魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
夏の暑さが一番キツイ時期になっている。アルバトロス王国は平和そのもので、気持ちの良い日々を過ごしていた。細々とした問題は起こるものの、優秀なアルバトロス王国の者たちに任せておけば勝手に解決していることである。
私が妃に晩酌のワインが美味いと伝えれば、長続きすれば良いですねと答えが戻ってきた。平和な時期は直ぐに終わるという意味だったのかと頭に過るが、きっと他意はないはずと言いたいことを飲み込んだ。
きっと我が妃は単に美味いワインをずっと飲めるようにと願ってくれていただけである。そんな平和なアルバトロス城の執務室で、私はアルバトロス王として仕事を捌いている最中だ。強い陽の光が窓から差し込み部屋の中は明るい。
「陛下、御機嫌ですな」
部屋に居た宰相が私の手元に視線を向けながら問いかけてくる。私の手元にはとある街道整備に着手するための許可を記した紙があった。上質な紙でできているソレに私はサインを施した。それを宰相が回収して、次に私がサインをしなければならない紙を差し出した。
「そうか?」
「ええ。まあ忙しい時期は過ぎ去りましたからね。陛下にもゆるりと過ごされることも必要でしょう」
「そうだなあ。避暑地に暫くの間赴いてみるのも良い手かもしれんな」
私は感情を外へ出さぬようにと訓練を受けているが、平和なアルバトロス王国が嬉しくて顔に出ていたようである。宰相は私を見ながら苦笑いを浮かべているが、嫌な感じはしないので単に私の心配をしてくれているだけ。
今、私が言ったように少しの間執務を休んで避暑地で静養するのもアリかもしれない。そのためには護衛を用意する必要があるし、私たち王族の移動で多くの平民に制限を敷くことになる。無駄に税を使ってしまいそうだし、どうしたものかと私がサインをしながら悩んでいれば誰かが執務室を訪ねてきたようである。宰相が取次ぎをして、訪ねてきた者を中へと招き入れた。
「アストライアー侯爵から南の島での報告書が上がってきました!」
「分かった。直ぐに目を通す」
私の前で敬礼を執った近衛騎士がアストライアー侯爵の南の島での報告書を持ってきてくれた。私が直ぐに受け取れば、近衛騎士の彼は直ぐに執務室を出て行く。執務机に置かれた書類に私は視線を降ろす。去年より報告書の項が増えているのではなかろうか。
もしかしてなにか島でトラブルが発生したのだろうか。亜人連合国と仲違いしたとは考え辛い。それよりも歴史的価値のある遺跡を見つけたとか、新種族を発見したとかの方が信じることができる。一昨年も昨年も遺跡を見つけたり、魚人を亜人連合国が保護することになったと信じられないことばかり記されていた。三年目となる今年はなにも起こらなかったと願いたいが……さて。
私が神妙な顔をして報告書を手に取れば、宰相が『お気を確かに、陛下』とまだ目を通していないのに不穏なことを口走る。
「まだ読んでいないんだが」
「陛下。お気づきになっておりませんか……顔が強張っておりましたよ」
「ぬう……どうにも去年より項数の増えた報告書が気になって仕方ない」
宰相に愚痴を吐いたことで少しは気が楽になったのか、手がすっと書類に伸びた。そうしてアストライアー侯爵の報告書に目を通していくのだが、女神さまが徒競走をなさったというのはどういう経緯でだろうか。
しかも勝者には賞品が出ているようで、参加した者には参加賞が贈られたようである。西の女神さまは無事にお勝ちなさったようだが、もし西の女神さまが負けていたらどうなっていたことか。亜人連合国の者たちもアストライアー侯爵もなにをしているのだと言いたいところを私はぐっと堪えていると宰相が私の名を呼んだ。
