魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
ジークとリンと私は合流したあと、元の土俵のある場所へと戻っていた。そこには既に人影はまばらとなっているのだが、アストライアー侯爵家一行とナガノブさまと帝さまが残っており、どうやら私を待っていてくれたようだ。私の姿を確認するなり、帝さまとナガノブさまが手招きをして呼んでいる。なんだろうと首を傾げ、後ろに控えているジークとリンにお二人の下へ行くねと告げた。
「おーい、ナイ。食事について相談だ!」
まだ少し距離がある所でナガノブさまが声を上げる。帝さまは彼の行動に少し困った様子を見せているけれど、ナガノブさまを咎めることはなかった。
「どう致しましたか?」
「フソウの食事はお主は平気なのは十分に知っているが、鍋は大丈夫か?」
ナガノブさまに私は鍋がどんなものなのか一応聞いておく。どうやら相撲部屋の方々の賄の方たちが腕を振るってくれるとのこと。そしてメインはちゃんこ鍋となるのだが、食べれるのかと彼は私を気に掛けてくれたようだ。直箸をする訳でもないし、むしろお鍋を食べたいとお願いしたいくらいだと私は笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ」
「そうか、そうか。では朝廷の賄の者たちと相撲部屋の者たちに準備を進めるように伝えておく。宴まで少し時間があるから部屋を用意した。疲れているなら休んで良いし、城を散策しても問題ないからな!」
ナガノブさまが良い顔を浮かべて私たちの下を去って行った。案内役の方に休憩部屋へ案内されて、時間まではゆっくりと過ごすことになり、それからドエ城から朝廷に移動して宴に参加しお泊りしてアルバトロス王国に戻る予定である。まさかお鍋が食べられるなんてと私が笑みを浮かべているれば、アストライアー侯爵家一行の中にいた女神さまがこてんと首を傾げる。
「お鍋ってなに?」
「お鍋の中に出汁を入れて、あとはお肉やお野菜を詰め込んで熱を掛けた料理といえば良いでしょうか。フソウ特有のお料理で、今回はちゃんこ鍋ですが、ちゃんこにも種類があるので味の説明は難しいですね。簡単に表現するなら、凄く具材の多いスープと言ったところでしょうか?」
女神さまの疑問に私はいつもより少し早い口調で伝えた。私よりもエーリヒさまの方が説明役に向いているけれど、いないのだから私が説明しないといけなかった。エーリヒさまの有難みをこんな所でも感じてしまうとは意外である。ちゃんこ鍋ならつくねさんに白ねぎさんに白菜さんにしらたきさん、ほかにもいろいろと具材があるだろうし、アルバトロス王国の腸詰めを入れても美味しそうだと、私の顔に勝手に笑みが浮かぶ。
「詳しいお話は客室に戻ってからしましょうか」
私たちに声を掛けるタイミングを見計らっているフソウの方が困り顔で待っていたので、話を切り上げるために少々強制的に中断させて貰う。人気が少なくなった土俵をエルとジョセとルカとジアとグリフォンさんが興味深そうな顔を覗き込ませていた。
私は少し彼らと話して、数時間後に移動するよと伝えておく。緊急時でもないので転移は使わないし、彼らには外を歩いて貰う他ない。構いませんよと気軽に答えてくれる彼らに私は感謝して、一旦客室へと戻ることになった。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちも一緒で、彼らは畳の上にごろんと身体を寝かせてくつろぎ始めた。
「畳の部屋は久しぶりだなあ」
