魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
侯爵領領都の領主邸はかなり広く、見学するのも随分と時間を要した。家具類は揃っているので引っ越しをしようと思えば直ぐにでも可能である。
王都の侯爵邸に引っ越すのが年が明けて暖かくなった春頃の予定としているので、こちらへの引っ越し完了も来春を目途にしようと決めた。来年の夏の長期休暇の半分は侯爵領の領主邸で過ごすはずだ。
代官さまが地下室に放り込んだ問題のブツの処理も無事に終え、前の住人の痕跡はほぼ消えたはず。あとは私が過ごし易いように命令を下すだけ。庭も広いしエル一家とグリフォンさんと卵さんとポポカさんたちもこちらで過ごす方が余裕があるだろうと、厩の改築とポポカさんたちの部屋の確保をお願いしておいた。
命令の異質さに代官さまが目を真ん丸にして驚いていたけれど、ソフィーアさまとセレスティアさまが『慣れてください』『アストライアー侯爵ですもの』と仰ると彼はなるほどと納得していた。解せない。
侯爵領に赴いてから数日が経っていた。今度は小麦畑の視察に赴いている。毛玉ちゃんたちもあまりの広さに驚いているようで、五頭はきょろきょろと視線を彷徨わせながら周囲を観察していた。一面に広がる壮大な景色に私は目を細めて後ろに控えてくれている方々の顔を見る。
「一面、小麦畑! ちょっと真ん中を突っ切って歩いてみたいかも」
王都の外に広がっている小麦畑もかなり広大だけれど、侯爵領も負けず劣らず……というか王都の小麦畑よりも数倍広い気がする。侯爵領の主産業なので当たり前なのかもしれないが、王都からあまり出たことがない私には新鮮な光景である。
ハイゼンベルグ公爵家もかなり広大な領地を管理しているはずだが、一度も訪れたことがない。公爵さまにお願いして一度領地見学を申請しても良さそうだ。職場体験や工場視察で学生が知識を得るように、私も領主として知識を得られるかもしれない。
「イガイガしないか?」
「虫や蛙もいましょうに。ナイは気になさらないのですか?」
ソフィーアさまが片眉を上げながら、セレスティアさまが不思議そうに仰っていた。
「確かに麦畑の中をあるけば肌がイガイガするかもしれませんが楽しそうなのです。虫と蛙は人間から逃げていくので問題ないかと」
麦畑のど真ん中を突っ切れば当然肌がイガイガするだろうけれど、映画で見たワンシーンの再現をしてみたい。ソフィーアさまとセレスティアさまには昔本で読んだシーンを、自分でも体験してみたいと伝えれば理解してくれるだろうか。
微妙な所だし、穂が実りもう直ぐ収穫なので私が歩けばその部分の麦は駄目になってしまう。勿体ないことはできないし、領民の皆さまの収入を減らす行為だなと描いた夢は諦める。
その代わり収穫後に毛玉ちゃんたちとエル一家と広い畑を駆けるのは楽しそうだ。セレスティアさまを誘えば速攻で承諾してくれるだろうし、ジークとリンとソフィーアさまも『子供か』と呆れながら付き合ってくれる。クレイグとサフィールも誘いたいし、ユーリとアンファンもきてくれるだろうか。
「次にくるのは収穫後だから、その時は毛玉ちゃんとエルたちと畑を借りて遊ぼうか。きっと楽しいよ」
私が毛玉ちゃんたちに声を掛けると彼らは鼻を鳴らしてなにかを伝えようとしている。お出かけできることが嬉しいようで、私たちが外に出る際に良く耳にする鳴き方だった。
『ボクたちも沢山飛べるねえ。アズとネルはあまり飛ばないし丁度良い運動になるかな。ねえ、ナイ。辺境伯領の仔竜たちも誘って良い?』
私の肩の上で話を聞いていたクロが良いこと思いついたとばかりに声を上げる。
「良いんじゃないかな。というかクロが誘えばみんなこない?」
辺境伯領の竜さんたちがアルバトロス王国の空を飛ぶのは王国民の皆さまの中で常識となっていた。二年の月日で随分と様変わりした常識であるが、亜人連合国所属の竜の皆さまであれば問題を起こすことはないし、偶に民の方から魔物被害等のトラブル対処をお願いされており持ちつ持たれつの関係を築いていた。
『……そうかも。じゃあ代表に頼んでお願いしてみよう』
肩の上ですりすりと顔を擦り付けてくるクロに私は苦笑いを浮かべた。
