魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
――ご当主さまが南の島へと出かけられて一週間の時間が経っている。
アストライアー侯爵閣下、ようするにご当主さまの身の回りのお世話を担っている侍女の私はほぼ仕事はないと言っても過言ではない……と主張したい所だが、少々忙しく、そして重大な使命が私に課されていた。
通常の貴族とは言い難いアストライアー侯爵家には魔獣や幻獣の皆さまに妖精さんたちが居着き、庭を元気に駆け回ったり、屋敷の者たちと雑談に興じていたりと、本当に貴族の屋敷とは似ても似つかない雰囲気である。
私に課されている重大な使命とは、王都の侯爵邸に居着いているお猫さま――トリグエルさま――と最近産まれた仔たちの世話をご当主さまから任されたのだ。本来であれば私はご当主さまと一緒に南の島に赴く予定であった。
ただご当主さまは身の回りの世話はご自身でできてしまうし、休暇の時間だから伸び伸びと過ごされたかったようである。今回、護衛の者を数名付けて――ジークフリードさんとジークリンデさんで十分な気がするが――南の島へと赴いている。
礼儀正しいご当主さまのお世話ができないのは残念であるが、私は彼女から信を得てお猫さま、トリグエルさまと仔猫たちの世話を担ったのだから確りと二週間お世話をしなければ。
産室代わりとなっている、ご当主さまの隣の部屋で私はふんと息を荒く一度吐き、にーにー鳴いている仔猫たちへ視線を向ける。仔猫たち三匹は既に離乳を済ませているが、母親であるトリグエルさまが恋しいのか『遊んで』と言いたげに彼女へ前脚を差し出している。
当の母親であるトリグエルさまは鬱陶しそうに仔猫のじゃれ合いを解くために立ち上がり、テーブルの上に避難して私の顔を見上げた。
『エッダ、腹が減ったぞ!』
「トリグエルさま、少し前に食べたばかりではありませんか。記憶が朧げになるお年寄りではないのですから、しゃきっとしてください!」
トリグエルさまが私の名を呼ぶ。ご当主さまからトリグエルさまのお世話を拝命した時にお互いに自己紹介をしたためだ。少し前までトリグエルさまからは『お前さん』とか『お主』と呼ばれていたので、私の名前を呼んでくれるのは素直に嬉しい。
ただトリグエルさまはお腹を空かせているのか、頻繁にご飯をと強いてくる。ご当主さまからトリグエルさまは運動をしない性質なので、なるべく決まった時間に決まった食事量を与えて欲しいとお願いされていた。妊娠中だからと食事量を増やして、仔たちを産んでからは元の食事量に戻しているためお腹が空くのは仕方ないのだろう。
けれど、今以上にトリグエルさまがぽっちゃりしてしまうのは如何なものか……というのが屋敷で働く従業員一同の気持ちである。
でもやはりおねだりをされてしまうと可愛らしい容姿に絆されて、おやつを上げてしまう方がいた。調理部の猫好きな方が甘いようで、料理長さまが困った顔をしていたけれど。
『まだボケておらんわ!』
「では先程、お食事を済ませたことは覚えておられますよね。食べ過ぎて肥満になれば病気の元だとご当主さまが仰っていましたからね!」
トリグエルさまが勢い良く私の言葉に反応してくれた。本当に会話ができていることが信じられないけれど……トリグエルさまは三叉の猫又さまなのだなと実感する。
産まれた仔猫たち三匹はまだ尻尾は分かれていないけれど、屋敷の皆さまはそのうち尻尾が増えるだろうと口を揃えていた。ご当主さまだけが『まさか。そんなに早く猫又になるはずがないですよ』と苦笑いをしていたが、私も屋敷の皆さまと同意見だ。
「病気になって苦しむのはトリグエルさま自身ですよ?」
猫又であるトリグエルさまに私がこんな軽口を言っていることが信じられないけれど、ここはアストライアー侯爵家だ。不思議なことはいくらでもあるし、この三年間で体験してきた。
