魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
――リヒター侯爵領から王都の子爵邸へと戻っている。
リヒター侯爵領の視察はトラブルなく終了した。少し残念だったことはエル一家とジャドさん一家が同族を探してくると領内を見学させて――事前に領地の皆さまには知らせている――頂いていたのだが、結局見つからなかったことくらいだろうか。
ルカとジアのお嫁さんとお婿さんを見つけたいし、グリフォンさんも生息数が少ないので見つけられれば良かったけれど物事は簡単に進まなかった。エルたちとジャドさんたちは残念だと呟いていたものの、アストライアー侯爵家の家紋を掲げていれば領地内の方々に好意的に受け入れられたので人間と交流できたことは良かったらしい。
基本、天馬さまたちは温和だし、グリフォンさんも個体によるが探せば懐っこい雌もいるだろうとのこと。機会を設けて大陸中を探してみるのも良いかもしれないし、冒険者ギルドに天馬さまとグリフォンさんの情報求むと依頼を出しても良さそうである。
冒険者ギルドに依頼を出すのは直ぐに出来ることなので、副団長さま経由でお願いしてみようとなった。アルバトロス王国の冒険者ギルドの営業所は一店舗だけだったし、銀髪くんのやらかしによって辺鄙な場所に移転している。少々不便ではあるが、王都にあっても利用者は少ないので致し方ない処置である。
リヒター侯爵領の特産品は意外なことに工業製品だった。とはいえ魔法や魔術が存在している世界なので、魔力を動力源とした製品を作っているのは面白かったけれど。
魔術師の方に動力を作って頂き、残りは職人さんが鍛え上げるそうだ。けれど見学させて頂いた懐中時計店は魔力に頼らない、全て機械仕掛けの品である。職人さんが凄く細かいネジや歯車をピンセットで丁寧に組み合わせており、息をするのも憚られるような作業だった。魔力も凄いけれど、人間が考えた動力を見るのは楽しかった。一緒に見学していたヴァルトルーデさまと南の女神さまも面白かったようで、懐中時計に興味を持ったようである。
カラッとした寒空が広がっている子爵邸で、私がお昼前に執務を終えて私室に戻ればヴァルトルーデさまと南の女神さまが堂々とくつろいでいた。侍女の方によれば、二柱さまは少し前に図書室とサンルームから戻ってきたとのこと。
一緒に部屋に戻ってきたジークとリンの顔を私が見上げれば、そっくり兄妹は少し今の状況が飲み込めていないようだ。確かに女神さま方が私の部屋に勝手に入っているのは珍しい。どうしたのかと一先ず扉の前から部屋の中へと足を進めれば、ヴァルトルーデさまが『おつかれさま』と言い、南の女神さまが『よお』と軽い調子で声を上げた。
「何故、私の部屋に?」
私は二柱さまの側に立ちストレートに疑問を投げてみた。ヴァルトルーデさまはソファーに腰を下ろし、南の女神さまはソファーに寝転がってくつろいでいた。ジークとリンは私たちの邪魔をしてはいけないと見守りに徹するようで、クロとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんはこてんと首を傾げている。
「そろそろお昼だ」
「飯の時間が近いな」
ヴァルトルーデさまが声を上げながら私とジークとリンに座ろうとソファーを指を指し、南の女神さまが身体を起こして私に向き直る。
「それは理解していますよ。でも何故、ヴァルトルーデさまと南の女神さまは私の部屋に?」
私は再度同じ疑問を投げながらソファーに腰を下ろし、ジークとリンは二柱さまに失礼にならないようにと静かに腰を下ろす。リンが私の隣に腰かけたのだが、距離がいつもより近いような気がする。時折あることなので特に問題はないだろうと私は女神さまとの会話を続ける。
「んと、それぞれ呼びに行くのは非効率」
「コレのお陰で時間が分かるようになったからな。一緒にいた方が手間がねえだろ」
ヴァルトルーデさまがドヤ顔になり、南の女神さまがリヒター侯爵領のお店で買った懐中時計を前に差し出す。鎖が付いているので、振り子のように懐中時計が揺れていた。