「同じだよ、ソレ。私がディアンさまにお願いしても竜の仔たちみんなきそうだけれどね……」
『じゃあ誰が誘っても同じだ』
私とクロが顔を合わせてなるようになるさと笑ってみせる。とりあえず視察を再開すべく、代官さまと土地の管理者との皆さまと私で小麦畑の問題点の洗い出しや、灌漑整備の必要箇所に小麦の品種改良の話を持ち掛ける。
長年、小麦の生産に携わっている方々なので小麦の育成については彼らの方が詳しい。私は病気や虫害対策の必要性や肥料の改善、灌漑設備の充実に農機具の改良等を提案して、彼ら労力が減るようにと願うばかりだ。
他にも耕作放棄地があることを知り割と広い場所だったため、引退している領民の方を先生にして孤児院の子供たちに農作業のやり方やコツを伝授して頂くことにした。先生方にはお小遣いほどのお給金を支払うことにして、生活困難者の支援になれば良いなという腹積もりである。孤児院の子供は将来の巣立ちに向けた習い事感覚だ。
あとは教会で文字の読み書きを教える人の常設をお願いする。文化が成熟していない場所での教会の立ち位置はかなり重要だ。毎朝祈りを捧げに教会へと向かう方もいるし、孤児院も教会が運営している。子供の遊び場にもなっているし、教会の中には図書室もあった。教会の図書室を開放して勉強の役に立てて頂くのもアリだし、侯爵領規模であれば私が図書館を新規に建てて無料開放する手もある。
あと侯爵領は広いので街の中には貧民街も存在していた。貧民街はセーフティーネットの一つとなっているので潰す気はない。ただ貧民街から抜け出したいと願う方たちの救出ルートは確保しておきたかった。規模が大きくなっただけで私が執り行っていることは、子爵領で実践していることと同じだ。私が侯爵領でやりたいことを語っていると、代官さまが慌てて口を開く。
「ご当主さま、侯爵家の当主となられて日が浅いのです。もう少しゆっくりと計画を進められても宜しいのではないでしょうか」
「申し訳ありません。しかし知っておいてもらうのは大事なことかと。領民の方々が将来に希望が持てなければ働く意欲も失せてしまうでしょうから」
他にもやりたいことがまだまだあるので、念のために伝えておく。あとは侯爵家の私設部隊や温室栽培の確立とかいろいろである。そうして領内の小麦畑の視察を終え、耕作放棄地のいくつかには田んぼを新たに造り上げて赤米とフソウで頂いた種籾を苗にして来年の五月頃に田植えをすることに決めた。
アストライアー侯爵領産のお米……良い響きだなと感心していると、小麦畑の只中にぽつんと小さな林が残っていた。どうして開墾していないのだろうと不思議に思って首を傾げていると、代官さまが困り顔で私を見る。
「この場所は禁忌の森です」
代官さまが林について教えてくれた。森と称するには規模が小さい気がするけれど、人々から呼ばれているならば森なのだろう。禁忌という危ないワードが付されているので危ない場所なのだろう。
「名前を聞く限り、なにかあるのですよね?」
私は代官さまに視線を向けてごくりと息を呑む。嫌な予感しかしなかった。
「満月の夜、森の中から呻き声が聞こえます。そして原因を排除するために森に入った領民は戻ってくることはありませんでした」
ああ、やはり幽霊系の話である。魔獣や魔物に魔力や精霊が存在するのだから怖がらなくても良いじゃないかと周りの方は仰るけれど、苦手なものは苦手なのである。ジークとリンが私の苦手な話であると分かり微妙な雰囲気を携え、ソフィーアさまとセレスティアさまも苦手ならば無理をしなくて良いのではという表情を浮かべていた。
「幽霊の話であれば止めましょう。夜に寝られなくなると困ります」
成人しているのに幽霊の話は止めてくれという当主の願いに、代官さまは苦笑いを浮かべている。
「森の中に入らなければ問題は起こらないので基本は放置で良いかと。ただ状況が悪化すれば祓い師を呼んで対策を打つべきでしょうね」
祓い師とは、単純に悪魔払い師とかを差す言葉である。大体、教会の神父さまか魔術師か呪術師の方が担っているけれど、専門職となれば割と法外な値段を要求される。
