魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
卒業式を間近に控えている今日この頃。
サフィールからアンファンの様子を報告で聞いた。彼女は私を警戒しているようで、打ち解けるにはもう少し時間が掛かるというのが彼の見立てである。年齢も離れているし、アンファンにとって私は親を殺した存在だ。急いでも仕方ないし、私は友人を作ることを得意とするタイプでもないからゆっくりと歩み寄るのが一番なのだろう。
そして一番の問題はアンファンに私のことを彼女と同年代だと勘違いされていた。
「仕方ないじゃん……身長が伸びないんだから」
自室で独り言ちる。このことを教えてくれたサフィールは言い辛そうにしていたけれど、年齢の上下はお貴族さま世界で暮らすなら気を付けなければならないことだ。
当然、爵位の差を一番に優先され敬われるのだが、年齢も立場のはかり方の大事な要素のひとつである。王政制度の国で彼女も生きていたのだから、お貴族さまと平民の差は理解しているはず。理不尽がまかり通り、平民の人はお貴族さまに殺されても文句を言えない立場なのだから。サフィールにはお貴族さまとの差を彼女に叩き込んで欲しいとお願いしたのだが、今後どうなっていくのか。
赤子も赤子で大人しく、乳母さんたちが世話が掛からないと報告で上がってきた。私も赤子の面倒をみる時間を作って、エルとジョセとルカとジアに会わせてみたり、ヴァナルと雪さんたちと仔たちに会わせてどんな反応を示すのか試してみた。結果は、視線で彼らを追っているものの声を上げたり、泣いたり、笑ったりが少ない気がする。サフィールも私と同じことを言っているし、心配が尽きないがなるようになるしかない。
目の前の問題や課題は沢山あるけれど、一つ一つ解決していけばいつかは片付く。
五頭の仔たちも随分と大きくなり、生活圏が二階部分から一階と子爵邸の庭……というか敷地内全体へと広がっていた。まだ子供の毛だけれどもう半年も経てば大人の毛に生え変わって、ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんたちのようにふっさふさのもっふもふになるのだろう。
仔供の時期も残りわずかだなあと彼ら彼女らを見ていると、私の影をじっと見て前脚をちょこんと置く仕草を見せている。ヴァナルを見て興味を持ったのか、影の中に入ってみたいようだ。
ただ仔供故に上手くいかず、勢い良く後ろ足の力で跳躍して影をめがけて中へ入ろうとするけれど失敗に終わり、長い鼻先をぶつけて『きゃん!』と悲鳴を上げていた。治癒を施したので、骨に異常はないはずだ。
練習を重ねた結果なのか、楓ちゃん――赤色ちゃん――と椿ちゃん――白色ちゃん――が真っ先に覚えて私の影の中に入り、松風――緑色ちゃん――と早風――青色ちゃん――も入れるようになり、残すは桜ちゃん――黄色ちゃん――だけである。
朝。朝食を済ませた今の私は、学院の制服を纏い窓を背にして椅子に座っている状態。背中に登ったばかりのお陽さまの光が当たり、ぽかぽかと気持ち良いのだが、桜ちゃんだけは神妙な顔で私の影をじっと見ている。他の仔たちは私の影の中から顔を出して『頑張れ!』『早く!』と言いたげな様子で桜ちゃんを見ている。当の桜ちゃんはくうん、と鼻を鳴らして影の中に入れないことを悲しんでいた。
「あ……諦めちゃった」
部屋の隅に移動した桜ちゃんは身体を丸めて不貞寝をし始めた。ばっふんばっふんと尻尾を床に叩きつけて不満を紛らわせている姿に、苦笑いが零れた。
『大丈夫かなあ?』
肩の上のクロも尻尾を私の背中にぺちぺち叩きつけながら、桜ちゃんを見ている。
『五頭の中で、一番なんでもできていたから悔しいみたい』
ヴァナルがクロの顔を見ながら、伏せの状態からお座りの姿に変えた。桜ちゃんを慰める気はなく様子を見守るようである。
『体が大きく、皆を引っ張っていましたからねえ』
