「お嬢様、申し訳ありません。ジョンさまが……」
「グルル……」
「……また? 仕方ないわね。ジョン! 散歩の時間よ」
「ワンワン!」
「まったく……。私みずから散歩させなければ動かないペットなんて、どうして手元にいるのかしら」
「ヘヘッ」
重たい雲が彼女らの頭上を覆う。もしかすると一雨来るかもしれないと、彼女は憂鬱に思った。
奥ゆかしくも動きやすそうな服の女性はチェルシー。黒髪だ。その手に持っている綱は、隣のジョンの首に繋がっている。赤毛だ。
ジョンはチェルシーの父のイヌなのだが、妙にチェルシーに懐いており、体を動かさせようにも使用人たち相手ではテコでも動かない。
よって、父に代わってジョンの散歩のために、わざわざ! 屋敷から出てきたというわけだ。
「いやあ、チェルシーさま! 散歩は楽しいですね!」
「そろそろ帰りたいのだけれど。日に日に歩く距離が増えてるのは気のせいかしら」
「おっと! さすがはチェルシーさま。お気づきでしたか」
「気付くわよ! 普通貴族の散歩と言ったら庭で充分なんだから! ここがどこかわかってる!?」
「チェルシーさまがお住まいの町の、周囲にある草原です」
「令嬢が、ひとりで、出歩く場所じゃないのよッ!!」
とうとう感情が抑えられなくなったのか、チェルシーは持っていた綱を地面に叩きつけた。草が一面に生い茂っているため音は響かなかった。
「このジョンめがいます! ひとりでは……」
「ジョンはイヌなのだから1人と1匹でしょう!」
「ワン!」
「よろしい」
ジョンが敬礼したのを見届けてチェルシーは散歩を再開した。この元気の有り余りようを見て、まだジョンが遠くまで行くつもりなのだと理解したのだ。
散歩という名の遠出をするようになって体力がついたのは良い。だが、チェルシーはそろそろ歩きすぎて、足が令嬢らしからぬ太さにならないかと心配していた。息が切れなくなって久しいせいか、貴族であるはずの彼女の中に「なぜペットの方に合わせて散歩しているのか?」という疑問は既にない。
「ム、ワンワン!」
「え? なに? ……ジョン! やめなさい!」
ジョンが突然なんの変哲もない地面を掘りはじめた。これにはチェルシーも驚く。
「ジョン! ねえ!」
あらかじめ持ってきていたらしい小さなスコップで一心不乱に掘っている。スコップでは満足に掘り足りないのか左手も素手で土を起こし始める。
やめさせようと綱を引っ張っても、腕を掴んでも、手を止めない。イヌ、イヌ、と呼んでもジョンは所詮、肉体的にはヒトなのだ。
ジョンの狂行はいつもの事だが、今日は何故か様子が違って見えて、チェルシーは必死に声を荒げた。
「いつもなら止まるのに……! ねえったら! 手を痛めるわよ! 身体も汚れて……ジョン……?」
「ハァッ……ハァッ」
「ジョン……なんなの、それ?」
チェルシーは、ようやく掘るのをやめたジョンの手元に箱が収まっているのを見た。
膝に乗せてちょうどいいほどの大きさ。土に汚れて分かりにくいが、上等な紺の下地に金の装飾がなされている。
おそらく格の高いものが入っているのだろう、とはわかるが、それ以外はチェルシーにとって疑問だらけだ。なぜそんなものが埋まっていたのか。なぜジョンがそれを掘り当てたのか。
「答えなさい」
「ハァ……ハァ……はい。これは『封印の箱』です」
「……封印? 続けて」
「この封印の箱には、とても凄いものが封じられているんです! このジョンめの遠い先祖の品なのですが、ようやく取りに来ることができました」
「そ、そう。ご先祖様の持ち物なの。子孫のあなたの元に戻ってよかったわね」
泥まみれの口を弧にして説明するジョン。いつになく嬉しそうな笑顔で説明する彼に気圧されつつも、チェルシーは頭を回転させた。
「もしかして、それが欲しくて私をここまで引っ張ってきたの?」
「……ええ。どうしてもこれが必要だったので! 申し訳ありません。とてもお疲れでしょう」
「言ってくれれば勝手に行かせたのに」
「あなたの父君の邸宅から逃げたと思われかねません! そうなれば私は……」
「そうね、お父様のしつけは厳しいものね」
「ええ! ええ! チェルシーさまがお優しいおかげで、ジョンは命が助かっております」
ジョンは箱の蓋を開けて中を確認したのち、チェルシーに向き直り中を見せた。中には宝石が散りばめられたプレートのようなものが入っている。
「なぁに? それは」
「私にも分からないことは多いのですが、魔をうち祓う代物だそうで」
「へえ……」
箱の中のそれを、チェルシーはまじまじと眺める。たしかに静謐な雰囲気をもつそれは、彼女を不思議な気持ちにさせた。
「どうぞ触れてみてください、チェルシーさま」
「え、いいの?」
「ええ。このジョンのものはチェルシーさまのものでもありますから!」
「じゃ、じゃあちょっとだけ……」
あくまでジョンのものなのだから……と思っていたのに。そのジョンが言うのなら私が触ってもいいのだろう。そう思って胸を高鳴らせつつ、吸い込まれるように近づけた手で、そのプレートに触れた。
「!? きゃあっ!?」
その瞬間、手とプレートの間からとてつもない突風が生み出された。
ゴォォォォォォォッ……! ただの一瞬に止まらず吹き荒ぶ風は空にまで到達し、チェルシーたちがいた地点を中心に雲すらひらけさせた。吹き飛びそうだったチェルシーと箱は、咄嗟にジョンが抱える。
なにが起こったの!?