祓い師のコミュニティーが形成されており、彼らがどうやって幽霊や悪魔を祓うのか謎に包まれていた。本当に要求されるお金が法外であれば私が浄化儀式を執り行うべきかなと代官さまに伝え今日の視察は終わりを迎えた。
――数日後。
アルバトロス王都の子爵邸で着替えを終えた私は気合を入れていた。今日は聖王国に移動して、明日に控えた新大聖女さま就任の儀に陛下の名代として参加予定だ。普段より気合が入っているのは、黒衣の枢機卿さまに喧嘩を売られている形で再会を果たすからである。
「危ないことは起こらないはず。でも、今までトラブルに巻き込まれ続けているから気を付けようね。私が言える台詞じゃないけれど」
本当にトラブルに巻き込まれ続けている私が言えた台詞ではないけれど、気を付けるにこしたことはない。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんはフィーネさまの下にいるので、身の安全や危険の察知能力は下がっているのだから。
ジークとリン、そしてソフィーアさまとセレスティアさまも戦う力を持ち得ているけれど、なるべく危ない目にあうのは避けたい。でもまあ黒衣の枢機卿さまがどうでるか分からないし、聖女ウルスラと呼ばれている少女の本心も分からない。
「ナイの所為じゃないからな。それにナイを守るために俺とリンが側にいるんだ。頼ってくれて良い」
「兄さんの言う通りだよ、ナイ。ナイが危ない目に合うなら絶対に助けるし、そうなる前に排除するから」
そっくり兄妹の言葉に私はありがとうと伝えた。そしてジークとリンと私はいつものようにグータッチをすれば、クロとアズとネルと毛玉ちゃんたちともグータッチならぬ鼻タッチを終える。そうしてクレイグとサフィールに行ってきますの挨拶をして、ユーリと乳母さんとアンファンにも出かけてきますと伝えておく。
なんだか子爵邸にいる時間が少ない気がするけれど、お仕事だから真面目に務め上げよう。働かなければ美味しいご飯が食べられない。
ジークとリンと私が子爵邸の廊下を歩いていると、ソフィーアさまとセレスティアさまも合流して転移部屋のある地下室を目指す。魔力を注ぎ込み王城の転移部屋に移動すると、外務部の方に近衛騎士の皆さまと教会の方たちが私たち一行を待っていてくれた。各々の方と形式的な挨拶を済ませて良く知る方と視線を合わせる。
「ベナンター卿、おはようございます」
「侯爵閣下、おはようございます」
部屋の隅っこで控えていたエーリヒさまと挨拶を交わし、彼の隣に立っている緑髪くんとも挨拶を交わした。彼ら二人は外務部の若手エースとして聖王国へ赴くそうだ。
「またご一緒できるのですね。頼りにしております」
「いえ、俺の力は微々たるものです。ただアルバトロス王国への報告や雑務はお任せください」
仲の良い方や顔見知りの方が多いと仕事がやり易い。カルヴァイン枢機卿さまとシスター・ジルとシスター・リズとも軽く挨拶を交わして、聖王国へと転移するのだった。
◇
――転移で聖王国へと辿り着く。
聖王国上層部の皆さまに歓迎されていると妙な空気が流れているのを感じ取った。大聖女さまが新たに就任するというのに喜びの空気よりも、緊張の雰囲気の方が強いのだ。面倒な事態に発展していなければ良いのだが、フィーネさまから頂いた手紙の内容から嫌な予感しかしない。
そしてエーリヒさまも妙に緊張しているようで顔が強張っている。大丈夫かと心配になるが、なるようにしかならないし黒衣の枢機卿さまが空気を読んでなにもしてこない可能性もあるだろう。
緊張しっぱなしだと張り詰めた糸が切れた時になにか起これば対処できなくなるので、あまり思いつめない方が良いと小さく息を吐いた。聖王国の上層部の皆さまと挨拶を終え最後にフィーネさまの番となり、彼女の隣にはアリサさまも控えている。
「ナイさ……アストライアー侯爵閣下! 聖王国へおいで下さり感謝致します。アルバトロス教会の皆さまもご足労頂き誠にありがとうございます」
フィーネさまと視線を合わせた私は一緒にきていたカルヴァインさまに目線を下げて、彼より先に口を開く。黒衣の枢機卿さまはウルスラと呼ばれる少女の就任式の準備が忙しいのか、私たちがいる場にはいなかった。
「大聖女フィーネさま、この度はお招き頂き厚く御礼申し上げます」
