魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
辺境伯家ではリョクチャという代物が出されたことは一度もない。本当にアストライアー侯爵家は不思議な場所だとわたくしアルティアは東屋から晴れた空を見上げます。
王都にあるアストライアー侯爵邸の東屋でリョクチャの味を楽しんでいれば、侍女の者がワガシという品を提供なさってくださいます。季節は秋のため赤く色づいた植物の葉を模したものだとか。職人の繊細な技術に感心しつつ一口分を口の中に運べば、柔らかい触感と甘さと匂いが口の中に広がりました。
もう少し甘くても良い気がしますが、大人の味と言われれば納得してしまいそうでした。目の前にいるハイゼンベルグ公爵夫人となったセシリアは『甘さが足りない』と渋い顔をしているので、子供の味覚を持つようです。
リョクチャにも大量の砂糖を入れていたので、彼女の味覚は子供染みているのでしょう。アストライアー侯爵邸で物珍しく美味しい品を頂くことができたと、夜会で自慢ができそうです。
ナイさまも珍しい一品を手に入れたと自慢気に語れば良いのですが、殊勝な彼女は珍しい品や幻獣魔獣を誇ることはありません。そういうところも好ましいと切り分けた最後のワガシを口にすれば、天馬さまがふいに顔を出してくださいました。
「ルカ、ジア、どうなさいましたの?」
天馬さまがきたことで一番初めに反応を示したのは我が娘のセレスティアです。黒天馬さまは私たちが気付いたことで、唇を器用に裏返して喜びを表現しておられます。赤天馬さまは黒天馬さまの横でじっとこちらへ視線を向けています。
侯爵邸に訪れて一時間が経った頃、ようやく……ようやく! 幻獣の方と堂々と触れ合える機会がやってきました。セレスティアには天馬さまにこちらにきて頂くようにとお願いしたいところですが、目の前にはわたくしの天敵であるセシリアの姿があります。みっともないところは見せられないと、滂沱の涙を流しそうになるのをぐっと堪えます。それにわたくしの足下では毛玉さまたちと仔猫が暇を持て余しているようで、お互いに遊び始めていました。
――天国かここは!?
と、頬が緩んでいくのが止まりませんが、一向に近づいてくれない天馬さま方にどうしたのかと一同首を傾げます。
「ルカ、ジア、こちらへきませんか?」
「誰も嫌がる者はいないぞ」
セレスティアとソフィーアさんが天馬さま方を誘導するように声を掛けておりますが、何故だかきてくださいません。以前であれば黒天馬さまは鼻を鳴らして軽快にこちらへとやってきてくれたというのに。
彼らの態度に困惑していると赤天馬さまが黒天馬さまの背に口元を寄せました。黒天馬さまの背をぐりぐりと掻く赤天馬さまの愛ある姿に感動を禁じ得ません。なんという素晴らしい光景でしょうかとほろりと涙が零れ落ちるところで、ハンカチを取り出しました。
「あら、目にゴミが入ったようですわ。失礼」
わたくしはそう誤魔化して目元の涙を拭います。セレスティアが少し呆れておりますが、まあ我が娘が気付いても問題ないですし、セシリアとソフィーア嬢にわたくしの本心が露見しなければ良いでしょう。
赤天馬さまが暫くぐりぐりと黒天馬さまの背を掻いていれば、翼の間、影になっているところからむくりと起き上がる方がおられました。は? 黒天馬さまの背の上で昼寝を敢行していた不届き者がいるだなんて……なんて羨ましくて贅沢な! いえ、違いますね。黒天馬さまの行動を阻害している愚か者め……! と憤っていると大あくびをして空へと両手を突き上げた方は南の女神さまでございました。
で、あればなにも問題はないのでしょう。女神さまが黒天馬さまの背をベッド代わりにしていたのは驚きですが、女神さまと魔獣や幻獣が触れあっていたのならば、彼らは神獣となりましょうし。凄い瞬間を見てしまったのではと目を丸くして驚いていれば、しゅたっと南の女神さまは黒天馬さまの背から降り、わたくしたちに視線を向けます。
