魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
ナイさまがアガレス帝国に赴いているので、ミナーヴァ子爵邸は普段より静かです。
エルさんたちやポチとタマとグリフォンさんがいないので、今の状態が普通といえば普通なのですが、お屋敷で働く方々もロザリンデさまもそして私も少し寂しいと感じてしまうのは、屋敷の主人であるナイさまが分け隔てなく誰にでも優しく接してくれるからでしょう。
お屋敷の別館に住まわせて頂いている身の私は歓談部屋にあるベランダに出て外を眺めているのですが、託児所の子供たちの遊ぶ声も届いてこないことも寂しさに拍車を掛けているような気がします。ナイさまの幼馴染であるクレイグさんとサフィールさんが、子供たちを相手に遊んでいる所を見るのが好きで、こうしてベランダに出ているのですが……今日は無理でしょうか。
ふいに気配を感じて後ろを振り向くと、柔らかく笑んでいるロザリンデさまがゆっくりと私の下に歩いてこられました。
「アリアさん、ずっと庭を眺めていらっしゃいますが……如何なさいましたか?」
「ロザリンデさま。いつも庭でエルさんたちが過ごしているのに、誰もいらっしゃらないのは寂しいなあと。ナイさまも留守にしているので余計にそう感じてしまって」
少しだけ誤魔化してロザリンデさまに伝えると彼女は笑い『ナイさまがお戻りになればいつも通りですわ』と仰って、私の腰に手を添えてくださいます。ほんのりと服越しに伝わってくる彼女の手の温もりがなんだか余計に寂しさを物語っているような気がしますが、駄目ですね。
ナイさまに会えないことが、こんなにも私の心を揺らしてしまうなんて。以前からナイさまは大陸の各国へと赴き、お屋敷を留守にすることは多々ありましたがエルさんたちまでいなくなるのは稀です。
それに寂しい思いをしているのは私だけではなく、ナイさまと仲良しであるクレイグさんとサフィールさんが一番寂しいのではないのでしょうか。いつも一緒にナイさまとジークフリードさんとジークリンデさんと過ごしていらっしゃるのに、五日間も離れてしまうなんて。私であれば心配で仕方ないと思います。
「なるほど。随分と気温は上がっていますが、長く風に当たるとお身体に障ります。部屋に戻ってお茶を淹れて頂きましょう」
「はい! 落ち込んでいては駄目ですね。ナイさまが戻ってこられた時に元気がないと心配を掛けてしまいます!」
ロザリンデさまの言葉に元気いっぱいに答えます。ナイさまは周りをよく見ているお方で、お屋敷の使用人さんに元気がなければ『体調が優れませんか?』とか『顔色が悪いですよ』とお声を掛けている。
長く聖女を続けていらっしゃるので当然なのかもしれませんが、邸の中でまで『聖女』でいる必要はありません。時折私はナイさまが周りに気を配り過ぎて、いつか倒れてしまうのではと心配しています。
もしそうなれば私は聖女の役職は関係なく全力で治癒を施そうと決意していますが、杞憂であることを願うばかりです。歓談部屋に戻ってソファーに腰掛けてふうと息を吐きました。結構な時間を私はベランダで過ごしていたようで、置時計の針が随分と進んでいます。
「確かに主人のいない屋敷は寂しいものですわね。ユーリさんの様子見をお願いされていますが、子育ての経験がないわたくしたちは邪魔でしかありませんもの」
ロザリンデさまもソファーに腰を掛け、別館付きの侍女さんにお茶を淹れるようにと指示を出しました。丁寧に頭を下げた侍女さんは部屋を出て行きます。
「でもナイさまはユーリちゃんが寂しくないようにと私たちに託したと思うので、出来る限り顔を出したいな、と!」
