魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
――アストライアー侯爵に晩餐会参加の手紙を送ってみた。
子爵位を持つ私とアストライアー侯爵家は縁も所縁もないのだが駄目で元々である。侯爵は西大陸以外の国からいろいろな品を輸入していると噂され、その中には食料も多分に含まれているらしい。貴族は平民とは違う生活を送らなければならない特別な存在である。贅沢をして平民たちに格の違いを見せつけなければならない。
今日はとある方に呼ばれて食事会に参加している。私よりも家格が高い家柄のため、出されている食材の質に調度品は素晴らしいものだった。誘われた部屋に赴き、食事が提供されてメインディッシュに差し掛かった頃である。
「セボン卿、首尾は如何かな?」
「まだ返事がきていないので、なんともいえません。デグラス伯爵閣下」
私の家名をデグラス閣下が呼ぶ。彼は私が主催している倶楽部に加入している方である。私の美食家ぶりを評価してくれており、倶楽部の運営資金を援助してくださっていた。彼は目の前にある皿の上の肉を給仕に切らせて、口へと運んで貰っていた。
己の手で食べる労力を掛けたくないようで、食事中の彼は口を動かすのみ。時折、気が向けばワイングラスを掲げるくらいだ。彼の様に怠惰になるつもりは私にはない。腕の良い料理人を雇い己の手で食すのが一番である。
「そうか。噂を信じるならば、アストライアー侯爵は随分と料理について知見があるようだ。邸で出される食事は賄も素晴らしいと聞き及んでいる」
デグラス閣下が更に肉を口に含み数度噛んで嚥下した。確かに肉は柔らかく嚙み切る力は殆ど必要ないが、肉の味を隅々まで味わえないだろうに。
「女神さまもアストライアー侯爵邸で出される食事を甚く気に入っているとか。死ぬまでに一度は食してみたいものよなあ」
「ええ、閣下。女神さまの舌を唸らせるアストライアー侯爵家の食事……私も俄然興味があります。それ故に手紙の返事を待っているのですが、まだくる気配はなく」
デグラス閣下の目がギロリと動いて私を見据える。私よりも家格の高い家出身のためか、随分と雰囲気のある視線だった。夜の時間帯だというのに魔道具に頼らず、蝋燭の明かりだけで部屋を照らしているため余計に威圧感があった。
折角の美味い食事が台無しだと叫びたい所だが、相手は私が主催する会の後ろ盾だ。彼の意見を無下にすれば、運営資金を打ち切られるかもしれない。本当は我が家の資金だけで倶楽部を運営したいところだが、大所帯となってしまったため彼の援助が必要なのである。
「そうか。焦ってはならぬな。開催日は二ヶ月先、侯爵も予定を調整している最中かもしれん」
本当にアストライアー侯爵が私が主催する晩餐会に参加してくれると良いのだが。できることならば侯爵邸で提供されている料理のレシピを手に入れたい。
ただ、子爵家でしかない私の家のレシピが侯爵家のレシピに敵うのかどうかは分からないし、口が肥えているであろうアストライアー侯爵が我が家の料理を気に入ってくれるかは未知数だ。これで我が家の料理を彼女に認めて貰えたならば、倶楽部の会長として鼻が高くなるし皆に自慢できる。女神さまが我が家にくるはずはないので侯爵の舌を満足させられるかどうかに掛かっているのだろう。
「ええ。最高の食材が提供できるようにと、既に我が家の者たちには方々を出回っております。デグラス閣下もお気に召すかと」
「うむ。期待している。卿の家の料理は美味い。貴族はやはり平民とは違い贅沢をしてこそだ!」
デグラス閣下がにたりと笑う。私も彼の雰囲気に呑まれないようにとどうにか笑い、アストライアー侯爵が晩餐会に参加してくれますようにと願うのであった。
◇
クレイグが調べてくれていたお貴族さまの調査報告が届いた。アストライアー侯爵家の諜報部隊が機能しているようでなによりであるが、本当にどうやって情報を仕入れてきたのだろうか。