「いや、女神さまが徒競走に参加なされたそうだ」
「はい? 徒競走ですか? 徒競走……ただ走っただけですが、女神さまが徒競走をなさっている姿を描き辛いですね」
私は宰相の悩んでいる姿に頷いて、まだ続きがあると報告書に目線を降ろす。
「む」
まあ良いと、読み進めていると気になる所が直ぐに出てきた。
「どうなされました、陛下?」
「ガル男爵がアストライアー侯爵と出掛ける約束を取り付けたようだ。しかし……彼は賞品としてアストライアー侯爵との出掛ける約束を取り付けるしかなかったのか」
どうやら侯爵の側でずっと護衛を務めている赤毛の双子の彼が徒競走の賞品として願ったようである。赴く場所はまだ決まっておらず、アルバトロス王都の街も候補の一つになっているとか。
侯爵は外へ赴き騒ぎになるのが嫌なようで、静かな場所で彼との外出を楽しみたいそうだ。彼女が名を上げ貴族となっていなければ可能であるが、今や四大陸で名を馳せているのだ。静かな場所を見つけるのは至難の業だろう。
しかし彼はもう少し女性への誘いを上手いことできなかったのかと、私は宰相と視線を合わせた。
「微笑ましいですよ。ガル男爵の精一杯なのでは? アストライアー侯爵は二年で成り上がった方ですし、ご本人は婚姻に興味を持たれていませんからねえ。本来であれば、どこかの国の王子を紹介して欲しいとアルバトロス王家を頼っても良さそうですが」
「友好国の王子であれば紹介もしようが、功績で釣り合う相手がいないからな。ガル男爵には期待しよう」
聖女として成り上がった彼女と邪竜殺しの英雄であれば釣り合いが取れるはず。それに我々が無理矢理に婚約者を押し付けるよりも、彼女の身近な者が名乗り出てくれれば有難い。
アルバトロス王都で開催されている観劇の鑑賞券をガル男爵にこっそり手配しても良いのだが、ヴァンディリアの第四王子の件で『観劇』には少々気を付けねばならぬ。叔父上、ボルドー男爵によればアストライアー侯爵は観劇より飯なのだそうだ。それならば高級料理店の予約でもと一瞬頭に浮かぶものの、彼女が主催する夜会に参加した我が息子の言葉が頭の中に再生された。
『父上、アストライアー侯爵家の料理は城の料理人より優れているかもしれません……』
我が息子、王太子のゲルハルトはアストライアー侯爵家の夜会で衝撃を受けたようである。城の料理人が提供する料理よりも美味いものに有りつける機会は少ない。珍しい機会に恵まれてポツリと零してしまった言葉なのだろう。ゲルハルトが侯爵に美味かったと伝えれば、彼女は快く料理の作り方を書いた紙を渡してくれたとか。貴重なものを受け取るわけにはとゲルハルトは作り方の紙を受け取ることを辞退しようとしたが、アルバトロス城の料理人の手により新しい料理ができあがるかもしれないと押し付けられたとか。
そして城の料理人に再現されたクリームコロッケは本当に美味かった。確かに高級料理店や王城でもなかなか口にできないレベルのものだったため、王都の高級料理店の予約もインパクトが少ないだろうか。
とはいえアストライアー侯爵である。ガル男爵にこっそり手配しておくのもアリだろう。お節介と言われてしまいそうだが難儀しているアストライアー侯爵家の者たちには、彼女に婚約者を添えることに注力して欲しい。
そして、アストライアー侯爵家の侍女頭と家宰は当主には恋愛のれの字も見受けられないと嘆いていたので少しは色気づいてくれれば朗報となろう。
私はまた報告書を読み進める。どうやら保護した魚人の村に狼藉者が押し入ったようだ。難なく撃退したが、助けた蛸に太洋の宮殿――海の神さまの城――へと招待されたようである。何故、そうなると言いたいが、アストライアー侯爵自身も何故そうなったのか分からないと記されていた。