普通の侍女であれば、竜のお方と話す機会はないし、フェンリルやフソウの神獣さまを撫でることもない。なんなら天馬さま方に乗ることだってできる上にグリフォンにだって乗りたいとお願いすれば『良いですよ』と軽く返事がくる環境である。
妖精さんに気に入られたなら、彼らとも話をすることができる。時折、なにもない所で喋っている方がいてどうしたのかと問えば妖精さんと話していたと教えてくれたのだ。ただ妖精さんは託児所の子供たちと仲が良い気がする。託児所に子供を預けている方から、夜、子が妖精さんと話ができたと興奮気味に伝えたとか。本当にアストライアー侯爵邸は不思議に塗れている。
『その時にはあ奴に治して貰う! アリアかロザリンデでも可能だからな!』
「聖女さま方にどうやって治癒代を払うのですか? ご当主さまならお金ではなく物納でも構わないと仰ってくれるでしょうけれど、トリグエルさまに用意できるとは……」
アストライアー侯爵家に勤めている方であれば、病気や怪我を負った場合、ご当主さまが直々に治癒を施してくれる。もちろんタダではないが、教会の治癒院に赴くより安い寄付代で施してくれるのだ。
敷地内にある別館で過ごされているアリア・フライハイト筆頭聖女さまとロザリンデ・リヒター筆頭聖女補佐さまも願い出れば、アストライアー侯爵家が設定した寄付代で治してくれる。ご当主さまもアリアさまもロザリンデさまも真面目な方で従業員から頂いた寄付代はきっちりと教会に納めているとか。
『……どこかからなにか拝借すれば良い!』
トリグエルさまがふんと良い顔をして胸を張るけれど、どこかって誰かの家のことだろうか。
「駄目ですよ。盗んできては……――って、どうしたのですか?」
私が眉尻を下げながら苦言を呈していると、仔猫たち三匹が私の足下へと寄ってきた。にーにー鳴きながらなにか必死で訴えているけれど、彼らがなにを言っているのかは分からない。
『あまり妾を責めるなと、きっと言いたいのだろう』
「……本当かなあ」
『酷いぞ、エッダ!』
まさか、こうして騎士爵家出身でしかないしがない私がトリグエルさまと友人のようなやり取りをするなんて全く考えていなかった。あと一週間でご当主さま方が南の島から戻ってこられる。トリグエルさまと仔猫たちと凄く仲良くなりましたとご当主さまに報告すれば、彼女は一体どんな顔をするのだろうか。
怒られることはないと確信があるし、ご当主さまならお世話になりましたと頭を下げそうだなと目を細めるのだった。
◇
――アルバトロス王国ばかり狡い!
最近、開催された西大陸の各国の王が集まる場で、アルバトロス王である私に直接口にしたどこぞの王の言葉である。確かにアルバトロス王国はこの三年間の間で随分と名を馳せているし、亜人連合国や大陸を超えた国々とも国交を築いている。
私が別の国の王であれば目の前の彼と同じ言葉を発した……いや、心の中で考えていても口にはすまい。どうやらその王はつい口が滑ってしまったようだ。彼の言葉を聞いていたリーム王とヴァンディリア王にマグデレーベン王と我が妃の出身国の王が顔を引き攣らせていた。おそらく彼らは『無謀なことを……』とでも考えているに違いない。そして無謀な台詞を吐いた王を愉快そうな顔で見つめる新参の女王がいた。
『狡いと申すのであれば、力で奪い取ってみせられよ! 私は其方の雄姿が見られるならば凄く楽しみだ! なあ、アルバトロス王よ!!』
ヤーバン王がははは! と笑いながら会場に響く声で私に語り掛ける。何故、狡いと申した王だけに言わず私を巻き込むのかと言いたくなるが、舐められたままではアルバトロス王の名が廃る。
『そうであるなあ。我が国が誇る障壁を破り、辺境の地を護る者たちを薙ぎ払いアルバトロス王都まで辿り着けるのか。見物だな』
私は狡いと申した王を見つめれば、彼が『え?』と声を漏らす。何故、声を漏らすのか不思議でならないが、ヤーバン王が『小物ですな』と誰にも聞こえぬようにと私に伝えた。
