魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
――変なお屋敷……。
ナイは変わった子だ。神である私に普通に接して、普通の人間と同じ扱いをしてくれる。ご飯の時間になれば、ご飯を食べましょうと誘ってくれ、どこかに出掛ける時は一緒に行きますかと誘ってくれる。
以前、人間と深く関わっていた頃は崇められ頼られるばかりだったが、ナイは私を一切頼らない。確かに昔と比べれば凄く便利な時代になっているけれど、母さんから聞いた地球という星の文化レベルには到底追いついていない。
地球では神を崇めているけれど、崇め過ぎて争いを起こす人間がいるそうだ。その話を聞いて私は母さんに止めないのと聞いたことがある。母さんから返ってきた言葉は私を崇めているわけではないし、人間が勝手に作った偶像を信じて争いを起こしているだけだから放置と愉快そうに笑っていた。母さんのあっけらかんとした性格に驚き、横で微妙な顔で無言を貫いていた父さんは母さんに尻に敷かれているんだなと私は理解した。
母さんから話を聞いていたから、力を持っている人間が神を利用して大陸を掌握するために動いても良さそうなのに。
ナイはそれを行わない。今、彼女が従えている魔物や魔獣を利用すれば可能だ。彼女自身も異常な力を備えているから本気を出せばできるだろうに……そういえば何故かナイは人間を超える魔力を有している。本来、あんな魔力量を持ち得ていれば人間という器が持たない。
私はナイのような人間が誕生することを望んではいないし誕生させる気もなかった。でも彼女がいなければ白銀の竜がクロとして生まれ変わることはなかったから、私はナイに感謝しているし、いつかクロにきちんとした名前を教えて欲しいと願っている。大陸の一つを司る女神だけれど、私の想像の範疇を超えることもあるのだなと驚いた。
そして、この屋敷も例外ではない。
夕飯前、ミナーヴァ子爵邸の図書室で私は本を読んでいる。図書室というにはこじんまりとしているけれど、雑多に種類が取り揃えられていた。魔獣や幻獣が住んでいるお屋敷だから、彼らについて記された本が多くあるのが特徴なのかもしれない。
他にも恋愛小説に活劇譚、様々な国の歴史書に領地経営の本がある。見ない方が無難と言われた場所があるけれど、見る見ないは私の判断に任せると言われたので確認すると官能的な本だった。ナイが私に忠告した意味が分からず、図書室で鉢合わせした子に聞いてみると、女の人は読まない本だったそうだ。本に罪はないけれど、今はそういう風に捉えているらしい。
ふいに目の前がぱっと光って、小さな子供の姿が現れる。背中には羽が生えており人間ではないと一目でわかる。
『女神さま、これ読んで!』
「ありがとう」
妖精がどこかの家から取ってきた本を私に与えてくれる。私に渡された物は、本というよりも黒革の手帳ではないだろうか。一体どこから持ち出してきたのだろうと、得意気な様子をしている妖精と視線を合わせた。
妖精の悪戯だから、誰かの家から本が消えていても特に問題はない。それなのにナイのお屋敷で過ごしている妖精は私が読むと元の場所に戻しに行くという、信じられない行動を取っていた。
妖精曰く、戻さないとナイが怖いそうだ。人の物を勝手に盗んでは駄目だと何度も妖精に注意をして、妖精もナイの言葉を素直に飲んで返しに行っているとか。きちんと元の場所に本を返せばナイが褒めてくれて、魔力を少し分けてくれるらしい。
『直ぐ近くにあるお城の鍵が掛かっている部屋!』
お屋敷から直ぐ近くというと、アルバトロス城だろう。ナイが所属している国の王さまが住んでいる場所だ。妖精であれば簡単に侵入できるものの、人気の多い場所に忍び込むのは珍しい。
「それは取ってきても良いの?」
私は悪戯目的だったかもしれないと、直接妖精にこちらに持ち込んで良いものなのかと聞いてみた。妖精のことだから無許可の可能性が高いけれど。