「海の中にある大洋の宮殿に赴き、海神がいないことを知らされたそうだ。放置すれば海の環境が悪化してとんでもない事態になるとか」
海の中に宮殿があるとはと宰相が目を丸くして驚いているが、私的にはアストライアー侯爵の帯同に西と南の女神さまと創星神さまも赴いていることの方が信じられない。
いや、面倒なことが起きれば神さま方に取り計らって貰えば良いという考えがあったのかもしれないが、ほいほいと神さま方を引き連れて良いのか悩ましい。ただ神さま方の意思で赴いているようなので、その点についてだけは安心できた。女神さま方に懐かれているためかアストライアー侯爵が彼らの機嫌を損ねることはしないようである。
しかしまあ……今度は海の神さまときたものである。しかも居場所が不明ということで海の中では割と大きい問題に発展しているようだ。
解決に創星神さまが乗り出すので大丈夫だろう。海の中の神さま方のことに人間である私が手を貸したところで貢献できないのがオチだから、あとは結果報告を待つしかないのだろう。どうか無事に解決しますようにと願うばかりである。
そうして二週間はあっという間に過ぎたようで、最終日前日にバーベキューを執り行ったようである。焼き奉行をベナンター準男爵とガル男爵が執り行ったとか。バーベキューでは無礼講と称して家柄も関係なく皆でワイワイ騒ぐのが楽しいものらしい。
「少し興味があるな。皆で酒を酌み交わしながら焼いた肉を食べるのは楽しそうだ」
「慰労を兼ねて、王城で催してみますか?」
私の声に宰相が軽く肩を竦めて提案した。皆で集まって騒ぐのも楽しいかもしれない。顔馴染みや日頃世話になっている者を集めて、酒を飲みながら肉を焼き食す。少し野性味が強いが、気心知れた相手であれば楽しいものとなりそうだ。
「小さい規模なら私財で行える。偶には皆で羽目を外しても良いかもしれないな」
庭園で行えば庭師の者たちが涙目になりそうなので、予算の編成から始め場所の確保を考えねばなと私は報告書に視線を戻した。アストライアー侯爵の報告書の締めくくりには、今年もトラブルがありつつも楽しい島生活だったとのことである。
そうして侯爵以外の者から送られてきた報告書にも目を通す。侯爵の報告書は時折に情報が抜け落ちることがあるため、他の者からの報告書に目を通すのも大事なことなのだ。
彼女の護衛である双子が記した報告書には初年度に島で見つかった遺跡の中にあった送還陣の破壊を女神さま方が行ったと記している。どうやらアストライアー侯爵は終わったことと判断して記さなかったようだ。あまりにも突飛な出来事があって忘れていた可能性もあるが。双子の兄からの最後にはとある二人の進展も記されている。
「聖王国の大聖女フィーネとベナンター準男爵の関係も進んでいるらしい」
「おや。誰からの報告でございましょうか。アストライアー侯爵閣下ではありますまい」
「良く分かったな」
「侯爵は色恋事に興味をあまり示していないので」
私が侯爵の護衛を務めている赤毛の双子の兄だと宰相に伝えれば納得していた。本当に侯爵には色恋事に目覚めて欲しいものである。二年という短期間で平民から侯爵位に昇りつめた者はアルバトロス王国の歴史上彼女のみ。
おそらく他国でも例がないのではなかろうか。そんな者が立てたアストライアー侯爵家が一代で潰れるとなれば大問題となるし、我々アルバトロス王国もなにをやっているのだと他国から批判を受けそうである。私は深い溜息を吐いて次の者の報告書をと手に取ろうとした時だった。また執務室に訪れた者がおり宰相が取次ぎをして内容を聞き出したようだ。宰相は扉から私の執務机の前に立ち口を開く。
