魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
アルバトロス王国王都・城内迎賓室。
良い年をした者たちが大勢集まっている。対面には亜人連合国の代表と竜の御仁とエルフが二人並び、我らを不敵に見ていた。白い角の生えた竜のお方の手には細長い箱を持っており、ゆっくりと机の上に置く。
「ギリギリまで待たせてしまい申し訳なかった。アルバトロス王よ、確認を頼む」
「無理を申したのは我らの方だ。お気になされるな、代表」
お互いにふっ、と笑い顔を見合わせ、目の前に置かれた箱に手を掛ける。最初こそ亜人連合国の者たちに抱いていた畏怖の気持ちは薄れており、どうして理性ある彼らを大陸北西部に追いやってしまったのだ、と西大陸の先人たちに問い掛けることも増えた。
「素晴らしい……」
私の横では、叔父であるハイゼンベルグ公爵と宰相と外務卿に財務卿にヴァイセンベルク辺境伯が顔を並べ箱の中身を覗き感嘆の息を吐いていた。
ドワーフの職人に依頼した品は、学院を卒業したミナーヴァ子爵へ渡す予定である。本日はミナーヴァ子爵へ下賜する日取りを決めようと皆が集まっていた。というかアルバトロス王である私が集めた。亜人連合国の者たちは納入のために登城してくれ、丁度良い機会だと贈り物の出資者にも声を掛けているので、後ろで覗きたそうにしているが流石に割り込む愚か者はいなかった。
「良い素材が手に入り、ドワーフの職人たちも気合が入っていたからな。制作資金も十分にあった。それらに似合う物に仕上がったはずだ」
「感謝する。この世に二つとないものができ上った」
見れば見るほど美しい品である。ミナーヴァ子爵は筆頭聖女候補であるうえに、陞爵も目前である。彼女の立場に十分似合う品であるし、筆頭として諸外国の者たちと相対しても遜色はない。今までも、他国の王と交渉の場に立っているのだから、今後も王族や高貴な者を引き連れてアルバトロス王国へ戻ってくるのだろう。
南大陸のA国とB国とC国からミナーヴァ子爵と会いたいと打診があるうえに、妙なことを考えている諸外国の貴族からも伺いの書が届いている始末だ。くだらない話は外務部の者たちが問答無用で無視をし、無視できない話だけは宰相の下へと届け出ることになっている。障壁を展開し国土を守る国故に引き籠もりのアルバトロスと揶揄されていたが、今では我が国を中心に西大陸が発展を遂げていた。
「預かった魔石の質が良かったから、エルフと妖精も協力して更に質の良い物に仕上げておいたわ」
「竜の連中に砕いて貰って、火山の熱で溶かして再結晶化させたんだよ~普通なら魔石の質が落ちるんだけれど、私たちの魔法と妖精たちの気まぐれでとんでもない物に化けたんだ~」
東大陸のウーノ第一皇女から質の良い魔石が贈られ、フライハイト男爵領からは娘であるアリア・フライハイトの手によって上質な魔石が発見された。
魔石の発掘にはリヒター侯爵家も関与し、娘であるロザリンデも協力したとか。新しい鉱脈を発見したとも報告があり、フライハイト男爵領も、男爵家の後ろ盾となったリヒター侯爵家も社交界で名を上げている。
「あの子の魔力量なら問題なく扱えるでしょう。普通の人間なら杖に触れたら死んじゃうかもしれないけれど」
エルフの一人の女性が微笑んだ。そういうことは早く教えて頂きたい。周りで杖を見ていた者たちが少し距離を取ったのだが。いや、しかし……盗難対策と称せば随分と心強い仕掛けだろうか。
「あ、触れても死なない人間用に魔石に術を仕込んでおいたよ~あの子とあの子が認めた人間以外が触るとどっかーん! だからね~」
どっかーん、と言う声に周囲の者たちがぴくりと肩を揺らす。彼女の声に驚いてしまい皆が少し情けない顔を見せているが、叔父上だけは面白そうな顔をしている。彼は本当に、国に背く者には容赦と遠慮がない。
「なにを勝手に仕込んでいるんだ……」
