魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
――招待するべきではなかったか……。
アルバトロス王国に所属しているそれなりに名を馳せている子爵家の当主を務めているが、目の前の少女の活躍と比べれば私の家など霞んでしまう。アストライアー侯爵がハイゼンベルグ公爵領に視察に赴くと知ったのは本当に偶然だった。
領地の高級宿に泊まると一報が入り、慌てて侯爵に手紙を送ったのだ。飛ぶ鳥を落とす勢いで名を馳せている彼女に手を出すのは如何なものかと考えたが、亜人連合国に東大陸のアガレス帝国と共和国、北大陸のミズガルズ神聖大帝国とも縁を持つ彼女と顔合わせができるならと欲が出てしまった。
アルバトロス王国内の子爵家など相手にしないだろうなと思いきや、ご招待有難うございます、よろしくお願い致しますと凄く綺麗な文字で記された手紙に腰を抜かしたのが三日前である。アストライアー侯爵本人が記した手紙かどうかは分からないが、彼女の可愛らしい顔に似合う文字だ。三日間で侯爵家一行を出迎えるには短い時間であったが、元々我が家の料理人は腕自慢を集めているため特に問題はなかった。
部屋は子爵家規模なので侯爵家と比較すれば広くはないが、歴代の当主が買い集めた自慢の調度品が数々あるし、廊下に飾られている絵も有名な画家が描いたものである。さぞ、驚いてくれるだろうと期待していたのだが……子爵邸の廊下を進む彼女は全く興味を示してくれない。普通の貴族であれば廊下に飾る絵画を見て『良い物ですな』『素敵だな』と口にするものなのに。
そういえば彼女は貧民街からの成り上がりということを、私は綺麗さっぱりと頭の中から抜け落ちていたと肩を下げる。
旅の疲れもあるだろうと一先ず来賓室へと案内して休憩して頂いている。侍女には最高級の茶葉を使えと命じているし、茶請けの菓子も王都で有名な菓子店のものを用意した。絵画は侯爵の興味を引けなかったが、茶と菓子は女性の好物である。
きっと気に入ってくれるはずと私は執務室で侍女からの報告を待っている所だ。他にも調理場の者たちにも気合を入れて調理しろと命じているし、屋敷の他の者たちにも粗相をするなと厳命している。妙な行動を取れば首を斬るとも伝えているので、我が家の者であれば問題を起こすまい。一緒に執務室で陣頭指揮を執っている息子が眉尻を下げながら私を見る。
「父上、晩餐会は大丈夫ですか?」
「もちろん、抜かりはない。最高級の食材を方々に手を回して手に入れ、我が家の料理人の腕が良い。以前、我が家主催の夜会に参加した伯爵殿が出されていた料理を褒めてくれたではないか」
いつもより情けない声の息子に私は腹に力を入れて答えた。確かにアストライアー侯爵は偉大であるが、一人の若い女性に過ぎないだろうに。恐れる必要はないし、夜会でいろいろな者たちと対峙して今まで乗り越えてきているではないか。
我が息子に代を譲るのはそろそろ良いかと考えていたのに、そのような情けない顔で私に縋る姿を見てしまえば代替わりはまだ早いのか。夜会で我が家の料理を褒めてくれた伯爵殿は長く続く家の者であり、料理通と知られている。そんな方が褒めてくれた我が家の料理をアストライアー侯爵が気に入らないはずはない。
「それは、そうですが……アルバトロス城で、アストライアー侯爵は出向いた先の食べ物を良く買い付けていると聞きますし、旅先の料理本を手に入れているとも……」
代を替わるまで城勤めをしている我が息子の言葉は本当なのだろう。聞き及んだ噂ではアストライアー侯爵邸――正しくは子爵邸だが――では、珍しい野菜や果物を使用人たちが家に持って帰っていると聞く。
屋敷の裏に畑があると聞いたのだが、貴族の屋敷で土を耕す者など庭師以外にはいない。大方、買い過ぎた食材を無駄にしないために提供しているだけだ。アルバトロス王国の王都でも珍しい野菜や果物は手に入る。
