魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~   作:行雲流水

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0588:緊張の時。

 ――三日後。

 

 道すがら、各領地のご領主さまにお呼ばれして無難に対応しながら、リヒター侯爵領領主邸まで辿り着いた。道中は問題なく対応できていたはず。正体を隠しているヴァルトルーデさまと南の女神さまに領主の方が驚いていたり、街や村の人たちも気圧されていたけれど女神さまだとは気付いていない様子であった。

 通信網が発展していないお陰か、女神さまの容姿は下位貴族の方や一般の皆さまには知れ渡っていないようだ。女神さまのご尊顔が露見するのは時間の問題だろうけれど、今暫くは圧の強い凄く美人な女性と小柄で可愛らしい女性で通りそうである。

 

 「ハイゼンベルグ公爵領に赴いた時より短い時間ですけれど、慣れないと馬車はお尻が痛いですね」

 

 私は馬車の中でソフィーアさまとセレスティアさまに言葉を向ける。ヴァルトルーデさまと南の女神さまは車窓から流れる景色に意識を取られていた。

 侯爵領というだけあって街の規模が大きいし、大きな商家も点在しているようである。アストライアー侯爵領は小麦の生産が主であるためか、リヒター侯爵領よりも街の規模が小さいので、視察でいろいろと学べる所があると良いのだが。一先ず、ようやく二泊三日の旅に終止符が打てると、私は苦笑いを浮かべた。

 

 「長距離を転移でき、かつ多い人数となると術を扱える魔術師がかなり限られてくるからな」

 

 ソフィーアさまが至極真面目な顔で告げた。転移を扱える魔術師はいるけれど、長距離や大人数と荷物を大量に一緒に移動できる魔術師の方はかなり限られる。

 

 「お師匠さまでも王都からヴァイセンベルク辺境伯領ほどの距離を十名が限界と仰っていましたもの。ナイが転移魔術を十全に使いこなせるようになれば、問題解決しそうですわ」

 

 セレスティアさまは転移を扱える魔術師の方で一番優れている方を口にした。確かに副団長さまでも十名程度が限界ならば、他に距離や人数を稼げる方は少なそうである。

 確かに私が転移をきちんと覚えれば良い話ではあるが、どうにも視界で見える範囲にしか移動できない。誰かと一緒に転移することも考えてみたけれど、転移し終わったあと相手の方がひき肉になっても困るので試していない。

 

 『ロゼの仕事! 取らないで!』

 

 ロゼさんが馬車の床でセレスティアさまに反発した。私にはロゼさんがいるので転移に関して困ることはないし、飛竜便も使うことができるので移動に関しては困っていないのが現状だろう。

 ぷっくりとスライムさんボディーを膨らませて、怒っていますとアピールしているロゼさんを私はひょいと抱き上げて膝の上に置いた。またスライムさんボディーをぽよんと揺らしたロゼさんが声を上げる。

 

 『ロゼ、この場所、覚えた!』

 

 どうやらロゼさんはリヒター侯爵領の位置を把握できたようである。なにか特産品や珍しい品があれば買い付けに気軽にいけるようになるが、私がリヒター侯爵閣下に黙って赴いたとなれば少々問題が起こる。

 お貴族さま界隈だと面子やらしきたりやらで、隠密活動をしていたと露見するといろいろ面倒になる。手紙を出して『領都でお買い物しますね』と伝えても、晩餐会や昼食会に誘われてしまう。まあ露見してあとから文句を言われるよりは、お付き合いとしてお誘いを受けた方が良いのだろう。美味しい料理が食べられると割り切れば悪い話ではないはずだ。機嫌が直ったロゼさんのつるつるボディーを私が撫でていると、セレスティアさまがふうと息を吐く。

 

 「確かに頼りになりますが、ロゼはナイの命がなければ動いてくれませんもの」

 

