魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
――聖王国から戻って一週間が過ぎていた。
夜。ご飯を終えたあとユーリの様子を伺って、ミナーヴァ子爵邸の私室で私は机に座している。クロも机の上で首を傾げていた。ジークとリンも今は私の部屋に一緒におり、特になにをするでもなく過ごしている。
フィーネさまから個人的に手紙が届いているのだが、黒衣の枢機卿さまは余計なことを聖王国で画策しているようだ。
ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんをフィーネさまの下に残しているので、彼女の暗殺や襲撃の心配は下がるはずである。あとはフィーネさまの派閥に所属している方々の警備を厚くして頂いて、危険を避けるくらいしか対策が取れない。黒衣の枢機卿さまが暴力に訴えてくれれば、力で返せば良いけれど今の所は言葉の応酬だけとのこと。
あと黒衣の枢機卿さまは私の力とウルスラと呼ばれる少女と力比べをさせたいようだと記されていた。他国に手は出せないし、聖王国から助けて欲しいと望まれない限りは動けないなあと手紙から視線を外して天井を仰いだ。
『大丈夫かなあ……フィーネ』
クロは私が机の上に置いた手紙を読んで、ぽつりと小さな声で呟いた。いつもであればヴァナルも私が座る椅子の横で首を傾げているけれど、彼は今聖王国で過ごしている。雪さんたちも一緒にいればヴァナルの横で心配している台詞を彼女たちは同時に言うのだろうなと苦笑いになった。
毛玉ちゃんたちは初めてヴァナルと雪さんたちがいないことを噛みしめているようで少し元気がない。時折、寂しそうに鼻を鳴らして二頭を探しているのだが、親離れしないといけないし慣れて欲しいものである。今は毛玉ちゃんたちは私の足元で、五頭が団子になって大人しく過ごしている。
「大丈夫だと良いけれど……大聖女が同時に存在するってアリなのかな」
フィーネさまは大聖女さまが二人在位することに文句はないようだったけれど、周りから確実に優劣を付けられるだろう。聖痕が現れたという聖女さまは治癒魔術に特化して随分と類まれなる力を持っている。過ぎた力は危ういが、上手く使えば聖王国の看板になれるのだろう。フィーネさまが強制的に地位を剥奪されることがないようにと願うしかない。
「どうだろうな。聖王国の事情だから俺たちに状況を正しく判断する材料が少ない」
「フィーネがアルバトロス王国にくれば問題はなくなるけれど……」
そっくり兄妹もフィーネさまのことを心配してくれているようだ。侯爵家自前の隠密がいないので、情報を掴むために聖王国に向かって貰えない。家宰さまの提案でアルバトロス王家か後ろ盾であるハイゼンベルグ公爵家かヴァイセンベルク辺境伯家に話を通して隠密行動を取れる方を借り受けようとなった。
手紙をさっそく差し出せば構わないよと返事をくれている。人選は三家で吟味してくれるようで、私はどんな情報を掴んで欲しいのか伝えただけだけれど。もう少しすれば第一報が入るだろうと報告を受けている。
「フィーネさまは聖王国を立て直した方だし、簡単に逃げてこないんじゃないかな。それこそ立場が弱くなって命の危険を感じない限りは」
私はジークとリンを見る。フィーネさまは明るくて時折抜けているけれど、腹を括れば強い方である。そして聖王国を簡単に見捨てないはずという確信もあった。
フィーネさまがあっさりとアルバトロス王国に逃げて亡命要請を掛ければ、私はフィーネさまが所属している方々にキレ散らかす。その辺りはフィーネさまも聖王国も知っているだろうから、今頃右往左往しているかもしれない。とはいえ、私の存在がフィーネさまを無下に扱わないように抑止になってくれていればそれで良い。
「エーリヒも彼女を心配しているようだしな」
ジークが片眉を上げながら、エーリヒさまとフィーネさまを心配しているようだった。結ばれたばかりなら、そりゃエーリヒさまはフィーネさまのことを凄く心配するのだろう。逆に彼がいつも通りであればエーリヒさまの評価がダダ下がりである。しかしジークとエーリヒさまは……。
「あれ? こっちに戻ってエーリヒさまとジークが話す機会があったんだ。いつの間に」
本当に二人はいつの間に言葉を交わしていたのだろうか。
「ああ、城に出向いた時に偶然にな」