「お? ソフィーアとセレスティアじゃねーか。夜の準備は良いのかよ?」
黒髪黒目の南の女神さまは軽い調子でソフィーアさんとセレスティアに声を掛けました。どうやらアストライアー侯爵邸で働いている娘たちは、女神さまと自然と会話できる仲になっているようです。これはハイゼンベルグ公爵家にもヴァイセンベルク辺境伯家にも益しかないと喜んでいれば、娘たちが小さく笑い南の女神さまへと声を掛けます。
「今日は客人として招かれているので、茶を頂いておりました」
「ええ。ジルケさまも一緒に頂きませんか?」
あまりにも普通に声にした娘たちに、わたくしとセシリアは驚きを隠せません。このままでは女神さまと一緒になってお茶を嗜むことになります。南の女神さまは娘たちの言葉に頷き、東屋へと軽快な足取りでやってこられました。
黒天馬さまと赤天馬さまもこちらへと近づいて、東屋の中には入らずに縁のところから顔を覗かせる形を取りました。嗚呼、触れたいという欲望と南の女神さまとお茶をしなければという使命がせめぎ合います。戦いの鐘が頭の中で鳴り響き、女神さまとのお茶が勝ちましたが僅差の勝負でした……残念です。ですが、南の女神さまと一緒にお茶を飲むという、この上なく光栄な事態へと発展していることにわたくしとセシリアは黙り込むしかありませんでした。
「お、リョクチャを飲んでるのか。ヨウカンがあると良いんだが……」
南の女神さまはテーブルの上を覗き込み、わたくしたちが飲んでいるティーカップの中身を確かめたようです。明らかに緑色のために直ぐに中身を理解して、嬉しそうな顔になっておられました。
ソフィーアさんとセレスティアは侍女の者に女神さまの分のお茶を用意するようにと指示を出し、席へとご案内します。邪魔するぞーと軽い調子で椅子に座した南の女神さまですが、黒髪黒目ということもありナイさまと姉妹のようでした。しかしヨウカンなる物は一体なにでしょうか。女神さまのご発言に全く見当がつかず、わたくしとセシリアが困り顔になっていれば南の女神さまがにっと笑い言葉をお紡ぎします。
「ヨウカンは甘くて美味いぞ」
端的な説明に更にわたくしとセシリアは少し困惑してしまいます。聞き慣れない言葉からナイさまがどこか異国の地から手に入れてきたと分かりますが、ヨウカンという物が食べ物であり甘味であるという情報しか手に入れられません。
わたくしたちが困っていれば、娘たちがフソウの茶菓子だと教えてくれました。南の女神さまはナイさまと同様にどこか情報を端折る癖があるのだと、淹れなおして頂いたリョクチャに砂糖を一さじ分入れました。
「……まじかよ。そのままの方が美味くねえか?」
「わたくしたちには少々渋みが強くございますので……申し訳ありません」
南の女神さまがわたくしの行動に凄く驚かれておりました。ですが砂糖を一さじ入れなければ、わたくしの口にはリョクチャが合いません。
女神さまが凄く驚いているお陰か、砂糖を大量投入しようとしたセシリアがびくりと手を止め、さっとひざ元へと戻しました。ふふ、次に茶会か夜会で彼女と顔を合わす機会があれば、揶揄って差し上げましょう。て、いけない。あまりの嬉しさに南の女神さまとお話していることを忘れそうになっていました。
「あー……謝んなくて良い。苦手なら上手く飲み食いできるに越したことはないんだし。あと別にそんな畏まらなくて良いからな。ナイの客人だろ。居候の身のあたしがこうして同席して、茶を貰ってる時点であたしの方が失礼だろうしなー」
右手を頭の後ろへと回して申し訳なさそうな顔をなさった南の女神さまは気にするなと仰います。有難いお言葉ですが、娘たちの様に女神さまがご参加しているお茶会の席で落ち着くには凄く時間が掛かりそうでした。セシリアは良かったと安堵したのか、さっそく砂糖入れに手を伸ばし、二杯、三杯とティーカップの中へと入れ込みました。
「…………っ!」