二柱さまが選んだ懐中時計は貴族が好んで買っている高級路線ではなく、お金持ちの方が買える価格帯のものだった。それ故か随分とシンプルな品で、外装はロゼさんボディーのようにつるつるの物である。お貴族さま向けとなれば外装は凄く凝ったものになり、凄く細かな彫刻や宝石が飾られていたり、家紋が彫られることもあるのだとか。
「確かに私たちが一ヶ所に集まっていた方が侍女の方々は楽でしょうけれど……」
私はソレで良いのかと妙な顔になる。ジークとリンも微妙な雰囲気を携えているので、女神さま方が私の部屋にいるのが不思議なようだ。ミナーヴァ子爵邸のご飯のタイミングは決まった時間となっている。
その方が料理人の方々の手を取らせないし、私もその方が行動計画を立てやすい。もちろん例外の日もあるけれど、女神さま方が良いなら構わないかと私が苦笑いを浮かべればヴァルトルーデさまが『あ』と声を上げた。
「ナイ。懐中時計のお金、どうしよう?」
「気になさらなくても良いですよ」
ヴァルトルーデさまがこてんと首を傾げて少し困った顔になる。女神さまであれば金や金目の物を作り出せば良さそうだけれど……そうなると絶対に聖遺物に認定されてしまうし、クレイグの突っ込みが私に激しく入るのは目に見えていた。
なので私の答えは気にしなくて良いとなる。お店には私がお金を立て替えておいたので、お金の話はヴァルトルーデさまと私の問題となる。南の女神さまも払ってくれると言っていたものの、どうするつもりなのだろうか。
「お金払うって言ったから、きちんとナイに返さないと」
「でもよ、姉御。あたしらが金を稼ぐのはできねえだろ」
少し困り顔になったヴァルトルーデさまに南の女神さまが事実を言った。できなくはないが、女神さま方が働きに出れば大騒ぎになるのは確実である。
「働けない?」
「大騒ぎになるな」
ヴァルトルーデさまが更に困り顔になり、南の女神さまは微妙な雰囲気を携えてはあと息を吐いた。南の女神さまはヴァルトルーデさまと彼女が働きに出れば、大騒ぎになると理解しているようだ。これで諦めてくれるだろうと南の女神さまに私は心の中で感謝を捧げていれば、ヴァルトルーデさまが口を開いた。
「母さんみたいに正体を隠せば……」
「母上殿は力を完璧に制御して神だって分からないようにしているからな。西の姉御の力の制御はマシになったとはいえ、まだ漏れてるんだし」
どうやらヴァルトルーデさまは諦めていないようだが、力の制御がまだ甘いことを自覚しているようである。真面目な女神さまだなあと目を細めて、なにか子爵邸で働けるようなことはないだろうかと考えてみる。
ジークとリンが私が悩み始めたことを察知しているようだし、クロも『どうしたんだろ』みたいな顔を浮かべて私の顔を覗き込んでいた。侍女の仕事は専門学校を出るか、縁故採用が主だし、そもそも女神さまが誰かに仕えるというのは不味い気がする。
掃除とかお願いできるけれど、下働きの方々が女神さまに教えることになるので腰を抜かしそうだ。料理は女神さま方は食べる専門と豪語しているので作る気はないはず。
託児所の子供の面倒をお願いしてみようかなと浮かんだものの、サフィールが凄く困り顔になっている姿が目に浮かぶし、親御さんたちが凄く恐縮しそうである。庭師の小父さまのお手伝いとも考えたけれど、弟子の方を採用しようと家宰さまと相談中なので勝手はしない方が良い。
「ヴァルトルーデさまはなにかやりたいことはありますか?」
私は頭の中で考えていても仕方ないと、働きたいと言い出した女神さまに問いかけた。なにか得意なことがあれば、関係する仕事を紹介できるかもしれない。
「やりたいこと……大陸を見て回りたいと考えているけれど、他にあまり考えたことない」
「姉御はやらせりゃなんでもできるはずだぞ。できないのは飯を作ることくらいじゃないか?」
むーと難しい顔になるヴァルトルーデさまに南の女神さまが肩を竦めた。南の女神さまの物言いは割と酷い気がするが、ヴァルトルーデさまは気にした様子はない。割と仲が良いなと感心していると、侍女の方がお昼ご飯の用意ができたと呼びにきてくれた。
「ご飯」
「難しいことを考え続けても疲れるだけだ。とりあえず飯にしようぜ」
ヴァルトルーデさまと南の女神さまがソファーから立ち上がって、食堂を目指そうと部屋の扉を見つめていた。先程までヴァルトルーデさまは仕事について悩んでいたのに、ご飯の声掛けでどこかに吹き飛んでしまったようである。