ユーリちゃんのお世話は乳母さんのお仕事です。でもナイさまは機会があればおむつの交換をしたり、哺乳瓶でお乳をあげたりしているので普通のご当主さまとは違います。貴族夫人ですらご自身がお産みになった子供を乳母の方に完全に任せることもあると聞きます。
侯爵閣下であるナイさまが直々にユーリちゃんの面倒を看ていることは本当に稀なことでしょう。でも、乳母さん以外にもサフィールさんとジークリンデさんもお世話を焼いておりますし、アンファンちゃんも小さいながら一生懸命にユーリちゃんのお世話を焼いております。
クレイグさんとジークフリードさんも不器用ながらユーリちゃんのお世話をしていると話を聞きました。凄く微笑ましい光景なので、私も輪の中に加わりたいですが勝手はできません。
「アリアさまの前向きなところは見習いたいものです」
ふふと短く笑いながらロザリンデさまは私を見ました。私は貴族令嬢としては程遠いので見習われても困ります。ロザリンデさまが私になれば野生児となってしまうのではないのでしょうか。
「見習うようなものではないかと。私は田舎出身の貧乏貴族ですから、ロザリンデさまが真似をすれば侯爵家のご令嬢の価値を落としてしまいますよ?」
「ここ最近は侯爵令嬢としてよりも、聖女として活動している方が性に合っている気がします……教会の皆さまも良くしてくださいますし、カルヴァイン枢機卿がお優しい方でわたくしの苦手な治癒魔術の相談に乗って頂いておりますの」
ロザリンデさまが少し照れ臭そうに笑います。カルヴァイン枢機卿さまは、枢機卿という立場にありながら治癒院に訪れた患者さんに分け隔てなく接していますし、教会の改革に精力的なお方です。
残り二人の枢機卿さまもカルヴァイン枢機卿さまに全幅の信頼を寄せておりますし、将来はアルバトロス王国教会を背負っていく方だろうと教会内で囁かれています。
ロザリンデさまと私は同じ屋根の下で暮らしているので、良く行動を共にしているのですが、いつの間にカルヴァイン枢機卿さまと仲良くなっていたのでしょうか。
詳しく話を聞きたいですが踏み込んで聞くのは憚られると誰にも分からないように首を振れば、ワゴンを引いた侍女さんが戻ってきてお茶を出してくれます。何故かミナーヴァ子爵邸の侍女長さまもご一緒に現れたのでロザリンデさまと視線を合わせます。話を中断して、目の前にお茶が置かれるまで待っていると侍女長さまが深々と礼を執りました。
「聖女ロザリンデさま、聖女アリアさま。少しご相談致したいことがあり、失礼ながらこちらに顔を出させて頂きました」
顔を上げた侍女長さんはロザリンデさまと私と確りと視線を合わせます。
「わたくしたちはミナーヴァ子爵邸でご厄介になっている身です。そのように畏まらずともよろしくてよ」
「どう致しましたか?」
「はい。屋敷で働いている女性が集まり、ご当主さまについての話し合いを今宵行います。もし宜しければお二方にもお力添えをとお願いに上がりました」
侍女長さんがかなり真剣な顔で私たちに告げました。もしかしてナイさまに不満を抱いて抗議を計画しているのだろうかと、不意に頭に浮かびましたがそれはあり得ません。仮に抗議を計画するのであれば私たちに知らせる必要はなく、お屋敷で働いている方々で計画を模索するでしょう。
ナイさまのお屋敷で働く皆さまは他のお屋敷で働くよりも待遇が良いと常々仰っているのであり得ないことですが。一体、なにを話し合うのだろうとロザリンデさまと視線を合わせます。
「力になれるかどうかは分かりませんが……わたくしは参加させて頂きますわ」
「わ、私もナイさまのことでご協力できるのであれば、微力ながら参加させて頂きたいです!」
お屋敷で働く方々が暴動や抗議を起こすわけはないのですが、もし仮にそうだとすれば大変なことになってしまうので不参加という選択はありません。話の内容次第ではアルバトロス王国と教会に報告しなければならないでしょう。
