魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~   作:行雲流水

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0611:一つの時代の終わり。

 アルバトロス王国教会の大扉の前にある階段の上で、アルバトロス王国王都の民の顔を眺めている。誰もが嬉しそうな顔をして私や新たな筆頭聖女であるアリアと筆頭聖女補佐のロザリンデに手を振っていた。私にも長年筆頭聖女を務め上げた労いの声が上がっており、感慨深いものが心から湧き起こっている。

 

 ――本当によくここまで。

 

 私が異能『先見』の力によってあの子、ナイという少女を見つけたのはアルバトロス王国にとって奇跡と言っても良いだろう。腐れ縁が続くハイゼンベルグ公爵の話だと、陛下は彼女が国へ差し出す功績に頭を悩ませているようだが。

 確かに誰も、彼女が女神さまと一緒に行動を共にし同じ屋根の下で生活しているなんて予想はつかない。私の異能の力でさえ、彼女が多大な魔力を用いてアルバトロス王国王城の魔術陣で魔力補填をしている姿と、貧民街で仲間と共に空腹に耐えている姿しか見えなかった。

 

 私が異能の力でナイの姿を見、アルバトロス王国と教会に『役に立ちそうな黒髪黒目の女児が貧民街にいる』と告げれば彼らの動きは早かった。異能の力で見た未来の出来事を滅多に告げない私が報告したことで、彼らは次代の筆頭聖女候補かもしれないという期待もあったのだろう。

 一人の小さな女の子を国と教会に差し出すことに少しばかり胸が痛んだが、貴族である私の務めだと割り切った。

 

 本当に異能の力には、若い頃は振り回されていた。

 

 見たくないものを見てしまうこと、見たいはずのものが見れないこと……異能の力は自身の手に負えないことが多く、心を病んでしまいそうになった。だが、ある日。王立学院に通い始めた頃、アルバトロス王国が隣国から仕掛けられた戦争によって負ける未来を幻視した時、私の中でなにかが吹っ切れた。

 王都には多くの自国民の遺体が転がり、敵兵に囲まれた時のアルバトロス王が相手国の高官に首を切り落とされた。障壁によって長年維持してきた平和を壊す訳にはいかないと、男爵位の貴族の娘でしかなかった私は必死だった。先見の力で見た光景を信じてくれる者を探し出そうと、近い将来アルバトロス王国が隣国の手によって落ちると学院で声高に私が叫べば殆どの者たちが嘲笑し、頭がおかしいと揶揄された。

 

 でも、信じてくれた者がいた。当時、同じ学院に通っていたハイゼンベルグ公爵と後に筆頭聖女として座を争った無二の友人である。

 

 「元筆頭聖女殿は悪い顔をしとるのう」

 

 「あら、公爵。悪い顔とは失礼な。では貴方は極悪人の形相ではないですか」

 

 「……本当に。ワシにそんな口を利くのはお前さんくらいのものだ」

 

 階段の上でいつの間にか隣に立っていたハイゼンベルグ公爵が愉快そうな顔を浮かべて私を見ている。本当に目の前の男は若い頃から変わらない。もちろん年相応に老けているが、心の在りようは全く変わってないのだ。

 

 私が法螺を吹いてアルバトロス王国を貶めていると噂が流れ始めれば、彼は私と無二の友人を引き連れてアルバトロス城へと向かった。そうして当時のアルバトロス王、彼の父親との謁見が叶った。アルバトロス王と彼は私の話を信じてくれた。きな臭い話が国境沿いで立ち始めており、近く隣国がアルバトロス王国に仕掛けてくるのではと情報を掴んでいたとのこと。

 

 王立学院で私の悪い噂はほどなく消えて、学院生の間では隣国が攻めてくるという危機感に苛まれるようになっていた。

 

 『いつでもくれば良い! 迎え撃つ準備はできている!』

 

 はははと豪快に笑う若かりし公爵は今でもスタンスは変わらないだろう。攻めてくる国があれば容赦なく迎え撃ち勝つという、どこから湧いてくるのか分からない自信に満ちた男であった。

  

 『で、殿下……言い過ぎでは?』

 

 『自重なさってください』

 