客室へ案内されたアストライアー侯爵家一行は広い畳の部屋でそれぞれ腰を下ろす。私は畳の感触を楽しみたくて、座布団の上には座らずそのまま腰を下ろして手で畳に触れる。イグサの良い匂いが懐かしい気持ちを誘うけれど、真新しい畳の匂いを嗅いだ機会なんてかなり限られていたはず。それなのに懐かしいと感じるのも変だなあと私は苦笑いを零しそうになる。
「アルバトロス王国だと床に座る習慣がないから、私たちからすると不思議な感覚だ」
「靴を脱ぐので汚れない、という一点では理に適っていますけれど……正座が慣れませんもの」
ソフィーアさまとセレスティアさまは座布団の上に腰を下ろしているのだが、足を崩している。特に問題はないし、お二人は人前に出る際は正座をしていた。短期間で慣れていることは凄いので、今のような時間に咎めるような無粋はしない。
ジークとリンは障子の側で立ったまま護衛を務めていた。家宰さまは正座に難儀していて、どうにか足が痺れない方法を探しているが、男性であれば胡坐で良いのではと伝えておく。女神さまは畳と座布団の感触を不思議そうに味わっている。そうしているとお茶とお茶請けが用意されて、女神さまは目を細めている。お茶菓子は羊羹で苦手な方と平気な方に綺麗に分かれるかもしれない。
私は好きだけれど、ソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまと西の女神さまはどんな反応を見せてくれるだろうか。お茶の渋さが苦手な方用にお砂糖が用意されているので、お茶は個人の好みに合わせられる。
「美味しい」
ちょっと甘過ぎるような気がするけれど、美味しいことには変わりない。もしかしたらお砂糖は高級品だから、ドエ城への献上品として甘めに作られているのだろうか。
ジークが食べれば絶対に渋い顔をするなと笑みを零しながら、他の方に視線を向けてみる。ソフィーアさまは普通の顔、セレスティアさまも普通、家宰さまは片眉を上げているので少々甘いようである。西の女神さまはいつの間にか全て平らげて、少し物足りないような顔をしているような。私がちびちびと食べていた羊羹に女神さまが熱い視線を向けている気がする。
私が食べかけの羊羹を差し出せば、女神さまは良いの? と確認を取った。羊羹は越後屋さんで買えばまた食べられるので問題ないと私が頷けば、嬉しそうに羊羹を竹の串で差し、ひょいと口元に運びぱくりと女神さまの口に収まった。
女神さまは何度か羊羹を噛めば喉が動いたので、嚥下したようである。少しばかり目を細めて機嫌が良さそうにしているから、相当に気に入ったようである。
そうして時間は流れて、朝廷で催される宴に参加するために移動を開始した。相変わらずヴァナル一家とエル一家とグリフォンさんたちは目立つようで、一目見ようとドエの都から人が集まっていた。サービス精神の良いルカは前脚を起用に上げて大きな嘶きをすれば、フソウの皆さまが『おお!』と感嘆の声を漏らしていた。グリフォンさんもルカに釣られて『ピョエェェェエエエ!』と鳴くと、またフソウの皆さまが『凄い!』『耳が痛い!』『貴重なお声を聞かせて頂いた!』と湧いている。
怖がられるより全然良いし、ヴァナルたちとエルたちとグリフォンさんが望むなら、フソウの方々と仲良くなるのは全然問題ない。直ぐには無理だろうけれど、彼らは長命種だからいつか叶うと良いなと籠の簾の隙間からドエの街並みを眺めていると、朝廷の滅茶苦茶広いお屋敷に着いた。
立派な門を向けて中に入り、籠の外へと出る。何度か訪れているけれど、平屋なのに重厚さのある雰囲気だ。庭も日本庭園だし池には赤い橋が何本も掛かっている。丸々と太い錦鯉も泳いでいるから、元居た世界の日本三大庭園の一つを訪れているようだった。まあ、一度も行ったことがないので、規模とか分からないけれど。
「さあ、ナイ。会場に参りましょう。ナガノブも付いてきなさい」