心配はしていないのですが、なにをお話するか分からないのでその部分だけは少し不安ですが……。私たちの返事を聞いた侍女長さまはほっとした様子を見せて部屋から退室していきました。そうして差し出されたお茶を飲もうと、ソーサーからティーカップを持ちあげます。
「話し合いの内容はどうなるのでしょう?」
「分かりません。ですが、ナイさまについてと仰っていたので、また幻獣の皆さまが増えてしまうことを懸念なされているのかと」
ロザリンデさまの疑問に答えてみるものの、正直分かりません。ナイさまは引き寄せる運が強い方なので、いろいろなことに巻き込まれています。ナイさまは、巻き込まれてしまっても全てを良い方向に持っていこうと努力されていますが、これから先も上手くいくとは限りません。
侍女さんたちは問題が起こった場合の対処方法を今から考えておくのかもとロザリンデさまと視線を合わせて、夜がくるのを待つことになりました。
――夕食を終え、本邸へ足を進めます。
侍女長さんに導かれた先は、人払いされた食堂でした。食堂といってもお屋敷で働く方々が食事を摂る場所で、ナイさまたちがいつも使用している食堂とは別の場所。このような場所で申し訳ありませんと謝罪を受けましたが、一番良い席に案内されましたし問題はないです。
子爵邸で働いている侍女さんと下働きの女性と乳母さんが一堂に会しています。もちろん仕事のある方は務めを果たしています。侍女長さんが皆さまの前に立って、一つ咳払いをしました。
「わたくしたちが仕えているご当主さまは高位貴族であり数々の偉業を達成しても、威張りもせず穏やかな態度と口調でわたくしたちに接してくれております」
ナイさまは聖女を務めている時も、身分に関わらず平等に接してくれますし、目上の方に慮ることを忘れることはありません。もちろん貴族のご当主さまを務めている時も同じで、権威を振りかざし横暴なことはしないお方です。
侍女長さんの言葉にうんうんと食堂に集まっている皆さまは頷き、ロザリンデさまはなにが始まるのだろうと目を丸くしておりました。
「わたくしたちが仕える主としてこれ以上立派な方はいないことでしょう。もちろん若さと未熟さ故に貴族として甘いところがありますが、それは我らが手助けしていけば良いことです」
貴族の当主さまの中には身分が下になる方の言葉を全く聞き入れない方もいらっしゃるのですが、ナイさまは皆さまの言葉に耳を傾けてくれます。
間違いであれば謝ってくださいますし、疑問に感じたことや分からないことは素直に誰かを頼ってくれます。だからこその侍女長さんの言葉なのでしょう。
「ご当主さまとして素晴らしい方でありますが、懸念事項があります! 学院を卒業なされても、食に関することを上に置き色恋に全く興味を持って頂けません! これではアストライアー侯爵家の直系の血が一代で途絶えてしまいます! わたくしたち侍女一同、いえ侯爵家で働く者として由々しき事態でございましょう!」
侍女長さんは続けてナイさまに女性の象徴が訪れていないことも告げました。驚いて声が出そうになりましたがぐっと堪えました。ロザリンデさまも私と同じようで目を丸くして見開いています。
貴族の女性としては致命的なことなので驚くのは仕方ありませんが、ナイさまはお身体の成長が遅いようなので同時にソレも遅い可能性もあります。魔力過多で成長が止まっていると風の噂で耳にしたことがありますが、真相は定かではありません。こればかりは今少し様子見でしょうか。教会の秘術を知っているシスターか神父さまに聞けば解決することかもしれませんので……。
「ご当主さまの出世が早すぎて口説き落とす男性も現れませんし…………ご当主さまがお気になさっている男性はいないのかと、王家から問い合わせがきております」
