魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
南大陸へ足を踏み入れた初日の夜。超豪華なお宿に泊まっている。
「大丈夫、ナイ?」
「ごめん、平気。ありがとう、リン」
お宿の階段で足を引っかけた私は、またしてもリンに抱えられて部屋まで運ばれた。どうにも術を使ったままだから、頭と足の交信が上手くいかず階段で躓いてしまったのだ。私たちのやり取りを宿の案内役の方がぎょっとした目でこちらをみたけれど、大丈夫ですと告げれば仕事を遂行すべく前をむいていた。
どうして、過剰に驚くのだろう。黒髪黒目信仰も度が過ぎればこうなってしまうのね、と納得しつつ、本日宿泊する部屋に辿り着く。
「凄い、豪華ですねえ」
お貴族さまってこんな広くて豪勢な所に泊まるんだーとリンに抱き上げられたまま部屋を見回す。いきなり訪ねてきたけれど対応してくれる宿も凄いし、高級宿に素泊まりしようとする私たちも贅沢である。ソフィーアさま曰く、お金の力で割とどうにでもなるし、貴族と名乗れば店側が配慮してくれるのだって。
「こんなものではないか?」
「もっと良い宿でも良かったのですが、流石に予約を取っていませんでしたから」
ソフィーアさまとセレスティアさまが普通だろうと言うが、ベッドは別室にある上におそらく凄くデカくて柔らかい。狭い部屋にベッドが半分近く占拠しているビジネスホテルにしか泊まったことがないので、小市民の私は今いる宿が凄く豪華だしお金持ちが泊まる宿だと恐縮してしまう。
といっても、貴族になっているから自身もお金持ちの部類にはいる上に、収入はド安定と聞いているので貧乏貴族とはならない。
ゆっくりとソファーの上にリンが私を下ろしてくれる。ありがとうと伝えれば、彼女もどういたしましてと言葉を返してくれた。
部屋の広さは王都の子爵邸にある自室より狭いけれど、豪華さはお宿の方が勝ってた。ちょっと金色が強いというか、派手というか。置いてある家具が多くて、おいそれと触れない。
落ち着いた趣の方が好みだけれど、一泊するだけだし、ご飯を食べてお風呂に入って寝るだけだから我慢だ、我慢。椅子に腰かけてソフィーアさまとセレスティアさまを見れば、困った顔になっていた。
「店の外でジークリンデがナイを抱き上げた時、周りの者が凄い目で見ていたな」
「自殺志願者がいるぞ、と耳にしましたわ」
お二人はふぅ、と息を吐いて私を見ている。自殺志願者は私に向けられたものではなく、リンに向けた言葉だろう。私に触れてリンが死ぬことはないのだが、リンはリンで『ナイを守れて死ねるなら本望だ』とか言い出しかねない。
「やはり黒髪黒目は良く思われていませんね……女神さまは無茶をしたものです」
本当に南の女神さまの評判は凄まじいものだ。恐怖で人の信仰心を集めるって逆に凄いと感心できる。女神さまであれば、魔術や魔法を越える凄い力を持っているだろうし、人々から注目を浴びるのは凄く簡単だろう。
ふう、と椅子の背凭れに背を預けて天井を見上げた。過去の黒髪黒目の人たちと女神さまと南大陸の方々の問題であり、私が女神さまに望むものなんてないから関わることもないけれど。
――"黒髪黒目を馬鹿にする連中が悪いだろう……揃いも揃って……"
どこからともなく女性の声が聞こえたけれど、はっきりと聞き取れなかった。なんだ、と背凭れから離れてきょろきょろと周りを見渡す。いつものメンバーしかいないし、護衛の方たちは別部屋で待機しているか、部屋の前で警備を担ってくれている。怪しい人物が侵入する余地はないし、一体誰の声だったのか。
「どうした、ナイ?」
「声が聞こえませんでしたか?」
ソフィーアさまが不思議そうに私を見つめながら問うたので、考えたままの言葉を返した。
「いや、私はなにも聞こえなかった」
答えを聞いたソフィーアさまは、私からセレスティアさまへと視線を移す。
「わたくしもですわ」
セレスティアさまは壁際で控えているジークとリンに顔を向けて、視線で答えを求めた。
「なにも聞こえませんでした」
「兄と同じです」
ジークとリンも聞こえなかったようだ。はっきりと聞き取れなかったし、術を行使したままだから妙なものを感知してしまったのかもしれない。
「私の気の所為かもしれないので、あまり気にしないでください」