『初めての挫折でしょうか』
『これを乗り越えて強くなって欲しいものです』
雪さんたちも桜ちゃんを甘やかすつもりはないみたい。桜ちゃんは仔たちの中でも一番身体が大きくて活発な仔である。みんなが走れば彼女が先頭に立つし、じゃれ合いでも負けたことはなくふふんと自慢そうに鼻を鳴らしていた。
今まで挑戦したことは成功させているし、ここにきて初めての失敗である。桜ちゃんの心の中で消化できないものがあったようだ。その感情がみんなに負けてしまって悔しいのか、自分だけできないことが腹立たしいのか分からないけれど。なににせよ、不貞寝している桜ちゃんが可愛かった。彼女には悪いけれど。
「コツみたいなものはないの?」
とはいえ一頭だけ私の影の中に入れないのも悲しいことである。どうにかならないかとヴァナルに聞いてみた。
『良く分からない。入りたいって思ったら入れた』
ヴァナルから参考にならない返事を頂いてしまった。私の魔力の親和性が高くて他の人より入り易いのだとか。というより、私以外の方の影の中に入れるのが驚きだけれども。
ヴァナル曰く、嫌いな人の中には入らないし、そもそも入りたいと思える人が少ないとのこと。子爵邸の人たちなら入れると思う、と呟いていたので、仲の良い人が増えていて良い感じである。なんとなく手を伸ばしてヴァナルの顔を撫でると、雪さんたちも立ち上がって私の膝の上に顔を置いた。
『主さまの影は入り易いです』
『そのうち桜も入れるようになりましょう』
『彼女にとっては良い経験です』
雪さんと夜さんと華さんの順に撫でていくと順に声を上げた。彼女たちは放任主義とまではいかないけれど、仔たちの成長に手を貸す気はないらしく割と厳しい意見である。ばっふんばっふんと尻尾をまだ床に叩きつけている桜ちゃんを、愛おしそうに見ているだけ。このままではいけないと悟ったのか、影の中から顔を出していたみんながひゅばっと飛び出して桜ちゃんの下へと駆け寄る。
楓ちゃんが桜ちゃんの顔に顔を擦り付けて、ぺろりと舐めた。そして同じように椿ちゃんも参戦してぺろり。松風と早風は桜ちゃんの横に座って、ぴーぴー鼻を鳴らして『頑張ろう』と慰めているようだった。私も拗ねている桜ちゃんの側に行き、床にしゃがんで彼女の顔を覗き込む。桜ちゃんは私に見られていると気付いて、ぷいっと顔を背けた。
「ほら、拗ねていないで学院に行こう。今日は初めて登校するから、楽しみにしていたんだよね?」
私は桜ちゃんの頭の後ろに手を当てて耳後へと移動させる。ぐりぐりと右手人差し指を使って、気持ちが良さそうな所を触りながら、手を首元へと移動させる。桜ちゃんは私のなでなで攻撃を喰らい、気持ちよかったのかごろんと寝転がったままお腹を見せた。
「気持ち良いところはお見通しですよ」
ふふふ、と笑ってぽっちゃりとしたお腹へ手の位置を変えた。毛が生えてピンク色のお腹は見えなくなったけれど、まだまだ子供のお腹である。手に伝わるぷにぷにした感触を確かめていると、降参しましたと言いたそうに桜ちゃんが立ち上がった。
「元気でた?」
私の声と同時にお座りした桜ちゃんが右前脚を上げて、私の頭の上にぽんと上げた前脚を置いた。
「どうして……そうなるかな……」
へっへっへっと舌をだらりと出している桜ちゃんに揶揄われている気もするが、元気が出たなら良いかと気持ちを改める。随分太くなった前脚を軽く握って、頭の上から床に移動して頂いた。――気を取り直して。
「そうだ。せっかくだから侍女さんたちから頂いたスカーフを首に巻いてみよう」
数日前、名前が決まった記念にと侍女さんたちから毛玉ちゃんたちにプレゼントが贈られていた。スカーフにはそれぞれの色に染められており、四辺の一角には名前が刺繍で入っていて、文字はフソウのものを模している。
何故、フソウの文字が分かるのかと疑問に思っていたが、私の部屋にそれぞれの名前が書かれた半紙を頂いて額に飾っていたのだった。
