魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
初めてオーロラを鑑賞した方々は闇夜に浮かぶ光のカーテンに感動していた。
今回のオーロラは以前見た緑色に青味がかっていて少しだけ雰囲気が変わっている。グイーさまの機嫌が良いと緑色に光ると南の女神さまから聞いたので、今回の気分は前回と少し違うようだった。西の女神さまの引き籠もりが解消されたのでグイーさまが喜んでくれているならば、バーベキューを開催して良かったと安心しながら宿に戻ってきた所である。
今回も北大陸を経由したので、ミズガルズ神聖大帝国の皇宮に赴いてお礼を述べる予定だ。ディアンさまたちは私が挨拶をしている間に魔人の村へと顔を出すとのこと。
私も魔人の村が復興しているか気になるけれど、挨拶回りがあるので仕方ない。ひとまずディアンさまに魔人の少女に向けた手紙――内容は復興が進んでいるかどうかと、なにか支援できることがあれば申し付けて欲しいというもの――を預けたので、どんな返事が戻るのか不安と期待が入り混じっていた。
宿屋さんがある小さな町から出て、ディアンさまとベリルさまは竜化して魔人の村へと赴く。ダリア姉さんとアイリス姉さんも一緒に行くのかと思いきや、私と一緒にミズガルズの皇宮にくるそうだ。
エルフのお姉さんズはミズガルズ帝都の防寒システムに興味があるようだ。ディアンさまとベリルさまが雲が多い空の上に飛び立ち、私たちは雄大に空を飛ぶ彼らを見送った。私はダリア姉さんとアイリス姉さんと、他の面々に顔を向けて戻りましょうかと告げた。ふいに誰かがいないと気付いて、ダリア姉さんとアイリス姉さんに視線を向ける。
「そういえばお婆さまは? またどこかに遊びに行ったのでしょうか」
「お婆だもの。いつものことね」
「お婆はいつも通りだから放っておいても大丈夫だよ~」
ダリア姉さんとアイリス姉さんはお婆さまが忽然と消えることに慣れているようである。お婆さまのことだから危険は少ないだろうけれど、急にいなくなれば心配にはなる。
とはいえお二人が薄情者という訳ではなく、ある種のお婆さまに向けた信頼のようなものだろう。長い付き合いだろうし、彼女たちが平然としている姿も理解できた。気にしない、気にしないと私に告げるダリア姉さんとアイリス姉さんを他所に、魔術に興味が振り切っている方々は肩を落としている。
「僕も魔人の村に興味があるのですが……陛下からアストライアー侯爵閣下の護衛を頼むと言い付けられていますので……本当に残念でたまりません」
「本当に残念。ハインツ、今度、連れて行って貰おう」
副団長さまと猫背さんが肩を落としているけれど、猫背さんが副団長さまを宥めているとはこれ一体。明日は雨が降るのかもしれないと陽の沈む方角を見てみるが、まだ朝の早い時間帯である。夕刻に陽の沈む空を見て明日の天気を予想するには早すぎた。
私も魔人の村は気になっているから、私の時間の都合と陛下とディアンさまと魔人の少女の許可が取れれば村に赴いてみよう。その時に副団長さまたちを誘えば、今落ち込んでいたことも忘れ去ってしまうはず。やりたいこととやるべきことが沢山あるなと、ミズガルズ神聖大帝国の皇宮に赴く皆さまと私は顔を合わせる。
「じゃあ、行きましょうか」
「すみません、ナイさま。ミズガルズの皆さまにご紹介をして頂けるなんて……」
私の声にフィーネさまが半歩前に出た。フィーネさまはこのあとアルバトロス王国に戻って数日後に聖王国に帰国する予定である。エーリヒさまと過ごせる時間が少なくなるので、オーロラ鑑賞が彼女たちの思い出になれば良いのだが。
手紙で日常を共有するより、やはり一緒に行動を共にして同じ景色を見る方が幸せだろう。その意味ではオーロラ鑑賞は良い時間だったはず。オーロラの真相を知ると少々気落ちするかもしれないが、綺麗なことには変わりない。
「あまり気になさる必要はないかと。帰国された時に北大陸と縁があると聖王国の方々が知れば、フィーネさまのことを無下にできないでしょうから」
