魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~   作:行雲流水

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0506:話し合い開始。

 ――話をさせてください。

 

 私の部屋の扉の向こうから聞こえてきたのは、私が所属する派閥の男性たちの声ではなく、まだ幼さが少し残るウルスラのものだった。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんは部屋の絨毯の上でくつろいでいる。

 

 ということはウルスラに敵意はないのだろう。敵意が含まれているのなら彼らが鋭く反応をみせるのに、ヴァナルは寝転がっていた身体を起こして顔を傾げ耳の片方をぺたんと下げており、扉の向こうが気になっているだけ。雪さんたちはヴァナルの隣でまったりと絨毯の上でくつろいでいるままなのだ。雪さんたちはウルスラに関心があまりないのかもしれないが。

 

 「大聖女ウルスラ、少しだけお待ちいただけますか? ――ねえ、ヴァナル。雪さん、夜さん、華さん。扉を開けてウルスラを迎え入れても良いかな?」

 

 扉の向こうから『承知しました』と少し気落ちした声が聞こえてきた。彼女は私に断られると考えているのだろうか。

 

 部屋に閉じ籠ると言ったことを反故することになるけれど、ウルスラが大丈夫なのか気になる。大聖堂はウルスラの力の発現により信者の方の来訪数は増えている。増える、イコール、寄付が増えて大聖堂の方たちはホクホク顔の聖職者が多いとアリサから聞いた。

 

 先々々代の教皇さまは『嘆かわしい』と大聖堂の様子に嘆いているし、アリサはアリサで口をぷーっと膨らませて凄く不機嫌である。そしてアリサから気になることを聞いていた。

 

 大聖女ウルスラが大聖女の地位に就く前より痩せていると。ほんの少しの変化なので、周りの方たちは気付いていないともアリサは言っていた。それ力の行使し過ぎではとアリサと一緒に訝しんでいたのが、三日ほど前である。丁度良い機会だと私はヴァナルたちに相談を持ち掛けた。彼らに駄目と言われれば諦めるつもりである。

 

 『ん? フィーネ、やりたいようにすれば良い』

 

 ヴァナルは片方倒していた耳を元に戻して、ふすーと大きく息を吐いて胸を張る。守ってあげるから私の好きにして良いよと言ってくれているのだろうか。

 

 『敵意は感じられませんね』

 

 『ですが気を付けることに越したことはありません』

 

 『我々は姿を現したままでいましょうか』

 

 雪さんと夜さんと華さんも私の意見に反対はないようである。むしろ好意的に受け入れられている気もする。私はヴァナルと雪さんたちにお礼を伝え、部屋の扉の前に移動する。バリケードを築いているので少し離れた位置だけれど……大きな声を出さなくても扉の向こうに十分届く範囲である。私はふうと大きく息を吐いて部屋の扉の前を見据えて口を開いた。

 

 「お待たせして申し訳ありません。大聖女ウルスラ、確かめたいことがあるのですが……貴女の周りにはどなたがいらっしゃるの?」

 

 騙されている可能性もあるだろうと私はウルスラに問うてみる。嘘を吐かれる可能性もあるのだが、今の状況で嘘を吐いても仕方ないし、大聖堂でお務めを果たしているウルスラが嘘を吐くようには思えない。さて。

 

 「私に就けて下さっている護衛の方お二人しかおりません。ご迷惑を掛けてしまうと最低限の人数で参りました」

 

 扉の向こうからウルスラの声が届く。護衛二人は本当に少ない数だ。大聖女の位に就いた彼女の周りには多くの護衛が侍っていてもおかしくはない。私も常時、三人か四人は護衛が就いている――今は例外――ので、護衛の皆さまと相談して折衷案を受け入れたのか。一人では所用で彼女の側を離れたくなった時に困ってしまう。だからこその最低限の二名なのだろうと私は納得した。

 

 「……分かりました。大聖女ウルスラの言葉を信じます。もう少しお待ちを」

 

 私はバリケード代わりにしている家具を動かそうとするとヴァナルが大きくなって手伝ってくれる。最初、大きくなるところを見た時は驚いたけれど人間案外あっさりと慣れてしまい、彼が大きくなった隙を見て首に腕を回してもふもふを堪能している。

 

 「あれ? 今気付いたんだけれど、ヴァナルの首飾りが増えてる?」

 

 ヴァナルが首に下げているナイさまから貰った天然石に視線が行ったのだが、天然石以外に小さな石が一つ増えている。どうやらヴァナルの毛深い中に隠れていたようで私は今気付いた。