私の言葉にソフィーアさまとセレスティアさまがそうはいかんと仰って、護衛の方たちに指示を出す。周辺警戒レベルを上げたようだ。しまったな……と反省しつつも、この場はアルバトロスではない。
なにかあっては遅いし、私の身になにかあればみんなの責任になってしまう。必ず黒い竜と怪しい魔術師を見つけだす、と誓って術に込める魔力を上げる。
「ナイ、無茶をするなよ。術を行使していると、身体の反応が鈍くなっているからな」
「先ほども階段で転げ落ちる寸前でしたからねえ。ジークリンデさんが支えてくれなければ危ういところでしたもの」
ソフィーアさまとセレスティアさまが少し心配そうにこちらを見た。戦闘中であれば、戦いの方に全ての思考を割けるけれど、日常生活を営みながら魔術を行使することは案外難しい。この国の王都に赴いてずっと発動させているのは、探知魔術である。南大陸の人々は魔力量が多くないので、一定の魔力を有していれば反応するというもの。
王都の三割ほど調べ終えているのだが、あとの七割を終了させるためには朝まで掛かるだろう。諜報向きの魔術であり、魔物討伐の現場で使用されていないのは時間が掛かってしまうからだ。現場では歩き回った方が魔物を早く見つけられる。適材適所なのだと感心していれば、宿の方から夕食の準備が整ったと知らせが入った。
宿の夕食を頂くのだが……食堂に赴くことなく、部屋に運んでくれるコース料理だった。給仕の方がいるので『いただきます』と心の中で唱えると、前菜料理から運ばれてきた。そうしてカトラリーを使いながら、食事を進めていく。
「カトラリーの使い方が随分と良くなったはずなのに……今日は悲惨だな」
「仕方ないのでは? 慣れぬことをしている上に子爵邸ではありませんもの」
お二人が微妙な顔でこちらを見る。彼女たちも同席しているのだが、生粋のお貴族さまのカトラリーの扱いは凄く慣れているものである。音は最小限に留めているし、お皿の上に施されたソースとか綺麗に食べきっている。
私はまだカトラリーの使い方には難儀している所だ。ソフィーアさまに評された通り、随分とマシになっているものの、お貴族さまの女性としては一口が大きいと言われ、最近は切り分けるサイズを小さくするように気を配っていた。
「……む」
フォークからポロリとお肉が落ちて、お皿の上に転がった。ダリア姉さんとアイリス姉さんに副団長さまは魔法と魔術の多重展開を得意としている。どこに差があるのか不思議だけれど、彼ら彼女ら曰く慣れだと教えてくれた。私は慣れてもきちんと振舞えるのか怪しいだろう。器用な方ではないし、苦手に入る部類である。
メインを終え、デザートも綺麗に食べ終えて『ごちそうさまでした』と心の中で手を合わせた。私のどんくさい姿に給仕の方が少し引きつつも、きっちりと対応してくれるのは貴族向けの宿だからだろう。最後の最後に紅茶のお代わりが目の前に置かれた。給仕の方に少し聞きたいことがあるので、ソフィーアさまとセレスティアさまに顔を向けた。
「少し聞きたいことがあるのだが、良いだろうか?」
ソフィーアさまが給仕の方の顔を見上げて、声を掛けた給仕の方以外に見え辛いにコインを置いた。給仕の方は他の人にバレないように、こっそりとコインを上手く手に取ってポッケナイナイしている。
「私で答えられることであれば」
高級宿の給仕の方であれば、情報をお客から聞き出さないように教育されているはず。でも、逆であれば話し易いのか、それともコインを袖の下に入れた効果なのかにこりと微笑んでいる。
「私たち姉妹は噂が好きで情報を集めているんだが、なにか知らないか? 王都の情報でも構わないし、王都以外のことでも良いんだ」
あとソフィーアさまが美人って所も加味されていそうだ。彼女に声を掛けられた給仕の方は照れているのだから。
「噂、ですか。そうですね」
はて、なにかあっただろうかと給仕の方は暫く思案して口を開いた。どこそこの貴族家の当主が愛人を囲っている、とある貴族家の歴代当主は
あれ、最後の噂はドワーフさんではないだろうか。機会があれば少し調べてみようと頭にメモをしていると、今度はセレスティアさまが他の給仕にコインをこっそり渡した。
「もう少し、ありませんこと?」
ぱん、と鉄扇を広げた彼女に給仕の方がにんまりと微笑んで、新な噂を口にする。王都の貧民街に住む者の数が少し減った、王都で一番勢いのある商家が新しい取引先を求めて必死になっている、黒尽くめの怪しい女が割と良い宿に泊まり子供を連れて怪しい行動を取っている、とかである。