私はフィーネさまに迷惑ではないと伝えた。聖王国に戻って大変なのはフィーネさまである。彼女の性格上、聖王国の皆さまを見捨てることはできないだろう。それならば、彼女が確固たる立場や他国と強い繋がりを持っていると聖王国上層部の面々に知らしめれば、馬鹿な行動は取り辛いし彼女を貶めることもないはずだ。
そういう意味で今回のミズガルズ帝との謁見は彼女に取って好機である。ついでに第一皇女殿下たちとのお茶会も開かれるので、私が失脚してフィーネさまがアストライアー家を頼れなくなった時はアガレス帝国のウーノさまとミズガルズ神聖大帝国を頼れば良い。私は失脚するつもりは毛頭ないけれど、世の中なにが起こるか分からないので保険は多重に掛けておくべきである。
申し訳なさそうな表情をしているフィーネさまに私がゆるゆると首を振れば、彼女は小さく息を吐いて納得してくれた。偉い方同士の繋がりは手間がいろいろと増えるけれど便利な側面もある。
気を取り直してもう一度『行きましょう』と私が告げ、皆さまが頷きロゼさんの転移が発動する。本当に転移って便利だと考えていれば、ミズガルズ神聖大帝国帝都の外壁へと辿りつくのだった。そうして、北大陸でやるべき日程を済ませて、魔人の村から戻ってきたディアンさまたちと合流して……。
アルバトロス王国へ戻った。殆どロゼさんの転移頼りだったので、馬車や大陸横断鉄道を使用するより移動時間は随分と短縮されている。ロゼさんに感謝の意を伝えると『マスターに褒められた』と真ん丸ボディーをべちょっと平らにさせて喜んでいるようだった。
器用な喜び方だなと私が苦笑いを浮かべていると、毛玉ちゃんたちが私の足元を回り始める。どうやら彼らも褒めて欲しかったようで、私はしゃがみ込んで毛玉ちゃんたちに労いの言葉を掛けた。
ふふん! と胸を張る椿ちゃんと楓ちゃんと桜ちゃんに、首を傾げて良く分かっていなさそうな松風と早風の態度の違いが面白かった。そしてまた毛玉ちゃんたちの魅力に被弾してしまった某ご令嬢さまは嬉しそうに、身体をのけ反らせているのだった。
戻るや否や、子爵邸からお城に赴かなければならない。ミズガルズの帝都に寄ったついでに買い付けたお土産を屋敷の方に預けるなり、アルバトロス城へと向かう。
ディアンさまたちも亜人連合国に戻って荷物を一旦置いてから、アルバトロス城へ向かう手筈になっている。エーリヒさまと緑髪くんに副団長さまと猫背さんは一足先にお城に戻っている。アルバトロス上層部の皆さまは神さまの島でどんなことが起きたのか気になるだろうし、早く赴いた方が良いのだろう。
「さて、報告に行かなきゃね」
私の言葉にジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさまが頷き、フィーネさまが『はい』と声を上げる。アリアさまとロザリンデさまは子爵邸の別館へと戻ってゆっくりして頂く予定である。
少々面倒なのは、神の島へ赴いたことで報告書を上げなければならないことだろうか。まあ、討伐遠征に帯同すれば報告書を上げなければならないので、お二人にとって難しいことではないだろう。
ディアンさまたちが子爵邸に顔を出し、みんなと一緒に屋敷の地下室へと入る。そうしてアルバトロス城まで一瞬で転移を終えるのだった。
◇
――嗚呼、胃が痛い。
謁見場にある玉座の前で平伏している目の前の少女は、破格の功績を上げているのに報酬に興味がないのだろうか。彼女が得た功績を考えればアルバトロス王国から独立を望んでも問題はないのだが、アストライアー侯爵は望まない。
叔父上曰く『金や地位や名誉に頓着していないし、人の下に就いている方が楽と考えているのだろう』とのこと。確かにアルバトロス王国の庇護下に属している方が面倒は少ないのかもしれない。各国の王たちと矢面に立てば、若いことを理由にぐちぐちと嫌味を放たれる。彼女の場合、功績が大きすぎて各国の王ですら嫌味なんて放てそうもないが。
それを踏まえれば、聖王国の黒衣の枢機卿はある意味大物だった……小物の中の大物と注釈が付くかもしれないことは黙っていた方が良いだろう。