ヤーバン王は小声を出すこともできるのかと驚きつつも、少々脅しが過ぎたため自重しようと反省する。これが私ではなく叔父上、ハイゼンベルグ公爵……もといボルドー男爵であれば『その喧嘩、買った!』と言って目の前の王の国へ攻め入りそうである。西大陸の国々は互いに交流を持ちつつ、深入りはしないという不文律がある。それ故に西大陸は東大陸のような帝国が存在せず、小国規模のままなのだ。
失礼する! と慌てて去っているどこぞの王に目を遣っていればヤーバン王が『構う必要はありますまい』と告げ、顔に笑みを浮かべて私に視線を合わせた。
彼女はアストライアー侯爵が開催したミナーヴァ子爵領新領主邸で起きたことを、キラキラと目を輝かせながら話をきかせてくれる。報告書によって私の下にも情報が入ってきているため新たな話は聞けなかったが、グリフォンの背に乗り天馬の背に乗ったフソウのショウグンと競ったことが楽しかったそうである。
もしアストライアー侯爵の下で私と一緒になることがあれば、フソウのショウグンのように勝負をしようと歯を見せながらヤーバン王が笑う。
王同士が勝った負けたの勝負をするのは如何なものだろう。負けたと噂が流れれば、評判を落とすやもしれぬのにヤーバン王は無垢な瞳を私に向けている。彼女の瞳を見ながら、私は若さ故の輝きだと目を細めた。
――はあ。胃が痛い。
なんとなく胃に痛みを感じて現実に引き戻された。夜。アルバトロス城の執務室でワイングラスを片手に、私は己の執務室の窓から外を眺めている。どうやら随分と呆けていたようだと意識を戻せば、誰かがいる気配を感じた。
「どうしましたかな、陛下」
書類を片腕に抱えた宰相が片眉を上げながら私を見ていた。元々彼は部屋にいたから問題はないが、私がぼうっとしていたことで心配を掛けていたようだ。
「宰相。いや、双子星が随分と輝いていて王都の街は静かだなとな」
「アストライアー侯爵閣下が南の島へ出掛けておりますからな。筆頭殿も補佐役も連れられていますし、女神さま方もご一緒されております。静かなのは当然のことでございましょう」
今宵の双子星は雲に遮られることもなく、丸く光を発していた。陽の光のような力強さはないが、夜のアルバトロス王都を優しく照らしてくれている。南の島へと赴いている女神さま方とアストライアー侯爵たちも、私と同じように燦然と輝く双子星を見ているかもしれない。
フソウのショウグンによれば双子星を見上げながら飲むフソウ酒は抜群に美味いと言っていたが……申し訳ないが私はワインの方が好みである。
「叔父上がいればフソウ酒を飲んでいたやもしれんな」
「でしょうね。ハイゼンベルグ公爵、いえ、ボルドー男爵は随分とフソウ酒を気に入っておりましたから。陛下、叔父上殿が公爵位を譲られて寂しいのですか?」
ふいに公爵位を次代へと譲った叔父上の顔を思い出す。若い頃から世話になっていた者が一つの区切りをつけ、城に顔を出す機会も減ってしまっていた。宰相は私を揶揄うように言っているが、まあ私的な時間の無駄話だ。少しくらい本音を吐露しても良いだろうと私はワインを一口煽る。
「もう子供ではないよ。揶揄わないでくれ。だがやはり、何事も豪快に笑いながら全てを蹴散らしていく彼の姿が見れないのは少し感傷に耽ってしまいそうになる。まあ叔父上は『まだまだくたばらぬ!』と言いそうだがな」
私が肩を竦めれば、宰相は苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「アストライアー侯爵と一緒に騒ぎを大きくしそうですからね」
「……言わないでくれ。現実になりそうだ」
叔父上とアストライアー侯爵である。女神さま方と亜人連合国の者たちも加わって、なにか凄いことになってしまいそうだ。まさか南の島で違う神さまとかいらっしゃっていないよねと、宰相から視線を外して窓の外を見た。
「アストライアー侯爵は、またなにか起こしてアルバトロス王国に益を齎してくれるのでしょうかねえ?」
