魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
ジークフリードがアルバトロス城の官舎まで迎えにきてくれていた。俺は転移陣を使うこともないと王城の馬車を申請してミナーヴァ子爵邸に向かうつもりが、迎えを寄越しますとナイさまから提案されたので飲んだ形となる。
ジークフリードを俺の迎えに寄越したのはナイさまなりの気遣いなのだろう。変な所に気付く彼女であるのに、どうして大事な所をすっぽかしてしまう悪癖があるのだろうか。
ナイさま、一番肝心なことを女神さま方に伝え忘れていたなんて。
でもまあ……俺とフィーネさまに彼女を責める権利なんてありはしない。それなら俺たちが場にいてナイさまを補佐すれば良かったのだから。俺たちだって地球を創造したというテラさまと直接会ってマトモに話をできるかと言われれば、無理だと即言えるレベルである。
ナイさまだけを責められないなと子爵邸の客室で紅茶を飲んでいるのだが、西の女神さまと南の女神さまが同席しているのは何故だろう。確かに二柱さまは子爵邸で過ごされていると聞いているし、話し合いに参加する可能性もあるとナイさまから聞いていたけれど、本当に参加しているなんて。
西の女神さまの雰囲気は神さまの島でお会いした時より、凄く圧を感じなくなっている。ヴァレンシュタイン副団長とファウスト氏が作った魔術具を着けて、神圧を抑えているそうだ。
人間が作った代物で神さまの力を抑えられるって物凄く前代未聞の出来事ではないかと疑問を呈したくなる。でも、ナイさまもアルバトロス上層部も突っ込みを入れていないから、いろいろと感覚が麻痺してきているのではないだろうか。おそらく市場に流れれば、素材の価値と女神さまが付けていたという理由から天文学的な値段が付きそうである。
今、ナイさまの最期を聞いた所で、暴走した馬鹿な車がバスにぶつかって歩道を歩いていた彼女を巻き込んで死んでしまったようである。唯一の救いは、ナイさまに事故の記憶が殆ど残っていないことだ。痛いと苦しみたくはないのは誰でも一緒で、俺も事故の記憶はあまり残っていないし痛みも感じなかったけれど、気になることはある。
「バス事故で死んでしまった記憶は微かに残っています。死んだことに後悔はありますが……」
俺の方へと倒れてきた女の子は無事なのだろうか。せめてテラさまに直接聞ければ良かったのだけれど、機会を逸してしまったのだから諦めるしかないが、女神さま二柱が同席している状況で聞かずにはいられなかった。俺が言い淀んだことでみんなの視線が集まった。少し気恥しいが、口にした言葉は呑み込めない。
「俺の方へと倒れ込んできた女性の記憶が残っています。彼女は助かったのでしょうか?」
俺の言葉にフィーネさまがピクリと眉を動かした。えっと……浮気なんてしないし、単純に関わった人の行く末が気になっただけである。心配そうな顔をしないで欲しいと俺は彼女に小さく微笑んだ。
「どうだろう」
「母上殿にしか分かんねえだろうな」
西の女神さまと南の女神さまが答えてくれ、テラさまでも難しいのではと首を捻っていた。やはり分からないかと、妙な質問をして申し訳ありませんでしたと俺が頭を下げれば二柱さまは気にしなくて良いと仰ってくれた。
神の島で出会った時より、柔らかくなっている気がしなくもない。ナイさまのお陰かなと彼女を見れば、凄い形相をしてクロさまが彼女の顔を心配そうに覗き込んでいる。でも彼女は気に掛けているクロさまに気付かぬまま口を開いた。
「フィーネさま、エーリヒさま。どの辺りで事故に遭遇したのか覚えていますか? 私はM駅を西に向かって、特売で有名なスーパーを目指していました」
ナイさまがざっくりとした事故に遭遇した時間を教えてくれる。
「……え」
仕事帰りの夕方のバスに乗っていたのだが、M駅がバス停になっているし、そこから特売で有名なスーパーを通り過ぎる。でも事故に出会ったその日はスーパーを通らないまま事故に出会ったと伝えれば場が静まり返った。
俺とナイさまは同じ事故に巻き込まれていたのかと目を見開いていると、フィーネさまも落ち着かない様子でなにかを考えている。
「わ、私も同じバスに乗っていました。大学の午後のコマが終わって実家に帰ろうって。でも……急に衝撃を受けて、立っていた私は誰かにぶつかって……」
静かに声を上げるフィーネさまの声がどんどん感情的になっていた。ナイさまが彼女を気遣うように右手を伸ばしかけて途中で止める。フィーネさまは自分の最期を呑み込めず、溜め込んでいた可能性があるから吐き出すならば今しかないとナイさまは考えたのだろうか。