南の女神さまはセシリアの行動に目を見開きながら先程のご自身の言葉の手前、なにか言いたいのをぐっと堪えておられます。わたくしもセシリアのリョクチャへの砂糖の量は苦言を呈したいところですが、彼女がその方が美味しいと言っているのですから無粋な真似は致しません。
致しませんが、やはり入れ過ぎではと言いたくなるのは人間の性というもので。侍女の者が新しく用意してくれたヨウカンは黒曜石の如く輝きを放ち、甘さも丁度良い代物でございました。
あ、黒天馬さまと赤天馬さまとは、あとで背に乗せて頂き侯爵邸の庭を凄い速さで駆け抜けるのを娘と共に楽しみました。
◇
――アストライアー侯爵邸、図書室。
図書室では紙の独特な匂いが満ちており、書棚にびっしりと詰まった本棚に私は目を細める。私が当主を務めるヴァイセンベルク辺境伯家にある蔵書は歴史を重ね古書もあれば新書もあるのだが、新興のアストライアー侯爵邸には比較的真新しい本が多くある。
それも当然だ。ナイという少女はたった三年で侯爵位まで成り上がったのだから。私が彼女の後ろ盾となった際、三年という短い期間で我が家の格を追い抜いていくとは全く考えていなかった。綺麗に並べられた本棚に指を指しながら歩いていると、私の口から勝手に声が漏れていた。
「本当に驚きだ」
アストライアー侯爵の功績を始めから数え上げれば多くの事柄が湧きあがる。凄い出世の速さであるが、周りを巻き込んでアルバトロス王国やヴァイセンベルク家に良い影響を与えてくれるのは有難い。
その代わり王家は随分と大変な目にあっているようだが、各国から見られる目は『引き籠もりのアルバトロス』から『飛躍のアルバトロス』へと変わっていた。
「ええ、本当に驚きです。ヴァイセンベルク卿」
「おや。これは、ハイゼンベルグ公爵。暇を持て余したのですかな?」
ふいに声を掛けられて前を向けば、ハイゼンベルグ公爵が前に立っていた。前公爵のような偉丈夫ではないが、きちんと鍛えているのが分かる。惜しいのは、彼の骨格が細いため文官に見えてしまうことだろう。
軍を預かる家として問題ないように育てられている――前公爵が手を抜いているわけがない――だろうし、最高指揮官として十分な働きをみせてくれるはず。もし辺境伯領で異常が起きれば、彼が率いる軍と騎士団と手に手を取り合って協力しなければならぬため良好な関係を築きたい。
「はい。我が妻は早々にお茶を嗜んでくると庭に出てしまいましたので、男の私は行く当てもなく暇潰しなら侯爵家の者に図書室は如何でしょうかと教えて貰ったのです」
「なるほど。どこの家も女性には敵いませんな」
お互いに妻と娘に放置され、暇を持て余した結果の行動だったようである。私も暇潰しができそうな場所はないかと宛がわれた従者に問うたのだ。そして図書室を訪れていたのだが、まさか同類がいようとは。
「妻の尻に敷かれておいた方が夫婦関係は上手くいくと平民の間で囁かれているようですが、貴族でも変わりはないのでしょうね」
潤滑な夫婦関係は平民も貴族も変わりないのだろうと私は彼の言葉に一つ頷いた。私が立ち止まった場所の棚には数多くのとある本が並べられている。
「この辺りの本は侯爵が用意させたものでしょうか」
「そのようですな。領地経営の本は随分と新しいものですし、付箋の字は侯爵のものですからな」
公爵の声に私は本棚を見上げた。本に挟まれている栞や付箋にはアストライアー侯爵の力強い文字が踊っている。きちんと勉強をしているようでなによりと言いたいが、彼女の身は随分と忙しく各地を飛び回っている。
どうやって領地経営を学ぶ時間を捻出させているのかと気を揉んでいれば、ふっと顔の横で光る玉が浮いていた。突然現れた光の玉に驚くものの、従者に図書室では突然光る玉が現れることがあると教えて貰っている。正体は屋敷に住み着いている妖精で害はないと聞いていたし、現れた光の玉から悪い気配を感じられない。公爵と共にごくりと息を呑めば、光の玉が何度か点滅する。
