魔力量歴代最強な転生聖女さまの学園生活は波乱に満ち溢れているようです~王子さまに悪役令嬢とヒロインぽい子たちがいるけれど、ここは乙女ゲー世界ですか?~ 作:行雲流水
アンファンとテオが無事に王都のタウンハウスであるミナーヴァ子爵邸に辿り着いたそうだ。一応、アンファンとテオは王都からアストライアー侯爵領に移動した経験が一度あるため、宿の取り方や過ごし方を学んでいたようである。
とはいえほとんどを屋敷の中で過ごしていた彼らである。王都の大きい街並みは物珍しいだろうし、これから訓練校に通う緊張を抱えているのだろうなと私が目を細めていたのが午前中である。
そして、お昼ご飯を済ませた私は庭の東屋でお茶を一人で嗜んでいる。ジークとリンは訓練に向かったので離れているのだが、丁度考えたいことがあるので都合が良い。
私がジークとのお出掛け先として神さまの島はどうかと家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまに相談すれば、出掛け先に選ぶなと止められてしまった。ジークとゆっくり話せそうな場所がソコしか思いつかなかっただけなのだが他に良い場所はあるだろうか。神さまの島が駄目なら、高級店の個室が一番良さそうなかと思うのだけれど、侯爵家の料理が美味しいのであまり気が進まない。
いろいろ考え込んでいると、ソフィーアさまとセレスティアさまが屋敷の方からやってきた。
「なんて顔をしているんだ、ナイ」
「そうですわ。侯爵家の当主とは思えません」
片眉を上げて仕方ないという雰囲気を醸しているソフィーアさまと肩を竦めながら鉄扇を開いて口元を隠すセレスティアさまに私は無言で席を薦める。控えていた侍女の方にお茶をお願いすれば、静々とした様子で用意をしてくれた。お二人が私が休んでいるところに姿を現すのは珍しい。一体どうしたと私は背筋を伸ばして、お二人と視線を合わせた。
「どうしてこちらに?」
私が首を傾げると、クロは青竜さんと赤竜さんと遊び始めた。
「なんとなく、な」
「出先を迷っているのでしょう? わたくしたちはナイの提案を先程難色を示したので代案を出しにきた、というわけですわ」
私の疑問にソフィーアさまとセレスティアさまが答えてくれ、辺境伯令嬢さまは続けて公爵令嬢さまが私のことを気にしていたと言葉を付け加える。ソフィーアさまは余計なことを言うなという顔になり、セレスティアさまは言いたいことは言わねば伝わりませんわよと開いていた鉄扇を閉じた。
悩んでいたので有難いとさっそく私はどこか良い場所はないかとお二人に問うてみた。一応、密偵やら外務部の方や他の国の諜報員の方の耳がないところが望ましいというのはお二人に伝えている。とはいえ、そうなると難易度が跳ね上がるためお二人は考える様子を見せつつ声を紡いだ。
「王都の王立公園はどうだ? 広い薔薇園があって、迷路みたいになっているからな。二人で話しながらゆっくり歩けば、早々聞き耳は立てられまい」
「ヴァイセンベルク辺境伯領の領都でも構いませんわよ。妙な者は王都より少ないでしょう。ナイは顔が売れているので直ぐ騒ぎになるでしょうが、人払いは可能でございましょう」
お二人が苦笑いで答えてくれる。まあ、私の動向を気になっている方たちはたくさんいるので、聞き耳を立てられない場所というのが限りなく少ないのはソフィーアさまとセレスティアさまも十分理解しているのだろう。
お願いすればハイゼンベルグ公爵領でもお出掛け先となるけれど、流石に人払いをお願いしてまで出掛け先に選ぶ気はない。ジークと落ち着いて話せる場を私は知りたかったわけだけれど、一つの結論に辿り着く。
「……となると一番落ち着いて話せる場所は
変な人がいないということであれば、屋敷の中が一番良いのではないだろうか。立ち入りできる方は限られ悪意のある方は弾かれる。そう考えると副団長さまと猫背さんとダリア姉さんとアイリス姉さんが考案してくれた結界は優秀であり、スパイの人には迷惑千万だなあと晴れた春の空を見上げた。
「そうだな。密偵やら聞き耳を立てる者は限りなく少ないな」
「ですわね。出掛け先とはなりませんが、落ち着いて話すのであれば屋敷が一番無難な場所かと」