 

 『主が持ってて欲しいって。フィーネの所に行く前、御守り石に付けてくれた』

 

 ヴァナルはナイさまから借り受けた石を自慢そうな顔で教えてくれた。御守り石というのはナイさまがアガレス帝国で買い付けた天然石である。私も彼女からお土産として頂いていた。ナイさまは安い石と言っていたけれど、先々々代の教皇さまによれば質の良い小さな魔石なのだとか。仕舞い込んでしまうのは勿体ないと、装飾店に加工に出しているので戻ってくるのが楽しみだ。

 

 そして雪さんたちも『秘密の道具らしいです』『ナイさんはお茶目ですからねえ』『きっとな凄いものなのでしょう』と楽しそうな顔で番の胸元に視線を向けていた。うーん……ナイさまはなにを考えているのだろうか。まさか『どかーん!』と爆発したりしないよねとヴァナルの胸元を凝視する。……あ。

 

 ウルスラを待たせてはいけないと、バリケードをヴァナルと雪さんたちと協力して家具を扉の開閉に邪魔にならない位置へと移動させた。

 

 「ふう。力仕事は大変ね……――って、人を待たせているんだったわ」

 

 私は腰に手を当てて息を吐くのだが、ウルスラを待たせていることを思い出す。私は扉に施錠の魔術を付与していたので解除する。ナイさまの帰り際になにかあってはいけないと、この魔術を教えて頂いていた。

 少し複雑な術式だったけれど、どうにか覚えることができて喜んでいたのだけれど……直ぐに利用するとは考えていなかった。キン、と声高い音が私の耳に届く。これは魔術を解いた時に聞こえる音だと知っているので、慌てることなくドアノブに手を掛けて扉を開いた。

 

 「あ……お変わりないようで良かったです!」

 

 「心配を掛けてしまい申し訳ありません。私が部屋に籠っているのは体調不良ではないので……ウルスラ、貴女こそきちんと食事と睡眠と運動をなされていますか?」

 

 私が扉を開けた瞬間、ウルスラはぱあっと顔を輝かせる。彼女の顔を見た私は少し痩せた頬に視線が向く。大聖女就任の儀の前の彼女より精彩さが失われており疲れている様子である。分かり易い変化につい彼女から話を聞くつもりが、私から喋り掛ける形となった。今の彼女の様子をみるに大聖堂と聖王国上層部は碌な状態ではないはず。

 

 「ウルスラ、部屋の中へ入りましょう。お茶を淹れてゆっくり貴女の話を聞きます」

 

 拭えぬ不安に私は目を細める。ウルスラは私の誘いに少し緊張しているようだった。私の態度の変化に驚いているのか、それとも私の背後に控えているヴァナルと雪さんたちに恐れをなしているのか。

 どちらか分からないけれど、彼女と護衛の方二名を部屋の中へと招き入れる。三人には施錠の魔術を施すことを断って部屋に鍵をかけた。これで外からの侵入は難しくなるだろう。誰かが開錠を試そうとしても、解くのに時間が掛かるはず。ウルスラを応接用のソファーに導いてお茶を淹れようと踵を返す前に一声掛けておく。

 

 「あ、すみません! 私が淹れます!」

 

 ソファーに腰掛けようとしていたウルスラの動作が止まって、すちゃっと直立した。

 

 「気にしないで。貴女は今、私のお客さんなのだから」

 

 私は笑みを作って彼女を止めるのだが不安そうな顔のまま、すとんとソファーに腰を下ろす。護衛の方はヴァナルと雪さんたちを目の前にして、ごくんと息を呑んでいた。彼らの心境は仕える主を守れるのか不安なのだろう。

 

 備え付けの給湯器でお湯を沸かして紅茶を淹れる。お茶の入れ方は、前世で一時期凝っていたので覚えていた。最近は侍女の方に頼ってばかりだったから腕は落ちているかもしれないが、吐くほど不味くはないだろう。ティーカップをシルバートレイの上に乗せ、ゆっくりと彼女たちがいる下へと歩き『どうぞ』と机の上に差し出した。私はウルスラの対面の席に腰を掛けて、一口紅茶を飲んで背を正した。

 

 「さてウルスラ、貴女の話を聞くにあたって一つ条件があります。貴女の話が終わったあとで構いません。私も貴女のことを聞かせてください」

 

 どうにも彼女が気になって仕方ない。無暗に力を行使していないか、きちんと休みを取っているのか、大聖女として無理をしていないか、気になることは多々ある。

 