『知らない! でも面白そうな匂いがした!』
妖精の言葉にやはりと苦笑いを浮かべて、なんとなく手帳の表側を見た。そこには紙が貼られ『聖女・ナイを主にした教会聖女の貯めた金を横領した証拠物』と記されている。何故、ナイの名前が書かれているのという疑問より、横領という文字に怒りを覚える。
「どういうこと?」
『んっとね、えっとね! ちょっと前にね、教会の男の人が聖女のお金を盗っちゃった!』
意味が分からずに私の口から勝手に漏れた声を妖精が拾っていたようだった。そうして妖精は妖精なりの言葉で三年前に起こったことを教えてくれる。一先ずアルバトロス王国にある教会の神職者が欲を出して、聖女が稼ぎ教会で預かっていた金を奪ったことは理解できた。
『ナイが怒って、竜も怒って、街の人たちも怒って大騒ぎっ!』
妖精が私の回りをクルクル回りながら、要領の得ない短い言葉で説明をしてくれた。大体の事態は掴めたけれど細かな所が説明されていなかった。妖精も妖精の間や人間の間で噂されていたことを拾っただけで、関わっていないから鵜呑みにしない方が良いかもしれない。
「……意味が分からないよ」
『…………』
クルクルと回っていた妖精が飛ぶのを止めて床の上に降りた。私はどうも誰かの心の機微に疎いらしい。申し訳ないことをしたなと私も床にしゃがみ込んで妖精と視線を合わせた。
「ああ、ごめん。君を責めている訳じゃないんだ。詳しい内容が掴めていないし、ナイが怒ったのは理解できるけれど、どうして竜と都に住む人たちも一緒に怒ったのかな?」
今を生きる人間は金がなければ生活がままならない。だからナイがお金を盗られたことで怒るのは理解できるし、しかもお金を盗った人間は神職者である。それに、神職者は女神の私に仕える者なのに、どうして金を盗ったのかも不思議だった。
『ナイ、隣の竜にお願いした! 王都の人間に恐怖を植えるために! 恐怖で煽られた人間、一人の人間に影響を受けてお城に詰めた!』
妖精の言葉は不器用だけれど一生懸命に私に伝えてくれようとしている。どうもナイはキレて黒い竜と白い竜にお願いして、アルバトロス王都に住む人間を脅してもらい、恐怖心を利用して人間を王城に差し向けたようだ。扇動者を仕向けたようだし、その扇動者はナイと協力関係にあったようである。
「なにをしているんだろう、あの子……」
ナイは本当になにをしているのだろう。彼女が怒るのは理解できるけれど、普通そこまでやるのだろうか。でも私を讃えておきながら、誰かのお金を勝手に盗る人間なんて必要ない。もう、解決したことだし私がナイたちのお金を盗った神職者になにかする気はないけれど、会ってしまったら厳しい感情を向けてしまうかもしれないと妖精と視線を合わせる。
「ありがとう。面白いことが聞けて良かったよ。これは元の場所にちゃんと返してくれるかな?」
『うん!』
私の手から妖精が自身の身体の三分の一程ある手帳を受け取り、ふっと消えた。さて、次はなにを読もうかと天井までみっちり詰まっている棚に並ぶ本を見上げる。知識を吸収するのは楽しい。
女神の私でさえ知らないことがあるし、人間が記した創作話も面白いし、人間が引き起こした過去の出来事を知るのも楽しかった。人間が人間同士で醜い争いを始めて呆れて引き籠もってしまったけれど、私が引き籠もっていた数千年の間に本当にいろいろな進化を経ていた。
私が人間に施した魔術は独自の進化を遂げているし、亜人たちも魔法という形態で利用している。私が人間に魔力を施したのは、あまりにも弱過ぎる存在だったから。今の人間を見ていると必要なかったかもしれないけれど、今更だ。
そういえばあまりに弱いので私の力を強く引く人間をランダムで生み出す機構を西大陸に施し、身体の一部に模様が出るようになっているのだが……どこかに存在しているだろうか。西大陸の魔素が薄くなっているから、存在していないかもしれない。もし痣持ちがいるのなら会ってみたいのだがナイは知っているだろうか。ふうと息を吐いて座っていた椅子に背を預けると、ナイが図書室の扉を開けて姿を現した。