見ても良いですかと侍女さんに請われたので、皆さんの間で刺繍を入れてプレゼントしようと考えていてくれたのかもしれない。
異文化圏だから少し歪なところもあるけれど、刺繍に慣れている侍女さんたちが糸を刺しているから十分に綺麗だし、一生懸命に作ってくれたものだと分かる。色付きの毛糸の紐では寂しいし、せっかくならお洒落をして学院に赴いた方が良いだろう。
仕舞っておいたスカーフを取り出して、仔たちの首に巻いていく。お出かけ気分になったのか、毛玉ちゃんたちの機嫌が頗る良い。
ヴァナルはヴァナルで良いなあという視線を彼らに向けているし、雪さんたちはそんなヴァナルを見て番さまは可愛らしいと惚気ている。クロは私の顔に顔を擦り付けたあと、私と視線を合わせた。
『良いなあ……ボクも欲しいかも』
肩を踏み踏みしているから、割と本気のようである。クロの今のサイズだと随分と小さいスカーフになるし、刺繍を入れるのは難しそうだ。でもその前に気になることがあった。
「名前、誰彼に知られたくないんじゃないの?」
『キチンとした名前は知られたくないよ。でも、ボクにはナイに付けて貰った名前があるから』
そういえば最近は全く以ってクロのことをアクロアイトさまと呼んでいなかった。クロで定着してしまいアクロアイトさまが正式名であるという認識が薄くなっていたので、クロに対しての反応が少し遅くなってしまった。どうしたの、と首を傾げるクロになんでもないよと返してスカーフに名前を刺して貰う方法を伝える。
「侍女さんたちか、ソフィーアさまかセレスティアさまにお願いすれば刺繍で入れてくれるかもね」
私が述べた方々に頼めば、素敵なスカーフを用意してくれるのではないだろうか。約一名、秒速で用意してくださりそうな方がいるので、侍女さんたちに頼んだ方が無難そうである。
侍女さんの誰かに伝えてみようかとクロと話していると、ヴァナルも仔たちを見て羨ましかったのか『欲しい』と一言漏らす。じゃあ登校前に玄関先でみんなでお願いしてみようとなって、部屋の外へと出た。
『ナイはできないの?』
廊下を私が先頭で歩いて、後ろにはヴァナルと雪さんたちが続き仔たちも一緒に行く。
「裁縫はできるけれど刺繍はできないよ。習えばどうにかなるのかな?」
上手いとは言えないが、一通りの繕い物はできる。でも刺繍は流石にやり方が分からない。お貴族さまのご令嬢であれば必須項目として、幼い頃から習ったかもしれないが、残念ながら私は最近貴族になった身である。
『教えてもらうの?』
「うーん……時間が惜しいかも。卒業すれば領地経営を本格的に学んでいかなきゃいけないし、いろいろとやりたいことと、やってみたいことがあるから」
言い終えると、廊下で私を待っているジークとリンの顔が見えた。待たせたかな、と小走りになって彼らの前に立った。
「ごめん、遅くなった」
彼らの顔を見上げるのだが、学院に入学した頃よりも背が伸びているので私の首が痛い。でもジークとリンも私を見下ろしているから、首が辛いかもしれないので黙っておく。
「いや、大丈夫だ。――良い感じじゃないか」
「ナイに可愛く結んで貰えて良かったね」
ジークとリンが毛玉ちゃんたちを見て柔らかく笑みを浮かべる。そんな二人に毛玉ちゃんたちはどやあと顔を上げて自慢気にスカーフを見せている。
三人で顔を見合わせて笑えば、クロと幼竜さんが視線を合わせて無言で会話をしているようだ。なにを話しているかまでは分からないけれど、テレパシーみたいなものがあるようで割と頻繁にそうしている。
「行こう」
玄関へ行こうとジークとリンに告げると、また私を先頭にして廊下を歩き始める。玄関ホールへ続く階段を降りると、お見送りの方たちが集まっていた。
その中にアンファンを見つけて、お見送りに顔を出してくれたことに感謝していると、私の部屋に飾っている毛玉ちゃんたちの名前が書かれた半紙を一生懸命に見つめていた侍女さんを見つける。