がっくりと侍女長さんが項垂れました。やむを得ない理由で男爵家や子爵家の女性当主であれば、高位貴族の男性が爵位を目的にお近づきになることはあるのでしょう。でもナイさまは聖女として功績を上げ、物凄い速さで陞爵しました。この状態で貴族位の男性が近づけば、爵位目的の不埒者と判断されてしまいそうです。
侍女長さんの言葉に騎士爵家出身の侍女さんが小さく挙手をしました。
「幼馴染のお三方は?」
「ジークフリードさんとクレイグさんとサフィールさんですね。もちろん候補に挙げておりますが、ご当主さまに気があるのかが問題ですし、ご当主さまが恋心を抱けるかも問題でしょう」
ナイさまの幼馴染である三人のお名前が挙がって、私の胸がどきりと高鳴りました。あれっと首を傾げますが、どうして私は不安を抱いているのでしょう。良く分からない自分の心に疑問を持ちながら黙って話に耳を傾けます。
「えっと確か……ちょこれーとの方は?」
学院で特進科だった元メンガーさまの名前が上がります。きちんとした名前が上がらないのは、接点があまりないのでお土産として頂いたちょこれーとのイメージが強いようでした。
「ベナンター準男爵さまですね。法衣ですがご当主さまに気があるのであれば、候補の一人に挙げても良いのでしょう。しかし望まぬ婚姻を強制されれば、ご当主さまは気を病んでしまうのではと危惧しております」
純粋な貴族であれば政略婚は当然です。ですがナイさまは孤児から一気に成り上がった貴族であり、望まぬ婚姻を迫られたとあれば亜人連合国の皆さまは確実に怒るでしょう。それを理解しているので誰も今まで、ナイさまに婚姻の話を持ち掛けない……――あれ? ふと思い至った疑問に手が勝手に挙がっていました。
「えっと、ナイさまはどのような男性が良いのでしょう?」
私の疑問に誰もが口を閉ざしました。先ずはナイさまの恋愛観から知ることが一番の近道ではないかと、侍女長さんに告げるのでした。
◇
少し一悶着というか勘違いが起こったものの、誤解を解いてアガレス帝国からアルバトロス王国に戻ってきた。
一緒に赴いていた方々と別れの挨拶とお世話になった挨拶を交わして、お昼過ぎに王都の子爵邸に戻ってきたところである。エルとジョセとジアとルカにポチとタマとグリフォンさんは庭に戻り、私はお屋敷で働く方々と挨拶をして、いの一番に向かった先はユーリが過ごしている部屋だった。
扉をノックして乳母さんに声を掛けてから部屋に入る。おかえりなさいと温かく迎え入れられ、ただいま戻りましたと乳母さんに声を掛ける。私たちが留守の間、なにか問題や困ったことがなかったか乳母さんに聞いたあと、ベビーベッドの傍に寄ればユーリは私の顔を見るなりきょとんと首を小さく傾げた。
「ただいま、ユーリ。みんながいてくれるから寂しくなかったよね?」
私がユーリに言い訳がましい声を掛けると『あー』と言葉にならない声を発した。そんな彼女を見てまだ喋れないよねえと苦笑いを浮かべ、なんだか暫く出張に出かけて戻ってきた父親の気分になる。存在を忘れ去られて大泣きされるよりマシだけれど、やはり離れてしまえば私の存在を忘却の彼方へと追いやりそうで怖かった。
「アンファンとサフィールさんが小まめに様子を見にきてくれていましたよ。ユーリもサフィールさんに懐いて喜んでいましたし、人見知りしないのは良いことかと」
ユーリの代わりに乳母さんが答えてくれた。サフィール以外にもクレイグと家宰さまが顔を見せる頻度を上げてくれていたようで、家宰さまは『やはり赤子は可愛いですね』とデレデレとした顔でユーリを抱き上げていたとか。
自宅でもユーリと歳の近い子がいるそうで、どうしても思い出してしまうそうだ。真面目な方の子煩悩な一面が聞けたと笑っていれば、アンファンが入室の許可を得て一人で部屋にやってきた。彼女は少し気まずそうな顔になって私と視線を合わせると直ぐに目を逸らして部屋の隅に移動する。逃げられた、というよりはユーリと当主の私がいる時は部屋の隅っこで待機しておけと教えられているので当然の行動である。