私はふうと長く息を吐いて目の前の少女、アストライアー侯爵に面を上げよと伝える。数秒の時間を要して――おそらく直ぐに顔を上げては不敬になるとでも彼女は考えているのだろう――彼女は顔を上げる。アルバトロス王国、いや西大陸、いやいや、全大陸でも珍しい黒髪黒目を持つ彼女がアルバトロス王という小さな国土の王である私と視線を合わせた。
三年前、私と初めて顔を合わせた時は学院生の服を纏っていたというのに、今では特別な布で仕立てられた聖女の衣装を身に纏っている。
彼女が侯爵位を得ながら聖女の衣装を未だに纏っているのは、聖女を降りる気はないという意思表示なのだろう。教会で催される治癒院にまだ参加しているし、閉院するまで残っていると聞く。まだ名を馳せていなかった頃は治癒院の片づけを担い、神父から寄付替わりの物納を分けて貰っていたと聞く。小さなことで幸せを噛みしめる少女に貴族位を与えたのは酷なことかもしれないが、功績を上げたのだから受け取って貰わないと困るのだと私は口を開いた。
「アストライアー侯爵。神の島へ赴き無事の帰還、誠に大儀である。侯爵に同行した者も務めを果たし挙げたこと……――」
私はつらつらとアストライアー侯爵一行の行動を褒める。彼女の右横には亜人連合国の代表と白竜殿にエルフの二人が控えており、左横には聖王国の大聖女フィーネが膝を床に突いている。
どうやら創星神が彼らも神の島に招いたようで、アストライアー侯爵と一緒に島に赴いてバーベキューを本当に実行したらしい。我々貴族や王族に馴染みはないが、豪商や裕福な家の者が庭で炭火を熾して、肉や野菜を焼いて食べるのを楽しむものだとか。
神という至高の存在に無礼を働いていないかと最初は心配だったが、報告書を読めば創星神は快く許可を出したそうだ。
アストライアー侯爵たちが気軽に神と付き合えることが不思議であるものの、彼女の前世の生まれ付いた場所ではいろいろな神がいたそうで凄く身近な存在なのだそうだ。それ故、神に対する敬意が薄いのかもしれないと本人に教えてもらったことがある。
数時間前。神の島へ赴いた面々が一先ず出した報告書に大まかな出来事が記載されていた。一番最初に私が手に取った報告書はエーリヒ・ベナンターとユルゲン・ジータスが記したものである。彼らは報告書を書き慣れているようで、簡潔で客観的に記されており時系列も分かり易い。次にソフィーア・ハイゼンベルグ嬢とセレスティア・ヴァイセンベルク嬢が提出したものを、そしてジークフリード・ガルとジークリンデ・ロウが記した報告書に目を通した。
ハインツ・ヴァレンシュタインが記した報告書も有意義であるが、大量に魔術や幻獣と魔獣のことが記されているし、今回は神の島についての考察が大量に書かれていた。
つい最近まで魔術師団の隊舎に引き籠っていたヴォルフガング・ファウストも同様で、さっと目を通す時は少々難点である。後々、ゆっくりと落ち着いて目を通せば役に立つが。
アストライアー侯爵も及第点の報告書を上げるものの、先に上げた者たちの方が報告書の完成度が高い。というか時折彼女はうっかり大事なことを記し忘れる。いや、小さなことで書かなくても良いことなのだが、後々大きな問題へと発展するのだ。そういう意味でアストライアー侯爵よりも同行者たちの報告書に目を通しておけば問題が少なかった。
慣れてしまった労いの言葉を言い終え、私は聖王国へと戻る大聖女に視線を向ける。
「聖女フィーネは聖王国に戻るのだな?」
「はい。大聖女ウルスラや聖女さま方を残し私だけアルバトロス王国で日常を過ごせません」
私の言葉に頭を下げて、今回迷惑を掛けたことを再度謝罪する。彼女も大変な地位に就いたものだ。聖王国の大人と聖王国からアルバトロス王国に派遣された者たちが馬鹿をしなければ、聖王国の大聖女は飾りとして一生を終えるか、婚姻で大聖女の座から退位していただろうに。
とはいえ逃げない姿勢は好感が持てるし、アストライアー侯爵と縁を持っていることは最強の手札であろう。心配することはないかと彼女を見下ろし、亜人連合国の代表へと視線を向ける。