 同じく男爵位の娘である無二の友人と、公爵の婚約者の彼女が学院のサロンで苦言を呈す。殿下と呼ばれた公爵は気にする様子もなく、国境沿いの地図を広げて相手国の侵入経路を考えていた。

 私は先見の力で少しだけ開戦直後の場面を見ることができていた。公爵と話を合わせながら迎え撃つルートや要所を押さえて、アルバトロス王国が優位に立てるようにと学院で話し合う。

 

 そうして半年ほど時間が流れた。

 

 私は聖女として戦場に立つことになり、公爵も無二の友人も聖女として参加している。本当に戦争というものは兵士である人間を道具として扱い、酷い有様を見せられた。先見の力で酷い状況を見ていたというのに、戦場で自身の目で焼き付けた光景は忘れることはない。昔を思い出しふうと息を吐き出せば、私の隣に立つ男が口を開く。

 

 「なにを考えている?」

 

 「私のことが気になるのですか、公爵」

 

 「長年続けてきた筆頭の座を降りるのだ。なにか思う所くらいあるだろうに」

 

 「まあ、公爵が優しい所を見せていますわ」

 

 本当にこの男は。私のことを道具として見ているようでいて、きちんと心の内を察している。戦場での彼は敵兵を容赦なく屠り、私は単騎で前へと斬り込んで行く後ろ姿を良く見ていた。

 しかしこの男がいなければ先の戦争でアルバトロス王国は負けていたかもしれない。一人で勝てるほど戦争は甘くはないが、それくらい思えるほどに彼の活躍はすさまじかった。私も負けじと聖女として仕込まれた強化魔術を施し軍と騎士の者たちの支援に回る。無二の友人も最後方で負傷兵の傷を癒していた。立場や役目は違えど、みんな必死だった。

 

 そうして公爵の作戦のお陰だったのか、教会の聖女たちの奮迅で勝てたのかは分からないが……隣国との終戦条約を締結するまでに至った。負けたのは隣国で、勝ったのはアルバトロス王国である。

 公爵は戦場での活躍と当時、無能と呼ばれていたハイゼンベルグ家の当主を追い落としてその座に就くことになる。彼の戦場での活躍とハイゼンベルグ家の当主を追い落としたことにより、婚約者を正妻に置き、私と無二の友人が第二、第三夫人となると噂が流れたのは笑い話だ。

 

 「先見の力で未来を差し示してきましたが、ナイや聖女たちの未来が見えないのは残念です」

 

 「なに。長生きすれば良かろう」

 

 彼は先見の力を頼らずとも己の目で直接見れば良いと言いたいようである。ナイを見出してからというもの、私の先見の力は一度も発動していない。力を失ったことは仕方ないのだろう。老いというものには逆らえないのだから。ただ最後にナイを見つけ出せて良かった。アルバトロス王国に尽くすことを強制させてしまったけれど、彼女はそれくらいのことで凹まない。

 

 「軽く言ってくれますわねえ」

 

 「運命には逆らえんが、気合も大事だぞ」

 

 全く、公爵は。くくくと笑う公爵を見た私は溜息を吐いて、若い子たちが集まっている場へと視線を向けた。公爵もつられてアルバトロス王国の未来を担う者たちへと視線を向けていた。

 

 「彼らと同じ時代に生まれていればとも思うが、望んでも詮無いことだろうな」

 

 「ええ。公爵も私も自分の人生に後悔などないでしょう?」

 

 そうだなと、少し哀愁を帯びた声を珍しく上げた公爵に私は目を見張る。ほんの一瞬だったけれど彼も感傷に浸っているようだった。

 

 「戻りましょうか。彼らに挨拶など不要でしょう」

 

 新しい筆頭聖女と補佐役の彼女たちに言いたいことは伝えているし、ナイにも公爵が開いた夜会で顔を合わせた時に託してある。

 

 「だな」

 

 さあ、私たちの時代はもう終わり。次の世代に想いを託して、よりよい未来を築けるようにと願うだけである。

 

 ◇

 

 教会の大扉の前で王都の皆さま方に顔見世が終わり、全ての予定を終えた。教会の前の道路には花びらが大量に落ちている。お祝いとして配られて、王都の皆さまがそれぞれ花びらを撒いていたのだ。勿体ない気がするけれど、花びらが舞い散る光景は綺麗であった。私はアリアさまとロザリンデさまに就任の挨拶をして、きょろきょろと周りを見渡した。