きっと噂が噂を呼び、いろいろな話が混ざって面白おかしくなっているだけだろう。それにアストライアー侯爵家の料理人がどれほどの腕をしているのか分からない。貧民街出身の成り上がりである。きっと大抵の品は美味いと言って食べるに違いないと、私は息子に視線を向けて口を開く。
「……案ずるな。不味い品を提供するわけではない」
そう、そうだ。不味い料理を提供するわけではないし、毒を盛った品を出すわけは絶対にない。だが、どうしてだろう。胸の中が異様にざわついている。
そして、いつも泰然としている息子が今日に限って青い顔をしていた。もしかして城内ではアストライアー侯爵の話は市中で聞く噂と違うものというのだろうか。いや、まさかと私が頭を振ると我が息子が執務机に両手を突いて、腰を折り顔を私に近づける。
「提供した食事にほとんど手をつけない可能性だってあるんですよ?」
確かに用心深い者であれば提供された食事に手を付けない可能性もあるし、不味いという意思表示で一口だけで終える可能性もある。だが……。
「…………息子よ。もうここまできているんだ。腹を括れ」
そう。もうアストライアー侯爵は来賓室で晩餐を待っているのだから、私も息子も家族も逃げられない。アストライアー侯爵から手紙の返事を貰った時は凄く嬉しかったのに、土壇場になってこう緊張してしまうのはどうしてだろうか。
二人で悩んでいる所に我が家の侍女がやってくる。アストライアー侯爵に提供した茶は問題なく手を付けてくれ、茶菓子も全て平らげたそうだ。そして提供した侍女には『ありがとう』と声掛けをなさったとか。
三年足らずで成り上がった侯爵という若者が、侍女の者に丁寧に接するのは珍しいように思えた。侍女が執務室から下がれば、私は我が息子に視線を向けて案ずるなと無言で告げる。
私からの無言の言葉を受け取った我が息子は腹に手を当てて、はあと大きく溜息を吐いた。本当にどうしたのだろう。そうしてまた執務室の中にドアをノックする音が響いた。どうやら我が家の家宰が訪れたようだ。
「入れ」
家長として威厳ある声を出せば、ゆっくりと扉が開いて家宰が部屋に入る前に丁寧な礼を執る。そうして彼はこちらに足を向けて、我が息子の隣に立った。
「旦那さま、ご用意が整いましたと料理長から知らせが入りました」
「そうか。では皆を呼んでくれ。我が家の者が全員集まってから、客室の侯爵閣下を呼ぶように」
「承知致しました」
また我が家の家宰が丁寧な礼を執って執務室を出て行く。私は席から立ち上がり我が息子と視線を合わせて確りと頷き、食堂へ赴くために足を動かした。
「父上、尊大な態度を取ってはなりませんよ」
「分かっているさ。社交界で嫌というほど学んでいるからな」
我が息子の声を聞いた私は当然だとばかりに言葉を紡いだ。下位の爵位の者が上位の爵位の者へ不遜な態度や舐めた態度を取れば、その後どうなるかを知っている。自領で行っている生産物を上位の爵位の者が取り扱いを始め、じわじわと税収入に影響を与えられた者がいた。
さあこれからだという時に事業計画を潰された者もいたし、態度や状況次第にもよるが不敬だと言われて殺される場合もある。寄り親と懇意の相手であれば、寄り親から苦言を呈される場合もあるのだ。
今回の場合、アストライアー侯爵の後ろ盾はハイゼンベルグ公爵とヴァイセンベルク辺境伯で、我が家の寄り親は伯爵家なので頼れない。本当に規格外だと小さく息を吐けば、食堂へと辿り着いていた。
扉を開け中に進めば、我が家の者たちが揃っている。そうして私は長机の真ん中に腰を下ろし、右隣には私の妻が、左隣には私の息子が椅子に腰を下ろす。そして息子の子供たち二人も緊張している顔で席に着く。
「皆、アストライアー侯爵に聞きたいこと、尋ねたいことがあるだろうが……仲の良い相手ではないし、私がお誘いした方だ。失礼のないように」
私の声に皆が神妙に頷いた。仲の良い家同士ならば、移動途中に領都があるならば一泊泊まらせて欲しいと願い出たり、逆に要請を受けることもある。今回は違うパターンなので行動には十分に気をつけなければ。
