魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
馬車に乗ってアルバトロス王都の貴族街を行く。お嬢ちゃん、アストライアー侯爵が開いたミナーヴァ子爵領領主邸完成披露パーティーの際に各国から要人が参加するからと、軍から領都の警備の命を下された。軍人である俺も当然招集されて任務に就いていたのだが、領主邸で女神さまにばったり会って――ばったり会うという状況が異常である――しまい、何故か西の女神さまと話をする約束を取り交わした。
で、五月下旬に入った今日、女神さまと俺と俺の妻である母ちゃんとの茶会が開かれる。
最初は女神さまが俺の家に訪れる案があったそうだが、アルバトロス上層部とお嬢ちゃんが、大騒ぎになるからと女神さまを説得してくれたそうだ。少しつまらなそうな顔をしていたと軍の総帥である、ハイゼンベルグ公爵閣下――最近、代替わりした――から教えられた。
きっとお嬢ちゃん経由で話が伝わったのだろうなと俺は遠い目になっていたのだが、閣下の次の言葉で正気に戻された。女神さまとの茶会の場所はアストライアー侯爵邸であると。
アルバトロス城、ハイゼンベルグ公爵邸、ヴァイセンベルク辺境伯邸、アストライアー侯爵邸が茶会の場の候補に挙がっており、お嬢ちゃんの屋敷で開かれることに決定し俺は安堵した。
アルバトロス城で執り行われるなら陛下が同席しそうだし、公爵邸と辺境伯邸もそれぞれの当主さまが参加なされるだろう。女神さまだけでも緊張するのに、高位貴族の方まで同席されては、俺はまともに喋る自信はない。
馬車の窓に流れる貴族街の景色を物珍しそうに、俺の正面に座る妻、母ちゃんが見ていた。同乗している息子と娘も流れる景色を楽しんでいる。俺がふうと息を吐けば、母ちゃんが窓から俺に視線を移して口を開いた。
「初めてきたけれど、凄い所ねえ」
「確かに凄い所だけどよ。母ちゃん、なんでそんなに落ち着いていられんだ……?」
ふふと笑っている母ちゃんの肝の太さに俺は驚きを隠せない。だって女神さまと対面するし、侯爵位を得たお嬢ちゃんとも久方ぶりに彼女は会うのだ。高圧的な態度を取らない――お嬢ちゃんはやらないが――かとか、女神さまに不敬を働いてしまわないかと気にしないのだろうか。
「聖女さまのお屋敷でしょう? 黒髪の聖女さまなら私たちに無理難題なんて言わないでしょうし、女神さまも貴方と話がしたいってお願いする奇特な方だもの。首を斬られたりしないって分かるわ」
母ちゃんの言い分は理解できる。女神さまもお嬢ちゃんもきっと無理は言わない。
「けどよお。ハイゼンベルグ公爵閣下……あ、いや、ボルドー男爵も一緒なんだぞ。俺の元上司が一緒なんだ。緊張する」
俺が情けない声を出せば母ちゃんは苦笑いを浮かべた。ボルドー男爵とは、ハイゼンベルグ元公爵閣下のことである。今日の話を聞き、俺たちの心配をしてくれて一緒にきてくれているのだ。
今、俺たち家族が纏っている衣装もボルドー男爵閣下が用意してくれたものだ。俺だけではなく母ちゃんと子供たちにも準備してくれたのだから恐縮しっぱなしである。代金は気にするなと豪快に笑っておられたが本当に良いのだろうか。とはいえ、凄く高価な品だから払えと言われても困るだけだが……。
「まあ、アンタは緊張するでしょうけれどねえ。子供たちに情けない姿を見せないで欲しいわね」
「うぐ」
母ちゃんが片眉を上げて、片手を頬に手を当てて溜息を吐く。彼女の隣には八歳になった娘が座っており、俺の隣では十歳を迎えた息子が俺の顔を見上げた。
「父ちゃん、大丈夫か?」
「お父ちゃん、顔色悪いよ?」
まだ二人を路頭に迷わせるわけにはいかない。息子は軍人か騎士になると息込んでいるのだが、果たして訓練校のしごきに耐えられるのか。娘は母ちゃんのようにボビンレースで生計を立てれるようにしたいと考えているようだ。