「死んじゃって……乙女ゲームの世界にきちゃったって気付いて……地球に……日本に私は帰れますか?」
彼女が泣きそうになりながら女神さまに向けた疑問を聞いて、俺は苦虫を噛み潰したような顔になる。確かに俺も彼女同様に日本に帰りたいけれど、テラさまが創ったという地球が俺たちが住んでいた元の世界とは限らない。
平行世界という可能性だってあるし、過去の俺たちが生きていた時代ではないかもしれない。それに死んだ俺が帰ってきたら、親族のみんなは驚くだろう。俺が死んでしまった心の整理を何年も掛けて落ち着いたのに、彼らの心を乱す可能性もある。でも、フィーネさまの希望を否定する権利は俺にはないと女神さまの方を見た。
「難しいんじゃないかな」
「姉御の言う通りだろうな。あまり無責任なことは言えねえし」
西の女神さまと南の女神さまが渋い顔をして教えてくれた。やはり戻るのは難しいかと俺は息を吐くのだが、フィーネさまは納得できない様子である。
「……そんな」
彼女が口を真一文字に結んで、湧き出てくる己の内なる感情に耐えていた。俺だって生きている途中でガラリと人生が変わってしまったことを悔いていないと言えば噓になる。やり残したことや、残してきた人にさよならも言えていないのだから。
でも、もう向こうの世界にはいられないから。新しい形として、エーリヒ・メンガーとして生まれたのだからと割り切れることができた。多分、ナイさまも俺と同じなのだろう。彼女から直接聞いたことはないけれど、食に対して異常に執着しているだけで他のことには全く触れていない。
ジークフリードやジークリンデさんに心配を掛けてしまうということもあるのだろうけれど、アガレス帝国に拉致されて転生者と知った時、ナイさまはこの世界に対して愚痴を一切零していなかったのだから。
「フィーネさま。大丈夫ですか?」
ナイさまが席から立ち上がって、フィーネさまの泣きそうになっている顔を覗き込む。西の女神さまと南の女神さまはなにも言わず、黙って状況を見守ってくれていた。俺もフィーネさまの下へ行きたいけれど、今はナイさまに任せよう。
「ごめんなさい」
フィーネさまが両手を膝の上に置いて肩を震わせていた。ナイさまは彼女の様子に気付いて背中に片手を置く。
「謝らなくても大丈夫です。ここにはアリサさまもウルスラさまもいないので、大聖女さまとしていなくても良いんですよ。ただのフィーネさまで良いんです」
ナイさまがフィーネさまの背を撫でながら、いつもより優しい声色で話しかけている。イクスプロード嬢と大聖女ウルスラさまがいないという言葉にはっとしたフィーネさまはついに涙を流し始めた。ナイさまはフィーネさまの背をずっと撫でるつもりなのか、彼女の側を離れない。
フィーネさまはナイさまがどこにも行かないことを理解したのか、うっと顔を上げてナイさまに抱き着いた。ナイさまの胸に顔を埋めてフィーネさまは泣き、ナイさまは困り顔を浮かべているものの彼女を受け入れ背に腕を回してゆっくりとまた撫でていた。
俺たちは転生者で同郷で仲間だけれど、言えないことの一つや二つあってもおかしくない。フィーネさまも残してきたご家族に会いたいだろうし後悔もあるのだろう。取り乱しても仕方ないし、部屋にいるみんなも分かってくれているのか彼女の泣いている姿を黙って見守るだけである。そうして暫く経ってフィーネさまがナイさまから顔を離して、照れ臭そうに口を開いた。
「ずみまぜん……ちょっと事態が呑み込めなくて取り乱しました」
ずびずびと鼻を啜るフィーネさまにナイさまがティッシュを差し出す。ティッシュを受け取った彼女は三枚ほど取り出して鼻をかむ。少しスッキリしたのか目元はまだ赤く腫らしたままだけれど、表情は先ほどより明るくなっている。ふうと俺は息を吐けば、ナイさまが少し困った様子で声を上げる。
「いえ。えーっと、少し休憩しますか?」
ナイさまが片眉を上げながらフィーネさまに問うと、彼女はゆっくりと顔を横に振った。どうやら女神さまとの話を続けるようである。
「この世界が乙女ゲームの舞台に似ていると、まだ女神さま方に話してないです」
フィーネさまがずびっとまた鼻を啜って女神さまの方を見れば、二柱さまは不思議そうな表情になった。どうやらまだ乙女ゲームの世界とは考えていないようで、ただ単に俺たちのことは地球からの転生者と認識しているだけである。