少し気まずい空気が流れているが、お土産を渡したいのでアンファンの顔をもう一度見る。
「アンファン、お久しぶりです。屋敷の皆さまと仲良くできていましたか? ご飯もちゃんと食べましたか? あと、勉強も大事なので教えてくれている方の話をきちんと聞いてくださると嬉しいです」
サフィールと託児所の子供たちとは仲良くしているが、子爵邸で働く大人組と話をする機会は少ないだろう。料理長さんたちが作るご飯はとても美味しいけれど、南大陸出身のアンファンには慣れない品かもしれない。
勉強も教えられることや彼女が知りたいことがあるならば、学んでいって欲しい気持ちがある。アンファンの将来の選択肢を狭めてしまうことはしたくない。少し早口になってしまったかと反省しているとアンファンがゆっくりと口を開いた。
「子供じゃないから大丈夫……です。ご飯はいつも美味しいから……勉強は難しいこともあるけれど、褒めてくれるから楽しい」
「毎日が楽しいならば安心しました」
彼女はたどたどしくもきちんと答えてくれる。敬語は難しいのかすっぽ抜けているけれど出会った頃よりはマシだろう。サフィールのお陰だなと感心しながら、ジークに持って貰っていたお土産の袋を受け取って彼女の前に差し出す。
「大した品ではありませんし、アンファンが喜んでくれるのか分かりませんが……アガレス帝国のお土産です。開けてみてください」
私が差し出したお土産の袋にアンファンはじっと視線を向けている。きょとんとした顔で袋を直ぐに受け取らないのは孤児特有の警戒だろうか。おそらく今のアンファンの頭の中では受け取って良いのか、なにか裏があるのではと考え込んでいるはず。彼女の気持ちは理解できるので私は袋を差し出したまま、どう判断を下すのだろうと待っていた。
「…………はい」
アンファンは少し考えたのち私が持っているお土産の袋を手に取ってくれ袋をゆっくりと開けていく。託児所の子供たちに渡せば袋を遠慮なく破り去って中身を確認することだろう。この辺りも貧民街出身故の警戒心だから、はやく取っ払えると良いのだが。
「これは?」
かなり簡素な首飾りを手に取ったアンファンが不思議そうな顔を見せた。
「お守りです。アガレス帝国では子供の成長を願って天然石を身に着けてお守りとしているようです。石の種類によって効果が違っていて、アンファンに贈った天然石は健康を願う石だそうですよ。あとユーリに贈る品と同じ種類の石です。まあ、色違いですが」
アガレス帝国は巨大魔石の産出国である。その副産物に位置するのが天然石なのだそうだ。大きさや色形も様々で価値の低いものから高いものまで採れ、安価な石は子供の健康と成長を願いお守りとして親が贈ると聞いた。
もちろん貴族階級の方は爵位に似合うお高い石を選び首飾りにして贈るのだが、アンファンは平民なのでアガレス帝国の平民の方々が身に着ける値段帯のものを選んでいる。なんとなく興味を引かれて入ったお店だったけれど、クロも気に入っているしみんなにお土産として買って良かった。
ディアンさまとベリルさまとダリア姉さんとアイリス姉さんにも渡してあるし、子爵邸で働く皆さまにも用意している。大人組なので子供に贈る品ではなく、少しお高めの物を選んだ。もちろん子爵邸で働く方々には、平民の人とお貴族さまがいるので分けてあるけれど。
「綺麗……あり、がとうございます」
石の加工はしていないので、形が歪で不格好ではあるけれど。大人になってお金を稼げるようになれば、天然石を加工して宝石に変えることができる。そのまま持っていても問題はないし嵩張る物ではない。