 「え……私のことですか? いつもと変わらない話ばかりになってしまいますが……よろしいのでしょうか?」

 

 ウルスラは私の言葉にきょとんと目を開きながら驚いている。ナイさまじゃないから取って喰いやしないのに、そんなに驚かなくても良いのではと苦笑いが自然と出てしまう。

 

 「もちろんです。私が部屋にいる間、大聖堂でなにか起こっているのか知りたいので」

 

 先々々代の教皇さまとアリサから話を聞いているけれど、情報は多い方が良い。見る視点が変わるだけで、違う情報が入る可能性がある。それに彼女は黒衣の枢機卿の支援を受けている。なにか彼の行動の一端でも見えれば御の字なのだろう。

 

 「承知致しました。きちんとフィーネさまのお言葉に答えます」

 

 ウルスラが背を伸ばして真っ直ぐした顔で私を見ている。誠意を見せてくれるなら、私も誠意で返さなければならないだろうと彼女の話がなにか促してみようと『それで話とは一体?』と尋ねてみる。

 

 「体調は大丈夫ですか? フィーネさまがお倒れになり自室で療養していると聞きました。不躾でなければ治癒を施させて頂こうと参った次第です」

 

 彼女が私の部屋を訪ねたのは私だけが心配ではなく、アリサの様子も妙だと気になるし大聖堂の聖職者の方々も変な様子なのだとか。黒衣の枢機卿はいつも通り、というか機嫌が良過ぎるくらいで少し怖いとのこと。

 彼を取り囲む人が増えているし、ウルスラが大聖女の地位に就いたことで確実に自身の周りが変わっていることを肌で感じていると。そしてほぼ休まず大聖女としてお務めを果たしていた私が、ぱたりと姿を見せないので不安に駆られて私の部屋に赴いたということだった。

 

 「念のために聞きますが、彼の命令でしょうか」

 

 私の言葉は意味のない問かも知れないが聞いておく。

 

 「いえ、違います。私の判断でフィーネさまの下を訪ねさせて頂きました」

 

 ウルスラがゆっくりと首を横に振った。ウルスラが意思で私の部屋に赴いたのであれば、黒衣の枢機卿の傀儡という線は薄くなるだろう。

 

 「失礼なことを聞いて申し訳ありません。ですが必要な確認事項ですのでご容赦を」

 

 「大丈夫です。私はまだまだ未熟で政は全く分からず、大聖女として力不足を痛感しています。フィーネさまのように何故できないのかと落胆される方もいました。あの……お時間が空いた時で構いません。私に政に関することを少しでも良いのでご教授頂けないでしょうか?」

 

 彼女は眉尻を下げて少し気落ちしているようだった。誰がウルスラにそんなことを強いたのだ。

 

 「…………待ってください。本来、大聖女は政に関知しません。私が特殊というだけです。誰が貴女に政の仕事まで務めよと申し出たのですか!?」

 

 言葉を言い終えた私はソファーから立ち上がり、ウルスラに誰か教えて欲しいと迫る。でも彼女は気まずそうな顔になり言いたくなさそうだった。誰と特定し辛い状況だったのか、誰かを庇っているのか分からないけれど……無理に聞き出すのは失礼かと私はソファーに腰を下ろす。

 

 「すみません、感情が高ぶりました」

 

 私は大きく息を吐いて、少し冷めた紅茶を一口嚥下してまた息を吐く。少し落ち着いただろうか。しかし誰が大聖女ウルスラに政治的なことまで求めたのだろう。あの黒衣の枢機卿はウルスラに政治に関わらせるとは思い辛い。ウルスラには都合の良い駒でいて欲しいはずである。ということは知恵は付けて欲しくないはずだ。

 

 「ウルスラは政に興味があるのですか?」

 

 でも一応は聞いておかないと。確認は大事だろう。

 

 「正直、良く分かりません。私にできることは治癒魔術を行使することだけです。大聖女になって多くの方に施すことができると喜んでいました。そして本当に以前より多くの方に治癒を施しています。でも、なにか違うんです!」

 

 ウルスラが膝の上で両手を開いて視線を落としている。腹黒い大人たちが身の回りに増えれば大変だろう。私はお尻に火がついて必死に走る他なかったのだから、周りのことに目を向けている暇はなかった。

 彼女は私よりも周りが見えている。だから、きちんとした認識と力の使い方を覚えれば大聖女として大成できるはずである。政治面は政治屋さんに任せれば良い。もし仮に聖王国が潰れてしまう状況に陥るなら私の出番ではないのだから。