しかし息子も娘も働きに出て、いつかは嫁と婿を迎え入れるのだろう。果たしてどんな奴を伴侶に選ぶのか。今から楽しみだが、娘が男を連れてきたら、俺は怒らずにいられるのか不安だ。娘を産んだ母ちゃんの肥立ちが悪く、危ない状況だった。お嬢ちゃんのお陰で難を逃れたが、母ちゃんが天に召されていれば、俺は今とは全然違う道を歩んでいたかもしれない。
「だ、大丈夫だ。お前たち、皆さまにくれぐれも粗相のないようにな」
アルバトロス王国に住む平民はお貴族さまの怖さを知っている。マトモなお貴族さまであれば問題ないが、時折横暴な奴が出てくるのだ。
そんな時、王都の街では関わるなと噂が流れるから注意を払うことができる。問題になっている奴の家紋が付いた馬車には近づくなとか、商業地区にある問題の貴族が関係している店には入るなとか、いろいろだ。それでも不運なことになれば、俺たち平民の命なんて簡単に散ってしまう。討伐遠征で魔物にやられてしまうより、理不尽な扱いかもしれない。
「昨日の夜にも父ちゃんが教えたよな。約束したこと言えるか?」
俺は子供たちが失礼な態度を取らないようにと、数日前から口を酸っぱくして彼らに言い聞かせていた。本当は息子と娘が参加する予定ではなかったのだが、子供たちを置いていくのは心配だろうとお嬢ちゃんが気を使って連れてきて良いと許可をくれたのだ。
お嬢ちゃんは変な所に気を回すと呆れつつ、子供だけで留守番をさせるのは不安が残る。なので数日前からお貴族さまに対して、どう接するのかを教え込んでいたのだ。
「勝手に人や物に触れない」
「自分から声を掛けては駄目!」
息子が落ち着いた声色で、娘が元気に答えてくれた。最低限、この二つを守っていれば問題はないはずだ。女神さまがどんな行動に出るかが未知数だが、あとはなるようになるはず。俺が大丈夫かと心配していると母ちゃんも口を開いた。
「お父ちゃんとお母ちゃんから離れても駄目よ。お屋敷は凄く広いけれど遊び場じゃないからね」
母ちゃんの言葉に息子と娘はこくりと頷き、へらりと笑った。本当に大丈夫か心配になるのだが……大丈夫、命は失わないはずだ。
「竜、見れるかな?」
「女神さまとお話できると良いなあ」
十歳と八歳ではまだ現実を見るのは難しいようである。それも数年後には学びに出るか、働きに出て周囲の大人たちに揉まれて理解を深めていくのだろう。子供たちの成長が楽しみなような、挫けてくれるなよと願うしかできない俺の情けなさをありありと感じてしまう。
車窓を流れる景色が随分とゆっくりになり、暫くしてガタンと小さく馬車が揺れた。子供たちがきょろきょろと不思議そうに窓の外を見、母ちゃんは俺の方を向いて口を開く。
「停まったねえ」
「門扉に着いたか。また動き出すから、じっとしてろ」
母ちゃんも窓の外を見た。俺がソワソワしていると、門の開く音が聞こえてきて馬車がまたゆっくりと動き始める。ここまできたならウダウダ言ってもしかたない。覚悟を決めようと窓の外を見ると、黒い天馬さまが馬車の横を歩いている。
「天馬だ! 天馬だよ、父ちゃん! 凄い、カッコいいなあ!」
息子が馬車の窓の縁に手を掛けながら、黒天馬を必死に目に焼き付けていた。天馬って白い馬体が一般的なのだが、お嬢ちゃんの屋敷で産まれた二頭天馬は黒と赤という珍しい毛色をしている。
しかも黒天馬は六枚翼で特殊な個体なのだそうな。話には聞いていたものの、目にしていなかったので俺も驚いてしまう。馬車を引く馬が驚いてしまわないか心配になってくるが、揺れが酷くならないので大丈夫なようだ。御者の方が確りと制御できているのか、黒天馬が車を引く馬に対して驚くなと伝えたのか。分からないが、とりあえず無事に馬車回りまで辿り着けそうである。そうして俺たちが乗る馬車が馬車回りで止まり、御者の方が扉を開いた。
