魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~   作:行雲流水

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0634:悲鳴が上がり胃が締まる。

 ――アルバトロス王都、ロステート伯爵邸。

 

 先日、フェルカー伯爵家主催の夜会に参加した、ロステート伯爵はアストライアー侯爵閣下と話す機会を得ることができた。貴族社会では畜産業を営んでいると時折あからさまに蔑む者がいるのだが、アストライアー侯爵は偏見の目は持っていないようである。

 飛ぶ鳥を落とすどころか空を突き抜ける勢いの彼女に声を掛けられた私は、いろいろな者から『羨ましい』『私も声を掛けて欲しかったのに』『なぜロステート伯爵なんぞが』という声を浴びる羽目になったが、フェルカー伯爵殿が妙な者たちを上手くいなしてくれたのだった。

 

 『侯爵閣下は義を欠くことがなければ問題なく付き合いができるはずです。我が家も落ちる所まで落ちましたが、閣下の温情で地位も変わることなく存続しております故』

 

 片眉を上げ妙な者たちを追い払ってくれたフェルカー伯爵が私に声を掛けた。確か前フェルカー伯爵家当主が女魔術師から洗脳を受け、アストライアー侯爵の父親との面会を斡旋したのだったか。

 

 一時、フェルカー伯爵家の存続が危ぶまれていると噂になったが、前フェルカー伯爵が服毒を図り罪を償おうとしたためアルバトロス上層部から温情を頂いたらしい。今のフェルカー伯爵は私より歳若いのだが、随分と確りとしている。流石、アルバトロス王国内の一大商人の家の者だ。私の家とも対等な取引を持ち掛けてくれており、値切られることもない。本当に良い取引相手だった。

 

 『アストライアー侯爵閣下の下には女神さまが屋敷で過ごしていると聞き及んでおります』

 

 私の疑問にフェルカー伯爵は否定も肯定もしないままであった。答えるのは不味いことなのか、それとも答える気がないのか。どちらか分からないが、否定も肯定もないのであれば女神さまは王都のアストライアー侯爵邸で過ごされているのだろう。

 

 『もし本当に女神さまがいらっしゃるならば、我が領地の豚肉が女神さまに提供される可能性があるのです……!』

 

 アストライアー侯爵閣下と豚肉の取引が始まれば、きっと女神さまにも提供されるのだろう。一番新しい噂によれば西大陸の女神さまのみではなく、南と北と東の女神さまも閣下の邸に顔を出しているとか。

 四女神さまに我が領地で育てた豚肉が食され『不味い』なんて評価を下されれば、どうなってしまうのか。既に私の胃がキリキリと痛み始めていた。

 

 『ロステート伯爵。覚悟を決めましょう。そして不味くても美味くても問題視されないはずです』

 

 少し煤けた表情でフェルカー伯爵が私と視線をきっちり合わせた。彼は以前、アストライアー侯爵閣下の依頼により王都の貴族御用達の店を紹介したのだが、一回限りで利用が終わったそうである。

 気に入った店や商品があると取引が続くのだとか。確かに一回限りで取引を終えた店は今でも貴族の間で評判の店であるが……フェルカー伯爵の今の言葉は私に対する慰めなのだろうか。それとも言葉のナイフで私を刺したかったのだろうか。

 

 いずれにせよ、アストライアー侯爵家から派遣される使者と取引内容を確認しなければと考えていると、豚肉の流通量を変えたり無理や無茶はしないようにとフェルカー伯爵が告げた。

 彼のアドバイスに素直に頷いた私は夜会から戻った訳だが……本当にアストライアー侯爵家から使者が送られてきた際は驚いたものである。

 

 使者は身形の良い青年だった。確かクレイグ、と名乗っていたか。気の強そうな顔つきであったが、言葉使いは丁寧なものでアストライアー侯爵家の威光を翳すことはない。ただ元から築いている豚肉の取引をアストライアー侯爵家のために打ち切ったり、取引相場が上がらぬようにとかなり念を押された。

 

 『食べられぬ者が出れば、閣下が悲しみましょう』

 

 青年は真面目な顔で告げる。どうやらアストライアー侯爵閣下は我が家の既存の取引相手に喧嘩を売りたくないようである。時折、仲の悪い家同士で値段を吊り上げたり、購入量を競うこともある。

 