ふふふと宰相が笑っていた。その余裕がどこから生まれてくるのかと、私が視線を戻せば彼は煤けた顔になっている。やはりこれから先もアストライアー侯爵のやらかしは続きそうだなと、ワインを飲み干し簡単な雑務を終え自室に戻り眠りに就くのだった。
◇
海竜さん、もといエーギルさまから大洋の宮殿へのお誘いがきた。
島の滞在が残り四日となっていた所なので、グイーさまも興味があるようでクマのぬいぐるみを介して海の中を満喫するようである。同行者はダリア姉さんとアイリス姉さん、探究心から副団長さまと猫背さん、護衛としてジークとリン、側仕えとしてソフィーアさまとセレスティアさま、外務部としてエーリヒさまとユルゲンさま、行ってみたいということでアリアさまとロザリンデさまとヴァルトルーデさまとジルケさまも一緒である。
他の面々は大勢押しかけても迷惑だろうと辞退していた。エーギルさまは特に問題ないと言っていたけれど、海の中という未知の場所に訪れる恐怖があるのかもしれない。
そんなこんなでエーギルさまが私たちを出迎え――彼の頭の上には蛸さんが足を一本こちらにふりふりしていた――にきてくれ、彼の背の上に乗って海の中を移動中である。不思議なことに、息は苦しくなく目に染みることもない。まあ、エーギルさまが力を使って私たちが酸欠にならないようにと障壁を展開してくれているからだけれど。
大洋の宮殿に向かえばエラ呼吸ではなくとも息ができるようになる術があるようで、宮殿の中ではソレを利用するそうだ。私の腕の中にはクマのぬいぐるみがいて、何故か怒気を放っている。
『全く、あ奴は海の管理を放置してなにをしておるのやら』
ぷんぷんじゃぞと冗談めかしてグイーさまが告げているが、ソフィーアさまとセレスティアさまとエーリヒさまとユルゲンさまが少し引いているので彼は圧を発しているのかもしれない。女神さま方も大して大陸の管理をしていないのだから、どうしてグイーさまは怒っているのだろうか。とりあえず話を聞いてみようと私は口を開く。
「グイーさまは海神さまを知っているのですか?」
『知っているもなにも、儂が命じて奴に海の管理を頼んだからな。儂、奴の上役じゃよ』
「あれ? では、ヴァルトルーデさまたちとはご兄弟に?」
上役という言葉に疑問を感じるが、先に私が感じたことをグイーさまに問うてみた。
『いいや。他の神に命じたから、娘たちとは別の存在だな。海の中は地上と違って荒くれ者が多いから、きちんと見張っておけと伝えていたのだが……どうして海竜に任せておるのだ……!?』
むむむとグイーさまが唸っている。どうやら海神さまはグイーさまが創造したというよりも、他の神さまを捕まえて海の管理を任せたようである。奥方さまがいらっしゃったことも知らないようだし、海神さまはグイーさまと随分と長い間顔を合わせていないようだ。
『何億年経っとるかも』
「上司が見張っていないなら、サボタージュする気持ちも分からなくもないですが……」
グイーさま海神さまとは億単位の時間顔を合わせていないようだ。そりゃ海神さまがサボっていても仕方ないのではなかろうか。一応、代理でエーギルさまを立てているのだし。
『えー……子供じゃあるまいに監視が必要なのか?』
「やる気がないなら致し方ないかと。お給金とかでないんですよね?」
グイーさまがぶー垂れている。私は片眉を上げているとヴァルトルーデさまとジルケさまが『お給金、確かに出ない』『そういえば親父殿から褒められたこともねえな』と呟いていた。
ソフィーアさまとセレスティアさまは『創星神さまになにを言っている!』『無茶を言いますわねえ』と言いたそうだ。エーリヒさまとユルゲンさまは私とグイーさまの会話に引いているようだが、なにか問題があるのだろうか。
副団長さまと猫背さんは私たちの会話に興味はないようだし、エーギルさまは『海神さまをどうにかしてください』と言いたいのか顔をチラチラと私たちの方へと向けている。
『出るわけなかろう』