縁を繋いで、我が家の将来に益を齎したいが慌てて行動に起こせば損をするだけである。ふうと息を吐けば扉の向こうが少し騒がしくなった。私が椅子から立ち上がると皆も椅子から立ち上がる。
そうして我が家の家宰がアストライアー侯爵と彼女の側仕えと護衛と一緒に姿を現す。一人はハイゼンベルグ公爵の孫娘であり、もう一人はヴァイセンベルク辺境伯のご令嬢だ。
護衛の二人は竜殺しの英雄と呼ばれる双子の兄妹で腰に佩いている剣は業物だと一目で分かる。そして背が高く長く髪を伸ばした女性とアストライアー侯爵と背丈が同じ黒髪黒目の少女がいるのだが、侯爵の側仕えとも護衛とも聞いたことはない。新たに雇った者だろうかと首を捻るが、先ずは侯爵を迎え入れなければ。
「お待たせしました。アストライアー侯爵。席へどうぞ」
「ありがとうございます。今宵が楽しい時間となることを望みます」
私の言葉に侯爵も返事をくれる。少し含みのある侯爵の言葉尻に片眉がぴくりと上る。私や家族が問題を引き起こすことを警戒しているのだろうか。なにもする気はないのだが、確かに彼女は新興貴族の成り上がりだ。
まだ年若い彼女を騙せると企む者がいるかもしれない。私だって下心があるから接触しているのだから。とはいえなにか行動に起こす気はなく、今日は顔合わせをして侯爵が社交界に出れば円滑に話ができるようにと狙っているだけ。
なにも問題はないと侯爵を席に案内した。歓待する者は侯爵一人で良いと聞いていたため、一人分の席しか用意していない。女神さまもご一緒に子爵邸で暮らしていると聞いていたのだが、どうやら女神さまは侯爵と一緒に行動しないようである。
女神さまは気まぐれなのか、侯爵の屋敷を借り屋としているだけなのか分からないが、面通しできないことが少し残念だ。そうしてお互い席に着けば、我が家の料理人たちが手塩にかけた料理が運ばれてくる。
「我が家の料理は好評でしてな。侯爵が満足なさると良いのですが」
私がぱんと手を叩けば、係の者が一斉に食堂に入ってくる。最初は前菜が提供され、メインには肉とスープを用意して最後にデザートが出るコース料理だ。
一品目である前菜が各々の前に置かれれば、ナプキンを膝の上に置きカトラリーを外側から取る。侯爵も我々と同じように振舞っているので、学んで身に着けたのだろう。
丁寧な仕事を受けた前菜料理をナイフで切って、フォークを使い口に運ぶ。新鮮な野菜の味とソースの味が口に広がり、お互いの良い所を主張していた。流石我が家の料理人と目を細めれば、侯爵も一口目を運んで咀嚼している。随分と丁寧に噛んで嚥下している姿に私の隣に座している妻が小さく笑っていた。どこが良いのか分からないが、正面に立つ竜殺しの英雄の片割れの女性も侯爵の背を眺めながら優しい目を向けていた。
竜殺しの英雄の片割れの女性が私の視線に気付き丁度目が合った……――怖い。先程の優しい瞳から一転、目で人を殺せそうな威力の眼光で私を見ていた。
直ぐに視線を逸らしてくれたので漏らすことはなかったが、あと数秒視線を合わせたままであれば私は気絶か失禁していた可能性がある。もう一人の竜殺しの英雄から放たれている気配もただならぬものではなく、侯爵に手を出せば秒で剣を抜くぞと威圧しているようだった。
そしてハイゼンベルグ侯爵の孫娘とヴァイセンベルク辺境伯のご令嬢も同様に、怪しい行動を我々がとればすぐさま制圧させて頂くという気配を放っているような。まだ年若い者たちなのにどのような修羅場を潜れば、凄い雰囲気や眼光を放てるのだろう。そして背の高い女性と背の低い女性も良く見れば、凄い雰囲気を持った人物である。
先に述べた四人のような怖さはないが、なにか未知の者を見ているような感じがした。私が恐れ戦いている間に侯爵は一品目の前菜を綺麗に食べ終えており、ナプキンで口元を拭っている。少しあと侯爵は小さく笑みを携えて口を開いた。
「美味しいですね」