 

 「ウルスラ、その違和感の正体は分かりますか?」

 

 私はウルスラに問い掛けると、彼女はぱっと顔を上げて泣きそうな顔で私を見るのだった。

 

 ◇

 

 ウルスラが私の下を訪ねて部屋に招き入れてから、十分ほど時間が経っている。短い時間であるが、もう何時間も彼女と話しているような錯覚に陥った。彼女は真面目な顔で私を見つめ、彼女の護衛二名は未だにヴァナルと雪さんと夜さんと華さんに警戒を向けている。本当に妙な状況になったものだ。ウルスラはてっきり私と敵対するのだと思い込んでいた。

 でも、今回は良い機会なのだろう。こうして話を聞けてウルスラの内心が聞けたことは有難い。以前の茶話会で声を掛けていたことが今回の訪問に繋がったのだろうと、過去の私を褒めてあげる。

 

 「違和感、ですか……彼が変わってしまった所が一番変化と感じている所でしょうか。上手く言い表すことはできませんが……」

 

 「ごめんなさいね。私と彼が出会ったのは三年前だから、付き合いの長いウルスラのように私は変化が分からないの」

 

 しゅんと落ち込んでいるウルスラに私はこんな言葉しか返せない。黒衣の枢機卿は三年前、私が聖王国をどうにかしなければとみんなと協力していた際に、いつの間にかその輪の中にするりと入り込んでいた。そして私が所属している派閥とは別に力を付けて、勢力を拡大し協力体制を取っていたのに今のようなことになっている。

 

 「私と出会った頃は毎日大聖堂の祭壇で女神さまに祈りを捧げていましたし、信者の皆さまに説法を説いて布教活動に励んでおりました。でも最近の彼が祈る所も布教活動に勤しんでいる姿も見なくなりました」

 

 ウルスラが更にしゅんとなって『私の力を頼られるのは嬉しいのですが、少しやり過ぎではないかと……』とぽつりと漏らした。彼女の頬がコケているのは魔力の使い過ぎだろう。

 食事を十分に摂れば回復は可能だけれど、敬虔な女神さまの信者である彼女は質素な食事を好んでいるのかもしれない。それだと魔力を回復するための栄養が足りていないのではと頭の中で首を捻る。ナイさまにお願いして子爵邸で育ったお野菜を送って貰おうと考えるが、彼女に今その話をしない方が良い。とりあえず話を進めようとウルスラと視線を合わせる。

 

 「ねえ、ウルスラ。小さな赤子の息を吹き返させたことや失くした腕を貴女の力で生やしたことをどう考えているの?」

 

 「女神さまが与えてくださった素晴らしい力だと思います。笑みを絶やしていた母親が涙を流して有難うと言いながら縋りつく背を私が撫でると温かかったのです。腕を失くし食事が摂れず亡くなる方を貧民街で見ていました。私はそんな方を二度と見たくはありませんでした。だから女神さまは私に力を授けてくださったのです!」

 

 もしかして彼女は誰かの死を極端に嫌っているのだろうか。死は誰にでも訪れるものである。長生きできれば嬉しいけれど短命で終わる方もいる。彼女の心根の優しさが無用な傷を作ってしまい、治らないまま聖女を務めてきたのか。人の生き死にに関わるから、ウルスラにとって聖女という地位は心の傷を広げるだけだったのかもと小さく息を吐いた。

 

 「ウルスラの気持ちを私が理解するのは多分無理だけれど……貴女が力を使い続ければ、自身の命を早く削ることになってしまうわ。それは理解していて?」

 

 説得は難しいというより、彼女の想いの根本を治すには難しいことだけれど、伝えておかなければと私は口を開いた。もし彼女の後ろ盾が黒衣の枢機卿でなければ、今のような脅迫めいた使命を背負うことはなかったのではないだろうか。私の横で絨毯にお尻を付けているヴァナルはウルスラの言葉の意味をあまり理解できていないけれど、雪さんたちは彼女の歪さに気付いているようで目を細めながら見つめていた。

 

 「私が死んでも悲しむ方は少ないです。なら悲しむ方の多い人を救えば――」

 

 影の差すウルスラは、自身が歪な考え方を持っていることに本当は気付いているのではないだろうか。それよりも、自分が死んでも代わりはいるような物言いは好きにはなれず、一瞬で私の頭に血が昇っていた。

 