私もお腹が空いたし、子爵邸の料理人さんたちが作る食事は楽しみなので文句はない。私もソファーから立ち上がってジークとリンに食堂に行こうと視線で問いかける。
「ああ」
「うん」
ジークとリンも席から立ち上がるのだが、こう身長の違いが如実に出る面子が集まっているなと少々気落ちしてしまった。南の女神さまもヴァルトルーデさまとジークとリンの頭の天辺を見ているようで、自身の身長の低さを嘆いているようだ。
「そういえば、ジークフリードとジークリンデはナイと私たちが話をしていると黙っていることが多い」
「そういや、そうだな。あまり喋る口じゃあなさそうだが会話に入って良いんだぜ。あたしたちに気を使うな」
ヴァルトルーデさまがそっくり兄妹の顔を覗き込みながら顔を小さく傾げている。南の女神さまも彼女の言葉で気付いたようで、もっと普通の態度で構わないと注文を付けた。ジークとリンは二人で顔を見合わせてから二柱さまに向き直る。
「お気遣いありがとうございます」
「ありがとうございます」
丁寧な礼を執った二人に二柱さまは苦笑いを浮かべていた。とりあえずヴァルトルーデさまと南の女神さまは屋敷の方たちと馴染もうと、こうして努力をしてくれている。一緒に日々を送るなら有難い気遣いだ。
二柱さまからの注文はジークとリンにとって少々難しいかもしれないが、いつか普通に語っている日がくれば面白いことになりそうだと私は笑う。クロも良いことだと歓迎してくれているようで、私の背中を尻尾でぺしぺしと叩いている。
「……そんなに丁寧に喋らなくて良い。ナイと話すみたいに私たちと話して」
「確かに。でも難しいなら徐々にで良いからな。あー……飯、一緒に食ってるクレイグとサフィールにも言っとかねえとな」
小さく笑うヴァルトルーデさまと南の女神さまは後ろ手で頭を掻いていた。
「そうだね。二人も私たちには敬語だから」
「な。というか、ナイ!」
うんうんと頷いているヴァルトルーデさまのあとに南の女神さまが私の方へ勢い良く顔を向けた。なにか用があったかと私は首を傾げると、南の女神さまが大きく口を開いた。
「なんで姉御は名前で呼んでいるのに、あたしは名前で呼んでくれねえんだ!!」
南の女神さまがきっと目を細めて私を少し見上げている。そういえば南の女神さまから名前で呼んで欲しいとはお願いされていないので、仮名が必要でない場面では『南の女神さま』と私は呼んでいる。
なにか問題でもあるのかと疑問に感じるが、南の女神さまも仮名で呼んで欲しいのだろうか。一先ず、南の女神さまと呼び続けている理由を伝えなければと私は口を開く。
「……望まれていなかったので」
「はあ!? なんだよソレ! 仮名をくれと言ったのはあたしたちだし、仮名をあたしに付けたのはナイだろう! 名前で呼ばれても文句なんて言わねえーよ!」
ぶわっとなにかブッパしている南の女神さま、もといジルケさまに目を細める。そんなに名前で呼んで欲しかったのかと疑問だが、請われたならば構わないだろう。
「承知しました。では次からジルケさまと」
「おう。間違えたらどうするか……呼び間違えたらナイの頭に手刀入れるかんな。ナイなら届く!」
ジルケさまがにやりと笑って私の頭の天辺を見ていた。確かに私の身長であればジルケさまの手は届くのだが、手刀は痛そうなので間違えないようにきちんと女神さま方の名を呼ぼうと心に決めるのだった。
――あ。お昼ご飯はとても美味しかったです。
◇
毛玉ちゃんたちを迎えに行くことになり、フソウに辿り着いた。いつものように大型竜のお方の背に乗って空の旅を楽しみながら、フソウのドエの都の外に降り立った。九条さまが出迎えてくれ、籠に乗り込みドエ城へと向かう。
ヴァルトルーデさまとジルケさまがまた一緒にきていたので、ナガノブさまを始めとした皆さまは恐縮しっぱなしだが、少し慣れてきたようで以前より肩の力が抜けているようだ。
二柱さまも彼らに溶け込もうとフソウについて質問を投げて教えて貰ってみたり、逆にフソウの方から問われたことに答えていた。やはり八百万の信仰は凄いなあと感心しながら、朝廷で過ごしているであろう毛玉ちゃんたちに会いに行く。