彼女の後ろには赤毛の双子がぴったりくっついているし、クロもナイの肩の上でぷらぷらと尻尾を動かしてご機嫌そうだった。あの白銀の竜が人間に懐いているのは驚きだけど、経緯を聞いたらクロがナイを気に入るのも仕方ない。
「女神さま、夕食の準備ができたそうです。食されますか?」
ナイが私と視線を合わせた。普通の人間は私を直視できなくて、視線をずらしていることが多いけれどナイは確りと視線を合わす。その分彼女の背の低さが目立つのだが、こんなに魔力を有しているのに背が伸びないのは不思議な状況だ。
彼女には南大陸の血が少し入っているし、黒髪黒目は南の妹の特徴でもある。南の女神の因子を色濃く受けたのかとも考えるが、まあ……運命の悪戯なのだろう。不思議な雰囲気を持つ子だし、母さんの名前を出した時に特に気に掛ける様子を見せたから、母さんが管理している星に関わっているのだろうか。なににしても用意されたご飯はキチンと食さなくてはと、ナイと目を合わせる。
「ん、食べる。せっかく作ってくれたんだから、食べないなんてあり得ない」
子爵邸で出されるご飯は美味しいし、食材に含まれている魔素も多いから神の島に戻らなくても疲れない。本当に子爵邸は不思議な環境だ。
「では、行きましょうか」
ナイが嬉しそうに笑っているのだがどうしてだろう。良く分からないけれど、今の私は彼女に聞きたいことがあると椅子から立ち上がった。
「うん。ねえ、ナイ」
「はい?」
不思議そうに私を見上げるナイの黒い瞳には私の姿が綺麗に映り込んでいる。本当に物怖じしない子だ。まあ、だからこそクロや魔獣の仔たちがナイを気に入っているんだろうけれど。
「妖精が黒革の手帳を持ってきてくれたんだけれど、ナイに関わることが記載されていたみたい。でも妖精の話だと少し要領を得ないからナイの知っていることを聞きたい」
私が聞きたいことを口にすればナイが私の言葉を咀嚼するように、なにか考えていた。
「黒革の手……ぶっ!」
黒革の手帳に思い当たることがあり、そしてなにがあったのかを理解したようである。でも、女の子が口から息を吹きだすのはどうだろうか。
「お行儀が悪いよナイ。父さんみたいだ」
父さんも驚いたことがあったり、都合が悪いことがあると口から息を吐きだす癖がある。私たち四人は父さんに汚いと散々注意を促しているのに治してくれる気配はない。ナイは治してくれるかなと期待しつつ、彼女が語る三年前のことをはっきりと理解した。
「聖王国……なにをしているの?」
全ての人間が悪いわけではないけれど、悪事を止めない、諫めない人間もどうなのだろう。私が目を細めると、怒っているとナイが悟ったのか苦笑いを浮かべて口を開いた。
「偶々、悪事を働く方が巣食っていただけで現在は立て直しの最中です。聖王国としてきちんと立てるかまだ分かりませんが、今は見守るべきかと」
「ナイは怒っていないの?」
「怒りはもう過ぎましたし、聖王国には友人もいますから」
当事者であるナイが言うなら私が出る幕ではないのだろう。でも、一言くらいはあった方が良いのかなあと悩みながら食堂へ足を向ける。相変わらず子爵邸のご飯は美味しいと満足して食べ終わる。そういえばマトモにご飯を食べたのはナイのお屋敷で食べたのが初めてだ。やはりこの場所は……――変なお屋敷なのかもしれない。
◇
子爵邸、庭の隅にある護衛の方々の運動場でジークとリンが風魔と服部のご老体と模擬刀を合わせていた。声高い金属音ではなく、木の独特の低い音が小気味よく鳴り耳に心地良い。広くない運動場の隅っこで私はクロとロゼさんとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんに、エル一家とジャドさんと西の女神さまと一緒に手合わせの様子を見学させて貰っている。