 「――ちょっと待ってよ! なによ、ソレ! 自己犠牲がカッコ良いと思ってるわけ!? 少なくともウルスラが死ねば私は悲しいわよ! 付き合いは短いし貴女のことを知らないけれど、女神さまに信仰心の薄い私でも貴女の女神さまに対する想いは本物だと考えてた! なら女神さまから与えられた力を使い潰すことを望むより、上手く均衡を取って力を使えば希代の大聖女になるんだろうなって!」

 

 「でも……でも……貧民街で私は誰も救えなかったのです。助けを求める人の手を振り払って私は生き延びました……見捨てた人の絶望した顔が忘れられないのです! どうすれば良いですか? 力も知恵も持っていなくて私一人が生き残ることだけを必死に考えていたあの場所から救われて、温かいご飯と寝床と住む場所を与えられた私にみんなが迫ってくるんです!」

 

 だから自身の身を削って誰かを助けることを己の絶対的な使命としたとウルスラは悲痛な声で叫ぶ。ようやく彼女の本音というか心の底を見せてくれたけれど……彼女の傷は私では治せないし、おそらくナイさまでも神さまでも治せないだろう。

 唯一治せるのはウルスラという自分自身だけである。過去を乗り越えなければ歪な考え方は改められないだろうと私は頭を抱えたくなった。どうしようか悩みまくっている私の側からヴァナルが腰を上げて、ウルスラの側へとゆっくりと近づいた。護衛の二人は驚きつつもウルスラを守ろうと剣の柄に手を添えようとするも、雪さんたちの鋭い視線で動くことができなかった。

 

 『仲間、助けられなかった? 悲しい?』

 

 「え?」

 

 『でも弱い者から死ぬ、自然の掟』

 

 ヴァナルはウルスラの足元近くに座って彼女を見上げている。ヴァナルの言葉はたどたどしいけれど、意味はきちんと伝わっているしウルスラの悲しみを感じ取って彼なりの言葉で励まそうとしているのだろう。私がウルスラに言葉を尽くすよりも、ヴァナルに任せた方が良いだろうと黙って一人と一頭を見守る。雪さんたちも『流石、私たちの番さまです』と言いたげに尻尾をばっふばっふと動かしていた。

 

 「あ、あの……」

 

 突然、魔獣がウルスラに喋り掛けてきたことで彼女は先ほどまで顔に影が差していたというのに、今は驚きの表情に変わっている。そのままヴァナルに癒されれば御の字だけれど……話の展開次第だろう。

 

 『自分が生き残ること考える、悪いことじゃない』

 

 「え、えっとぉ……フィ、フィーネさま。私はどうすれば?」

 

 ウルスラは道に迷う幼子のように私に助けを求めてきた。確かに魔獣が話しかけてくるなんて、一生に一度どころか経験しないまま人生を終えるのが普通だから驚くのも仕方ないよねと私は小さく笑みを浮かべた。

 

 「ウルスラ、そのフェンリルは貴女のことを気に掛けております。答えてあげてください」

 

 私が困惑しているウルスラに答えると、おずおずともう一度彼女はヴァナルと視線を合わせた。

 

 『悲しかった?』

 

 「も、もちろんです! 運良く私だけ孤児院に拾い上げられました。それから貧民街に戻ったことは一度もありませんが、ずっと彼らの顔が頭の中にこびり付いて離れないんです。夢の中でどうして助けてくれなかったって……どうしてお前だけ助かったって……」

 

 ウルスラが両手で顔を覆う。夢を思い出したのか、彼女の手の向こうでは涙を流しているのかもしれない。

 

 『怖い?』

 

 ヴァナルが短く問いかけて、鼻先をウルスラの手につんつん攻撃とすりすり攻撃を行い顔を見せてと訴えていた。

 

 「え……怖いって夢がですか?』

 

 『うん。うなされるのは嫌』

 

 ウルスラはヴァナルのつんつんすりすり攻撃に負けて顔を覆っていた手を外す。少し涙の跡があるから、やはり彼女にとって幼い頃貧民街で過ごした記憶はトラウマになっているようだった。

 せめて彼女の話を聞いてくれる方がいれば少しはマシな状況であったのではないかと悔やまれる。でも今はヴァナルの言葉に期待しよう。

 

 「嫌じゃありません。これは私が背負うべきものだから、うなされて当然なんです!」

 

 『違うよ?』

 

 「違いません!」

 

 『そのように自分を追い込むものではありませんよ、お嬢さん』

 