「!」
黒尽くめの怪しい女性の情報がやっと掴めた。どこかの宿に連泊し、黒い衣服は避ける傾向なのに黒色を好んで纏っていること、働いている様子もない上に私たちのような貴族でもないので逆に目立っているそうだ。
流石にピンポイントな情報に食いつくわけにはいかず、話を少し逸らして美味しい食事を提供しているお店を聞き出す。その辺りの方角は、宿屋も多いはずである。検索地点が絞れたので話は終わりとばかりに、もう紅茶は結構だと断れば給仕の方たちが部屋を出て行く。少し間を空けて……。
「見つかった、か?」
「王都を隅から隅まで調べ上げるよりも、効率は良いでしょうね。ナイばかりに負担を掛けるわけにはなりませんし」
ソフィーアさまとセレスティアさまが私を見る。ジークとリンも『無茶はするなよ』『見つかったら、捕まえる』という雰囲気だ。三年生最後の学期だから、アルバトロス王国に早く戻りたい。
「大丈夫ですよ。術式を少し組み替えて探索場所を変えてみます。相手に感知されることなく、ゆっくりと丁寧に……細く、小さく、精密に……」
意識を集中させると、魔力が湧いて髪がふわりと揺れる。
「相変わらず、魔力量が多いな」
「ええ。そして他人の魔力であるのに、嫌な感じが全くしないのは不思議なものです」
魔力量が売りの聖女だし、魔力の親和性の高さは誰よりも優れているらしい。クロが私の邪魔をしないようにと、リンの肩の上に移動する。給仕の方から聞き出した、ここより先の歓楽街。私の魔力を極々少量…………地面に流して……誰かの魔力の下へ向かうようにと思い描く。地面に少しばかりの水を流し込むような感覚。
「……あ。結構な魔力量の持ち主が三人」
私の言葉に息を呑んだいつもの面子。さて、夜が明ければ感知した場所に赴いてみようと、一同に確りと頷くのだった。
――私の知らない、C国某所。
「ああ……ああ! この魔力は! アルバトロスの黒髪の聖女は私を探し求めていたのね! 貴女が私を選んだというのであれば、なにも遠慮する必要はないでしょう! その身体、貰い受けます! そして魔術の深淵に辿り着くのだわ!!」
「先生、どうしたの?」
「アンファン、先生は用事ができました。子の面倒を頼みます。当面の資金はこれだけあれば大丈夫。あと魔力を抑えている魔術具を外しては駄目。…………――決戦は明日、陽が真上に昇る少し前、が良いでしょう!!」
とまあ、次の日に相対する方にバレていたあげくハッスルしていたなんて、今の私が知る訳がない。
◇
――夜が明けた。
感知魔術に反応した魔力の塊は昨夜からC国王都の歓楽街から移動した気配はない。もう一度検索を掛けても、位置は変わらず。
見つけた時点で相手を探しに行かなかったのは、暗闇の中での戦闘は厳しいものがある。緊急時は致し方ないし、隠密で活動しているなら夜は狙い目となるが、他の方々に迷惑を掛ける気もない。相対した相手と戦闘になれば細やかな魔力操作は無理なので、周囲の人たちを確実に巻き込んでしまう。
朝靄を分けて陽の光が差し始めた頃。
「C国上層部の許可は取れた。王都の壁外西側は空き地だそうだ。そこであれば暴れても構わない、と返事がきた」
「堂々と立ち合う準備はできましたか。以前、お師匠さまとナイが見たという魔術師であれば良いのですが」
あと迷惑を掛けるであろう宿屋さんからの情報によれば、怪しい人は数ヶ月前から滞在しており、幼い赤子が増えていたとのこと。
十歳程度の子供も一緒にいて、部屋を借りている人物を『先生』と呼んでいるそうだ。情報が駄々洩れだから、隠れる気はあるのかと疑ってしまうが深くは考えまい。こちとら裏でこそこそと動き回るのは趣味ではないし、正面からぶつかって『魔力量』を武器に物量作戦を取るのが一番の最適解と考えているのだから。
『魔術師かあー! お嬢ちゃんより強いのかっ!?』
『マスターより強い魔術師がいるだなんて、信じたくありません。あのアルバトロスの変態は例外ですが』
リンとジークが佩いているカストルとレダが声を上げた。魔力光が鞘から漏れているので、テンションは高くやる気も十分の状態である。
レダの副団長さまに対しての認識が『変態』であるし、その言葉で彼のことかと理解できるのは……副団長さまが悪いか。まごうことなき魔術に対して純粋に紳士に向き合っている『変態』なのだから、レダの認識は間違っていない。