ぶっちゃけるとフィーネさまから招待状が届かなければ、予定があると嘘を吐いて参加しなかっただろう。アルバトロス王国と教会から命が下れば別だけれど、個人的に参加するなら絶対に私のお金を盗んでいた聖王国に赴かない。
フィーネさまは私のことを名前で言い掛けたり、相変わらずのようだと安心しながらお茶会の誘いを受けることになった。
就任式の儀は明日執り行われるから、情報収集に丁度良い空き時間である。フィーネさまはちらりとエーリヒさまに視線を向けて笑顔を作っていた。なんだかいつもと違う雰囲気の笑みのような気がする。まあお付き合いしていると知ったから私が勝手に感じているだけかもしれないが。
挨拶を終えてフィーネさまの案内を受けながら、聖王国官邸の廊下を歩いて庭へ出て温室へと案内される。中にはお茶会用のテーブルが用意されており、私の隣にはカルヴァインさまが席に座すようだ。
「聖王国の者たちは側近のみで固めております。本当は楽しくお話をしたかったのですが、本当に申し訳ありません」
しょぼんと肩を落とすフィーネさまに気にしないでくださいと伝えるために私は彼女と視線を合わせる。
「フィーネさまが謝ることではないかと。今回は仕方ないことですし、あとはタイミングの問題もあったのでしょう」
私は片眉を上げながらフィーネさまへと告げた。大聖女さまが在位している時期に他の方に聖痕が現れたのは仕方ないとして、黒衣の枢機卿さまがコソコソしなければ喜ぶべき案件だったはず。ただウルスラと呼ばれる少女の力が過剰なことが気になるけれど、その辺りは周りの人間がサポートして加減を覚えて貰ったり、寄付をかなり高く設定するなどして調整して貰えば良いだろう。
本当にあの胡散臭い……違った、黒衣の枢機卿さまが余計なことをしなければ良かったのにと溜息を吐きそうになる。
「あ、そうでした。ヴァナルと神獣さま。もう構いませんよ」
フィーネさまの声でヴァナルと雪さんと夜さんと華さんが彼女の影の中から飛び出した。その瞬間、私の影の中から毛玉ちゃんたちが飛び出して雪さんたちに絡みにいく。慣れていない聖王国の方たちとカルヴァインさまが驚いたものの、直ぐに鳴りを潜めて普通の態度を取り繕っていた。
毛玉ちゃんたちは雪さんたちの背中に乗ってみたり前脚の間に顔を突っ込んでみたりと忙しないけれど、初めて長い時間親と別れていたのだ。微笑ましい光景に私が頬を緩ませていれば、ヴァナルと雪さんたちがちょこんと地面にお尻を落として視線を合わせた。
『主、久しぶり』
『お久しぶりです、ナイさん』
『特に問題はありませんでしたが……』
『黒い衣装を纏った者がフィーネさんに絡んでおりましたよ』
ヴァナルと雪さんたちはお座りの体勢で私を見上げながら、毛玉ちゃんたちの構え攻撃をやんわりと受け流している。その光景に『ふはっ!』と私の背後でなにかしらのアクションを取っている方がいるのはいつも通りだった。
「変わりないようで良かったよ。あとフィーネさまの護衛お疲れ様です。フィーネさまの手紙で状況は知っていたけれど、やっぱりあの人は絡んできたんだね」
私の言葉にヴァナルは黙ったままばっふばっふと尻尾を揺らして、毛玉ちゃんたちの相手を務めている。雪さんたちは私に三つの顔を向けて目を細めた。
『詳しい話はフィーネさんから聞くのが一番かと』
『面倒なことにならなければ良いのですが』
『聖痕が現れた少女も真っ直ぐな故に扱いが難しそうです』
雪さんたちの言葉に私が『そうだねえ』と言葉を返せば、撫でて欲しかったのか私の横に彼女たちがぴったりとくっつく。ヴァナルも雪さんたちの反対側にくっついて撫でて欲しいようだから、私の右手と左手を駆使して彼らを撫でていると着席を勧められた。
毛玉ちゃんたちはひとしきり再会の挨拶で満足したようで、そのまま雪さんとヴァナルの間で五頭並んで大人しくしている。ちょっとドヤっているような気もするが、まあ好きに過ごして貰おうと私はフィーネさまと視線を合わせた。
「黒衣の枢機卿さまは私と聖女ウルスラさまと競わせたいようですが、意味はあるのでしょうか?」
「ナイさまと治癒の勝負に勝てば西大陸中に名を広めることができ、聖王国に注目が集まりますからね」