諜報を担ってくれている方にどうやって情報を得ているのですかと私が聞いてみれば、秘密ですよとにんまりと笑みを作ってはぐらかされた。それなら服部と風魔のご老体に聞いてみれば、彼らも専売を易々と売るわけにはいかないとケラケラと笑っていた。確かに皆さまに知れ渡れば商売が上がったりだし、私が諜報活動を行っても目立つだけのような気がする。グイーさまに聞いてみるという最終手段があるので、どうとでもなりそうであるが。
そんなこんなで私を夜会、もとい晩餐会に誘ったお貴族さまはとある会を主催している方だとか。
――美食倶楽部。
アルバトロス王国や周辺国のお貴族さまで、食に強く関心を持っている方が所属している集団だとか。入会するには会長である私を晩餐会に誘ったお貴族さまの舌を唸らせねばならないそうだ。報告してくれているクレイグは『なんだそりゃ』と言いたげに片眉を上げながら、調査報告書に目を落としていた。
「そんな集まりがあるんだねえ」
王都のアストライアー侯爵邸の執務室で私は目を細める。長期休暇中ということで人気が少ないのは仕方ない。ソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまも領地に帰郷中である。
ソフィーアさまとセレスティアさまはギド殿下とマルクスさまとお出掛けする約束をしているらしい。ソフィーアさまとギド殿下は心配いらないだろうが、セレスティアさまとマルクスさまは大丈夫だろうか。そんな人気の少ない屋敷の執務室はクレイグとジークとリンしかいない。サフィールは今日も託児所の職員として忙しなく働いている。
しかしまあ、美食倶楽部なんて集まりがあるとは全く知らなかった。私がお貴族さまの世界に疎いだけだろうけれど、家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまから話を聞いたことはない。彼らも美食倶楽部は私に脅威はないと判断しているか、関わっても問題ないと結論を下していたのかもなと、報告書から私へと視線を移していたクレイグが口を開いた。
「聞いた話によれば、騎士関連の家の連中は狩猟会ってもんがあるらしいぞ。野生の動物を仕留めて食べることは一種のステータスなんだってよ。美味くて腹が満たせりゃ文句ねえんだがなあ」
クレイグは器用に先程とは反対の片眉を上げて妙顔になっていた。ジークとリンが補足してくれたのだが、騎士は狩りもできて一人前なのだとか。戦場に赴いて現地で野生動物を仕留め、士気を高めたり腹を満たすことが騎士の本道とされている。討伐遠征に赴いた時の騎士団と軍は配給制だったから少し古い価値観なのだろう。食料が現地調達だと略奪が起きそうである。
「まあ、考え方はそれぞれだしね」
私はクレイグが片眉を元の位置に戻して肩を竦める仕草を見てから返事をした。他人様の矜持や生き方に口を挟むのは野暮というものだし、いろいろな方がいるんだと捉えていた方が気が楽である。
「でだ。一応、例の貴族は後ろ暗いことはしてないようだな。普通の子爵位の領地貴族だ。ただ美食が過ぎて食費に金を掛け過ぎているのが玉に瑕なんだとよ」
私を誘った子爵さまは普通のお貴族さまのようである。運営状態も黒字であるが、収益に対して出費が多いようである。子爵さまの場合食べ物にお金を掛けているようだから、エンゲル係数が高い家のようだ。アストライアー侯爵家も結構な出費を要しているが、収入が多いので心配は要らないそうだ。
「それは大変だね。みんながご飯大好きなら良いけれど、ご飯に興味がなきゃ真っ先に切り詰めるところのような」
「そうか? 貴族は見栄を張るから手を抜きそうにないぞ。ってまた話がズレてる。会長がナイに晩餐会の誘いを掛けたと倶楽部のメンバーに騒がれているんだとさ」
私とクレイグは幼馴染というお陰かどうしても話が脱線し易い。クレイグが話を軌道修正してくれて、子爵さまのことに戻った。美食倶楽部に所属している方々の間では、会長が私を晩餐会に誘ったと盛り上がっているようである。食べるの専門だし、懇切丁寧な食事のレポートを記して欲しいと言われても私には無理である。美味しいと食べることしかできない私を晩餐会に誘ってどうしたいのか。
「騒ぎになることじゃないんだけれどねえ」
本当に騒ぎにするようなことではないのに。晩餐会に参加して私は美食家というより、健啖家と理解して貰う方が良さそうな気がしてきた。晩餐会に参加すれば美食倶楽部への入会を勧められそうである。