なんて危険な物を……と息を呑んでいれば代表がエルフの二人に苦言を呈す。ただいつもより威厳が弱い気がするのは気の所為だろうか。
「妖精たちが望んだのよ。それに杖を勝手に持ち去る者が現れれば、あの子の責任になるじゃない。派手に散っても問題ないわ」
「ドワーフたちも面白いって言ってたよ~あ、派手に散ると大変だから消し炭の方が良かったかもね~」
エルフの者たちの思想は斯様に危険な物なのだろうか。全てのエルフが彼女たちのようでないことを願いながら、代表に視線を合わせると『すまない』と目を伏せていた。盗難の心配がないのは有難いことであるし、ミナーヴァ子爵が認めた者は触れることができるようだから大丈夫であろう。欲を露わにし爆散する者が現れなければ良いのだと、自身の心に言い聞かせる。
「下賜する杖は問題ないな。では、次に子爵へ手渡す時期と陞爵の時期について話し合おう。亜人連合国の者たちは、どうされる?」
これからが本題であると皆の顔を見る。一瞬で雰囲気が変わる辺り、気持ちの切り替えの上手い者たちばかりであろう。亜人連合国の代表に視線を向けると、少し困ったような顔になる。
「貴国の政に口を出す気はないのだが……彼女が陞爵すれば、王都の子爵邸から別の屋敷に移り住むのだろうか?」
ミナーヴァ子爵の爵位が上がれば、もちろん今の屋敷では問題がある。貴族というものは見栄も必要であるし、伯爵家以下の地区にそのまま住まうのは周りから問題視され困るのは子爵自身だ。
子爵に成り上がる意志があれば良いのだが、全くないので現状でも構わないと言い始めることだろう。それを防ぐために前々から良さそうな物件を押さえているのであるが……彼女は気に入ってくれるだろうか。
「あ、そっか。爵位が上がったのに今のお屋敷のままだと体裁が整わないのね」
「人間って面倒だね~今のお屋敷でも十分に広いのに」
エルフの二人が言っていることも理解できる。とはいえ子爵は貴族社会で生きているのだから、貴族として勤めて貰わなければ困るのだ。これから先も沢山の問題を抱えているから、先達として子爵を導かねばならぬだろう。
後継者問題が一番頭を悩ませていたが、子爵と血の繋がった赤子――判定を行っていないので不確定である――を南大陸の国から預かったと報告を聞いた時は安堵した。私も宰相も叔父上も辺境伯も、良い年齢の者たちが雁首揃えて深く息を吐き、ミナーヴァ子爵家を一代で潰さなくて済むと顔を見合わせたのだから。それでもやはり、直系を願ってしまうのは我々が生粋の王族と貴族だからだろう。
「そういうな。彼らには彼らの事情がある」
代表がエルフの言葉に釘を刺した。彼らに王都の子爵邸の引き払いに苦言を呈されると、我々も困るので助かった。
「知っているわ。ただ単に、お隣さんでいられなくなることが、ね」
「離れると寂しくなるね……って、代表も寂しくなるから聞いたんじゃないの~?」
エルフの言葉に代表が少し視線を逸らしたので、図星を言い当てられたようだ。やはりミナーヴァ子爵は亜人連合国の者たちから好かれている。ご意見番の浄化儀式を執り行ったことが切っ掛けだろうが、それにしたって肩入れし過ぎではと疑問を感じるほどに。何故、一個の人間に固執しているのかと聞きたくなるが今は関係のないことだと意識を変える。
「現子爵邸をミナーヴァ子爵の所有物としたままであれば問題は少ないだろう。結界も施している上に天馬たちが居着いている」
隣には亜人連合国の領事館もあるのだ。王都の子爵邸を欲しいと願う者はごまんといよう。ならば子爵邸はミナーヴァ子爵の所有物のままとすれば問題が少なくなる。実力のある聖女の下宿先にもなっているのだから、教会も所有者を変更するとなれば機嫌が悪かろう。ならば現状維持が妥当で、他のタウンハウスを所有すれば良いだけの話だ。
「なるほど。変な奴が後釜になるよりマシね」