お二人に視線を戻した私は、彼女たちの声に苦笑いを浮かべる。まあ落ち着いて話すなら侯爵邸、どこかに出掛けるならば人に見られるのは覚悟しなければならないようである。アルバトロス王国に湖があればボートに乗って二人きりになれる手段があるけれど、ないのだから仕方ない。それに私にはそういうことが似合わないし、湖に落ちてしまう気がする。
ジークと話すのは屋敷として、出掛け先はどこにしようとお二人に再度問えば、私にいろいろと情報を教授してくれた。お貴族さま定番のデートコースとか一応あるらしい。王都に集中しているのは流石というべきか。避暑地で過ごす場合も多いそうだが、それは婚約者同士か婚姻している方が取る手段だとか。凄く広い庭園であれば護衛を撒く方がいて、隠れてコソコソできるそうだ。
ソフィーアさまとセレスティアさまと私はその手のことが好きではないので選ばないけれど。手段として教えてくれたのは、私を信用してくれているからだろう。
貴族が恋愛婚を選び取れる日は遠いだろうなあと私が目を細めていると、どこからともなくヴァルトルーデさまが歩いてきた。後ろには天馬さま方を控えさせており、なんとなく神々しい光景に見える。でもヴァルトルーデさまなので神々しさは普通の神さまより半減しているかもしれない。慣れたとも言うけれど。
「珍しい。ソフィーアとセレスティアがいる」
東屋の中に進んできたヴァルトルーデさまはお二人がいることに少しだけ驚いていた。確かに午後の時間から東屋を占領しているのは私であることが多い。お二人は仕事をしていたり、宛がわれている自室で過ごしていたりと様々だ。堅苦しい態度をヴァルトルーデさまは嫌うため、席から立たないまま私は席を薦める。そして私より先にソフィーアさまとセレスティアさまが口を開く。
「ヴァルトルーデさま、如何なさいました?」
「珍しいのはヴァルトルーデさまの方では?」
西の女神さまがこの時間、この場所に姿を現すのはお腹が空いた時である。私は事情を知っているけれど、ソフィーアさまとセレスティアさまは知らないので疑問を呈していた。
「暇でウロウロしてたら三人の姿が見えた」
何故かヴァルトルーデさまがドヤと胸を張る。自慢するようなことではないのに、女神さまにとって私たちを見つけたことが嬉しいようだ。お茶を淹れてくれた侍女の方が礼を執れば、ヴァルトルーデさまも感謝を告げる。
女神さまが屋敷で生活するようになって、他の方たちも随分と慣れてきているようだ。最初は凄く緊張していたというのに、今では難なく言葉を交わしているのだから。ヴァルトルーデさまは淹れて貰ったお茶を一口嚥下して私たちを見る。
「なにを話していたの?」
どうやら私たちが集まる姿が珍しいので、なにを話していたのか気になるようだ。いつもであればお茶とお菓子に意識が取られいるので、ヴァルトルーデさまが会話を振るのは珍しい。
「お貴族さまのお出掛け場所についてですね」
私が答えると、ヴァルトルーデさまは意味を咀嚼しているのか少し間を置いてから次の言葉を紡ぐ。
「面白そうなところはあった?」
「どうでしょう」
面白そうなところはあっただろうか。確かにお貴族さま基準であれば普遍的で無難な紹介だっただろう。前世を知っている身としては、少々物足りないというかヴァリエーションに欠けるというか。遊園地とかカラオケとかないし、デパートでご当地フェアとかB級グルメ大会とかはない。私がソフィーアさまとセレスティアさまの方に視線を向けると、お二人は困り顔になる。
「私に聞くな」
「同じくですわ」
ソフィーアさまとセレスティアさまが片眉を上げながら微妙に笑い、ヴァルトルーデさまは特に気にしていないようだ。私は淹れて貰った紅茶が冷めてしまうと、ティーカップを手に取って口に運ぶ。
少し時間が経って喉を通りやすい温度になっており多めに紅茶を口に含んだ。少々お行儀が悪い気もするが、身内しかいないので気にしない。ふと視界の横にヴァルトルーデさまが映っていることに私が気付けば、こてんと顔を斜めに倒していた。
「ねえ、ナイ。ジークフリードとは上手くいっているの?」
「ぶふぅっ!!」
唐突なヴァルトルーデさまの疑問に私は口に含んでいた紅茶を吹き出した。ソフィーアさまとセレスティアさまの方に吹くのは失礼と一瞬で判断して、私の顔の方向を変えたものの被害者がいた。
『汚いよ、ナイ!』