「ヴァルトルーデさまとジルケさまがナイの屋敷で過ごされているからな。余計に注目が集まっているようだぞ。ナイが前に開いた夜会で女神さまがいることは噂じゃなくて事実になっているからな」
うーん。私が晩餐会に赴くとなればヴァルトルーデさまが興味を示しそうな気がする。以前に参加した夜会――豚肉を買い付けた時の夜会――は随分と必死になってお留守番をお願いした記憶が残っている。今回、興味を示したヴァルトルーデさまを説得するのはかなり骨が折れそうである。それならばと私はクレイグに視線を合わせた。
「なににせよ、厄介なことにしかならない気がするからお断りするね。興味はあるけれどアルバトロス城や他の国の晩餐会で食べた料理と一緒か、敵わない気がするし」
「無難だな。それに秋になりゃアストライアー侯爵領に移って、ナイが侯爵家の指揮を執るようになるんだ。他の連中に笑われないようにしねーとな!」
秋から冬にかけてはアストライアー侯爵領で過ごすことにしている。ミナーヴァ子爵領にも赴いて視察やらとうもろこし畑の様子やらをみていかなくてはならない。やることが多いし、お貴族さまの夜会に参加して顔を広めるのも良いが、領主の本分は領地経営に精を出すことである。侯爵領と子爵領の領主である私は気合を入れて頑張らなければ。
「まだ暫くは代官さま任せだけれど、大枠の指揮は執りたいよねえ」
まだまだ当主として未熟なのでいろんな方に頼っているが、いつかは全て自分で運営できるようになりたい。お貴族さまの当主は命令を出すのが仕事なので、細かいことには携われそうもないけれど。私は将来自分がどうやって領地を運営しているのやらと苦笑いをしていると、クレイグが怪訝な顔で言葉を紡ぐ。
「おい、突っ込めよ!」
「え、期待してたの!?」
どうやらクレイグは笑われないようにしないとの所で突っ込みを入れて欲しかったようである。ボケたのかもしれないが、特に気にすることなく私はスルーを決め込んでいた。彼なりの冗談と捉えていたのだが、私が放置していたのが駄目だったようである。
「そこは突っ込むか話に乗るところだろーが!」
会話のキャッチボールは難しいよねえと私が目を細めると、クレイグは咳払いをして仕事を続けると言い出したのだった。
◇
ナイは今頃執務室で仕事をしている最中だ。邪魔をしてはいけないと居候である私はアストライアー侯爵邸の図書室で本を読んでいた。時折、私の周囲が光っているのは妖精が周りを飛んでいるのだろう。姿を見せてくれないのは恥ずかしいからだろうか。好奇心の高い妖精がいれば、姿を現してお喋りができるのだけれど……今日はいないのかとふうと溜息を吐いた時だった。
『女神さま、お話聞かせて!』
光の玉から妖精が現れて私の前で礼を執る。畏まらなくて良いのに、彼らは私に対して敬意を払ってくれていた。
「良いよ。どんな話が良いのかな?」
私が妖精に問えば、姿を現した妖精は気さくなようで肩の上にちょこんと乗った。少しクロみたいだと私が目を細めると、妖精が照れ臭いのか顔を逸らした。けれど私に話して欲しい内容は決まっていたようで直ぐに答えが返ってくる。私は妖精の要望に応えようと開いていた本を膝の上に置いて視線を合わせる。
『このお屋敷の話! お料理が美味しいって本当?』
「本当だよ。ナイはいろいろな料理を料理人のみんなに作って貰っている。品数がたくさんあるし、同じ料理が連続してでてくることがないんだ。家で作って貰っていた時はパンとスープが基本だったから、ナイの家の食事は凄く楽しみ」
本当にナイの屋敷で提供されているご飯は美味しいし、同じ料理が数日続くことがない。誰かから大量の同じ食材を貰えば、似たような料理が続くけれど飽きないように工夫されている。
リームの芋は蒸かしてバターと塩で食べたり、ポテトサラダになったり、コロッケ、フソウのニモノ、肉じゃが、本当にいろいろな料理になって提供されていた。凄いよねえと妖精に話せば、魔素で生きている妖精には分かり辛い感覚なのだそうだ。
「えっと、土地によって魔素の質や感覚が違うよね?」
『うん! ここの魔素、気持ち良い』