『こう、相手がぐわーっと魔術を放って、俺が華麗に斬ったらカッコ良くねえか?』
『貴方がカッコ良いのではなく、使い手であるジークリンデの腕が良いだけでしょうに』
レダの鋭い突っ込みに黙るしかないカストル。いつもの調子だなあと小さく笑って、ジークとリンの顔を見る。
「状況や展開次第だけれど、ジークとリンには一番槍を務めて貰う。支援は任せて。今回は軍と騎士団の方たちがいないから、二人だけに集中できるよ」
討伐遠征では聖女として後方支援に就く。魔物と相対するのは軍と騎士団の方々で、状況次第でジークとリンも加わっていた。私は後ろで逐次変わる戦況を見定め、魔物と相対する皆さまに各能力向上魔術を的確に分配すること、怪我をした方に治癒を施すことがメインだ。
小さな編成規模でも聖女の配置が少なければ、担当する人数が多くなることがある。百人規模の部隊の支援を引き受けたことがあるが、その時はあまりジークとリンに気を配れなかった。けれど今回は別である。相手は一人だし、ジークとリンだけに集中できるだろう。私が魔術を使用するれば周辺被害が大きくなるので、追い込まれない限りは封印である。
「ああ。任せてくれ」
「うん。ナイの支援があるなら私たちは無敵」
ジークとリンが笑みを浮かべる。そっくり兄妹の顔には不安や迷いは一切浮かんでおらず、私のことを信じてくれている。有難いことだと笑って、右手の拳を付きだした。グータッチは久方ぶりだと三人で笑い合えば、一歩前に出てきた方がいた。
「ジークフリードとジークリンデだけに任せていられないだろう」
「そうですわ。後方支援は任せてくださいませ。主の命があればジークフリードとジークリンデの加勢もできますもの」
ソフィーアさまとセレスティアさまだった。昨夜、作戦を練っていた時に、私は危ないからお二人は宿で留守を守ってくださいと伝えたのだが、侍女だからついて行くの一点張りだった。それなら固定砲台と化して頂くことをお願いしたのだが、セレスティアさまは前に出る気満々のご様子。
『ボクも状況次第で加勢するよ。もし竜が現れたらボクの出番だ』
クロが私の肩の上で胸を張った。もし東大陸から南大陸へ逃げたとされる黒い竜が現れたら、という仮定の話をしているとクロが真っ先に名乗り出てくれたのだ。説得を試みて改めてくれないならブレスを放つね~と言ったので、誰もいない方向へお願いします……と告げたのだが、クロの
『ロゼも! 転移で外にみんなを送る!』
私の影からロゼさんが出てくる。ロゼさんは怪しい魔術師と私たちの転移を担う役だ。流石に街中でドンパチするわけにはいかず、外で戦おうと話がついた。私も転移魔術を使用できるけれど、距離が短いことと一気に何人も運べないのでロゼさんが一番の適任者なのである。
身体をぽよんと大きく揺らすロゼさんを撫でると、満足したのか影の中に戻って行った。護衛の方々は王都に住む方々を守るようにとお願いしている。なにがあるか分からないし、警戒は怠らずとも伝えていた。
「では、行きましょうか」
私の声にみんなが頷いて宿の外を目指し歩いて行く。そうして馬車に乗り込んで歓楽街を目指して、昨日反応があったあたりに辿り着いた。
時間は陽が真上に昇る少し前。
細かい位置を特定しようと歓楽街の入り口手前で魔力を練る。周りの方々が黒髪黒目の私をぎょっと見て、危うき者には近づかないと言いたげに目を逸らし道を避けて通り過ぎていく。ふわり、と髪が魔力の放出によりふわりと揺れて直ぐのことだった。
「馬車で移動だなんて随分と余裕があるのね。アルバトロス王国の黒髪の聖女さまは……あら、貴女、以前より魔力量が減っている気がするけれど……」
黒い衣装に身を纏った、三十代後半くらいの女性が私の前に立っている。肩には黒い竜が乗っていた。ディアンさまとベリルさま、そして副団長さまから聞いていた黒い竜の特徴にそっくりだった。
五重に掛けていた魔術具の一つに皹が入ると、私の後ろに控えているソフィーアさまとセレスティアさまが『抑えろ』『逃げられては困りましょう』と相手に聞こえないように呟いた。
いけない、ルカを傷付けた本人を前にして気が立ってしまった。こっそり小さく息を長く吐いて、心を落ち着かせる。