「そっか」
王城では私と離れることもある。王城で魔力補填を行っている最中はジークとリンは待機を余儀なくされている。その間に待機をリンに任せてジークがエーリヒさまに会いに行っても問題ない。
補填部屋前の立ち入りは、私が魔術陣を壊した際に入場者の限定が緩くなっているので、エーリヒさまが許可を貰って入ったのかもしれないのだ。特に不思議に思う必要はなかったかと、気にしないで欲しいとジークに視線を向ける。
「妙なことにならなきゃ良いけれど」
私がジークとリンに視線を合わせると、そっくり兄妹が微妙な表情を浮かべる。
「黒服の男がナイに喧嘩を売らなければな」
「ナイを良いように扱おうとしてた。嫌な奴」
聖王国で黒衣の枢機卿さまと相対した時に妙な雰囲気だったし、彼は彼に都合の良いことを言っていた。他国のことなので強く言葉を発せないし、面倒になればフィーネさまの手を煩わせるので穏便に済ませたつもりだ。
むむむとそっくり兄妹が微妙な顔になって『聖王国を亡国にするなよ、エーリヒが悲しむ』『亡国にしても良いけれど、面倒になるね』と言いたげであった。
「とりあえず、明日から侯爵領の視察だから聖王国の動向を気にしつつ普段通りに過ごそう。他国の私たちが関わると、いろいろな国から突き上げをくらうだろうしね」
聖王国にもアルバトロス王国にも迷惑を掛けるつもりはない……いや、違う。トラブルを引きつけて迷惑を掛けているので、それ以外の所で迷惑を掛けないようにしたい。これから先は聖王国を気にしつつ、西の女神さまの情報や引き籠もり対策を講じながら日常も送ろうとジークとリンに伝えて、就寝の準備に入るのだった。
◇
――心配だ。心配過ぎる。
離れていることがこんなにもどかしいのだと初めて知った。夜。勤務が終わり外務部の自席で頭を抱えている。公務員に過ぎない俺がフィーネさまにできることはかなり限られている。
神さまの島から戻ってきて、いの一番に彼女に向けた手紙を認めオーロラの写真とミズガルズで見つけたお土産を送った。その数日後、聖王国に赴けばあんな事態が起こるなんて誰が予想できるだろうか。
「なんでこんなに問題が起こるんだろう」
俺は人気の少ない外務部の部屋で深く息を吐く。無意識に溜息を吐いてしまったことにハッとして、誰にも気付かれていないはずだと周囲を見渡した。
外務部に配属されてからというもの、東大陸に向かったり西大陸の西の端にあるヤーバンに赴いたりと忙しいし、アルバトロス王国に他国の重要人物がくることも多かった。
現代日本の外務省職員がどれほど海外出張をするのか知らないし、他国の外務部に勤めている人たちがどんな仕事振りなのかも知らない。同じアルバトロス王国外務部に所属している他の面子より外に赴くことが多い気がする。最近はユルゲンも引っ張り出されているようなので、彼と俺の間には友情が芽生えている気もする。
「……大丈夫かなあ」
「おや。なにか心配事がおありですか?」
椅子の背凭れに体重を掛けた俺が呟くと、不意に声が掛かった。先程まで俺の近くには誰もいなかったはずなのに、いつの間に気配もなく近づいてきたのだろうと後ろを振り向く。そこには外務部のトップを務めるシャッテン卿が笑みを携えて立っていた。俺は上司が現れたことに姿勢を正して椅子から立ち上がった。
「申し訳ありません、失礼な態度を取ってしまいました」
「いえいえ、お気になさらず。もう勤務時間外となっておりますし、硬い挨拶は不要でしょう」
頭を下げた俺にシャッテン卿が緩く首を振った。そして彼がなにかお困りごとでもと声を上げ、退勤したユルゲンの席に腰を下ろしたのだった。俺は今の状況を相談するか迷ったものの、外務部の長を務める方である彼は相談するのに一番の適任だろうと意を決する。
「その……私のか、彼女がトラブルに巻き込まれているようでして。私が彼女に手を貸すのは力不足ですし、見守ることしかできないのがもどかしいなと」
誰かの前で彼女と口にしたのは初めてのような気がする。フィーネさまの名前を安易に口にするのは憚られるので、少し誤魔化した表現となっているがシャッテン卿は気付いてくれたようだ。彼は顔が赤くなっている俺に微笑ましい視線を向けて口を開く。
「確かに男として見ているだけの状況は情けない気持ちに陥ってしまいますよねえ」
シャッテン卿がベナンター卿の気持ちは理解できますよと俺の肩を軽く叩いた。彼はむーと考える素振りを見せて更に言葉を紡ぐ。