クロが抗議の声を上げ、青竜さんと赤竜さんが短く鳴いてソフィーアさまとセレスティアさまの方へと逃げて行く。するとお二人はハンカチを取り出して、濡れてしまった青竜さんと赤竜さんの身体を拭いている。誠にごめんなさいと言いたいところであるが、急に宣った方が悪いとクロに目線を向ける。
「ご、ごめん。ヴァルトルーデさまが変なことを言うから」
私の声と同時に侍女の方がわたわたと布巾や布を持ってきてくれた。私はポケットからハンカチを取り出して口元を拭うと、ヴァルトルーデさまが目を細める。
「私の所為かな、今の」
ヴァルトルーデさまが言葉にしなければ被害者は出なかったのだから女神さまの所為ではなかろうかと私はジト目を向けた。するとヴァルトルーデさまは微妙な顔になるものの、特に反論はないようで私以外に謝罪を入れている。
私に告げた言葉だというのに、私に対して謝罪がないのはどうなのだろう。まあ良いかと気を取り直して、ヴァルトルーデさまの疑問について考えてみる。特にジークと変わったことはないけれど、私は手探りで彼との距離を詰めようとしている……はず。ジークと付き合うのは嫌ではないが、なにか変わってしまうことを一番恐れている。
一番被害が大きかったクロは侍女の方に身体を拭いて貰っており、ありがとうと告げて私の肩の上には戻らずヴァルトルーデさまの方へと乗っている。
『酷いよねえ。女神さまはナイに変なことを言っているとは思わないけれど』
「ね」
クロとヴァルトルーデさまはお互いに視線を合わせて意気投合していた。そしてソフィーアさまとセレスティアさまは聞き手に徹するようである。なんだこの状況と言いたいけれど、変に勘繰られるくらいなら本心を語っておいた方が良いだろうか。
「ジークには返事を待って貰っています。ずっと一緒に過ごしてきたから、見る目を変えろと言われても無理ですし……」
「?」
私が声を絞り出せばヴァルトルーデさまが首を傾げている。変なことを言ったつもりはないのだけれど、女神さまは今の私の言葉をどう解釈したのだろうか。ヴァルトルーデさまが目をぱちくりさせながら口を開いた。
「ナイとジークフリードはお似合いだよ」
女神さまの気持ちは有難いけれど、私はどうすりゃ良いのか分からない。多分、世間一般的な恋人同士になるのは無理だろう。べたべたするのは好きじゃないのだが、ジークはどう考えているのか。
「と言われましても……」
恋愛って難しいねと微妙な気持ちになりつつ、告白の返事をしていないんだから恋愛が始まってすらいないとセルフ突っ込みをするのだった。
◇
アストライアー侯爵領から王都に辿り着き、ミナーヴァ子爵邸での生活が始まっている。騎士訓練校には屋敷から通いで行くため、荷物は宛がわれた部屋に全部運び込んでいた。
俺と一緒に移動してきたアンファンも既に荷解きを終えており、一緒にミナーヴァ子爵邸の皆さまに世話になりますと挨拶を済ませている。
俺はさっそく行きたいところがあると歩いて商業区に辿り着いたところだ。高級店街を抜けて少ししたところにある服飾店と書かれた看板を見つけ扉を潜り店主の人に事情を話して、邪魔にならない場所で待たせて貰う。すると店の奥から妹が姿を現して、俺の顔を見た途端にはち切れんばかりの笑顔が溢れた。俺は彼女との再会の嬉しさで口元を緩ませて声を上げる。
「レナ! 元気か!?」
「テオ兄さん、久しぶり! 会わない間に背、随分伸びたんだね!」
レナは止めていた足を動かして俺の少し手前でぴょんと跳ねて抱き着いてくる。店の商品になにかあってはいけないと、俺は場を動かず彼女を抱き留めた。
侯爵さまに助けて貰った頃の妹とは全然違って成長している。出るところも出てきているものの妹にはなにも感じない。しかしご当主さまの方がレナより小柄ではなかろうか。変なことを考える前にレナに視線を移して、ゆっくりと彼女を床に降ろす。
「レナも背が伸びたな。仕事は慣れたか? 店の人に迷惑を掛けてないか?」
俺はこの半年の間に十センチ近く背が伸びているが、レナも二、三センチは背が伸びている。針子仲間がどうしたのかと、扉の向こうからこちらを覗き込んでいたので小さく礼を執っておく。
きゃっと騒がれているのだが、何故、俺を見て騒ぐのだろうか。一張羅を纏ってはいるものの商家の丁稚くらいの格好だし、俺より顔の良いヤツなんていくらでもいる。良く分からないが、とにかく妹のレナに再会できたのは嬉しい。王都で二年間過ごすことになるから、その間は妹とちょくちょく会えるはずだ。