アンファンは革紐を頭に通して、お守りを首に掛けた。どうかアンファンが健やかに成長しますようにと願い、今度はリンから袋を受け取る。
「どういたしまして。お守りなのでいつも身に着けて貰えると嬉しいです。こちらはユーリにですが、まだ小さいので部屋に飾っておきましょう」
ユーリにも用意したけれど流石に身に着けるのは憚られる。直ぐに口に持って行くだろうし、誤飲すれば大変なことになる。物の分別ができるようになった頃に改めて首に掛けて貰えば良いと、御守りが入った袋を乳母さんにお渡しして部屋に飾って頂くことになった。
そうして起きているユーリの両脇に手を伸ばして抱き抱え、グリフォンさんの卵さんに当たらないように上手く抱く位置を調整する。
グリフォンさんの卵さんを服の中に仕舞い込んでお腹の位置に抱えていると、私のお腹がふっくらとしているので一部の方には妊娠していると勘違いされたようだ。
アガレス帝国からの帰り際、ヴァエールさまに『腹の中に赤子がいるのか?』と問われてしまい私は『いませんよ!』と速攻で否定した。そういえばグリフォンさんの卵さんを預かって、一個から二個に分裂したことまではウーノさまへ送る手紙に記したが、お腹の所に抱えているとは伝えていなかった。
流石に事細かく報告する必要はないのだが……まさかこんな勘違いを招くとは思ってもみなかった。妊娠ではなく太ったと思われるのが精々で、お貴族さまが未婚で妊娠なんて大騒動に発展するから真っ先に否定されると考えていたのに。
「では、少し溜まっている仕事を捌いてきますね。お騒がせをしました。アンファン、ユーリをお願い致します」
私はアンファンと乳母さんに告げた。流石に五日間留守にしていれば仕事が溜まっていたようだ。家宰さまが優秀なので大体のことは片付いているけれど、当主が判断しなければならない仕事がどうしても残ってしまう。なるべく早く執務室へきて欲しいと請われているので、ユーリの部屋に長居はできなかった。
「はい……」
「いってらっしゃいませ、ご当主さま」
アンファンと乳母さんに見送られながら部屋を出て、ジークとリンと私は執務室を目指す。ソフィーアさまとセレスティアさまは、一旦それぞれの家のタウンハウスに戻ってお土産やら荷物やらを戻しに行っている。お二人がいなくとも家宰さまがいれば仕事は成り立つので急がなくて良いし、疲れているならそのまま休んで貰っても大丈夫ですと伝えてある。
「入りますね」
執務室の前で一旦声を上げてから中に足を踏み入れると、家宰さまがひょっこりと顔を上げて私と視線を合わせた。戻った挨拶は済ませているので、さっそく執務に取り掛かる。
子爵領のことだけではなく、最近は侯爵領や領主邸に王都のタウンハウスとなる侯爵邸の話も交じっているので確実に仕事量が増えていた。家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまは一瞬で頭を切り替えて、子爵領と侯爵領の区別をつけて仕事を捌くのだが、私の場合はワンテンポ遅れて取り掛かっている。
頭の良さが顕著に分かるなあと苦笑しつつも、私には備わっていないのだから仕方ない。今日は人手が足りていないので、クレイグも執務室に顔をだして一緒に仕事を捌いてくれている。有難いと感謝しつつ、書類に決裁のサインを施していれば時刻はお昼から夕刻になっていた。
「終わったかな?」
軽く息を吐いて、溜まっていた書類の山が随分と減っていることに気付く。家宰さまと顔を合わせて進捗状況を聞いてみた。
「ご当主さま、お疲れさまです。急ぎの書類と明日の仕事の半分を終わらせることができました。ご当主さまは一度集中なさると、仕事をどんどん捌いてくださいますので有難い限りです」
おや。一心に書類を捌いていれば明日の分の仕事にも取り掛かっていたようだ。予定より早く済ませたけれど、明日楽ができるし、その分違うことに取り掛かれるので良いことだろう。