 

 「あれ?」

 

 私は元筆頭聖女さまに挨拶をして少し話をしたかったのだが、いつの間にかいなくなっていた。きょろきょろと周りを見渡すけれど、他の皆さまの身長が高い所為で顔を動かす動作が凄く大袈裟になるのは如何なものか。クロも私と一緒に探してくれているけれど、私の背が影響しているのか見つからないようである。後ろに控えていたジークとリンが耳聡く私の声を拾ったようだった。

 

 「どうした、ナイ」

 

 「ナイ、なにかあった?」

 

 背を屈めて周りの皆さまに聞こえないようにそっくり兄妹が気遣ってくれていた。彼らの疑問に答えようと後ろに顔を向けてから身体も翻す。

 

 「うん。筆頭聖女、じゃなかった。元筆頭聖女さまと話をしたかったけれど……姿が見えない。公爵さまもいないね」

 

 先程まで筆頭聖女さまの姿が見えていたのだが、公爵さまの姿も見えなかった。教会の中に戻ったのかもしれないので中に入ろうかとジークとリンに告げれば、隣で黙って話を聞いていたヴァルトルーデさまが不思議そうに私の顔を覗き込んでいる。

 

 「ねえ、ナイ。さっきは流したけれど、何故シスターたちに神さまなんて信じていないって言ったの?」

 

 ヴァルトルーデさまは私ならわざわざ口に出さないと言葉を付け加えた。ジルケさまも私の顔をじっと見ているので気になるようだ。シスターに神さまなんていないと言ってしまったのは、売り言葉に買い言葉のようなものである。

 多分『女神さまが見ていらっしゃいますよ』とか言われたのだろう。恥ずかしいから記憶は薄れてしまっているけれど、なんとなく覚えていた。ジークとリンが微妙な顔を浮かべて、クロは不思議そうな表情で私を見ていた。

 

 「ヴァルトルーデさまとジルケさまが聞いても楽しくない話です」

 

 神さまなんて信じていないと昔の私が言ったのに、今、まさに目の前に女神さまがいらっしゃる。なんてブーメランな発言と恥ずかしくて胸が痛くなってきた。

 

 「構わない。私が聞きたいから聞いてる」

 

 「ナイのことだから理由があんだろ。遠慮なく言って良いぞ」

 

 二柱さまがそう仰るなら構わないか。ジークとリンが聞いているので恥ずかしいけれど。

 

 「貧民街の仲間を置いて私だけが保護されて少々気が立っていました……神さまがいるならみんな助けてくれているはず、という誠に勝手な意見です。ハイ。失礼を申しました」

 

 落ち着いていた状況ならば、シスターに神さまが見ていますよと窘められても私は動じなかったはず。本当に売り言葉に買い言葉……いや、八つ当たりが正解か。本当にシスター・ジルとシスター・リズには申し訳ないことを言ってしまった。

 彼女たちは私の暴言に怒りもせず、あらあらまあまあと苦笑いを浮かべながら貧民街に食料を届けようとしていた私の腕を掴んでいたけれど。まあ、今だからこそ笑い話にできるのだろう。

 

 「ナイの顔が赤い」

 

 「そりゃ昔話はなあ」

 

 うっさいですよ、二柱さま。まさか話を掘り返されるとは思いもしなかったが、女神さま方と話しているうちに大扉の前に立つ方々は減っていた。どうやら教会の中に戻って帰路へ就いているようだ。

 私たちも帰ろうと教会の中へと入る。カルヴァインさまとシスター・ジルとシスター・リズに神父さまと挨拶をすれば、元筆頭聖女さまは屋敷に戻ったと聞いた。公爵さまとも話をしたかったけれど、既に戻ってしまったようである。仕方ないと私は諦めてアリアさまとロザリンデさまを誘って侯爵邸に戻る。教会での立ち位置は変わりつつあるけれど、今まで通り聖女として頑張ろうと誓って。

 

 ――数日後。

 