「セボン子爵が晩餐会の招待状をアストライアー侯爵に送ったそうです」
「晩餐会……侯爵は参加しそうだが、彼が唱える考えは彼女には受け入れがたいものだな。見送って欲しいものだが、王家が彼女の交友に口出しするのは無粋だ」
晩餐会に誘われたアストライアー侯爵が嬉しそうに参加している姿をありありと思い浮かぶ。だがセボン子爵が唱えている平民と貴族が食す品は価値が全く違い、別けて考えるべきというものは侯爵に受け入れられるのか。貧民街で幼少期を過ごした侯爵のことである。食に関して過剰な拘りを見せているが、他の者も美味しいものを食べて欲しいと彼女は願っているのだ。
「セボン子爵自体に問題はありませんが、彼の美食倶楽部に出資しているデグラス伯爵には難がありますからね。領地で重税を敷いております」
宰相の言う通り、セボン子爵には問題はない。ただ、美食倶楽部のメンバーに妙な者が増えているというべきか。人が集まれば妙な者が出てくるのは仕方ないことではある。アルバトロス城で働く者たちにも変な輩や疎まれている者、いろいろといるのだから。そんな者たちを上手く適材適所に采配するのも私たち上層部の仕事ではあるが。今はデグラス伯爵のことであろう。
「ふむ。以前から小耳に挟んではいたが……私が貴族の領地運営に口を出すことはできぬが少し牽制を掛けてみるか。余りに酷ければ、いずれ嘆願が届く」
「デグラス伯爵領に影を送れ。一先ず、詳しい情報を。念のためにセボン子爵もだ」
「承知致しました」
私は恭しく頭を下げる宰相に頷いて、執務を続けるのだった。どうか海のことも晩餐会のことも無事に終わるようにと願いながら。
◇
八月末。地元に戻っていた方たちがアルバトロス王都に戻ってきていた。王都のタウンハウスであるアストライアー侯爵邸内は元の騒がしさを取り戻している。ヴァルトルーデさまはなんだかんだと屋敷の皆さまが地元へ帰省していたことが寂しかったようで、話し相手が戻ったことに喜んでいた。ジルケさまは相変わらず神さまの島と侯爵邸を行ったり来たりしているし、北と東の女神さまであるナターリエさまとエーリカさまも末妹さまほどではないが侯爵邸に顔を出してくれていた。
ソフィーアさまとセレスティアさまが例年通り領地のお土産を持参してアストライアー侯爵邸を訪ねてくれていた。少し暑いけれど日陰ならば問題なく過ごせるだろうと私はお二人を東屋へ侍女の方に案内して頂いた。
道すがらヴァルトルーデさまと出会ったようで、何故か女神さまも合流して東屋へと足を運んだようである。人数が増えるのは構わないけれど、ヴァルトルーデさまはお二人が用意してくれたお土産に興味を引かれたのかもしれない。私がお待たせしたことを詫びて席へ腰を下ろせば、ヴァルトルーデさまが口を開く。
「ソフィーア、セレスティア、おかえり」
ヴァルトルーデさまはお二人に一番伝えたかったもののようである。確かに普段一緒に過ごしている方が暫く不在だと寂しい気持ちが湧いてしまう。ただ私の台詞を盗られてしまったという感覚が強く残ってしまい、ヴァルトルーデさまに妙な反骨精神を向けそうになってしまった。とはいえ、先に台詞を盗られてしまったので私が同じ台詞を吐くのも変であると口を閉じたままにしておく。
「ただいま戻りました。ヴァルトルーデさま」
「ヴァルトルーデさま、戻って参りましたわ」
ソフィーアさまとセレスティアさまが綺麗に笑ってヴァルトルーデさまに小さく礼を執っていた。やはり根っからのお貴族さまできちんと教育を受けてきた方は礼の所作が凄く綺麗である。雑草根性が強く残っている私にはできないやり方だった。