「亜人連合国の者たちも此度はご苦労であった」
「気にしないで欲しい。今回、我々が神の島へ赴けたのは彼女のお陰だ。魔人の村に赴くこともでき都合が良かった」
亜人連合国の代表が私に告げる。彼らは人智を超えた力を持っているのに、私を一国の王として認めてくれている。それは破格の出来事であり、アルバトロス王国が諸外国から一目置かれる要因となっている。
私のあとを担うゲルハルトは彼らと会話を交わすことになるが、きちんと振舞えるだろうか。心配は尽きないが、アストライアー侯爵と付き合いがあるので大丈夫だと信じたい。エルフの二人は相変わらず無言を突き通しているものの、初期の頃より随分と雰囲気が軽くなっている。
謁見場で軽い打ち合わせをして今回は解散となる。私が玉座から立ち上がり場から引けば、会場は少し騒がしさを取り戻す。
本当にアストライアー侯爵がアルバトロス王国へと齎した功績は偉大なものだ。小さく息を吐き、次に彼女に与えるべき報酬はなにが良いかと考えながら執務室へと戻る。しかし……神が降臨したアルバトロス王国と噂が広まれば大変なことにならないかと、私は腹に手を当てるのだった。
◇
――ナイ、悪い……。
南の女神さまの声が聞こえたような気がして目が覚めた。子爵邸の自室のベッドの上で身体を起こし、髪の毛が凄い跳ねているなあと寝ぼけ眼で感じつつベッドの上から降りようとする。
でも降りて一人で勝手にごそごそすると侍女さんが青い顔をするので思い止まった。私が目が覚めたことにクロとロゼさんととヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちが気付いて、むくりと顔だけを起こす。彼らは私がベッドから降りないことを知っているので、もう一度顔を戻して二度寝を敢行したり、毛玉ちゃんたちは早く起きようとベッドの側まで寄ってくる。クロも顔を上げて私と視線を合わせた。
『おはよう、ナイ。良く眠れた?』
「うん。今日から通常業務だね。冬も近いし寒くなる前にいろいろと済ませておきたいかな」
クロがおはようの挨拶を投げて、私も挨拶を返せばクロは嬉しそうに目を細める。ベッドの側で毛玉ちゃんたちが早く降りて相手をしてとくるくる回っているので、私は呼び鈴を手に取って鳴らし侍女さんを待つ。
待っている間はベッドの端に腰を掛け、毛玉ちゃんたちの相手を務める。ぐりぐりと私の足に顔を擦り付けたり、早く撫でろと前脚を片方上げてふくらはぎをタッチしていた。私の腕は二本しかないのでご容赦くださいと言いながら毛玉ちゃんたちの相手をしていると、扉の向こうからノックと声が響く。どうぞと伝えれば、騎士爵家出身の侍女さんが顔を出し丁寧な礼を執りながら声を上げる。
「ご当主さま、おはようございます」
私付きの侍女さんの間では、来年春に侯爵邸へと移動するため強かな凌ぎ合いが発生しているとか。目に見えるいじめや嫌がらせがあれば直ぐに止めて欲しいと、家宰さまと侍女長さまにお願いしているので今の所問題はない。
下働きの皆さまの間でも侯爵邸行きの切符を得ようとやる気になっている方が多いのだとか。侯爵位を賜って子爵邸で働く皆さまのお給金は上げてあるし、侯爵邸へと移動しても特にお賃金は変わらない。子爵邸で働く方がだだっぴろい侯爵邸で働くより楽なので、躍起になっていることが不思議だった。クロや幻獣が目的の方は侯爵邸の方が魅力的だろうけれど……。
「おはようございます。着替えをお願いしても良いですか? あと、朝食はいつも通りの時間にお願いしますとお伝えを」
「承知致しました」
私が用件を伝えれば早々と着替えが始まる。神さまの島から戻って数日が経ち、今日は侯爵家当主として午前中に執務を行い、お昼にはフィーネさまが聖王国へと戻るためアルバトロス城へとお見送りに行く。
神さまの島に赴いたことは北大陸のミズガルズ神聖大帝国には露見しているため、今更の情報だろうと問い合わせがあった国には、アストライアー侯爵家とアルバトロス王国の関係者に聖王国の大聖女フィーネが向かい神と会話を交わしていると伝えている。亜人連合国の皆さまは黙っておいて欲しいとのことで情報は伏せている。