ナイさまにあの乙女ゲームの知識は皆無だし、フィーネさまが口火を切るのは辛かろうと、俺が話す方が良いだろうと小さく手を挙げる。ナイさまがどうしましたと問うてくれたので、話の主導を握るのは案外簡単だった。
女神さま二柱も俺の話を静かに聞いてくれるので有難い。むしろ荒唐無稽な話をするなと怒られるかと覚悟をしていたのに拍子抜けだった。そうして粗方、ゲームの説明を終える。
北大陸は例のゲームと伝えるのは心苦しかったが、言わなければならないことなので腹を括るしかなかった。西の女神さまは動じていなかったけれど、南の女神さまは少しだけ赤い顔になっていたのでその手の話は苦手な可能性がある。流石にもう話すことはないだろうし、俺が語らなくても西の女神さまと南の女神さまが他の神さま方に説明してくれるはず。
説明を終えた俺はふうと息を吐けば、フィーネさまとナイさまがお疲れさまですと小さく笑っていた。さて、女神さまはどう出るのだろうと二柱さまに顔を向ける。
「うん……あり得ないことじゃないのかな。父さんより母さんの方が格が上だから、無意識に母さんの記憶や願望が星に流れてきた可能性もあるし……」
「なんとも言えねえなあ。母上殿が、こんなことがあれば良いのにと願えば叶えることができるだろうからな」
俺の話を聞いていた西の女神さまと南の女神さまが悩ましい顔をして声を上げた。どうやらテラさまはグイーさまより力が強いようである。確かに星間移動ができる方となれば、物凄い力を持っているのだろう。そんな方と普通に会話をしていたナイさまは一体と彼女を懐疑な視線で見てしまう。……しかし。
西の女神さまと南の女神さまの推測を聞いてふとあることが思い浮かぶ。テラさま……エロゲプレイヤーなのか、と。
◇
女神さまへの説明と聞き取りが終わって、ナイさまがフィーネさまと俺に東屋に行って茶でも飲んできて欲しいと言い残して客室から女神さまと共に出て行った。ナイさまが俺たちに声掛けする前にジークフリードが彼女の耳元でなにか伝えていたから、ジークフリードの提案かもしれないけれど。
一先ず、フィーネさまと落ち着いて話ができる環境にしてくれたことは有難いし、フィーネさまも同じ気持ちのようである。
しかし、ミナーヴァ子爵邸は本当に不思議な場所だ。廊下や部屋には妖精が飛んでいて、なんとなく屋敷全体が魔素に満ちている。もし俺の感覚が正解ならば、妖精と魔獣と幻獣が喜ぶ環境だし、ミナーヴァ子爵邸に彼らが集まる理由がついてしまう。
アストライアー侯爵邸に移って土地が広くなれば、更に魔獣や幻獣に、妖精たちが増えそうだと苦笑いになってしまった。俺の横を歩いているフィーネさまが不思議そうな顔をしているので、なんでもないと口を伸ばして笑い首を振る。
案内役の侍女に連れられて東屋に移動すれば、お茶をご用意いたしますと言い残して彼女が去って行く。少し離れた場所では聖王国の護衛と子爵邸の護衛の方が離れて俺たちの警護を務めてくれるようだ。
声量を落とせば彼らには聞こえまいとフィーネさまを導いて席へと腰を下ろして貰い、俺は立ったまま彼女の顔を覗き込む。もちろん、勘違いされない距離で。とはいえ、聡い方たちは俺たちの関係に気付いているのだろう。
「フィーネさま、大丈夫ですか?」
まだ少し彼女の目元と鼻先が赤いなと苦笑いになってしまう。もうすぐ十九歳を迎えることになり、前世の生きていた時間も合わせれば四十歳近くになってしまう。でも、人間はそう簡単に大人になれない所があるだろうし、ましてや女の子が過去に対して未練を断つのは難しいのだろう。
あのまま日本で生きていればやりたいこと……お洒落や遊びに旅行と沢山できることがあった。それを事故でいきなり失って赤子に戻ってしまった。俺も随分と自分の置かれた状況に混乱したから、フィーネさまもナイさまも困ったに違いない。
だから男の俺が確りしないと、と決意するのは傲慢かもしれないけれど、少しでも目の前にいる彼女の心を癒したいと願ってしまう。
「取り乱してすみません。ちょっと、後悔が出てしまったというか……溜め込んでいたものが爆発したというか、あはは……みんな同じ状況なのに私だけ弱音を吐いてしまいました…………」
フィーネさまが力なく言葉を紡ぐ。彼女の思いを聞いて俺は歯噛みをしてしまった。どうしてそんなことを気にするのだろう。だって、俺たちになら彼女が弱い所を見せても誰も文句や愚痴なんて言わないはずなのに。