「先に降りる。子供たちが先で母ちゃんが最後だな。高いから足下に気を付けてくれ」
俺はそそくさと馬車から降りて、身体をくるりと回す。流石に子供たちには車高が高く、一人では降りれまい。
「ありがと、父ちゃん」
「お父ちゃん、ありがとう!」
息子におうと返事をし、娘には笑顔を向けた。そしてまだ馬車に乗っている母ちゃんの方を見て、俺は右手を差し出した。慣れないことに顔から火が吹き出そうだが、エスコートを務めねば甲斐性なしと周りから言われてしまう。
貴族さまのしきたりであるが、こういう時にぱっとできてこそ男というものだろう。今は高価な衣装を纏っているのだから、状況的に間違ってはいない。母ちゃんが座席から立ち上がって照れ臭そうに口を開きながら扉へと近づく。
「まあ! お姫さまみたい。お父ちゃんもカッコ良いわよ」
「恥ずかしいから早く降りてくれ!」
俺たちより先に馬車から降りているボルドー男爵さまがこちらを見て面白そうな顔を浮かべていた。元公爵閣下が同席しているためか、迎えはジークフリードが顔を出している。
お嬢ちゃんはアストライアー侯爵家当主として最後の登場となるのだろう。ボルドー男爵さまの側には先程の黒天馬がおり、顔を撫でて貰って気持ち良さそうな顔をしていた。直ぐ近くには白天馬二頭と赤天馬がおり、こちらの様子を伺っているようだ。
さらに奥には……グリフォンが三頭いて、一番大きいグリフォンの横には二回りほど小さいグリフォンが一緒に並んでいた。討伐遠征で俺たちを敵として認識している魔物と同じ気配がしないので、天馬とグリフォンに敵意はないとはっきりわかる。
まあ、敵意があるなら人間のお屋敷に住み着かないだろう。母ちゃんと息子と娘は幻獣の登場に驚いていた。お嬢ちゃんは竜とフェンリルとケルベロスを連れているから、さらに驚くだろうし、女神さまとお会いして腰を抜かさなければ良いのだが。
ジークフリードは俺たちより先にボルドー男爵と挨拶を交わしている。当然のことなので文句などないが、息子がジークフリードを凄くキラキラした目で見つめていた。なんだ恋にでも落ちたのかと俺が息子を見ると、彼はくるりと顔をこちらへと向ける。
「竜だ……! 俺も騎士になれば竜と仲良くなれるのかな?」
息子が凄い勢いで俺に問うた。どうやらジークフリードが肩に乗せている竜に興味が湧いたようである。噂ではお嬢ちゃんが竜の方から卵を預かり、孵った仔をそのまま育てているとか。竜を人間が育てるってどういうことかと言いたくなるが、女神さまと普通に話をしているお嬢ちゃんである。竜を育てていてもおかしくはない。
しかし我が息子よ。竜と仲良くなれるなら軍に入ればどうにかなるかもしれないし、アルバトロス王国にはもう一つ竜と仲良くなる方法がある。
「どうだろうな……ああ、でも竜騎兵隊所属になれば竜に乗れるな」
ただ安易に希望を抱かせても息子に申し訳ないので、俺は少し言葉を濁しながら親として道を指し示す。軍人を務めるより騎士の方が給料が良い。平民が騎士となるには騎士学校か王立学院の騎士科に通うのだが……学費が必要となるので父ちゃんは頑張らねえとな。
竜騎兵隊もワイバーンの数が多くなっているため編成規模が拡大している。竜騎兵隊に配属されれば相棒と呼べる竜が息子にもできるかもしれない。娘は背の高いジークフリードを見て『うわあ、カッコいい!』とときめいている。ボルドー男爵と挨拶を終えたジークフリードが俺たち一家にも挨拶すべくこちらへとくる。
「娘はやらんぞ……!」
「なにを仰っているのでしょうか?」
俺が喉から勝手に漏れ出た声をジークフリードは耳聡く拾っていたようだ。
「あ、すまねえ、なんでもねえんだ……って、ジークフリードも爵位をお持ちでしたね。失礼を致しました」