「ちょっと寂しいけれど、会いたいってお願いすれば直ぐにあの子はきてくれるしね~」
私の話に納得してくれたのかは分からないが、亜人連合国の者たちは迎賓室から下がって行く。そうして彼らが部屋を去って暫くしたあと、皆が息を吐いていた。やはり彼らの圧は独特で常人には辛いものがある。叔父上だけは平気そうな顔をしているのが不思議でならないが、戦場に立った経験の有無の差だろうか。
「さて、今度こそ本題に入ろう」
そうしてミナーヴァ子爵に与える爵位をどうするかと皆に問う。
「彼女の功績を考えると現状の子爵位では足りますまい」
宰相が真剣な顔で告げ、外務卿が小さく手を挙げた。
「では伯爵位が妥当でしょうか?」
「伯爵位でも足りぬのではなかろうか。東大陸、北大陸、南大陸の国々と縁を繋げたことはアルバトロス王国史上誰も成し遂げたことはない。経済規模を考えれば侯爵でも構わないかと」
まさか財務卿が伯爵位でも足りないと告げるとは。彼は民から集めた税を無駄に消費することを嫌う性格である。珍しいこともあるのだなと感心していると、集まった者の一人が口を開いた。
「しかしミナーヴァ子爵は聖女です。高すぎる爵位は教会も望まぬかと……」
確かに聖女の身分でありながら高すぎる爵位は問題がある。現筆頭聖女でさえ法衣の子爵位なのだから、彼の意見は尤もだろう。だが……。
「確かに聖女として見れば伯爵も侯爵も高すぎる爵位だろう。しかし国への貢献度を考えれば、誰も成し遂げられないことを彼女はアルバトロスに齎した」
ミナーヴァ子爵の一声があれば私など一瞬で退位を迫ることができる。その武力を持っていること、武力だけではないことは重々承知しているのだ。彼女がアルバトロスに忠誠を誓うのであれば、私は国を統べる王として相応しいものを与えなければならない。でなければ後世の歴史家たちに指を指されて、ケチな王だと笑われることになろう。
「それらを踏まえれば侯爵の位を授けても足りぬであろうな。独立して国を興せと命じても子爵の性格上、首を縦に振ることはない」
子爵に国を興して貰い同盟を結ぶ道もあるが、本人が望んでいない。であれば、爵位を与えるしかないのだ。彼女が嫌がれば国を興す話を持ち掛けて、どちらが良いかと問うしかないだろう。付き合いは二年と短いが、叔父上から彼女の話を聞く限り出世は望んでいないし大きな野望も持っていない。
「領地は元バーコーツ公爵家が所有していた地を与え、王都のタウンハウスもバーコーツ公爵が管理していた屋敷を与えようと考えている」
もし仮にミナーヴァ子爵が王家に謀反を引き起こせば、一夜にして我々は陥落する確信がある。だが、王都の民を始めとした者たちが困ると、彼女は理解していることも分かる。
子飼いにするのが一番であろうと、私一人で考えた結論だ。小さな少女に大きなものを背負わせてしまっているが……それでも新に与える侯爵の位を頭を抱えながら受け取り、領地を発展させるだろうとこの先の未来を簡単に想像できる。
「ナイであれば王家が妙な気を起こさぬ限り裏切らぬ。だが、侯爵位など授ければ頭を抱えるだろうなあ……!」
くくっと喉を鳴らして笑う我が叔父は、ミナーヴァ子爵が面白い反応を見せるのが楽しみのようだ。錫杖を下賜するタイミングも一番面白くなる時期を考えているようである。
ミナーヴァ子爵……叔父上に助けられたこと、魔力を豊富に有していたこと、真面目な性格が苦労を背負い込んでいるぞ、と伝えたくなる。状況を面白がっている叔父が魔王のように見えてきた。
流石に私は叔父上のように酔狂にはなれないし、幼い頃彼に保護されたミナーヴァ子爵を気の毒に思い始めるのだった。
◇
――卒業式を迎えた。
学院のホールで執り行われた卒業式では生徒会長として最後の挨拶を終え、無事に学院を卒業したことになる。私の手の中には卒業証書も抱えているし、他の三年生一同お揃いである。