『執務の終わりに、ちょっとだけ勉強しているよ!』
光の玉が上下に揺れていると、ぽつぽつと他にも光の玉が空に浮かんでいた。驚きの光景に目を見開いていれば、ふふふふふと笑い声が複数耳に届く。
『家宰に教えてもらっているの!』
『でも、お婆の悪戯とか事件が起きて、覚えたことが飛んじゃうみたい!!』
『面白い!』
『もっと悪戯しなきゃ!』
いや、うん。妖精は悪戯好きかもしれないが、これ以上侯爵が問題に巻き込まれると陛下や私たちの胃の腑が持たないと、公爵と顔を見合わせるのだった。
◇
妖精の登場で私たちの胃の腑が持たないと言ったところなのに……。
ハイゼンベルグ公爵とヴァイセンベルク辺境伯である私は、アルバトロス王都のアストライアー侯爵邸の図書館で暇を潰している最中である。妖精が現れたのは出入口付近であり、奥には足を踏み入れていない。
妖精は始終驚いてばかりの私たちに興味を失ったのか直ぐに消え去っていた。今宵は王太子殿下夫妻と神さま方も参加するとのことなので、妖精の悪戯がないようにと願うばかりだ。妖精が料理に粗相をすれば侯爵家の料理人の首どころか存在自体が消え去ってしまうのではなかろうか。胃の腑がきゅっとなるのを感じて顔を青くしていると、ハイゼンベルグ公爵が私の顔を見た。
「ヴァイセンベルク卿、大丈夫ですか? 顔色が宜しくありませんが……」
「いや、先程の妖精が屋敷の料理に悪戯をすればどうなるだろうと考えてしまいましてな。侯爵は人を裁くということに慣れていない上に聖女の身だ。あまり厳しい沙汰を下せば国の者たちが不満を募らせるだろうと」
ハイゼンベルグ公爵は私の顔を心配そうに覗き込んでいる。下手に私の内心を隠すよりも、恐れていることを聞いて貰った方が良いだろうと私は考えていたことを彼に伝えた。公爵は察しが良いようで、妖精の悪戯で身を破滅させる者はいるでしょうねと困り顔になっている。そしてナイ・アストライアー侯爵という者の性格もきちんと把握しているようであった。
「娘のソフィーアから侯爵は食べ物を粗末にしないと聞いております。侯爵の機嫌を損ねるようなことを妖精はしないと願いましょう」
公爵の言葉になるほどと私は頷いた。妖精は気に入った者の側に姿を現すと聞いているし、侯爵邸に住み着いているならば当主である彼女を好いているのだろう。
貧民街出身で食べることに少々拘りのある侯爵に対して妖精が彼女の怒りを買うようなことはしないかと安堵するものの、妖精だしなあと不安になってしまった。少し前にもエーレガーンツ王国の王冠と王錫が妖精の悪戯により侯爵の下へと舞い込んだのだから。
「そうだと良いのですが……あ」
本棚に向けていた私の視線が懐かしい物を捉えた。何故、
「如何なさいました?」
「いや、ね……娘のセレスティアが幼い頃読んでいた本が棚に収まっていたんだ。しかも所々に丁寧に印が入っている……――なにをしているのだ、我が娘は」
ハイゼンベルグ公爵も首を傾げるのだが、本当に何故娘が幼い頃に必死に読んでいた魔獣や幻獣について記されている本があるのだろう。娘が意図的に持ち込んだとしか思えないが、侯爵邸の書棚に入って良い代物なのだろうか。
あまりの懐かしさに目を細めながら手を伸ばし、印の入っている頁を捲ってみる。丁度、天馬を解説しており、彼らについて語られている。白い馬の身体に翼が生え大人しい個体が多く、食欲旺盛であると。
番となって、百年に一度か二百年に一度仔を産むそうである。確かに白い馬体に翼が生えている個体もいるが、侯爵家には黒天馬と赤天馬がおり、彼らは年子と聞いている。本の解説は事実と異なっており、再編集が必要なのかもしれない。私がはあと溜息を吐けば、隣にいるハイゼンベルグ公爵が小さく笑った。
「可愛らしいではないですか。それに豪胆だ」
「父親としては恥ずかしいですな。侯爵に笑われなければ良いのですが」