チェルシーは軽率に触った自身と、プレートを触らせたジョンへ怒りつつも、心は空と同様に晴れ渡る心地であった。しばらく風が止まず死も覚悟しはじめたところで、突風はそよ風に変わっていった。
「…………」
「大丈夫ですか? チェルシーさま」
チェルシーはきつく閉じていた目を開ける。ジョンが支えになっていたことに気づき、地面に接する人体は足の裏のみだと把握した。理解できたのはそれだけ。突然の現象だったので頭が追いついていないのだ。
「…………父君の元へ戻りますか?」
「おとうさま……」
父。チェルシーは父の顔を思い出す。
厳格だが家人には気を配る男で、黒髪を後ろへ撫でつけた美丈夫。まるで彫刻のようだと、初めてあった時に思ったのを覚えている。
なんかつまんねえ男だな、と思ったのも覚えている……。
「……んん?」
「チェルシーさま」
「ジョン、
「……………………チェルシーさまが戻った────────ッ!!」
「……なるほど。心配をかけたわね」
ジョンは飛び跳ね、草原を拍手しながら泣いて走り回った。狂喜乱舞という言葉がふさわしい。
数多の同人誌を読んできた読者の皆様ならもうお分かりであろう。チェルシーは今の今まで洗脳されていたのだ!
ジョンの方は先祖代々の首飾りによって精神操作を免れていたため、ずっと正気のまま反撃の機をうかがっていた。
首飾りはひとつしか手元にないので、ジョンはチェルシーの分のアンチ洗脳アイテムを確保したかったのだ。これで、準備は全て整った。
「1番近い先祖アイテムの反応、つまりここに来るまで苦労しましたよ、本当に!!」
「まあ、でも流石に距離も時間も離れすぎわ。あの男にはバレてるでしょうね」
「チェルシーさま、洗脳親父をはやく永年ハゲ野郎にしに行きましょう! 長期間洗脳なんてしやがって許せねえ……!」
「ええジョン。ボコボコにしてやりなさい。散歩の時間は終わりよ」
洗脳によって知らない人間を家族を思い込まされていた、その事実は彼女たちをひどく傷つけた。その報復はせねばならない。それがけじめというやつだ。
見つめるは街の外からでも目立つ大きな屋敷。太陽の照り返しで目が焼けそうな輝き。ひとりは綱を持って、もうひとりは四つん這いで『お父様』の屋敷へ帰っていった。
「ちょっとジョン、今は普通に歩きなさい。流石にそのスピードに合わせるタイミングではないわ」
「おっと失礼、四足歩行が癖でね」
ちなみに彼らは洗脳などされる前から、飼い主と犬の関係である。
「帰ったか、チェルシー。ジョンはちゃんと歩いたか?」
「ただいまお父様、あなたの横っ面を削ぎ落としに参りましたわ」
帰って早々のチェルシーの言葉に男は目を見開く。やがて響くような声で笑いはじめた。
「ハハハ……そうか。もう娘ではないか」
「ええ。おかげさまで大した不自由はなかったかもね」
「そちらの犬にも噛まれたらしい」
「最初から飼い主が違うだけだ」
周囲に使用人たちはいない。少し前のチェルシーと同様この男の洗脳下にあるはずの手駒を使うつもりはない、ということか。
いないなら邪魔が減って良い。チェルシーとジョンとしては、洗脳変態親父を何が何でも物理的にボコボコにするつもりであった。ただ、こちらを害そうという気概を男から感じられない。
「しかし、これはこれで興味深いものが見れたのだから良しとしよう」
「興味深い?」
「お前たち2人は他の者たちに比べても自然な振る舞いをしていたように思う。オレが心を操るとどうにも人間は人形のようになりやすい」
「感情的な人間が見たいなら美人の周りでもうろつきな! ヒステリックな現場の声が聞けるぜ」
「もう見た」
「え、見たの?」