「ほら」
お給金が出ないのであればモチベーションが持たない。しかも億単位の果てしない時間を無償奉仕とか、私なら嫌になって逃げだしていそうだ。
『なんじゃ、ナイは海神の味方なのか?』
「味方もなにもありませんよ。個人の意見とか感想ですね」
単に無給で命じられるのは少々嫌だなというだけの話である。
『もう少し儂寄りの意見でもよくないか……まあ奥方と別居している理由も聞いた方が良いだろうし、丁度良い機会だったのかもしれぬな』
「仲裁に入るんですか?」
私の疑問にクマのぬいぐるみが小さく頷いた気がする。
『奥方に頼まれればな。冷え切ってるなら知らんて』
地球の神話であれば奥方さまを寝取ってしまいグダグダ展開になりそうだけれど、グイーさまは話を聞いてできうることを模索するようだ。グイーさまは抜けているところがある――人のことは言えない――けれど、こうして情の厚い所を見せてくれる。とはいえ仲直りするまでは面倒を見ないようである。その辺りはシビアだよなあと苦笑いを浮かべていると私の肩の上のクロがなにか見つけたようである。
『あれかなあ、ナイ?』
クロが真っ直ぐ先を見ながら口を開いた。
「凄いね。海の中に宮殿が建ってる」
深い深い海の中に古代ローマの神殿みたいなものが建っている。かなり規模が大きいので、どうやって建築資材を集め、どうやって建てたのだろうとか頭の中に疑問が湧いてくる。海を泳いでいる小魚たちがエーギルさまの姿に気付いて、一気にこちらへとやってきた。
『神の力を使えば簡単だな! 娘たちでもできるぞ! あ、儂もできるからな!!』
グイーさま私の心の中を読まないでくださいと言いたいが、私の思考はバレバレのようなので仕方ないと諦める。それより熱帯魚のような小魚たちが海の中を舞うように、エーギルさまの巨大な身体の周りをくるくる動いていて幻想的な雰囲気があった。
フィーネさまがいれば凄く喜んでくれそうな光景なのに、同行していないので少し残念だ。まあお仕事の側面が強くなってしまっているから、きていない面子は遠慮してくれたようである。
人懐っこい小魚さんや好奇心の強い小魚さんたちはエーギルさまの背に乗っている私たちが珍しいようで、凄く近づいてきてくれる。触れそうな距離にいるけれど、彼らに触れても大丈夫だろうか。
小さいから触れて弱ってしまえば大変だし、変に手を伸ばさない方が良いだろう。見ているだけでも楽しいし、アリアさまとロザリンデさまとヴァルトルーデさまとジルケさまが楽しそうな顔をしているので、なによりである。
『もう見えておりますが着きますぞ!』
エーギルさまはグイーさまたちがいるためか丁寧な言葉使いである。私もグイーさまに丁寧な言葉遣いで対応した方が良いのだろうか。
『気持ち悪いから今のままで構わん』
やはり私の心の中を読んでいることに目を細めるけれど、ご本神さまが仰ってくれたならば遠慮なく今まで通りの言葉使いでいこう。むむむと悩んでいれば宮殿の入り口へと辿り着いていた。近くにいると宮殿は更に大きく感じてしまう。エーギルさまの背から降りると、海底の砂地の感触が私の足に確りと伝わる。障壁は張られたままなので息はできている。
『迎えの者がくるはずです。暫しの間お待ちくだされ』
人数分の呼吸ができる道具を持ってお迎えの方がきてくれるようだ。本来ならば既に出迎えの方がいても良さそうだけれど、海の常識では特に気にしないのかもしれない。
一緒に赴いたメンバーと待っていれば、魚人の方が数名ほど出入口の前へと早足でやってくる。彼らは恭しく礼を執り頭を上げて私たちと視線を合わせた。ちなみにエーギルさまにはグイーさまとヴァルトルーデさまとジルケさまが神であることを伝えているが、姫さまには言わないようにとお願いしている。彼女が出迎えメンバーに含まれていないのには口止めされていることが原因である。
『エーギルさま、遅れてしまい申し訳ありません。皆さま、太洋の宮殿にようこそいらっしゃいました。姫さまがお待ちでございます』