彼は目を細めて本を見つめているが、本の持ち主が娘であれば私と同じ気持ちを抱くだろう。複雑な気持ちを抱きつつ、ケルベロス、フェンリル、グリフォン、竜と侯爵邸で住まう魔獣や幻獣の所に確りと印があるし、他にも娘が会ってみたいと願っている種のところに付箋が入っていた。
持っていた本を棚に戻して奥へ進んでいけば窓際に設置されている机と椅子のところで陽光を浴びながら、本を読んでいる西の女神さまがいた。女神さまがいるなんて聞いていないと心の中で悲鳴を上げれば、私たち二人に気付き本から視線を外しこちらへ視線を向ける。
「……久しぶりだね」
西の女神さまの眩しいお姿に見惚れるわけにはいかない。ただ一柱さまの周りには妖精が飛んでおり、神秘的な光景だった。教会の祭壇上にあるステンドグラスに描かれた西の女神さまは素晴らしいが、生で見る西の女神さまは私の語彙では表現できないほどの方である。
発せられている神気に絶対に逆らえないと頭と心が理解し、女神さまのこの世のものではない美しさに身体が動かなくなりそうになる。侯爵が同席していないと西の女神さまはこのような圧を放っているのかと驚くものの、挨拶を返さねばと息を大きく吸って無理矢理に私は口を開いた。
「は! お久しぶりでございます。西の女神さま」
まるで新兵が上官に言葉を返すような勢いになってしまった。失礼だったかもしれないと口を伸ばしていれば、隣にいるハイゼンベルグ公爵も口を開いた。
「久しぶりでございます。読書のお邪魔をしてしまい申し訳ございません」
「大丈夫。ここはナイがみんなのためにと開放している」
気にしないで、ということだろう。どうやら図書室はアストライアー侯爵家では誰でも入室可能なようである。本は貴重な品だし、従者や下働きの者に知識は必要ないと立ち入りを禁止している貴族も多いのだが、アストライアー侯爵家は例外のようである。
「私も今きたところ」
なるほど。暇潰しに紹介してくれた従者に悪気はなかったようで、西の女神さまと私たちは同じ頃に図書室を目指したようだ。ふうと息を吐いていると西の女神さまが小さく手招きをして、席へ座すようにと指示をした。
私とハイゼンベルグ公爵が良いのだろうかと視線を合わせるも、西の女神さまの命を無視しては駄目だと硬い身体を動かしてどうにか着席をした。
「君たちはどんな本が好き?」
西の女神さまの言葉にはっとして、私はどのような本が気に入っているだろうと首を傾げた。本を読む機会はたくさんあるものの、必要な知識を吸収するために読んでいるだけで、趣味の範囲で物語や詩を嗜むことはない。
「兵法書を良く読んでおります。辺境を預かる身として、他国や魔物から王国を護らねばなりませんので」
本当に私の読書内容はつまらないものであるが、ヴァイセンベルク辺境伯当主として必要なことである。今回のことを機に妻のアルティアが読んでいる本を借りてみよう。
彼女は時折、魔獣や幻獣以外のことを記した本を好んで読んでおり、貴族社会で流行っている物語の本をベッドで読んでいることがある。
「私も同じく兵法書を読んだり、過去の歴史、貴族の在り方を記した物を良く読んでおります。好んでいる本とは遠いのかもしれませんが……女神さまはどのような本を読まれているのでしょうか?」
おお。ハイゼンベルグ公爵が話を広げるために西の女神さまに質問を返した。私が感心していると、女神さまは微笑みを浮かべながら答えてくれる。
「街に暮らす人たちの生活を記している本が面白い。あと西大陸の地図を見るのも楽しい」
西の女神さまは街に住む者たちの暮らしが気になるようである。確かに女神さまの手元には『アルバトロス王都の暮らし』という表題の本が置かれていた。大陸の地図は持ってきていないようだが、西大陸の地図を見てなにを考えておられるのだろうか。
「街の者たちの暮らしと、侯爵邸での暮らしは随分と違いますからな」
「王都を離れれば、もっと慎ましやかに暮らしている者もいますから」
「どうしているの?」