凄く広いお屋敷に入らせて頂けば、帝さまが庭の池で錦鯉に餌を与えていた。どうやら私たちを外で待ってくれていた――おそらく毛玉ちゃんたちは外から走ってくるので、出入りする手間を省くためだろう――ようで、彼女はにこりと笑って二柱さまとアストライアー侯爵家一行に向き直る。
「西の女神さま、南の女神さま、またフソウにきてくださり感謝いたします」
帝さまは女神さま二柱に先に声を掛けた。私より女神さま方の方が格上なので当然のことだから気にしない。ヴァルトルーデさまとジルケさまは少し困ったような顔になっているけれど、帝さまの言葉を無視できないのか口を開く。
「ナイについてきただけ。でもフソウにお邪魔するのは楽しい」
「悪いな。あたしたちを受け入れると手間が増えるだろ。でも、ナイと一緒にいると楽しいし、こっちも面白いからな」
ヴァルトルーデさまはフソウを気に入っているようだし、ジルケさまもフソウに訪れることを手間と感じていないようである。気に入らない国ならば『行かない』で終わる話なので、二柱さまがフソウを気に入ってくれてなによりである。
ジルケさま曰く、北の女神さまがご自身の管理地なのに顔が売れているのが二柱さまでショックを受けているとか。そんなことなので、時間が合えば私と一緒にフソウに赴くことになっている。
もう二柱さまが三柱さまになっても問題はないだろうと私は考えることを放棄しているし、フソウの皆さまであれば問題なく女神さま方を受け入れてくれるはず。
あと、フィーネさまとエーリヒさまも誘ってフソウ食を楽しもうの会を計画している。こちらはまだ二人に話していないけれど、家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまには相談済みで、フソウの許可と二人の許可を得られるなら構わないとのことだ。
ジークもエーリヒさまと会いたいだろうし、緑髪くんも暇なら一緒に誘えば良いだろう。フィーネさまもアリサさまとウルスラさまを誘っても大丈夫なはず。そうして、いろいろと交流が広がれば良いのだけれど。
二柱さまと帝さまが二言三言、他愛のない会話のキャッチボールを終えて私に向き直る。また帝さまが深い皺が寄る笑みを携えて口を開いた。
「よくきてくれました、ナイ。毎度、ナイにご足労を掛けてしまうのは申し訳ないですが、我々フソウは感謝しております」
「いえ。フソウの神獣さまをお預かりしている身です。私にできることがあるならば、出来得る限りのことを尽くしますのでお気になさらず」
帝さまの挨拶に私は返事をするのだが、本当に気にしないで欲しい。フソウに赴くたびにいろいろと食材を手に入れているし、納豆をフィーネさまに贈れば凄く喜ばれる。
エーリヒさまもフソウの食材を使って日本食の再現を試みてくれ、美味しいレシピができると私とフィーネさまに教えてくれるのだ。だから割とフソウで自由に買い付けできる環境を提供してくださっている帝さまとナガノブさまには感謝している。雪さんと夜さんと華さんに出会わなければ足繁くフソウに出向くことはできなかったし、本当に良い縁ができたものだ。
ふふふとお互いに笑っていると、毛玉ちゃんたち三頭――椿ちゃんと楓ちゃんと桜ちゃんが顔を出した。いつもであればびゅっと俊足を生かして私たちの側にくるけれど、お昼寝を先程までしていたようで、てててとゆっくり走ってきている。
彼女たちは人化をしていないので、権太くんは地元に戻っているのだろうか。松風と早風もどこかにいて、そのうちすっ飛んでくるのだろう。
てててとゆっくりと走ってきた毛玉ちゃんたち三頭は先にヴァナルと雪さんたちの下をクルクル回り、顔を身体に擦り付けて挨拶をしている。一緒にきている某辺境伯ご令嬢さまが『むはっ!』と妙な声を上げたものの直ぐに鳴りを潜めさせた。
はあと溜息を吐く某公爵令嬢さまも直ぐに背をピシっと伸ばす。そうして毛玉ちゃんたち三頭は女神さまの下へ行くのかと思いきや、私の方へと足を向ける。近づいてきた彼女たちに私は視線を合わせた。
「椿ちゃん、楓ちゃん、桜ちゃん、久しぶりだね」
私が毛玉ちゃんたち三頭に声を掛ければ、ばっふんばっふんと尻尾を凄く回転させながら『久しぶり!』『撫でて!』『遊んで!』と訴えているようだった。私はそれならばと彼女たちの頭や身体を撫でまわす。