傍で見ている限り、お互いに決定打が繰り出せないといった所だ。ジークが横薙ぎに払った片手長剣を、風魔のご老体がひょいと両足を上げて躱す。手隙の護衛の方も参加しているし、何故かテオの姿もある。どうして彼がいるのという疑問はあるけれど、警備関係は家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまに、ジークとリンに任せているので後で聞いてみようと私は前を向く。
ご老体の身のこなしが凄く軽いと私が驚いていると、肩の上に乗っているクロが尻尾で私の背中をぺちぺち叩きながら口を開いた。
『ジーク、頑張れ~! お爺ちゃんも負けるな~!』
クロはどちらが勝っても問題ないようである。ここ数日は、アルバトロス王国の環境に慣れるためにご老体二人にはゆっくりと過ごして貰っていた。そろそろ身体を動かさないと鈍ってしまうと申し出があったため、本日から諜報員の指導をお試しで始めようとなったのだが、何故か護衛の方たちの手合わせをしている。ご老体二人は模擬刀を持参しているけれど、訓練を続けるならば折れたり破損することも有り得ると私は隣に立つ赤毛の女性の顔を見た。
「ねえ、リン」
「うん?」
リンが紫色の瞳に私を確りと捉えながら短く答えてくれる。
「三年前に、ジークとリンに私を王都の鍛冶屋さんに連れて行って貰ったこと覚えてる?」
私もリンを瞳の中に確りと捉えながら三年前を思い出す。王立学院一年生の合同訓練前にジークとリンと私で出掛けた先である。規模の小さいお店だったけれど、ジークとリンが選んでくれたナイフは今でも現役で確りした品を取り揃えているという印象が強い。あのお店なら信用できるかなと思い至ったのだが、彼女は私の疑問にどう答えてくれるだろうか。
「もちろん」
「風魔と服部のご老体用の模擬刀を用意したいんだけれど、作って貰えそうかな?」
鉄を打つのと木を削る作業は違う。木を取り扱うならば家具屋の方が適任にも思えるが、模擬刀は武器に類される。それを踏まえるなら武器屋さんの出番だろう。
「融通は利くと思うけれど……フソウの刀を模せるかな。伝えるのが少し難しいかも」
リンが微妙な表情で答えてくれた。確かに文化の違いから難しい依頼となってしまうだろうか。フソウに赴いて調達しても良いけれど、日常使いの品はアルバトロス王国内でできれば手に入れたい。
「独特だからね。フソウの刀は……越後屋さんで小刀を買って、重さや大きさを実感してもらえばいけそう?」
「なにもないよりは全然良いはず」
リンが私から視線を外して武器屋さんで作って貰えるかどうか考えているようだった。相変わらずジークとご老体が小気味良い木剣の音を鳴らしているので模擬戦はまだ続いている。
「ここで唸っているより、お店に赴いてお願いした方が良さそうだね」
「でも、ナイが直接行けば驚くし、騒ぎにもなるよ」
「うん。その辺りはお使いの人を立てようかなって考えてる」
お店に迷惑を掛けるつもりはないので私は行かないけれど、アストライアー侯爵家のお使いがきたとなれば噂が立つかもしれない。その時はその時だし、商売っ気が強ければ私の名前を利用して商売繁盛に繋げるだろう。気だるげな店主さんにお金儲けをする気概があるかどうかは分からないけれど。リンと私が喋っていると、カンカンカンと連続して木剣同士がせめぎ合う音が大きく響いた。
運動場に視線を向けると、ジークが左手で木剣を持ち、片足を大きく広げ地面を擦って蹴り上げる。ご老体は剣ではなくジークの足が繰り出されたことに驚くけれど、ひょいと軽い身のこなしでジークの足に手を置き易々と彼の蹴りを躱した。
『身のこなし、軽い』
凄いと感心している私の横で、ヴァナルも凄いと声を上げた。ばっふばっふと尻尾を振って興味深そうに模擬戦を見ている。
『忍びの者ですから』
『年老いても、培った技術と経験でジークフリードさんとの力の差を補っているようです』