私と公爵が言葉を発すれば、女神さまは興味を持ったようである。王都を離れた村や町に住む者の暮らしは自給自足で生きている者が多い。我がヴァイセンベルク辺境伯家も領都を離れた各村や町では商人が偶にしかこない場所がザラにある。女神さまは私たちの話に興味があると目を輝かせて質問をたくさんくれ、私と公爵は女神さまに答えようと頭の中にある知識を総動員させるのだった。
◇
男爵領を陛下から拝したことにより、俺、エーリヒ・ベナンターは聖王国の外交官勤務から王都の勤務へと切り替えられた。
聖王国で仲が良くなった方たちに別れの挨拶を済ませてアルバトロス王国へ一週間前に戻ってきたところである。俺と一緒に行動しているユルゲンも王都勤務を命じられて、アルバトロスに戻ってきていた。
フィーネさまとはまた遠距離恋愛に戻ってしまうものの、男爵領を頂いたことで俺の前に立ちふさがる壁が一つ消えた気がする。陛下やナイさまの気遣いで消えたようなものなので自慢はできないが、それでもフィーネさまとの婚姻に一歩近づいたのは良いことだろう。
あとはフィーネさまに願われた『私を攫ってくださいね』ということを現実にできれば良いけれど、本当に攫ってしまえば俺は犯罪者となってしまう。
なので書面やらで根回しをして合法的にフィーネさまとの婚姻を手に入れなければならない。凄く難しいことだけれど……最後の手段は彼女とのキスで叶えようと決めている。――聖痕が消えなければ俺は一生立ち直れない可能性もあるが……そこはフィーネさまを信じよう。
今、俺とユルゲンは王城の馬車――予約すれば官僚は借りられる代物――を借りてアストライアー侯爵邸を目指している。侯爵邸を目指すと知った御者の方は凄く驚いていたが、自身の仕事を全うするために意を決したようだった。
覚悟を決めるほどではないのだが、確かに侯爵邸には多くの不思議な生き物が居着いているし、今回の話を知っているならばとんでもない方たちが集まっていると分かるのだろう。当然、馬車の中で俺の正面に座している友人のユルゲンも緊張した表情で侯爵邸に辿り着くのを待っている。俺は固くなっている彼に苦笑いを浮かべ、緊張が少しでも和らぐようにと願いながら言葉を紡ぐ。
「ユルゲン、緊張しているのか?」
少し直球過ぎたかと反省するものの、職場の同僚であり友である彼ならば問題ないはずだ。ユルゲンは窓に向けていた視線を俺へと変えて口を開いた。
「それはそうです。侯爵邸には女神さま方に王太子殿下夫妻、アルバトロス王国の重鎮がいらしているのですから」
確かに身内だけで豚肉パーティーを催すのかと思いきや、ナイさまはいろいろな方に声を掛けたようである。ただナイさま的にご招待した彼らは身内判定なのだろう。俺の元に届く情報では、彼らにナイさまはお世話になっているようだし、彼らもまたナイさまにお世話になっているはず。
「創星神さまもいるかもしれないからな。でもユルゲンは夏に島で一緒に楽しんだじゃないか。神さま方は形式ばったものは好きじゃないみたいだし、気楽に行こう」
だから侯爵邸で開かれる豚肉パーティーは立食会形式となっている。気になった料理を自由に取り分けて、自由に食べて良いのだ。晩餐会だとコース料理となってしまうので、ナイさま的にも丁度良いのだろうと俺は苦笑いを浮かべてしまう。ユルゲンは神さま方が同席していることに慣れないようで普段より緊張が強い気がする。
「聖王国で過ごしている時のように、誰かが変なことをしないかと気を張っているよりはマシでしょうけれど……こう、違う緊張感が湧いてしまうのです」
「……それは確かに」
フィーネさまが俺たちの今の会話を聞けば煤けてしまうかもしれないが、確かに聖王国で悪巧みを考える者たちがまたなにかしないかと、心配しなければいけない状況は案外気持ちが疲れてしまう。お互いに苦笑してアストライアー侯爵邸はもう直ぐだと窓に視線を向け、フィーネさまと堂々と話ができる場に赴けると期待をするのだった。