説明は難しいと頭に思い浮かんだことを直ぐに口にしてみた。
「きっとそれと同じかな? うーん。違うかも?」
口にしてなにか違うような気がして微妙な答えになる。私が悩んでいる姿を見せたことで妖精は無邪気に笑い始めた。妖精に悪意はないと分かっているので咎めることでもない。
『女神さまでも分からない!』
「そうだね。知らないことも分からないこともあるよ」
きゃっきゃとはしゃぐ妖精は私の話を聞いて満足したのか、直ぐに姿を消してしまった。気になってどこに行ったのだろうと少し力を使えば、アルバトロス王都の街中へ繰り出したようである。きっと妖精らしい悪戯をしにいったのかと、膝の上に置いていた本をもう一度開くのだった。
◇
貴族や金持ちの商人が休み期間に入り人手が少なくなる夏の時期の軍人は、アルバトロス王都に出向いて警備の任に当たることが多い。今年も例に漏れず俺たち大隊は王都に戻って、部隊を編制し王都の治安を維持している最中である。
やはり生まれ故郷というか、母ちゃんたち家族がいる場所で過ごすことができるのは有難いことだと大隊長として宛がわれた執務室で部下からの報告書に俺は目を通していた。
どの報告書も平和な内容そのもので、時折商業地区の店先で狼藉を働いていた者を捕まえたと記されているくらいである。本当にアルバトロス王国は平和だと、紙から目を離せば部下が俺の前に立っていた。邪魔してはならないと声を掛ける機を見計らっていたようで、俺と視線が合った途端に部下の彼は口を開く。
「隊長~ベン大隊長~」
「おう、どうした?」
俺を呼んだ彼とは長い付き合いとなる。お嬢ちゃんを貧民街から連れ出した時から同じ部隊に所属しており、憎めない性格のためか同僚たちとも仲が良い。
少しおちゃらけた性格だからか遠征先の住人とも早々に受け入れられ、仲良くなっている姿を良く見ていた。お嬢ちゃんも『あの時、私の臭いを嗅いだ人!』と覚えているようで、他人にあまり興味を向けないお嬢ちゃんが彼を覚えていたのは珍しい。
「なんだか、こう呼ぶのは慣れませんねえ」
「大丈夫だ、俺も慣れないからな」
俺も大隊長と呼ばれることにまだ慣れていないから、俺の名を呼ばなければならない者も慣れていないだろう。俺が肩を竦めると、苦笑いを浮かべている目の前の彼が苦笑した。
「まあ、隊長の呼び方なんてどうでもいいことです」
「お前なあ……で、どうしたんだ? 仕事中に呼び止めたなら、なにかあったんだろ?」
一応、勤務中や任務中に無駄話をするような彼ではないと知っている。なにか伝えたいことがあって俺の名を呼んだのだろう。様子を伺っていたから優先度は低いようだが、彼としては俺の耳に届けておきたい内容なのだろう。
「ああ、そうでした。あの子の噂が流れていましてね。なんでも凄い美食家なんだとか。女神さまをも唸らせる手腕で柱さまたちの滞在を引き留めているって……なんだか俺たちが抱いているあの子の姿とズレているんスよねえ」
「お嬢ちゃんは美食家というより、大喰らいだからなあ。あの身体に入る量が多過ぎなんだよなあ。教会の神父さまから大食いの理由を聞いたことがあるが、未だに信じられねえ……」
お嬢ちゃん自体は本当に普通の子である。彼女に関われば分かるが、話しかければ気さくに応じてくれるし、知り合いになり仲を深めて行けばお嬢ちゃんから声を掛けてくれる。
彼女の後ろに控えているジークフリードとジークリンデの視線が少々怖いと軍の連中から聞くことがあるものの、お貴族さまや商家の家の者たちよりお嬢ちゃんは穏やかである。
一応、お嬢ちゃんの大喰らいの理由を教会の神父さまから聞いており、多大な魔力量を維持するため食べ物で賄っているとか。だから直ぐに腹の虫がなり、出された料理はきっちりと食すのだろうと。
「あの子、遠征先だと腹の虫を良く鳴かせていたっスから、美食というよりは健啖ってイメージっス」
「だよなあ。生えてた果物を渡せば喜んで食ってたし」
遠征に出れば食事にありつけないことが多々あるので、お嬢ちゃんにとってはキツイものだったかもしれない。彼女は空腹には慣れていると口にしていたが、腹が空けば集中力が途切れてしまう。ある意味、難儀な体質である。良く腹の虫を鳴かせていたから、軍の連中が貢物として獲った食べ物をお嬢ちゃんに渡していたが。