「ちなみにですが、とある侯爵閣下が隠密行動を取れる方を募集しておりまして。陛下から外務部も人員を割けるなら頼むと命が下っております」
ふふふとシャッテン卿が良い顔で笑う。とある方というのはナイさまだろう。新興貴族が急激に成り上がったことで、アストライアー侯爵家には人員が全然足りていない。
足りていない故に王家とハイゼンベルグ公爵家とヴァイセンベルク辺境伯家に、それに連なる信用ある家から人員を割いている。しかし何故、王家から外務部に隠密できる人材を抽出せよと命が下るのだろうか。
「外務部からもですか?」
「ええ、もちろん。外務部ですので諜報員と工作員を擁していますよ。そして西大陸の各国に散っておりますねえ」
どこの国もそうでしょうとシャッテン卿が教えてくれた。俺は平和ボケしていたのかもしれない。言われてみればそれはそうだと直ぐに納得できた。国外の情報を収集してアルバトロス王国に益を齎すことも立派な仕事の内である。
「枠が空いておりますが、ベナンター卿も参加してみますか?」
有難い話ではある。でも経験が全くない人間に諜報活動ができるとは思えない。
「しかし私は素人ですよ。諜報なんて担ったことありません」
俺の言葉にシャッテン卿がふふふと笑う。なんだろうなにか試されているような気がして身構えてしまう。
「これは命令ではなく、貴方はどうしたいですかという問いかけですね」
「申し訳ありません。有難い話ではありますが、国と国を繋ぐ裏仕事に素人が手を出せば火傷してしまいましょう。私は今の場所で私にできることをやります」
本当はフィーネさまの下に今直ぐ駆けて彼女の下へと行きたい気持ちで溢れている。でもこれは聖王国の問題だ。黒衣の枢機卿がナイさまを上手く使おうと画策しているようだが、彼女を御せる人物は少ない。
ナイさまは話をすれば内容を聞いてくれる方だし、アルバトロス王国のことを考えて強気に出ることが少ない。黒衣の枢機卿を勘違いさせてしまっている状況だなと目を瞑った。
「そうですか。では浮かない顔をしていないで、確りと仕事と私生活を充実させてください」
「うっ……その、申し訳ありません。きちんと仕事と私生活を送りたいと思います。声を掛けてくださってありがとうございました」
しまった。またしても見抜かれている。フィーネさまに関することは俺の顔に出易いようだ。
「いえいえ、僕は君の上司ですからね。様子がおかしければ気に掛けるのは当然です。少しは気持ちが落ち着きましたか?」
「はい。私が私のできることを日々努めていこうと思います」
まだ慌てるには早い段階なのだろう。聖王国では新たな聖痕持ちが現れて大聖女の座に推す声が高まっている。そして聖王国上層部も承認するようだ。
フィーネさまと同時に大聖女が存在することになるけれど、二人の大聖女さまの意思次第だろうし俺が口を挟むことではない。どうか、上手く聖王国の運営が運びますようにと願わずにはいられなかった。
◇
――聖王国で新大聖女さま就任の儀が執り行われることになった。
おめでたいことなので西大陸の信徒さんと聖職者の皆さまを多く集めて儀式が執り行われるそうだ。私もお貴族さま兼聖女兼筆頭聖女さまの代役で聖王国に赴くことが決まっている。
そしてアルバトロス王国の教会からは無茶ぶりくん、もといカルヴァイン枢機卿とシスター・ジルとシスター・リズが参加する。無茶ぶりくんは教会の総本山となる聖王国に赴けることにとても感動をしていたが、やはり大聖女という聖王国の顔が二枚できることを危惧していた。
能力の差で優劣を付けられれば片方の大聖女さまは平常心ではいられないだろうというのが彼の見解だ。私も同じことを危惧していることを就任の儀の参加打ち合わせの場で伝え、聖王国の黒衣の枢機卿さまの話を告げてみた。
『どこにでも自分が優位に立とうとする方がいるのですね』
彼はしょぼんとした顔で聖王国の現状を知り少し複雑な様子だった。相変わらずカルヴァインさまは真面目で少し硬い部分がある。逆を言えば、彼が政治的に暗躍するのは無理なので、アルバトロス王国の教会は彼が管理している間は平和かなと安堵していたけれど。教会に赴いたついでに、祭壇で祈りを捧げてグイーさまに問い掛けてみた。
――おお、ナイ! どうした!? 娘を引っ張り出す方法を思いついたのか?
