
そしてそれは、盛大に裏目に出た。
「スローじゃねえか、おいおい」
昼飯を返上した例のトレーナーは、ストップウォッチを片手に呟いた。
ただでさえダートは前残りになりやすいのに、その短距離戦で、スロー気味。追い込み勢には実質ノーチャンスと言わざるを得ない。
サンキューは5番手、と言えばまるでチャンスがありそうに聞こえるが、最後方が6番手なのだから、もはや終わったも同然である。
「ご愁傷様なこって」
3、4番手あたりまでは出たり入ったりだが、サンキューと最後方のエルカーサリバーには動きがない。上がりを測る気も失せて、彼はストップウォッチをポケットにしまった。
残り400のハロン棒が視界の後ろに飛んでゆく。
「前につけておけば……いやもう少し早くに押し上げていたら……でもペースが……」
後悔ばかりが頭に浮かぶ。もう、勝ち目がほとんどないことはわかっていた。
だいたい、ダートの短距離戦などという、適性とまったく違うレースを選んだ段階で間違いだったのかもしれない。ただ早く走りたいからと、空きがあったレースに出走届を出してしまったのだ。
勝ち目がないなら、あとは流して走った方が賢明なのかもしれない。そんな考えまで頭をよぎる。
ちらりと後ろを見た。エルちゃんがいる。彼女も、あるいは私以上にノーチャンスには違いない。
それでも、その目は闘志に満ち溢れていた。
「そう、だよね」
頭を振る。反省は後でたっぷりしよう。今は一つでも上の順位をめざすしかない。
エルカーサリバーは実はサンキューと同じ新馬戦に出ています。前話で言った通り同日にアドラーブルがデビューしていたり。
そしてこの世代の牝馬なら最強(だと私は思っている)な某ウマ娘のデビューも関連があったり……
なんだか運命的なものを感じます。