ヴァルトルーデさまと挨拶を交わしたお二人は私へと視線を変えてにこりと笑った。何故か彼女たちの視線に圧が含まれているような気がすると私は身構えて無言を貫き通す羽目になる。
「ナイ、今年も領地からの土産を持ってきた。相変わらず、衣装に興味を持ってくれないと屋敷の者たちが嘆いているからな」
「侯爵位ならば一度袖を通した服は着ない、くらいの勢いですものねえ。ナイには難しそうです。ですが所持している服が少ないのは事実ですから」
お二人は領地で採れたお野菜や果物の他に毎回、私の衣装を選んで王都に戻ってきてくれる。他の侯爵位当主が衣装をどれほど所持しているのか分からないが、アリアさま、ロザリンデさま、フィーネさま、アリサさま辺りは私の服の少なさに驚いているから、女性は凄く服を所持しているのだろう。
どうにも服飾よりもご飯に興味を引かれる性質のため仕方ないといえば仕方ない。服にお金を掛けるなら、おかずが一品増える方が嬉しいのだから。
「毎年、ありがとうございます」
私が頭を下げるとお二人はもう少し興味を持って欲しいと苦笑いを浮かべていた。ヴァルトルーデさまはお二人が持ってきたお野菜や果物に興味を引かれているようである。中にはワインがあったので、きっとグイーさまに向けてのものだろう。次にジルケさまが屋敷にきたら、持って帰って欲しいと伝えてワインを渡しておけば良いだろう。
なんだかんだでお二人との付き合いは長くなっている。
日頃のお礼を兼ねてなにか渡したいけれど、改めてとなれば少々気恥しい。なにか良い方法がないかなと考えるものの、良案が直ぐに頭の中に浮かぶはずもなく。一先ず、興味を頂いた箱に向けているヴァルトルーデさまが気になるので、箱の中身を確認させて頂こう。
箱を開けるとお野菜さんがたくさん詰まっていた。日持ちする根菜類が多く、かぼちゃ、いも、にんじん、ラディッシュといろいろである。葉物野菜は移動で傷んでしまうから避けたとお二人が教えてくれると、ヴァルトルーデさまが嬉しそうな顔になっている。
「野菜、たくさん」
ヴァルトルーデさまが箱の中を確認してぽつりと呟けば笑みを零していた。どうやら料理長さんたちが目の前のお野菜さんを美味しく調理してくれた所を想像しているようだ。
「芋類が多い……?」
私は芋類が多いこと、特にジャガイモが多く入っていることが気になる。去年と一昨年は満遍なく根菜類が入っていたというのに。
「屋敷でくりーむころっけの評判が良くてな。その礼というべきか、なんというか。自然と芋が多くなったんだ」
「わたくしの屋敷でもですわ。皆、気に入っております」
どうやらクリームコロッケは多方面で様々な方の口に入り評価が高いようである。私的には多くの方に食して貰って、クリームコロッケの派生品が生まれないかなと期待している。新しいレシピでなくともソースや味付けが変わるだけで、違う変化を楽しめるだろうし、気に入って頂けたならばレシピを渡して良かった。
「じゃあ、エーリヒさまに伝えておかないといけないですね」
レシピはエーリヒさまから買い取って、自由に布教して構わないと許可を頂いている。自身が開発した料理ではないし、前世の記憶頼りで思い出しただけなので労力はさほど掛かっていないとか。でも私は作れないし、本当に気軽にレシピを譲って頂いたエーリヒさまには感謝しかない。他にもレシピを教えて頂いているし、彼にもなにかお礼を考えておかないと。
「エーリヒのご飯、美味しい」
ヴァルトルーデさまは私がエーリヒさまの名を口に出したことで、彼に想いを馳せているようである。ふふふと笑って幸せそうなので、この件についても彼に伝えておこう。
料理長さんも長期休暇を済ませて出勤しているし、本当にアストライアー侯爵邸は元の騒がしさを取り戻して平和そのものだ。ユーリも部屋から出る機会を増やし、体力づくりと日光浴を兼ねて庭をお散歩している。