「ただ疲れるだけだった。もういい」
「ジョン、この人あなたより美形だから……」
「それ素の評価ですか!?」
「そもそもオレは人ではない」
「は?」
「はい?」
言い合いでつい目を離した2人が男に視線を戻すと。そこには竜がいた。ジョンより三つ回りほど大きく、黒い鱗が宝石のように光っている。
これにはチェルシーもジョンも驚いた。遠い国に存在すると聞いてはいたが、当然実際に見るのは初めてなのだから。
「りゅ、竜!??」
「いかにも。ヒトへの理解を深めるため、こうして皆を屋敷に招いていた。きみたちはとても良い人間性を見せてくれた」
チェルシーは心の機微に聡い。その感覚はこの洗脳竜が、人間を嫌いつつも好きになりたがっている事を見抜いた。おそらく昔に酷い扱いでも受けたのだろう。
「じゃあ一発で許してやろうかな」と思いはじめたが、隣の犬はそうではなかったらしい。
ジョンはチェルシーの飼い犬として言いたいことがある。
「オラァ!」
「グ!!??」
ジョンは一瞬のうちで竜の頬に左ストレートを叩き込んだ。
「それは合意の上で成り立つプレイだろうがァ!!」
「グァッ!」
右。
「人間とのコミュニケーション取りてえならよォ!!」
「グァッ!」
左。
「まずは友達かペットからだろうがァァァ────!!!!」
「グァァァ──!!」
右。
竜の巨体に耐えられなかった屋敷の柱がひとつ、崩れ去る。
チェルシーは元来サディストというわけではない。
心の移り変わりが分かるために、ジョン自身が心で求め、喜ぶやり方でジョンと接しているだけだ。ジョンもチェルシーが無理をしてペット扱いをしているなら止めさせるつもりであった。しかしそうではないから飼い主とペットなのだ。
愛の成せる業ということか。
逆にこの竜はその思い合う心を無視した。ジョンの怒りはそこだった。
「ならば……どうすればよかったのだ。オレは……」
「人間観察してその理解なら、もうお前1匹ではどうにもならない」
「そ、そんな……」
「だがチェルシーさまのお心は広い」
「!?」
「……でしょう?」
ジョンはチェルシーに視線を向ける。彼女は「仕方ないわね」と竜は歩み寄った。
「別にこのまま、あなたを放置して私の本当の家に帰ったっていいんだけど」
「放置プレイ!?」
「ジョン、おだまり」
「ワン!」
「あなた、私の友達とペット、どちらになりたいの」
「ええ……」
竜にもプライドはある。この2人から学んだ『ペット』とは、首輪に繋がれて四つん這いで歩き回るジョンのことだ。当然、否。
では『友達』かと言われると、今まで見た人間たちからいまいち理解できていない。わからない。
「早く選ばないとこの狂犬があなたの首を食い破るかもしれないわ」
「友達で」
即決だった。
斯くして、1人と2匹はチェルシーの実家へ帰りついた。チェルシーは元々貴族であるから、当然ペットと共にいなくなった彼女はひどく心配されていた。
そんな令嬢がしばらく失踪したと思ったら、その辺りでは見かけない竜など連れているのだ。竜は「見せ物になるのか」と悲しくなりそうだったが、チェルシーの家において、チェルシーが変なものを拾ってくるのは日常茶飯事であったためにスルーされた。
チェルシーが竜を「友人よ」と紹介したおかげで、今ではティータイムには同じ席について茶菓子を摘む仲になった。
ジョンはその下で正座待機していた。
この光景が日常であることを、この家以外の人間は誰も知らない。
ファンタジーお題ったーより「草原 ペット 紺色 封印」
チェルシー
心の機微に聡い令嬢。キレる時はキレるが基本大らかなのでちょろい。
ジョン
ドM。立場的には護衛。
竜
人間よくわからない。