帝さまがお屋敷の入り口前で私たち一行を案内してくれる。私の視界の端には奉納相撲に参加していた力士の方がいて、凄く緊張した様子で固まっている。彼らにとって、ナガノブさまの前に立つのも緊張するだろうけれど、帝さまの前だと更に緊張するようだ。取り組み中は御前試合とか普通にあるけれど、こうした宴の参加は初めて受けたようである。
「はい。ご相伴に預かります」
「承知」
私とナガノブさまの声を聞き、帝さまが直接会場まで案内してくれた。私は恐れ多いなあと感じているけれど、西の女神さまはフソウ式のお屋敷が珍しいのかドエ城と同様に、きょろきょろと周りを見回している。
女神さまがそんな調子なので歩くスピードが少し遅い気もする。長い板張りの廊下を歩いていると、帝さまがとある部屋の前で止まる。するとお付きの方が膝を突いて、障子をすーと開けてくれた。
「さあ、既に準備は整っておりますから、あとは乾杯の音頭を取るだけです」
帝さまの言葉通り、部屋の準備は既に整っている。座布団とお膳が並べられ、火鉢の上には鍋が置かれていた。どうやらその鍋がちゃんこ鍋のようで、部屋にはお鍋の良い匂いが満ちていた。
私は帝さまの右隣に座り、帝さまの左隣にナガノブさまが座す。女神さまは私の右隣だった。そして私たち四人の目の前にはアストライアー侯爵家一家の面々とフソウの面々が。さらに奥には今日奉納相撲で活躍した方々が腰を下ろしていた。奥だけ密度が凄く高い気がするので、少し吹きそうになる。ジークと対戦した方にはお世話になりましたと、一言でも会話を交わしたいけれど私が行けば迷惑になるかもしれない。
一先ず、ある程度時間が経って、帝さまとナガノブさまに相談してみようと決め、お膳に視線を落とす。どうやら私が好みのフソウ食を把握しているようで、前回おかわりさせて頂いたお料理と新しいお料理が鎮座していた。
アルバトロス王国もいろいろな料理があるけれど、フソウも種類が多いしお野菜と海産物が豊富だなあと感心していると、飲み物が全員に行き届いたようだ。
帝さまが杯を掲げると会場の皆さまも杯を手に取る。私は湯呑で締まらないけれど、アルコールは無理と伝えてあるので問題はないはず。二十歳になったら最初の一杯はアルコールを飲めるようにしないとなと苦笑いを浮かべた時だった。
「皆、本日はお疲れさまでした。関取の皆もご苦労でした。長い口上など不要でしょう。――フソウ国とアストライアー侯爵家とアルバトロス王国に
帝さまがフソウと侯爵家とアルバトロス王国の繁栄を願い杯を掲げる。そして会場の皆さまは良い顔で帝さまに真剣な眼差しを向けていた。
「弥栄」
「弥栄」
「弥栄」
タイミングを見計らい私も「弥栄!」と声を上げれば、楽しい宴の時間が始まる。いただきます、と手を合わせようとした時に右隣から視線を感じる。
「ナイ、沢山食べてくださいね。ちゃんこ鍋は各相撲部屋の特色が出ていますので、食べ比べができますよ」
「遠慮しなくて良いからな。食べ尽くす勢いで構わんぞ!」
帝さまとナガノブさまが笑みを浮かべながら、沢山食べろと伝えてくれた。主催者の方がこうして勧めてくれるのは有難い。
「はい。女神さまも食事を楽しみましょうね」
「うん。西と全然違うから面白い」
私はお二方に言葉を返したあと、私の右隣に座る女神さまに声を掛ける。女神さまはフソウのご飯に興味があるようで、表情は乏しいけれどなんとなく楽しんでいるなと察することができた。
クロとアズとネルにはフソウの果物が用意されている。桃が時期的に出ていないのが残念だけれど、果物の種類もフソウは豊富だ。エル一家とグリフォンさんにも用意してくれており、彼らは外でフソウの味覚を楽しむ。クロたちにも楽しい時間になりますようにと、私は手を合わせて頂きますと声を上げるのだった。