私とフィーネさまが言葉を終えると微妙な顔になる。私の席の隣に座しているカルヴァインさまは男性故に口を挟む隙はなく、何度も出された紅茶を啜っている。フィーネさまの隣に座るアリサさまも同じ様子だが、黒衣の枢機卿さまとウルスラと呼ばれる少女の名が上がると片眉をピクリと上げているので思う所があるようだ。
「私の治癒魔術の効果は平均的なものですよ。あとは魔力量で数多くの方々に術を施せるくらいで特出した力はありませんし……聖女ウルスラさまの方が優れているのに無意味なことを」
私は少し呆れて温室の天井を見上げる。青く晴れ渡る空は秋の気配を醸し出していた。詳しい状況は知らないけれど、息をしていない赤子を魔術で息を吹き返させたのは奇跡に近い。
心臓マッサージの方法と人工呼吸の仕方は世間一般に広まっていないし、教会の方も知らないから心肺蘇生は魔術に頼るしかないのだ。原理を理解できていなければ、あとは術者のひらめきと才能だよりとなる。ウルスラと呼ばれる少女が心肺蘇生法を知っていれば別だが、おそらく知らないはずだ。であるならば本人の才覚で赤子を蘇生させている。十分に奇跡と言っても良いし、聖女として治癒師として生きていけるだろう。
「手紙でも記しましたが、彼女は何年も前に失った信者の方の腕を再生させています。私も彼女に敵いませんね」
私とフィーネさまの治癒の腕前を比較すると、フィーネさまの方が上である。傷跡を残さず綺麗に治せると聞いたので羨ましい限りだ。私の場合、傷は治せても傷跡が残ることがあるので女性の患者さんだと前もって伝えておかなければトラブルの原因となる。
特にお貴族さまの女性に施す時は細心の注意を払っていた。最近、聖女のお仕事になかなか参加できていないので、カルヴァインさまに頼み込んで治癒院に赴かせて頂こう。
「凄いことですが、ご本人が良いことだと捉えているのが危ういです。周りの皆さまも彼女を持て囃すでしょうから……過ぎたる力は身の破滅を招きかねないのに」
私は深い息を吐く。黒衣の枢機卿さまが私の後ろ盾となってくれた公爵さまのような方であれば、力の使いどころを教え込んでくれただろう。彼はお貴族さまなので政治的な部分から逃げられないし、政治的な部分に聖女として絡むことはあるけれど私利私欲で治癒の力を望んだりはしない。
私が吐いた言葉は自分自身にも突き刺さっている。クロたちや神さまと知り合いになって、私を利用しようと画策する方がいてもおかしくはない。無事でいられるのはアルバトロス王家と王国上層部の皆さまの尽力と後ろ盾である二家のお陰だ。侯爵位を賜ったことで私個人でも、碌でもない方を突っぱねられる力を持った。
聖女の身分しかないウルスラと呼ばれる少女には、政で酸いも甘いも知っている方々の画策に抗えるとは思えない。とりあえず彼女には良い味方が付いてくれると良いのだが、後ろ盾があの胡散臭い……違った、黒衣の枢機卿さまなので期待はできなかった。
一応、聖王国のフィーネさま一派はウルスラと呼ばれる少女に裏はないと考えているそうだ。問題は黒衣の枢機卿さまであり、私を利用しようとしていることに頭を抱えているとのこと。
少し泳がせたいので私と接触があっても許して欲しいとフィーネさまから請われた。私を餌にするのは構わないので、問題がないように聖王国内で収めてくれるようにと願うばかりである。とはいえ黒衣の枢機卿さまの行動次第で私が手を下さなければならない場合も出てくるのだろう。
「ナイさま。申し訳ないのですが、就任の儀を執り行う関係で大陸中から信者の皆さまが聖王国に訪れております。私は大聖堂に赴いて、挨拶回りと治癒を望む方々に術を施さなければなりません」
フィーネさまが眉をハの字に下げて小さく頭を下げる。アリサさまも同行するそうで、数日の間は聖王国の聖女さま方はかなり忙しい日々を過ごすとのこと。忙しいのに時間を割いてお茶会を開いてくれたのは、事情と状況説明を兼ねてだろう。有難いことであると感謝していると、カルヴァインさまが右手を軽く挙げた。
「話の途中に申し訳ありません。大聖女フィーネさま、人手が足りないのであれば私も治癒師として参加させて頂いて良いでしょうか?」