「でも女神さまの部分は真実ですよねえ、お屋敷にずっと滞在していらっしゃるようですし」
「つか、誰が流し始めたんだ?」
「出所が分かんないんスよねえ。女神さまの一日が詳細に語られる話もありますから、本当に不思議っス」
何故、警備が厳重な彼女の屋敷の情報が洩れるのか。家の使用人たちはかなり厳しい書類審査と面接を受けているのに。一体誰がと俺は考え始めて、一つの答えが思い浮かんだ。
「まさか妖精の仕業か……?」
「妖精なんているわけな……くはないっスよね。あの子の家は凄いことになっているんスから、妖精が居たって不思議じゃないかあ」
俺がぼそりと呟けば、目の前の彼が目を見開いた。でも直ぐに考えを改めたのか妖精の存在を直ぐに認め、お嬢ちゃんの屋敷の状況も掴んでいる。女神さまが過ごしていらしている屋敷に妖精が居付かないはずはない。妖精は魔素が高い場所を好むらしいので、お嬢ちゃんの屋敷は丁度良い場所だ。俺はふうと息を吐いて目の前の彼を見据える。
「噂が流れているだけなら良いんだが、妙な連中がお嬢ちゃんに手を出さなければ良いんだがなあ」
「ですよねえ。あの子が怪我する姿なんて見たくないっスよ」
俺の言葉に彼が目を細めてお嬢ちゃんを心配していた。彼女が思い悩んだり困っている姿をあまり想像できない。おそらくお嬢ちゃんが一番困ることは、幼馴染の連中がいなくなることだろう。幼馴染たちが自分たちで決めた道を進むならお嬢ちゃんも応援するだろうが、理不尽な別れがあればかなり落ち込みそうである。そして目の前の彼はお嬢ちゃんに対する認識が甘いと俺は口を開いた。
「そうじゃない。手を出した方が大火傷をするか、消し炭になるからな。そっちの心配だ」
「そっちっスか!? 酷くないです、ベン隊長!」
「良いか、良く考えろ。お嬢ちゃんの周りを思い出せ。公爵閣下……じゃないボルドー男爵さまが後ろ盾になっている時点で恐ろしいのに、それ以上のものをお嬢ちゃんは抱えているからなあ」
元ハイゼンベルグ公爵閣下が後ろ盾になっているどころか、ヴァイセンベルク辺境伯家にアルバトロス王家、亜人連合国とアガレス帝国とフソウ国は確実にお嬢ちゃんの味方である。
何故かリームも好意的だし、ヴァンディリアは第四王子の件で大きな態度を取れなくなっている。ヤーバン王国とも友好を築いているし、共和国からアルバトロス王都の教会に研修生を送っているのは、お嬢ちゃんの活躍があったからとか。
そんな交友関係を築いているお嬢ちゃんにアルバトロス国内の貴族が手を出せばどうなるか……結果は分かり切っている。お嬢ちゃんに手を出した者が痛い目に合うだけだ。ボルドー男爵閣下であれば『煩い蠅が落ちたな!』と喜びそうだが、事後処理を任される可能性がある俺たちは平和に穏便にと願うばかりである。
昇進して自分の耳に入る情報が多くなり、お嬢ちゃんの活躍の話は届いている。本当に規格外のお嬢ちゃんだと俺が苦笑いを浮かべていると彼は顔を青くしていた。
「確かに前閣下があの子の後ろに控えているだけでチビりそうっスからねえ。ちょっと誰かがあの子に興味を示していないか、気を張っておくっス」
ボルドー男爵の覇気は凄い。目で殺すと言わんばかりの眼光と年齢にそぐわない巨躯で随分と威圧感を相手に与えている。ご本人と関われば気さくな方と分かるのだが、関わるまでが大変である。
ちなみにボルドー男爵から頂いた俺の一張羅は家に家宝として飾ってある。着用する機会はもうないので少々勿体ない気もするが、母ちゃんは家宝の服を見ながらお嬢ちゃんの屋敷での茶会が夢のようだったと少し艶のある溜息を吐いていた。女性は強いよなあと感心するが、男もちゃんとするべき時はきちんとしている。現に目の前の彼は他に噂がないかと探りを入れてくれるようだ。
「おう、頼む」
俺が返事をすれば彼は『了解っス!』と声を上げて、隊舎の自分の部屋へと戻って行った。
――数日後。
今日もアルバトロス王国王都は平和だと、俺は大隊長用の執務室で作業をしている。ベン大隊長入りますね、という声が扉の向こうから聞こえ俺が応じれば、長く付き合いのある部下が入室してきた。執務机の前に立ち敬礼を執って、先日噂を集めてくると言い残した彼が口を開く。