◇
竈で炊いたお米さまはとても美味しいし、アジの塩焼きも塩の加減と焼き具合に炭火で焼いているからとても美味しい。ほかにも沢庵とほうれんそうのお浸しも揃っていて、ザ・日本食というメニューだった。
食べている途中で配膳係の方から私は赤い漆が塗られているお椀――金細工も凄い――を受け取り、中身を確認すれば、ちゃんこ鍋をよそってくれたものだった。お野菜さんたっぷりで、つくねが三つ入っている。ナガノブさまが食べ比べをしてみるのも面白いと教えてくれたので、他のちゃんこも楽しみである。クロは用意された果物を美味しそうに咀嚼している。
私はお椀から湯気が立っているので熱いだろうなと、ふうふうと何度も息を吹きつけて最初にお汁の味を確かめた。
「美味しい」
熱いと分かっているので、舐める程度に留めておいたが、醤油ベースにお出汁が効いて味が凄くはっきりしていて凄く美味しい。お出汁を吸い込んだお野菜さんとつくねさんもきっと美味しいぞと、お箸で具を掬う。
また、ふうふうと息を掛けて味がしみ込んでいそうな白菜さんを口の中へと放り込んだ。ぐつぐつ煮込んでいた鍋から取り分けて時間が余り経っていないのか、白菜さんは凄く熱い。はふはふと口から湯気を出しながら、早く冷めてと肺から空気を絞り出す。口の中の熱さが随分とマシになり何度も咀嚼して、お出汁と白菜さんそのものの味を楽しんでから飲み込んだ。食道を通っていく白菜さんはまだ温かく、下へ下へと流れて私の胃へと収まっていった。
「?」
ふいに視線を感じて、そちらの方へと私は顔を向けてみる。西の女神さまが私の視界に映って、彼女はいつもの感情が分かり辛い表情のまま口を開いた。
「凄く、美味しそうに食べるね」
西の女神さまの表情が乏しくて、少し言葉の意図を掴みかねる。笑みでも携えていてくれれば、私が間抜けな顔を晒していて面白かったと推測できるのだが。
「変な所を見せてしまって、すみません」
一先ず無難に西の女神さまに返事をするべきだろうと、小さく頭を下げておく。お椀とお箸を持ったままなのでお行儀が悪いけれど、食事中なので致し方ない。
「ううん。食べることは大事だから気にしなくて良い。ナイみたいに私も感情が顔に出易ければ良かったんだけど……」
「確かに普段は表情は乏しいですが、クロたちと話している時の女神さまは嬉しそうですよ」
ご本人が気にするほどではないような気もする。確かに普段の表情は感情を読み取り辛い。今も気持ち眉尻が下がっているし、心なしか普段より声も小さい気もする。クロとヴァナルと雪さんたちに、エル一家とグリフォンさんたちと言葉を交わしている時の女神さまは穏やかな雰囲気で彼らと一緒にいるのだが。私は手に持っているお箸とお椀を置いて、女神さまと確りと視線を合わせた。
「そうなの? 父さんにも妹たちにも私の感情が分かり辛いって言われてたから」
あまり自信はないなと女神さまがぽつりと零す。グイーさまと南の女神さまは豪快な方なので、相手の方がかなり分かり易くなければ感情を読み取るのが苦手そうである……私以外はという注釈がつきそうだが。
西の女神さまよりも北と東の女神さまの方が私は感情が読み取り辛いのだけれど、どうしてこうも評価が違うのか。まあ自分のことは良く分からないと言われているし、西の女神さまもご自身のことは掴みかねているのかもしれない。
「気にしすぎかと。きっと大丈夫です」
「そうだと良いな」
私が片眉を上げながら笑えば、西の女神さまも微かに笑う。やはり、きちんと女神さまを見ていれば、ある程度の感情は読み取れるはず。時々分からないこともあるけれど、それは先ほどのような話す直前とかである。女神さまと相対して言葉を交わしていれば問題はない、はず。私が肩を竦めていると、頂いた果物を食べきったクロがこちらへ戻ってきた。