そして、スカーフのお礼とクロとヴァナルが欲しいと言っているので、お仕事として刺繍を入れて欲しいとお願いしてみる。流石に個人間でのやり取りは問題があると判断して、侍女長さんを通すことになった。
馬車回りに出ると、アリアさまが私たちに気付いて小さく頭を下げる。
「ナイさまおはようございます! あ、凄く可愛くて似合っていますよ! えっと、カエデちゃんにツバキちゃんにサクラちゃんに、マツカゼくんとハヤカゼくん、良かったですね!」
「おはようございます、アリアさま。スカーフを初めて巻いたので、綺麗にできたか自信はありませんが……可愛いですよね」
「はい、とても!」
にっこりと笑うアリアさまに私も笑みを返して、学院へ赴くのだった。
◇
――学院へ向かう馬車の中。
対面にはアリアさまが席に腰を下ろしてとても嬉しそうな顔を浮かべている。ジークとリンは外で警護を担っているのでこの場にはいないが、いれば彼女の様子を不思議に感じたことだろう。
アリアさまは私の影の中へ入れない桜ちゃんの相手を務めているので楽しいようだ。桜ちゃんも桜ちゃんで、アリアさまを気に入っているのか首元を両手で撫でられて上機嫌である。私の影から、他の毛玉ちゃんたちが顔だけを出して羨ましそうに状況を見つめている。
「中が狭くなってしまいますが、彼らも出てきても良いですか?」
「構いません! 絶対に可愛いですよ!」
へへへと笑うアリアさまが許可をくれると同時に影の中の毛玉ちゃんたちに視線を向けた。私たちの言葉は理解しているので『わーい!』と言いたげに勢い良く影の中から飛び出てくる。
ロゼさんが影の中で『騒がしい……』と愚痴を漏らしている気がするけれど、暫くの間我慢して頂くか外に出ておくしかない。馬車の足元にいる桜ちゃんの隣に楓ちゃんと椿ちゃんが並び、松風と早風は私とアリアさまの隣にそれぞれぺたんと腰を下ろした。
「産まれてから半年も経っていないのに大きいですよねえ。やはりヴァナルくんと神獣さまの血が入っているからでしょうか。可愛い……」
アリアさまは目を細めながら隣に座した松風に手を伸ばして、ぐりぐりと頭を撫でる。松風に嫌がる素振りはなく、アリアさまの手を受け入れて触られる心地良さを堪能していた。それに気が付いた桜ちゃんが右前脚を上げて、アリアさまの膝の上にぽんと置き『私も撫でろ!』と主張する。桜ちゃんの行動に対して困ったように笑うアリアさま。
どうするのかな、と見ていると左手を桜ちゃんの頭の上に置いて、二頭同時に撫でるという器用なことをしている。これを見た楓ちゃんと椿ちゃんが彼女の膝上に顔を置き、上目を使いキラキラと『撫でて!』と訴える。
「ナイさま、助けてください!」
腕が二本しかないのでどうにもできず、困り果てたアリアさまが私に助けを求めてきた。
「頑張ってください。ね、早風」
私と毛玉ちゃんたちの間であれば、早々にペロペロ攻撃が始まって彼らの中に埋もれるのがオチである。毛玉ちゃんたちはアリアさまに気を使っているので、そうはならない。
私は早風に腕を伸ばして耳下の部分をなでなですると、早風は左右に尻尾を振って機嫌良く受け入れてくれる。肩の上のクロが尻尾を揺らして背中を叩いているけれど、クロに毛は生えていないので独特な触り心地は毛玉ちゃんたちやヴァナルたちでないと味わえない。エルとジョセ一家の天馬さまの触り心地も良いけれど、モフ度が高いのはヴァナル一家だった。
「酷いです! じゅ、順番ですよー!!」
ひーっと悲鳴を上げそうな勢いのアリアさま。困っている姿も可愛いのはゲームのヒロインである故か。そうこうしていると学院へ辿り着き馬車を降りる。
扉をノックする音が聞こえ、外からジークが『開けるぞ』と声を掛けてきた。どうぞ、と返せばゆっくりと馬車の扉が開く。毛玉ちゃんたちが一瞬にして外に出れば、五頭が一列に綺麗にならんでこちらを見上げている。