まだ足取りは危なっかしいけれど、一人で歩いてきゃっきゃとはしゃいでいる姿は微笑ましい。偶にルカがユーリに近づいて変顔を披露し、面白かったのか満面の笑みを浮かべていた。私も一芸を身に付ければユーリは笑ってくれるだろうか。でも周りのみんなに、ルカを見るジア同様、呆れた顔をされそうなので駄目かもしれない。
「あ」
ユーリのことを考えつつ、別の件が頭に浮かび声が出た。もう済んだことのような気もするが、お二人に話を伝えておくべきだろう。一応、アルバトロス王国上層部にも連絡を入れているので大丈夫なはず。
「どうした?」
「なにかありましたか?」
お二人が私が短く零した声に気付いて首を小さく傾げている。
「えっと……とある子爵さまから晩餐会のお誘いを受けて興味を持ったのですが……お断りしようかなと。お二人はどう考えますか?」
私はお二人に事情を語れば凄く真面目な顔をしていた。私が社交に赴くことは構わないけれど、相手がなにか私に不利益を与えようとしていたら問題が出てくる。悪いお貴族さまであれば潰してしまえば良いのだが、事はそう簡単に運ばない。
性格が悪く偏屈であったとしても、領地運営は上手くこなしている方かもしれないため、社交界だけの評判では判断できないようである。一応、私を晩餐会に誘ったセボン子爵は調べによると普通の子爵さまらしい。美食倶楽部という集まりの部長を務めている方であり、特に問題を起こしてはいないようだ。ただ考え方が特殊なため、私には受け入れがたいものであったけれど。
「相手を潰すつもりならナイの領域に招くという手もあるんだが」
「そこまでお相手する必要もなさそうですしねえ。目的も分かっておりませんし、お断りするのが一番穏便かと」
確かに相手がなにか企んでいた場合、相手の領域に踏み込むよりも、こちらへ招いて対処した方が良さそうである。ただ今回のセボン子爵は私を晩餐会に誘っただけ。なにも悪いことはしていないようだし、特に関わる必要はなさそうだ。まだお断りの手紙は認めていないので、セボン子爵に直ぐに返事を送らなくて良かった。
「ではお断りの手紙を認めます」
私がお断りの手紙を入れると伝えると、ソフィーアさまとセレスティアさまがはっとした顔になる。
「代筆で良くないか? ナイの直筆で寄越せば勘違いしそうだが」
「ああ。直筆だと、興味があるし行きたいのですが都合が合わなかった……とも取れてしまうでしょうね。同じ手紙がまた届きそうですもの」
「貴族、面倒」
ヴァルトルーデさまが渋面を披露すると、ソフィーアさまとセレスティアさまが困った顔になる。西の女神さまは彼女たちを困らせたいわけではないと直ぐに『貴女たちのことじゃない』と訂正した。私的にはヴァルトルーデさまの気持ちは理解できる。ただお貴族さまとなった以上は、その世界のルールに従っていた方が無難だ。成熟された世界のルールは信憑性があるのだから。
ならば私は誰かに代筆を頼むことにしよう。面倒事が起きるなら、なるべく避けるべきだ。
話の一つを終えたと一つ頷けば、庭に疾風が巻き起こる。庭木が風に揺られて葉が掠れる音が鳴り響くと、東屋の近くに不思議な幾何学模様が浮かんだ。暫くその様子を眺めているのだが、誰か分かっているのでみんな騒ぐことはなかった。幾何学模様の上に人の形がゆらりと揺れれば、ジルケさまの姿が現れた。
「ナイ。親父殿が海神の居場所を突き止めたんだが、どうする?」
開口一番にジルケさまは私に質問を投げかけた。幾何学模様の上からつかつかと彼女が東屋に足を進めば、光っていた地面の幾何学模様はすっと消えた。