 馬鹿なことをと呆れてしまうが、貴族の一部にはそういう者もいるのだ。やり過ぎるとアルバトロス上層部からお叱りを受けるのだが、それまでは割とやりたい放題する者もいた。巻き込まれた者たちは本当に迷惑極まりない。使者の彼の言葉は有難いものだ。一方的に私から取引を打ち切るとなれば、我が家の評判が下がる可能性がある。

 

 そんなこんなで使者が提示した豚肉の購入量は慎ましい要望であった。品質も貴族向けの一般的なものを求めていた。

 

 お試しに一度購入し、それから定期購入を決めるかどうかを決定するとのこと。正直、閣下や女神さま方の口に合うのかどうかは分からないが、領地の者たちが手塩を掛けて育てた豚だ。不味くはないと自負しているが、これからどうなるのか胃が痛い。ではと告げる使者と挨拶を交わして、会談場所から出て行く彼の姿を眺めていた。

 

 ――はあ。

 

 と、ここ最近起きた怒涛の出来事を思い出し、屋敷の執務室で溜息を吐いた。私と同じ部屋で執務を執り行っていた家宰が顔を上げ口を開く。

 

 「ご当主さま、どうされました? 溜息など珍しい」

 

 「アストライアー侯爵家との取引が上手くいくのか悩ましい……我が息子は豚の生産量を増やそうと躍起になっていたが、供給量は満たしている状態だ。増やせば市場の相場が壊れそうだ」

 

 苦笑いを浮かべる家宰に私はまた溜息を吐いた。アストライアー侯爵家とのお試しの取引が終わり、定期的に購入をしたいという打診があったのだ。それを聞いた我が息子は生産量を増やそうと私に提言していた。

 だが、アルバトロス王国内は十分に供給できているし、過不足していない状況だ。閣下がとんでもない量を要望すれば考えるが、大量購入はしていない。

 

 「女神さまとご一緒にお過ごしされているアストライアー侯爵閣下からの要請でしたからね。若い方には刺激的なのでしょう」

 

 「女神さまが我が領地の肉を食べて、どのような感想を漏らしたのか……考えると気が気ではない」

 

 我が息子に言いたい。アストライアー侯爵と直に話す覚悟はあるのかと。彼女との対面を果たした私は本当によく乗り切ったものである。ふいに閣下に声を掛けられたために、きっと話を最後まで交わすことができたのだろう。事前に会談の場を設けられていたら、私は胃の痛みで体調不良になっていたはず。また私が溜息を吐くと家宰がはっとした顔になる。

 

 「生産量は増やさず、貴族向けの豚肉の質を更に向上させるのは如何でしょうか? アストライアー侯爵閣下に購入して頂くのが一番の目的ですが、美味い物に目がない貴族にも売れましょう」

 

 「開発費が掛かってしまうが、確かに美味い豚肉を安定提供できるようになれば武器になるな」

 

 どうやら家宰は良い手を思いついたようである。豚肉の流通は十分に回り、病気や災害でも起こらない限りは黒字経営である。庶民向けに高級路線を目指しても意味は薄いし、彼が告げた通り貴族向けに新品種の豚を生み出す方に力を入れれば損は少ない。

 ふむ、と私は頷いて領地運営の余剰金がいくらあるのかと家宰に告げる。彼はいくらまで使えば十分な結果が得られるか、そして損をしないか、失敗しても大損害とならないかを即座に叩き出して私に使える資金を告げた。

 

 「このくらいか。人手と新しい豚舎が欲しい所だな」

 

 私と家宰が顔を突き合わせながら、これからどういう方針で新しい豚肉の開発に取り組むのか大枠を決めていく。細かい所は家宰や部下たちに丸投げすれば良いだろう。仕事が増えてしまっているが、その分の給金は十分に払っている。

 

 「しかしご子息さまは納得されましょうか? 随分と量産することに拘っていましたから」

 

 「目先のことしか見えていないのか。一先ず、私が説得してみよう」

 

 家宰が心配そうな顔になり我が息子の短絡的思考を危惧していた。我が息子は短絡的であり、少々当主の資質に欠けるところがある。年の離れた妹の方が確りとしているし、教育も真面目に受けている。

 アストライアー侯爵が女性という影響なのか、貴族の当主が男である必要があるのかと社交界でまことしやかに囁かれているとか。我が息子が考えを改めないのであれば、ロステート伯爵の次代は妹の方でも良いかもしれない。

 