 セレスティアさまにロゼさんが当然だと言いたげにスライムさんボディーを膨らませた。確かにロゼさんは私の言うことにしか従わず、あとは気の向くまま副団長さまの所で魔術を習ったり、ヴァナルのお腹の所でゆっくりしていたりと気ままに過ごしている。

 

 もしかしてセレスティアさまはロゼさんに転移をお願いできるなら、辺境伯領にもっと足繁く戻ることができると考えたのだろうか。確かに転移をできる魔術師の方を雇うのはお金が掛かるし、ヴァイセンベルク辺境伯家お抱えの転移魔術師も希望の日にお願いできるとは限らないはず。

 セレスティアさまの言葉にソフィーアさまが『言いたい放題だな』と呆れて小さく息を吐いていると、馬車がカタンと小さく揺れる。どうやらリヒター侯爵領領都の領主邸にある馬車回りに辿り着いたようだ。

 

 窓の外を見てみると、玄関先にはリヒター侯爵さまとリヒター夫人にご家族の方、そしてロザリンデさまとアリアさまが出迎えてくれている。私が降りようと皆さまに声を掛けると、確りと頷いてくれるのだった。

 

 ◇

 

 ――凄いことになったものだ。

 

 アストライアー侯爵と縁を繋げたのは私の娘、ロザリンデのお陰である。だがアストライアー侯爵にとって我が娘ロザリンデの印象は最悪だったのではなかろうか。

 

 約三年前、ヴァイセンベルク辺境伯家が王家に出した嘆願により、大規模討伐編成が組まれて魔物の異常発生の原因を突き止めるべく、当時平民であったアストライアー侯爵とロザリンデは聖女として遠征に参加した。

 そこで失態を犯したロザリンデの態度は褒められたものではない。軍と騎士団に迷惑を掛けてしまったことは私がいろいろと取り計らい大事にはならなかった。

 

 それにロザリンデは遠征で失敗したことを確りと反省したようで、あの気の強かった娘が随分としおらしくなったことには驚いたものだ。我が妻も娘の変りように驚いていたが、本人から根気よく話を聞き出せば、どうやらリヒター侯爵家の一員として気を張っていたようである。

 ロザリンデの外見は気の強そうな顔付きなのだが、内面は真面目な性格だった。それ故にリヒター侯爵家の娘として恥ずかしくないようにと無理に振舞っていたようである。振舞い方を間違えていた気もするが、終わったことを掘り返しても意味がない。

 

 今回の西の女神さまご訪問の話をロザリンデから聞いた時は胃がきゅっと締まったが、貴族として悪い話ではない。むしろ元手がないまま、リヒター侯爵家の名をアルバトロス王国どころか西大陸に馳せることになるのではなかろうか。

 失礼があってはいけないと各方面に細かなことを指示していれば時間が過ぎており、西の女神さまと南の女神さまとアストライアー侯爵を待たせた形となってしまった。不徳の致すところだが、視察でどうにか挽回したいものである。

 

 「アストライアー侯爵閣下ご一行が領都の大門を抜けたそうです!」

 

 執務室で西の女神さま方の到着をまだか、まだかと待っていれば、我が家の騎士が報告にきた。ビシッと敬礼をしているものの緊張しているようで普段の動作より硬い。私は彼にご苦労と告げ、家宰には皆を玄関前に呼べと頼む。

 私は椅子からゆっくりと立ち上がり執務室の扉を目指して歩くのだが、いつもより遠く感じてしまうのは何故だろう。

 

 ――緊張している。

 

 緊張するのは当然だ。なにせ大陸を司る西の女神さまと南の女神さまと直接話を交わすことができるのだから。ロザリンデとアリア嬢から話を聞いたところ、西の女神さまは腰が抜けそうなくらい美人であり、耳が蕩けてしまうほどの美声の持ち主で肌も白く手足も長いお方とのこと。