グイーさまの声が届いたあと直ぐに南の女神さまの『よう』という軽い声が届き、東と北の女神さまが『あら、お嬢ちゃん』『声掛け早かったわね』と呑気な声が聞こえたのだ。
一応、フィーネさまとエーリヒさまと私が知っていた日本神話である、岩に閉じこもっていた女神さまの前で乱痴気騒ぎをして興味を引いて出したことを参考にして、西の女神さまが閉じ籠っている部屋の前の中庭でBBQでも行ってみませんかと聞いてみた。
――ばーべきゅー?
グイーさまが不思議な顔を浮かべて問うてきたのだろうなと想像できる声に私は苦笑して、みんなで食材を持ち寄って炭火焼を楽しもうと言い直した。
――娘が出てこなくても楽しそうだな! よし、やろう! 今直ぐでも構わないが、いつだ? いつ行うのだ?
凄く嬉しそうな声で笑うグイーさまに三人の女神さまが『親父殿が楽しそうでなにより』『子供ですわね』『そんなだから母上さまと別れて暮らしているのでは』と三者三葉の声が私の耳に届く。
ぐふっとグイーさまが声を漏らしていたので、三女神さまの誰かの言葉が彼の胸に刺さったようである。神さまたちは毎日が暇なので、いつでも構わないとのことだった。
――皆で楽しむならば、他の神も連れてこよう。ナイも親しい者を連れてくると良い!
ハハハと笑っているグイーさまに親しい方の予定もあるだろうからと、一か月先に予約を入れてみると快諾してくれた。有難いけれど、神さまって仕事をしているのかなと首を傾げる私であった。
一応、神さま側は私たちが住んでいる星を管理している神さまたちを誘うとのこと。グイーさまが頂点に立っているが、気が向いた神さまはきて欲しいとお願いするので誰がくるかまでは分からないそうだ。とりあえず南と東と北の女神さまは参加すると教えて下さった。その時点で超豪華メンバーである。とにかくいろいろと試して西の女神さまの引き籠もりを解消できれば嬉しい。
そうして神さまとの交信を終えて、皆さまにグイーさまのことを伝えれば彼の声だけ聞こえていたとのこと。なんだろう、力が強すぎて制御できていなかったのだろうか。念のためどこまで聞こえたのか調べて貰うと、教会の聖堂のみだった。
外まで漏れ聞こえていれば騒ぎになったのでその点に関しては感謝するが、周りの皆さまにグイーさまの声が確実に届いていたので『珍しく教会に顔を出したと思えば』『神の島まで赴いていたのですねえ』とシスター・ジルとシスター・リズの呆れた声が私の耳に届くし、カルヴァインさまが凄く感動した様子で『凄いです! 閣下!!』と言いたげだった。
教会で祈りを捧げる際には護衛の人数を限定しようと心に誓って、教会から子爵邸の私室に戻り夜が明けた。
大聖女さま就任の儀が執り行われるのは二週間後に控え、隙間時間にアストライアー侯爵領の視察に赴こうとなったのだ。一週間、侯爵領に泊まり込んで領地の端から端まで赴く予定だ。ロゼさんにも一緒にきて貰って転移できる場所を増やすつもりである。
王都の子爵邸から侯爵領へと転移したい所だけれど、今回初めて赴くことになるので馬車移動である。かなり大所帯となっており、沢山の護衛と凄く豪華なアストライアー侯爵家用の馬車が子爵邸の馬車回りに止まっていた。
馬車移動だと侯爵領までに五日間も掛かるので、飛竜便で移動することも考えたがロゼさんが転移できる先を増やしておきたかった。少しロゼさんの負担になって申し訳ないけれど、私の魔力譲渡で取引を済ませている。ユーリも侯爵領へ連れて行きたかったが、幼子には五日間の馬車移動は堪えるだろうとお留守番をお願いした。
今回の同行者はいつもの子爵邸メンバーである。侯爵領で働く方々との顔合わせもあるから少し緊張していた。そうして馬車に乗り込み移動に五日間を掛けて侯爵領へと辿り着く。帰りはロゼさんの転移で戻り、二日間の準備を経て聖王国の大聖女さま就任の儀に参加する予定だ。
子爵邸の馬車回りより数倍の広さを誇るアストライアー侯爵領領都に鎮座しているお屋敷に私は『はへー』と妙な声を漏らしていた。広いなあとそわそわしていると私の影の中から毛玉ちゃんたちがしゅばっと飛び出て、五頭が並んで地面にお尻を付ける。