「構いません。みんな状況を察してくれていたので、なにも言わずに待っていてくれました。フィーネさまも俺やナイさまが取り乱したら、きっと俺たちと同じ態度を取ったのではないかなと。それに弱い所を見せても良いじゃないですか」
同じ転生者なのだから、という言葉は飲み込んだ。フィーネさまも俺たちのことを慮ってくれているのだから、俺の気持ちだけを押し通す訳にはいかない。小さく長く、フィーネさまに分からないようにと息を吐いて心を落ち着かせる。
さて、どうするかと悩んでいると子爵家の侍女が紅茶と茶菓子の準備が整ったと声を掛けてくれる。俺は侍女の人にお願いしますと返事をして、フィーネさまと二人してお茶が用意されていくのをぼーっと眺めている。失礼致しましたの声にはっとして、フィーネさまを見ると彼女は力なく笑う。どう声を掛ければ良いのかと迷いつつも俺が彼女をリードしなければ、誰が彼女の手を取るのだと己を叱咤した。
「ナイさまも俺も……客室にいた人たちは、きっとフィーネさまが泣いてしまったことを失礼なことだとは誰も思わないはずです」
うん。これだけは言える。ナイさまもジークフリードもジークリンデさんもハイゼンベルグ嬢とヴァイセンベルク嬢も神さまの前で泣いてしまった彼女を責めやしない。
ナイさまは友人を馬鹿になんてしないし、むしろ泣いてしまった彼女のことを気に掛けてくれている。ジークフリードも同じでフィーネさまを慮ってくれているだろう。ジークリンデさんは少しわからないところがあるけれど、追い打ちを掛けたりする人ではないのは確実だ。
ハイゼンベルグ嬢とヴァイセンベルク嬢も貴族として立派に務めようとしているから厳しい所があるけれど、俺たちの事情を知っているので状況を正しく理解してくれている。西と南の女神さまも泣くなんてみっともないと苦言を呈することができたのに、それをしなかったのはフィーネさまに思う所があったからだと予想している。
「でも、エーリヒさまもナイさまも向こうに残してきたものがあるはずなのに……私だけ感情が高くなっちゃって……」
フィーネさまが深々と溜息を吐いた。でも、あんな荒唐無稽な話を聞いて感情が高ぶらない人なんて少ないだろう。俺が落ち着いていられたのは、好いた人の前でみっともない姿を晒すのは男としてできないという痩せ我慢だった。俺だけが女神さまとの話に参加していたなら、愚痴の一つや二つは零れていただろう。だって……。
「残してきたものや、後悔していることは当然あります」
残してきたもの、後悔していることはある。見られては不味いものはデータで保存しているから、機械に疎い両親に中身を知られることはないとして……まあ、肉親と友人と会社のひとたちにキチンと別れを告げられなかったことは後悔している。
俺は転生して新たな人生を手に入れて前に進むことができたけれど、彼らは俺の死に囚われていないだろうかと、ふとした時に気になってしまう。どうか俺のことに見切りをつけて、自分たちの大事な人生を歩んでいて欲しい。
フィーネさまも俺と同じことを考えて、心が切なくなったのならば少しだけ嬉しい……と考えてしまうのは傲慢なことだろうか。なににしても、彼女が反省する理由などこれっぽっちもないのではなかろうかと、ティーカップを手に取って一口飲めば、少し甘い紅茶だった。甘い紅茶なのに、俺の心はほろ苦いものを感じている。
「エーリヒさまも?」
「やはり、家族に別れを告げられなかったことは申し訳ない気持ちがありますよ。俺が急にいなくなって悲しんだでしょうし……」
フィーネさまがこてんと顔を傾げる姿は可愛いけれど、こんなことで幸せだと感じてしまう男って単純だ。俺のことは忘れて欲しいなんて言えないけれど、過度に俺に囚われないで前へと進んでいて欲しい。今の俺は俺の幸せだし、ちゃんと前の家族が普通の生活を送れているのかが凄く気になる。
「私も両親と弟と友達ときちんとお別れをしたかったです。事故で私が急にいなくなったことで、日常に戻れないのは違うと思いますし……テラさまにお願いして最後のお別れができないかなーなんて考えていると、心が凄く向こうを求めちゃって。向こうに行けないし、行っちゃならないってことは分かっているんですけれど……」
重い病気や老衰であれば家族も納得できたかもしれないけれど、働き盛りの社会人と学生だったならば家族の無念を考えると申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「遠い未来かもしれませんが、なにか向こうと繋がれる方法があれば良いですよね。だってこっちには魔術や魔法がありますし、神さまだって存在していますから」