 南の女神さまは小柄であるが黒髪黒目故にアストライアー侯爵に似ていると教えて貰っている。果たして私は腰を抜かさず対応できるのだろうか。みっともない所は高位貴族の当主として見せられないが、娘たちの話を聞いていると驚かずにいられる自信はあまりない。いつもより重いドアノブを握り込み執務室の外に出れば、ロザリンデと女神さまの案内を務めたことがあるアリア嬢が一緒に並んでいる。

 

 「ロザリンデ、アリア嬢、どうしたね? 早く玄関に出て女神さま方とアストライアー侯爵を迎え入れよう」

 

 私はいつも通りの鉄面皮を張り付けて務めて平静を装った。幼い頃からリヒター侯爵家の当主を務めるべく教育を受けてきたのだから、娘たちの前で平気な顔を装うのは赤子の手を捻るより簡単なものである。ロザリンデは少々心配そうな顔を浮かべ、アリア嬢はにこにこと笑みを浮かべ彼女の性格をそのまま表していた。

 

 「はい、参りましょう。ご緊張なされているか心配でしたが、流石お父さまですわ」

 

 「私の父はずっと緊張しっぱなしでしたので、侯爵家の方は違いますね! 流石です!」

 

 若い娘たちに褒められれば悪い気はしないのだが、少し先のことを考えると今の平静さが保てるのかと私は心配になってくる。大丈夫だと私は自分に言い聞かせ、歩を進めればロザリンデとアリア嬢が私の後ろをついてくる。その途中で妻と継嗣である長男が姿を現したのだが、難しい顔をありありと浮かべていた。

 

 「緊張しますわ」

 

 「母上、私もです……」

 

 妻と長男の心配そうな声を聞きいていると、アリア嬢が『大丈夫ですよ! アストライアー侯爵閣下も一緒ですから!』と二人に語り掛けている。良い子であるが、肝が据わり過ぎてやしないだろうか。

 とはいえロザリンデもミナーヴァ子爵邸で女神さま方と話す機会があったようで、我々よりも緊張していないように見える。

 

 玄関ホールに辿り着けば、リヒター侯爵領領主邸で働く者たちと主要な関係者が全員集まっている。私が家宰に頷けば、彼は皆に頷いた。

 皆、一様に緊張している。女神さまと顔合わせすることが信じられないと申していた者もいるそうだ。私も信じられないが、ロザリンデから話を聞いているし、国王陛下とも女神さまはお会いしている。ハイゼンベルグ公爵とヴァイセンベルク辺境伯も顔合わせをしているので嘘ではなく事実であるが、やはり実際に目にするまで信じ辛いようであった。

 

 「中で迎え入れるのは失礼にあたる。皆、外に出るぞ」

 

 私がそう告げて玄関の扉を開き外へと出る。そうして馬車回りの直ぐ側にある屋根の下で待機していた。いつもであれば侍女や下働きの者たちの声が耳に届くのだが、今日は一切聞こえてこない。

 静まり返ったリヒター侯爵領主邸の前で鳥の囀りだけが響いている。そうして暫く待っていれば、アストライアー侯爵家の家紋を掲げた立派な馬車が見えてきた。ごくりと息を呑んだ音が聞こえたが、一体誰のものだろうか。馬車の後ろには天馬とグリフォンが控えており、警備の者の数も尋常ではない。凄い方を招いてしまったと、口が引き攣りそうになるのを私は我慢する。

 

 ゆっくりと静かに停まった馬車の扉を赤毛の騎士が丁寧に開けた。最初にヴァイセンベルク辺境伯令嬢が馬車から降り、ハイゼンベルグ公爵令嬢――正しくは孫娘――が降りた。

 そしてアストライアー侯爵が赤毛の男騎士のエスコートを受けながら、足元に注意を払いながら降りる。そうして彼女はくるりと馬車へと向き直り、黒髪黒目の小柄なお方の手を取ってエスコートをしている。

 

 女性が、それも侯爵家当主が誰かのエスコートを担うなんて信じられないが、お相手は女神さまである。女神さまの身体に触れることを許されているとは……と信じられない光景を目に焼き付けていると『ありがとな』と少し軽い物言いであるが、綺麗な声が私の耳に届く。