カルヴァインさまはアルバトロス王国所属の貴族兼アルバトロス教会の枢機卿さまである。アルバトロス教会の上部組織は聖王国の聖教会となるのだが、この場合どうなるのだろうか。忙しいことが分かっているし、就任の儀で大陸中から信徒の皆さまが集まっているのであれば当然聖職者の方も参加している。それなら問題ないかと私も小さく右手を挙げた。
「では私もカルヴァイン枢機卿と共に参加させて頂けませんか? 聖女を務めていますし問題は少ないかと。ただ護衛の者を大勢侍らすことになりますが……」
「私では判断しかねるので、他の者と相談させて頂いても良いでしょうか。しかしながらアストライアー侯爵閣下とカルヴァイン枢機卿の申し出は有難いことなので感謝致します。返事は使いの者に頼むので暫くこちらでお待ちください」
フィーネさまはカルヴァインさまと私の申し出を聞き少し驚きながらも、聖王国上層部の方に相談して頂けるようだ。忙しいと知っていながら黙って待機しているのも気が引ける。
就任の儀は来賓として参加するから今日はぶっちゃけると暇なのだ。それなら動いて時間を潰した方が良いだろうし、一緒に赴いているシスター・ジルとシスター・リズも助手として参加できるはず。
聖王国の大聖堂は西大陸中の聖職者の皆さまの憧れの場所である。私は大聖堂に興味はないが聖女だから信者の皆さまに治癒を施せるはず。フィーネさま――ヴァナルと雪さんたちはフィーネさまの影の中に入る――とアリサさまが温室を去って暫くすると、聖王国の護衛の方が真面目な顔を携えて私たちがいるテーブルの側に立ち礼を執る。
「失礼致します。お二方にも是非、治癒師と聖女として参加をお願い致したく」
「ありがとうございます。聖王国の皆さま方の寛大なお心に感謝申し上げますとお伝えください」
護衛の方にカルヴァインさまが言葉を紡ぐ。言い出しっぺは彼であるし、アルバトロス教会の枢機卿に座しているのだから今の私は彼の部下である。私は侯爵位を持っている身であるが、返事をするのはカルヴァインさまが適任だと静かに目礼をするだけに留めておいた。
あとは報酬の話を済ませて護衛の方とそのまま温室を出て大聖堂へと赴いた。私たちの下には聖王国の護衛の方が何名か侍っているから、少し迷惑を掛けてしまっている。人手を使ってしまっていることは私たちのお仕事で返そうと気合をいれるのだが、大聖堂の片隅から見る光景に感嘆の声が漏れた。
「凄い人だかりだね、ジーク、リン」
大聖堂の祭壇前には凄い人だかりができていた。芋洗い状態で信者の皆さまが密集しており、聖王国の護衛の方たちが必死になって交通整理を行っている。流石にこの密度で聖女が表に出ると大変な騒ぎになろうと、治癒を願い出た方は別室に案内されて聖女か治癒師の術を受ける手筈となっていた。
「王都の教会が開く治癒院でも多いと感じていたが……流石にこの光景は圧巻だな」
「うん、凄い人の数」
ジークとリンも大聖堂の人だかりに気圧されているようだ。以前訪れた大聖堂も人が多かったけれど、今日は三倍くらい密度が増えている。ノリと勢いで『まるで人がゴミのようだ』と言えば大顰蹙を買うので黙っておく。
「じゃあ、治癒院参加の時の要領でいつも通りに頑張ろう」
人の多さに驚きつつも、やるべきことは一緒だ。私の下へ訪れた方に症状を聞き出し、最適な治癒魔術を施して再発防止の対策を伝えるを繰り返すだけである。
私が右腕を突き出すとジークとリンも右腕を差し出してグータッチをする。そしてクロとアズとネルも鼻先をちょこんとだして鼻タッチした。毛玉ちゃんたちは私の影の中で残念そうにしているから、子爵邸に戻って彼らと遊び倒そう。
「カルヴァインさま、シスター・ジル、シスター・リズもご協力よろしくお願い致します」
そうして私はアルバトロス教会のお三方に顔を向けた。名前を呼んだ皆さまは良い顔で確りと頷いてくれる。
「はい。聖女ナイさまとご一緒できることは私にとってこの上なく嬉しいことです」
「もちろんです。いつも通り頑張りましょう」
「ええ。私も己にできることをいつも通りに行いましょう」
アルバトロスが優れているとか聖王国の方が凄いとか興味はないし、ただひたすらに困っている方に治癒を施すだけと用意された部屋に入り椅子に腰掛けるのだった。