『ナイもぉ、君もぉ、真面目な顔をしてぇどうしたの~?』
いつもより間延びしているクロの声に違和感を覚える。クロの歩容が千鳥足になっており、四本脚で歩いているというのに凄く危なっかしい。
「クロ?」
「フラフラしてる。大丈夫?」
私がクロの名を呼び、女神さまは平気か問えば、クロは私の前でぱたりと畳に身体を付けて、へなへなと翼を伸ばした。こんな状態は初めてだから熱でもあるのだろうかと、クロに右手を延ばす。
『大丈夫ぅ。貰った果物がねぇ~凄く美味しかったからぁ~、一杯食べちゃったぁ~えへへぇ~』
クロが続けてナイの手は冷たくて気持ち良いと、若干呂律が回っていない声を上げる。クロの身体はいつもより熱を持っていた。ひんやりと冷たいのが特徴なのに、今はほんのり温かい。鱗が身体の熱を遮って竜の表面はひんやりしていると、ディアンさまから聞いたことがある。それから導かれる答えは熱かと私が唸ったところで、西の女神さまが声を上げる。
「酔ってる?」
女神さまが私の顔を見て、首を軽く捻りながら原因をぽつりと呟いた。クロの様子に気が付いた帝さまとナガノブさまもこちらに視線を向けて心配そうに見ている。ヴァナルと雪さんたちも気が付いて、クロが心配だったのかこちらに歩いてきた。
「酔っているんですか、これ?」
確かに酩酊状態に似ているけれど、竜ってアルコールに弱いのだろうか。それに果物を食べていただけで、クロがこんなになるとは信じがたい。その証拠に帝さまがクロが食べていた果物をフソウの方に調べて貰うように命を下し、ナガノブさまも真面目な顔で帝さまとなにか話していた。
『おや、まあ』
『これはまさか……』
『坊の仕業でしょうかねえ』
雪さんと夜さんと華さんがクロの状態を見て、誰かが起こしたことだと口走る。クロは畳に付けていた顔を上げて私を見た。
『ボクは平気だよぉ~』
全然平気じゃないと声を大にして言いたくなるが、全然大丈夫そうでないクロを私は膝の上に移動させる。そういえばクロと一緒に果物を頂いていた仔たちは大丈夫だろうか。
「アズとネルはっ!?」
私は声に出しながらジークとリンの方を見る。ジークの腕の中にアズが、リンの腕の中にネルがいて、クロ程ではないけれど目を回している様子だった。
『申し訳ありません、ナイさん』
『悪戯好きの狐の仔の仕業でございます』
『あの仔が竜を酔わせるほどの力を持つだなんて信じられませんが……』
雪さんと夜さんと華さんが申し訳なさそうに謝ってくれた。どうやら化け狐の仔がフソウの賄い部屋で悪戯を施していたようである。竜に影響を与える力があるようだから、きっと強い魔物か幻獣かの類いなのだろう。
一先ずクロとアズとネルには酔い覚ましの魔術を施しておく。なんでも教わっておくものだなと、術を習ったシスター・ジルに感謝する。酔い覚ましの魔術はお金持ちの方が頼ることが多いそうで、お小遣い稼ぎに丁度良いですよと彼女が私に教えてくれていたのだ。シスター・リズからも便利な魔術を教わったものの、彼女の魔術は私にとってかなり繊細な部類に入るため少々苦手だ。
私の膝の上で目を回していたクロとジークとリンの腕の中にいるアズとネルは、すやすやと寝息を立て始めた。術が効いて良かったと安堵していれば、ジークとリンも小さく息を吐いている。女神さまもクロが心配で私の膝の上で寝息を立てているクロを覗き込んでいるから、彼女にクロを預ける。クロを膝の上に寝かせた女神さまは、愛おしそうに目を細めてクロの背を撫でていた。
「すまない、ナイ」
「ご迷惑をお掛けしてしまいましたね。フソウの生きる伝説だった化け狐の仔の仕業故に我々人間では対処できませんでした」