 今の声が南の女神さまのものかと感心していると、次に降りてきた方の手もアストライアー侯爵が取っていた。

 

 「…………」

 

 西の女神さまのお姿を認めれば、時間が止まっていた。アストライアー侯爵がエスコートを担いながら、無表情であるがとんでもない雰囲気を携えた西の女神さまが馬車のステップを降りたのだ。

 なんという美しさだ、というのが初めてお姿を拝見した私の感想だった。もっと表現の仕方があるのだろうが言葉にならない美しさに、ただただ女神さまの一挙手一投足を見逃さないようにと目に焼き付ける。

 

 「ナイ、ありがとう」

 

 「いえ、お気になさらず」

 

 西の女神さまの声が南の女神さまに続いて聞こえてきた。本当に声までこの世の物とは思えない音で、どんな高級な楽器でも奏でられない音である。私が女神さま方から目が離せずにいると、背後から気配を感じた。

 

 「お、お父さま!」

 

 ロザリンデが声を掛けてくれて、はっと正気に戻る。そうだリヒター侯爵家当主として二柱さまとアストライアー侯爵と挨拶を交わさねばと一歩前に踏み出そうとするのだが……足が出ない。頼むから動いてくれと願えば、どうにか最初の一歩を踏み出せた。あとは勢いで数歩進み、女神さま方とアストライアー侯爵と対面する。

 

 「リヒター侯爵閣下、視察の話を受け入れてくださり感謝いたします」

 

 最初に声を上げたのはアストライアー侯爵だった。本来であれば私から遠路はるばるご苦労だったと申し出るべきだが、彼女に気を使わせてしまった。ただ話す切っ掛けを貰えたことは有難い。

 もしかして彼女は私のことを慮ってくれているから、先に声を掛けてくれたのだろうか。まだ十代の少女だというのに本当に確りしていると目を細めて、私は口を開いた。

 

 「娘のロザリンデからアストライアー侯爵閣下直筆の手紙を受け取った際は驚きましたが、名誉なことです。女神さま方に満足して頂けるかは分かりませんが、精一杯、案内役を務めさせて頂きます」

 

 そうして私はアストライアー侯爵と西の女神さまと南の女神さまに頭を下げた。アストライアー侯爵は西の女神さまと南の女神さまへと顔を向ける。

 

 「無理を言ってごめん。でも楽しみ。二日間、よろしくね」

 

 「あたしはオマケだから、気を張らなくて良い。よろしくな」

 

 西の女神さまが我々を気遣いながら言葉を掛けてくれることに、至上の喜びを感じてしまった。神さまなのだから命令を下されるのかと思いきや、一個人としてきちんと見てくれているようだ。南の女神さまはオマケだと言っているが、付属として扱える方ではない。とはいえ、彼女も彼女なりに我々を慮ってくれているのだろう。

 

 緊張が消えることはないが……少しだけ気が楽になったとリヒター侯爵家の面々にも視線を向ける。まだまだ彼らも緊張しているのだが、これから二日間、無事に乗り切れるのだろうかと空を仰ぐのだった。

 

 ◇

 

 わたくし、ロザリンデ・リヒターの実家であるリヒター侯爵領の特産品は工業製品です。たとえば懐中時計に魔力を動力としたランタンや冷蔵庫や冷凍庫なども作っております。もちろん工業製品だけでは領地運営はままならないので他の産業も執り行っておりますが、リヒター侯爵領の特産品はなにかと問われれば、胸を張って答えるでしょう。

 

 特産品となるように尽力した歴代のご当主さま方には頭があがりません。幸運なこと――幸運というより豪運のような気もしますが――に西の女神さまがリヒター侯爵領にも興味をお持ちになり、今、領都にある職人の工房を見学されておられます。南の女神さまも一緒ですし、二柱さまの隣にはアストライアー侯爵家当主であるナイさまもご一緒で、二柱さまと一人が懐中時計を仕上げている職人の手元を凝視しているのです。