俺がフィーネさまの目を見て笑うと、彼女も小さく頷いて笑ってくれた。せめて声だけでも家族に届けることができたなら、それでようやく今いる世界に確りと足を立たせることができるのではないだろうか。一生叶うことはないかもしれないけれど、希望を持っていたって良いじゃないか。
「そう、ですね……いつかきっと……くると良いなあ」
フィーネさまが東屋から冬の空を見上げる。珍しく暖かい日で、冷たい風が少し心地良い。多分、きっと。かさぶたのような心の傷は、フィーネさまも俺も一生消えないけれど。いつか癒える日がくるようにと願わずにはいられなかった。
◇
女神さまとエーリヒさまとフィーネさまの乙女ゲームについての話を終えて、一先ず私室に戻ってきた。アリサさまとウルスラさまは、別館でアリアさまとロザリンデさまとのお茶会に花を咲かせていると侍女の方から報告を頂いている。
もう少し経てば、フィーネさまとエーリヒさまを回収して別館にお邪魔しようと決めている。今日は珍しく暖かい日だから、ジークの提案でフィーネさまとエーリヒさまを無理矢理に東屋に向かわせたけれど、二人は大丈夫だろうかと窓の外を見る。
私室から東屋は見えず、目の前には子爵邸の庭が広がっている。テラさまが御降臨して小さなクレーターができた場所は花を植え直してきちんと整備されている。庭師の小父さまの話によると、クレーターがあった所に植えた花の成長が早いとかなんとか。西の女神さまもテラさまと通信で済ませるつもりだったのに、母神さまのお茶目で凄いことになったものだと私は彼女を見る。
「大丈夫、かな」
「さあな。こればかりはあたしらじゃあ解決できねえし、自分自身で状況を飲み込むしかねえよ、姉御」
西の女神さまが声を上げ、南の女神さまがふうと息を吐いた。確かに過去との決別は自分で整理するしかない。私は孤児だったから両親も家族もいないので、転生したことをあっさりと受け入れたけれど……フィーネさまとエーリヒさまは大変だっただろう。
世界に馴染まないといけないのに、前世のことが気になってしまうのだから。思い出さないようにしても、ベッドに入って眠ろうとしてふいに過去が押し返してくることもあるだろう。
それを考えれば私は本当に残してきたものが少ないなと苦笑いになる。クロが私の顔を不思議そうに覗き込んでいるけれど、大丈夫だよと伝えるために片手をクロの鼻先に近づける。するとクロは私の手に顔を擦り付けて、グルグルと猫が喉を鳴らすようにクロも喉を鳴らしていた。
「末妹は淡泊」
「そうかぁ? 普通だと思うけどよ」
西の女神さまが南の女神さまに突っ込んでいるけれど、いつものやり取りなので放置で良いだろう。しかしフィーネさまとエーリヒさまを東屋に向かわせる提案をしたジークは目敏いというか、良く二人を理解しているというか。
やはりもう一度エーリヒさまをエルたちの背の上に乗せてフィーネさまを攫って貰うべきなのか。でも人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえと格言があるように、フィーネさまとエーリヒさまの恋路を邪魔するわけにもいかない。人間関係は難しいと一人で顔を顰めていると、真面目な表情で西の女神さまが私の顔を覗き込んでいる。
「ナイはフィーネみたいに泣かないね?」
「私は……残してきたものが少ないので」
前の世界に残してきたものが少ないということもあるけれど、貧民街で意識を覚醒して生きるか死ぬかの状況だったから、後ろを振り返る余裕なんてなかったという方が正解だろうか。
教会に保護されて、仲間も保護されるまでは本当にいっぱいいっぱいだった。ある意味大変だったけれど、前に進むしかなかったからその部分に関しては感謝している。本当は生きているはずの元の身体の持ち主には申し訳ないけれど……。テラさまの情報に寄れば、魂が抜けた身体に私たちの魂が入り込んだようだからなんとも言えない。
「元の世界より今の世界の方が大事なものが沢山あります」
私がそう口にして部屋の隅で待機しているジークとリンに視線を向けると、そっくり兄妹も小さく頷いてくれる。そんな私たちに西の女神さまと南の女神さまが小さく笑った。
「仲が良いね」
「本当にな。そのうち、くっついちまうんじゃねえか?」
くつくつ笑う二柱さまに、ひっつくと大変だから勘弁してくださいと笑い、そろそろフィーネさまとエーリヒさまを迎えに行って別館に遊びに行こうとなるのだった。