 「どこにいるか――」

 

 息子が屋敷のどこにいるのかと家宰に問おうとした瞬間だった。部屋の扉をノックする者が現れ、私は家宰に取次ぎを頼む。そうして顔を出したのは息子に付けている側仕えの更に下の者である。

 

 「――お館さま。ご子息さまが領地に赴かれました」

 

 「は?」

 

 「何故……」

 

 部下の声を聞いた私と家宰の口から間の抜けた音が出た。まさか我が息子が意見を述べて更に行動にまで出るとは全く考えていないことである。

 

 「豚肉の量産体制を取ろうと躍起になられておいででした。これから先、需要が増えるからと」

 

 困り顔で告げる部下に何故我が息子を止めなかったと叫びたくなるが出て行ったものは仕方ない。事情を詳しく聞きたい所であるが、先に言わなければならぬことがある。

 

 「市場の相場が下がるだけと説明したのに……! っ、今すぐ転移魔術師を手配しろ! 領地に向かう!」

 

 どうしてこうなるんだと頭を抱えたくなるのを我慢して、家宰に命を下せば確りと頷いてくれる。できた家宰で良かったと安堵しながら、立っていた私は椅子へすとんと腰を下ろした。

 

 「はあ……本当に次代の当主は娘に譲るべきか」

 

 執務机に肘を突き手を組んで、額を自身の手に乗せた。情けない姿を晒すなと言われるかもしれないが、我が息子の無謀な行動力には呆れるばかりである。直ぐに量産体制に移行できないが、豚は多産のため牛より数を増やすことは安易である。だが繁殖を担う雌豚の選定に、優秀な仔を残す雄豚の目利きも必要になってくるため、さわりしか学んでいない我が息子が良い豚を生み出せるかと問われれば否である。

 

 まあ、私も職人たちに比べると目利きは劣るが、息子より優れている自負はあった。ロステート伯爵の次代を本気で考え直す時がきたのかもしれないと私が言葉を吐けば、息子に就けている部下が焦った雰囲気で口を開いた。

 

 「そ、それは困ります!」

 

 「確かに、旨い汁を吸えなくなるお前は困るだろうな。だが息子が当主の座に就けば我がロステート伯爵家の寿命が縮まり、職を失う可能性があるぞ?」

 

 目の前の男が息子と一緒に馬鹿なことをしていることは知っている。多少の遊びならば構わぬかと見逃してきたが、暴走されては困るのだ。そして息子の暴走を止められない者に価値があるとは言い難い。

 生産量の調整も畜産を生業としている領主の務めだ。もし他の家の者が豚肉の生産に取り掛かり、我が家が大打撃を受ければ代わりの生業を見つけなければならなくなる。なにか豚肉以外の特産物をと息子が願っていたなら話が違っていただろうが、豚肉だけに拘りすぎて先が見えないようだ。

 

 「ご当主さま。魔術師団に要請を送りました。おそらく直ぐに駆けつけてくれるかと」

 

 「転移代は高くつくが、息子より先回りして領地に辿り着かんとな。妙なことを吹聴して領地の者たちをそそのかしても困る」

 

 アストライアー侯爵閣下と取引を始めたことや女神さまの話題を誰彼に吹聴するようでは、閣下から信頼が勝ち取れない。フェルカー伯爵が仰った『義を欠くこと』をすれば、アストライアー侯爵閣下も良い顔をしないだろう。せっかく一度目の取引を終えて、次があることを真剣に悩んでいる最中なのだ。息子の要らぬ行動で我が家の運営が悪くなれば大問題だろう。

 

 そうして暫く。我が家に駆け付けた転移魔術師と共にロステート伯爵領へ向かう。一日後、領都の大門で息子を捉えて、何故無謀なことをしたと問えば……――。

 

 「アストライアー侯爵は竜を従えているんだ! 竜以外にも、フェンリルやグリフォンもいる! 豚なら量産が容易い! きっと大量に買い付けてくれますよ!!」

 

 と、宣う息子の姿に盛大に溜息を吐き、私はとつとつと状況を説明する。息子の顔が青くなっていることを鑑みて、今回の件を反省しなければ妹にロステート伯爵の次の代を譲るぞと脅しをかけるのだった。

 

 ◇

 

 朝。南の島での最終日となった。また竜のお方の背に乗って聖王国を経由しアルバトロス王国へと戻ることになるのだが、外務部に勤めている俺とユルゲンは数日後には聖王国へと出張に出かけることになっている。