 

 ルーペを身に着けて細かい作業をしている職人の方は緊張からか微かに手が震えておりますが、二柱さまと一人には気付かれないように努めておりました。他にも私の父であるリヒター侯爵と夫人も同席しているので、職人の気持ちを考えれば逃げ出してもおかしくはないでしょう。

 きっと職人として恥ずべき姿は見せられないと心構えができている剛の者です。このあと特別に仕立てておいた懐中時計をお渡しする予定のため、素晴らしい職人が作る懐中時計は西の女神さまと南の女神さまに気に入って頂けると良いのですが。

 

 「凄いね」

 

 「こんな細けえこと、良くやるなあ」

 

 ヴァルトルーデさまとジルケさま――女神さまと呼ばれるより、ナイさまから頂いた仮名で呼んでくれと二柱さまに請われた――が顔を見合わせて、感心した顔を浮かべております。

 女神さま方から褒められることなどないでしょうし、職人も父もさぞ嬉しいことでしょう。しかしジルケさまの言葉尻から、細かい作業が苦手なのでしょう。確かにミナーヴァ子爵邸で過ごされているジルケさまは少々雑な所があるので、なんとなく職人の細かな作業に感心していることに納得ができます。

 

 「職人さんですよねえ」

 

 ナイさまがヴァルトルーデさまとジルケさまの隣でぽつりと声を零されました。ナイさまもアリアさんも女神さま方と普通に会話を繰り広げております。

 アリアさまは女神さまだと敬意を払いながら語っているのですが、ナイさまは女神さま方を慮っているものの、予定が付かない時は無理だとはっきりと仰っていますので本当に凄いお方です。わたくしであれば女神さまからお願いを受ければ、どんな大事な予定もかなぐり捨てて女神さまのお願いを受け入れるものですが。

 

 二柱さまとナイさまの後ろ姿を眺めていると、父が半歩前に出ました。いつも通りの雰囲気ですので、父も女神さまに対してあまり緊張していないようで本当に頼もしい限りです。

 

 「職人が作業をするところを女神さま方に見て頂いても良いのか迷っておりましたが、喜ばれておられるなら我々も案内した甲斐があります」

 

 父は時計職人の作業を見学することに女性が面白いと感じてくれるのか、最後まで懐疑に思っていたようです。一応、母とわたくしが大丈夫だと伝えておいたのですが、確かに全く興味を示さない貴族令嬢の方が多いのかもしれません。

 ですが、案内をする方は女神さまです。いろいろなことに興味を持ち、分からないことがあれば側にいる方に問いかけて、疑問を解消している方なのです。なのでわたくしは時計工場の見学は良いことだと考えておりましたし、母も宝石や貴金属にしか興味を示さないのは極一部と言って父を説得しておりました。少し自慢気な父の顔に最後まで迷っていたのに……と言いたくなりますが、ここはぐっとこらえましょう。

 

 女神さま方もナイさまも作業見学を楽しんでおられるのです。無粋なことや余計なことはしない方が良いと学んだのですから。

 

 「面白いところが見れた。ありがとう」

 

 「まあ、こういう所に入る機会はねーからなあ」

 

 ヴァルトルーデさまとジルケさまが父に感謝を告げ、父は父で丁寧な礼を執っておりました。父が最敬礼を執るのは本当に珍しいことなので少々新鮮です。気を良くしたのか父はもう一度口を開きます。

 

 「気に入って頂けたなら、お一つ如何でしょうか?」

 

 父がにこりと笑みを作り女神さま方に懐中時計が並ぶ棚に視線と身体を向けました。

 

 「タダで貰うのは駄目」

 

 「細けえ作業しながら苦労して作ってるのに、あたしらがホイホイ貰うのはなあ……」

 