「兄さん、心配し過ぎ! お店の人に仕事を全部任されることもあるんだから!」
「そうか。なら良かった」
へらりと笑うレナに俺は笑みを深める。どうやら随分と針子の仕事に慣れてきており、店の人の信頼を得ているようだ。俺はまだアストライアー侯爵家の正騎士になれていない。
妹に心配を掛けないように真面目に訓練校に通い卒業資格を得なければ。ご当主さまから留年は構わないが、資格を得られなければ正騎士への道は閉ざされると告げられていた。それでも落ちた時には職の世話――侯爵家の下働きだそうだ――をしてくれるというのだから、どこまでお人好しなのだろう。
「兄さんは来月から騎士訓練校に通うんだよね?」
「ああ、ご当主さまが通ってみないかと仰ってくれたんだ」
くりくりとした大きな目を俺に向けているレナは凄く楽しそうに喋る。貧民街にいた頃とは全然表情が違っていて明るい。
悪い奴の甘言に惑わされて危うい橋を渡ることになったが、本当にご当主さまと出会えて良かった。でなければ俺たちは貧民街で孤児のまま暮らしているか、命を落としていただろう。ふっと俺が笑うと、レナも目を細めながら口元に手を宛てて笑った。
「喋り方、お貴族さまみたい!」
「仕方ないだろ。騎士になるなら、できて当然だ。というか俺なんてまだまだだからな。あ、仕事の邪魔しちゃ駄目だから、手紙で約束した通り次は飯食べに行こうな」
面白可笑しくレナが笑っているが、ジークフリードさんや侯爵家の騎士の人たちにいろいろ教えて貰ったのだ。託児所の責任者であるサフィールさんには簡単な計算を理解できなかった俺に、凄く根気良く教えてくれた過去がある。本当に俺は、俺たち兄妹は恵まれていているのだろう。できれば妹のレナも侯爵邸で一緒に働ければ良かったのだが、針子の仕事をしたいという夢があった……だから、この気持ちは俺の贅沢だ。
「うん。また今度!」
「ああ。店の人は?」
少し名残惜しいけれど、仕事の邪魔をしてはいけない。手紙のやり取り――妹は代筆屋を利用している――で、俺が今日店を訪れることは知らせていて、妹に店の人に許可を取っておいてくれと頼んでおいた。とはいえ仕事中に会いにきたのだから長居は駄目だ。
「え、店主さまならあそこに……」
「挨拶して、そのまま帰るな。またな」
不思議そうな顔をしたレナが目線で店主の人の居場所を教えてくれる。俺はレナの頭をぐしゃぐしゃと撫でて、手を挙げて歩みを進めた。そうして店主の人の下へと辿り着いて、ありきたりな言葉を交わす。
五十代くらいの人の良さそうな顔をした男だった。随分と年下であろう俺を見下すような態度ではないし、店の人たちとも上手くやっているはずだ。問題があるならレナから聞き出せば良いだけと、邪魔をして申し訳ありませんでしたと告げて俺は店を出る。
店先へと出れば、多くの人が行きかっていた。俺が王都の街に出たのは数えるほどしかなく、ほとんどを屋敷の中で暮らしていた。侯爵領に移ってからは世間を知るという名目で、仕入れに付き合ったり、日用品を手に入れるため使いに出されたりしたけれど。道行く人を見つめたあと、俺は商業区の外側の方へと顔を向ける。
「少し、街を回ってみるか」
今いる場所は金持ち相手に商売をしている店が多い区画である。もう少し敷居の低い店に行こうと俺は歩き始めるのだった。
◇
――ユーリと会えなくなって数日が過ぎていた。
アストライアー侯爵領から王都までの移動を終えて、ミナーヴァ子爵邸に辿り着いている。荷解きを終えた私は一息つこうと、与えられた部屋の窓際に椅子を置き腰を下ろす。
目の前は子爵邸の庭が広がっており、麦わら帽子を被った小父さんがせっせと手入れをしていた。植えられている花には蝶々が飛んできて蜜を吸っている。温かな春の日差しを浴びながら私は目を細めた。
これから二年間私がお世話になる場所なのだが、ご当主さま不在のため働いている方を最低限に抑えているため少し寂しい気もする。
領都にある侯爵邸の方が騒がしい。あちらは妖精がたくさんいたり、庭に天馬とグリフォンが住み着いているし女神さままでいらっしゃる。働いている人も大勢いるし、私を気に掛けてくれる方も多かった。王都の美味しいお店とか日用品を手ごろな値段で扱っているお店とか教えて貰っているので、いつか足を運んでみれたら良いのだけれど。