 『貴女の幼い頃、一体なにがあったと言うのです?』

 

 『私たちは随分と長く生きておりますし、話をするだけでも楽になりましょう』

 

 雪さんと夜さんと華さんが順番に言葉を発したあと彼女たちが声を揃え、ウルスラに教えてくださいと言い私の横からゆっくりと立ち上がってヴァナルの隣に腰を下ろした。

 暫く黙ってヴァナルと雪さんたちを見ていたウルスラは訥々と幼い頃を語り始めた。彼女はご両親の顔は覚えていないそうだ。物心ついた時には貧民街で暮らしており、日々を必死に生きていた。誰かの庇護下に入っていたり、子供のコミュニティに入っていたりと貧民街でもいろいろな所を流れていたとのこと。

 

 貧民街でウルスラと一緒に過ごしていた人たちは、皆女神さまの下へと旅立っているそうだ。ウルスラがいると誰かが死ぬと陰で言われたことがあったとか。

 貧民街で死者が出るのは良くあることである。それなのに彼女へ理由を押し付けたのは厳しい現実から一時でも目を離したかったからかもしれない。幼い子供に酷いことを言ったと思うけれど、心の拠り所が欲しかったのだろうなと私は納得してしまった。

 

 『君の所為じゃない。運が悪かっただけ』

 

 『生き延びる力がなかったのでしょうねえ。厳しい自然の中では当然の結果です』

 

 『厳しいようですが、弱い者は淘汰されますからね』

 

 『それは赤子も大人も変わらないでしょう』

 

 ヴァナルと雪さんたちが真剣な顔でウルスラの顔を覗き込んでおり、ゆらゆらといつも揺れている彼らの尻尾は今は動いていなかった。

 

 『ヴァナルの主、弱い人助けてる』

 

 「君のご主人さまは凄い人だね」

 

 『治癒以外でも誰かを癒すことはできましょう』

 

 『聖女の務めで炊き出しに参加することもあるのでしょう?』

 

 『困った方の話を聞いて一緒に悩み考えることも、誰かの助けとなるのですよ?』

 

 「え?」

 

 えってウルスラ……どうしてヴァナルと雪さんたちの言葉に彼女が驚いているのだろうか。

 

 「でも一番喜んでくれるのは私が病気や怪我を治すことだって、それに私は治癒しか施せないから、それ以外は精力的に動かなくて良いと彼が……」

 

 もしかして黒衣の枢機卿はウルスラに教育を施していないのだろうか。凄く『治癒』という部分に拘っているし、ワザと治癒魔術しか教えていなかった可能性も出てきた。あの男はなにを考えているのだろう……世間を知らないまま育ってしまったウルスラに頭を抱えたくなるけれど、やり直しはまだできる。

 それよりも黒衣の枢機卿が己の立身だけを考えていることに段々と腹が立ってきた。少しずつ自分の歪さに気付いているのか、ウルスラの表情が困り果てたものになっている。彼女には彼女を正しく導ける大人が必要だ。なら私はその手助けをしなければ。立派な大人には程遠いから、誰かを紹介くらいの伝手は持っている。

 

 「ウルスラ、大聖女の仕事はなにも治癒だけではありませんよ。彼らが先ほど申した通り、困っている方々の話を親身になって聞くだけでも心が軽くなるものです。根本的なことは解決していませんが、ウルスラも少し吐き出して楽になったのではありませんか?」

 

 「まだ実感はありませんし、凄く迷っています。このまま治癒を続けていくのか、誰かの話を聞いて回るのが良いのか……」

 

 ウルスラが眉をハの字にして困った顔を浮かべる。どうして彼女は極端なのだろう。治癒も続けて、話を聞いて回ることも活動の一つとして増やせば良いではないか。

 

 「ウルスラ、両方を選び取れば良いのではありませんか?」

 

 そう。ウルスラはまだ若いから、なんでも挑戦できる。聖女以外の道もあると彼女は知らないのではないだろうか。

 

 「でも私にはそんな器用なことはできないと教えられました」

 

 「試してもないのに諦めるのは少し早いのではありませんか。何事も挑戦して無理だと分かれば止めれば良いですし、諦められないならゆっくりと進めば良いと私は考えます」

 

 ウルスラの生き方の幅を狭めたのは確実に黒衣の枢機卿なのだろうと私は目を細めた。私の言葉に頭を悩ませているウルスラは考え過ぎたのか、暫くしたあとぷしゅーと蒸気を吹くのだった。

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