 ソフィーアさまから、公爵さまがハイゼンベルグ公爵位を彼女のお父上に譲って第一線を引退し、男爵位を名乗ることになったと話を聞くのだった。

 

 ◇

 

 慌ただしい四月は終わり、少し落ち着きを取り戻していた。

 

 アストライアー侯爵家当主としてやるべきことは黒字の領地運営である。家宰さまの話では代官さまたちが恙なく取り仕切ってくれているので子爵領も侯爵領も問題ないとのこと。

 できれば、なにかあった時のためにアルバトロス王国内のお貴族さまとの縁を増やして欲しいとお願いされているくらいだ。国外との繋がりが強いので、国内にも目を向けて欲しいという家宰さまの願いもあるようである。

 

 いつも通り、午前中に執務が終わりお昼から自由時間となっている。お昼ご飯を食べて微睡みに包まれたい気分になっているけれど、気になることがたくさんある。

 

 一先ずユーリの所に顔を出し彼女が元気かどうかを乳母の方と確認をして部屋の外に出る。ジークとリンは訓練に赴いているため今は私の側にいないが、アストライアー侯爵邸内の移動なので全然問題はなかった。それにクロとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちが一緒だし、なにか起きた場合、相手の命の心配をしなければならない気がする。

 

 「お猫さまはどこかな……」

 

 アストライアー侯爵邸の長い長い廊下をきょろきょろしながら歩く。途中、侍女の方や下働きの方とすれ違うと彼らは廊下の端に寄り礼を執る。私はお疲れさまですと口にして通り過ぎるのだが、当主の声掛けに慣れていなかった皆さまの中でようやく定着しているようだ。

 

 私の肩の上に乗っているクロも『お疲れさま~』と呑気に口にしている。魔獣や幻獣好きの方には凄く嬉しいようで、誰かを連れて歩いていると『やった!』『嬉しい!』と声を出している方もいた。

 クロは微妙な表情をしているけれど、ミナーヴァ子爵家幻獣見守り隊――現在はアストライアー侯爵家幻獣見守り隊に改名されているらしい――とか発足していたので、多分一生彼らのテンションは高いままだろう。そんなクロがこてんと顔を傾げて口を開く。

 

 『お腹が随分と大きくなっていたから、そう遠くへは行かないと思うけれどねえ』

 

 クロも身重のお猫さまが心配なようで、脚を伸ばし顔をきょろきょろと動かして少しでも遠くを見れるようにと頑張っている。お猫さまがミナーヴァ子爵邸に住み着いてから、彼女は野生を捨て去っているので敷地外へは出ないはず。ミナーヴァ子爵邸よりも広くなったアストライアー侯爵邸なので、気ままなお猫さまを探しあてるのは一苦労だった。

 

 「そろそろ産まれそうなのに、何処に行ったんだろう……」

 

 私がぼやくと後ろを歩いているヴァナルと雪さんたちが顔を上げる。猫の妊娠期間は二ヶ月ほどだ。猫又であるお猫さまに適応されるか分からないけれど、お腹の膨れ具合を見るに産気づいてもおかしくはない。お腹の中にはお猫さま以外の魔力が宿っており、日々、感じる魔力が強くなっていた。

 

 『元気な仔だと嬉しい』

 

 ヴァナルが歩きながら私に伝えると、雪さんと夜さんと華さんがここぞとばかりにヴァナルの隣に並び口を開いた。

 

 『猫又が産んだ仔も尻尾がたくさん生えているのでしょうか?』

 

 『気になりますねえ』

 

 『産まれてきてからの楽しみにしましょう』

 

 そういえばお猫さまが最初の産んだ仔たちは、まだ尻尾は分かれていないそうである。それでも普通の猫とは違って、人間の言葉の理解度が高いとのこと。

 多頭飼いをしているヴァイセンベルク辺境伯家では猫さんたちのリーダー格に収まっているとか。副団長さまが育てている猫さんたちも、目的の方へと手紙を届けてくれるそうだ。猫さんが知っている人限定だけれど、無駄に出歩かなくて良いと副団長さまは喜んでいる。

 

 確かにお猫さまが産む予定の仔たちの尻尾はどうなるのだろう。楽しみが増えたと私が前を向けば、桜ちゃんと椿ちゃんと楓ちゃんが狼の姿で鼻先を私の手の平に宛ててきた。どうやら、彼女たちも話に加わりたかったようである。