あと、私を気に掛けてくれていた方たちから、アストライアー侯爵家の常識が貴族の屋敷の常識とは限らない、と口酸っぱく言い含められている。
貴族の屋敷に魔獣や幻獣はいないし、ましてや女神さまもいない。ご当主さまは穏やかで優しいし、気さくに声を掛けてくれるけれど、普通は使用人のことは気にしないそうだ。ご当主さまは顔色や体調が悪ければ気付いて声を掛けてくれ、侍女長さまや家宰さまに仕事を休ませて欲しいとお願いしてくれる。それに休んだ人の部署にまで顔を出して事情を告げて出て行く。
貴族の当主の仕事なのかと思いきや、雇用主は関わらない部分だとか。
託児所もなければ、読み書きを教えてくれる先生なんて用意されておらず、普通は親が教えるか教師を雇うそうである。侍女養成校で提供されるお昼ご飯も不味く感じてしまうかもしれないとのことだ。
侍女長さまからは『アンファンには侍女の基礎を一通り教え込んでありますが、学び直す機会ですし友人を得る良い機会でもあります。確りと励んできなさい』と私を送り出してくれた。
ユーリの乳母を務めている皆さまからも『ユーリのことは私たちに任せて、アンファンは二年間勉学に励みなさい』と言われている。私と同じくして侯爵邸を出たテオさんも警備部の皆さまから激励を受け送り出されたそうだ。彼は王都にある騎士訓練校に通うことになる。私と同じくご当主さまが紹介状を書いてくれ、入学できるようになったとか。
「テオさんは妹さんと無事に会えたかな?」
彼は屋敷に辿り着いたばかりだというのに、王都の服飾店で針子として働いている妹さんの下に向かった。道中、彼にはいろいろとお世話になっている。
私は外のことをあまり知らないので、宿の取り方とかお金の支払いの仕方とかほとんどをテオさんに任せていた。手間を掛けて申し訳ないと私が謝ると、気にしなくて良いと照れ臭そうに視線を逸らされてしまう。
御者の方もいるし、侯爵領から王都に戻る方も一緒だったから二人きりになることはなかったけれど、年齢が近いため馬車の中では良く言葉を交わしていたのだ。
妹さんの話もたくさん聞いていて、彼にとって妹さんは唯一の家族だから大事な存在だと教えてくれている。私も妹のユーリが大事なので彼の気持ちは凄く理解できた。私はユーリと離れてしまったけれど、彼は二年間、妹さんの近くにいれるから嬉しいようだ。
「明日は顔見世に行かなきゃいけないんだよね。ちゃんと挨拶ができると良いけれど……大丈夫かなあ」
私は不安になって窓の外を見上げた。明日は侍女養成校の偉い方との入学前の挨拶がある。他の貴族家から学びにくる子たちもくるそうだ。私は同年代の人がたくさん集まる場に慣れていないから、きちんと振舞えるか心配だ。
怖い人や厳しい人がいなければ良いのにと不安な気持ちが溢れてくる。私は椅子から立ち上がって、ミナーヴァ子爵邸で侍女養成校に通った人がいないか聞いてみようと部屋を出る。すると通りかかった下働きの女の人がにこりと笑って私を見た。
「おや、アンファン。どうしたんだい?」
「あ、えっと。明日の顔見世の挨拶はどうすれば良いのかと困ってしまいまして。誰か侍女養成校に通った方はいないか聞いてみようかなと」
「なるほどねえ。今、ご当主さま不在だから侍女の人は少ないんだよ。次にみんなが集まるのは夕飯の時間だから、その時、侍女の人に聞いてみな!」
声を掛けてくれた下働きの人はあははと笑って私の背を叩く。痛いような、痛くないような微妙な力加減だった。でも、悪気はないのは分かるし、こうして声を掛けてくれて教えてくれたのだから文句なんてない。私はありがとうございますと頭を下げれば、荷解きは終わったのか、足りない物はないか、なにかあったら声を掛けろと気を使ってくれる。
「そうかい、そうかい。ま、いろいろ大変だろうけれど、アンファンは若いんだから頑張んなっ!」
またはははと笑う下働きの女の人は掃除用具を持っていた。仕事の邪魔をしてしまったようだと私は口を開く。
「あ、なにか手伝うことは?」
「移動で疲れてるんだから、今は休むことがアンタの仕事だよ! 夕飯まで大人しくしてな!」
私が手伝いを申し出れば、やんわりと断られてしまった。でも疲れているのは本当だし有難いと、私は一度部屋の中に引き下がるのだった。