「お気になさらず。アストライアー侯爵閣下も必要な場以外では気を使わないで欲しいと仰っておりました。私の扱いも同じで構いません。――皆さま、ようこそアストライアー侯爵邸へ。では、ご案内致しましょう」
俺が頭を下げればジークフリードは軽く左右に首を振る。そうしてボルドー男爵さまも俺たちの方へときて、侯爵邸の中へと足を進める。玄関ホールの広さに俺たち家族は驚きながら、女神さまとの話をするため足を進めるのだった。――大丈夫かなあ。
◇
ハイゼンベルグ公爵位を譲り渡した我が息子から早々に相談事が舞い降りた。どうやら女神さまが軍の一人の人物と面会する約束を取り付けたそうで、本人から報告を貰ったとのことである。
女神さまと一人で会う訳にはいかないと、とっさに本人の妻と子も一緒に同席させたいと願い出て西の女神さま、ヴァルトルーデさまからご許可を頂いたそうだ。それに関しては上手く約束を取り交わしたなとワシは感心したのだが、誰がヴァルトルーデさまと会うのかと思いきや、貧民街に住んでいたナイを引き取りに行かせた者だった。
彼は王都に住む平民である。特に腕が上がるというわけではないのに、人望を集めやすかったのだろう。軍内部でも評判が良く出世していた。特にナイが亜人連合国と関わり始めてから、彼は道路整備に助力してくれる小さな竜たちと絆を深めていた。
現在、王都にあるアストライアー侯爵邸に辿り着き、ワシらを迎えにきたジークフリードに、ヴァルトルーデさまとナイが待っている場所へ案内を受けている。
「ボルドー男爵閣下、ご迷惑を掛けてしまい申し訳ありません」
廊下を歩きながら軍の隊長を務める男がワシに頭を下げる。彼の後ろには妻が恐縮そうな顔を浮かべながら一緒に頭を下げ、息子も状況を理解しているのか黙って話を聞き、娘はまだ分からないようだが黙って歩いていた。
「気にするな。今日はお前さんの保護者役というだけだし、アストライアー侯爵邸に興味があった。問題はない」
ワシがアストライアー侯爵邸に出張った理由は単にアストライアー侯爵邸に顔を出してみたかった。ただそれだけである。公爵位を賜ったままであれば、訪れることはなかったかもしれない。
ナイもワシを無意味に茶会に誘ったりしないだろうし、ワシもナイをおいそれと茶会に誘っても意味はないだろう。適切な距離をお互いに把握していたが、ワシがハイゼンベルグ公爵位を譲ったことで少し状況が変わっている。軍の総帥として務めることはなくなり、領地運営も代官に任せておけば恙なく進む。引退した老いぼれは時間を持て余していたのだ。
「は、はい」
隊長はワシの声に力なく返事をする。今からワシと対面するよりも緊張することになるというのに、目の前のワシに気を使っているようだ。人間の心というものは面白いものだなと、彼に向ってワシがニッと笑えばぎょっとした顔をして押し黙る。
相手がナイなら面倒事に巻き込まれてしまったと溜息を吐いていそうである。本当に人それぞれで面白い。彼の子たちは、既にワシのことよりも廊下でちらりと光っている妖精の気配を感じ取り、きょろきょろと顔を動かしながら不思議そうにしているのだから。
「運も実力のうちだ。また出世できるやもしれんぞ?」
「いえ、俺……私の実力を考えれば今の地位は不相応です。アストライアー侯爵閣下がいらっしゃらなければ土台無理な状況でしょう」
確かに彼の実力を考えれば高い地位に就いているのかもしれない。とはいえ、きちんと状況を把握できること、誰かに相談できること、適切な判断を下せることは大事な要素だ。できないならば大隊長という多くの者の命を預かる立場にはなれない。それに。
「そうかもしれんが、ナイは下心を持つ者とは付き合いが続かない。お前さんが実直に彼女と接したから今のようになっているのではないかな」