『彼らが若ければ、決着は付いていたかもしれませんね』
雪さんと夜さんと華さんがご老体の動きを褒めていた。彼が若ければジークはもう負けていたのだろうか。うーん……ジークが負けている所はあまり想像したくない。でも、本気の命の取り合いならば私もリンもジークに加勢する。その時はどうなるだろうと目を細めていれば、西の女神さまも模擬戦に心奪われているようだった。
「人間ってあんな動きができるんだね。驚いた。面白い」
彼女はふふと口角を上げて小さく笑みを携えれば、私の肩の上にいるクロが『凄いよねえ、人間って』と声を上げ女神さまは短く『うん』と頷いた。その時ジークが左手から右手に模擬刀を持ち変えて、右腕に力を入れて袈裟懸けに振り下ろす。
ご老体はどうにかジークの模擬刀を受け止めたものの、力の差で負けてしまい自身の模擬刀が手から落ちる。ジークはご老体の顔に当たる既の所で模擬刀をピタリと止めて、短く息を吐いた。
「あ、流石に長期戦になると兄さんに分があるみたいだね」
「体力が尽きちゃったか」
リンと私が視線を合わせて、ジークが勝ったことに安心していると『それまで!』という審判の声が上がる。ジークとご老体は開始線まで下がって礼を執って前を向いた。
「くぅ……! 現役の若造には敵わんか!」
「いえ、ご老体の奇抜な動きは参考になりました」
悔しそうに顔を歪めるご老体といつも通りのジークが声を掛け合う。お互いに勝った負けたで競うつもりはなく、試合内容の方に比重を置いているようだった。模擬戦を見ていた護衛の方たちは近くの人とどうやればご老体に勝てるのかを語り合っているし、テオは凄いと目を輝かせている。
「褒めているのか、貶しているのか……まあ、ええ。久方ぶりに胸躍る手合わせだった。侍とも違う動きだったし、騎士という者は面白いな!」
にかっと歯を見せて笑うご老体にジークは片眉を少しだけ上げて困った表情になる。
「生まれのためか騎士と呼び難い戦法を好んでいます。私を参考にしない方が良いかと」
確かにジークが好む戦法は騎士の方が取る方法とは少し違う。生き残るために意地汚いというか、剣だけじゃなくて殴りや蹴りも入ることもあれば、掌底や目突きに金的まで選択肢に入る。貧民街時代に私が教えたとも言えなくないが、真っ当に騎士として育てられた方とは少々異端である。もちろんリンも。
「なに、主を守れたならばそれで良いではないか。己が仕える者を守るのに綺麗も汚いもないわ!」
深い皺を更に深めてご老体が破顔して、ジークもいつの間にか困ったような顔から小さく笑っていた。そうして風魔のご老体とジークの模擬戦が終わり、服部のご老体が前に出て『儂と手合わせしたい者は?』と声を上げる。
「はい! 俺と一本勝負してください」
勢い良く手と声を上げたのはテオだった。彼の声と同時にジークと風魔のご老体がこちらに戻ってくる。お疲れさまでしたと私がご老体に声を掛ければ『年甲斐もなくはしゃいでしまいましたな。ご当主殿には失礼を』と小さく頭を下げる。私はいえいえお気になさらずと返せば、彼は手を腰の後ろに回してテオへと視線を向けた。久方ぶりに見たテオは十五センチくらい身長が伸びているのではないだろうか。
「テオは学院の騎士科には行かないのか……」
「アストライアー侯爵家専属の騎士を募集していたからな。テオは育成枠で合格を勝ち取った」
私がぼそりと呟いた声をジークが拾って、テオの近況を教えてくれた。テオとレナはそっくり兄妹に対応を任せていたから私は詳細を知らなかったが、きちんと二人は年下の子たちの面倒を見てくれていたようである。
今回、諜報員を雇ったと同時に侯爵家で働く騎士の方も募集していた。そして育成枠の騎士も募集していたのだ。その枠の中に見事テオは入ったので、ミナーヴァ子爵邸の護衛の皆さまが寝泊りしている建屋で一緒に暮らし、訓練を受けているとのこと。他に何名か同年代の子がいるしテオにとって良い環境なのかもしれない。彼がアストライアー侯爵家の正騎士に就けるか未知数だけれど、無駄になることはないだろう。騎士だから文字の読み書きと簡単な計算も習うので、平民として肉体労働を行うより遥かに良いはずだ。