「そ、そうですか。お気に召されたようで良かった。まだ料理は続きます故、ご堪能ください」
私は料理の味を感じることはなく、ただただ侯爵の護衛の者たちの雰囲気に気圧されたまま運ばれてくる食事を食べ進め、時折侯爵が声を上げる言葉に差しさわりのない返事をするので精一杯だった。
あまりの緊張にアストライアー侯爵という人物を家に招いたのは間違いだったのかもしれないと後悔をするのだった。
◇
晩餐会で出された食事は美味しかった。
でも、一人で食べるのは味気ないというか……アストライアー侯爵家側の参加者が私だけというのは少々寂しい。西の女神さまと南の女神さまも一緒に食事を摂ると踏んでいたのに結局は二柱さまは私の側仕えのフリをしていた。
四人の側仕えを控えさせているのはどういうことだと突っ込まれそうだったのだが、子爵家の皆さまは特に気にした様子もなく食事を食べ進めており、会話もぽつぽつと交わして無事に晩餐会を終えたわけである。そうして子爵邸の客室を借りて一晩明かし、早朝にはハイゼンベルグ公爵領を目指すため馬車に乗り込んでいた。面子は昨日と変わらず
「個人で行われる食事会や晩餐会って昨晩のような形なのですか? もっと商談の話とか探りが飛ぶのかと気を張っていたのですが……」
私は目の前に座しているソフィーアさまとセレスティアさまに声を掛けた。お二人は一瞬顔を見合わせて、どちらが解説するのか確認を取ったようである。西の女神さまと東の女神さまは私を間に挟んで窓の外を見ていたのだが、声を上げた私に視線を向け直した。
「顔合わせの意味合いが強かったのだろうな。おそらくだが、社交場で会った時にナイから声を掛けられ易いようにと狙っていたのではないか?」
ソフィーアさまが私を見ながら答えてくれた。なるほど。夜会で会った時に、昨日のお礼を子爵家のご当主さまに伝えなければと私がコンタクトを取る可能性は十分あり得る。どうやら切っ掛け作りとして昨夜の晩餐会は開かれたのかとようやく納得できた。変に身構えず、食事を楽しめば良かっただろうか。美味しかったけれど、妙なことを言い出さないかと少し警戒していたから。
「強欲な者であれば、あの場で商談を持ち掛けておりましょう。更に欲深い者であればヴァナルさんと神獣さまの仔をと望む場合もありましょうね。至って普通の食事会だったのではないかと」
セレスティアさまが鉄扇を勢い良く開いて口元を隠し小さく鼻を鳴らす。以前、毛玉ちゃんたちを譲って欲しいと言われたことがあるので、ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたち三頭は私の影の中に隠れて貰っていた。本当に妙なことを子爵家の皆さまが口走らなくて良かったと安堵していれば、西の女神さまが私の顔を覗き込む。
「そんなこと言う人間がいるの?」
「以前、実際に申し出を受けましたね」
西の女神さまが不思議そうな顔を浮かべて私に問うのだが、実際にいらっしゃっているのである。それも割と高貴なお方だったはず。
「それ、言っちまって良いことなのか? フェンリルもケルベロスもナイの所にいるのを望んでいるだろ。仔供たちはフソウに行く算段を付けてたからアレだけどよ」
南の女神さまは彼らの事情を踏まえたうえで考えたようである。そして毛玉ちゃんたち三頭が自分たちが話題に上っていると私の影から顔だけをぬっと出せば、直ぐに顔を引っ込める。毛玉ちゃんたちの話題なのに影の中に戻るのは珍しい行動だが、雪さんたちに会話の邪魔をしては駄目と言われたのだろう。
「部外者の方だったので、詳しい内情を知らなかっただけかと。あと言い出した方は失脚していますし、無理矢理奪われていたらアルバトロス王国と亜人連合国とフソウ国が怒るかと」
本当に激怒案件にならなくて良かった。まあ彼の国の国王陛下と相談の上で失脚させたため、女神さまたちに事実を告げないままだけれど。まあ、詳しく聞かれれば答えるだけか。
「無理矢理なら、ナイが先に怒る」