 

 「小さい仔が産まれるから、桜ちゃんと椿ちゃんと楓ちゃんも見守ってあげてね」

 

 私が毛玉ちゃんたち三頭に視線を向けると『任せて!』『遊ぶ!』『お姉ちゃん!』と言いたげに鼻を鳴らしながら歩みを進めている。ユーリの遊び相手も務めてくれているから、産まれてくる仔たちの良き遊び相手となってくれるだろう。産まれた仔たちが彼女たちを拒否すれば、ずーんと落ち込みそうだけれど果たしてどうなることか。

 

 「お猫さまー?」

 

 お猫さまがいそうな場所を探しても見当たらないため、私はついに声を上げる。そういえばお猫さまに名前を付ける約束を交わしたけれど何故か決まっていない。私が『お猫さま』と呼んでもお猫さまは反対しないので時間が経ってしまったようだ。

 

 『いないねえ。ジルヴァラは?』

 

 「ジルヴァラさんは庭師の小父さまの弟子の方と一緒に庭のお掃除してた」

 

 クロの疑問に私は答える。先程、二階の廊下へ出た時に窓からジルヴァラさんが庭師の小父さまの弟子の方と一緒に掃除している所を見ている。アストライアー侯爵邸が随分と広くなったので、庭師の方と庭師希望の方を新しく雇っている。

 ミナーヴァ子爵邸の庭はあの小父さまにお願いして、こちらには新規で雇った庭師の方と庭師志望の方数名で庭を管理して頂く。新しく屋敷に配属された方々は最初こそ、クロとアズとネルとロゼさんに、ヴァナル一家とエル一家とジャドさん一家にジルヴァラさんとお猫さまの姿に驚いていた。最近、少し慣れてきたようだが……そろそろ屋敷に魔素が満ちるのではと副団長さまに教えて頂いているので、妖精さんに吃驚するかもしれない。

 

 『こっちの家にも畑を作るんだっけ?』

 

 「うん。趣味の範囲だけれど」

 

 せめて一年間くらいは畑の妖精さんが誕生しないようにと願うしかない。ちょっと自分でお野菜さんを育てる苦労を味わってみたいのだ。きっと虫が付いたり病気になったりして大変なのだろう。

 農家さんの苦労を知りたいというよりは、苦労をすれば自ずと知識が身に付くはずという手前味噌な考えであるが、アストライアー侯爵邸の裏にも家庭菜園が設けられる。ただいま、庭師の小父さまの弟子の方が一生懸命準備をしてくれている最中だ。

 

 新規でアストライアー侯爵邸に雇った方々と、元々ミナーヴァ子爵邸で働いていた方々のアストライアー侯爵邸移動組と軋轢が生じなければ良いのだが。

 

 侯爵位を持つ家で働くには、やはり働く方々もそれなりの地位や学が必要となる。家宰さま曰く、子爵邸で働く方々よりも身元は確りしているとのこと。人間関係で家宰さまと侍女頭さまに手に負えなくなるようならば私の出番となるのだろう。

 ちゃんと正しく皆さまを導けるのか少々不安になって私は目を細めると、廊下の先に黒いなにかが見えた。一瞬、幽霊かと驚いてしまうものの黒いなにかの正体はお猫さまだと直ぐに気付いた。まだ合流するにはいくばくかの距離があるため歩みを止めずに進む。そうして随分とお腹が丸々と出ているお猫さまと対面した。

 

 『お主に呼ばれた気がしたから、きてやったぞ』

 

 「もう直ぐ産まれるようですから、あまり無茶はしないでくださいね……ってお猫さま、顎の下になにか付いていますよ」

 

 お猫さまが前脚を綺麗に揃えて廊下に腰を下ろしてドヤと私の顔を見上げていた。視線を合わそうと私は廊下にしゃがみ込む。少しお行儀が悪いかも……というか廊下にしゃがみ込むお貴族さまなんていないだろうけれど、まあ、自身の屋敷だし構うまい。

 

 『んにゃ!!』

 

 「鰹節……誰かにおねだりしましたね」

 