 ヴァルトルーデさまが目を細め、ジルケさまが職人を見ながら苦笑いを浮かべました。父は女神さまが受け取ってくれなかったことにショックを受けているものの、わたくしとしては嬉しいことでした。

 タダで受け取るのは駄目ならば、お金を出して買うべきということなのでしょう。ヴァルトルーデさまもジルケさまも、職人が作った品を認めてくださっているのではないかと愚考します。

 

 「ナイ。一つ買って良い? お金はあとでどうにかする」

 

 「あ、ならあたしも欲しい。時間が分かるなら飯だって呼ばれなくて済むからな」

 

 ヴァルトルーデさまがナイさまの服の袖を引っ張り、ジルケさまが片眉を上げながらナイさまへと問います。二柱さまは律儀な方のようで、お金の支払いを工面すると仰っておりますが、街に出て働くのでしょうか。

 それとも身に着けている品を売り払えば好事家が天文学的な値段で買い取ってくれそうですが……ヴァルトルーデさまとジルケさまはお金をどう工面するのでしょうか。

 

 「大丈夫ですよ。手持ちはあるので」

 

 ナイさまが少々考えながら問うた二柱さまに告げました。もしかして手持ちのお金が足りるかどうか心配をなさっているのでしょうか。ナイさまであれば身元がはっきりとしているので代金の請求先が分かります。

 無用な心配なのですが、この辺りは成り上がりで貴族位をアルバトロス王から賜り、陞爵していった弊害なのでしょう。貴族令嬢の買い付けも『家に請求してくださいませ』という言葉で済ませられますが、ナイさまは現金一括払いを旨としているようです。

 

 「選んで良い?」

 

 「あたしも」

 

 二柱さまは父に確認を取りました。

 

 「ええ、どれでもお好きな品をお持ちください」

 

 ほっとした様子の父は機嫌良く、商品棚の方へとヴァルトルーデさまとジルケさまを案内します。ナイさまも女神さま方の後ろを歩けば、ジークフリードさんとジークリンデさんが一緒に付いていきました。

 二人は護衛なのでナイさまに付いて行くのは当然ですが、あまりの自然な行動に感心してしまいます。今はジークフリードさんもジークリンデさんも厳しい顔をしておりますが、子爵邸のプライベートな時間でナイさまが側にいると凄く穏やかな顔をしておりました。

 

 ジークフリードさんはナイさまに気があるようです。でもナイさまは彼の好意に全く気付いておりません。アリアさんと一緒にやきもきしながらお二人の進展を願っているのですが、アルバトロス王国やハイゼンベルグ公爵家とヴァイセンベルク辺境伯家から婿入りを打診されれば、ナイさまは受けてしまうのか心配です。

 

 しかし女神さま方とグイーさまも亜人連合国の方もナイさまに無理矢理添い遂げさせようとすれば、烈火の如く抗議しそうです。わたくしにも容易に分かってしまうのですから、ナイさまの後ろ盾である彼らが無茶をやるとは思えません。それならばジークフリードさんとくっ付けてしまった方が早いと考えるのが自然なような気がしますし……なににせよ、わたくしが口を挟んで良いことではないので、そっと後ろから見守るのみ。

 

 「いろいろとあるんだね」

 

 「装飾を凄え凝ってるのもあるな」

 

 「装飾が良いものは貴族や豪商の者が買っておりますな。女性用として一回り小さいサイズもご用意しております」

 

 ヴァルトルーデさまとジルケさまの声に父が反応しました。にこりと笑っているので商売人を見ているようです。ナイさまは父が案内した高級品――時計自体、高級品ですが――の棚から離れていき、少し手に入れやすい値段の棚を興味深そうに見上げています。

 そんなナイさまに気付いたヴァルトルーデさまとジルケさまが、彼女の隣に並んで棚を覗き込んでおります。二柱さまと一人のはずなのに、並ぶ姿を見ているとまるで姉妹のようです。外見は身長が勝っているヴァルトルーデさまが姉ですが、ジルケさまとナイさまの方が確りとしておられるのです。