「そっか。レナはどうしているの?」
「王都のお店で住み込みで働いているよ。腕が良いみたいで、店主に将来が楽しみだって言われている」
私がリンを見上げると彼女がゆっくりと口を開いた。レナもレナできちんと自分の道を歩いているようだ。あの痩せ細っていた弱弱しい子が職人さんとして、お店で住み込みで働いているなんて信じられない。本当に元気になって良かったと安心しながら、そっくり兄妹の顔を見上げる。
「ジーク、リン。ありがとね。あの子たちがちゃんと生きていくために道筋を付けられたのは二人のお陰だよ」
「大したことはしていない。ナイがいなければテオとレナは今の道に立てていないだろうしな」
「兄さんの言う通りだ。ナイがいたからこそ、テオとレナの今がある」
ジークとリンの言葉に照れ臭くなって視線を逸らす。まあ、いろいろとある今の私だけれど、困っている人たちを救えるのは有難い状況だ。
『良かったねえ、ナイ。ジークとリンも』
クロが顔を擦り付けながら尻尾を小気味良くペシンと私の背を叩いている。
「仕える主が立派な方ならば、儂らも腕を振るう甲斐があるものです」
ふふふと笑う風魔のご老体の言葉が上がると、開始線に並んだ服部のご老体とテオが視線を合わせて火花を飛ばしていた。
「では、お互いに礼! 始めっ!」
審判の方の高らかな声が上がり、テオは模擬剣を構えたままご老体の懐へと飛び込んだ。一瞬にしてお互いの距離を詰め、テオが間合いに入れば手首を捻り模擬剣を真横に引く。
「まだまだ太刀筋が読み易いのう。若造!」
真横に薙いだ模擬剣をご老体が身体を仰け反らせてぎりぎりで躱した。テオは驚きで目を丸く見開き、ご老体はふふふと余裕の笑みを浮かべている。
「確かに俺は若造です! ですが……体力だけは誰にも負けないつもりです!」
テオの敬語は聞き慣れないけれど、頑張って敬語を使えるようになったようだ。ジークが仕込んだのかなと私が彼の顔を見上げると『どうした?』と首を軽く傾げる。私が『なんでもないよ』と無言で伝えるとジークはテオとご老体の模擬戦に視線を戻した。その間にご老体はテオが持っていた模擬剣を振り落として、テオは剣を落とされた衝撃で手を痛そうにしている。
「くそっ!」
悪態を吐きながらご老体にテオは右拳を突き出した。私が苦笑いをしていると、服部のご老体がテオと距離を取って余裕の笑みを浮かべる。
「お前さん、剣より拳の方が筋が良いのではないかな?」
「そうかもしれませんが、俺が目指すものは騎士です!」
ご老体の言葉にむっとした顔となったテオは落ちた模擬剣を拾い上げ再度構える。大人組の護衛の方々が、テオにアドバイスなのか野次か分からない声を上げ盛り上がっていた。
「はああぁぁあああああああ!」
大人組に感化されたのかテオは咆哮を上げながらご老体へと突っ込んでいく。私は『あ』という短い声を上げ、私の声を聞いたジークとリンが苦笑いを浮かべた。案の定、テオの突進は服部のご老体に難なく捌かれ、彼の首元に小刀を模した模擬刀が当てられ『勝負あり!』と審判の方の声が響く。
大人たちの残念そうな声と『若いのう』という服部のご老体の声が上がり、テオとご老体が開始線に並んで頭を下げる。
「テオの意気込みは良いんだが」
「まだ技術が追いついていない感じ?」
「テオには他流派というか……特殊な手合わせは早いと言ったところかもな」
どうやら騎士としてはテオは良い線を行っているようだ。でも、フソウの忍者という特殊過ぎる方の相手をするには、経験や実戦が足りないのだろう。ジークの少し呆れたような、それでも柔らかさを含んでいる声に私も肩を竦めて、テオにお疲れさまと声を掛けるのだった。