ナイに妙な気を起こした者は不思議なことに碌なことになっていないのだから。例外は聖王国の大聖女フィーネくらいだろうか。まあ聖王国の危機を立て直すつもりのないナイが、大聖女に状況を丸投げしたという方が正解かもしれない。割とそういう所をナイは加減をしないので、ワシより悪辣ではなかろうかと考えることもある。見ていて面白いので構わないし、アルバトロス王国が不利益を被っていないので問題ない。
ワシの話を聞いた隊長は微妙な顔になって『それで良いのだろうか』と悩んでいるようだった。
「渋い顔をするな。今から更にとんでもないことが起こるかもしれんのだ」
「しかしアストライアー侯爵の昔話をしても良いのでしょうか」
「侯爵が過去の行いに頭を抱えるだけだからな。構わないだろう」
どうせワシもナイの過去をヴァルトルーデさまに話しているのだから今更である。それに隊長の口からワシの知らないナイの話を聞くことができるかもしれない。今日、ワシが同席を願い出たのはソレも一つの理由となっている。
隊長は『良いのかなあ……お嬢ちゃん、怒らねえかなあ』と小声でぼやいていた。侯爵位を持つ者に対して不敬な物言いかもしれないが、彼とナイの間柄はワシも把握しているので咎めることはしない。
ワシが案内役のジークフリードの背を見れば、どうやら来賓室の前に辿り着いたようである。彼が立ち止まり扉を開いて、手で部屋の中を指し示す。
「中へどうぞ」
部屋の中には誰もおらず、なにも気にしないままワシは中へと進み、隊長と家族はきょろきょろと豪華な部屋に圧倒されながら歩を進めていた。この屋敷の以前の持ち主は随分と金満で華美過ぎた内観だったが、ナイが屋敷の主となったため随分とマシになっている。
とはいえ置いている調度品は値の張る品だし、亜人連合国のドワーフが作成した刀剣類が壁に飾られている。少し拝借したい気持ちに駆られてしまうが、今は話し合いに集中しなければ。
四人掛けのソファーに隊長一家が、対面の四人掛けのソファーは空席。ワシには一人掛けの椅子に腰を掛けるように言われて指示に従う。あとはヴァルトルーデさまとナイの登場を待つばかりだなと、期待に胸を膨らませるのだった。
◇
――ようやく約束を交わした彼と話ができる。
人間の世界は面倒みたいで、ナイと親しくしている軍の彼と私がお話をするという約束はアルバトロス王国に伝わったようである。ナイが申し訳なさそうに私に状況を説明してくれたけれど、本当に人間の社会は面倒臭いと感じてしまった。
でもナイの好意で屋敷で世話になっているのだから文句を言ってはならないのだろう。きっと末妹であれば『姉御、仕方ねえだろ。それが人間社会ってもんだ』と愚痴を告げるに違いない。
ナイも私が軍の彼と直ぐに話せないことを申し訳そうな顔をしていたし、ここは私が我慢しなければならないのだろう。でも、ようやく今日、彼と話すことができるのだ。ナイは自分の過去を暴露されると知って微妙な顔をしているけれど。
まだかなと自室で待っていると、ノックの音が二度響いた。時折侍女の子が私のお世話をしにやってくるけれど、その子のノックの音ではない。誰か気になるから扉の向こうを覗き見てみようかと力を解放しようとした時、丁度扉の向こうから声が響いてくる。
「ヴァルトルーデさま、隊長さんたちとボルドー男爵がいらっしゃいましたよ」
ナイの声が聞こえて私は腰掛けていたベッドから立ち上がり扉の前へと急ぐ。ドアノブに手を触れて扉を開ければ、ナイとクロとジークリンデとヴァナルとユキとヨルとハナと毛玉たち三頭が揃っていた。彼女は私を見上げて『待たせては悪いので行きましょう』と言いたげだった。けれど、私は少し気になることがあると口を開く。
「ジークフリードは?」