 休暇のはずであったが海の中にある『大洋の宮殿』に向かったために、アルバトロス王国上層部に伝えなければならないことができた。海の神さまが不在であると知り創星神であるグイーさまが探してみると仰ったことは大問題だろう。

 

 海の中へと入った際、珊瑚が枯れている所がままあった。一緒に向かった他の面子は気付いていなかったけれど、前世でダイビングを何度か経験していたため少しばかり知識があったのだ。

 このことをナイさまに告げれば、グイーさまと女神さま方へと話がいったようである。海神さまが不在の状況により海の中は環境が少しづつ変化しているとも聞いていた。どうにか食い止めなければ、海で獲れる食材がなくなれば困る方が多くいる。回避するためにもグイーさまには海神さまを見つけて貰いたい。

 

 考え事をしながら、出発前の荷物の纏め終えた俺はコテージの外に出る。木と木の間に結びつけられたハンモックが風に揺れていた。蒸し暑い空気だが緑が多く良い環境である。砂浜へと出れば目の前には大きな海が広がっている。『シー』ではなく『オーシャン』と言えば良いだろうか。

 

 前世では友人に連れられて東南アジアのダイビングスポットに向かったが、本当にソコと同じような海の色であり透明度も高い。海神さまが不在という事実を信じられないくらいだ。

 

 マグロにハマチ、タイにカレイにウニ・イクラ……って駄目だ。食べたいものを想像していると止まらなくなる。ナイさまがフソウ国と懇意にしているお陰で随分と日本食を口にする機会が多くなったが、寿司を食べる機会はなかった。

 あー……フソウの方にカリフォルニアロールとか紹介すればどんな反応を見せてくれるのか気になる。他にもロール系の寿司を紹介すれば驚くだろうか。肉を巻いた巻き寿司も美味しいなあと、何故か俺の思考が食事関連に飛んでいる。ナイさまの影響かと納得しながら、森を抜けた先にある太洋に想いを馳せていると誰かの気配を感じ取った。

 

 「エーリヒさま。今日で終わりですね」

 

 俺が後ろを振り返るとフィーネさまがにこりと笑う。そして彼女は二歩、三歩と近づきながら後ろに手を回して、少し腰を折り俺の顔を見上げていた。

 

 「二週間、あっというまでした。ナイさまのお陰でまた楽しい思い出ができた気がします」

 

 本当に毎年いろいろと起こっている気がする。一年目は森の中で遺跡をみつけ、二年目は神の島の存在を告げる砂浜に埋もれた屋敷をみつけ、三年目は魚人の方の村にお邪魔している。

 初めて赴いた時は天幕を張って寝泊りしていたのに、今では立派なコテージが建っていた。ダークエルフの方たちが頑張ってくれたそうだが、結構広いし確りとした造りなので高級感がある。俺が苦笑いを浮かべていると、フィーネさまも同じ表情になっていた。

 

 「海の中へ赴くと聞いた時は本当に驚きました」

 

 「フィーネさまもくれば良かったのに」

 

 確かに俺も驚いたが、この世界はファンタジーな世界である。ナイさまが障壁を張ってくれれば海の中へ海水の影響を受けず移動をできそうだし、ヴァレンシュタイン副団長や魔術師のファウスト氏がどうにかしてくれたはず。

 

 「うーん。向かった皆さまには申し訳ないですが、息ができなくなればどうしようという恐怖が勝っちゃいました」

 

 「確かに心の隅にその懸念が常にありましたね。また機会があれば、フィーネさまもいつか一緒に行きましょう。水族館を見ているようでしたよ」

 

 彼女の心配は理解できるので、ナイさまも他の方も無理強いはしていない。でもまあ、先に俺たちが海の中へと向かい無事に戻ってきたのだから、恐怖心は少し和らいでいるだろう。

 海の環境が悪くなっているとはいえ、十分に見応えのある景色が広がっていた。ダイビングでみたゴーグル越しの景色よりも色鮮やかだったのだ。いつか彼女と一緒に向かうことができたなら、きっと楽しいし嬉しいし幸せだ。

 

 少し赤く頬を染めたフィーネさまを見て、期待しても良いのかななんて考えが過る。

 