全ての日程を終えて卒業生も在校生も帰路に就いている頃、私がいの一番に挨拶をしたい相手の下へと歩いていた。そうして中庭に差し掛かれば、背の高い赤毛の髪が二つ並んでいるのを見つけ、歩く速度を落として二人の前に立った。
「ジーク、リン、卒業おめでとう。クロも一緒に授業を受けてくれてありがとう」
二年前より背が高くなっているジークとリンの顔を見上げる。幼さも抜けて大人の顔立ちになっているのは気の所為だろうか。私の足元には桜ちゃんが一緒にいて、彼女の頭の上に乗っていた幼竜さんがジークの肩へと移動した。
桜ちゃんは頑張って影の中に入れるようになったけれど、外にいる方が楽しいようで学院では私と共に行動していた。他の四頭は影の中で過ごし、ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんとロゼさんと一緒に過ごしている。
「ありがとう。ナイも無事に卒業できてなによりだ。おめでとう」
「ナイ、ありがとう。ナイも卒業おめでとう」
ジークもリンも黒い筒に入った卒業証書を持っている。教会騎士として働いているのだから、王立学院を卒業した証を持っていても意味が薄い気もするが、命を懸ける場面もある身だから騎士と聖女を引退した際には有利に働くと考えた。三年間でいろいろと騒動に巻き込まれ、保険として通った学院の意味が薄くなっている気がするけれど、卒業資格がないよりマシだろう。
本当に一年生の婚約破棄事件から始まった騒動の数々は私の人生を大きく変えた気がする。聖女として平穏に一生を過ごせれば良いと考えていたが、大事なものや守るべきものが増えた。
それを悪いこととは思えないし、いろいろと満たして貰ったところもあるので文句は言えない。一番有難かったのはフソウ国と縁が取り持てたことだろう。やはり故郷の味を食せる環境は偉大だし、アルバトロス王国のご飯も美味しくなっているので、大変だったことを帳消しにしてくれる。
『ボクはナイと一緒にいただけだけれど、楽しかったよ』
「周りの方たちは竜がいるって凄く驚いていたけれど、私も楽しかった」
クロが私の顔に顔を擦り付けながら、機嫌良く尻尾をぶおんぶおん振っている。時々、振り方を変えて私の背中を叩いてぺしん、と音が鳴るけれど痛くはない。
「幼竜さんと桜ちゃんも短い間だったけれど、学院に慣れてくれて良かったかな?」
ジークの肩の上で機嫌良く足踏みしている幼竜さんに視線を向ければ、逃げることなく一鳴きしてくれた。どうやら悪くはなかったようで、それなりに得られるものがあったようだ。
桜ちゃんも一鳴きして尻尾をぶんぶん振って私の顔を見上げている。桜ちゃんだけに問い掛けたことで、影の中から楓ちゃんと椿ちゃんと松風と早風が出てきて、私たちも褒めて~と言っているようだった。ヴァナルと雪さんたちが影の中から顔だけを出して忘れないでねと訴え、ロゼさんも影の中からぴょーんと大きく跳ね出てきた。
邸に戻ればお猫さまとジルヴァラさんも待っているし、お猫さんには以前リクエストして頂いていたお魚を焼いてお祝いしよう。
今日はお屋敷の皆さまがジークとリンと私の卒業祝いの準備をしてくれている。発案者はクレイグとサフィールで、取りまとめ役が家宰さまである。仕事が忙しい最中、計画を準備してくれているため、今日はゆっくりと時間をかけて子爵邸に戻るのだ。
一番楽しみなのは、料理長さんが気合を入れてご飯を作ってくれ、デザートも気合を入れると教えてくれた。
亜人連合国のディアンさまとベリルさまとダリア姉さんとアイリス姉さんもお祝いしてくれるとのことで、夜には子爵邸にやってくる。きっとお婆さまも気まぐれできてくれるはず。私の後ろ盾である公爵さまと辺境伯さまもあとで祝いの品を贈ると、お祝いの手紙を寄越してくれていた。
交友関係が随分と増えたし、私のことを祝ってくれる人たちも増えて嬉しい限りだ。
「少し時間を潰すのか?」