気持ち良かったのかお股パッカーンを披露すれば、帝さまたちフソウの面々が『あらあら』と小さく笑っていた。そうして一通り撫でたことに満足したのか、毛玉ちゃんたち三頭は次に女神さまの下を目指した。毛玉ちゃんたちは相手が女神さまであろうと『撫でて!』『触って!』『遊んで!』と訴えているようである。嬉しそうなヴァルトルーデさまと苦笑いしているジルケさまが、毛玉ちゃんたちの要望に応えて頭に手を伸ばして撫でていた。
「もふもふだね」
「相変わらずだな」
ふふふと二柱さまが笑えば毛玉ちゃんたちは地面からごろんと起き上がって、今度はジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさまの側へと向かう。彼らには立場があると毛玉ちゃんたち三頭は理解しているようで、身体を足に擦り付けるという簡単な挨拶で済ませていた。
少し残念そうな方がいるけれど、戻ればいくらでも撫でまわせるはず。挨拶が終わって毛玉ちゃんたち三頭は満足したのか、ヴァナルと雪さんたちの間にちょこんと座った。
「松風と早風は?」
「彼らは権太を迎えに行くと出掛けて行きました。そろそろ戻ってくるはずですが」
私の疑問に帝さまが答えてくれ『そういえば遅いですねえ』と小さな声で口走った。確かに私たちがくれば松風と早風は疾風の如く駆けてきて、元気な姿を見せてくれているのに。少し遅いなと心配していれば、噂を擦れば影と言われるように少し遅い登場となるのだった。
「あれ……?」
「何故」
待っていた者の登場に喜んだのも束の間、直ぐに違和感に襲われて私と帝さまの口から言葉が漏れる。ヴァルトルーデさまとジルケさまも小さく首を傾げているし、同席しているナガノブさまと九条さまとフソウの面々とアストライアー侯爵家一行もおかしなことに気付いていた。
クロも違和感に気付いたようで、先程までゆらゆらと揺らしていた長い尻尾の動きを止めて、凄く向こうにいる影を見つめていた。
「松風だけですわね」
緑色のスカーフを巻きつけた松風の姿を見た帝さまが目を細めた。
「早風はどこに。怪我でもしているのでしょうか……」
帝さまの声に私が答えると、周囲の空気がガラッと変わる。毛玉ちゃんたち三頭が腰を上げ、他の面々も松風だけの登場に目を細めていた。とりあえず松風がこちらに凄い勢いできているのを待とうとなり、直ぐに松風が私たちの前でぎゅっと脚を止めて伏せをする。一体どうしたのだろうか。いつもなら松風には早風が一緒にいて、遅れて権太くんが『置いて行かんといて~!』と凄く後ろから追いかけてくるのに。
松風は伏せたまま尻尾も動かさずピューと鼻を鳴らしながら、私たちを上目遣いで見上げていた。なにか困ったことでもあったのかと私が彼の下に膝を突けば、ヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたち三頭と帝さまも一緒に側にきてくれた。ヴァルトルーデさまとジルケさまも少し圧が高くなっているが口出しする気はないようで、聞き手に回るようである。他の面々も同様だった。
「松風、どうしたの?」
私は松風に声を掛ける。彼の言葉は理解できないけれど、なにかあったことだけははっきりと伝わってくる。それにクロとヴァナルと雪さんたちが彼の言葉を通訳してくれるのでなにも問題はなく、話を進めることができる。
ぴーと鼻を鳴らす松風の脚は泥だらけになっているので、必死になってドエの街まで走ってきたことが窺い知れるし、もしかしたら彼がいた所では雨が降っているのかもしれない。しかしいつも松風と一緒に行動している早風は本当にどこにいるのだろうか。私の鳩尾辺りに熱が籠って魔力制御の指輪に皹が入る。それに気づいた私は、駄目だ落ち着こうと自身に言い聞かせる。
『主、ゴンタが大変』
ヴァナルが松風から話を聞き終えて私に声を掛けると、クロの瞳孔がきゅっと細くなっている。珍しいことだけれど、クロは怒っているようだ。毛玉ちゃんたち三頭は松風がここまで走ってきたことを労わっているようで、彼の周りを心配そうにウロウロしていた。
ヴァナルの雰囲気もガラリと変わって毛がぶわっと広がり、一回り身体が大きく見えている。雪さんたちもただならぬ雰囲気を醸し出して、ぬらりと私の横に立ち帝さまとナガノブさまへと向き直り口を開いた。