「ありがとうございます。時間までユーリの所に顔を出してきますね」
「はい。ではお食事の用意ができましたら、お呼びに上がります」
私は侍女さんにお願いしますと告げれば、しずしずと部屋から下がって行った。私はクロとロゼさんとヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちにユーリの所に行ってくると伝えれば、クロは私の肩の上に飛び乗り、ロゼさんは私の影の中へ、毛玉ちゃんたちは私の後ろにぴったりと付き、ヴァナルと雪さんは部屋でまったりするそうだ。
廊下に出てユーリの部屋を目指そうと歩いていると朝から働いている皆さまが端に寄る。私はおはようございますと声を掛けて、彼らの邪魔にならないように足を進めた。直ぐにジークとリンが部屋から出てきて私と合流し、一緒にユーリの部屋に行こうとなる。どうやら朝ご飯前に私がウロウロし始めたことが珍しかったようだ。
時間ができればユーリとなるべく顔を合わせるようにしているが、どうしても家から出払って数日会えないこともある。顔を忘れ去られやしないかと正直不安になることは度々あるし、顔を合わせてユーリが大泣きすればショックが大きい。
そんなこんなでマメにユーリの部屋に赴いているのだが、私の行動は水商売の女性に入れ込む男性の行動に似ているように思えてならない。邪な気持ちは一切ないけれど、出かける度にお土産を買ってユーリに渡していることが水商売の女性に入れ込む男性に見えるのだ。水商売の男性に入れ込む女性となると、ちょっと意味合いが変わってくる気がする。まあ、これはどうでも良いことか。
ユーリの部屋の前に三人で辿り着き、私が部屋をノックすると乳母さんのどうぞという声が聞こえる。ユーリの基本的なお世話は乳母さん任せなので、随分と楽をさせて頂いていた。
おそらく当主と聖女を担いながらユーリの面倒をみるのは至難の業なので、お貴族さまの赤子や小さい子供は乳母さんが面倒をみてくれるシステムは正直有難い。ドアノブに手を掛けて扉を開ければ、ベビーベッドの上で寝ているユーリの姿が見える。
「おはようございます。ユーリは起きていますか?」
私は声量を落として乳母さんに声を掛けた。
「おはようございます、ご当主さま。はい、既に目を覚ましておられますよ」
ユーリが寝ていれば顔だけ見て部屋に戻ろうと考えていたのだが、どうやらタイミングは良かったご様子。にこりと笑みを携えている乳母さんにお疲れさまですと声を掛けて、ベッドの近くに寄って私が顔を覗き込ませると、ユーリが両手を伸ばしてきた。
私はユーリの脇の間に手を入れて抱き上げると、毛玉ちゃんたちがユーリを見せろと催促する。ユーリを落とさないように床に腰を下ろして毛玉ちゃんたちに託せば、すんすん鼻を鳴らしながら匂いを嗅いでユーリの存在を確かめたり、顔を覗き込んで首を傾げてみたり、手や足を鼻先で突っついてみたりと忙しい。
毛玉ちゃんたちはユーリが自分たちより弱い存在であり、守るべき者だと認知している。ヴァナルと雪さんたちが毛玉ちゃんたちにユーリに無茶をしては駄目と教えてくれていたけれど、彼ら五頭は最初からユーリとは友好な関係を築いている。ユーリがどう捉えているかは不明だけれど、確実に毛玉ちゃんたちは彼女のことを群れの仲間と認識しているようだった。
「可愛いよねえ」
私がユーリと毛玉ちゃんたちを見つつにやにやしながら惚気れば、椿ちゃんと楓ちゃんと桜ちゃんは『どっちのこと!?』と首を傾げ、松風と早風は首を傾げている。どっちも可愛いよと告げれば毛玉ちゃんたちは納得したのか、ユーリの匂いをくんくん嗅いで、時折ふごっと妙な鼻声を上げながらユーリとじゃれ合っていた。そろそろユーリを回収しなければ毛玉ちゃんたちの涎塗れになると、私は彼女を抱き上げて頬と頬を擦り付ける。
柔らかくもちもちとしたユーリの肌と少し高い体温が伝われば、小さな子供特有の匂いも私の鼻腔をくすぐる。私の肩にクロが乗っている逆側にユーリの顔を持ってきて、彼女と視線を合わせる。