 

 「ナイ。気に入ったのあった?」

 

 「こっちの方が飾りも少ねえな。シンプルで良いじゃん」

 

 二柱さまが棚を見上げているナイさまの顔を覗き込みます。ナイさまはかなりシンプルな懐中時計に視線を向けたまま口を開きました。

 

 「気に入ったというか、ふと……子爵邸で働いている方々に贈るのもアリかなあと」

 

 ナイさまがいつもお世話になっているのでと言葉を付け加えました。ナイさま……子爵邸で働いている皆さまは現状でも十分に満足なされているかと。夏と冬に特別給金が出たり、休んでも欠勤にならないという信じられない制度があったり、託児所があったり、裏庭で採れた野菜を持って帰っても良いとあったり、子爵邸の料理人の皆さまにお願いすればお弁当を持ち帰ることもできたりと、本当に子爵邸で働く方々に対しての制度が充実しているのですが。わたくしも子爵邸で働く侍女の方から話を聞いて、父にどうでしょうかと提案したものの受け入れがたい代物のようでした。

 

 「ソフィーアさま、セレスティアさま、どう考えますか?」

 

 ナイさまはソフィーアさんとセレスティアさんを頼りにしているようで、側仕えである二人に声を掛けます。ヴァルトルーデさまとジルケさまも『できるかな?』『どうだろうな』と顔を見合わせておりました。

 

 「ナイがやりたいなら構わない。ただ高級な物は贈るなよ」

 

 「ですわね。どうしてもというのであれば、長年務め上げた者や功績を挙げた者に限定するなどでしょうか」

 

 ソフィーアさんとセレスティアさんの声に父が目の色を輝かせ、商売の話が舞い込んでくるかもしれないと期待しているようでした。ナイさまはお二人の言葉を聞いてなにやら考え込んでいるようです。ナイさまの後ろに控えているジークフリードさんとジークリンデさんが真面目な顔から心配そうな顔へと変わり、ヴァルトルーデさまとジルケさまもナイさまの顔を見ながら首を傾げております。

 

 「あ。外のケースをドワーフさんに作って貰えば……」

 

 ナイさまが良いこと閃いたと言いたげな顔で問題発言をなさいます。ソフィーアさんが顔を引き攣らせ、セレスティアさまがウキウキの顔を浮かべましたが直ぐに普段の顔色に戻りました。

 

 「そうなれば、超高級品になるぞ」

 

 「ナイ。そろそろドワーフの方々が鍛えた品はもの凄く価値のある物だと認識してくださいませ。ケースを竜のお方の鱗で鍛えて貰えば、安く上がるなんて考えておりませんでしょうね? ……わたくしは凄く嬉しいですけれど」

 

 ソフィーアさんとセレスティアさんの仰る通りです。中の機械は我々侯爵領の職人たちが作った物でも、外のケースがドワーフの方々が鍛えたとなれば凄く価値があるものに跳ね上がります。ナイさまは何故かドワーフの方が鍛えた品やエルフの方々が編んだ反物に対して、我々とは違う価値観を持っているようです。

 

 一先ず、女神さま方が欲しい懐中時計を選ぼうとなり、ナイさまの話は王都に戻ってから話を詰めることになりました……わたくしは暫くの間、父との手紙のやり取りで忙しくなりそうです。

 

 「私はこれ」

 

 「あたしはこれだ」

 

 ヴァルトルーデさまとジルケさまがお決めになった懐中時計は、高級品の並ぶ棚からではなくナイさまが見上げていた手に入れやすい値段――平民の方にとっては高級品――から選んでくださいました。

 二柱さまともケースはシンプルな物で彫刻もなにもない凄くあっさりとしたデザインの物で、大きさや留め具の形が少しばかり違います。二柱さまはシンプルな物を好むのだなと目を細めていれば、父は『そんな品で大丈夫か』と青い顔を浮かべているのでした。

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