「隊長~ベン大隊長~!」
「なんだ、少し前にも同じやり取りをした気がするぞ」
「そんなのどうでも良いっスから、俺の話を聞いてください!」
確かに話の腰を折るような物言いは良くなかったと俺は部下に謝罪を入れる。気を取り直した彼は背筋を正して敬礼をした。
「セボン子爵があの子に晩餐会の参加打診を送ったそうですよ。王都の高級肉店の従業員の間で噂になっているとか。他の高級食材店でも同じ噂が流れているっス」
ビシッと決めているが話し方が独特な彼の口調のお陰で緊張感は少ない。しかしまあ、アルバトロス王国一の美食家と自称しているセボン子爵がお嬢ちゃんに興味を持ったのは仕方のないことだろう。
セボン子爵は平民は野菜を貴族は肉を食べよと提唱していたはずである。もちろん極端な例であり、貴族であっても野菜は食すし、平民であっても肉を食べる。もう少し詳しく語れば、食べる物の質が違うと言えば良いだろうか。値が張る品は貴族が食すべきという考えの方のようで、彼の周りに集まる貴族も同じことを提唱している。
約百年前までは本当に平民と貴族の食べる品は違うと分けられており、平民は野菜や黒パンを貴族は肉とパンをという風潮だった。百年の時間を経て、栄養を考えて野菜と肉を両方食べようと提唱する者が出てきて受け入れられている。貴族社会でも同様で健康志向が高まっており肉と野菜両方摂るようになっているし、過度な飲酒は身体を壊すと言われているとか。
なににせよセボン子爵はお嬢ちゃんが苦手とするタイプと見た。彼女は貴族と平民が同じ食事を摂っても気にしないし、むしろ腹を満たそうと俺たち平民を誘ってくれる。セボン子爵の周りに集まっている貴族もお嬢ちゃんが苦手としそうだが、果たしてお嬢ちゃんはセボン子爵の晩餐会の誘いを受けるのだろうか。答えはどちらにせよ……。
「そうか。セボン子爵の無事を祈っておこう」
「いや、それで終わんないでくださいよ! あの子に手を出して潰れたアルバトロス王国の貴族家は増えているんスよ! 最近は控えているっスけど、なんだか嵐の予感としか……」
確かに二年前ならお嬢ちゃんにちょっかいを掛けて、成り上がりの彼女を潰そうと企んでいる者が多かった。だが後ろ盾の二家や王家に他国が怖くて尻込みして、本当に手を出したものは極少数である。で、極少数というのがバーコーツ公爵家だったわけだが、悪評が流れていた彼らは無事に廃爵されている。
「諦めろ。アルバトロス王国の腐敗が正されたと受け取る方が胃に優しいぞ」
バーコーツ家と彼の家に連なっていた者たちは贅沢三昧を働き、アルバトロス王家のたんこぶだった。それが取れて随分とスッキリして、軍や騎士団や街道整備に掛ける金が増えている。腐敗が正され正しく税金が使われるなら喜ばしいことはない。悪いことをしていた者たちには申し訳ないが、国には税金を正しく使って欲しいものである。
「腐敗といってもセボン子爵は私財を食に注ぎ込み過ぎているだけで、あとは普通の子爵さまっス! 領地の人たちが路頭に迷うっスよ!」
彼によればセボン子爵は普通のお貴族さまだとか。ただ食に傾倒し過ぎて私財は全く増えていないそうである。それはそれで困ったものだろう。領地が瀕した時に私財を投げ打てないのだから。ただ今は平時であると俺は口を開いた。
「そうだったのか。なら大事にならずに、なにもなく晩餐会が終わると良いんだが……セボン子爵以外にも彼に関係する貴族が参加しているだろうしなあ」
「あ、そっか。セボン子爵だけでなく、他のお貴族さまも……不安っスねえ」
セボン子爵に問題がなくとも彼の周りに控える貴族が欲を出せば、お嬢ちゃんに迷惑を掛けるだろう。
「まだお嬢ちゃんが参加すると決まったわけじゃないし、噂が流れていることは上層部に報告しておこう。お嬢ちゃんも独自ルートで情報を仕入れていそうだけどな」
未来は分からないけれど、打てる手は打っておくべきだ。とはいえアルバトロス王国上層部に丸投げするだけである。ハイゼンベルグ公爵閣下が引退した今、お嬢ちゃんの扱いにアルバトロス上層部は頭を抱えていそうだなと、俺は目を細めるのだった。