 お猫さまの顎の下になにかが付いていたので私が手を伸ばして取ってみる。顎の下に鰹節の小さな破片が付いていたのだ、料理場でお猫さまはお腹空いたとでも言って貰ってきたようだった。

 間食は宜しくないし、通常の食事も妊娠しているから量を多くしているのに……お腹の仔は元気に育っていると信じたい。私が眉を顰めてお猫さまと視線を合わせると、彼女はふっと視線を外した。喧嘩しているわけではないけれど、お猫さま的にじっと見られるのは嫌なものなのか。彼女は外した視線を元に戻して私に訴える。

 

 『小腹が空いたのだ! 致し方なかろう!?』

 

 「確かに仕方ないことですが、食べ過ぎて肥満になるのも問題ですよ?」

 

 ふしゃっとお猫さまが逆毛を立てる。そんなにお腹が空いていたのか。お猫さまの食事量を考える必要がありそうだが今が適量のはずである。でも妊娠中だ。適量というのが難しい。専門書なんてないし、本当に悩ましいことであった。

 

 『食えと本能が訴えておるのだ!!』

 

 「格好良いこと言ったみたいな顔になっていますよ……肥満は病気の元ですし、お腹の仔にも障ります」

 

 本当に食べ過ぎは良くないからお猫さまには気を付けて欲しい。産後にダイエットをすれば良いけれど、お猫さまは屋敷の中で妖怪食っちゃ寝だから、痩せられるのか今から心配なのである。

 

 『お猫さま、ボクも君の仔が産まれてくるのを楽しみにしているよ。無理はしないでね?』

 

 クロがお猫さまと私の間に入ってくれる。どうやら話が平行線になりそうだと見かねたらしい。クロがお猫さまに言葉を投げれば、今までのお猫さまの威勢はどこかに飛んでしまった。

 

 『ぐっ……! クロ殿に言われては……』

 

 お猫さまは私の言葉より、クロの言葉の方が聞き入れやすいようである。今度からクロに注意をして貰おうかと悩むものの、おそらく生き物の本能で強い者には逆らえないという力が働いているような気がする。

 クロの言葉は最終手段かとお猫さまの説得はなるべく私がするように気を付けようと決めれば、お猫さまは立てていた尻尾を下ろして元きた道を歩いて行く。私は一つ溜息を吐くと、本来の目的を思い出した。

 

 「あ。お猫さまのお腹の様子を診なきゃいけなかったのに! お猫さま、待ってください!」

 

 お猫さまを探していたのはお腹の仔の様子を知るためだった。お腹の仔が死産となれば魔力の気配で直ぐに分かるから、お猫さまに許可を取って毎日チェックしていた。また見失ってしまう前にお猫さまと合流せねばと、私は長い廊下を小走りで駆ける。

 

 『ナイは時々抜けてるねえ』

 

 私の肩の上でクロが呑気に声を上げ、後ろをついてきているヴァナルが『割と多い?』とぼやいていた。彼らの声に雪さんたちが『ナイさんですから』『そういう所も良いではないですか』『完璧な者などいませんからねえ』と褒めているのか、いないのか分からない声を上げている。

 毛玉ちゃんたち三頭は私の姿を見て、これから楽しいことが始まるかもと期待に目を輝かせて小走りをしながら鼻タッチを求めてくる。そんな毛玉ちゃんたちの相手をしていると、お猫さまの姿を捉えた。

 

 「お猫さま!」

 

 『なんじゃ?』

 

 私がお猫さまにお腹を診せてくださいと伝えれば、素直にお腹を差し出してくれる。この辺りは言葉が通じるので凄く有難い。喋れなくても通じている仔たちもいるし、通訳を担えるクロたちもいるので安心だ。お腹の仔は順調のようで日に日に感じる魔力が強くなっていた。どうか元気で産まれますようにと願っていれば、雪さんたちがふいに口を開く。

 

 『竜の卵が孵るのも楽しみです』

 

 『ええ。また竜の卵が孵る所が見られるとは』

 

 『ナイさんのお屋敷は不思議がたくさんありますねえ』

 

 雪さんたちがそう呟くのだが、ケルベロスでありフソウの神獣を務めている雪さんたちも不思議の塊ではと問い質したくなるのだった。

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