 いやいやいや。待て待て待て。彼女は聖王国の大聖女さまである。手を出せば外交問題――アルバトロス王国の方が国力や影響力が強いので問題ないかもしれない――となってしまうだろう。煩悩は捨て去るべきと俺が頭を振ると、彼女が不思議そうに顔を小さく傾ける。サラサラと肩から流れ落ちる銀髪が随分と綺麗だと俺が目を細めると、赤く顔を染めていた彼女が確りと俺を見据える。

 

 キスをして良いだろうか。でもキスをすれば彼女の大聖女の証である聖痕が消えてしまう。お願いだから誰かきて欲しい。俺の心臓の音が更に大きくならないように抑えなければと腹に力を籠めた。

 

 「エーリヒさま」

 

 「は、はい!」

 

 フィーネさまに俺の名を呼ばれて返事をしたのだが、少し声が上ずってしまった。情けない所を見せてしまい恥ずかしいと反省していると、彼女がもう一度口を開く。

 

 「ウルスラも大聖女として随分と立派に務めを果たせるようになりました。教皇猊下もシュヴァインシュタイガーさまも私が大聖女の座から退いても問題ないと判断しているそうです」

 

 「え……?」

 

 確かにウルスラ嬢の大聖女としての評判は日に日に増している。教皇猊下もその成長振りに驚いているそうだ。しかし彼女は何故、今告げるのだろうと俺の口から疑問の声が漏れてしまった。

 そんな俺を見たフィーネさまはくすくすと笑っていた。なんだろう、この胸騒ぎは。もしかして俺は彼女に揶揄われているのだろうか。しかし何故揶揄われるのかが分からない。分からないまま数秒の時間が流れた。

 

 「エーリヒさまの準備ができたなら、聖王国の大聖女フィーネを奪いにきてくださいね。白馬の王子さまみたいに!」

 

 ふふふと笑っている彼女は踵を返し、女性用のコテージへと軽い足取りで戻って行く。

 

 「え、あ……あれ? 今の……告白……!?」

 

 もし、誰かが今の場面を見ていたならば、もっと男が確りしろと言われるかもしれない。でもフィーネさまから奪いにきて欲しいなんて言われたならば、聖王国の大聖女を降りる覚悟を決めているようだ。なら、それなら。あとは俺が覚悟を決めるだけなのだろう。唐突な彼女の台詞に衝撃を受けながら、ユルゲンに移動すると言われるまで暫くの間ぼーっとしている俺だった。

 

 ◇

 

 ――ご当主さまが島から戻ってきたそうだ。

 

 ユーリと一緒に過ごしていると、彼女の乳母さんがわたしに教えてくれた。ユーリは随分と大きくなって、一人で立てるようになっている。以前よりも言葉を発するようになり、乳母さんも嬉しそうな顔になっていた。

 

 わたしもユーリの成長は凄く嬉しい。最初こそ子爵邸の環境に慣れず、こんな所でユーリが大きく成長してくれるのか疑問だったけれど……屋敷の皆さまは優しいし、美味しい食事が出ること。

 勉強も教えて欲しいと請えばサフィールさんが教えてくれる。ユーリの側仕えになりたいと願えば、侍女長さまが侍女の心構えや必要なことを教授してくれていた。

 

 どうやら、みんなが私の勉強に意欲的なのはご当主さまからの命があったようである。ユーリの側仕えになりたいなら、その道を敷いてくれ、他に目指したいものがあれば、用意してくれるはずだとサフィールさんが教えてくれた。

 

 二年前に保護されて、ご当主さまに悪態を吐いていた私を思い出すと少し恥ずかしい。

 

 そのことをサフィールさんに聞いて貰えば苦笑いを浮かべながら『アンファンがユーリのことを大事にしてくれているのは分かっていたからね』と教えてくれた。もしユーリをわたしが雑に扱っていれば、直ぐに屋敷から追い出されていた可能性があるそうだ。ユーリはわたしの希望だから雑に扱うなんて絶対に有り得ないけれど、他の人からみれば分からないはずだ。だから屋敷の人たちにわたしがユーリを大事にしていることが伝わっていて良かった。

 

 現にわたしはユーリの部屋で彼女の相手を務めているのだが、今日も元気で可愛い姿を見せてくれている。

 

 「ねーね! ねーね!」

 

 最近のユーリは『ねーね』という言葉が気に入っているようである。少し前までは『まんま』だったが、心変わりが起きたのだろうか。一人でよたよたと歩くユーリが両手を上げながら私の下へとやってきた。