可愛いけれど、周りの生徒さんたちが驚いていた。一応、学院には話を通しているので、毛玉ちゃんたちと一緒に中へ足を踏み入れても大丈夫である。
というか肩に竜を乗せて学院へ通っているから、反対されるのもおかしな話であるが。卒業まであと数日であるが、在校生も直ぐに慣れるだろうとアリアさまが先に降り、ジークのエスコートを受けながら私も馬車を降りた。
「派手な登場だな、ミナーヴァ子爵」
ふふ、と笑みを浮かべたソフィーアさまが声を掛けてくれた。どうやら先に到着していたようで、待っていてくれたようだ。派手な登場により、爵位で名前を呼んだご様子。笑っているというよりも苦笑に近いものだった。
「ナイ、ナイ! 凄く、とても、可愛いですわ! 五頭が並んでいる姿はやはり愛らしいものです! 嗚呼、しかもソフィーアさんとわたくしの声に反応して、皆が一緒に首を傾げている姿は、もう、もうっ!」
セレスティアさまも学院へ先に到着していたようで私たちの下へとやってきて、毛玉ちゃんたちを魔術具で写真に収めている。彼女のテンションは副団長さまに似ているなあと感じつつ、アリアさまとジークとリン、そしてソフィーアさまに視線を向ける。
「行きましょうか」
みんなに声を掛けて歩き始める。いつもは私のあとに続くのはソフィーアさまとセレスティアさまが後を続いて、アリアさまとジークとリンが歩くのだが……今日はルンルンで胸を張り顔を上げている毛玉ちゃんたちが続いている。その後ろにソフィーアさまたちが続いているのである。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんは私の影の中に入ったまま出てくる気配はない。
学院生が遠巻きに私たちを見てぎょっとしているけれど『なんだ、ミナーヴァ子爵か』『子爵なら仕方ない』と声を漏らしていた。これでエルたち一家を引き連れていれば、彼らはどんな反応を見せてくれるのやら。お猫さまも一緒にきてくれれば、もっと驚くのだろうか……と他愛のないことを頭の中で考えていると教室に辿り着く。
ジークとリンと途中で別れた記憶が残っているから、ずっと考え込んでいたわけではないけれど、考え込む癖はもう少し直した方が良いのかもしれない。
「おはようございます」
教室の中に足を踏み入れて挨拶を交わす。別に声を上げなくても良いのだが、爵位を持っている自分から声を掛けた方が相手の方も挨拶し易い。何故とソフィーアさまとセレスティアさまに問われたことがあり、理由を話せば『ナイらしい』『ですわねえ』と仰っていた。文句があるわけではないが、挨拶は下の者から伺うのが基本のようだ。
毛玉ちゃんたちは教室の後ろで五頭が固まってじっとしている。流石に一緒にいないと不味いと感じたヴァナルと雪さんたちが影の中からぬっと出てきて、五頭の面倒を見ていた。狼サイズのヴァナルと狼サイズに顔が三つ並んでいる雪さんたちと、毛玉ちゃんたちが固まっていれば圧巻の絵面だ。
怖い人や恐れ多くて見れない方は教室の前を向き、興味のある方は席に腰を下ろして後ろを見ている。ギド殿下とマルクスさまとメンガーさまも後ろを見て目を丸くしているし、フィーネさまとイクスプロードさまも後ろを見て『可愛い』と微笑んでいた。
迷惑を掛けてしまっているが、学院へ行ってみたいと願う毛玉ちゃんたちのお願いに屈した私が悪いので、せめて私は大人しくしていよう。
そうしてホームルームを告げる鐘が鳴り響くと、教室に担任の教諭がやってくる。彼も後ろでじっとしているヴァナルたちにぎょっとした顔を見せたのち、一度咳払いをして口を開く。
「教室の後ろにフェンリルとフソウ国の神獣殿がいらっしゃる。そして五頭の仔たちもだ。学院も残り僅かなんだ、粗相のないようにな~」
相変わらず間の抜けた喋り方をする担任教諭は、ヴァナルたちに視線を向けたあとに私へと顔を向け『これで良いですよね?』と真剣な表情で問いかける。私は彼の無言の疑問に一つ頷けば、ほっとした様子で学院の授業が始まるのだった。