「毛玉ちゃんたち、ヴァナルと雪さんたちと離れてちょっと雰囲気変わったよね」
私は毛玉ちゃんたちに視線を移して小さく首を傾げた。彼ら彼女らはヴァナルと雪さんたちがいないためか、少し元気がないようにも見える。
「そうか?」
「どうだろう?」
私の護衛として直ぐ後ろに控えているジークとリンが声を上げ、私の肩の上に乗っているクロが顔をこてんと傾けた。
『少し落ち着いた気がするかな?』
クロの言葉通り元気がないように見えるのは落ち着いてきたからだろうか。私の側仕えとして控えてくれているソフィーアさまとセレスティアさまが毛玉ちゃんたちを見下ろしていた。
「以前なら勢い良く屋敷の庭へと走って行っていただろうな」
「……っ! 少し寂しいですが、大人への道を進んでいるのですね」
ソフィーアさまが仰った通り前の毛玉ちゃんたちであれば広い庭に走り出て、五頭一緒にじゃれ合っていただろう。それを行わないのはヴァナルと雪さんたちと離れたことで自立心が芽生えたのかもしれない。
セレスティアさまは鉄扇を開いて顔を隠して肩を震わせている。いずれくる別れを思い描いているのだろうか。毛玉ちゃんたちが大きくなればフソウに赴くことになっている。五頭全て移住するかは未定だけれど、みんなフソウに行くことも覚悟しておかなければと目を細めていると、侯爵領の代官を務めて下さっている方が出迎えにきてくれた。
「遅れてしまい申し訳ありません、ご当主さま。アルバトロス王国から派遣され、侯爵領の代官を務めさせて頂いております」
代官さまが名乗りを上げて私に深く礼を執る。私も目線だけ下げて名乗っておいた。本当は私が先に声を掛けるべきなのだが、彼が迎えに出遅れたことで慌てて忘れていたのか。へっぽこ当主で申し訳ないと内心で謝りつつ、彼の案内で侯爵領領都にあるお屋敷の玄関へと案内される。玄関の大扉を抜けてホールに入った。
「…………うわあ」
私の口から少し引いた言葉が漏れる。感嘆の声ではなく広すぎることと豪華過ぎることで呆れてしまったとでも言おうか。私の背後でジークとリンも同じことを考えているようだった。
『広いね。毛玉ちゃんたちには良い遊び場かな?』
クロが私の肩の上で一緒についてきていた毛玉ちゃんたちを見下ろすと、桜ちゃんが『ふん!』と鼻を鳴らした。どうやら仔供じゃないよと言いたかったようで、その様子を見たクロが『ごめんねえ』と苦笑いをしながら彼らに言葉を返している。
それを見た某お方は『ふはっ!』と声を漏らして別世界に旅立つと、某ご令嬢の下の方から『スパン!』という良い音が聞こえた。悦に浸る某お方を現実に引き戻すために、某ご令嬢が足技を使った音のようだ。
「ご、ご当主さま、どちらから案内を始めましょうか?」
私たちの対応に慣れていない代官さまが戸惑いながら問いかけてくる。
「とりあえず執務室へ赴いて侯爵領の状況を教えてください。あとお屋敷で働く皆さまとの挨拶を済ませたいです。屋敷内の案内はそれらを終えてからで良いでしょうか?」
お屋敷の中がどんな感じか気になるけれど、先ずは放置していた侯爵領の仕事を片さなければ。もちろん王都の子爵領で事務手続きは行っているものの、今まで侯爵領の代官である目の前の彼に丸投げだったのだ。それらの謝罪と感謝を送って先ずは領主のお仕事をしなければ。どれほど溜まっているのか分からないけれど、沢山仕事があれば一週間執務室に缶詰状態になるのも覚悟している。
「もちろんでございます。あと私めに敬語は必要ないかと」
片眉を微かに上げた代官さまに私が追い追い慣れさせて頂きますと返せば、お願い致しますと言葉が戻ってくる。私の言葉使いは癖のようなものだから、直すには時間が掛かるだろうなと遠い目になった。
代官さまの案内により侯爵邸の執務室へと辿り着く。彼曰く、王都の子爵邸の家宰さまと相談しながらヤバい品は撤去して、地下室へと放り込んでいるそうだ。あとで私が確認を取って売却か保存か廃棄か決めて欲しいとのこと。王都の侯爵邸にはアレな本が沢山あったから、領都のお屋敷にも沢山あったのだろう。お手数を掛けましたと言いながら、執務室の当主用の椅子へと腰掛けた。