「だな」
何故か西と南の女神さまの突っ込みが入るのだが、ソフィーアさまとセレスティアさまは二柱さまの言葉を否定してくれない。ヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちを無理矢理に奪われれば私はどう動くだろうか。
連れ去りならば、ロゼさんと亜人連合国の皆さまと魔術師団を頼って捜索して頂き、犯人が見つかれば誰かに強化魔術を施して頂いてボコるくらいはするかもしれない。その状態を切れていると言われれば微妙な顔をせざるを得ない。だって、まだ理性的な行動なのだ。
妙な空気になりそうな所でソフィーアさまが小さく咳払いをし、セレスティアさまがぱちんと音を立てて鉄扇を閉じた。
「エルとジョセとルカとジアたちが子爵領内で領民から人気になっていたのは意外だったな」
「ギャブリエルさんとジョセフィーヌさんは温和ですもの。子供たちも良い思い出になったのでしょうね。羨ましいですわ」
エルとジョセ一家は子爵邸で過ごすには少々手狭と判断して、お屋敷ではなく子爵領内の町に繰り出していた。もちろん護衛の方も一緒に付いているので危ないことはない。護衛の方たちが泊まる宿の厩を借りて過ごして貰う前に、天馬さまを見た子爵領の皆さまは驚きつつも歓迎してくれていた。最初は護衛の方たちとエルとジョセ一家には近づかず遠巻きに見ていたのだが、子供たちが好奇心を抑えられずに彼らの下へとやってきたそうだ。
ちゃんと護衛の方たちに『天馬さまに触れても良いですか?』と問うたのだから、親御さんの教育が行き届いている。護衛の方は答えに困っていたものの、エルとジョセ一家である。子供は可愛いと言って構わないと伝えたそうだ。それから子供たちとの触れ合いが始まり、大人組も参加していたとのこと。陽が落ちる頃には騒動は収まり、皆さま各家に戻って行ったそうである。
早朝の陽が昇る前に昨日はありがとうございましたと領の町の皆さまが宿屋の前で待っていたとか。
「交流が持てたのは良いことでしょうね。違う天馬さまが子爵領に降り立った際に過度な警戒をされないでしょうから」
今回、エル一家が子爵領に顔を出したのは良い切っ掛けだったのだろう。ミナーヴァ子爵領とアストライアー侯爵領では彼らは割と受け入れられているので、他の領地でも受け入れられるならば良いことだ。気を付けなければならないのは悪意を持った方は必ずいるから、気を抜いては駄目だとエル一家や他の天馬さまに注意を促しておかないと。
「無警戒は危険だが、人間側から手を出す確率は下がっただろうな」
「増えたとはいえ、まだまだ天馬さま方も数は少ないですし無暗な殺生は望みませんわ」
ソフィーアさまとセレスティアさまが真面目な顔をして答えてくれた。敵意がないと知っていれば先制攻撃はされないはずである。前世でも人を襲わなければ熊は森に還す努力をしたり保護されていた。人間を襲えば駆除されてしまうのは致し方のない部分だ。幻獣や魔獣の皆さまと多く接する機会を頂いている身としては悲しいことだと考えてしまうけれど。
「天馬は優しい仔が多いから。人間に狩られやすいんだね……残念」
「自然に生きているからな。あたしらがあまり口を出すものじゃねえし」
西の女神さまは目を細めながらどこか遠くを見ているような顔になり、南の女神さまは小さく息を吐く。南の女神さまは確かに口を出していないが、南大陸の方々に手を出しているのではという突っ込みは野暮であろうか。人様の容姿を揶揄していた方に限定していたようだから、やはり口にはしない方が良いなと判断して馬車の中で他愛のない会話が続く。
――三日後。
公爵領に入り、ようやく公爵領領都に辿り着いた。王都からハイゼンベルグ公爵領まで五日間も移動に費やせば、ソフィーアさまとセレスティアさまと西と南の女神さまの距離感は随分と縮まっているようだった。