『直ぐに権太の下へ向かう必要がありますね』
『あの仔も意地を見せたようですが』
『約束を交わしていたことが裏目に出てしまったようです』
雪さんたちが鼻筋に皺を寄せている姿を見るのは初めてかもしれない。なんとも言えない空気の中、要領を得ない彼らの言葉に痺れを切らしたのか帝さまが一歩前に進み出る。
「なにがあったのですか?」
『権太が怪我を負ったようです』
『松風と早風が権太に怪我を負わせた者を追い払ったそうですよ』
『早風と権太は社から離れられないので、我々が向かうしかありません』
帝さまは雪さんたちの説明に顔を顰めた。彼女は権太くんの下へ駆け付けたくとも、立場上向かうことができないだろう。
「帝さま、他国の者がフソウの事情に介入するのは宜しくありませんが、権太くんが怪我を負ったとなれば治癒を施せる者が必要となりましょう。権太くんの下へ向かう許可を頂けないでしょうか?」
「ナイ。申し訳ありませんが、お願いできますか? 念のため、大巫女も呼びよせましょう」
私が帝さまに直に話を付けると、彼女は側仕えの方に大巫女さまを呼ぶようにと命を下す。とりあえず移動の許可は頂けたし、今の私の言葉でフソウの事情に介入する気はなく権太くんの怪我の治癒に徹することだけは伝わったはず。
ただ私は介入しないと言っただけなので、ヴァナルと雪さんたちとクロとアズとネルがどう動くのかまでは責任は取れない。それに移動するならフソウの誰かが案内役と護衛役として付けられるし、フソウの事情なのだから役人のような方が出向くはずだ。
「ナガノブ。急ぎ、同心の手配を!」
「は!」
帝さまがナガノブさまにも命を下した。確か同心とは江戸時代の警察官のような立ち位置だったはず。なにかの時代劇でちょろっと言っていた覚えがある。よく覚えていたなと場に似合わない感想を頭の中で抱きながら、フソウの面々の準備が終わるのを待っていた。
「大丈夫だと良いが」
「心配」
ジークとリンが待っている間に声を掛けてくれた。そっくり兄妹も権太くんを案じてくれているようで嬉しい。ヴァルトルーデさまとジルケさまも権太くんが怪我を負っていることが気になるようで、一緒にきてくれるそうだ。
移動はヴァナルと雪さんたちが大きくなってくれるので、距離が遠くてもかなりの速さを担保できる。ソフィーアさまとセレスティアさまも一体なにがと気に掛けてくれて、いろいろなパターンを考えてくれているようだ。
一先ず、私たちは権太くんの治療を優先することを約束して、その後はお役人さん、同心の方に付き従うことになった。権太くんがいる場所までの案内は松風が担ってくれ、九条さまは私たちの世話人として一緒にきてくれる。
「お、お待たせいたしました!」
息を切らしている大巫女さまががばりと頭を下げる。私も軽く頭も下げるとヴァナルと雪さんたちが一気に元の大きさへと戻った。
「ヴァナル、前に大きくなった時よりも大きくない? 雪さんたちも……」
私はヴァナルと雪さんたちを見上げて感じた違和感を口にする。
『主の魔力のお陰』
『子爵邸に居候させて頂いているので』
『あそこは魔素が沢山満ちていますよ』
『速く走れますし、多くの者を運べます。さあ、参りましょう』
そ、そうなのですねと言葉にはせず、急かしている松風の指示に従ってヴァナルの背中にジークとリンの手を借りて乗り込んだ。ソフィーアさまとセレスティアさまにヴァルトルーデさまとジルケさまと他のアストライアー侯爵家の面々も一緒だ。
雪さんたちの背には大巫女さまと九条さま方と同心の方が乗り込んでいるが凄く恐縮していた。とりあえずヴァナルに『全速力でお願いします』と申し出て、私は雪さんたちの背に乗っている方たちへ顔を向けた。
「急ぎましょう!」
私の言葉と共に見ていた景色がぐっと置き去りにされて、ヴァナルが走り出す。後ろには雪さんたちも凄い速さでドエの街を一瞬で駆け外に出た。
そこからも凄い速さで駆け抜けていくのだが、新幹線から覗く車窓より景色の流れが速い気がする。権太くんの下に辿り着くまで意識が保っているようにと願いながら、西にあるという権太くんのお母さんを祀っている社を目指すのだった。