相手は私を下に見ているようだから都合が良い。副団長さまの提案で魔力制御の魔術具をいくつも身に着けておけと、私には十個、みんなには一個ずつ譲り受けている。あとクロの脚にも同様の効果がある魔術具を付けてもらっていた。竜用に魔術具を造れないかと相談したら、嬉々として副団長さまが引き受けてくれたのだ。
私は魔術具十個を身に着けると眩暈がしたこと、昨日の魔術行使で結構な量の魔力を消費したから、流石に身に着けている個数を半分に減らしているけれど。
「もしかして、私を見つけることに必死だったのかしら? 嬉しいわ。そんなに必死に私を求めてくれるだなんて」
『妙な方向に機嫌を持って行くな。白銀の竜を肩に乗せているからアルバトロス王国で噂になっている聖女のようだが、本当に俺たちを相手にする気か……?』
相手は機嫌良さそうにこちらを見つめつつ、女性は懐から本を取り出した。あれ、子爵邸にこっそりあった魔導書に似ているけれど、本から発せられている圧が弱い。
副団長さまとお婆さまとダリア姉さんとアイリス姉さんの話によれば、やばい魔導書や格式高い魔導書ほどヤベー雰囲気を醸し出しているらしい。彼女と竜の態度から凄く大物そうに振舞っているけれど……どうしよう……う、うん。
副団長さまほどの強さやイカレ具合は感じないし、ダリア姉さんとアイリス姉さんが時折発する嫌いな相手に対して掛ける圧にも到底及んでいない。私と同様に目の前の彼女も魔術具を身に着けて、弱体化させているのだろうか。それなら大仰な態度も理解できる。
そしてクロが私の耳元で静かに教えてくれた。黒い竜は『堕ちている』と。だから遠慮なく斬っても良いよ、と。
「初めまして。アルバトロス王国で聖女を務めてさせて頂いております。ナイ・ミナーヴァと申します」
私たちとは十メートルほど距離を取っているので、声を張らなければいけなかった。
「名乗ってくれたのに悪いけれど、私、自分の名前を憶えていないのよ。魔術師として三百年以上生きているから、名前なんて忘れて、とっくの昔に必要ないものとなっちゃった」
ふふ、と笑う黒尽くめの女性。名前がないのは寂しいし、誰かが自分の名前を呼んでくれる機会がないのは悲しいことだろうに。目の前の人は大昔にいろいろと人間としての尊厳や感情を置いてきているようだし、名乗る気がないということは話し合いに応じる気はないと言っているのも同然である。
三百年以上生きられるって可能なのだろうか。人間の身体は百年程度しか持たない仕組みと以前の時に聞いたことがあるのだが……今は事実を認めて、目の前のことに集中するべきだと相手を真っ直ぐ見る。
「そうですか。では、わたくしとの話し合いにご興味はありませんか?」
警告はしておこう。私から先に手を出したと思われても困るので、精一杯の努力はしたけれど相手が応じず実力行使した、と報告書で言い訳ができるように。
「ええ、そうね。――""」
「――"母の腕の中で眠れ" っ、無詠唱……!」
先制のジャブのつもりだろう。相手の無詠唱の攻撃を私は障壁を張って凌ぐと、相手はにやりと不敵に笑う。私も私で右腕を伸ばして、片方の口が伸びたままだった。
「あら、これくらいできて当然でしょう? 詠唱からの展開は見事なものだったけれど……貴女、それほどの魔力量を持ち得ているのに無詠唱もできないの?」
心底不思議そうな顔で問われた。黒い竜は私たちの攻防を見守るつもりのようで、女性の肩の上で大人しくしている。
「使用する魔力の分配を読み間違えると困りますから」
「あら、一度で仕留めれば問題ないわ」
おそらく目の前の人は多くの人を守りながら、とか、後方支援役を担ったことがないのだろう。単独で動くのならば確かに一度で仕留められるなら魔力量を気にしなくても良いし、仕留められなければ逃げることも選べる。
「確かに。ですが、わたくし一人で戦う訳ではありませんので」
私の声に、ぴくりと女性の片眉が上がった。個人戦であれば本当に魔力残量とか気にせずに使い切っても、自分で失敗を犯した責任を取るだけである。であれば、女性のような思考でも問題はない。
聖女は基本後方支援に就くのだから、守るべき人がいる。無茶はできないし、誰かを犠牲にして多くを救うという選択もしなくちゃいけない時があった。だから緊急時以外は無詠唱はご法度とされているのだけれども。
「さあ、お遊びはここまで。次からは本気をだしましょう」
にやりと笑う女性の口元が歪に伸びて、彼女の身体から魔力がぶわりと漏れ出るのだった。