西の女神さまと南の女神さまが興味を示したモノに対して、彼女たちは詳しい解説をしてくれる。女神さま方も私に聞くよりもお二人に聞いた方が確りとした回答を得られると学んだようで、疑問があるとソフィーアさまとセレスティアさまの方を見るようになっていたのだ。少し複雑な心境だけれども、幼い頃から英才教育を受けてきた彼女たちと、付け焼刃の知識しか持っていない私とでは雲泥の差がある。
それに女神さま方の疑問は私も同じように抱いていたから、今回は本当に有意義な勉強時間になった。
ミナーヴァ子爵領とアストライアー侯爵領で運用できそうなこともあるし、街の作り方や発展の仕方を聞いて試したいこともある。城塞都市とかカッコ良いから造りたいけれど、どちらの領地も国境に位置していないので城塞都市を築き上げるのは諦めた。
「もうすぐソフィーアの家に着く」
「領地に入ってからも随分と時間が掛かったなあ」
「生まれた場所という贔屓目もあるのでしょうが、良い場所だと私は自負しております」
「あら、ソフィーアさんからそのような言葉を聞いたのは初耳ですわ」
二柱さまとお二人の会話を聞きながら、馬車の窓に流れるハイゼンベルグ公爵領の風景を眺めていた。公爵領に入ってからは公爵家の護衛の方も帯同しているので、護衛の方の人数が多くなっていた。
その中にジークとリンがいるのだけれど、人の中に紛れ込んでも背の高い赤髪のそっくり兄妹を直ぐに見つけられる。ジークとリンの側にはギド殿下も一緒なのだが、前より顔付きが精悍になっているような。
気の所為なのか、久方ぶりにお会いしたのでそう感じているのか分からないけれどソフィーアさまとギド殿下の関係は順調なご様子だった。休憩に立ち寄った際は必ずギド殿下がソフィーアさまのエスコートを担っていたし、お互いに体調の確認をしていた。そんな二人を見た私は、羨ましいような気持ちもあれば、恋愛は面倒そうだという気持ちもある。
しかし、まあ……ソフィーアさまとギド殿下は順調そうだが、セレスティアさまとマルクスさまの関係は大丈夫なのだろうか
最近、お二人が並んでいる所を見ていないし、南の島でもド付き合いの夫婦漫才を繰り広げているのである。でもまあクルーガー家の男性は添い遂げる女性となんとか上手く行っているという性質があるようなので、そちらに期待しよう。
そもそも他家のことなので私が口出ししては駄目である。思考の海に沈んでいると、いつの間にか公爵領領都にある領主邸に辿り着いたようだ。少し周りが騒がしくなって馬車が停まって、御者の方が許可を取って扉を開く。扉が開いた向こうでは公爵さまと公爵夫人に次期公爵さまと次期公爵夫人にソフィーアさまの弟さんが立っている。
エスコートを受けながら順に降りハイゼンベルグ公爵家の皆さまと相対した。そういえば公爵さまと夫人と次期公爵夫人にはお会いしたことがあるけれど、ソフィーアさまのお父上と弟さんと直接会うのは初めてだ。ソフィーアさまにはいつもお世話になっているので、きちんと挨拶をしなければと気を引き締める。
「ナイが真面目な顔になってる」
「姉御……ちゃんとした場なんだ。ナイだって真面目な顔くらいできるさ」
西と南の女神さまが割と失礼なことを言っているが、挨拶をしなければならないので無視である。そうして公爵さまが深く礼を執った。
「ようこそ。ハイゼンベルグ公爵領へ。この度は西の女神さまに視察の場として選ばれたこと誠に恐悦でございます。南の女神さまもご足労頂き感謝致します」
顔を上げた公爵さまはいつもの顔でこちらを見ている。西と南の女神さまを前にしても顔色一つ変えないのは流石公爵さまであるが、言葉使いがいつもと違って私はむず痒い物を覚えた。
「ん。あまり気を張らなくて良いから。よろしくね」
「あたしも畏まられるのは苦手だから、ほどほどで良い。よろしくな」
西と南女神さまの軽い挨拶に公爵さまがまた礼を執って、公爵家の皆さまも合わせて礼を執る。彼らの姿に私は落ち着かないという気持ちを抱えながら、一先ずハイゼンベルグ公爵邸の中へと入るのだった。