ナガノブさまと帝さまが私に頭を下げてくれる。命に関わる状態ではないし問題にする気はないけれど、軽い抗議は入れておいた方が良いのだろう。内々で済ませるから大事にはならないが、次があっては困る。魔物か魔獣の仕業であれば防げないかもしれないが体裁は大事だ。
「いえ、次はなきようにお願い致します」
私が帝さまとナガノブさまに伝えると、お二人は確りと頷いてくれる。しかし帝さまが仰った『生きる伝説だった化け狐』ということは、もう生きてはいないのか。でも仔を成して次代を残しているようだ。
その仔狐さまがこっそりと賄い方に忍び込んで、悪戯を敢行したようである。確かに仔供がやりそうな悪戯だ。私の横でクロとアズとネルを気にしてくれていた雪さんたちが畳から立ち上がる。ふうと息を吐いた雪さんたちが私を見た。
『少し、悪戯が過ぎましたねえ。クロさんとアズさんとネルさんを酔わせるとは』
『あの仔に母親はいませんから、我らが諫め謝罪をさせねば』
『少し失礼しますね。直ぐに戻りますので、皆は宴を楽しみなさい』
雪さんがやれやれと、夜さんが狐の仔に少しばかりの怒りを、そして華さんが外に出ると言い、彼女たち以外は宴を楽しめば良いと告げた。
『ヴァナルも行く?』
こてんと首を傾げたヴァナルが雪さんたちに問う。ヴァナルは雪さんたちのことが心配で、一緒に行くと申し出たようだ。ヴァナルは優しいねえと感心していれば、雪さんたちがテレテレとした表情で彼と視線を合わせている。
『番さまは、ナイさんの側に』
『必ず無事に戻ります故に』
『番さまのご心配、凄く嬉しいです』
嬉しそうに笑っている雪さんたちに、ヴァナルが鼻先を近づけて顔と顔を合わせてスキンシップを取っていた。お互いにお互いの匂いを刷り込んでいるような行動に、私が目を細めていると近くで『ぶふっ!』と妙な声が漏れたが気にしてはいけないと、音が聞こえた方向へ顔を向けるのを我慢する。ひとしきり撫で付ければヴァナルと雪さんたちは満足したようで顔と顔を離した。
『分かった。気を付けて』
ヴァナルの声に雪さんたちが『心配は無用です』『この地は我らの庭』『無法者に容赦はしません。いえ仔の悪戯なのでもちろん加減を致します』とそれぞれが告げれば、係の方が障子をすぱん、と開く。
開かれた障子を抜けた雪さんたちが大きく跳躍して、二歩、三歩と朝廷の庭を進む。彼女の姿が見えなくなれば、すすすと静かに障子が閉まった。私はふうと息を吐き、クロとアズとネルの方を見る。特に問題はないようだと息を吐いていれば、帝さまとナガノブさまが私の真ん前に腰を落とす。
「申し訳ありません、ナイ」
「我々の落ち度だ」
お二人が頭を下げると、宴に参加していたフソウの面々も丁寧に頭を下げた。
「先ほども言いましたが、魔物か魔獣の類いの悪戯ですし気になさらないでください。雪さんたちが解決に動いてくれるようなので、少し待ちましょう。しかし生ける伝説だった化け狐というのは?」
私は気になっていたことを帝さまとナガノブさまに問うた。私の言葉を聞いた帝さまによれば、何千年も生きていた妖狐がいて少しばかり前に力尽きたそうだ。その妖狐が残した仔がフソウで頻繁に悪戯をしているらしい。
母狐が亡くなり人間に対する悪戯や嫌がらせは殆どなくなっていたが、どうやら仔狐が力を付けてきたようだ、と。仔狐があと百年、千年と生きれば母狐と同じように妖狐となってフソウで恐れられる存在になるだろうと。母狐による被害が大きく出なかったのは、対抗できる存在だった雪さんたちがいたからだそうだ。
雪さんたちが仔狐を捕まえてくる気なので、できれば悪戯をしないようにと願い出たいと帝さまが仰った。
大体の事情は把握できたので、ちゃんこ鍋と出された食事を確りと食べて仔狐との面会に立ち会おうと、お箸を握り込むのだった。