「家宰さまの手助けがあるからですよ。一人ではもっと時間が掛かってしまいますから。クレイグも手伝ってくれてありがとう」
私一人では仕事を終わらせられないし、家宰さまとクレイグのお陰である。
「いえいえ。ご当主さまにやる気があるのとないのでは全く違いますから」
家宰さまの話によれば、全くやる気のないご当主さまは代官さまや家宰さまに領地運営を丸投げにしているそうだ。そして丸投げされていることを由として、横領したり重い税を課してみたりと割とあくどい方もいらっしゃるとか。
多くの方がとは言わないが、少なからずそういうお貴族さまが存在して困っている領民もいるらしい。とはいえ他領に口を出すのは越権行為なので、粛々と自領の運営を行って栄えさせていくことが最善なのだそうだ。
「気にしないでください、ご当主さま」
クレイグがにやにやと笑いながら敬語で返事をしてくれた。
「クレイグに敬語を使われるとすっごい違和感がある……」
「仕方ねえだろ、我慢しろ」
家宰さまがいらっしゃるので当然といえば当然なのだが……気持ち悪いなあと感じてしまうのだ。まあ、良いけれど。
「さあさあ、ご当主さまも戻ってきたばかりです。今日は仕事をこれで切り上げて、夜はゆっくりとお過ごしください」
家宰さまが笑って本日の仕事は終了だと告げる。終わったと認識した途端にお腹が凄く減っていることに気付くと、お腹が悲鳴を上げ始めた。部屋にいるみんなが苦笑して『早めにご飯を頂こう』となる。
執務室を出て廊下を歩いているとルカの嘶きが屋敷に響いて、ジークとリンとクレイグと私はどうしたのだろうと視線を合わせる。またルカの嘶きが聞こえたので、なにか不味いことでも起こっているのだろうかと食堂に向けていた足を変えて、庭に出てきょろきょろとルカを探す。
『ああ、聖女さま……お騒がせをして申し訳ありません』
『アンファンと毛玉ちゃんたちが御守りを首から下げているので、ルカも早く欲しいと我慢できなくなってしまったようです』
私たちに気付いたエルとジョセが近づいてきて、ルカが嘶いた理由を教えてくれた。どうやらアンファンが嬉しそうに首から下げていたのを見たし、毛玉ちゃんたちもアガレスで先に首に下げている。エルたちは首回りが大きいのでどこに付けて貰おうかと考えていて、少し待っていて欲しいとお願いしていたのだが……ルカは我慢できなくなったようだ。
『お可愛らしいではないですか。まだ子供の証拠でしょう』
グリフォンさんがくつくつと笑いながら私のお腹に嘴を寄せる。私の姿を見つけたルカが凄い勢いで走ってきて目の前で止まり、前脚で地面をがつがつと搔いていた。
「ルカ、もう少し待って貰って良い? 首から下げても良いけれど……凄く長い革紐を用意しなくちゃいけないからね。鬣でも良いけれど、絡むと大変なことになるし、耳に掛けると気になるって言ってたよね」
私の声に鼻を鳴らしたルカは納得しているのかしていないのか。脚に付けても邪魔だろうし、牛さんのように鼻輪は頂けないのでルカたちに天然石を渡すのは暫く先になるだろう。悔しそうに私の服をガジガジし始めたルカには申し訳ないけれど、なにか良い方法を考えるからと言い残して中庭を後にした。
「そういえば軍馬に額飾りを付けていた気がするが」
もう一度食堂を目指しながら歩いているとジークが不意に声を上げる。
「あ、近衛騎士の方の騎馬で見たことがあるかも。じゃあエルたちには額飾りが丁度良いのかな。装飾具屋さんに聞いてみるか、ドワーフさんに相談してみる」
ジークの言葉で私も思い出した。鎧を身に着けた馬さんの額に飾りを付けていることがあった気がする。それなら馬具を扱うお店かドワーフさんに聞けば解決するだろうと、教えてくれてありがとうとジークに伝えて食堂に辿り着くのだった。