授業を受け、お昼休みが始まる。ジークとリンと合流して食堂で昼食を済ませた。犬系の動物が苦手な方もいるだろうし食事に毛が入ると大変だから、ヴァナルたちは中庭で待っていて貰うようにお願いしている。
さっくりと食事を終わらせて中庭に足を運ぶ。何故かソフィーアさまとセレスティアさま、ギド殿下とマルクスさまにフィーネさまとイクスプロードさまとメンガーさまにアリアさままで付いてくる。ジークとリンにどうしたんだろうと問い掛ければ『ヴァナルたちがいるからな』『気になるみたい……』と教えてくれた。
中庭に差し掛かると、ヴァナルと雪さんたちが私たちに気付いて顔を上げたと同時、毛玉ちゃんたちも一斉に立ち上がり、桜ちゃんを先頭にして一気にこちらへ距離を詰める。
くるくると私の周りを何度か回ったあと、大きくみんなの周りを回る毛玉ちゃんたち。歩きながら微笑ましく様子を見守っていれば、ジークとリン以外の方たちは毛玉ちゃんの行動に感銘を受けたらしい。
「!?」
それぞれがそれぞれの反応を見せて驚いている。そうして中庭の一角を陣取って、雪さんたちと毛玉ちゃんたちの紹介を終えたのだった。
「フソウの名の発音は我々には少し難しいな。ミナーヴァ子爵の仰った名と差異がある」
難しそうな顔のギド殿下がむうと腕を組んで悩んでいる。マルクスさまも彼と同意見のようで小さく頷いていた。フィーネさまとメンガーさまは元日本人なので問題なく、名前を聞いて懐かしいという気持ちが湧いているようだった。
あ、フソウに桜ってあるのかなあ。寒い場所だから桜が咲くか分からないけれど、お弁当を持ってお花見をしてみたい。みんなで行けばきっと楽しいし、雪さんたちと毛玉ちゃんたちの里帰りも叶う。帝さまとナガノブさまに相談してみようと決め、ギド殿下の顔を見た。
「そのうち慣れます。仔たちは賢いので、少し発音が違っても分かってくれていますよ」
毛玉ちゃんたちは自分に付けられた名前を既に認識しているし、ジークとリンやソフィーアさまとセレスティアさまにお屋敷の方々が名前を呼んで――少したどたどしい――も問題なく反応している。
「楓ちゃん、椿ちゃん、桜ちゃん、松風、早風」
私が名前を呼ぶと、それぞれがそれぞれの反応を見せてくれる。軽く一度鳴いたり、尻尾をばふばふふってみたり、脚を上げて膝の上にぽんと置いてみたりと多芸であった。
「賢いな」
「賢いですわねえ。マルクスさまより賢いのでは?」
ソフィーアさまがぽつりと声を漏らし、セレスティアさまは割と厳しい言葉を婚約者さまに投げた。
「おい、セレスティア。言い過ぎだろう……」
「……声を荒げなくなったのは進歩でしょうねえ。仔たちに負けぬように精進してくださいませ」
以前であれば声を荒げて威嚇していたマルクスさまは、普通の声音で苦言を呈している。鉄扇でしばかれていた甲斐があったのだなあとしんみりしていると、ギド殿下が抑えろよ、とマルクスさまの肩を軽く叩いていた。
「わ、私も名前を呼んでみても良いですか!?」
フィーネさまがワクワクしている顔で小さく手を挙げた。ヴァナルと雪さんたちを見ると問題ないようなので、どうぞと声を上げれば、フィーネさまが仔たちの名を呼ぶ。仔たちはよいしょ、と立ち上がってフィーネさまの前に行き撫でてーと訴え始めた。
「やはり小さい仔は可愛いですね……ふふ。あまり会えないですが、これからよろしくお願いします」
一頭ごとに首元を撫でながらふとした彼女の言葉に、卒業が間近に迫っていることを思い知らされた。そうだ、許可が下りればお花見も誘ってみよう。夏に南の島へ遊びに行くけれど、それ以外の場所に赴くのも楽しそうだ。
毛玉ちゃんたちを紹介しながら、少し名前について聞きたいことがあったのでみんなから意見を聞いておく。アンファンにも話を聞いて合格を頂ければ、正式に決定となるだろう。ようやく名前が決まるかなあと安堵して、お昼の授業を受けに行くのだった。