いつもナイと一緒にいるはずの彼がいないのだ。どうしたのだろうと心配になるのは当然のことである。ナイが彼のことを嫌ってこなくて良い、なんて絶対に言わないと私でも分かる。私が怪訝な気持ちでいるとナイは悟ったのか小さく笑って口を開く。
「ジークには彼らのお迎えを頼みました。顔見知りですし気を使わないかなと」
ナイの返事に私はなるほどと頷いた。確かにフランツと軍の彼はジークフリードと知り合いである。初対面の人間が迎えにくるよりも、知っている人間の方が安心できるのは私も知っている。
ナイが珍しく気遣いできていることに嬉しくなっていると今度こそ『行きましょう』とナイから声が掛かるのだった。そうして長い廊下を歩いて行く。ミナーヴァ子爵邸からアストライアー侯爵邸にナイが引っ越したので、私も付いてきたのだが、ミナーヴァ子爵邸の広さでも十分だった。凄く長い廊下だなあと暇をしていると、毛玉たちが私の周りをちょろちょろと回ってみたり、先に進んで離れると脚を止めて私たちを見る。
「毛玉はいつも元気だね」
「ですね。最近、人化しないので飽きたのでしょうか……」
そういえば最近の毛玉たちは人の姿にならない。ちょろちょろと頼りない足取りで私たちに構えと主張する姿は、狼の姿と違ってまた可愛いのに。私もどうしてだろうと首を傾げると、毛玉たちがこちらに近づいてきた。
『ふくー』
『やだー』
『めんどー』
尻尾をぶんぶん振りながら単語でどうして人の姿にならないのか、理由を毛玉たちが答えてくれる。廊下を進む私たちの周りを回る毛玉たちの姿をナイが目を細めながら口を開く。
「そういうことだったのか。でもまた見てみたいな」
『?』
『がんばゆ?』
『みたいにょ?』
毛玉たちの返事にナイの顔が緩くなる。私にはそんな顔を向けないので毛玉たちのように振舞えばナイは緩い表情を見せてくれるだろうか。彼女の肩の上に乗るクロが私の方を見てこてんと首を傾げている。何故、クロは私を見たのだろう。理由が分らないままでいるのは気持ち悪いけれど、今は軍の彼と話をしなければと首を振れば、廊下の曲がり角から末妹が姿を現した。
「姉御、ナイ、ジークリンデ。早くしろー、客人を待たせるなよー」
彼女は両手を頭の後ろに回して凄く気の抜けた声を出している。南大陸で力を振るっている時よりも凄く落ち着いているのが伝わってくる。ナイと背格好が似ているためか、南大陸の人間のように彼女の背の低さを咎める人間が少ない。いや、いないのだ。
本当に南大陸の人間は末妹の容姿を小馬鹿にするのだろうか。でも大陸を気ままにウロウロしていた末妹も女神だと伝えていなかったので、どっちもどっちかもしれない。
「急ぐ」
「行きましょう。お菓子、なにが出るでしょうか」
「あ、茶請けが出んのか。そりゃ良いな」
ナイと末妹の声を聞く。確かにお菓子を食べながら話すのは楽しいと最近知った。真面目な話の時でも良いけれど、面白おかしい話をしている時に食べるお菓子とお茶はいつもより美味しい気がする。
軍の彼たちと楽しい話ができると良いなと来賓室の前に立ち中へと入る。私と末妹の姿を見た軍の彼と家族とフランツが席を立ち礼を執る。ナイは私に視線を向けて『女神さまに任せます』と言いたいようだった。それならばと私は口を開く。
「待たせてごめん」
「い、いえ! こちらこそ女神さまとお話しする機会を頂くことになり、大変光栄です!!」
「お気になさらず」
私が彼らに声を掛けると驚いた顔になって頭を下げる。フランツは軽く頭を下げるだけに留めて、少しだけ苦笑いになっていた。一緒にきている奥さんも凄く深く頭を下げながら、男の子と女の子の頭を下げさせていた。そうして私は一人掛けのソファーをナイに勧められたけれど一人は寂しいので、四人掛けのソファーにナイと末妹と一緒に座るのだった。