「うん。子爵邸に戻っても邪魔なだけだから、図書塔にでも行こうかなって」
ジークの質問に答える。ソフィーアさまとセレスティアさまは家でお祝いのパーティーが開かれるので、そちらに参加する。ただ彼女たちも主役故に学院で時間を潰して戻ると仰っていた。
私は特進科の皆さまに挨拶を済ませているし、ジークとリンも騎士科の皆さまとの別れの挨拶は済ませたとのこと。
王都の街に出て買い食いでもしたい所だけれど、私が街へ繰り出すと大所帯になるので迷惑が掛かる。なら学院の図書塔で時間を潰した方が無難だろう。
明日は王城でギド殿下とフィーネさまとイクスプロードさまの留学お疲れ会が開催される。凄く小規模なものだけれど、王家が開催する正式なもの……というかアルバトロス王国、聖王国、リーム王国のお偉いさんが集まるので豪華な面子ではある。フィーネさまとメンガーさまと私の事情を知っている方々ばかりの参加であるし、ギド殿下には私たちが転生者であることを打ち明けるつもりだ。
「ナイ、行こう」
リンが目を細めて図書塔へ行こうと促してくれた。差し出された彼女の手を握り足を踏み出す。学院の三年間は本当にいろいろとあったけれど、無事に卒業することができて良かった。増えた交流に驚くこともあったけれど、ジークとリンと私がこうして共に歩いて行く姿は変わらないだろうと、暖かな春の風に吹かれながら図書塔を目指して行くのだった。
◇
――制服の第二ボタンを女子生徒に強請られても渡すのは厳禁だ。
数日前、騎士科の俺の下へやってきたエーリヒが告げた言葉だった。彼らの前世である学校の卒業式では憧れていた男子生徒の第二ボタンを女子生徒が欲しいと願い出ることがあるそうだ。
俺たちの住んでいる世界が『乙女ゲーム』であるから、そう願い出る者がいてもおかしくはないだろう、と。万が一、男子生徒に欲しいと言われても渡しては駄目だと言っていた。
俺にその気はないのだが、エーリヒの頭の中で俺はどう思われているのだろうか。腐った女子生徒がいてもおかしくはない、と小さく零していたが、腐った女性と称するのは女性に対してかなり失礼なのではなかろうか。エーリヒの性格上、失礼なことを口に出すことはないので、もしかすればなにか別の意味があるのかもしれないが……分からないままだった。
そうして卒業式を無事に終え、時間を潰すために図書塔にいつもの三人で足を踏み入れていた。卒業式の日まで開放されていることに驚くが生徒が割と多くいるので、奇特な者たちのために開けられているようだ。
ヴァナルと神獣さまと仔たち五頭は大人しく、図書塔の前で過ごすと言って俺たちが戻るのを待ってくれている。話が通じるので有難いことだとナイが笑って、俺たちの方へくるりと身体を回した。
「ジーク、リン。私は医学書の方を見てくるね」
ナイが俺とリンを見上げて、医療系の資料を纏めてある棚を指差して笑う。図書塔に足を運べば、彼女は必ずと言っていいほど医学や解剖書のある棚へ足を進めて本を漁っている。
治癒魔術の効果をより高めるためと言っているが、アルバトロスで聖女を務めているフライハイト嬢と聖王国で大聖女を務めているミューラー嬢の口からそのような台詞を聞いたことがない。知識を得て効果が上がるのか疑問であるが、考えなしで行動する彼女ではないし意味はあるのだろう。
「分かった。ロゼがいるから心配はしていないが、妙な者がいるかもしれない。気を付けてな」
学院内であれば外より警戒する必要はないし、ナイの影の中にはロゼという隠し玉が控えている。アガレス帝国に拉致されたときのようにならない限り、大抵のことは対処できる。もしまた拉致事件が起これば、今度こそナイを攫った相手が終焉を迎えてしまうことだろう。
「ナイ、一緒に行く」
「本、探さなくて良いの?」