「……お尻が沈む」
私は椅子にお尻が沈む感覚を覚えて無意識に口に出していた。お尻も沈むし、椅子も随分とオーバーサイズで座り心地が良いのか悪いのか分からない。クロは私の肩の上で部屋を見渡し、毛玉ちゃんたちは匂いを嗅ぎながら私の足元にちょこんとお尻を下ろす。
「ナイに合ったものの方が良いな。申し訳ないのですが、手配をお願い致します」
「寸法は子爵邸の家宰殿が知っておりますわ」
ソフィーアさまとセレスティアさまが側仕えの権限を行使して、代官さまへとお願いしている。確かに椅子は身体に合っているものの方が良いし、お二方にも合っている品をと私も代官さまにお願いした。
「承知致しました」
しずしずと礼を執る代官さまにお仕事くださいと申し出れば、やはり当主権限でしかできない仕事が多く残っていた。急ぎではない案件なので問題は少なかったようだが、早く目を通して決裁すべきものから取り掛かる。
代官さまは優秀だし、ソフィーアさまとセレスティアさまも領地運営のノウハウを持っているので彼らにアドバイスを頂きながら決定していく。侯爵領に辿り着いて一日目は事務仕事に追われたけれど、ほとんどを終えたので明日から領地の視察に出る。侯爵領規模だと領都といくつかの大きい町を管理しなければならず、視察に赴くべき所が多くなっていた。
代官さまから明日の予定を聞き、侯爵邸で夜ご飯を頂きお風呂に入って就寝する。今日頂いた夜ご飯は料理人さんの違いからか、味付けがいつもと変わっていた。これもまた楽しい変化だなと感じながら、新調したというベッドに潜り込んで目を閉じた。
――朝。
陽が昇って直ぐ領主邸から他の町へと赴く。私が侯爵領にきていることが知れ渡っているようで、馬車移動の際は領都に住む方々から歓迎を受け車の窓から手を振っていた。これも領主のお仕事に含まれているようで、嫌われてしまえば領の方から無視されるらしい。嫌われないように頑張ろうと決意して、町をいくつか回ると夕方を迎えていた。
侯爵邸のベランダに出て沈む夕陽をジークとリンと私とクロと毛玉ちゃんたちで眺めていた。侯爵領というだけあって広大な土地を治めなければならない。
子爵領より責任が大きいし、やるべきことも沢山ある。きちんと領地を盛り立てられるか不安だけれど、地道にやっていくしかないのだろう。そのためにアルバトロス王国とハイゼンベルグ公爵家とヴァイセンベルク辺境伯家から人員が派遣されているのだ。頼りない領主であるが、領地の皆さまを不幸にすることだけはなんとしてでも避けたい。
「領地、かなり広いね。小麦生産が主だから、何年か経てば代官さまの力を借りずに私だけで運営できると良いんだけれど……」
一次産業が盛んな侯爵領故に領地は広大である。一人で領地運営できるのは夢のまた夢だよなと私は苦笑いになる。地平線に沈みゆく夕陽の眩しさに私が苦笑いになっていることを誤魔化せるだろうか。
「ナイ、俺も手伝う。そのためにラウ男爵の下に休みの日は通っているからな」
私の隣でジークがぽつりと呟いた。夕陽の光に照らされた彼の赤髪が更に赤くなっている。
「ジーク、男爵さまの所で領地運営を習っていたの?」
「ああ。少しでもナイの役に立てばと考えていた。クレイグもできるだろうが、俺ならナイの側で助言できるから……」
私に視線を合わせたジークがそう言って直ぐに視線を外す。リンは黙って彼の様子を見守るようで口出ししてこない。いつもであればリンもなにか言いそうなのに。
「そっか。ありがとう、助かるよ」
私はジークを見上げながら言葉を紡ぐ。
「いや。ナイが背負っているものを俺にも少しくらい背負わせてくれ」
私の言葉にジークが後ろ手で頭を掻いていた。いつもより彼の顔が赤い気がするし、言葉のチョイスが普段より大袈裟である。毛玉ちゃんたちの変化のようにジークにもなにか思う所があるのだろうかと首を傾げるのだった。