お迎えの方が宮殿の中を手で指し示し私たちを導こうとしてくれるが、エーギルさまは身体が大きいためか宮殿には入らないようである。私たちは魚人の方から道具を受け取った。
腕輪タイプの魔術具のようであるが、施されている術式がアルバトロス王国でみるものとは全く違う。文字が読めないし意味も分からないので、効果があるのか心配になってきた。
副団長さまと猫背さんは興味が勝って手渡された腕輪を躊躇なく身に着けている。身に着けてミイラにならないよねと私は彼らを見ていると、変化はなにもなさそうだ。お迎えの魚人の方が私たちを見て苦笑いを浮かべながら『大丈夫ですよ』と伝えてくれた。
これ以上身に付けないのは失礼になるだろうと意を決して、借りた腕輪を身に着けた。魔力が奪われるでもなく、身体に変化が起こっている節も感じられない。本当に効果があるのだろうかと片眉を上げていると、エーギルさまが身体を起こして口を開いた。
『では、あとは任せた』
『承知致しました。お客人、参りましょう』
エーギルさまは場を任せこの辺りで待機しているとのこと。案内役の魚人の方が動き始めるとエーギルさまが張ってくれていた障壁がふっと消える。海水が迫ると目を瞑ろうとして、なにも感じないことに気が付いた。
どうやら手渡された腕輪の効果は水圧を感じないこと、息ができるようになること、海底を二足歩行できるようになることのようである。なんだか不思議な感覚だと苦笑いを浮かべながら、案内役の魚人の方の背を眺めながら歩いて行く。大きな柱の間を潜り抜けると私たちの目の前には大きな扉があった。扉の前には警備の方が就いており、案内役の魚人の方が彼らにひとつ頷く。恭しく警備の方が足を動かして大扉を開いてくれた。
「凄い」
『大きい像だねえ』
神殿というか宮殿の中には大きな男性の像が鎮座していた。アガレス帝都の中央広場にあったアガレス像くらいはありそうである。案内役の方いわく海神さまを模しているそうだ。
話を聞いたグイーさまが『確かにあ奴に似ておる』とクマのぬいぐるみ姿で呟いていた。もしかしてグイーさまは時間経過により海神さまのご尊顔をはっきりと覚えていないのではなかろうか。大丈夫か心配になって彼の娘さん方に視線を向ければ、ヴァルトルーデさまとジルケさまは像を見上げながらなにか考えていた。
「あの小父さん、見たことあるような?」
「そうか? あたしは記憶にねえな」
二柱さまも海神さまの顔ははっきりと覚えていないようである。大丈夫かなあと心配していると像の裏から一人の女性がしずしずと歩いてこちらへとくる。案内役の方や護衛の方が『姫さま!』と呟いているので、どうやら彼女が宮殿の主のようである。さて挨拶をしなければと私がふうと息を吐けば、姫さま(仮)が私たちの前に立ち礼を執った。
『エーギルから聞き及んでおります。貴女がナイ・アストライアーさまですね?』
「お初に御目に掛かります。アルバトロス王国にて侯爵位を賜っております、ナイ・アストライアーです」
海神さまの奥方さまに『さま』付けされるとは……エーギルさまは彼女に一体どのような説明をしたのだろうか。一先ず名乗りを上げておかなければと名乗っておいたが、亜人連合国のダリア姉さんとアイリス姉さんもいるというのに、姫さまはスルーしている。
ダリア姉さんとアイリス姉さんは私が対応しているから特に気にしていないようであるが、あとが怖い気がする。とりあえず姫さまの出方を伺おうと私は名乗るだけに留めておいた。
『わたくしは名乗ることができませんが……海神の妻でございます。皆には姫と呼ばれております。この度は魚人の保護に尽力なさって頂き感謝いたしますわ』
ふふふと綺麗に笑う姫さまに案内役の魚人の方や護衛の方が顔を赤くしている。確かに海神さまの奥方さまというだけあって美人で雰囲気もあるのだが……なんだか嫌な予感がするなあと彼女が更に話を進めるのを私たち一行は待つのだった。