リンがナイに顔を向けて、軽く手を差し出した。相変わらず俺の妹はナイにべったりである。ナイもナイでそんな妹を鬱陶しいと感じず受け入れている辺り、心が広いのか鈍いだけなのか分からない。ただ俺たちはずっと共に歩いてきたし、共に戦い危地を乗り越えた。誰彼には紡げない絆を、俺たち三人の間で持っていると自負している。
「うん。もう借りて帰ることはできないし、お屋敷に戻ればナイと一緒に過ごせるけれど他の人がいるから……」
「じゃあ一緒に行こうか」
リンが伸ばした手をナイが取って一緒に歩き始める。流石に図書塔の中を三人で移動するのは不味いと判断して、二人の背中を見送った俺は一人で本の海の中へと潜り込んだ。当てもなく歩いていると、俺の肩の上に乗っている幼竜が顔を擦り付けてくる。随分と懐かれたと小さく笑い、手を伸ばして首元を掻いてやれば甘鳴きをしてもっとと強請る。
なにか面白そうな内容の本がないかと探しながら、幼竜の相手をしつつ探し求めた本はいつもと同じようなものだった。
騎士道について記された本や魔物の図解書、刀剣類の図解書などを見つけ、ナイとリンが好みそうな人気の少ない場所へ足を向ける。直ぐに彼女たちを見つけ、ゆっくりと近づき手に取った本を机に置いて腰を下ろした。ナイも目的の書を見つけて机の上に数冊積み上げている。リンはナイの横で覗き込むらしい。クロは机の上で丸くなっているし、俺の肩に乗っていた幼竜もクロの隣に並んで丸くなる。
冬の寒さも和らぎ、春の空気に満たされた図書塔は彼女の眠気を誘うには丁度良い空間だったようだ。
「兄さん、ナイ寝ちゃった」
「時間まで寝させておいてやれ」
制服の上着を脱いでリンに渡せば、ナイを起こさないようにゆっくりと制服を被せている。夜も明日も予定が詰まっているから、今の時間くらいゆっくり過ごしても誰も責めやしない。
ナイの寝顔を見てリンが小さく笑い、机の上にある適当な本を取って読み始めた。ナイの寝顔は俺とリンとクロたち以外が見る機会は少ないだろう。彼女付きの侍女でさえ、寝ぼけている姿くらいしか視界に納めることができないのではなかろうか。クレイグとサフィールも公爵閣下に保護されてから、ナイの寝顔を見る機会は皆無である。
そうして時間が流れ。
「……ん?」
むくりとナイが突っ伏していた机から顔を上げ、掛けていた上着が椅子の上にズレていく。
『あ、ナイ。起きたんだね』
ナイの動きに気付いたクロが顔を上げながら口を開くと、ナイは視線を落としてクロを見た。
「あれ、寝てた?」
「ああ。この陽気だ、仕方ない」
「夜はお祝い会だし、丁度良かったんじゃないかな」
きょろきょろと周囲を見渡すナイに苦笑を漏らしつつ、俺も妹も小さく笑みを浮かべる。最近、三人で過ごす時間が減っているから貴重な時間だった。
「あ、ありがとう、ジーク」
ナイは椅子の上に落ちた上着を拾って俺に差し出す。
「気にするな。そろそろ時間だ。屋敷に戻ろう」
彼女の手から上着を受け取って羽織ると、不思議そうな顔で俺を見上げた。
「ねえ、ジーク、リン。制服の第二ボタン、貰っても良い?」
「…………」
「いいよ。でも、どうして?」
彼女の言葉を聞いて無言になる俺と、どうしてと問うリン。しまった、不自然だったかと口元を手で抑えたくなるのを我慢して、妹の疑問に答えるべく彼女の言葉を待つ。
「なんとなく、というか前の所でちょっとありまして。だから二人のボタンが欲しいなーって」
ナイの言葉が妙になっている。こういう時はなにか誤魔化しているか、本心を喋りたくないか、恥ずかしいから言い辛いかのどれかだと知っている。
エーリヒから聞いた言葉が蘇り、自惚れてしまっても……期待をしても良いのだろうかと心の中がざわついた。ナイの側にいるだけで幸せだったはずなのに、彼女との未来を望んでしまえばキリがない。
「じゃあ、私もナイのボタン欲しい」
「私の? 良いよ。後ではさみで切って渡すね」
素直に自分の気持ちを伝えている妹が羨ましいと横目で見つつ、俺もナイのボタンが欲しいとどうにか口から絞り出すのだった。