 

 「ユーリ、どうしたの?」

 

 わたしは彼女と視線を合わせるため床にしゃがみ込むと、ユーリが私の肩に手を置いた。

 

 「だこー!」

 

 どうやら抱っこをして欲しかったようである。最近のお気に入りなのか、乳母さんにもわたしにも良く強請る行為であった。まだ軽いけれど、ユーリが成長すればこうして両腕で抱えらえなくなるのだろう。少し寂しさを覚えてしまうが、彼女が大人になっていく姿を見るのが楽しみである。ご当主さまとそっくりになれば少し複雑な気持ちが湧いてしまう。でも南の女神さまに似る可能性もあるのだし、女神さまに似ますようにと願っておこう。

 

 「良いよ。よいしょ」

 

 随分と重くなったユーリの腰に両手を回して抱き上げたあと、片方の手は彼女のお尻の下に回して安定するようにした。ユーリも落ちないようにと私の肩に手を回して確りと掴んでいる。まだまだ小さくて頼りないけれど、あの人に出会いユーリと初めて顔を合わせた頃より確りしていた。本当に時間が過ぎるのは早くて、目まぐるしい日々だけれどわたしの日常は充実している。

 

 私がユーリを抱っこしていると、彼女は何度も『ねーね!』と声を上げている。私がユーリにどうしたのと問えば、きゃっきゃと楽しそうな声を上げた。丁度その時、部屋の扉をノックする音が二度聞こえ、乳母さんがソツなく対応している。誰だろうと首を傾げていると、扉が開いて乳母さんが笑みを浮かべた。

 

 「どうぞ、ご当主さま」

 

 「失礼します」

 

 乳母さんが毎回律儀に挨拶をするご当主さまに苦笑いを浮かべている。普通の貴族であれば『失礼します』とか『お邪魔します』とかは言わないらしい。当主の屋敷だから自身の好きに出入りできるため、勝手に入るのが普通らしい。ご当主さまはユーリの姿を見つけるなりへらりと笑う。ユーリはご当主さまが見ていることに気付かぬまま口を開いた。

 

 「ねーね!」

 

 またわたしに向かって『ねーね!』とユーリが言った。わたしは嬉しいけれど、乳母さんの顔色が青くなっている気がする。ご当主さまはユーリの言葉に驚いたようで目を丸く開き、彼女の護衛で一緒についてきたジークフリードさんとジークリンデさんが微妙な表情になっていた。

 

 「……ユーリがアンファンにねーねって言ってる!」

 

 ご当主さまがわたしとユーリを見つめたあと、直ぐ後ろへと振り返った。

 

 「アンファンもユーリにとって姉みたいなものだからな」

 

 「ユーリとの時間は、ナイよりアンファンの方が長い」

 

 ジークフリードさんとジークリンデさんの言葉は的確なのだろう。ご当主さまはユーリとの時間をなるべく取っているけれど、乳母さんやわたしと一緒に過ごす時間の方が長いのだ。ユーリからねーねと呼ばれているのは確かな絆が結ばれている証拠なのかもしれない。

 

 「それは、そうだけれど……複雑」

 

 ご当主さまは凄く肩を落としていた。いつも一緒にいる小さな竜が『大丈夫、ナイ? ユーリと過ごす時間を増やせばいつか呼んでくれるよ!』と慰めていた。竜に慰められる人間っていったいどんな人だろうと、わたしは首を傾げる。ただ言えるのは、ご当主さまのような人が竜から慰められるのだろうなと苦笑いが溢れそうになる。

 

 「ユーリ、アンファン、ただいま。お土産持ってきたから、おやつの時間に食べてみてね」

 

 少し落ち込んだ声でご当主さまが島からのお土産を用意してくれているとか。去年は甘い果物だったので、また食べたいなと願っていたのだが、今年も同じものだろうか。ご当主さまは乳母さんにも挨拶をして、わたしが抱っこしているユーリに近づいてきた。

 

 「私もいつかアンファンを呼ぶみたいに呼んでね、ユーリ」

 

 我に返ったのかご当主さまがユーリに向かって柔らかい声で告げ、珍しく部屋から直ぐに出て行った。まあユーリにとって姉的な存在はいくらあっても良いだろうから、ユーリがご当主さまのことを『ねーね』といつか呼びますようにと女神さまに願っておこう。

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