どかっと腰を下ろしたジルケさまに侍女の方が急いでお茶を淹れている。慌てなくて良いとジルケさまが気を使っているのだが、侍女の方は緊張している様子だ。彼女の緊張が少しでもマシになればと私はジルケさまに視線を合わせた。
「どうすると言われても、エーギルさまに報告するくらいでしょうか。そこから姫さまに伝わるでしょうしね」
私があっさりと答えるとジルケさまは微妙な顔を浮かべた。グイーさまは神さまの島に戻って海神さまの行方を捜してくれたようである。見つかったのでジルケさまを通して、海の皆さまに知らせたいようだ。
「なら、あたしが使者を務めるしかねえのか」
ジルケさまは私がどうするか聞けば、後ろ手で頭を掻き始める。ジルケさまが使者を務めてくれるなら、私が務めるより海の中の皆さまに話が伝わり易そうである。ただ末妹さまは凄く面倒な顔をしているので、なにか大問題でもあったのかと私は口を開いた。
「厄介なことになっているのですか?」
「どうだろうな。前の姉御みてーに引き籠っているらしいから、一先ず状況を海の連中に知らせて、どうにかさせようって親父殿が言ってた」
ジルケさまの声にヴァルトルーデさまがずーんと沈んでいる。どうやら引き籠っていた数千年の過去は彼女の中で黒歴史と化しているようだ。
確かに女神さまが引き籠もっていたなんて恥ずかしいことかもなと私がヴァルトルーデさまを見ると、むっと頬を膨らませて彼女はなにか訴えていた。ただ女神さまの心情は読み取れず、何故むっとしているのか分からない。ヴァルトルーデさまの感情も大事なことだが、海神さまの一件も大切なことである。放置すれば海の中が荒れて大変なことになってしまうのだから。
――ナイも一緒に行ってやってくれんかの?
ふいにどこからともなくグイーさまの声が聞こえてきた。突然の声にお茶を淹れていた侍女の方が茶器を鳴らしてしまい平謝りしていた。ヴァルトルーデさまとジルケさまが『脅かすの良くない』『あたしの茶になにしてくれんだよ!』とグイーさまに抗議する。
――おお、すまん! 驚かせるつもりはなかったんだが……慣れていない者は急に声が聞こえて驚くか。
グイーさまは責められた娘さんたちの言葉を気にしたのか、侍女の方に謝罪を入れていた。そうしてまた侍女の方が恐縮しっぱなしなのだが、そういえば女神さま方の接触になれてきた騎士爵家の侍女の方ではない。驚いても仕方ないかと私は侍女の方に気にしないで欲しいという視線を向けた。
「グイーさま、私も同行するのですか?」
私が問えばジルケさまだと不安だし、ヴァルトルーデさまだけだと更に不安になるから私も一緒に参加して欲しいようである。グイーさまに頼まれたら断る理由が見つからないと、分かりましたと私は返事をするしかない。私の隣に腰掛けていたジルケさまはふっと笑い、クロのいない方の肩にポンと手を置いた。
「ま、諦めろ。宿命ってやつだ、きっと」
なんだか腑に落ちないと私が目を細めていると、今度は誰かの足音が近づいてくる。ジークとリンが警戒していないので身内ということは直ぐに理解できた。足音の方へと顔を向けるとクレイグが東屋を目指して歩いている。
「閣下。ロステート伯爵から手紙がきております。直ぐに目を通して欲しいそうです」
「え、あ、はい。承知しました」
クレイグが手紙を持ってきてくれたのだが、丁寧な彼の言葉使いに吹きそうになる。ただ急いで目を通して欲しいようなので、手紙を侍女の方に開けて貰い私は中身を受け取る。
私が手紙を読むことにヴァルトルーデさまとジルケさまとソフィーアさまとセレスティアさまは問題ないようだ。私は早速、手紙に記されていた文字を追い、ロステート伯爵さまから『豚肉の供給を一時停止させて欲しい』というお願いだった。