「あーう」
声になっていない声を上げたユーリを見ていると、リンも抱きたいと両腕を伸ばしてきた。私はユーリを彼女に預けてふうと息を吐く。
「重くなっているから長く抱き上げると腕が疲れるね」
私はユーリを抱き上げていた感想を述べ苦笑いを浮かべる。ユーリを預かってから割と時間が経っており体重も随分と増えた。動く範囲も広くなっているので、片時も目が離せない。
子を持つ世のお母さま方の大変さが凄く理解できるが、私たちは乳母さんたちにお世話を任せている所があるので本当の苦労は十分の一くらいしか分かっていないだろうか。授乳にトイレに夜泣きや体調管理、上げればキリがないけれど心配事やすべきことが凄く多いのだ。でも、大変な代わりに子供の成長は素直に愛おしいし、将来ユーリがどんな道に進むのかも楽しみである。
「確かに保護した頃より随分と大きくなったな」
ジークが腕を組んでリンが抱き上げたユーリの顔を覗き込む。ジークは孤児院で小さい子供の面倒を見慣れているのか、ユーリに苦手意識を持っていない。
彼女を見る瞳は優しいし、困ったことがあればそっと隣に寄り添って解決のために一緒に悩んでくれるタイプである。物静かであまり喋らないけれど誰かの感情の機微に聡いのだ。私が迷っていると『どうした?』と声を掛けられることが多かったように記憶している。
「ね。髪も伸びたし顔立ちもはっきりしてきた。やっぱりナイに似ている」
リンも子供に苦手意識はないので良いお母さんになりそうだ。まだ相手がいないので、夢想するのは駄目かもしれないが。ユーリはお目眼くりくりで凄く可愛らしい顔立ちをしている。時折、へらりと笑う姿が破壊力抜群で、リンと一緒に『可愛い』と悦に浸ることもあった。将来は美人さんに育ってモテモテになって欲しいと願うものの、妙な男が近寄ってこないかという心配もある。
「リン、ユーリに変な輩が引っ付いたらぶっ飛ばそうね」
ユーリに変な輩が湧けば私が散らすのはもちろんだし、子爵邸で働く皆さまにも変な人が迷惑を掛けているなら睨みを利かす。アンファンに悪意がある人が手を出すならば、私は彼女を守りきるし、以前保護したテオとレナだって頼られればもちろん助ける。まあ、テオとレナはジークとリンが面倒を見ているので、ジークとリンの意見を取り入れてからだけれども。私はユーリと抱き上げているリンと視線を合わせて、ぷにぷにのユーリの頬を軽く揉む。
「もちろん」
「ナイ、リン。気持ちは分かるが、やり過ぎるなよ」
リンと私の過激な発言にジークは片眉を上げてなんとも言えない表情を浮かべていた。感情で生きている女性よりも理性を働かせる男性の方が、この辺りは理性的である。リンと私が暴走したならば、ジークが止めてくれる。ジークで無理なら誰も止められないかもしれない。クレイグとサフィールも頼りにしているけれど、力ならやはりジークが秀でているので私たちの行動を止めるなら彼が適任である。
「多分。気を付けるけれど……うーん、難しそう?」
私は首を傾げながらリンからユーリを引き受ける。暫くユーリを抱き上げて本当に大きくなったなあと実感していると、ふと試したいことができた。
「ジーク、ユーリを抱いてみて」
「それは構わないが……」
私の言葉にジークが不思議そうな顔を浮かべるけれど、はいとユーリを渡せば彼の腕と手が伸びてきた。両手でユーリを抱えて彼女の身体が安定すると、ジークは片腕を離した。
「やっぱりジークの腕の中だとユーリはまだまだ小さいねえ」
なんとなくジークがユーリを抱けば小さく見えそうだったので彼に彼女を預けてみたわけだが、やはり背の高いジークが赤子を抱けば小さく見える。私がユーリを抱けば結構大きく見える――鏡で確認済み――のだが、男の人の腕の中だとユーリは小さい。偉丈夫な公爵さまがユーリを抱けば更に小さく見えるなと想像すれば少し可笑しくなる。
「そうか?」
「うん」
私たちのやり取りを暫く眺めていた毛玉ちゃんたちが、ユーリを独占するなと騒ぎ始める。それと同時に侍女の方がユーリの部屋に顔を出し、朝ご飯の用意ができたと知らせてくれるのだった。